ご無沙汰しております。
ブログの更新をしなくなって長いこと経ちました。
理由はいろいろです。
今風に言えばリア充。
リアルが忙しすぎて、最近はPCを開くのも週に1〜2度あるかどうかという日常です。
一番の理由は母の事。
丁度今から3年前の夏、リウマチを発症し体の自由が利かなくなりました。
リウマチとなれば介護は長期戦となります。
家族だけで抱え込んでは共倒れになる。
そう判断した私は市の福祉課へ行き、介護認定の申し込みをしました。
そして要介護2の判定を受けました。(ちなみに現在は少し良くなって要介護1)
一人では風呂も入れず、包丁を持つことも雑巾を絞る事も出来ず、横になっても寝返りを打つことも出来ず、半日椅子に座る体力さえもなくなってしまいましてね。
まぁ、リウマチと言っても今はいいお薬があり、関節の変形などの重篤な症状が出る前に治療を始めた効果もあって、何とか日常生活を普通に送れるまでに回復しましたが。
そんなこんながありまして、いまだ江田島まで大叔父さんの遺書に逢いに行くことは出来ておりません。
体の不自由な母を連れて飛行機に乗って旅をするとなれば、せめて車いすに一日座っていられる体力がないと難しい・・・
でも、江田島一本に絞って少し頑張れば大叔父さんの遺書にはなんとか逢いに行けそうな目途はつきそうです。
気候の穏やかな時期、なるべく早い頃合いを狙って江田島旅行は敢行したく思っております。
さて、本日久しぶりの更新に臨んだ理由は、特攻の大叔父さんの永代神楽に参列してきたことをご報告するためです。
前述の通り母は急に体を患って、毎年恒例にしていた大叔父さんの命日の靖国参拝すら出来ないありさまとなってしまいました。
このまま自分が永遠に靖国に行けなくなってしまったら、叔父さんはきっと寂しがる。
そう思った母は、大叔父の命日にあたる5月4日の永代神楽供養を靖国に申し込んだわけなのです。
神楽を申込みしますと、神社から参列の案内状が届きます。
でも、体が自由にならない母を連れて、靖国詣では難しい。
神社が混み合う例大祭や夏のみたままつりへ行くことも憚られます。
本人も私も泣く泣く諦めているような状態が続きました。
いつだったか、靖国に行けなくなった母の代わりに一度だけ、私が代参として靖国詣でをしたこともあります。
母の名前で玉串を捧げ、昇殿参拝をさせていただきました。
何故だか、涙があふれて止まらず、号泣一歩手前の状態になったことを覚えております。
前置きが長くなりました。
で、今年の5月4日は、母を車いすに乗せて、久々の靖国参拝を挙行してまいりました。
久しぶりの5月4日の靖国は、いつになく若い人の姿が多かったような気がします。
10代の高校生から大学生くらいと思しきグループや、小さな子供を連れた30代くらいの若い層が、いやに多かったような・・・
世の中、少しづつ何かが変わりつつあるのでしょうかね?
マスコミで靖国が取り上げられるのは、桜の開花のニュースと、例大祭に閣僚が参拝したのしないのという例のあれしかなくて、みたままつりも正月の初もうでも、何時だって華麗にスルーがお決まりでうんざり気味なのですけれど。
参拝する人はするのです。
それも礼儀正しく。
参集殿に上がると、永代神楽の参列者は特別の控室に案内され、お茶の接待をうけます。
時間になると本殿に上がるのですが、その手前で手水を使うときも、濡れた手を拭うための紙が用意されており、一人一人に手渡しされます。
これ、普段の昇殿参拝の時にも、神雷部隊の合同参拝の時にも無かったことです。
神楽の参列者は特別、という扱いになるのでしょうか。
昇殿後、まずは供物が捧げられ厳かな空気の中、神職による祝詞と永代供養を受けた御霊の名前の読み上げがあります。
5月4日のその日だけでもざっと30〜40名位は読み上げられたでしょうか。
その後、神楽へと進みますが、神楽は笛・太鼓・琴のいわゆる生演奏。
謡(でいいのかな?)もお一人。
舞を舞う巫女さんはお二人。
うちの大叔父さんはまだ最近永代神楽を申し込んだばかりなので、名前が出てくるのは最後の方でしたけどね。
靖国がある限り、こうして毎年5月4日になると名前を読み上げられて供養していただける。
その事実を目の当たりにし、高齢となり頻繁に靖国を尋ねることが難しくなってきた家族にとっては、何よりもありがたいことと感じました。
念願叶って靖国に行き、参拝した母は神楽を見ながら泣いておりました。
私も後ろの席で泣きました。
大叔父さんもお社の奥で、喜んでくれたかなぁ?
神雷桜はすっかり花を落し、新緑の若葉と姿を変えていました。
母が元気なころは、桜の花の時期に靖国を訪ねたこともありましたが、今後は人出の多い時期の参拝は安全を確保する意味でも難しくなるかと思われます。
でも本人が元気なうちは命日や例大祭などの物日に関係なく、母と一緒に靖国に参りたいと思っております。
今年は戦後70年。
終戦時7歳の国民学校2年生の母も、喜寿を迎える歳となりました。
追記
この夏、茨城で桜花を題材にした映画の撮影が行われるそうです。
映画「サクラ花〜桜花最後の特攻〜」制作発表
https://www.youtube.com/watch?v=5LiOKnwyddQ映画「サクラ花」、6月から撮影 特攻機「桜花」題材に
http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14256487396685映画製作のための協賛金を募っているそうです。
問い合わせ先はこちら↓
藤代範雄デザイン事務所内サクラ花デスク(電話0299・57・0702)