2005年04月07日

人権擁護法案を考える緊急集会(1)05.4.4 日比谷公会堂にて

『登壇者紹介』

※司会(男性)
ただ今より「人権擁護法案を考える緊急集会」を開催いたします。
本日は月初めの月曜日、緊急の集会にも関わらず多くの皆様にご参集いただきまして、誠にありがとうございます。(会場より「よし頑張れ!」 の声)

※司会(女性)
少々お待ちくださいませ。
申し訳ございません。

※司会(男性)
大変申し訳ございません。

(ブザーの音と共に緞帳が上がる)

※司会(女性)
(拍手)
お待たせをいたしました。
まずプログラムに入ります前に、今日お越しのお忙しい中お越しいただきました、国会議員の先生方それからジャーナリスト、長谷川先生、登壇して頂いております先生方を最初にご紹介したいと思います。
途中でも国会議員の先生はお見えになりますが、その時はまた後ほどご紹介させて頂きたいと思います。
ただ今いらっしゃいますのは、

参議院・自由民主党 亀井郁夫先生。(立ち上がって会釈、会場より拍手)
ありがとうございます。
非常に力を下さっております。
それから自由民主党・衆議院議員 宮下一郎先生。(立ち上がって会釈 会場より拍手)
そして自由民主党・衆議院議員 柴山昌彦先生。
ありがとうございます。
衆議院議員・自由民主党 菅原一秀(いっしゅう)先生。(立ち上がって会釈 会場より拍手)
本日は埼玉からたくさんの支援者の方を引き連れて・・・あ、東京から、練馬の方から来てくださっています。
失礼いたしました、申し訳ございません。
それからお二人、城内(きうち)実先生 自由民主党・衆議院議員でございます。(立ち上がって会釈 会場より拍手)
続きまして、古川禎久(よしひさ)議員 自由民主党・衆議院議員でございます。(立ち上がって会釈 会場より拍手)

それから本日短い時間ではございますがテーマを設けてお話をいただきます、埼玉大学の長谷川三千子先生。(立ち上がって会釈 会場より拍手)
そして救う会の方から佐藤勝巳先生。(立ち上がって会釈 会場より拍手)
救う会の方から西岡力先生です。(立ち上がって会釈 会場より拍手)
そしてジャーナリストの西村幸祐先生でございます。(立ち上がって会釈 会場より拍手)
ありがとうございます。

それではプログラムに早速入りたいと思います。
司会を変わらせていただきます。
ありがとうございます。

続きを読む


2005年04月05日

人権擁護法案を考える緊急集会 登壇者紹介

仕事の合間にちょっと時間が取れましたので、昨日の「人権擁護法案を考える緊急集会」での主な登壇者を一足先にご紹介しておきます。

衆議院議員 古川禎久(よしひさ)氏 
衆議院議員 城内(きうち)実氏 
衆議院議員・拉致議連会長 平沼赳夫氏 
埼玉大学教授 長谷川三千子氏 
救う会会長 佐藤勝巳氏 
ジャーナリスト 西村幸祐氏
ジャーナリスト 乙骨正生氏
法律家の会代表・弁護士 木村晋介氏
一般市民登壇者 中西氏・近藤氏
日本世論の会会長 三輪和雄氏
 
posted by ぴろん at 18:50| Comment(2) | TrackBack(1) | 国内問題&国際問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月04日

「人権擁護法案を考える緊急集会」テキスト化のお知らせ

たった今、日比谷公会堂で開催された「人権擁護法案を考える緊急集会」から帰宅しました。
集会の様子はあちこちで早速レポートされるでしょうから、ここでは割愛します。
私は例のごとく集会の模様を全部録音して来ましたので、順次テキスト化して当Blogで公開したいと思っています。

ただ、個人的なわがままを申し上げて大変恐縮なのですが、明日から7日の木曜日まで仕事が目一杯入っていて身動きが全く取れない状態なのです。
テキスト化は金曜日以降取り掛かることになると思います。
一刻も早く集会の様子をお知りになりたい方にはお迷惑をおかけしますが、何卒ご理解の程を<(_ _)>

