2005年04月02日

横田めぐみさんを救うぞ!東京集会(3) 04.10.14(木)友愛会館にて

『横田拓也さんのお話』

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皆様方こんばんは。(会場よりこんばんはの声)
横田めぐみの弟の横田拓也と申します。
今、(司会の)平田さんの方から話がありましたが、危うく「横田きん也」だったかも知れません。(笑い声)
双子の上の方になります。

私が、姉がいなくなったのは小学校の低学年でございますから、正直言って物理的に記憶している事は親がここでしゃべった事より長く記憶している事ではございませんので、皆様方にお話できる事はかなり対比すると限定的になると言う事を、ご承知の上で聞いていただけたらと、思っています。

すでにご承知の事と思いますが、私の姉は13歳でこの日本から拉致されたわけですから、今月の10月を持って40歳の誕生日を迎えましたから。
すでに人生の3分の2以上をですね、日本から離されそして家族の元から引き離されて、地獄以下の北朝鮮で生活を強いられていると。
この事実はどう見ても変えられない事実であると言う事を、私たちは忘れてはならないと言う風に思います。

どこにいても、家族から一方的に強制的に離されると言う事自体が異常だと思うんですが、離された土地が民主主義の国家では無い。
自由が無い!食料も無い!未来も無い!思想も発言も許されない!
こういった過酷な状況の中でですね、生活を強いられていると言う事は、本当に異常な事態であると。
人権的にも人道的にも本当にこの上ない異常な事態の中で、この人生を強いられていると言う事を、私たちは認識していく必要があると思います。

たまたま私は姉の弟、もしくは横田家のひとりとして申し上げてるわけなんですが、これは横田家だから言う話ではなくてですね。
人間として、私たちが人類として受けた生と役割としてですね。
この事は声高に訴えていかくてはならないのかな、と思っています。(拍手)

先般、後ほど西岡先生の方からもお話があると思うんですが、アメリカの方で人権法案が通ったと言うような事があります。
後はブッシュ大統領が署名するだけと伺っておりますけども。
これは世界的に見てもどう考えてもおかしいと言う事は、厳然たる事実なんですね。

私たちは隣の日本海を越えた朝鮮半島の中で怪しい国であると。
だから日本はもう少し毅然と構えなくてはいけないと言う事だけではなくて。
異常事態がテポドンで言えば10分くらいのところですけども、そこで起きていることを私たちは忘れてはならないわけなんです。続きを読む


横田めぐみさんを救うぞ!東京集会(2) 04.10.14(木)友愛会館にて

『横田早紀江さんのお話』

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横田めぐみの母でございます。
本当に北朝鮮に連れて行かれてからの活動の中で本当にたくさんの方に助けていただきまして、署名やカンパ、それぞれのひとりひとりの心遣いを私たちに寄せていただいて、今日まで元気でやってくる事が出来ました。
ありがとうございます。

今日はいつものお話と違ってめぐみのことを話してくださいという会なんだそうで、初めての事なんですが。
今、主人が話しましたように、初めての女の子でした。
私は自分が兄と二人兄妹なもんですから、男の兄妹が上にいるってのがとても良かったものですから、先に男の子が生まれて、そして女の子が生まれたら、お兄ちゃんのお友達が良い人と結婚できるかもしれない(笑い声)とか、そんな事まで思ったりして、最初男の子が良いと思ってたんですね。

主人は女の子が良いと思っていたんですね。
何人女の子が生まれても良いと言ってて、双子の時も女の子だったらいいね、と言うてる位でした。
私はやはり最初に男の子が生まれて、3つほど離れて女の子が生まれるのが ちょうどお兄ちゃんのお友達とかね、そういうなんか(結婚できて)良いなとか、母親って馬鹿な事を考えるんですが(会場にはずっとクスクス笑いが続く)そうした事を考えていました。

そうしたところが大きな女の子が生まれました。
生まれた時も「拓也」と言う名前しか考えていなかったんです。(大きな笑い声)
恥ずかしいんですけど、絶対男の子が生まれると思って「拓也」と言う名前だけ考えていましたら、「お嬢さんですよ」と言われて、どうしようと思ったんですけど。(大きな笑い声)

