2005年04月22日

松木薫さんを救うぞ!東京集会(1)05.1.13 友愛会館にて

『斉藤文代さんのお話』

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皆様こんばんは。
今日はお忙しい中集まっていただいて、本当にありがとうございます。
このような場で私の弟の話をさせていただくと言うことは、本当にうれしく思っております。

松木薫という人物を知らない方がまだたくさんいると思います。
私の弟・松木薫は1980年に、スペインのマドリードから北朝鮮の方に拉致されました。
連絡も何も無くて、88年に石岡さんの手紙、有本さんたちのところに「薫と3人で一緒に暮らしている」ということで、北朝鮮にいると言うことが分かりましたけども。
私たちきょうだいには父は何も教えてくれなくて。
父は本当につらかったと思います。
私たちが(北朝鮮による拉致を)知ったのは本当に後のことですから。

(司会者より「座って」の声)
よろしいですか?
すみません、座らせてお話させていただきます。

父は本当につらい思いをしたと思います。
薫は私より8つ下で、小さいときからだいたいおとなしくて。
私たちきょうだいは父母が戦後復帰で、一生懸命二人とも共稼ぎしておりましたので。
薫が生まれてからは、私が8つ下の薫をいつも連れて、どこへ行くにも一緒におんぶしたり引っ張って歩いたりして面倒を見てきましたので、私が母親みたいな役をさせていただきました。

本当におとなしいもんですから。
女のきょうだいの方が、うちの場合は男の子一人ですから、女のきょうだいの方がやんちゃで。
面倒見るのは全然手がかからない弟でした。
弟は私たちにとっては大事な宝物でしたし、小さいときから男の子が一人ということで。

父親は男の子が欲しくて欲しくて、「男の子が生まれるまで産んでくれ」と言うことで母に言ったらしいんです。
でも母も、いやもう私・・・女ばかり生まれるもんですから、5人きょうだいで4人目が亡くなったんですけど女ばっかりでしたから。
母は「そんなに産めない」って言ってたらしいんですけど、5人目に薫が生まれまして、それはそれは父はとっても喜んで。

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素朴な疑問 「戦争責任」の本当の意味って何ですか?

↓小泉総理がとうとうやってしまいましたね。

「反省とおわび」の歴史認識、首相演説で表明

あ〜ぁ、これで日本の自虐史観は逆戻りです。
中国が墓穴掘ってくれた今、日本の自虐史観をひっくり返す絶好のチャンスだったのにね。

以下私の素朴な疑問の呟き・・・

今の時代になって、侵略が悪いの植民地支配が悪いのと言ったってね。
あの当時はそれが良しとされた世界情勢だったんですよ。
日本だけじゃなく、ヨーロッパ列強も競ってアジア・アフリカを「植民地支配」してました。
それが何か問題なのでしょうか?

あの時代良しとされたことを今の時代の感覚で断罪するのは、ピントずれしてませんかね?
何かといえば日本ばっかり「謝罪と反省」を求められるけど、それは「敗戦国・日本」だけが背負わねばならない宿業なのですか?

今の時代でこそ「植民地支配は良くない」とか「民族自立」だとかという価値観が世界の共通認識になってます。
だからこそ、日本は過去の歴史に学んで戦後60年、どこの国も侵略してないし武力による威嚇もしてない。
日本ほどあの戦争から真摯に学んだ国は他に無い、と思うのですがね?

中国や韓国の人たちも、それから私たち日本人も何かといえばすぐ「戦争責任」と言う言葉を使いたがりますが、そもそも戦争責任ってなんなのでしょう?
戦争を始めたことが責任なのか?
人を殺したり領土を侵略したりするのが責任なのか?

喧嘩は両成敗、ってことにはならないのですか?
国を守るため、家族を守るため。
命を懸けて戦ったのは戦勝国も敗戦国も同じはず。
なのに敗戦国ばかり、責任を問われるのはどうしてなのでしょう?
戦勝国の責任。
例えばアメリカの東京大空襲とか原爆投下とかの責任はなぜ問われないのでしょう?
ソ連のシベリア抑留も多いに問題があると思うけど、日本は敗戦国だから文句のひとつも付けてはいけないのでしょうか?

勝てば官軍。
盗人にも三分の理。
歴史は勝者の都合の良い様に作られる。
だけど敗戦国・日本にだって戦争の意義について、主張するべき正義はあるはず。

そのことを頭の隅において、日本の近代史、特に戦争の意義と責任問題を考えるべきと私は思うのですが、どうでしょう?



テキストアップの前にちょっと業務連絡です。
リンクに2件追加をしました。

ひとつは北朝鮮拉致問題関連に「KONAboration-SSQ」様。
特定失踪者高野清文さんの妹、高野美幸さんのBlogです。
被害者家族の生の声を聞ける貴重な場です。
どうか訪ねてみてくださいませ。

もう一件はお勧めリンクに「人生とんぼ返り」を追加しました。
こちらはトンボがえりベイビーさんのBlog。
私なんぞのぼんやりした論陣とは違って、拉致問題など切れ味鋭く迫っていらっしゃいます。
こちらもぜひご訪問を。
posted by ぴろん at 16:07| Comment(3) | TrackBack(11) | 国内問題&国際問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

古賀誠代議士暴走! 人権法案本気で危うし!!

本日予定の集会テキストアップの前に緊急に一言。

人権擁護法案が大変な事態を迎えているようです。
悪の権化古賀誠代議士が、自民党法務部会で強行に一任を取り付け法案成立をごり押ししているらしいです。
詳しくはこちらを↓

人権擁護法案で自民混乱 古賀氏が「一任」宣言

食えないやつだとは思っていたが、本当にどうしようも無い男だね。
この古賀って野郎は!
日本の未来をこいつはいったいなんと心得るのか?
福岡補選でそんなに公明票が欲しいのか?
選挙のためなら、日本の未来も売り飛ばすのか?