今回の集会は、日本の行く末を考える上で非常に大事な集会だったと思います。
怒りと義憤を感じつつきっちりテキストを仕上げてやろうじゃないの!と心意気だけは早くも煮えたぎっております(^^ゞ
集会の模様をお知りになりたい方々は、申し訳ありませんが、頃合を見てもう一度当Blogをお尋ねになって下さいますようお願い申し上げます。
posted by ぴろん at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ご挨拶&お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月03日

横田めぐみさんを救うぞ!東京集会(6) 04.10.14(木)友愛会館にて

『引き続き、西岡力氏のお話』

最後に最近の拉致問題の動きをお話ししていきたいんですけども、中山参与が辞任されて、日本の政府はいったいどういう気持ちなのか?と言うような話がマスコミにたくさん出ていますね。
斎木審議官もアメリカの大使館に転任すると言う話も出ていましたが、我々としては拉致問題を棚上げされるんじゃないかとかなり危機感を持っていたんですけども。

しかし、斎木さんについては昨日町村外務大臣がはっきりおっしゃってましたけど、この段階で斎木君を動かすことは有り得ないと。(拍手)
実務者協議は局長レベルになりますけれども、斎木さんも一緒に行って追求してくださると言う事は、ハッキリしていますし。
何よりもですね、強い手応えが国の内外から出ていまして、もちろん完全に安心する事は出来ないんですけども、追い込まれているばかりではないと。
逆に私たちは追い込みつつあると、いう風に思っています。

去年に7月に新しい大きな運動方針を出したんですね。
「拉致はテロだ、いまこそ経済制裁を!」
経済制裁を!という事を訴える事を運動を第一ターゲットにしようと。
それまでは「拉致問題をきちんと解決してください」という事を訴えたんですね。
でもその事はもう金正日が拉致を認めて、マスコミがどんどん報道して、拉致問題は取り組まなくてはならないと言う事は、皆言うようになった。
共産党も社民党も含めて皆言うようになった。

で、その方法として当時は二つあった訳です。
ひとつは北朝鮮を刺激してはならない、話し合いで解決しかないんだ、というのと。
そうじゃなくて圧力をかける必要があるんだ、日本が持ってる強い圧力のカードは経済制裁なんだと。
経済制裁をかけて北朝鮮を追い込んで、そして被害者を取り戻す必要があるんだと。
そちらの方を世論に対して主張することを、去年の7月から始めたんです。

去年の7月から実は署名用紙を変えたんです。
変えた時にはですね、署名してくれる人が少し減ったんです。
経済制裁まではちょっと行き過ぎじゃないかと。
北朝鮮の人たちにも、もしかしたら苦しみを与えることになるんじゃないかと。
在日朝鮮人の万景峰号に乗ってる子供たちの人権はどうなるんだとか。
あるいは北朝鮮を刺激したらミサイルが飛んでくるかもしれないとか・・・言うことを言われました。

外務省の今でもいらっしゃる田中(均)審議官は、去年朝日新聞で田原総一郎さんとの対談の中でですね、「外交と言うのは共通利益を設定して、お互いにプラスになるようなことを作って進めていくんだ」と。
「北朝鮮外交もそれでやる」と。
「制裁は効果が無い」と。
で、私たちはそんな事は無いと。
北朝鮮を動かすのは制裁しか無いと、主張したんです。
一年以上経って、家族は帰ってきましたけれども、北朝鮮は全くそれ以外の事は認めないんです。

そしてアメリカにも制裁という事を訴えて来たんですけども、1年経ちましてですね、内外で経済制裁が必要だと言う条件が整ってきたんです。
今はここで経済制裁という言葉を言っても、あんまり珍しくなくなってますね?
テレビでも経済制裁という言葉が出るんです。
前は我々だけしか言ってなかったんです。続きを読む

横田めぐみさんを救うぞ!東京集会(5) 04.10.14(木)友愛会館にて

『西岡力副会長のお話と、安明進氏の証言』

Img_7011.jpg

西岡でございます。
北朝鮮は2年前にめぐみさんは93年の3月に自殺した、と聞いております。
そのことを証明する資料として証拠として、北朝鮮側が出してきたものが、実はこのチラシの下に写真をつけてあるんですが、めぐみさんが入院していたとされる、ピョンヤン市の45号院という病院の死亡台帳というものなんですね。

