2005年05月09日

有本恵子さんを救うぞ!東京集会(4)05.2.10 友愛会館にて

『飯塚繁雄副代表のお話』

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皆さん遅くまで大変ご苦労様です。
いろいろ動きが激しくなってくる中で、我々いろいろ考えが及ばないところもあるんですけども。
いろいろ解説を聞きまして、北が6カ国の協議に出ないと。
これは日本のせいだと、いう雰囲気が私には感じられます。
と言う事は逆に拉致の問題ってのはものすごく向こうは注目って言うか、注視している。
そういう表れではないかな?と
という事は逆に西岡さんが言ったように、今が北にハッキリした態度を示すいいチャンスではないか?と。
いう風に考えます。

我々は口を軽くして、経済制裁・経済制裁って言ってますけども、これは本当に家族の人たちからすればいろんなリスクを当然考えるわけですね?
もしかしたら解決の糸口が切れてしまうんじゃないか?
さらに言えば殺されてしまうんではないか?とか。
そういった思いを込めながら、しかしこれをやらなければいつまで経っても解決しないと。
いう固い決意でですね、北に対する強い態度をぜひ、ということで、一昨日も官邸の方に500万の署名を持って行きながらお願いしてきました。
まぁ、官房長官しか会えなかったんですけど。
「皆さんの気持ちを汲んで頑張ります」とは言ってくれましたけどね。

私も昨日曽我ひとみさんのお父さんの告別式に行って参りました。
寒い雪のある葬儀場だったんですけども。
一貫してひとみさんはまっすぐ顔を上げられなく、目を真っ赤にしてですね。
こんな事件がなければもちろんこんなお葬式もなかったろうと、いうような気持ちで。
お母さんに、ぜひお父さんを会わせてあげたかったという思いがまだまだ強く残っていると。
悲しみの中にいると、いう感じでした。
幸いにももちろんひとみさん本人、それから子供たちも帰ってきて、一時会って生活が出来ましたけども。

やっぱりそういうことを考えますとですね、待ってる家族。
もちろん向こうに連れて行かれた被害者が一番大変ですけども、それを救出する、あるいは救出活動する待ってる家族の方がですね。
そしてどんどん年をとって行きます。
我々もそうなんですけど、やはり帰ってきた後の被害者のケアをしなくちゃいけないんですね?
精神的なもの、あるいは経済的なものを含めて、きちっとフォローしてあげなければいけないという責任まで我々は考えております。
従ってその余力を取っておかなければいけないと、言うこともありますので。
一刻も早くこの問題を解決していただきたい、という一心で、信念でおります。
早紀江さんも全身痛くて、今日も明日もお昨日も一昨日も、という感じで全国を回ってます。
有本さんのご夫妻も一番高齢ですけども、(明弘氏の声・・・ただし言葉は聞き取れず 会場笑い声)奥様も足を引きずってですね、皆さんに訴え続けています。

私たち専門家じゃないですから、あんまり難しいことは言えませんが。
ただ言えるのは、ハッキリと向こうが認めた拉致。
被害者を帰して欲しいと。
それだけなんですね。
それを皆さんに、大きな力を頂くためにいろいろ訴えております。
その効果もあってやっとここまで来ましたけども、これからがいわゆる正念場かと思いますが。
いろいろ聞きまして難しい問題が山積している中でいろいろ悩むんですけども。
国民の皆様の声が一番強いということを信念に置きまして、私たちこれからもまた頑張っていきます。
よろしくお願いします。(拍手)


有本恵子さんを救うぞ!東京集会(3)05.2.10 友愛会館にて

『西岡力副会長のお話』

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ちょっと風邪をひいてますのでお聞き苦しいところがありますがご了承ください。
今のお話を聞きながらいろいろ思い出していたんですけど。
実は私はいろいろな所で書いたりしゃべったりしてまして。
97年の3月の家族会結成までは、日本は国家として、そしてマスコミも国民も拉致被害者北に囚われてきた人とその家族を見捨てて来たと思うんですけども。
97年の3月に至るまでの過程で、大きく2段階があったんだなと、今も思い出しながら頭を整理してたんですけど。

77年から78年に拉致が多発する訳ですね。
めぐみさんの事件は77年で、78年には蓮池さんたちや曽我さんがやられていく訳ですけども。
それ以前にどれくらいのものがあったのかということが、まだ分からないので私の分析は今かなり明らかになってる物だけの分析なんです。
これはまたその枠組みが大きく変わるかも知れないんですけど、その前提でお聞きいただきたいんですけども。

77、78年くらいに多発して発生したわけです。
日本政府が認定しているものもそこが多いわけです。
10年間は何もしなかったわけです。
日本政府は今認定できてる77年78年の拉致については、事件直後から拉致であることを知っていたんです。
だから認定できてるんです。
後になってから証拠が出て来たんじゃなくて、当初から拉致であることについて分かっていたから、認定できてるんです。
分かってなかった拉致もあるんです。
それはもっともっと時間が経てば証拠が出てこないですから、認定は難しいですね。

具体的にいうと電波です。
工作船が来てるとき電波を出してるわけです。
暗号がかかってるんですけども、この電波帯を日本は掴んでいたわけです。
電波が日本海を飛び交えば北朝鮮から船が来てる。
何ヶ所かで傍受しますと、場所が分かるわけです。
来てるというと、警戒をするわけです。
警備警報と言いまして、警察がコリアンボート警報というのをかけるわけです。
1978年の8月には何回もコリアンボート警報というのがかかっていたんです。

警察庁の中でその電波を傍受していた実務責任者の幹部が、2002年の年末にある大手の新聞のインタビューに答えて、「当時私は徹夜で家に帰らなくて泊り込みで仕事をしていた」と。
そして福井沖に来てると。
工作船が来てると言って警戒していると、福井県警からおかしなアベック失踪事件が起きたという報告が上がったと。
その後新潟沖に来てると。
分かって警戒していたらば、またおかしなアベック失踪事件が起きたと報告が上がってると。
そしてその次に鹿児島から来たと。
北朝鮮による拉致だと報告書を書いたと。
その時点ですね。
と言うことをある大手の新聞にしゃべっているんです。
もう辞めてらっしゃる方ですけども。