ともかく人権擁護法案反対の当Blogとしましても知らぬ顔の半兵衛を決め込むわけには行きません。
国民の怒りの声をぶつけましょう。
黙っていては古賀ごとき売国議員の思う壺です。
声を上げましょう!

自民党へ抗議のメールを → 自民党に物申す!
古賀代議士へ抗議のメールを → makoto-k@abox2.so-net.ne.jp
posted by ぴろん at 02:21| Comment(1) | TrackBack(3) | 国内問題&国際問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月21日

中国雑感 歴史の教訓に学ぶべきは「敗戦国」だけなのか?

寺越一家を救うぞ!集会のテキスト化作業中、世は中国のご乱心騒ぎで大変なことになってますようで。
今更このネタを取り上げるなど周回遅れもいいところなのですが、思うところを一言ばかり、よろしい?

なんですかね〜〜??
一言で申せば、中国様は自分で掘った落とし穴に自分がハマっちゃったとでも申しますか。
店を壊されたり殴られたりと被害を受けた現地邦人の方には心よりお見舞い申し上げます。
細心の注意を払って身の安全を図られますよう、場合によっては日本へ引き上げることも躊躇なさらず、と申し上げたい。
友好もビジネスも大事でしょうが何よりも「命あっての物種」ですから、ハイ。

日中の国交を断絶せよ!などと過激なことまで言うつもりはありませんがね。
そうかといって今現在、中国様にかける情けまでは持ち合わせてないのですよ、これっぽっちも。
誤解を恐れず正直申せば、
「まぁ、この際行くところまで行っちゃえば??こっちには助ける義理一切ないし」
「自分で蒔いた災いの種、キッチリ自分で刈り取ってもらおうじゃないの!」
といったところでしょうかね?

私以上にノンポリ揃いの我が家でさえ、中国のあの尋常ならざる騒ぎっぷりを見て
「戦後60年、中国は一体いつまで謝罪謝罪とわめくつもりか!?」
「中国にオリンピックを開催するなんて無理じゃないのか!?」
「っていうか、次のオリンピックまで中国の国家体制は維持されているのかね!?」
などとぼやくわ、切れるわ。

まぁ、これが庶民の偽らざる気持ちかと。

この騒ぎをみて、日中または日韓の歴史問題に関心を持って、自ら真実の歴史を調べようという人もでるでしょうし。
目覚める日本人が増えるきっかけになると思えば、これも別段悪いことではないのかも?
やっぱり膿みは出さなきゃね。
所詮捏造は捏造、嘘は嘘。
真実を偽ることは出来ないのだよ〜〜と。

今中国様は必死で事態の収拾に駆けずり回っているようですが、そう簡単にこの不満分子のエネルギーって収まるものなのかしら???
今後はぜひぜひ生温い気持ちで、事態の推移を見守らせていただこう。

それといつも素朴に思うことですが、歴史の教訓に学ばねばならぬのは「敗戦国・日本」だけなのですか?
「戦勝国・中国」は何も学ばなくてもいいのでしょうか?
戦争云々の話については他のBlogをお読みになった方が詳しいので、ここでは省略しますがね。
ともかく戦後の日本は、過去の歴史に真摯に学び、戦後60年、どこの国も侵略していないし武力で威嚇もしていない。
これはれっきとした事実。

翻って中国様はいかがですの?
チベットを侵略し、台湾を威嚇してるのは誰ですか?
周辺国と領土問題やら何やらで摩擦を繰り返してるのはどこの国ですか?
歴史の教訓に学ばないで今も横暴を働いてるのは「戦勝国・中国」の方ではないですか?
そんな国に日本は謝罪と反省が足りないなどとは言われたくない。
中国様だけには言われたくないです、正直。

この際日本は世界に向かって、日本の正当性だの正しい歴史だのを、声を大にしてアピールすればよろしい。
日本が毅然とした態度を取れば取るほど、困るのは中国様。
いやいや面白い展開じゃありませんか。
こっちが何もしてないのに、自分で勝手に墓穴掘って勝手に首までハマって下さるんですから。
まさに棚からぼた餅。
このチャンス、生かさない手は無い。

ただ、この“毅然たる態度”ってのは、日本の一番苦手なことであり一番心配なところでもあるのですよね。
拉致問題に関わってると時々それを嫌と言うほど思い知らされる。

・・・と心配してたら案の定。
さっそく小泉さんは、「歴史認識は村山談話と同じ」なんて問題発言しちゃうし。
おいおい、わざわざ敵に塩を送ってどうするんだよ!
ったく情けない・・・あぁ・・・これだから、もう本当に!!


以下、業務連絡

蒼き星々でもお世話になってる金木犀様の「blue jewel」をお勧めリンクに追加しました。
当Blogと同様に集会テキストをたくさん扱っていらっしゃいます。
拉致問題への関心を深めるためにもどうぞ訪問なさってくださいませ。

それと明日から二日間かけて、「松木薫さんを救うぞ!東京集会」の全文テキストを掲載します。
24日の国民大集会を前に、少しでもそれぞれの家族の訴えをお聞き届け頂ければと思っております。
集会テキストばっかりの地味なBlogですが、懲りずにご訪問の皆様に感謝です。
posted by ぴろん at 13:22| Comment(0) | TrackBack(1) | 国内問題&国際問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月20日

寺越家を救うぞ!東京集会(9)05.4.14 友愛会館にて

『西岡氏もう一度お話』

最後に今後の予定、運動の展開についてご説明して時間ですので終わりにしたいと思います。
ご承知の通り4月24日ですね。
4月24日の2時から4時まで、「小泉総理の決断を求める国民大集会」を行います。
3時間ありますので、あまりたくさんの人に代わりばんこに話してもらわないで、今回は家族会の人たちにパネルディスカッションみたいに座ってもらってですね。
特に帰って来られていない10人の家族の人たちが、心の中で心配を思いながら今制裁しかないと思ってると。

一日一日向こうにいる人たちは今日どうしているだろうか?と思いながら過ごしていると。
早紀江さんなども今大変疲労感を覚えていらっしゃる。
色々な週刊誌に情報が出ますけど、それが本当かどうか?確認するすべはないし。
本当だとしたら、今度は本当のことが出てしまったら、北朝鮮に響いて娘の身に何か起きるかも知れないとか。
毎日いろんなことを分からなくて心配しながらというのは大変なんですよね。

逆に増元さんたちなどは何にも情報がないという辛さがある。
たくさん出てくる辛さもあるし何にも無くて待ってるという辛さもあると。
そういう中で日本政府が始めて厳しい態度をとると予告して4ヶ月経つんですけども。
このまま言ったら日本政府言ってることは虚勢であって、そんなに怖がることは無いと金正日が思ってしまったら、圧力にならないじゃないか?