これは2年前の調査団が行った時に、この死亡台帳の現物を調査団は見せられているんですね。
しかし、その現物自体は持って帰ってきてなくて、そこで撮った写真が横田家に提供されて、それをお借りしましてここに載せているわけです。
ですから、日本政府も持っている写真なんです。
この死亡台帳に横田さんの名前、朝鮮でつけられた名前ですけども、入ってるんだから死んだんですよ、と言うのがひとつの説明だったわけです。

そしてもうひとつですね、死亡確認書というものが当時提供されたわけです。(めぐみさんの死亡確認書のコピーを掲げる)
死亡確認書と朝鮮語で書いてありますけど、こちらに日本語訳がつけておきましたけども。
日付が93年3月13日と書いてあるんですね。
3月13日に作られた書類だということですね。
ということになっていて、死亡年月日も3月13日と書いてあるんですけども、下に書いてあるこれは、その書類が作られた日付、なはずですよね?

めぐみさんについては一方的に死亡したと言ってるわけですけども、遺骨は最初は病院の庭に埋めたけれども、その年のお盆にご主人であるキムチョルジュ氏が持って行ってしまって、今どこにあるかわからない、という説明で示されていないわけです。
ですから死亡を証明するものはこの死亡確認書と、死亡台帳しかないわけですね。

しかし、これが本当に滅茶苦茶な物でして、見ていただくと分かるんですけども、この赤い写真をぜひ見ていただきたいんですけども。
これ、朝鮮語で7文字、字があるんですね。
3文字目、4文字目、5文字目のところに青い線で消してありますよね?
ハッキリ見えますでしょう?
そしてその上に何か2文字書いてありますよね?
消してあるところに何が書いてあるかと言うと「患者入退院台帳」と書いてあるんです。
入退院を消して死亡という風にしてあるわけなんです。

さっき横田さんたちと話をしたんですけども、偽造するんだったらこれ剥がして書き直すくらいの手間は作ってもいいじゃないかと。(笑い声)
それが死亡台帳だというわけなんです。
そしてこのページの中にめぐみさんの名前が出てたと、言う事なんですけども、4番目の欄ですね。
1月29日と書いてある2番目のところに、リュウミンスクと書いてあるんですけども。
キムチョルュジュが夫であるとか書いてありまして、1月29日そして93年3月13日となってるんですね。
ですから13日に死んだという意味なんだろうと思うんですが。続きを読む

横田めぐみさんを救うぞ!東京集会(4) 04.10.14(木)友愛会館にて

『馬場新潟救う会・会長による、めぐみさんへの手紙の朗読』

Img_7009.jpg

新潟から参りました、馬場と申します。
めぐみちゃんは40歳になりました。
13歳のときに姿が見えなくなって、今年で40歳です。

私はこの運動が始まりましてから、いつも10月5日、誕生日の日に横田さんの所へ花束をお届けしたり、自分で行きまして、めぐみさんの写真の前でめぐみさんに誕生日のお祝い、と言うと変なんですけども、言葉を伝えて参りました。
今年、めぐみさんのところにあげた手紙を読ませていただきとうございます。
お聞きいただきとうございます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
めぐみさん。

今年もあなたの姿を見ることの出来ない、わびしい誕生日を迎えました。
40歳、とても私にとっては信じられない貴重な長い人生を、彼の国に過ごしてしまったのですね。
どのようにして今日の誕生の日を迎えておられるのですか?
どこであろうが、誰とでも、あなたにとっても、ご両親から人間として貴重な生を得た日であります。

お誕生日おめでとうございます。
心から慶賀を申しのべたいと思っております。

めぐみさん。

さる3学期になった初日に、私はひとりあなたが姿を消したあの新潟の海岸に立ちました。
この海と空の続いているあの北の国で、いったいどんな生を送っているのだろうか?という思いを胸にしまいました。
40年の人生の半分以上を、なぜあの異常な国で過ごさねばならぬのか?
悲哀・落胆が、悲憤と激怒に変わっていきました。
一国の首相が2度までも訪ねながら、何故?