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2005年05月08日

有本恵子さんを救うぞ!東京集会(2)05.2.10 友愛会館にて

『有本明弘さんのお話』

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皆さんこんばんは。
恵子の父親の有本明弘です。
よろしくお願いします。
ま、家内が言ったとおりの方法で私たちはやってきました。
その中でこの拉致の問題は、一番先に日本の国で国民の皆さんに広まった、分かってきたのが今度のこの子供が北海道の実家に手紙を送ってきたのが、88年の9月なんです。
88年の2月かな?
くらいには共産党は国会で質問してるんです。
(隣の西岡氏より「3月です」の声)
3月か?

そういういきさつもあって、私らの問題も国会へ持って行った。
この時点で政府は拉致されているということは、もうハッキリと分かってるんですよ。
で、それの2年後、その手紙を持っていった明くる年に竹下さんが北朝鮮に対して「前提条件をつけずに話し合う用意がある」と、その一言唐突にしゃべった。
そのときには手紙持っていたところが安倍晋三さんのところやったから、その秘書の飯塚さん言う人とね、その人と話をした。
ちょっと国は動いてくれるのとちゃうか?と。
そういうやり取りをしました、当時はね。

そしてそれから北朝鮮へ行くと言うような政治家が2〜3人名乗りを上げました。
その結果、最終的に残ったのが当時の金丸さんです。
1990年の9月に金丸さんが行くようになったんです。
だから私らはこのときは当然手紙が来てるし。
1年2年前には国会で質問して、政府と共産党の橋本さんとやり取りしてる。
そういう状況をあんのやから、当然外務省と同行する自社、田辺さんと自民党は石井さん、この人が外務省も何べんか折衝を持ってるんです。
当時の新聞にはそういうふうに出てるんです。

だから、当然私は先遣団でむこうに行った議員団は、当然この問題を提起して、あんたとこはこれをどないするんや?と言う折衝は当然やって来るんもんやと思ってた。
当然やらなおかしいんです。
これやってないんです。
だから僕はこれはおかしいやないかと。
スタート時点からおかしいと、追及するんですが。
当然でしょ?

そういうことが全然メディアの情報に載らんのですよ、これ。
取材しとって分かっとるんやからね?もう。
全然載ってないですよ?
もう、僕らは悔しかった。
当然そのときに、先遣団だった議員団が「過去の償いをしましょ」って海部さんの親書まで持っていったんですよ?
でもそれだけでこの拉致の問題は一言も触れずに帰ってきた。
だから今家内が言ったように9月に行った訪朝の、その12月の年末に、警察がこれはマスコミにリークしたと。
僕はそういうふうに解釈してるんです。

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有本恵子さんを救うぞ!東京集会(1)05.2.10 友愛会館にて

『有本嘉代子さんのお話』

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皆さんこんばんは。
こんなにたくさん来ていただきまして、ありがとうございます。
この問題は一言で言って長くかかり過ぎております。
皆さんはご承知だろうと思いますけども、私どもの恵子は国内からではなくて、ヨーロッパの方から、よど号の奥さんたちの手によって連れて行かれたという形なんですけども。

当初から申し上げますと、小さいときからわり方おとなしい子だったんです。
人の前にバッと出にくい、物の言いにくい、どっちか言うたら後ろへ後ろへ寄るような子なんですね。
幼稚園の頃なんかはちょっと小柄でしたので、一番前に並んでいるんですけれども。
小さい子供って、先生が「きちっと並んで行きなさいよ」って言われても後ろからく〜っと掻き分けて行きますよね?
いつも一番前にいますのに一番最後に出てくるんですね。
そんなような子だったんです。

おぎゃ〜っと産まれて、赤ん坊の時分からそんなにわ〜わ〜と泣かない。
おしめを代えて気持ちが良かったら、す〜す〜と寝るような子で。
本当に(子育て)しやすくて、全然手がかからなかった。
ちょっと物心付いてからでもわり方聞き分けのいい子供で、こちらのことは言うことは理解できたようで。
普通のほかの子よりも。

私は女の子5人男の子1人と6人あるんです。
私がきょうだいはあるんですけど、家庭の事情で私一人で育ったもんですから、子供はたくさん産んで賑やかなのがいいなと言う感じでおりましたので、6人なんです。
その3番目なんですけども。
非常におとなしい聞き分けのいい、本当に手のかからない子だったんですけれども。
最後に一番手がかかって(笑い声)本当にどうしたらいいのかと思って、毎日思い悩んでおります。

外国へ行くときでも1人で行くって言ったんですね。
そんな知らんところへ行って、水も変わるし、体もきょうだいの中で一番弱かったもんですから、それが心配だったんです。
でもこんなことが起こるなんて夢にも思わなかったですけど。
向こうに行ってる間に病気になったらどうするの?ってそれが一番の心配でした。

1982年に学校を卒業しまして、3月に。
あの子は神戸市立外大の2部を出てるんです。
ここはお昼行こう思ったら非常に難しい学校なんです。
ちょっと入れないんです。
それで2部の方に行きまして、お昼はね、自分でアルバイトをしてました。
ですから小さい時分からそんなにお金も無駄に使わないし、きちっと自分のことは自分でするような子供でしたから、お金もきっちり貯めてたんですね。

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2005年05月05日

ちょっと一休み・・・

本日より2〜3日の間、多忙につき更新できません。
あしからずご了承ください。
もしも時間のやり繰りが付けば、松木薫さん・有本恵子さんの集会テキストを掲載したいと思っているのですが、時間の都合が付くかどうか・・・微妙。