12月に厳しい対応をすると予告したんですから、そうなったら拉致問題を日本は重視していないという、間違ったメッセージが金正日やその周辺や中国や韓国やアメリカに送られてしまったならば。
これから核問題などで情勢が緊迫したら、拉致は棚上げになってしまうかも知れないと。
いう強い危機感を持ってるという事に付いてですね、ぜひ皆さんに。
やっぱり国民の皆様に真正面から訴えるしかないと言うこと意外に無いと思ってますので。
なぜ経済制裁を今我々は訴えるのか?ということを分かってもらえるような、そういう時間をたくさん取る集会にしたいと思っています。

もうひとつ北朝鮮の核問題がクローズアップされていて。
国際社会は拉致問題より核問題になって、アメリカを含めて今すぐに日本が経済制裁単独でという事に、手をあげて応援してくれているという雰囲気じゃないんですね。
それでもう一度、アメリカに家族に行ってもらおうと。
24日が国民大集会ですけど、25日に増元さんとうちの島田洋一副会長二人でワシントンに行ってもらいます。

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寺越家を救うぞ!東京集会(8)05.4.14 友愛会館にて

『もう一度寺越昭男さんのお話』

最後にこれは私の叔父、神戸に昭二のすぐ下の叔父・クニオさんと言う人がいるんですけども。
クニオさんが私に言った言葉でちょっと印象に残ってる言葉なんですけども。
うちの父親は5人なんです。
男兄弟。
男5人女6人の全部で11人のきょうだいなんです。
5人しかいない男兄弟で、なんのゆかりも縁も無い北朝鮮で3人骨を埋めるのは、うちの親父も北朝鮮に骨を埋めたと仮定しての話なんですけども。

なんの縁もゆかりも無い北朝鮮で3人も兄弟が骨を埋めるのは情けない話だと。
というのはうちの親父、外雄さん、で最後に武志の父親(=太左衛門さん)。
3人が本当にに何のゆかりも無い北朝鮮で骨を埋めることになるのは情けない。
私も本当にどうかやぁ?と。
今現在生きとるのは神戸の叔父さんと北朝鮮にいる武志の父親だけなんです。
ちなみにこれは叔父さんがここにおったらこういう話をしてくれるやろうな、ということで最後に話をさせていただきました。
ありがとうございました。(拍手)

(会場より質問)外雄さんの死亡原因は間違いないんですか?向こうの発表は?

(昭男さん)
多分間違いはないんだと思いますが、私らには全然分かりません。

(同じ質問者)肺がんですか?

(昭男さん)
そういうふうになってますけど。
亡くなる前に親族って言うかな。
きょうだいのところへ電話をかけて来たらしいです。
で、ただ本当に残念なのは北朝鮮の言うように救助っていうんであれば、病気になった時点で友枝さんは知ってたわけですから。
友枝さんが日本政府に働きかけて日本で治療を出来るように、やっぱりそういうふうに働きかけをしてくれればよかったなぁとは思ってますけど、私らは全然知らなかったもんで、その時は。

その当時は全然病気であると言うことも知らなかったし、亡くなったということも本当に後から聞いて知ったわけなんですけど。
拉致って言うのは中々駄目だと思うんですけど、救助をされたって言うなら北朝鮮では治療出来んから、日本で治療したいからと日本政府が働きかけをしてくれてもいいがじゃないかな?と思うんですけど。
そういうことが出来なかったのは残念だなと思ってますけども。

寺越家を救うぞ!東京集会(7)05.4.14 友愛会館にて

『西岡力副会長のお話』

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西岡です。
まず寺越事件について、今安明進さんの証言の話が、寺越さんたちからそして大口事務局長から出ていますが。
実は最近安明進さんが本を出しまして。
「新証言・拉致」と言うこの本の中にその証言が出てきています。
それはすでに私が、これは正論の2003年12月号に書いたんですが。
2003年の10月くらいに詳しく聞き取りをしていまして、それを元に救う会石川が刑事告発をしたと言であります。
その事をまずご報告したいんですが。

2003年の9月にですね、安さんと一緒に石川に行ったんですね。
事故があった現場を見に行ったわけです。
そこに行きますとね、網をかけてた所は100メートルくらい。
海岸から離れている磯なんですね。
たった100メートルしか離れていないんです。
すぐ近くです、見えるんですね。

ハチメ漁ですね。
メバルの事をハチメと言うんだそうですが、私も知らなかったんですけども。
の網をかけていたと。
そして安さんが海の方を見ないで後ろを見るんですね。
なんで後ろを見るのかな?と思ったら
「ここは上陸地点として大変良いんだけども、海から見て何か目印があるはずだ」と。
磯でしてですね、すぐ後ろに道があるわけです。
しかし街灯も無くて寂しいところなんですね。
磯からすぐ上がったら道があってどこかにいけると。
そして寂しいところだと。
大変上がるのに良いところだと。
しかし何か遠くから見て目印があるはずだときょろきょろしてたんですね。

