2005年04月15日

増元るみ子さんを救うぞ!東京集会(5)04.12.9 友愛会館にて

『假屋達郎(たつろう)さんのお話 (るみ子さんの小学校・中学校同級生)』

どうも、皆様はじめまして。
小学校と中学校が同級生ということで、中学校の方で活動していましたけども。
小学校の方が100年以上の歴史があるという事で、関心を持つより行動してもらわないといけないという事で、小学校の方も立ち上げました。

小学校はですね、昭和35年に入学です。
1960年ですね。
まだ、日本が貧乏・貧乏してる頃です。
私たちが最後の日本の貧しいのを知ってるんじゃないかなぁ?と、いうような環境で育ちました。
西郷さんの墓のすぐ近くに、大龍小学校がありました。
西郷さんもそこで学んだと言うことを、先生から西郷さんの幼い頃の話を良く聞かされて、「西郷さんも貧しかったんだよ、皆頑張れよ」と言うような教育を増元さんも受けたんじゃないかなぁと思います。

いろんなエピソードをと思って、クラスの人に同じ学年の人にいろいろ聞いて回ったんですけど、もう何十年も経っているもんですから、文集とか写真がなかなか見つからないで。
やっと見つかりまして、入学式のを引き伸ばして来てありますけども。(大きく伸ばしたモノクロの集合写真を掲げる)
まぁみんな和服ですよね、昭和35年の入学式ですから。
お母さんがいらっしゃらないちゅう事で、昨日お母さんにもお見せしたんですけど、鹿児島で。
お父さんが入学式に来られてるという事です。

こちらの方に、2年の時ですね。(もう一枚の集合写真を掲げる)
一クラス50人くらいいる、大龍小学校はマンモス学校で8クラスですから、400名一学年にいる。
全体では2千人から3千人いると言う学校でした。
まだ脱脂粉乳で給食を(小さな笑い声)ね、ああいう給食を、牛乳じゃなくて。
何故日本の貧しいのを知ってるのか?と言いますと、タダの本を貰った事が無いのが私なんかの年代なんです。
5年生になると4年生まで、6年生になると5年生までという時代ですね。

彼女も拉致という形になりましたけども、やはり気丈にですね。
厳しい中でも生きられる体力を持ってるんじゃないなかぁ、と私自身こう思いましてですね。
なんかそれをちょっとお話しした方がいいかなぁ、と。
今の昭和30年から産まれた後の子供たちとはまた違う、ちょっと教育を受けた子供で。
今、北朝鮮に拉致されてますけども、気丈に生きているんだと言う気持ちを自分は持ちます。

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増元るみ子さんを救うぞ!東京集会(4)04.12.9 友愛会館にて

『木村宏次郎さんのお話 (るみ子さんの同級生)』

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こんばんは、皆さん。
今日はお急がしい中をありがとうございます。
今日は裏方としてきたつもりなんですが、代表でみどりさんがですね。
お話しするちゅう事で安心したんですが、急にしゃべってくれと言う事で(笑い声)飛び飛びになりますけども、宜しくお願いします。(拍手)

そもそも増元家の方とはですね、お父さんを先に知っててですね。
まず鹿児島市内の国道沿いの八百屋さんにですね。
営林署に勤めてらっしゃったもんですから、賄いの野菜を買いに行くとかですね。
そしてまぁ、電車道を挟んで向かい側が私の家でしてね。
それが、その威勢の良い親父さんでですね。
まぁ家族が怖がっていたと言うかそのくらい、一瞬私は「どこかのやくざかな?」と(笑い声)思ってですね。
自分では側に付きたくない位。
だけど歩道を通る方々へ皆さん笑顔で挨拶してるから、「この人は絶対やくざでは無いな」と思って見てたんですけど。

それで北朝鮮に拉致されて、吹上浜の報道のなされてですね。
「あら?この親父は、るみ子さんの親父さんやったとか?」と言うくらいびっくりしてですね。
何かしないといかんなぁ、ちゅう事でですね。
当初は北朝鮮に拉致されたと言うのが分かんなかったもんですから。
るみ子さんがああして駆け落ちするような女性では無いんです。
とっても優しいですね。
皆に好かれる女性です。

その後、ちょいちょい同窓会を私なんかを良くしてたもんですから、もっと早く力になれたら良かったんですけども。
ここ5〜6年ですかね。
募金も少し、1万2万と皆から集めてですね。
初めて実家の方へ持っていったら、ものすごくお父さんが喜ばれてですね。
「やっと清水中のクラスの同級生が動き出してくれやった」と言ってですね、喜んでくださいましてですね。
同窓会をやるたび、募金を持っていきまして「活動に使ってください」と、そのように動いてまして。