さすがにひと月のうちに3本の集会をテキスト化するのは疲れました・・・
自分が承知でやったことですから、少々疲れたくらいは別にどうでもいいんですが、ちょっとヘロヘロ。
やっぱし、寄る年波には勝てない?!(^^ゞ

来週木曜日には曽我ミヨシさんを救うぞ東京集会も開催されます。
懲りずに私も参ります。
少し英気を養わせてくださいませ<(_ _)>
 
最後に曽我ミヨシさんの集会案内を掲載しておきます。
曽我ひとみさんが自ら希望してお母様の救出を訴える集会です。
お近くの方、ぜひどうぞ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「曽我ミヨシさんを救うぞ!東京集会」
日時 5月12日(木)午後6時半〜8時半(開場6時)
会場 豊島公会堂(各線池袋駅東口徒歩4分)
登壇者 曽我ひとみさん 西岡力救う会副会長
参加費 1000円

※この連続集会は通常は三田の友愛会館で開催されていますが、今回は会場が違います。
お間違いのない様、ご来場ください。
posted by ぴろん at 15:57| Comment(0) | TrackBack(0) | ご挨拶&お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月04日

第7回国民大集会(27)05.4.24 日比谷公会堂にて

『佐藤勝巳 救う会会長 閉会の挨拶』

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佐藤でございます。(拍手)
今回で7回目の集会となりました。
この種の集会は今年が最後、今年が最後と思ってやってまいりましたが、なかなか止めることが出来ないでおります。
ただいま現在、皆様方がお聞き及びの通り何が問題か?というと、経済制裁を発動するのは閣議決定が必要です。
閣議の責任者は小泉総理大臣です。
この人が邪魔をいたしております。

政府が制裁を発動しないと言うのは正確な表現ではありません。
小泉純一郎が制裁を発動しないんです。(拍手)
制裁を発動しなくて拉致の問題が解決するならば、とっくの昔に解決しております。(拍手)
ではどうやって制裁を発動して拉致を解決するのか?
それは、国会議員の先生方が衆参両院で決議を取ってもらうこと。
大切なことです。

しかし、現状を見ておりますと、仮に決議が通っても小泉さんは発動しないだろうと言うのが私の見通しです。
なぜか?
それは今の総理大臣の頭の中には、国会議員の先生方の来賓の挨拶の中にも触れられておりましたけれども、日朝(国交)正常化を図って歴史に名を残すというとんでもない間違った考えを持っているからです。(拍手)
多分、漆原先生が仰ったんだと思いますが、彼が政治家として歴史に名を残したいのならば、拉致を解決することです!(拍手)

そこで閉会の挨拶として、皆さん方にお願いを申し上げたいことは、小泉さん宛てに直接、手紙でFAXでメールで葉書で、拉致解決の為に制裁を発動しろということを、首相官邸に集中していただきたいということです。(拍手)
去年も申し上げましたけど、あの人は支持率が命の人ですから。(小さな笑い声)
支持率を下げることなんです。
その運動を今日お集まりの6000人の方が、そして全国で本日の集会を固唾を飲んで見ていらしゃる国民の皆さん方が、ひとりひとりが行動を起こしていただければ、私は絶対に拉致は解決すると確信をいたしております。(拍手)

本日は中国の問題があり、韓国の問題があり。
などなどで、皆さん方のお集まりが少ないのではないか?と私正直、内心危惧をいたしておりましたが。
私はそういう意味では大変日和見であったわけです。
実際6000の人たちがお集まりを頂いたことにとって、私をはじめとして、主催者の皆さんは家族会の皆さんは、改めて国民の支持の厚さに感謝をし確信を持ったと思っております。(拍手)
我々3団体は文字通り総力を上げて首相官邸並びに金正日に対し戦ってまいりますので、よろしくご声援をお願いたします。(拍手)

※司会 櫻井よしこ氏
会場の皆様方、長い間・・・(「官邸のFAX番号を教えてください」の声)
このお配りした紙の所に首相官邸のFAX番号が書いてございますのでご参照ください。

さて会場の皆様、今日は本当に長い時間ありがとうございました。
家族の皆様がお話になっている間、私日比谷公園の外の第二会場の方に行ってまいりました。
多くの人が地面に座って、もしくは立って、そこでず〜っとこの会場から向こうに順繰り順繰りに行く人の話を聞いて、同じように時間を過ごしてくださっておりました。続きを読む

第7回国民大集会(26)05.4.24 日比谷公会堂にて

※司会 櫻井よしこ氏
どうもありがとうございました。
聞いていて本当に、表現のしようのない思いで心が一杯になりました。
私たちは毎年この会を開いてきましたけれども、この壇上に立って訴えるこの家族の皆さん方の言葉を、一言も忘れたくはないと思います。
そしてさっき荒木さんが言いましたように、来年の12月末までには、何としてでもこの10件15人だけではなく、特定失踪者も含めて日本国の責任として、日本国民としてこの人たちを全員救出するということを改めて誓いたいと思います。(拍手)

さて受付の統計が入って来ました。
今日この会場に足を運んでくださった方は6000名を突破いたしました。(拍手 「お〜っ」と言う声)
ありがとうございました。(拍手)
6000名の後ろにはまだだ多くの人たちの心があります。
この大会はその人たちの心を凝縮して表現するものだと私は考えております。(拍手)
今日のこの大会での私たちの思いを凝縮した大会声明を、ここで朗読していただきたいと思います。
西村眞悟さん、お願いいたします。(大きな拍手)

『西村眞悟 拉致議連幹事長・民主党衆議院議員による大会声明朗読』

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6000名を超える方がこの日比谷に来られた・・・大会の声明案を私は今、提案に変えて読み上げます。
そしてこれが皆様のご承認を得られれば、4月26日午前11時30分。
首相官邸において総理に手渡します。(拍手)
どうぞよろしくお願いします。