そしたら当時のことを知ってる寺越家の親戚筋の方がですね、実はあの山の上に大きな松が昔あったんだと。
一本松として有名でそこの下にござを敷いて芸者を上げて遊んだもんだと、いうふうに言ってたんですね。
だからつまり入ってくる時に遠くから見えるわけです。
あそこが上陸地点だと。
その松を目標にして工作船から小船が出て来て、それからゴムボートで上がってくるわけです。
あるいは工作船が近づいてくるわけです。
60年代は小船とかゴムボートがあったかどうかちょっと分かりませんが、目印があったということで、大変良い場所だと、言うことが分かってですね。
そして実はと言って、先ほど名前が出てきましたオ・グホという政治軍事大学の自分の担当の教官からこういう話を聞いていたんだと言って、詳しく話をしてくれたわけなんです。

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2005年04月19日

寺越家を救うぞ!東京集会(6)05.4.14 友愛会館にて

『横田拓也氏のお話』

皆様こんばんは、いつもありがとうございます。
今お話を伺ってまして、本当にいろんな方面から過去からこれまで、現在進行形と言う形でいろんな圧力とか誘惑・だましの手口というものが私たちの周りにあるということを改めて認識いたしました。
こういったものに絶対に屈してならない。
家族を取り戻すという原点を大切にして行くということと、そして正義を守り通していくという事が本当に大事なんだと思います。
こういった中、人間として本当に基本的なことを私たちはお一人お一人の国民の皆様方に訴えて。
そして共感を得ていただいて、この厳しい現実を乗り越えていくことが出来ればと思っています。

今日はお話を聞いている内容とは別件なんですが、横田家の事としてひとつお話を申し上げられればと思っております。
これまでも私や国民の皆様のほぼ多くの方々の一致した認識といたしまして、北朝鮮政府の言ってる事柄というのは全て嘘である、ということは申し上げるまでも無いことなんですが。
ここで北朝鮮側がまた横暴なことを言ってるわけなんで、私も再度これまでの資料を読み返してまいりました。
で、そのなかで北朝鮮政府が言ってることの嘘を発見いたしましたので、お話が出来ればと思っております。

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これは第3回日朝実務者協議の終わった後にですね。
北朝鮮政府が日本政府に説明したことを、日本政府が家族会の各家族に示した資料であります。
これはたまたま表紙が横田めぐみと書いてまして。
向こう側が話したことをここにまとめて各家庭に配ったということであります。
この資料、おそらく過去にこういった会合の中ででですね。
マスコミの方をはじめとしてご案内された資料かと思います。
ここに書いてあることをもう一度読み返してみたいと思います。
一部でございます。

「93年9月21日までは695病院で治療を受けた。
めぐみさんの精神状態を積極的に治療するため、95年3月平壌スンホ地区の49予防院に入院させた。
尚前日まで義州の精神病院に入院させることも検討されたが、少し様子を見ようということでこの49予防院に入院させた」

ということが書いてあるわけであります。
ここまでの情報はすでに皆様承知されている内容かと思います。
他方で私たちは日時のお話は避けたいと思いますが、蓮池ご夫妻からですね。
横田家としてお話を直接伺った機会がございます。
その場で彼らが私たちに何を証言してくれたか?という事をお話をしたいと思います。
まずはこれは全てを語るわけに行かないので一部、今のところに関連したお話を申し上げたいと思います。

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2005年04月18日

寺越家を救うぞ!東京集会(5)05.4.14 友愛会館にて

『増元照明事務局次長のお話』

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皆さんご存知の通り、寺越さんの事件は我々も家族会結成して2年目くらいで友枝さんが確か来られて。
一緒に来られてやろうという話になってたんですが、母親として非常に心が揺れていたみたいで。
果たして拉致という被害者家族会に入られてそれが武志さんに何か被害が及ぶのではないか?と。
おそらく先ほど言ったように朝鮮総連とかいろんな代議士から色々な圧力がかかって心変わりをして、その後ほとんどお会いしておりません。

でも確か民放でしたけども、その中で武志さんが拉致かどうか聞いたら、涙ながらに「口が裂けても言えないし墓まで持って行く」と仰ってた。
これが拉致であることを物語ってるわけですけども。
そこまで苦しめている北朝鮮と言う、それに対して非常に私たちは怒りを持っておりますし。

現在拉致被害者は特定失踪者を含めて100人以上いるというふうに考えられております。
国民の皆さんに10件15人ではないということ。
100人以上下手をすればもっと、更に大勢の方が北朝鮮に連れて行かれていると言う事をもう一度認識していただいて。
北朝鮮の脅しには屈していただきたくない。
北朝鮮へ制裁を課せば宣戦布告とみなすと言ってますが、国家主権を侵して日本人を連れて行った時点で北朝鮮は日本に宣戦布告しているわけですから。
そんなことに怯えていてはこれから先また同じことをやられてしまうと。
本当に自覚していっていただきたいと私は思っています。

いま日本政府がやることは速やかに被害者を取り戻すことである。
それが当たり前のことだと私は思いますし。
寺越さんたちはお父さんの遺骨を返せと。
被害者家族として返せと、当たり前のことを言ってるんですけども、日本の政府も強く言ってませんし、そして赤十字もなかなかそれに対して動こうとしない。
北朝鮮は家族が反対するから返せない。
昭二さんの息子さんである昭男さんたちが返せと言ってるのに、それに対してそういう言い訳をしている。
非道な国に対して、政権に対して、私たちはここで怒りをぶつけるべきではないでしょうか?
冷静に怒りをぶつけてそれが拉致問題の解決につながるし。

先ほど副代表が仰ってましたように4月24日ぜひ溢れるように。
おそらく日比谷公会堂2000人くらいしか入れないので、外であふれる人の方がもしかして多いかもしれません。
そういう状況になっていただきたい。
中で2000人、外で5000人くらい。(笑い声)
それくらいの状況になるように私は望んでおりますので、ぜひ皆さん、お近くの人を誘い合わせて。
4月24日、日比谷公会堂、14時からやっておりますのでよろしくお願いします。(拍手)

寺越家を救うぞ!東京集会(4)05.4.14 友愛会館にて

『飯塚繁雄副代表のお話』

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皆さんこんばんは。(拍手)
この集会も数を重ねるごとに、それぞれの家族の方のいろいろな今までの経過、あるいは状況。
そういうものがここに非常に良く分かってきて。
実を言うと私も寺越さん事件のことは良く分からなかったんですけども、今日色々聞いてなるほどと、そう思いました。