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増元るみ子さんを救うぞ!東京集会(3)04.12.9 友愛会館にて

『松元みどりさんのお話 (るみ子さんの中学・高校時代の同級生)』

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(司会者の「るみ子さんの同窓生が鹿児島から駆けつけています」の声を受けて)
私は千葉に住んでおります。
私も最初は小泉さん好きでしたが、だんだん嫌いになりそうです。(拍手)
え〜っと、ちょっと読みます。(用意したメモを取り出す)
あがってしまうんで・・・

私はるみ子さんと中学・高校が一緒で、仲良しグループでした。
大きな目が印象的な誠実な女性です。
もう、35年も前のことなのでエピソードなど思い出せませんが、表情やしぐさははっきり覚えています。
ここにしわを寄せて(指で眉間を指差す)はにかむように笑うんですね。
それとか卓球してる時の、切れの良い動きなんかを良く思い出すんですが。
私もいなくなって吹上浜でローラー作戦している時にたまたま行って、「何事が起こったのか?」と思って、夕方のニュースでるみ子さんがいなくなったことを・・・偶然にもその場面を見たんです。

私の中でもそのときからが、ある戦いが始まったような気がして。
まぁ、それからは北朝鮮に拉致された事が分かるまでは何回も同じ夢を見たり。
時としてそうやって思い出しては来たんですが、やはり、絶対諦めてはいけないし、忘れてもいけないので。
なんていうか、皆さんにやっぱりずっとずっと応援してもらって、盛り上げてもらって、空港にお迎えに行くということを頭に浮かべながら、今ずっとひとりでも頑張ろうと思っております。

あと、るみ子さんのお母さんが「心から笑った事がない」という事を聞いた時に、これは絶対に会わせて上げなくちゃいけないな、とそう思いました。
どうぞ、皆さん力を貸してください。
宜しくお願いします(拍手)

増元るみ子さんを救うぞ!東京集会(2)04.12.9 友愛会館にて

『増元照明さんのお話』

こんばんは。
(立ち見の人に向って)こちらの方、まだ空席があるので、こちらの方入ってください。
(司会より「空間があります」の声)空間がある。(笑い声)
(司会者の声で「ちょっと、どうぞよろしかったら、前へ座ってください」)

あの〜今日は家族会事務局次長ではなくて、増元るみ子の弟として話をしてくださいと言う事で、鹿児島弁でしゃべろうかと思ってるんですけど。(笑い声)
姉が少し泣かしたんで、少し笑わせなきゃ。(小さな笑い声)
私が第一回の国民大集会で「るみ姉」と言う名前を言ったんです。
それが1998年だったんですけども。
そしたら、去年あたりからるみ姉のるみ姉が出始めて、私、商標登録しとけばよかったかなぁ?と(笑い声)思ってます。

私の姉をるみ姉と言い始めたのは、何時頃だったか?ちょっと私も覚えてないです。
小さい時には一番上(ここに)フミ子がおりますけども、フミ子の事を「姉ちゃん」と言ってました。
長男を「信ちゃん」と言ってました。
その次のるみ子は「るみ子姉ちゃん」と言ってたんですね。
小さい時、小学校の位まではそういう呼び方をしたと思うんですけども。

中学校になって、この中学校の写真なんですけどもね。(中学時代の集合写真を一枚掲げる)
姉が中学校3年生、私か中学校1年生で。
中学校入って、私は野球部かサッカー部に入ろうと思ったんですけども、姉貴が「卓球部に入れ」と言われて、素直な弟だったもんですから(会場、くすくす笑い)、そのまま卓球部に入りました。
この真ん中にいるのがキャプテンだと思う、その隣にいるのが副キャプテンの姉、これ卒業アルバムの中の物です。
この一番端にいるのが私なんですが、なんか猿みたいな顔して(笑い声)

私、中学校一年まで本当に小さかったんですね。
確か私の記憶では、129か130です、中学校一年のとき。
ホントに小さくて、姉はさっきフミ子が言ったように大きい姉でしたので、非常にカッコ良くて。
サウスポーなんですけど、サウスポーで卓球やると凄いカッコいいですよ。
あの〜、惚れ惚れしますけども。
ただ、男女一緒に練習した事はなくて、姉と卓球をしたという覚えは無いんです。
とにかくそれぐらい近い存在ではありました。

