2005年05月03日

第7回国民大集会(25)05.4.24 日比谷公会堂にて

『未帰還者ご家族によるパネルディスカッション 9』

「増元照明さん(増元るみ子さん弟)のお話」
「斉藤文代さん(松木薫さん長姉)のお話」
「有本明弘さん(有本恵子さん父)のお話」
「有本嘉代子さん(有本恵子さん母)のお話」

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☆増元照明さん(増元るみ子さん弟)



私も飯塚さんと同じで、まず姉に会ったら謝らなければならない。
30年近くも・・・(涙を流しながら語る)
取り戻していないと言うことが非常に残念です。
もう30年という年月を取り戻すことは出来ない。
でも姉が30年前私にくれた時計、今非常に私大事にしておりまして。
この時計の動きを止めることは出来ないし。
今でも動いていると言うことを彼女に教えてあげたい。
そしてこれからもずっとその時計は・・・持ち続けていくということ・・・(涙で言葉にならず、声を詰まらせる)
父が死んで、あんなに可愛がっていた姉ですから、必ず北朝鮮で姉の身を・・・(再び声が詰まる 「頑張って!増元さん!」の声)・・・守ってると思います。
以上です。

※司会 西岡力氏
松木さんに一言何か。

☆斉藤文代さん(松木薫さん長姉)

薫に元気でいて頂戴ということと。
あの、まぁ、母の言葉として
「お母さんも頑張るから(涙で声を詰まらせる)帰ってらっしゃい」
と言うことを・・・(拍手)

※司会 西岡力氏
では有本さん、お父さん、恵子さんに一言。

☆有本明弘さん(有本恵子さん父)

え〜、ちょっとその話はもう、子供のことは家内の話で十分やと思う。
なぁ、私はここに先生方おられた。
その時に言いたかったことあるのよ。(大きな拍手)
思うとおり言うて来た。

(西岡氏の声 「短めにおねがいします」)
えっ?
(西岡氏の声少し笑いながら 「短めにお願いします」)
言いたい事言えないじゃない。(笑い声 大きな拍手)
と言うわけで簡単にお話します。

このタイトルですね。
これは決断を求めると言うタイトルになってるんです、今日はね。
これのタイトルを決めるときに私は、決断じゃなくて糾弾をする国民集会。(拍手 「そうだ!」などの声)
これの方がいいんじゃないか?と、これが私の意見。(拍手 「そうだ!」などの声)

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第7回国民大集会(24)05.4.24 日比谷公会堂にて

『未帰還者家族によるパネルディスカッション 8』

「飯塚繁雄さん(田口八重子さんの長兄)のお話」
「市川龍子さん(市川修一さん義姉)のお話」

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☆飯塚繁雄さん(田口八重子さんの長兄)

私の妹八重子も、そこに写真がありますけども。
(隣の耕一郎さんを見て)こいつが1歳の時に持ってかれちゃったもんですから。
相当慌てたんですが。
うちはきょうだいが7人おりまして、私が一番上。
連れて行かれた八重子が一番下で、年齢差が17もあるんですよね。

従って育ち盛りに何か話したとか面倒見たとかっていう記憶はあまりないんです。
むしろ親父の方が一番末っ子なんで可愛がってたと。
向こうへ行って見る夢は、親父の夢だっていう、金賢姫の本に書いてありました。
突然がばって夜中に起きて、親父の幻想が出たとかね、そういう話も聞きますし。

むこうで結婚の話も出てますけども彼女はどっちかと言うと気が強いほうで。
その気の強さが良し悪しあったんですけども、
結婚して子供が出来た時もですね。
女手ひとつで育てる羽目になったんですが、「絶対私が育てる」と。
こういうふうに頑張ってまして、私もそれに対しては少し様子を見ようと言う事でいたんですが、間も無く連れて行かれちゃった。

先ほどの結婚の話もあったんですけども、例えば、原さんには悪いんですけども、原さんと結婚したというのは全く考えられない事実ですね。
北朝鮮はやたら結婚させるのが何か好きらしくて、(笑い声)誰かといつもくっつけるんですね。
見合いをしろという命令が下って。
じゃあお願いだから見合いをする前に下見をさせてくれと。
要するにどんな人かね、扉の影で一回見たいと。

で、ある人が入って来て、やっぱり例えば原さんの年齢の男の人らしいんですけど、一見して嫌だって逃げ出しちゃった。
いうふうな話も聞いてますし。
それよりも何よりも、日本に残した小さい子がいると。
早く帰って会いたい、面倒見たい。
本当に子供だから困ってるんじゃないか?
それがもう頭が一杯で、とにかく自分がまた違う人と結婚してどうのこうのというのはまず考えられないし。

そういう意味では昼間はすごく気を強く保って、北の言うことを聞いてなるべく優等生的な態度を見せる。
これはもう例えば、帰ってこられた富貴恵さんなんかも皆話をしてですね。
とにかく田舎の収容所に入れられないように昼間は頑張ろうと、いう誓いもしてきたようですけど。
そういうなかで夜になると故郷を思い出して、今子供は何歳になったかしら?と。
もう何年経ったかな?と。
そういう話がつい出るようなんですけどね。

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第7回国民大集会(23)05.4.24 日比谷公会堂にて

『未帰還者家族によるパネルディスカッション 7』

「横田拓也さん(横田めぐみさん弟)のお話」
「寺越昭男さん(寺越昭二さん長男・寺越武志さん従兄弟)のお話」
「横田早紀江さん(横田めぐみさん母)のお話」
「横田滋さん(横田めぐみさん父)のお話」