「名前が無い、早くつけなきゃ」と思って、私は早紀江と言う1字1字見ると簡単に見えるんでけど、非常に書くのが3字で漢字で大変な思いをしてきたもんですから、(笑い声)「早は「さ」と読むんですか?」とか、いちいち言わなきゃならなかったので。
平仮名で誰でも書けるような簡単な可愛い名前がいいなと言う事で、「大変だ、早く名前付けなきゃ」と言って、ベッドの上で一生懸命二人で考えていたんですね。
ひろみさんとかあけみさんとかあゆみさんとか・・・・いろいろ平仮名の名前を挙げたんですけども。
「めぐみ」と言うのは名前としても良いし、とても良い意味があるので「めぐみ」にしようと言う事で、それで「めぐみ」と付けたわけです。

今度、男の子が生まれたら「拓也」にしようと思ったら、今度はふたり生まれて(大きな笑い声)また名前が無い(笑い声)ということで、大急ぎで、同じ「也」と付けた方が良いと言う事で、「きん也」とか「てつ也」とかいろいろ「也」が合う名前を考えて、最終的には拓也・哲也という名前を付けました。
名前から言ってもそういう面白いいわれがあるんです。続きを読む

横田めぐみさんを救うぞ!東京集会(1) 04.10.14(木)友愛会館にて

『横田滋さんのお話』

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皆さん、こんばんは。(会場よりこんばんはの声)
お忙しいところをお出でいただいてありがとうございました。

めぐみは東京オリンピックが始まる直前の昭和39年の10月5日に生まれました。
その日は朝早くから早紀江の方に陣痛があって、あんまりタクシーも通ってない時間だったのですが病院に入れました。
名古屋の聖霊病院と言う名前でキリスト教関係の病院でした。
それで銀行に行って休暇届を出したんですけど、それからカメラ等を持って病院に行きました。
もう、生まれているかと思ったんですが、まだまだその時は落ち着いていまして、夕方になってやっと生まれました。
非常に大きい子供で、女の子で例えが悪いんですけど、金太郎さんのような感じの女の子でした。
私は女の子を望んでいましたので、すごく喜びました。

家に帰ってからも非常に元気な子供でしたのですが、いろんな病院に行きました。
病院に行ったと言うのは、ひとつは大きすぎたので生まれる時に首のところに斜頸って言われましたんですが、筋肉にしこりが出来たり、整形外科でマッサージなどしました。
それ以外は目を爪で怪我して眼科に行ったり、階段から落ちて外科に行ったり、ガラスを足で踏んで切ったり、元気なためにいろんな病院に行きまして、精神科と産婦人科以外は全部行ったと言われるくらい、病院には通いました。

めぐみが生まれましたのは名古屋ですが、1歳ちょっとで東京に転勤になりました。
住んでいた所は品川の大井6丁目で、皆さん京浜東北線で大森貝塚が大森と大井町の間にあるのをご存知だと思いますが、あの近くに住みました。
そこに6年間過ごした訳なんです。
幼稚園はウノ学園、小学校は大井第一小学校へ行きました。
近所の方はほとんどは近くのお寺の幼稚園に行きましたが、丁度その時は下の弟が生まれておりましてとても送り迎えが出来ないので、通学バスが迎えに来てくれるというのでそこの幼稚園を選びました。

非常にしっかりしているもんですから、学校の先生が何か話をしても、お子さんによっては帰ってからお母さんが話を聞いても良く分からない時は、めぐみさんの所へ聞きに行けば分かると言われるくらいにしっかりした子供でした。
小さいときから本を読むのが大好きで、童話の本なんかを読みますとすぐに覚えていました。
話すときには「えーと」とか「あのー」とか言わないで、本当に本の通りをきちんと何も見ないで読んで、そういう点では割に理解力は小さいときから優れておりました。

銀行のアパートに住んでいたわけなんですけども、そこの庭に大きなガマガエルを捕まえて手ぬぐいに包んで持ち歩いたり、そのころは乗用車などを乗ってる方はあんまりいなかったんですが、屋根の上に載ってトランポリンみたいにポンポンと跳ねて、屋根が潰れてしまった。(笑い声)
中からポンと押したら戻ったんですけども、非常に活発な子供でした。続きを読む