尚、本当に良い時期に共に集まることが出来ました。
北朝鮮に同調する流れがわが国に、国政の中に外交の中にず〜っと一貫してあります。
3年前の9月17日には8名死亡の線で北朝鮮の言う通りに納めざるを得ない、と言う方法にあり。
今またこれで拉致問題は終わったのだと言う方向で一見無関心を装いながら、日本外交は常任理事国入りを目指していると言うことであります。
しかし拉致被害者、自国民を救い出すことが出来ない国家が、常任委理事国入りする資格はないのであります。(拍手)

わが国の名誉がかかった拉致問題。
本日の国民大集会の決議案を朗読させていただきます。

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2005年05月03日

第7回国民大集会(25)05.4.24 日比谷公会堂にて

『未帰還者ご家族によるパネルディスカッション 9』

「増元照明さん(増元るみ子さん弟)のお話」
「斉藤文代さん(松木薫さん長姉)のお話」
「有本明弘さん(有本恵子さん父)のお話」
「有本嘉代子さん(有本恵子さん母)のお話」

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☆増元照明さん(増元るみ子さん弟)



私も飯塚さんと同じで、まず姉に会ったら謝らなければならない。
30年近くも・・・(涙を流しながら語る)
取り戻していないと言うことが非常に残念です。
もう30年という年月を取り戻すことは出来ない。
でも姉が30年前私にくれた時計、今非常に私大事にしておりまして。
この時計の動きを止めることは出来ないし。
今でも動いていると言うことを彼女に教えてあげたい。
そしてこれからもずっとその時計は・・・持ち続けていくということ・・・(涙で言葉にならず、声を詰まらせる)
父が死んで、あんなに可愛がっていた姉ですから、必ず北朝鮮で姉の身を・・・(再び声が詰まる 「頑張って!増元さん!」の声)・・・守ってると思います。
以上です。

※司会 西岡力氏
松木さんに一言何か。

☆斉藤文代さん(松木薫さん長姉)

薫に元気でいて頂戴ということと。
あの、まぁ、母の言葉として
「お母さんも頑張るから(涙で声を詰まらせる)帰ってらっしゃい」
と言うことを・・・(拍手)

※司会 西岡力氏
では有本さん、お父さん、恵子さんに一言。

☆有本明弘さん(有本恵子さん父)

え〜、ちょっとその話はもう、子供のことは家内の話で十分やと思う。
なぁ、私はここに先生方おられた。
その時に言いたかったことあるのよ。(大きな拍手)
思うとおり言うて来た。

(西岡氏の声 「短めにおねがいします」)
えっ?
(西岡氏の声少し笑いながら 「短めにお願いします」)
言いたい事言えないじゃない。(笑い声 大きな拍手)
と言うわけで簡単にお話します。

このタイトルですね。
これは決断を求めると言うタイトルになってるんです、今日はね。
これのタイトルを決めるときに私は、決断じゃなくて糾弾をする国民集会。(拍手 「そうだ!」などの声)
これの方がいいんじゃないか?と、これが私の意見。(拍手 「そうだ!」などの声)

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第7回国民大集会(24)05.4.24 日比谷公会堂にて

『未帰還者家族によるパネルディスカッション 8』

「飯塚繁雄さん(田口八重子さんの長兄)のお話」
「市川龍子さん(市川修一さん義姉)のお話」

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☆飯塚繁雄さん(田口八重子さんの長兄)

私の妹八重子も、そこに写真がありますけども。
(隣の耕一郎さんを見て)こいつが1歳の時に持ってかれちゃったもんですから。
相当慌てたんですが。
うちはきょうだいが7人おりまして、私が一番上。
連れて行かれた八重子が一番下で、年齢差が17もあるんですよね。

従って育ち盛りに何か話したとか面倒見たとかっていう記憶はあまりないんです。
むしろ親父の方が一番末っ子なんで可愛がってたと。
向こうへ行って見る夢は、親父の夢だっていう、金賢姫の本に書いてありました。
突然がばって夜中に起きて、親父の幻想が出たとかね、そういう話も聞きますし。

むこうで結婚の話も出てますけども彼女はどっちかと言うと気が強いほうで。
その気の強さが良し悪しあったんですけども、
結婚して子供が出来た時もですね。
女手ひとつで育てる羽目になったんですが、「絶対私が育てる」と。
こういうふうに頑張ってまして、私もそれに対しては少し様子を見ようと言う事でいたんですが、間も無く連れて行かれちゃった。

先ほどの結婚の話もあったんですけども、例えば、原さんには悪いんですけども、原さんと結婚したというのは全く考えられない事実ですね。
北朝鮮はやたら結婚させるのが何か好きらしくて、(笑い声)誰かといつもくっつけるんですね。
見合いをしろという命令が下って。
じゃあお願いだから見合いをする前に下見をさせてくれと。
要するにどんな人かね、扉の影で一回見たいと。

で、ある人が入って来て、やっぱり例えば原さんの年齢の男の人らしいんですけど、一見して嫌だって逃げ出しちゃった。
いうふうな話も聞いてますし。
それよりも何よりも、日本に残した小さい子がいると。
早く帰って会いたい、面倒見たい。
本当に子供だから困ってるんじゃないか?
それがもう頭が一杯で、とにかく自分がまた違う人と結婚してどうのこうのというのはまず考えられないし。

そういう意味では昼間はすごく気を強く保って、北の言うことを聞いてなるべく優等生的な態度を見せる。
これはもう例えば、帰ってこられた富貴恵さんなんかも皆話をしてですね。
とにかく田舎の収容所に入れられないように昼間は頑張ろうと、いう誓いもしてきたようですけど。
そういうなかで夜になると故郷を思い出して、今子供は何歳になったかしら?と。
もう何年経ったかな?と。
そういう話がつい出るようなんですけどね。

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第7回国民大集会(23)05.4.24 日比谷公会堂にて

