2005年05月01日

第7回国民大集会(19)05.4.24 日比谷公会堂にて

『未帰還者家族によるパネルディスカッション 3』

「市川健一さん(市川修一さんの兄)のお話」
「飯塚耕一郎さん(田口八重子さんの長男)のお話」
「増元照明さんのお話」

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※司会 西岡力氏
市川修一さんの思い出を、市川健一さんお願いします。

☆市川健一さん(市川修一さんの兄)

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鹿児島から来ました修一の兄です。
私と修一とは9つ違うんですよね。
修一が生まれたときは私は小学校の3年生。
だから修一と余りにも歳が離れておりますもので、小学校の高学年・中学校になったとき、学校から帰ってくると。
うちは商売やっておりますもんで、修一を遊ばせてくれといつも言われるんですよ。
私は修一をおぶってね、よく遊びに行っておりました。

でも余りにも、私今は人口は少ないけどもその時は同級生が一歩(外に)出れば多かったもんですから。
いつも修一をおぶって、自分も一生懸命遊びたい。
そういう気持ちがあって
「修ちゃんちょっとここで待っとってよ、お兄ちゃん遊んでくるからね、ここ動いちゃ駄目だよ」
で、修一はず〜っとそれを守って、ひとりで遊んでおりましたよね。
今考えるとあぁ可哀想なことをしたな、と思っております。(笑い声)
修一はすごく両親を大事にして。
今は「両親は大丈夫かなぁ?」とそのように心配してるんじゃないかな?と思っております。
一刻も早く取り戻したいと思っております。
以上です。(拍手)

※司会 西岡力氏
田口八重子さんのご家族が並んでいるんですが。
田口八重子さんの長男の耕一郎さん、1歳だったんですね。
お母さんは耕一郎さんのことを覚えていると思いますけど。
でもお母さんと一緒の写真が出てきましたよね?
そのことをちょっとお話してくれませんか?

☆飯塚耕一郎さん(田口八重子さんの長男)

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(拍手)
あの丁度ここに今あるんですけども。
今西岡さんから昔のご家族の思い出を語ってくれと言われた時に、ちょっと私だけ寂しい思いをしました。
なぜなら私は1歳のときに母親が拉致をされて、私は田口八重子さんの記憶がないまま、27年の歳月が経ってしまいましたので。
「本当に誠に申し訳ない」
母に対して何もして上げられなくて、「誠に申し訳ない、本当にごめん」って思うんですよね。

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第7回国民大集会(18)05.4.24 日比谷公会堂にて

『未帰還者家族によるパネルディスカッション 2』


「斉藤文代さん(松木薫さんの長姉)のお話」
「増元照明さん(増元るみ子さんの弟)のお話」

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※司会 西岡力氏
同じよど号グループで、3人で一緒に暮らしているという手紙が来た松木薫さんのお姉さんの斉藤さんにも。
今、薫さんが北朝鮮で思い出しているだろうな?と言う思い出は何かありますか?

☆斉藤文代さん(松木薫さんの長姉)

この間第3回実務者協議のときにですね。
薫が北朝鮮で、母があの、たくさんカレーライスを作ってあげてたんでしょうね。
たくさん私たちも食べましたけれども、その思い出があったと思うんですけれど。
北朝鮮で皆さんお世話になった方に
「今日は僕がカレーライスを作って上げます」
といって、作って何度か食べさせていただきました、と言う話をされたと。

言うことを聞いたときに、ああ本当に薫はいつもいつも優しい子だったのに、向こうに行ってもお母さんのことを忘れないで。
いつもいつもそんなしてお父さんお母さんのことを忘れないで。
そんなして日本のことを帰りたくって、辛抱して。
なんとかして日本へ帰ってこなきゃいけないという気持ちと我慢強さと言うのを、本当にかわいそうだな、と思いました。

先月の18日ですかね、母が吐血いたしまして。
救急車で運ばれて。
本当にこれでもう今度は駄目なのかと私思いましたけども。
やはり母は強いんですね。
やっぱりどこの父母って強いなぁと私思いました。
胃がですね。
先生に見せていただいたんですけど。
胃カメラ通した所を見せていただいたんですけど、もうボロボロになってるんです。

それでもいつも病床で、ベッドで思うは薫のことばかり、毎日毎日思ってて。
会いたい、会いたいという気持ちが毎日あったのか?と思うと可哀想で可哀想で。
本・当・に・拉致された家族の皆さんが本・当・に・同じような苦しみを味わっているのかな?と思ったら、お母さんになんとしてでも会わせて上げなきゃと思ってですね。(拍手)
私も一生懸命今看病しております。

