2005年04月17日

緊急連絡! 人権擁護法案、危うし?! 

「寺越家を救うぞ!東京集会」のテキストアップ中ですが緊急情報を!

人権擁護法案、推進派が20日の部会で強行突破か?と言う情報が回ってきました。
それを受けて、先の「人権擁護法案を考える緊急集会」の主催者、人権擁護法案を考える市民の会が19日(火)緊急のデモと集会をするそうです。
詳しくは以下のBlogで確認してください。

ろくな議論もせずにどうしてこうも法案成立を急ぐのか?
この法案が国民に周知徹底され国民的議論が巻き起こると、何かマズイことでもあるのでしょうか?
本当にこの法案の影にチラつく者どもは胡散臭い・・・

さすがにここまで緊急だと私はちょっと行けそうもありません。
お時間のある方、ぜひ。

人権擁護法案を考える市民の会
http://blog.goo.ne.jp/jinken110/d/20050416


posted by ぴろん at 21:36| Comment(1) | TrackBack(0) | 国内問題&国際問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

寺越家を救うぞ!東京集会(2)05.4.14 友愛会館にて

『北野政男さん(寺越昭二さんの次男)のお話』

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次男の北野政男でございます。
今日こうして寺越事件だけを取り扱って発言させてもらえると言うこと、本当にありがたく思っています。
そして家族会・救う会・一般の方々こうやって多く集まっていただきありがとうございます。
うちの親父のこと兄弟二人で話すと言うとなかなかダブる面も多くあると思うんですけども、それはご理解していただきたいと言うことと、私も何分不慣れなものですから途中で頭の中が真っ白になるかもしれませんがよろしくお願いします。

今日は私は寺越事件の関係者5人。
うちの(兄弟)3人と友枝さんと武志との、「記憶」という面で寺越事件を考えて見たいと思います。
事故があったのはここにも書いてありますとおり、昭和38年ですよね。
記憶と言うのはこの38年を境としてそれ以前・それ以後という事に2分に分けられますよね?
うちら兄弟3人は当然子供ですから親父の記憶は持っております。

しかしながら親父は出稼ぎ漁師といいますか、1年に数ヶ月しかいなかったんです。
あとは大きい船で漁に出てて、それが38年から以前の記憶は多分4〜5年しかないと思います。
その4〜5年の間の3〜4ヶ月親父と一緒に暮らした日で、通算して1年前後しかありません。
でも記憶は生活した記憶やとか、親父の特徴やとか、親父が身に着けてたものとか、と言うものはうちらでも二人は覚えております。
お風呂へ行って3人で行って体を流してもらって、親父のごつい手で頭をが〜っとやられるのが痛いもんやから親父が嫌でお袋で。
そういうなんていうか生活感に溢れた記憶は持っております。
13歳前後の前の記憶で持っております。

ところが弟の美津夫は親父の記は一切持っておりません。
うちらの記憶の中の会話には入れないと言うことです。
仮に、ここに名前書いてもらったんですけど、兄貴と俺がゴルフボールかピンポン玉くらいの記憶を持ってると仮定しますと、美津夫は全く無しなんです。
38年以前の友枝さんはもう大人ですよね?
家が隣同士ですので嫁同士話をしていた。
だから親父のことはバレーボールかバスケットボールくらいの大きな記憶を持っているということです。

私たちは12〜3歳の子供ですから大人の話には入れませんから。
この船はいくらで誰から買ったとか、いつ買ったとか、それから親父はどこの船に乗っていて何月に帰って何月に出かけたとか?
要するに大人の話は私たちは全く知らん。
それこそ親と子供の記憶しかありません。

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寺越家を救うぞ!東京集会(1)05.4.14 友愛会館にて

『寺越昭男さん(寺越昭二さんの長男)のお話』

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皆様こんばんは。
私は今から42年前、昭和38年。
能登沖で、わずか海岸から200メートルのところから拉致をされた寺越昭二の息子です。
長男です。
ここにおるのは次男で名前は北野になりますけども。
養子に行きましたんで、北野になります。

事件は、私らはあの、本当にわずか海岸から200メートルのところから、何で800キロも離れた北朝鮮の清津というところに行ったか?と言う疑問。
そして父親が本当に北朝鮮で死んだんか?と言う疑問。
事件の真相を知りたいと言うことから2002年10月に政府に対して、寺越事件の真相究明と拉致認定・遺骨の返還を求めて声を上げさせていただいたわけです。

事件の当時は私は中学校の2年になったばかりでした。
5月の12日、私が中学校の2年で弟が小学校の6年、三男が小学校の4年でした。
小さかったせいもあるけども、本当に何で死んだんか?と。
何でこういう事になったんか?という思いというのは、今までずっと持ち続けて来たことなんですけども。
ひょっとしたら当てた船の当てた犯人が、怖くなって3人をどこかに殺して埋めたんじゃないか?とか。
常にそんなことを思っていましたんですけども。

17年後に突然北朝鮮から手紙が、叔母の栗原豊子さんのところへ来たわけですね。
それまでは本当に死んだとばっかり思ってたわけなんですけども。
突然北朝鮮から手紙が来たと言うことで、死んだ人間が生き返ったというような思い。
でもこの手紙には一番最初の手紙には父親のことは何も書いて無いんです。
「あるとき突然3人で北朝鮮で暮らすことになりました」と。
その後、「外雄さん・武志は結婚して幸せに暮らしております」と。
で父のことは何も書いてないんです。
3人で一緒に北朝鮮に来たのになんで父のことが書いてないのか?と。
そのこともきちんとと言うか、そういう思いはあったんですけども。

取りあえず北朝鮮から手紙が来た言うことで本当に大騒ぎになりました。
どういうふうに対応していいかというのは、やっぱり北朝鮮がどういう国か分からない国。
それから手紙なんかもおそらく検閲されているんじゃないか?とか。
こっちから変なことを書いたら武志とか外雄さんに何かあるんじゃないか?とかっていう。
そういう意見というか議論をして、差し障りの無いように、「うちの親父がどうしているか?」とかいう返事を書いたわけなんですね。
まぁ私は書いてませんけど、その手紙が来た栗原さんの所から手紙を出して。

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