家族会としても3月の10日ですね。
支援室を通じて内閣総理大臣に、寺越事件を含めた特定失踪者の方の認定を求める申入書出しました。
小熊室長が継いだわけですけども、お話によれば「一生懸命やってると、捜査をしてますと、警察にもよく言ってある」と言う話でしたけども。
その結果はですね、各特定失踪者の方にお話をしてありますよという返事だったんですけども。
中々実態はそうもいってないようで。
一生懸命やるやると言いながら、中々結果が出ていない。
というじれったさがあります。

こういうものも含めて北朝鮮が今まで拉致してきた証拠その他報告に対して、日本政府は「誠意ある対応をしない限り厳しい対応をとる」とハッキリ申しましたが。
そう言っていながら3ヶ月以上3・5ヵ月ほど経ってますね。
一体どうなってるんだ?ということもあるんですが。
というような場面を見ますとこう着状態になってますが。
我々4月の24日国民大集会をやる前に全国で々浦々こういった集会を精力的に開いております。
参加者も以前よりも相当増えておりますし、力強いものを感じています。
そういった国民の力をですね、ぜひ24日に終結して強い態度で政府にも訴えかける。
ということにしたいと思いますので皆様のご協力を更にお願いします。
どうぞよろしくお願いします。(拍手)

寺越家を救うぞ!東京集会(3)05.1.14 友愛会館にて

『大口英夫 救う会石川事務局長のお話』

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皆様こんばんは。(「こんばんは」の声)
救う会石川の事務局長の大口と申します。
お時間もありますので、簡単に少しお話をさせていただきたいと思います。
救う会石川は2年前に設立しました。
ただ、私の方は今から8年前ですね。
救う会石川の設立の6年前から、実は寺越友枝さんと一緒にこの問題取り組んでまいりました。

寺越事件を語るときは大変ややこしいんです。
寺越さんと言う人、何人も出て来てて。(笑い声)
しかも寺越昭二さんの息子さん、長男・寺越昭男さん、御次男・北野政男さん、養子に行かれて。
三男さんの内田美津夫さんも養子に行かれてお名前が違うと。
拉致被害者の方も3人いらっしゃって、しかもお子さんとか、寺越友枝さんもいると大変ややこしいお話になるんですけども。

ただ事件としたらこんなに簡単でおかしな事件は無いんです。
それで2年前救う会石川が出来ました。
救う会石川が寺越さんたちとやってきた事、ひとつは石川県警に告訴をいたしました。
告訴・告発。
これは北朝鮮から亡命された安明進さんの証言を基にしまして作成しました。

まずひとつは寺越昭二さん。
これは「1968年3月30日北朝鮮で死亡」と言ってるのは、これは社会党の当時の代議士の島崎譲さんと言う人がごまかす為に作ったわけです。
安さんのお話によれば、昭和38年5月12日に事故に遭った時。
この時に寺越昭二さんは、寺越武志さんをかばって撃たれて海に捨てられた、という証言があります。
私たちこれを信じております。

そしてその撃った張本人の者の名前もオ・グホといいますが。
安さんの証言によってオ・グホという名前も分かっております。
この人を告訴いたしました。
合わせて外雄さんと武志さん、拉致と言うことで告発もいたしております。
これが私たちが救う会石川が出来てからやったことのひとつ。

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2005年04月17日

緊急連絡! 人権擁護法案、危うし?! 

「寺越家を救うぞ!東京集会」のテキストアップ中ですが緊急情報を!

人権擁護法案、推進派が20日の部会で強行突破か?と言う情報が回ってきました。
それを受けて、先の「人権擁護法案を考える緊急集会」の主催者、人権擁護法案を考える市民の会が19日(火)緊急のデモと集会をするそうです。
詳しくは以下のBlogで確認してください。

ろくな議論もせずにどうしてこうも法案成立を急ぐのか?
この法案が国民に周知徹底され国民的議論が巻き起こると、何かマズイことでもあるのでしょうか?
本当にこの法案の影にチラつく者どもは胡散臭い・・・

さすがにここまで緊急だと私はちょっと行けそうもありません。
お時間のある方、ぜひ。

人権擁護法案を考える市民の会
http://blog.goo.ne.jp/jinken110/d/20050416
posted by ぴろん at 21:36| Comment(1) | TrackBack(0) | 国内問題&国際問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

寺越家を救うぞ!東京集会(2)05.4.14 友愛会館にて

『北野政男さん(寺越昭二さんの次男)のお話』

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次男の北野政男でございます。
今日こうして寺越事件だけを取り扱って発言させてもらえると言うこと、本当にありがたく思っています。
そして家族会・救う会・一般の方々こうやって多く集まっていただきありがとうございます。
うちの親父のこと兄弟二人で話すと言うとなかなかダブる面も多くあると思うんですけども、それはご理解していただきたいと言うことと、私も何分不慣れなものですから途中で頭の中が真っ白になるかもしれませんがよろしくお願いします。

今日は私は寺越事件の関係者5人。
うちの(兄弟)3人と友枝さんと武志との、「記憶」という面で寺越事件を考えて見たいと思います。
事故があったのはここにも書いてありますとおり、昭和38年ですよね。
記憶と言うのはこの38年を境としてそれ以前・それ以後という事に2分に分けられますよね?
うちら兄弟3人は当然子供ですから親父の記憶は持っております。

しかしながら親父は出稼ぎ漁師といいますか、1年に数ヶ月しかいなかったんです。
あとは大きい船で漁に出てて、それが38年から以前の記憶は多分4〜5年しかないと思います。
その4〜5年の間の3〜4ヶ月親父と一緒に暮らした日で、通算して1年前後しかありません。
でも記憶は生活した記憶やとか、親父の特徴やとか、親父が身に着けてたものとか、と言うものはうちらでも二人は覚えております。
お風呂へ行って3人で行って体を流してもらって、親父のごつい手で頭をが〜っとやられるのが痛いもんやから親父が嫌でお袋で。
そういうなんていうか生活感に溢れた記憶は持っております。
13歳前後の前の記憶で持っております。