『未帰還者家族によるパネルディスカッション 7』

「横田拓也さん(横田めぐみさん弟)のお話」
「寺越昭男さん(寺越昭二さん長男・寺越武志さん従兄弟)のお話」
「横田早紀江さん(横田めぐみさん母)のお話」
「横田滋さん(横田めぐみさん父)のお話」

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※司会 西岡力氏
時間も押してますので一家族一人づつ、家族の人たちに今声をかけてあげるとすればしたら何を言いたいのか?
と言うことを言っていただきたいと思いますが。
ちょっと先ほど楽屋で打ち合わせありまして、横田拓也さんから一言皆さんに訴えたいことがあると仰ったので、そのことをしてもらってから一家族一言ずつお願いします。

☆横田拓也さん(横田めぐみさん弟)

誠に勝手を申し上げて申し訳ございません。
実はですね、私どもの所に複数のルートからですね。
同じような情報がありまして。
私ども家族としてはとても心配、そして懸念をしておりますので。
皆様にお話しを申し上げますと共に、そういう不穏な動きをどうか私たち国民の意思として力を持って阻止していただけますようにと思いまして、勝手ながらお時間いただいた次第でございます。

実は前からこの拉致問題のシンボル的な横田家の切り崩しのために、いろんな画策・工作があったわけであります。
代表的な最近の事例で言うと偽遺骨の問題があったわけであります。
ここに来まして、またと言うことなんですが。
めぐみの子供の、キム・へギョンさんを訪日をさせてはどうか?と言うことがですね。
どうも首相官邸の周辺でですね。
計画・画策されていると言ったような情報を、複数のルートから私共は聞いています。

まぁ父は、親に対してこういう言い方は失礼だと思うんですが。
情の世界で大変優しいといいますか、悪い言葉使うともろい人間でありますから。(笑い声)
孫に会いたいのは父ならずとも親としては当然なんです。
ここをまたですね。
偽遺骨の次に狙って来ている話であります。

私たちは支援室、当時の支援室・小熊室長を経由して日本政府に対して。
へギョンちゃんを、家族分断をする形で訪日要請をして欲しくないと、これまでも訴えております。(拍手 )
私たちが求めているのはめぐみをはじめとする家族帯同・全員の帰国をお願いしてるわけですが。(大きな拍手 「そうだ!」などの声)
優しい父には申し訳ありませんけども、本当にですね、ここは日本政府も安易な妥協をせずにですね。
全員の帰国を強く求めていくような強い姿勢でいっていただきたいと思います。(大きな拍手)
皆さんお願いいたします。(大きな拍手)

※司会 西岡力氏
それでは今度は寺越さんの方からですね。
まぁ、もう天国にいらっしゃてると思いますが、お父さんに一言ということで何かお願いします。
それからずっとご家族ひとりずつ、今北朝鮮で待ってるご家族に一言ずつ訴えてください。

☆寺越昭雄さん(寺越昭二さんの長男・寺越武志さんの従兄弟)

あの、今私たちは本当に特別な感じになってしまったなぁと思ってるんですけども。
他の皆さんのご家族は被害者を取り戻す、そして家族を取り戻す。
それで解決すると思うんですけども。
私たちにとって、解決とは一体なんなのだろうか?
父親は死んでいない。
母親は病死。
そして従兄弟の武志は、42年間経って子供・孫が出来て、北朝鮮に根を張ってもうどうすることも出来ない。
被害者を、私らは家族を帰せと声を大にして言えないんですね。

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第7回国民大集会(22)05.4.24 日比谷公会堂にて

『未帰還者家族によるパネルディスカッション 6』

「斉藤文代さん(松木薫さん長姉)のお話」
「飯塚繁雄さん(田口八重子さん長兄)のお話」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※司会 西岡力氏
北朝鮮は今、寺越さん以外の日本政府が認定してる被害者については、死んだと。
あるいは北朝鮮に入っていない、と言ってきたわけですけども。
おかしなことがたくさんあったわけですね。
横田さんについてのおかしなことはもうすでに皆さん知られていますけども。
実は横田さんの事だけじゃないんです。
遺骨が来たのは横田さんだけではなくて、松木薫さんの遺骨は2度も来たんです。(小さな笑い声 )
2002年の9月に遺骨が最初に来た時は喪服の準備もされたんですよね?
今それに付いてちょっとご説明いただけませんか?

☆斉藤文代さん(松木薫さんの長姉)

私のほうに政府の方からこうやって骨を持って帰りましたということを聞いたときには、「それは薫ではありません」と「受け取るわけには行きません」と言いましたけれども。
(東京医科歯科大学の)橋本先生が「ひとつだけ絶対にこれを証明できるものを持って帰ってきたから、なんとかそれを証明して見せますから、1ヶ月待ってください」と言うことで。

それが本当に薫のものであれば、私は本当に覚悟して「薫、お帰り」と言って、父の墓に入れてあげようとまで思ってたんですけども。
まぁ全然違う人の骨でしたので、もう2度目来た時には
「また同じやり方をしたのか?だまされないぞ」
と言う気持ちで、そんなことは全然びくともしませんでした。
最初はやっぱり本当にいろんな面で悩みました。

※司会 西岡力氏
それから交通事故の現場で作られた報告書って言うのも来てるんですよね?
(斉藤さんの声 「はい」)
それは今度は飯塚さんの方に。
松木さんの方も来てますけどふたつ来てるんですよね?
あの飯塚さん、それ見られましたけど、どんなものだったんですか?