私は帰宅してある書を読んでいる中で、次のような一節に出会いました。
ある精神医の調査によれば、ナチスドイツの強制収容所で最後まで頑張る事が出来たのは、体力のある人間ではなく、家族や恋人や友人や智慧などが、何か自分の愛する物を持っていた人間だそうである。
その場合の智慧とは、自分とは何か?
何故自分はこのような不条理に耐えければならないのか?などと考える精神のことである・・・云々と。

めぐみさん。

あなたにとって13年と言う本当に短い日本での人生でありましたが、ご両親と弟さん達から大きな温かい愛を一身に受け、愛を応えてきたあなた。
そして、人一倍賢明で智慧のある少女でした。
そのめぐみさんが拉致と言う不条理極まりない行為であり、現在もその環境の中で人生を送っているのですが、前述した医者の言う通りで、あなたは絶対に無様な死に方や生き方をしている訳がないものと信じています。

めぐみさん。

毎年あなたの誕生日にささやかでありますが、花束を持って祝賀の意を表して参りました。
今年は考えを変えて、あなたの写真のそばでいつもあなたを見守って、一刻も早く帰国する事を願って、小さな時計を持って参りました。
この時計の針は一年半から二年くらい、絶えることなく時を刻んでくれます。
この時計の針が止まるまでの間に、必ずこのご両親のおられる部屋へ帰って来てくださいよ。
待っております。
ご両親と弟さんはもちろんの事、私を始め全国の人たちが一刻も早くと、必死になってめぐみさんの帰国を待ち焦がれておりますから。

めぐみさんは生きている。
きっと帰ってくる。
この時計の針が止まる日までに。
信じています。
祈っています。

平成16年10月5日 馬場吉衛

40歳を迎えた横田めぐみ様

・・・続く・・・

2005年04月02日

横田めぐみさんを救うぞ!東京集会(3) 04.10.14(木)友愛会館にて

『横田拓也さんのお話』

Img_7000.jpg

皆様方こんばんは。(会場よりこんばんはの声)
横田めぐみの弟の横田拓也と申します。
今、(司会の)平田さんの方から話がありましたが、危うく「横田きん也」だったかも知れません。(笑い声)
双子の上の方になります。

私が、姉がいなくなったのは小学校の低学年でございますから、正直言って物理的に記憶している事は親がここでしゃべった事より長く記憶している事ではございませんので、皆様方にお話できる事はかなり対比すると限定的になると言う事を、ご承知の上で聞いていただけたらと、思っています。

すでにご承知の事と思いますが、私の姉は13歳でこの日本から拉致されたわけですから、今月の10月を持って40歳の誕生日を迎えましたから。
すでに人生の3分の2以上をですね、日本から離されそして家族の元から引き離されて、地獄以下の北朝鮮で生活を強いられていると。
この事実はどう見ても変えられない事実であると言う事を、私たちは忘れてはならないと言う風に思います。

どこにいても、家族から一方的に強制的に離されると言う事自体が異常だと思うんですが、離された土地が民主主義の国家では無い。
自由が無い!食料も無い!未来も無い!思想も発言も許されない!
こういった過酷な状況の中でですね、生活を強いられていると言う事は、本当に異常な事態であると。
人権的にも人道的にも本当にこの上ない異常な事態の中で、この人生を強いられていると言う事を、私たちは認識していく必要があると思います。

たまたま私は姉の弟、もしくは横田家のひとりとして申し上げてるわけなんですが、これは横田家だから言う話ではなくてですね。
人間として、私たちが人類として受けた生と役割としてですね。
この事は声高に訴えていかくてはならないのかな、と思っています。(拍手)

先般、後ほど西岡先生の方からもお話があると思うんですが、アメリカの方で人権法案が通ったと言うような事があります。
後はブッシュ大統領が署名するだけと伺っておりますけども。
これは世界的に見てもどう考えてもおかしいと言う事は、厳然たる事実なんですね。

私たちは隣の日本海を越えた朝鮮半島の中で怪しい国であると。
だから日本はもう少し毅然と構えなくてはいけないと言う事だけではなくて。
異常事態がテポドンで言えば10分くらいのところですけども、そこで起きていることを私たちは忘れてはならないわけなんです。続きを読む