ところが弟の美津夫は親父の記は一切持っておりません。
うちらの記憶の中の会話には入れないと言うことです。
仮に、ここに名前書いてもらったんですけど、兄貴と俺がゴルフボールかピンポン玉くらいの記憶を持ってると仮定しますと、美津夫は全く無しなんです。
38年以前の友枝さんはもう大人ですよね?
家が隣同士ですので嫁同士話をしていた。
だから親父のことはバレーボールかバスケットボールくらいの大きな記憶を持っているということです。

私たちは12〜3歳の子供ですから大人の話には入れませんから。
この船はいくらで誰から買ったとか、いつ買ったとか、それから親父はどこの船に乗っていて何月に帰って何月に出かけたとか?
要するに大人の話は私たちは全く知らん。
それこそ親と子供の記憶しかありません。

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寺越家を救うぞ!東京集会(1)05.4.14 友愛会館にて

『寺越昭男さん(寺越昭二さんの長男)のお話』

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皆様こんばんは。
私は今から42年前、昭和38年。
能登沖で、わずか海岸から200メートルのところから拉致をされた寺越昭二の息子です。
長男です。
ここにおるのは次男で名前は北野になりますけども。
養子に行きましたんで、北野になります。

事件は、私らはあの、本当にわずか海岸から200メートルのところから、何で800キロも離れた北朝鮮の清津というところに行ったか?と言う疑問。
そして父親が本当に北朝鮮で死んだんか?と言う疑問。
事件の真相を知りたいと言うことから2002年10月に政府に対して、寺越事件の真相究明と拉致認定・遺骨の返還を求めて声を上げさせていただいたわけです。

事件の当時は私は中学校の2年になったばかりでした。
5月の12日、私が中学校の2年で弟が小学校の6年、三男が小学校の4年でした。
小さかったせいもあるけども、本当に何で死んだんか?と。
何でこういう事になったんか?という思いというのは、今までずっと持ち続けて来たことなんですけども。
ひょっとしたら当てた船の当てた犯人が、怖くなって3人をどこかに殺して埋めたんじゃないか?とか。
常にそんなことを思っていましたんですけども。

17年後に突然北朝鮮から手紙が、叔母の栗原豊子さんのところへ来たわけですね。
それまでは本当に死んだとばっかり思ってたわけなんですけども。
突然北朝鮮から手紙が来たと言うことで、死んだ人間が生き返ったというような思い。
でもこの手紙には一番最初の手紙には父親のことは何も書いて無いんです。
「あるとき突然3人で北朝鮮で暮らすことになりました」と。
その後、「外雄さん・武志は結婚して幸せに暮らしております」と。
で父のことは何も書いてないんです。
3人で一緒に北朝鮮に来たのになんで父のことが書いてないのか?と。
そのこともきちんとと言うか、そういう思いはあったんですけども。

取りあえず北朝鮮から手紙が来た言うことで本当に大騒ぎになりました。
どういうふうに対応していいかというのは、やっぱり北朝鮮がどういう国か分からない国。
それから手紙なんかもおそらく検閲されているんじゃないか?とか。
こっちから変なことを書いたら武志とか外雄さんに何かあるんじゃないか?とかっていう。
そういう意見というか議論をして、差し障りの無いように、「うちの親父がどうしているか?」とかいう返事を書いたわけなんですね。
まぁ私は書いてませんけど、その手紙が来た栗原さんの所から手紙を出して。

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2005年04月16日

増元るみ子さんを救うぞ!東京集会(8)04.12.9 友愛会館にて

『増元氏による 「蒼のハガキ」の案内』

先ほどもちょっと申し上げましたけど○○さんという人が、インターネットの「青き星々」というHPをやられている方たちが、その中で呼びかけて。
こういうブルーの地に、こちらのほうにはすでに「小泉潤一郎様、内閣支援室宛」になってますが。
こういうものを作って、皆さまにひとりずつ、皆さまの住所と名前を書いて送っていただきたいんです。

で、救う会の方ではハガキの運動を考えておりますが、正式に救う会運動としてはやっておりません。
ですから今日は、私・増元家からのお願いという事で、ぜひ、入り口のほうで配りますので帰る時にお持ち帰りになって頂きたい。
ひとりで何枚というより、なるべく大勢の方に書いていただいた方が良いと思います。

であの、ここに「私の一言」とありますけども、絶対に誹謗中傷だけはやめて下さい。
私等もそうなんですけども、この運動、誹謗中傷するような運動になってしまっては、運動のマイナスになります。
私も日頃あまりだらしない格好して、外を歩けなくなっております。(笑い声)
私のイメージとして、やはりキチッとしとかなければいけないという事で、非常に苦しい思いをしておるんですけども。(笑い声)
でもそれが会としての姿勢だと、いうふうに思っていますので。
この運動も誹謗中傷という事ではなくて、総理大臣に対する国民の一人の意思表示ということでやっていただきたいと思います。

これを欲しい方は、蒼き星々のところに申し込めば送っていただけるとのことです。
これじゃなくても良いです。
電脳保管録の方で作ってるブルーリボンシール、それを貼ってでも良いし。
とにかく小泉総理に・・・私の気持ちとしては辞めて頂きたい・・・そんなこと書いちゃいけません。(笑い声)
小泉総理に国民の意思を突きつける、と。
それで経済制裁の発動を国民の声として突きつける。
どうぞ宜しくお願いします。(拍手)

(司会者より、来年以降の連続集会の案内、チャンネル桜の案内などがあり、そのあと登壇者が全員ならんで挨拶をし、大きな拍手のうちに集会終了)

