2005年04月20日

寺越家を救うぞ!東京集会(9)05.4.14 友愛会館にて

『西岡氏もう一度お話』

最後に今後の予定、運動の展開についてご説明して時間ですので終わりにしたいと思います。
ご承知の通り4月24日ですね。
4月24日の2時から4時まで、「小泉総理の決断を求める国民大集会」を行います。
3時間ありますので、あまりたくさんの人に代わりばんこに話してもらわないで、今回は家族会の人たちにパネルディスカッションみたいに座ってもらってですね。
特に帰って来られていない10人の家族の人たちが、心の中で心配を思いながら今制裁しかないと思ってると。

一日一日向こうにいる人たちは今日どうしているだろうか?と思いながら過ごしていると。
早紀江さんなども今大変疲労感を覚えていらっしゃる。
色々な週刊誌に情報が出ますけど、それが本当かどうか?確認するすべはないし。
本当だとしたら、今度は本当のことが出てしまったら、北朝鮮に響いて娘の身に何か起きるかも知れないとか。
毎日いろんなことを分からなくて心配しながらというのは大変なんですよね。

逆に増元さんたちなどは何にも情報がないという辛さがある。
たくさん出てくる辛さもあるし何にも無くて待ってるという辛さもあると。
そういう中で日本政府が始めて厳しい態度をとると予告して4ヶ月経つんですけども。
このまま言ったら日本政府言ってることは虚勢であって、そんなに怖がることは無いと金正日が思ってしまったら、圧力にならないじゃないか?

12月に厳しい対応をすると予告したんですから、そうなったら拉致問題を日本は重視していないという、間違ったメッセージが金正日やその周辺や中国や韓国やアメリカに送られてしまったならば。
これから核問題などで情勢が緊迫したら、拉致は棚上げになってしまうかも知れないと。
いう強い危機感を持ってるという事に付いてですね、ぜひ皆さんに。
やっぱり国民の皆様に真正面から訴えるしかないと言うこと意外に無いと思ってますので。
なぜ経済制裁を今我々は訴えるのか?ということを分かってもらえるような、そういう時間をたくさん取る集会にしたいと思っています。

もうひとつ北朝鮮の核問題がクローズアップされていて。
国際社会は拉致問題より核問題になって、アメリカを含めて今すぐに日本が経済制裁単独でという事に、手をあげて応援してくれているという雰囲気じゃないんですね。
それでもう一度、アメリカに家族に行ってもらおうと。
24日が国民大集会ですけど、25日に増元さんとうちの島田洋一副会長二人でワシントンに行ってもらいます。

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寺越家を救うぞ!東京集会(8)05.4.14 友愛会館にて

『もう一度寺越昭男さんのお話』

最後にこれは私の叔父、神戸に昭二のすぐ下の叔父・クニオさんと言う人がいるんですけども。
クニオさんが私に言った言葉でちょっと印象に残ってる言葉なんですけども。
うちの父親は5人なんです。
男兄弟。
男5人女6人の全部で11人のきょうだいなんです。
5人しかいない男兄弟で、なんのゆかりも縁も無い北朝鮮で3人骨を埋めるのは、うちの親父も北朝鮮に骨を埋めたと仮定しての話なんですけども。

なんの縁もゆかりも無い北朝鮮で3人も兄弟が骨を埋めるのは情けない話だと。
というのはうちの親父、外雄さん、で最後に武志の父親(=太左衛門さん)。
3人が本当にに何のゆかりも無い北朝鮮で骨を埋めることになるのは情けない。
私も本当にどうかやぁ?と。
今現在生きとるのは神戸の叔父さんと北朝鮮にいる武志の父親だけなんです。
ちなみにこれは叔父さんがここにおったらこういう話をしてくれるやろうな、ということで最後に話をさせていただきました。
ありがとうございました。(拍手)

(会場より質問)外雄さんの死亡原因は間違いないんですか?向こうの発表は?

(昭男さん)
多分間違いはないんだと思いますが、私らには全然分かりません。

(同じ質問者)肺がんですか?

(昭男さん)
そういうふうになってますけど。
亡くなる前に親族って言うかな。
きょうだいのところへ電話をかけて来たらしいです。
で、ただ本当に残念なのは北朝鮮の言うように救助っていうんであれば、病気になった時点で友枝さんは知ってたわけですから。
友枝さんが日本政府に働きかけて日本で治療を出来るように、やっぱりそういうふうに働きかけをしてくれればよかったなぁとは思ってますけど、私らは全然知らなかったもんで、その時は。

その当時は全然病気であると言うことも知らなかったし、亡くなったということも本当に後から聞いて知ったわけなんですけど。
拉致って言うのは中々駄目だと思うんですけど、救助をされたって言うなら北朝鮮では治療出来んから、日本で治療したいからと日本政府が働きかけをしてくれてもいいがじゃないかな?と思うんですけど。
そういうことが出来なかったのは残念だなと思ってますけども。

寺越家を救うぞ!東京集会(7)05.4.14 友愛会館にて

『西岡力副会長のお話』

Img_8711.jpg

西岡です。
まず寺越事件について、今安明進さんの証言の話が、寺越さんたちからそして大口事務局長から出ていますが。
実は最近安明進さんが本を出しまして。
「新証言・拉致」と言うこの本の中にその証言が出てきています。
それはすでに私が、これは正論の2003年12月号に書いたんですが。
2003年の10月くらいに詳しく聞き取りをしていまして、それを元に救う会石川が刑事告発をしたと言であります。
その事をまずご報告したいんですが。

2003年の9月にですね、安さんと一緒に石川に行ったんですね。
事故があった現場を見に行ったわけです。
そこに行きますとね、網をかけてた所は100メートルくらい。
海岸から離れている磯なんですね。
たった100メートルしか離れていないんです。
すぐ近くです、見えるんですね。

ハチメ漁ですね。
メバルの事をハチメと言うんだそうですが、私も知らなかったんですけども。
の網をかけていたと。
そして安さんが海の方を見ないで後ろを見るんですね。
なんで後ろを見るのかな?と思ったら
「ここは上陸地点として大変良いんだけども、海から見て何か目印があるはずだ」と。
磯でしてですね、すぐ後ろに道があるわけです。
しかし街灯も無くて寂しいところなんですね。
磯からすぐ上がったら道があってどこかにいけると。
そして寂しいところだと。
大変上がるのに良いところだと。
しかし何か遠くから見て目印があるはずだときょろきょろしてたんですね。

そしたら当時のことを知ってる寺越家の親戚筋の方がですね、実はあの山の上に大きな松が昔あったんだと。
一本松として有名でそこの下にござを敷いて芸者を上げて遊んだもんだと、いうふうに言ってたんですね。
だからつまり入ってくる時に遠くから見えるわけです。
あそこが上陸地点だと。
その松を目標にして工作船から小船が出て来て、それからゴムボートで上がってくるわけです。
あるいは工作船が近づいてくるわけです。
60年代は小船とかゴムボートがあったかどうかちょっと分かりませんが、目印があったということで、大変良い場所だと、言うことが分かってですね。
そして実はと言って、先ほど名前が出てきましたオ・グホという政治軍事大学の自分の担当の教官からこういう話を聞いていたんだと言って、詳しく話をしてくれたわけなんです。

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