横田めぐみさんを救うぞ!東京集会(2) 04.10.14(木)友愛会館にて

『横田早紀江さんのお話』

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横田めぐみの母でございます。
本当に北朝鮮に連れて行かれてからの活動の中で本当にたくさんの方に助けていただきまして、署名やカンパ、それぞれのひとりひとりの心遣いを私たちに寄せていただいて、今日まで元気でやってくる事が出来ました。
ありがとうございます。

今日はいつものお話と違ってめぐみのことを話してくださいという会なんだそうで、初めての事なんですが。
今、主人が話しましたように、初めての女の子でした。
私は自分が兄と二人兄妹なもんですから、男の兄妹が上にいるってのがとても良かったものですから、先に男の子が生まれて、そして女の子が生まれたら、お兄ちゃんのお友達が良い人と結婚できるかもしれない(笑い声)とか、そんな事まで思ったりして、最初男の子が良いと思ってたんですね。

主人は女の子が良いと思っていたんですね。
何人女の子が生まれても良いと言ってて、双子の時も女の子だったらいいね、と言うてる位でした。
私はやはり最初に男の子が生まれて、3つほど離れて女の子が生まれるのが ちょうどお兄ちゃんのお友達とかね、そういうなんか(結婚できて)良いなとか、母親って馬鹿な事を考えるんですが(会場にはずっとクスクス笑いが続く)そうした事を考えていました。

そうしたところが大きな女の子が生まれました。
生まれた時も「拓也」と言う名前しか考えていなかったんです。(大きな笑い声)
恥ずかしいんですけど、絶対男の子が生まれると思って「拓也」と言う名前だけ考えていましたら、「お嬢さんですよ」と言われて、どうしようと思ったんですけど。(大きな笑い声)

「名前が無い、早くつけなきゃ」と思って、私は早紀江と言う1字1字見ると簡単に見えるんでけど、非常に書くのが3字で漢字で大変な思いをしてきたもんですから、(笑い声)「早は「さ」と読むんですか?」とか、いちいち言わなきゃならなかったので。
平仮名で誰でも書けるような簡単な可愛い名前がいいなと言う事で、「大変だ、早く名前付けなきゃ」と言って、ベッドの上で一生懸命二人で考えていたんですね。
ひろみさんとかあけみさんとかあゆみさんとか・・・・いろいろ平仮名の名前を挙げたんですけども。
「めぐみ」と言うのは名前としても良いし、とても良い意味があるので「めぐみ」にしようと言う事で、それで「めぐみ」と付けたわけです。

今度、男の子が生まれたら「拓也」にしようと思ったら、今度はふたり生まれて(大きな笑い声)また名前が無い(笑い声)ということで、大急ぎで、同じ「也」と付けた方が良いと言う事で、「きん也」とか「てつ也」とかいろいろ「也」が合う名前を考えて、最終的には拓也・哲也という名前を付けました。
名前から言ってもそういう面白いいわれがあるんです。続きを読む

横田めぐみさんを救うぞ!東京集会(1) 04.10.14(木)友愛会館にて

『横田滋さんのお話』

Img_6997.jpg

皆さん、こんばんは。(会場よりこんばんはの声)
お忙しいところをお出でいただいてありがとうございました。

めぐみは東京オリンピックが始まる直前の昭和39年の10月5日に生まれました。
その日は朝早くから早紀江の方に陣痛があって、あんまりタクシーも通ってない時間だったのですが病院に入れました。
名古屋の聖霊病院と言う名前でキリスト教関係の病院でした。
それで銀行に行って休暇届を出したんですけど、それからカメラ等を持って病院に行きました。
もう、生まれているかと思ったんですが、まだまだその時は落ち着いていまして、夕方になってやっと生まれました。
非常に大きい子供で、女の子で例えが悪いんですけど、金太郎さんのような感じの女の子でした。
私は女の子を望んでいましたので、すごく喜びました。

