こんばんは。
(立ち見の人に向って)こちらの方、まだ空席があるので、こちらの方入ってください。
(司会より「空間があります」の声)空間がある。(笑い声)
(司会者の声で「ちょっと、どうぞよろしかったら、前へ座ってください」)
あの〜今日は家族会事務局次長ではなくて、増元るみ子の弟として話をしてくださいと言う事で、鹿児島弁でしゃべろうかと思ってるんですけど。(笑い声)
姉が少し泣かしたんで、少し笑わせなきゃ。(小さな笑い声)
私が第一回の国民大集会で「るみ姉」と言う名前を言ったんです。
それが1998年だったんですけども。
そしたら、去年あたりからるみ姉のるみ姉が出始めて、私、商標登録しとけばよかったかなぁ?と(笑い声)思ってます。
私の姉をるみ姉と言い始めたのは、何時頃だったか?ちょっと私も覚えてないです。
小さい時には一番上(ここに)フミ子がおりますけども、フミ子の事を「姉ちゃん」と言ってました。
長男を「信ちゃん」と言ってました。
その次のるみ子は「るみ子姉ちゃん」と言ってたんですね。
小さい時、小学校の位まではそういう呼び方をしたと思うんですけども。
中学校になって、この中学校の写真なんですけどもね。(中学時代の集合写真を一枚掲げる)
姉が中学校3年生、私か中学校1年生で。
中学校入って、私は野球部かサッカー部に入ろうと思ったんですけども、姉貴が「卓球部に入れ」と言われて、素直な弟だったもんですから(会場、くすくす笑い)、そのまま卓球部に入りました。
この真ん中にいるのがキャプテンだと思う、その隣にいるのが副キャプテンの姉、これ卒業アルバムの中の物です。
この一番端にいるのが私なんですが、なんか猿みたいな顔して(笑い声)
私、中学校一年まで本当に小さかったんですね。
確か私の記憶では、129か130です、中学校一年のとき。
ホントに小さくて、姉はさっきフミ子が言ったように大きい姉でしたので、非常にカッコ良くて。
サウスポーなんですけど、サウスポーで卓球やると凄いカッコいいですよ。
あの〜、惚れ惚れしますけども。
ただ、男女一緒に練習した事はなくて、姉と卓球をしたという覚えは無いんです。
とにかくそれぐらい近い存在ではありました。
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