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※司会 西岡力氏
時間も押してますので一家族一人づつ、家族の人たちに今声をかけてあげるとすればしたら何を言いたいのか?
と言うことを言っていただきたいと思いますが。
ちょっと先ほど楽屋で打ち合わせありまして、横田拓也さんから一言皆さんに訴えたいことがあると仰ったので、そのことをしてもらってから一家族一言ずつお願いします。

☆横田拓也さん(横田めぐみさん弟)

誠に勝手を申し上げて申し訳ございません。
実はですね、私どもの所に複数のルートからですね。
同じような情報がありまして。
私ども家族としてはとても心配、そして懸念をしておりますので。
皆様にお話しを申し上げますと共に、そういう不穏な動きをどうか私たち国民の意思として力を持って阻止していただけますようにと思いまして、勝手ながらお時間いただいた次第でございます。

実は前からこの拉致問題のシンボル的な横田家の切り崩しのために、いろんな画策・工作があったわけであります。
代表的な最近の事例で言うと偽遺骨の問題があったわけであります。
ここに来まして、またと言うことなんですが。
めぐみの子供の、キム・へギョンさんを訪日をさせてはどうか?と言うことがですね。
どうも首相官邸の周辺でですね。
計画・画策されていると言ったような情報を、複数のルートから私共は聞いています。

まぁ父は、親に対してこういう言い方は失礼だと思うんですが。
情の世界で大変優しいといいますか、悪い言葉使うともろい人間でありますから。(笑い声)
孫に会いたいのは父ならずとも親としては当然なんです。
ここをまたですね。
偽遺骨の次に狙って来ている話であります。

私たちは支援室、当時の支援室・小熊室長を経由して日本政府に対して。
へギョンちゃんを、家族分断をする形で訪日要請をして欲しくないと、これまでも訴えております。(拍手 )
私たちが求めているのはめぐみをはじめとする家族帯同・全員の帰国をお願いしてるわけですが。(大きな拍手 「そうだ!」などの声)
優しい父には申し訳ありませんけども、本当にですね、ここは日本政府も安易な妥協をせずにですね。
全員の帰国を強く求めていくような強い姿勢でいっていただきたいと思います。(大きな拍手)
皆さんお願いいたします。(大きな拍手)

※司会 西岡力氏
それでは今度は寺越さんの方からですね。
まぁ、もう天国にいらっしゃてると思いますが、お父さんに一言ということで何かお願いします。
それからずっとご家族ひとりずつ、今北朝鮮で待ってるご家族に一言ずつ訴えてください。

☆寺越昭雄さん(寺越昭二さんの長男・寺越武志さんの従兄弟)

あの、今私たちは本当に特別な感じになってしまったなぁと思ってるんですけども。
他の皆さんのご家族は被害者を取り戻す、そして家族を取り戻す。
それで解決すると思うんですけども。
私たちにとって、解決とは一体なんなのだろうか?
父親は死んでいない。
母親は病死。
そして従兄弟の武志は、42年間経って子供・孫が出来て、北朝鮮に根を張ってもうどうすることも出来ない。
被害者を、私らは家族を帰せと声を大にして言えないんですね。

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第7回国民大集会(22)05.4.24 日比谷公会堂にて

『未帰還者家族によるパネルディスカッション 6』

「斉藤文代さん(松木薫さん長姉)のお話」
「飯塚繁雄さん(田口八重子さん長兄)のお話」

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※司会 西岡力氏
北朝鮮は今、寺越さん以外の日本政府が認定してる被害者については、死んだと。
あるいは北朝鮮に入っていない、と言ってきたわけですけども。
おかしなことがたくさんあったわけですね。
横田さんについてのおかしなことはもうすでに皆さん知られていますけども。
実は横田さんの事だけじゃないんです。
遺骨が来たのは横田さんだけではなくて、松木薫さんの遺骨は2度も来たんです。(小さな笑い声 )
2002年の9月に遺骨が最初に来た時は喪服の準備もされたんですよね?
今それに付いてちょっとご説明いただけませんか?

☆斉藤文代さん(松木薫さんの長姉)

私のほうに政府の方からこうやって骨を持って帰りましたということを聞いたときには、「それは薫ではありません」と「受け取るわけには行きません」と言いましたけれども。
(東京医科歯科大学の)橋本先生が「ひとつだけ絶対にこれを証明できるものを持って帰ってきたから、なんとかそれを証明して見せますから、1ヶ月待ってください」と言うことで。

それが本当に薫のものであれば、私は本当に覚悟して「薫、お帰り」と言って、父の墓に入れてあげようとまで思ってたんですけども。
まぁ全然違う人の骨でしたので、もう2度目来た時には
「また同じやり方をしたのか?だまされないぞ」
と言う気持ちで、そんなことは全然びくともしませんでした。
最初はやっぱり本当にいろんな面で悩みました。

※司会 西岡力氏
それから交通事故の現場で作られた報告書って言うのも来てるんですよね?
(斉藤さんの声 「はい」)
それは今度は飯塚さんの方に。
松木さんの方も来てますけどふたつ来てるんですよね?
あの飯塚さん、それ見られましたけど、どんなものだったんですか?

☆飯塚繁雄さん(田口八重子さんの長兄)

普通、交通事故報告というのは、いつどこでどういう状態で、誰が加害者で誰が被害者か、誰が死んだ。
その人の名前がなければならないのに、肝心の誰が亡くなったという名前がないんですよね。
それで場所もですね。
いろいろ後で聞くと、こんな所で交通事故が起こる所ではない、というような。
原っぱのど真ん中。(笑い声)
そういうところで交通事故で亡くなったという報告書。
これは全く、じゃぁ、誰の報告書か分からないですよ。
こんなもの信用できるわけないですよね。

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