家に帰ってからも非常に元気な子供でしたのですが、いろんな病院に行きました。
病院に行ったと言うのは、ひとつは大きすぎたので生まれる時に首のところに斜頸って言われましたんですが、筋肉にしこりが出来たり、整形外科でマッサージなどしました。
それ以外は目を爪で怪我して眼科に行ったり、階段から落ちて外科に行ったり、ガラスを足で踏んで切ったり、元気なためにいろんな病院に行きまして、精神科と産婦人科以外は全部行ったと言われるくらい、病院には通いました。

めぐみが生まれましたのは名古屋ですが、1歳ちょっとで東京に転勤になりました。
住んでいた所は品川の大井6丁目で、皆さん京浜東北線で大森貝塚が大森と大井町の間にあるのをご存知だと思いますが、あの近くに住みました。
そこに6年間過ごした訳なんです。
幼稚園はウノ学園、小学校は大井第一小学校へ行きました。
近所の方はほとんどは近くのお寺の幼稚園に行きましたが、丁度その時は下の弟が生まれておりましてとても送り迎えが出来ないので、通学バスが迎えに来てくれるというのでそこの幼稚園を選びました。

非常にしっかりしているもんですから、学校の先生が何か話をしても、お子さんによっては帰ってからお母さんが話を聞いても良く分からない時は、めぐみさんの所へ聞きに行けば分かると言われるくらいにしっかりした子供でした。
小さいときから本を読むのが大好きで、童話の本なんかを読みますとすぐに覚えていました。
話すときには「えーと」とか「あのー」とか言わないで、本当に本の通りをきちんと何も見ないで読んで、そういう点では割に理解力は小さいときから優れておりました。

銀行のアパートに住んでいたわけなんですけども、そこの庭に大きなガマガエルを捕まえて手ぬぐいに包んで持ち歩いたり、そのころは乗用車などを乗ってる方はあんまりいなかったんですが、屋根の上に載ってトランポリンみたいにポンポンと跳ねて、屋根が潰れてしまった。(笑い声)
中からポンと押したら戻ったんですけども、非常に活発な子供でした。続きを読む

拉致問題に対する私のスタンス

恥ずかしながら、9.17以前の私はそれほど拉致問題に強い関心を持ってはおりませんでした。
ただ、それでもなんとなくですね。
新潟の方で横田めぐみさんという中学生が学校帰りに行方不明になったとか、各地でアベック失踪事件が起きているとか、未遂に終わったアベック事件では北朝鮮の関与が疑われているらしいとか、大韓航空機爆破事件の犯人、金賢姫の教育係は日本人拉致被害者らしい、と言うことは知っていました。

特別自分からアクションを起こさなくともこれだけの情報を得ているということは、世間でもそれなりに報道はされていたと言う証しではあります。
でもそれでも私は何もしませんでした。
早く被害者が救出されればいいのに、と思うことはあってもそれ以上の思いを持つことはありませんでした。

それが、9.17のあの衝撃です。
テレビの画面の向こう側で涙ながらに会見に臨むご家族のお姿を見て、大変な衝撃を受けました。
ショックでその日は丸一日も何も手につきませんでした。
どうして私は今までにもっともっと拉致問題について強い関心を持たなかったのだろう?と。
同時にご家族の皆様に対し大変申し訳ない事をしたという慙愧の念にもとらわれました。

あの日、会見の様子を拝見しながら私は自分の心に誓いました。
せめてこれからは、拉致問題が全面解決するまで決して関心を失わない、と。
それが苦しく辛い思いをしているご家族に対するせめてもの私の償いである、とも思いました。

全面解決とはむろん、全ての被害者が無条件で即刻日本への帰国を果たすこと。
これ以外の何物でもありません。
しかし9.17以降、世に噴出する親北派的論調の数々・・・
なぜ?どうして?
こんなにひどい人権侵害・国家主権侵害事件は無いでしょうに。
どうしてそれでも加害者の国を擁護する意見が後を絶たないのか?
こんな理不尽なことは無いと思いました。

例え過去の歴史がどうあろうとも、罪の無い若者の人生を翻弄する権利など、北朝鮮にも北朝鮮を擁護する人にも無いはずです。
それが普通の人の感覚ではないでしょうか?