増元るみ子さんを救うぞ!東京集会(7)04.12.9 友愛会館にて

『飯塚繁雄さんのお話』

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皆様こんばんは。(拍手)
お忙しいところをたくさんお集まりいただきまして、本当にありがとうございます。
この会も3回目となりましたけども、各家族被害者のお話を聞きますと、本当に長い間ご苦労なさって。
本人にとっては大事な人生の1ページって言うか。
ちょうど22歳から45歳までの大事な時間を、あんなB5版の偽の死亡診断書で抹殺されてしまっていると言う、今の状態です。
これは絶対有り得ないと言う話を、今西岡先生からもおっしゃったとおりですけども。
先ほどの記者会見で報告した内容を、ちょっと時間無いですから簡単に申し上げます。

いわゆる北の嘘について。
更に「これもだ」と言う事で更に一押ししたのが、いわゆる「田口八重子が、例の大韓航空機事件の金賢姫の教育係り、李恩恵は有り得ない」という、北の報告でありますけども。
地村富貴恵さんから直に私が小浜で聞いた話ですね。
田口八重子さんと別れて、具体的には86年の7月20日に別れたんですけども。
その後数ヵ月後、まぁ約3ヵ月後と言っておりますけども。

「田口八重子をよく知っている運転手が、『田口八重子をデパートで見た』という話を聞いた」と言う、話ですね。
皆さんご存知のとおり、(金賢姫の)本にも書いてありました。
八重子はデパートで良く買い物をする。
しかも外貨デパート、外貨百貨店なんですね。
一般の人はなかなか入れない所でいつもそこに行ってたということは、金賢姫が書いた本にも書いてあります。

ここではっきり言えるのは、北の発表した死亡時期は全くの間違いだと、捏造だという事がハッキリしました。
もちろんこの情報については、直に私と被害者だった富貴恵さんとの確認という形で、はっきりと明確になった情報ですから。
これはある意味では重要な情報として、これからもこれを信じて行きたいし。
生きてると言う事に、さらにつなげて行きたいと。

それからもう一つはですね。
金賢姫と関係ないという話・・・ちょっと前後しちゃったんですけど。
ある時期、「金賢姫に日本語を教えていた」と、いう事が地村富貴恵さんから伺ったんですが。
富貴恵さんは実際金賢姫という言葉は使わなかったんですが。
当時金賢姫の名前が金玉花(キム・オッカ)と。
(飯塚さんの後ろで、西岡氏が「金賢姫=玉花(オッカ)、田口八重子=李恩恵」と板書)

玉の花と書くんですけども、これを朝鮮語でオッカと。
これは後になって救う会の人たちと色々分析した結果、これ(金賢姫=玉花)が出たわけですね。
当初、オッカオッカとこれしか分からなかったんですが、言葉として分かってなかったんですが。
待てよ?という事で西岡先生の分析で、こう(オッカ=玉花)書くんだと。

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増元るみ子さんを救うぞ!東京集会(6)04.12.9 友愛会館にて

『西岡力副会長のお話』

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西岡でございます。
今日、先ほどここで記者会見をしまして、家族会と救う会としてですね。
11月25日に一度、北朝鮮が今回出してきた出してきた情報の疑問点・矛盾点というのを指摘したんですが。
そのPart2というのを作りまして、それを記者会見をする前の今日の午後4時に政府に提出しまして、午後5時に記者会見をして公開をいたしました。

ここで何回も言ってるんですけども。
基本的に北朝鮮は、日本政府が認定していてまだ帰って来られない拉致被害者10人について、死亡したとか未入国と言ってますけども。
それを証明できる物証をひとつも提供してないんです。
10人についても、ひとつも無いんです。
「そして何も無くなった」という感じです。
今回の結果がそうなった訳なんです。

その事はすでに明らかなんですが、それにもう一押ししようと思って。
実は帰国した5人の方々から、かなりいろんな事を、家族会・救う会はずっと聞いておりまして。
そのことを事前に公開すると、北朝鮮がそれに会わせて情報を修正してきたりする事がありますので。
実際めぐみさんの死亡時期については、あきらかに毎日新聞が、日本政府が北朝鮮にぶつける前に書いてしまったという事のために、1年北朝鮮がずらしてきたという経緯もありましたので。
大変情報の扱いを慎重にしてきたんですが。

今回の実務者協議でかなりのやり取りがあって、北朝鮮が知る事になった情報についてはもう隠しておく意味もありませんし。
また北朝鮮が絶対に修正することが出来ない決定的な矛盾については、今明らかにしたほうがいいだろうと言うことがありまして。
まだ明らかにしない方が良いだろうと思ってる部分もあるんですが、今日は合計8点、話を(政府に)持っていきました。

今日、飯塚さんがここに来てらしゃいますので、田口八重子さんについてですね。
大きな点があるんですけど、それは最後にご挨拶いただく時に飯塚さんの方から話してもらうので、私はここでは増元るみ子さんについて、今日発表した物について、皆さんにご報告します。

とにかく!
何回も言いますけども、死亡の物証は無いんです!
10人についてひとつも無いという事は、生きてるということなんです。
10人いるんですからね、一人くらい物証があっても良いじゃないですか、変な話ですけど。
無いんですよ。
めぐみさんの遺骨と称するものだけが最後に残ってたんです。
10人のうち9人は(物証が)無くなっちゃって、死亡診断書が捏造と認めましたからね。
一個(物証が)残ってたんですけど、それも二人分(骨が)入ってたと、両方(めぐみさんとは)違ってたと。
と、言う事ですから(物証が)無いんです。

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2005年04月15日

増元るみ子さんを救うぞ!東京集会(5)04.12.9 友愛会館にて

『假屋達郎(たつろう)さんのお話 (るみ子さんの小学校・中学校同級生)』

どうも、皆様はじめまして。
小学校と中学校が同級生ということで、中学校の方で活動していましたけども。
小学校の方が100年以上の歴史があるという事で、関心を持つより行動してもらわないといけないという事で、小学校の方も立ち上げました。