拉致問題に対する私のスタンス

恥ずかしながら、9.17以前の私はそれほど拉致問題に強い関心を持ってはおりませんでした。
ただ、それでもなんとなくですね。
新潟の方で横田めぐみさんという中学生が学校帰りに行方不明になったとか、各地でアベック失踪事件が起きているとか、未遂に終わったアベック事件では北朝鮮の関与が疑われているらしいとか、大韓航空機爆破事件の犯人、金賢姫の教育係は日本人拉致被害者らしい、と言うことは知っていました。

特別自分からアクションを起こさなくともこれだけの情報を得ているということは、世間でもそれなりに報道はされていたと言う証しではあります。
でもそれでも私は何もしませんでした。
早く被害者が救出されればいいのに、と思うことはあってもそれ以上の思いを持つことはありませんでした。

それが、9.17のあの衝撃です。
テレビの画面の向こう側で涙ながらに会見に臨むご家族のお姿を見て、大変な衝撃を受けました。
ショックでその日は丸一日も何も手につきませんでした。
どうして私は今までにもっともっと拉致問題について強い関心を持たなかったのだろう?と。
同時にご家族の皆様に対し大変申し訳ない事をしたという慙愧の念にもとらわれました。

あの日、会見の様子を拝見しながら私は自分の心に誓いました。
せめてこれからは、拉致問題が全面解決するまで決して関心を失わない、と。
それが苦しく辛い思いをしているご家族に対するせめてもの私の償いである、とも思いました。

全面解決とはむろん、全ての被害者が無条件で即刻日本への帰国を果たすこと。
これ以外の何物でもありません。
しかし9.17以降、世に噴出する親北派的論調の数々・・・
なぜ?どうして?
こんなにひどい人権侵害・国家主権侵害事件は無いでしょうに。
どうしてそれでも加害者の国を擁護する意見が後を絶たないのか?
こんな理不尽なことは無いと思いました。

例え過去の歴史がどうあろうとも、罪の無い若者の人生を翻弄する権利など、北朝鮮にも北朝鮮を擁護する人にも無いはずです。
それが普通の人の感覚ではないでしょうか?

9.17直後のあの頃、ある掲示板に北朝鮮に対する批判を書き込んだところ、
「ぴろんさんの書き込みには北朝鮮に対する愛情が感じられません」
とレスされたことがあります。
勝手に人の国の国民を拉致したアコギな国に、どうやって愛情を持てというのだ???
何という無茶苦茶な物の考え方だろうと憤慨しましたが、当時の私は親北派と言う存在すら知らなかったほどのノンポリです。
それらの論調に対峙するだけの基礎的な知識が、私には決定的にありませんでした。

日韓併合と言う言葉くらいは知ってましたが、果たしてその実態は?と聞かれれば答えに窮してしまう・・・
多くの日本人同様に、私の基礎知識も大変曖昧で危うい程度のものでしかない。
これでは声の大きい、一部の不心得者と戦うことは出来ません。

それから猛勉強が始まりました。
家族の手記をはじめ、拉致事件や北朝鮮の実態、日韓の歴史などに関する書籍やHPを片っ端から読破しました。
それでようやく分かったのです。
今日本国の置かれている現状が、いかに危うい危険水域であるか?と言う現実に。

今私もこの日本が抱えるあらゆる問題に強い関心を持っています。
私の上げる声など高が知れていることは百も承知です。
けれども、黙っていては日本という国家が国家の体をなさない根無し草になってしまう。
それは嫌です。
私は日本という国が、日本の文化が歴史が大好きなのです。
この国と同胞を守るためにはサイレントマジョリティを決め込んでいては駄目なのです。

拉致問題に取り組むことで私は実に多くのことを学びました。
まだまだ学ばねばならぬことは山積なのですが、少しづつ知識を増やし、日本を危うくする危険思想に少しでも対峙できるよう、頑張っていきたいと考えています。
『脱サイレントマジョリティ』がこのBlogのもうひとつのコンセプトです。
日本の国が少しでも住みやすい、子孫にも世界にも誇れる国になれるよう声を上げ続けたい。
そのためにもまずは拉致問題の解決を、日本人の誇りをかけて何としてでも図りたいものだ、と強く願っておる次第です。
posted by ぴろん at 12:05| Comment(1) | TrackBack(2) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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