9.17直後のあの頃、ある掲示板に北朝鮮に対する批判を書き込んだところ、
「ぴろんさんの書き込みには北朝鮮に対する愛情が感じられません」
とレスされたことがあります。
勝手に人の国の国民を拉致したアコギな国に、どうやって愛情を持てというのだ???
何という無茶苦茶な物の考え方だろうと憤慨しましたが、当時の私は親北派と言う存在すら知らなかったほどのノンポリです。
それらの論調に対峙するだけの基礎的な知識が、私には決定的にありませんでした。

日韓併合と言う言葉くらいは知ってましたが、果たしてその実態は?と聞かれれば答えに窮してしまう・・・
多くの日本人同様に、私の基礎知識も大変曖昧で危うい程度のものでしかない。
これでは声の大きい、一部の不心得者と戦うことは出来ません。

それから猛勉強が始まりました。
家族の手記をはじめ、拉致事件や北朝鮮の実態、日韓の歴史などに関する書籍やHPを片っ端から読破しました。
それでようやく分かったのです。
今日本国の置かれている現状が、いかに危うい危険水域であるか?と言う現実に。

今私もこの日本が抱えるあらゆる問題に強い関心を持っています。
私の上げる声など高が知れていることは百も承知です。
けれども、黙っていては日本という国家が国家の体をなさない根無し草になってしまう。
それは嫌です。
私は日本という国が、日本の文化が歴史が大好きなのです。
この国と同胞を守るためにはサイレントマジョリティを決め込んでいては駄目なのです。

拉致問題に取り組むことで私は実に多くのことを学びました。
まだまだ学ばねばならぬことは山積なのですが、少しづつ知識を増やし、日本を危うくする危険思想に少しでも対峙できるよう、頑張っていきたいと考えています。
『脱サイレントマジョリティ』がこのBlogのもうひとつのコンセプトです。
日本の国が少しでも住みやすい、子孫にも世界にも誇れる国になれるよう声を上げ続けたい。
そのためにもまずは拉致問題の解決を、日本人の誇りをかけて何としてでも図りたいものだ、と強く願っておる次第です。
posted by ぴろん at 12:05| Comment(1) | TrackBack(2) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月01日

本日新規開店なり

はじめまして、ようこそわがBlogへいらしゃいました。
私は管理人のぴろんと申します。

恐れ多くもこの度、私も今流行のBlogなるものを始める運びと相成りました。
自他共に認める機械音痴ゆえ、Blogの様々な機能の使い方がイマイチ把握できないという体たらく!
Blogの諸先輩方が、スイスイと管理その他をこなしているのを改めて「皆すごいなぁ!」と感じ入っている所でもあります。
Blogの機能に慣れるまで、ご迷惑をおかけすることがあるかも知れませんが、そこは何卒長い目で見ていただけるとありがたい(^^ゞ

さて私が今回Blogを立ち上げた主な理由は、拉致問題に関する集会テキストを自前で公開する場を作りたかったこと。
9.17以降私は拉致問題に強い関心を持ち、少しでも家族の支援の力になりたいと、昨年から自分が参加した集会のテキスト化をするようになりました。

今までも「蒼き星々」様「電脳補完録」様「log」様のご好意によりこれらのテキストの掲載をしていただいておりました。
が、テキスト化も回を重ねる事に量も増えましたし、少しでも発表の場を増やして他人の目に触れる機会を作りたいとの思いで、ここを立ち上げる事としました。

主には拉致事件に関する記事が中心になると思いますが、時事問題から自分の身近な話題までジャンルに拘らず、自分の心に引っかかった出来事を取り上げていきたいと思っています。
ただし、私はどうも論理的な文章を書くのが苦手らしい、と言うことにごく最近気が付きました。
難しい話は私の与太話などよりも推薦リンク先の記事などをお読みいただくとして、私は素人の素朴な疑問や呟きを、素人レベルの素朴な文章?で書き綴りたいと考えています。

このBlogの運営を通して、政治や外交など様々な問題について考えを深め、知識を増やす場になれたら良いなとも思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
posted by ぴろん at 18:21| Comment(13) | TrackBack(1) | ご挨拶&お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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