小学校はですね、昭和35年に入学です。
1960年ですね。
まだ、日本が貧乏・貧乏してる頃です。
私たちが最後の日本の貧しいのを知ってるんじゃないかなぁ?と、いうような環境で育ちました。
西郷さんの墓のすぐ近くに、大龍小学校がありました。
西郷さんもそこで学んだと言うことを、先生から西郷さんの幼い頃の話を良く聞かされて、「西郷さんも貧しかったんだよ、皆頑張れよ」と言うような教育を増元さんも受けたんじゃないかなぁと思います。

いろんなエピソードをと思って、クラスの人に同じ学年の人にいろいろ聞いて回ったんですけど、もう何十年も経っているもんですから、文集とか写真がなかなか見つからないで。
やっと見つかりまして、入学式のを引き伸ばして来てありますけども。(大きく伸ばしたモノクロの集合写真を掲げる)
まぁみんな和服ですよね、昭和35年の入学式ですから。
お母さんがいらっしゃらないちゅう事で、昨日お母さんにもお見せしたんですけど、鹿児島で。
お父さんが入学式に来られてるという事です。

こちらの方に、2年の時ですね。(もう一枚の集合写真を掲げる)
一クラス50人くらいいる、大龍小学校はマンモス学校で8クラスですから、400名一学年にいる。
全体では2千人から3千人いると言う学校でした。
まだ脱脂粉乳で給食を(小さな笑い声)ね、ああいう給食を、牛乳じゃなくて。
何故日本の貧しいのを知ってるのか?と言いますと、タダの本を貰った事が無いのが私なんかの年代なんです。
5年生になると4年生まで、6年生になると5年生までという時代ですね。

彼女も拉致という形になりましたけども、やはり気丈にですね。
厳しい中でも生きられる体力を持ってるんじゃないなかぁ、と私自身こう思いましてですね。
なんかそれをちょっとお話しした方がいいかなぁ、と。
今の昭和30年から産まれた後の子供たちとはまた違う、ちょっと教育を受けた子供で。
今、北朝鮮に拉致されてますけども、気丈に生きているんだと言う気持ちを自分は持ちます。

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増元るみ子さんを救うぞ!東京集会(4)04.12.9 友愛会館にて

『木村宏次郎さんのお話 (るみ子さんの同級生)』

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こんばんは、皆さん。
今日はお急がしい中をありがとうございます。
今日は裏方としてきたつもりなんですが、代表でみどりさんがですね。
お話しするちゅう事で安心したんですが、急にしゃべってくれと言う事で(笑い声)飛び飛びになりますけども、宜しくお願いします。(拍手)

そもそも増元家の方とはですね、お父さんを先に知っててですね。
まず鹿児島市内の国道沿いの八百屋さんにですね。
営林署に勤めてらっしゃったもんですから、賄いの野菜を買いに行くとかですね。
そしてまぁ、電車道を挟んで向かい側が私の家でしてね。
それが、その威勢の良い親父さんでですね。
まぁ家族が怖がっていたと言うかそのくらい、一瞬私は「どこかのやくざかな?」と(笑い声)思ってですね。
自分では側に付きたくない位。
だけど歩道を通る方々へ皆さん笑顔で挨拶してるから、「この人は絶対やくざでは無いな」と思って見てたんですけど。

それで北朝鮮に拉致されて、吹上浜の報道のなされてですね。
「あら?この親父は、るみ子さんの親父さんやったとか?」と言うくらいびっくりしてですね。
何かしないといかんなぁ、ちゅう事でですね。
当初は北朝鮮に拉致されたと言うのが分かんなかったもんですから。
るみ子さんがああして駆け落ちするような女性では無いんです。
とっても優しいですね。
皆に好かれる女性です。

その後、ちょいちょい同窓会を私なんかを良くしてたもんですから、もっと早く力になれたら良かったんですけども。
ここ5〜6年ですかね。
募金も少し、1万2万と皆から集めてですね。
初めて実家の方へ持っていったら、ものすごくお父さんが喜ばれてですね。
「やっと清水中のクラスの同級生が動き出してくれやった」と言ってですね、喜んでくださいましてですね。
同窓会をやるたび、募金を持っていきまして「活動に使ってください」と、そのように動いてまして。

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増元るみ子さんを救うぞ!東京集会(3)04.12.9 友愛会館にて

『松元みどりさんのお話 (るみ子さんの中学・高校時代の同級生)』

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(司会者の「るみ子さんの同窓生が鹿児島から駆けつけています」の声を受けて)
私は千葉に住んでおります。
私も最初は小泉さん好きでしたが、だんだん嫌いになりそうです。(拍手)
え〜っと、ちょっと読みます。(用意したメモを取り出す)
あがってしまうんで・・・

私はるみ子さんと中学・高校が一緒で、仲良しグループでした。
大きな目が印象的な誠実な女性です。
もう、35年も前のことなのでエピソードなど思い出せませんが、表情やしぐさははっきり覚えています。
ここにしわを寄せて(指で眉間を指差す)はにかむように笑うんですね。
それとか卓球してる時の、切れの良い動きなんかを良く思い出すんですが。
私もいなくなって吹上浜でローラー作戦している時にたまたま行って、「何事が起こったのか?」と思って、夕方のニュースでるみ子さんがいなくなったことを・・・偶然にもその場面を見たんです。

私の中でもそのときからが、ある戦いが始まったような気がして。
まぁ、それからは北朝鮮に拉致された事が分かるまでは何回も同じ夢を見たり。
時としてそうやって思い出しては来たんですが、やはり、絶対諦めてはいけないし、忘れてもいけないので。
なんていうか、皆さんにやっぱりずっとずっと応援してもらって、盛り上げてもらって、空港にお迎えに行くということを頭に浮かべながら、今ずっとひとりでも頑張ろうと思っております。

あと、るみ子さんのお母さんが「心から笑った事がない」という事を聞いた時に、これは絶対に会わせて上げなくちゃいけないな、とそう思いました。
どうぞ、皆さん力を貸してください。
宜しくお願いします(拍手)
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