☆飯塚繁雄さん(田口八重子さんの長兄)

普通、交通事故報告というのは、いつどこでどういう状態で、誰が加害者で誰が被害者か、誰が死んだ。
その人の名前がなければならないのに、肝心の誰が亡くなったという名前がないんですよね。
それで場所もですね。
いろいろ後で聞くと、こんな所で交通事故が起こる所ではない、というような。
原っぱのど真ん中。(笑い声)
そういうところで交通事故で亡くなったという報告書。
これは全く、じゃぁ、誰の報告書か分からないですよ。
こんなもの信用できるわけないですよね。

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2005年05月02日

第7回国民大集会(21)05.4.24 日比谷公会堂にて

『未帰還者ご家族によるパネルディスカッション 5』

「寺越昭男さん(寺越昭二さん長男・寺越武志さん従兄弟)のお話」
「北野政男さん(寺越昭二さん次男・寺越武志さん従兄弟)のお話」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※司会 西岡力氏
先ほど古川さんのご家族が話をされた時にですね。
日本の政府はあるいは調査機関は拉致は70年代の後半からあったんだと。
だから70年代初めの古川さんのケースはちょっと違うんじゃないか?とお話がありましたけれども。
実は家族会に入ってらっしゃいまして、特定失踪者調査会の対象ではなくて。
今家族会として一緒に活動していらっしゃる、拉致被害者の。
拉致事件が1963年に起きてるんです。
1963年に、石川県の海の磯のすぐ、100メートルくらいの所で操業していて3人の漁師がいなくなった、その寺越昭二さんの3人の息子さんが家族会に入って、ずっと今活動されています。
お父さんの思い出、何かあったらお話くださいませんか?

☆寺越昭雄さん(寺越昭二さん長男・寺越武志さん従兄弟)

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(拍手 )
こんにちは。
私たち兄弟3人にとって父の思い出というのは、まぁ42年経ったせいもあるし、本当に断片的な思い出しかないんですけども。
父は漁師ということで気が荒いと言う一面と、よく言えば外面が良いって言うんですかね?
で、まぁ特に女の人には良かったみたいで。(笑い声)
母も相当泣かされていたようです。

私にとっての記憶って言うのは。
遠洋漁業で東北へ行ったりそれから九州のほうへ行ったりして、一年の内に何ヶ月か出稼ぎの漁をしていたんで。
若い頃、まぁ、私らの小さいころですね。
その漁の帰りに土産と言うことでみかん箱一杯にするめを持って来てくれたり。
それからラジオ、当時真空管のラジオだったですけど、ラジオを買って来てくれたり。
そういうまぁやさしい面もありましたし。

ある一面、怒ったら丸いちゃぶ台ひっくり返す、そういうような一面もあったりして。
私は鮮明に今でもよく覚えてるんですけど、一握りの丸い丸太ン棒持って追っかけられた。
何を悪いことしたんか知らんけど追っかけられた、そういう思い出もあります。
最後に事件のちょっと前だったと思うんですけども、親父と二人で銭湯へ行ったというのが私の最後の記憶になりました。

母は横浜出身なんですけども。
戦後多分、私が25年生まれですから23年か24年頃だと思うんですけども。
父とどこで知り合ったんか知らんけれども・・・まぁ、何というか、あの、え〜、夜逃げじゃなかった、駆け落ちですか。
駆け落ちみたいにして石川県の方へ来て、父と生活するようになって。
苦労して、父も心臓病を患って出稼ぎの漁に出なくなって、叔父・外雄さんとふたりで漁をするという事になったんですけどね。
父も真面目になってくれたって喜んだ矢先の事故だったんですね。

それから母は私ら3人の小さい子供を育てるのに一生懸命苦労して。
2002年、丁度小泉訪朝の年にパーキンソン病を患って亡くなったんです。
私たちは父と母のためにもやっぱりこの問題、拉致問題を本当に解決したいと思っています。
どうもありがとうございます。(拍手)

※司会 西岡力氏
実はですね。
先ほど安倍晋三さんや中山参与の方からもお話がありましたけれども。
5人が帰ってきた時に日本政府は日本政府の意思で日本に残しましたよね?
本人たちは表向きは北に帰りたいと言ってたんですよね?
あるいはジェンキンスさんも小泉総理に会ったときには、日本に行きたくないと言ってましたよね?
北朝鮮の影響下にあるときは言論の自由が無いんですよ。
本音はしゃべれないと言うことを、私たちは目の前で見て経験しました。

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第7回国民大集会(20)05.4.24 日比谷公会堂にて

『未帰還者家族によるパネルディスカッション 4』


「横田早紀江さん(横田めぐみさん母)のお話」
「横田哲也さん(横田めぐみさん弟)のお話」

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※司会 西岡力氏
最近報道がありましたけれども、めぐみさんはお母さんから買ってもらった小さな爪切りを大切にしていた。
そして拓也さんと哲也さん、弟さん二人の名前を書いていたと、いう報道がありました。 
蓮池さんたちがそれを見ていて教えてくれたということですが。
早紀江さん、めぐみさんがいまどんな家族のことを思い出しているか?
どういう楽しい思い出を思い出しているか?
何かありますか?

☆横田早紀江さん(横田めぐみさんの母)

私たちはよく旅行をしました。
いろんな所に弟たちも連れて5人の家族の旅行を良くいたしましたので。
いろんな所で、海に行ったり貝殻を拾ったり。
そして岩をのけると小さな蟹が出てきた、そらあそこに何がいる、とキャアキャア言いながら、それを採ったりして騒いでいた時とか。

そしてもっとめぐみの小さい時は、お友達が皆下に小さい弟とか妹とかがいたんですね。
4歳ちょっとになるまで下に弟たちがいなかったもんで。
「みーちゃん」て自分のことを言ってたんですけど。
「みーちゃんの所にはどうして赤ちゃんがいないの?」
っていつも言われて。

そして幼稚園に通っている時にいつもバスで通ってまして。
その通園バスが丁度鹿島神社って言う所の前で止まって、そこで降りるんですけどお。
帰ってくるとそのままぱ〜っと走っていって、神社の中に駆け上がって。
そして神社の前に行って小さな手を合わせて
「神様、みーちゃんの所にも赤ちゃんを下さい。神様、みーちゃんの所にも赤ちゃんを下さい」(笑い声)
てもう必ず言ってたんですね。
近所のお母さんたちと一緒に噴出して笑ってたんですけども。
余りにもお祈りしすぎて、後に産まれてきたのが二人も(笑い声)赤ちゃんが産まれてきまして。
思いがけなく。