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増元るみ子さんを救うぞ!東京集会(1)04.12.9 友愛会館にて

『平野フミ子さんのお話』



皆さんこんばんは。
本当にこんなにたくさん集まっていただいて、ありがとうございます。
私、いつもこうやって立つ時、何から話して良いかいつも迷ってしまうんです。
でも今日はるみ子の事だけ、そして父の事を話さしていただきます。

るみ子は私たち増元家にとっては、太陽的存在でした。
私家族6人、きょうだい4人なんです。
私、信一という弟、そしてるみ子がいて、照明が一番下にいるんですけど。
本当にもう、いつも明るくて。
「家族」と言う本にも書いてありましたけども、父親がとにかく厳しくてですね。
私たちは本当に近づけない存在でした。
でも、妹るみ子だけは父親に対してものすごく「とうちゃん、とうちゃん」と言ってですね。

父親は営林署に勤めてました。
鹿児島の営林署は屋久島の杉を運ぶ船を持ってましたので、2〜3日おきに帰ってきておりました。
しょっちゅういないんですけども、帰ってくるたんびに「とうちゃん、お帰り」と率先して行ってましたので、父は物凄く可愛がってた。

私たちは父が怖くて、何かというとすぐ怒るんですね。
父は酒を飲むんと、鹿児島の言葉で「やまいもを掘る」って言うんですけど、酒が入ると愚痴が出るんです。
仕事の愚痴かなんか知らんけど、ちょっと薩摩男児、亭主関白と言うのが強くてですね。
私たちは本当に「どうしてこんなとうちゃんと結婚したの?」と母にいつも言うぐらいですね、(笑い声)厳しい父でした。
妹のるみ子は厳しい父に本当になついて。
ですから父もそんなにして寄ってくるので目に入れても痛くないくらいほどに、可愛がっていたと思います。

その証拠にですね。
今日は妹の同級生が写真を持ってきてくれたんですけど、大龍小学校の入学式にですね、父が参加してるんですよ。
出席してるんです。
私もその写真見て、びっくりしました。
父親はもっと仕事一辺倒でですね。
子育てには参加してないと思ってたから、「へぇー」と思って。
母親が病気がちだったせいもあって、弟・照明のお守りしてたりして、小学校の入学式に行ったんじゃないかなぁ?と、今私は写真見て思った事でした。

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今後のテキスト掲載予定など

今後の集会テキスト掲載予定を考えましたのでちょっとお知らせします。

「寺越一家を救うぞ集会」の最初のテキストをアップするには1〜2日かかると思います。
その間一足先に「増元るみ子さんを救うぞ!東京集会」のテキストを今日・明日の2回に分けて掲載します。
その後「寺越一家を救うぞ集会」のテキストを順次掲載する予定にしています。

「寺越一家を救うぞ集会のテキスト」化はおよそ一週間ほどお時間頂くことになるかと思います。
今月末には小泉総理に決断を求める国民集会も開催され、こちらも参加の上テキスト化を予定しておりますので、今月はテキスト掲載がちょっと忙しいのです。
ですので、松木薫さん・有本恵子さん・市川修一さんの集会テキストは、国民大集会のテキスト掲載の前後に適宜アップいたします。

上記の予定で集会テキストの掲載をしていきますので、お付き合いよろしくお願いいたします。

集会テキストを書く方も手間がいるのですが、読む方も結構忍耐力がいるかと思います。
全文読むお時間がない方も、興味の有る所だけお読みいただいてもいいし、斜め読み・飛ばし読みでも結構です。
どうぞ家族の声を少しでもお汲み取り頂けたらと願っております。


夕べ西村幸祐氏のBlogで当Blogの人権擁護法案集会テキストの紹介がされました。
その影響なのか、突然のようにアクセス数が増え当方も大変驚いております。
関心を持ってこの問題を見ている人、多いのですね。
改めて感じました。

マスコミはこの問題についてほとんど報道らしい報道をしませんし、法案の賛否を判断するにしても出回る情報はまだまだ少なすぎると感じています。
このテキストが法案について考えたり意見を交換したりする際の情報のひとつとなれれば、テキストを必死に起こした甲斐もあると言うものです。

これだけ重要な案件について、ろくに議論もされず国民の知らないところで勝手に法案が通過してしまう、と言うのはどうにも納得がいきません。
熱い論議を交わすための資料としてぜひぜひ御活用いただきたいと考えております。
どうぞよろしくお願いいたします。
posted by ぴろん at 13:22| Comment(0) | TrackBack(0) | ご挨拶&お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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