母の苦しみは母だけで納めておきたいな、って。
皆さん他の方にはこんなに苦しい思いをさせたくないなと言うことを顔を見るたびにいつも思います。
私が涙を流すと母も泣きますのでなるべく泣かないように務めてるんですけど。
私も泣き虫ですから、外に行ってずっと泣いては帰ってくるんですけど。
やっぱり見破られます。
娘が泣いてるんだなというのは分かるんですね。

こんなことが皆苦しんでらっしゃるのかと思うと、家族会の方たち、皆歳を召して来てますので。
こんな苦しい思いは母だけで十分だといつもいつも思っておりますので、何とか皆様助けてください。(拍手)
生きてるうちに帰ってこられますように、よろしくお願いいたします。(拍手)

※司会 西岡力氏
何回かまわそうと思いますから、一回はなるべく短めに、(笑い声)全部話さなくても大丈夫ですから。
次は増元るみ子さんの弟さんの照明さんで。
今日は新事務局長ではなくて。
るみ姉と呼んでたそうですが、増元さんとしてお願いします。

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第7回国民大集会(17)05.4.24 日比谷公会堂にて

第7回国民大集会 第2部

『未帰還者家族によるパネルディスカッション 1』

「曽我ひとみさんからのメッセージ紹介」
「有本嘉代子さん(有本恵子さんの母)のお話」

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※司会 西岡力氏
第二部はですね、まだ帰って来ていない「家族会」の家族の方たちに、今までは家族会の役員として色んな発言をされてきましたけれども、今日は「家族会」の役員という衣を脱いでいただいて、「拉致被害者の家族」として、今北朝鮮で待っている自分の家族のことをどう思っているのか?という話をじっくりしていただきたいと思って企画いたしました。座って話をさせていただきます。

最初にですね、実は先ほど帰って来た5人のメッセージと言いながら「4人分」しかなかったですよね?曽我ひとみさんからもメッセージが来ておりますが、第一部ではなくて第二部で紹介させていただきます。

と言うのは、曽我さんは「家族会」に入っていらっしゃっていて、「お母さんの救出を今日訴えたい」というメッセージだったからです。まずそれをご紹介させていただいて、このパネルディスカッションを始めたいと思います。

☆曽我ひとみさんからのメッセージ紹介

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国民大集会にお集まりいただきました皆さま、こんにちは。今日この席に出席することができず、心より深くお詫び致します。

母と別れてから27年の年月が過ぎてしまいました。今年の2月には父をガンで亡くしました。今でも「母に一目会いたい」と強く願いながら、母の姿を追って天国に旅立ってしまった父。もうすぐ母は帰って来て、みんな一緒に暮らせるととても喜んでいた父の顔が、今でも頭の中から離れません。

母は春になると鍬で畑を耕していた、夏には私と妹のために、学校に持って行く薬草集めを汗だくになって手伝ってくれていた姿、秋には風呂の焚き付けにする枯れた松の葉を集めていた姿、寒い冬、家の中でざるを一つ一つきれいに作っていた姿、今さらのように、見るもの・聞くものみんなが母の姿に思えてなりません。

一日も早く母に会いたくて、いてもたってもいられません。しかしもう母も73歳になってしまいました。ただただ「元気でいてほしい」「一日も早く佐渡に帰って来てほしい」、今私はその気持ちでいっぱいです。

そして被害者の方々は、今この時間も北朝鮮で「日本にいつ帰れるんだろうか?お父さん、お母さん、兄弟、姉妹に会いたい!!」と指折り数えて待っています。くじけそうになると、きっと日本で楽しく暮らしていた時のことを思い出し、また、日本に帰って楽しく暮らすことができると思い、一日一日を一生懸命に生きていると思います。

しかしもう時間がありません。家族の皆さんは高齢になっています。私も24年間北朝鮮にいたので、被害者の方々の気持ちは痛いほどわかります。今、私の立場を考えますと申し訳ない気持ちでいっぱいです。被害者の方々が、全員揃って元気でタラップから降りてくる日を、毎日毎日祈る気持ちで待ちわびています。

「拉致」は絶対にあってはならず、許しがたいことです!!これからも国民の皆さま方には、この問題の解決のためにお力をお借りしたいと思います。何卒よろしくお願い致します。今日は本当にありがとうございました。

平成17年4月24日、曽我ひとみ。(大拍手)

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