今度はそのことを日本銀行の(社宅の)大きな庭を大きな声で
「みーちゃんのところは、赤ちゃんが二人も来たんだよ〜!」
って物凄い大きな声で喜んで、はしゃぎまくって歩いてたよ、ということを良く聞きまして。
とても元気な明るい子供でしたので、爪切りと買っていうのもはっきりと覚えていないんですけども。
めぐみの誕生日に必ずそういう小さなものを。
キティちゃんのところで買ったりとかしながら。
小さい袋とかを必ずあげてたので、その中のひとつだと思いますが。

いろんなああいうさびしい所でどんなふうに耐えてきたのかなぁって。
向こうが出してくるようなうつ病で入院したとか、本当に私だったらとっくにどうかなっていたと思うほど、苦しかっただろうな、寂しかっただろうなと思いますので。
そういった小さなものを見ながらどんなにか泣いたんじゃないか?と思います。(拍手)

※司会 西岡力氏
お祈りして産まれたという双子の弟さんが来てらっしゃいますけども。
拓也さんか哲也さんか、どんなお姉さんだったか一言どうですか?

☆横田哲也さん(横田めぐみさん弟)

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(拍手)
弟の哲也でございます。
どこにでもある風景でありますけども、新潟にいるまえ広島にいたわけでありますが。
非常に明るく楽しく、一緒に通学、手をつないで学校に行った思い出もありますし。
当時新潟へ転勤・引越しをしたときにですね。
本にも書いてありますけども、当時私と兄の拓也が非常に仲が悪かったわけでありますけども。(笑い声)
私のほうがどちらかといえば非常に劣勢だったわけですが、(兄とケンカをすると)非常に私の味方をしてくれたのが姉だった。(笑い声)
いうことで明るく楽しく、しかも非常に優しい姉だったということでこの両親だけでなくて双子の我々も思っていてくれるだろうな、と思っておりますが。
一刻も早くこの家族5人で、この日本の平和な素晴らしい風景を味わいたいと思っています。(拍手)

・・・続く・・・

テキストアップのご連絡

長らくお待たせをしておりましたが準備中で未アップのままだった

第7回国民大集会(8)05.4.24 日比谷公会堂にて
『李星矣 朝鮮戦争拉致被害者家族協議会会長の挨拶 (通訳 西岡力氏)』

のテキストを先ほどアップしました。
以下のURLからどうぞ。
http://piron326.seesaa.net/article/3198602.html 

posted by ぴろん at 01:22| Comment(0) | TrackBack(0) | ご挨拶&お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月01日

第7回国民大集会(19)05.4.24 日比谷公会堂にて

『未帰還者家族によるパネルディスカッション 3』

「市川健一さん(市川修一さんの兄)のお話」
「飯塚耕一郎さん(田口八重子さんの長男)のお話」
「増元照明さんのお話」

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※司会 西岡力氏
市川修一さんの思い出を、市川健一さんお願いします。

☆市川健一さん(市川修一さんの兄)

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鹿児島から来ました修一の兄です。
私と修一とは9つ違うんですよね。
修一が生まれたときは私は小学校の3年生。
だから修一と余りにも歳が離れておりますもので、小学校の高学年・中学校になったとき、学校から帰ってくると。
うちは商売やっておりますもんで、修一を遊ばせてくれといつも言われるんですよ。
私は修一をおぶってね、よく遊びに行っておりました。

でも余りにも、私今は人口は少ないけどもその時は同級生が一歩(外に)出れば多かったもんですから。
いつも修一をおぶって、自分も一生懸命遊びたい。
そういう気持ちがあって
「修ちゃんちょっとここで待っとってよ、お兄ちゃん遊んでくるからね、ここ動いちゃ駄目だよ」
で、修一はず〜っとそれを守って、ひとりで遊んでおりましたよね。
今考えるとあぁ可哀想なことをしたな、と思っております。(笑い声)
修一はすごく両親を大事にして。
今は「両親は大丈夫かなぁ?」とそのように心配してるんじゃないかな?と思っております。
一刻も早く取り戻したいと思っております。
以上です。(拍手)

※司会 西岡力氏
田口八重子さんのご家族が並んでいるんですが。
田口八重子さんの長男の耕一郎さん、1歳だったんですね。
お母さんは耕一郎さんのことを覚えていると思いますけど。
でもお母さんと一緒の写真が出てきましたよね?
そのことをちょっとお話してくれませんか?

☆飯塚耕一郎さん(田口八重子さんの長男)

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(拍手)
あの丁度ここに今あるんですけども。
今西岡さんから昔のご家族の思い出を語ってくれと言われた時に、ちょっと私だけ寂しい思いをしました。
なぜなら私は1歳のときに母親が拉致をされて、私は田口八重子さんの記憶がないまま、27年の歳月が経ってしまいましたので。
「本当に誠に申し訳ない」
母に対して何もして上げられなくて、「誠に申し訳ない、本当にごめん」って思うんですよね。

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第7回国民大集会(18)05.4.24 日比谷公会堂にて

『未帰還者家族によるパネルディスカッション 2』


「斉藤文代さん(松木薫さんの長姉)のお話」
「増元照明さん(増元るみ子さんの弟)のお話」

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※司会 西岡力氏
同じよど号グループで、3人で一緒に暮らしているという手紙が来た松木薫さんのお姉さんの斉藤さんにも。
今、薫さんが北朝鮮で思い出しているだろうな?と言う思い出は何かありますか?

☆斉藤文代さん(松木薫さんの長姉)

この間第3回実務者協議のときにですね。
薫が北朝鮮で、母があの、たくさんカレーライスを作ってあげてたんでしょうね。
たくさん私たちも食べましたけれども、その思い出があったと思うんですけれど。
北朝鮮で皆さんお世話になった方に
「今日は僕がカレーライスを作って上げます」
といって、作って何度か食べさせていただきました、と言う話をされたと。

言うことを聞いたときに、ああ本当に薫はいつもいつも優しい子だったのに、向こうに行ってもお母さんのことを忘れないで。
いつもいつもそんなしてお父さんお母さんのことを忘れないで。
そんなして日本のことを帰りたくって、辛抱して。
なんとかして日本へ帰ってこなきゃいけないという気持ちと我慢強さと言うのを、本当にかわいそうだな、と思いました。

先月の18日ですかね、母が吐血いたしまして。
救急車で運ばれて。
本当にこれでもう今度は駄目なのかと私思いましたけども。
やはり母は強いんですね。
やっぱりどこの父母って強いなぁと私思いました。
胃がですね。
先生に見せていただいたんですけど。
胃カメラ通した所を見せていただいたんですけど、もうボロボロになってるんです。

それでもいつも病床で、ベッドで思うは薫のことばかり、毎日毎日思ってて。
会いたい、会いたいという気持ちが毎日あったのか?と思うと可哀想で可哀想で。
本・当・に・拉致された家族の皆さんが本・当・に・同じような苦しみを味わっているのかな?と思ったら、お母さんになんとしてでも会わせて上げなきゃと思ってですね。(拍手)
私も一生懸命今看病しております。

母の苦しみは母だけで納めておきたいな、って。
皆さん他の方にはこんなに苦しい思いをさせたくないなと言うことを顔を見るたびにいつも思います。
私が涙を流すと母も泣きますのでなるべく泣かないように務めてるんですけど。
私も泣き虫ですから、外に行ってずっと泣いては帰ってくるんですけど。
やっぱり見破られます。
娘が泣いてるんだなというのは分かるんですね。

こんなことが皆苦しんでらっしゃるのかと思うと、家族会の方たち、皆歳を召して来てますので。
こんな苦しい思いは母だけで十分だといつもいつも思っておりますので、何とか皆様助けてください。(拍手)
生きてるうちに帰ってこられますように、よろしくお願いいたします。(拍手)

※司会 西岡力氏
何回かまわそうと思いますから、一回はなるべく短めに、(笑い声)全部話さなくても大丈夫ですから。
次は増元るみ子さんの弟さんの照明さんで。
今日は新事務局長ではなくて。
るみ姉と呼んでたそうですが、増元さんとしてお願いします。

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第7回国民大集会(17)05.4.24 日比谷公会堂にて

第7回国民大集会 第2部

『未帰還者家族によるパネルディスカッション 1』

「曽我ひとみさんからのメッセージ紹介」
「有本嘉代子さん(有本恵子さんの母)のお話」

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※司会 西岡力氏
第二部はですね、まだ帰って来ていない「家族会」の家族の方たちに、今までは家族会の役員として色んな発言をされてきましたけれども、今日は「家族会」の役員という衣を脱いでいただいて、「拉致被害者の家族」として、今北朝鮮で待っている自分の家族のことをどう思っているのか?という話をじっくりしていただきたいと思って企画いたしました。座って話をさせていただきます。

最初にですね、実は先ほど帰って来た5人のメッセージと言いながら「4人分」しかなかったですよね?曽我ひとみさんからもメッセージが来ておりますが、第一部ではなくて第二部で紹介させていただきます。

と言うのは、曽我さんは「家族会」に入っていらっしゃっていて、「お母さんの救出を今日訴えたい」というメッセージだったからです。まずそれをご紹介させていただいて、このパネルディスカッションを始めたいと思います。

☆曽我ひとみさんからのメッセージ紹介

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国民大集会にお集まりいただきました皆さま、こんにちは。今日この席に出席することができず、心より深くお詫び致します。

母と別れてから27年の年月が過ぎてしまいました。今年の2月には父をガンで亡くしました。今でも「母に一目会いたい」と強く願いながら、母の姿を追って天国に旅立ってしまった父。もうすぐ母は帰って来て、みんな一緒に暮らせるととても喜んでいた父の顔が、今でも頭の中から離れません。

母は春になると鍬で畑を耕していた、夏には私と妹のために、学校に持って行く薬草集めを汗だくになって手伝ってくれていた姿、秋には風呂の焚き付けにする枯れた松の葉を集めていた姿、寒い冬、家の中でざるを一つ一つきれいに作っていた姿、今さらのように、見るもの・聞くものみんなが母の姿に思えてなりません。

一日も早く母に会いたくて、いてもたってもいられません。しかしもう母も73歳になってしまいました。ただただ「元気でいてほしい」「一日も早く佐渡に帰って来てほしい」、今私はその気持ちでいっぱいです。

そして被害者の方々は、今この時間も北朝鮮で「日本にいつ帰れるんだろうか?お父さん、お母さん、兄弟、姉妹に会いたい!!」と指折り数えて待っています。くじけそうになると、きっと日本で楽しく暮らしていた時のことを思い出し、また、日本に帰って楽しく暮らすことができると思い、一日一日を一生懸命に生きていると思います。

しかしもう時間がありません。家族の皆さんは高齢になっています。私も24年間北朝鮮にいたので、被害者の方々の気持ちは痛いほどわかります。今、私の立場を考えますと申し訳ない気持ちでいっぱいです。被害者の方々が、全員揃って元気でタラップから降りてくる日を、毎日毎日祈る気持ちで待ちわびています。

「拉致」は絶対にあってはならず、許しがたいことです!!これからも国民の皆さま方には、この問題の解決のためにお力をお借りしたいと思います。何卒よろしくお願い致します。今日は本当にありがとうございました。

平成17年4月24日、曽我ひとみ。(大拍手)

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