2005年05月11日

市川修一さんを救うぞ!東京集会(6)05.3.10 友愛会館にて

『横田早紀江さんのお話』

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こんばんは。(拍手)
いつもご支援ありがとうございます
特になにかお話と言われてもあれなんですが、今日は市川さんのお話をお聞きしまして。
特にお母様の着物の話を聞きまして。
本当にもうどんな思いでその着物を抱きしめていらしただろうなぁと、涙があふれてなりませんでした。

私もやはりそのような時代の者ですから、もう母はおりませんけれども。
今日見せてくださいましたような着物を、就職しました時とか、そのつどやはり母に反物を買ってプレゼントしたことを思い出しながら。
本当に親子の思いというのは、どこでも同じなんだなぁという思いで聞かせていただきました。
本当に早くお母様が元気な間にその思い出の着物をね、着て。
そして修一さんが「あぁ僕の贈った着物を、お母さん忘れないで着てくれたんだ」と思って。
タラップの上から降りてきてお母さんと抱き合われる日が本当に早く。

こんなに長いこと待たされることは許せないことなんです。
考えてみてもね。
いつまでも、いつまでも、いつまでも家族がね。
こんな風に全国駆け巡って皆さんにお話しすることも大事なんですけど。
「もういいですよ」と。
「私たちが責任ですから」
「国を負う者がやるんですから」って、本当に言っていただきたいと思うんです。
政府の方には率先して、何も言わなくても一生懸命に本気で取り返す算段をやっていただきたいと思っています。

私たちはまだまだ元気でがんばれますので一生懸命にまたお話させていただきますけども。
本当にどうか皆様方の目を政府に向けて。
間違った外交をしていないか、どんな思いをしてやっているのかと言うことをしっかりと見ていただいて。
また誉めていただいて、見守っていただきたいと思っております。
どうぞよろしくお願いします。(拍手)


市川修一さんを救うぞ!東京集会(5)05.3.10 友愛会館にて

『横田滋家族会代表のお話』

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こんばんは。
横田でございます。(「こんばんは」の声 拍手)
今日は皆さんのところに資料としてふたつ。
総理大臣のところに申し入れをしました。
全会の運動方針に基づく要請と、「人権教育・啓発における日本人拉致問題への積極的関与について」これを今日は救う会の平田さん西岡さん、それと家族会の代表4人が行ってまいりました。
これは小泉総理大臣に対する要請を内閣府の家族支援室の大熊室長に提出して。
それを総理大臣の方に提出していただくことになったわけで。

特にそこで大熊室長に「ハイ分かりました、こうやります」と回答が出るような問題ではありませんが、「皆さんの気持ちはきちんと伝えます」とおっしゃってくださいました。
先般、家族会・救う会それから拉致議連の合同の協議会を開きまして、当面の運動方針を決めたわけです。
例えば4月24日に国民大集会を開くって事は、小泉総理を申し入れることではありませんので、その他の事について申し入れを行いました。

もうひとつが人権問題というのは政府が平成14年に「人権教育啓発に関する基本計画」っていうんで閣議了承したのがありますが。
外国人に対するいろんな差別をしてはいけない、同和教育であるとかいろんな問題が出ておりますが、拉致問題についてはそれが出てません。
14年の段階では当然国会で取り上げられた後ですので、まだ金正日が拉致を認めた段階ではありませんけども。
それこそどんな国内にあります人権侵害といったようなことが並べられてるわけですが。
拉致の問題については何も述べられてませんので、それを入れて欲しいと言うことをお願いしました。

そうしますと学校教育とか、各地の教育委員会が講演会を開く時でも拉致についても加えて欲しいって事を申し入れることが出来ますので。
これが入りますと、学校教育なんかでも拉致問題が広く取り入れられることになると思います。
そしてこの後、増元さんからお話があると思いますが。
今日の参議院の内閣の委員会でこのことについて質問があったときに、官房長官が一般的には曖昧な答えが多かったらしいんですけど、このことについては前向きな答弁をなさったようです。

また最近では家族会・救う会で鳥取県の境港で集会を開きました。
保険をかけてない100トン以上の船は入港できなくなるのが3月1日からでしたが、その直前の27日に境港に行きました。
こちらは人口が2万5千くらいの小さな町で、その中で水産加工業なんかに携わっている方が1100人くらいですから相当影響が大きいわけです。
これはあくまでも経済制裁ではなくて、そうした船が日立でチルソン号が座礁したようなかたちで事故を起こした場合の保障を求めると言うことが、本当に誰でも保険をかけてない船を入れないということで。
経済制裁ではありませんけども。

実際には北朝鮮が2・5%くらいしか加入してませんで、実質的には経済制裁に近い形になりますが。
地元の方にはやはり迷惑な話って言いますか、生活に関わってくるわけです。
しかしそういうところであるにも関わらず市長をはじめたくさんの方が拉致を解決するためには我慢をしなければならないと言う形で支持をしてくださって、我々としましても非常にありがたいことだと思いますし。
直接関係ないところではなおさら強く支持していただけるのではないか?と心強く感じております。
最近の動きをご報告申し上げました。(拍手)

市川修一さんを救うぞ!東京集会(4)05.3.10 友愛会館にて

『西岡力副会長のお話』

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最初は79年の4月20日に結婚して、そして9月4日に海水浴で死んだと言ってたわけです。
市川さんについて言うとですね。
ところが昨年の11月に79年の7月20に結婚して9月4日に死んだと今は言っているわけなんです。
しかし、結婚相手のるみ子さんと祐木子さんは79年の10月まで一緒にいたと言っている。
結婚できないんですよね。(笑い声)
しかし自筆のサインがついてる結婚申請書があるんですよね。
自分でサインしたことになってるわけなんですね、二人がね。
それは全部デタラメだということ、なんですよね。

で、少しおかしいといわれたんで直してきたけども、やっぱりるみ子さんだけを直すわけにはいかなくて、市川さんのを隠してた・・・困ったんでしょうね、やっぱりね。
10月まで、10月の後半に結婚したとすると、11月に海水浴に行かなきゃいけない。(笑い声)
それにいくらなんでも気付かなかったのか?
ちょっと困るということになっちゃったんですね。

実は今日ですね、安明進さんが来ることになってたんですけども、ソウルでちょっと用事が出来て今日までにこちらに来れないと昨日電話がかかってきました。
残念なんですが。
実は彼から安さんからですね、市川さんについて詳しく聞き取りを私しておりまして。
それを本当はここで彼に話してもらおうと思っていたんですけど。
まずそのお話、報告からさせていただきたいと思います。

安さんは、ご承知のとおり1987年の3月に金正日政治軍事大学に入ったんですね。
その年の11月に大韓機爆発事件が起きて。
そして学校の中で金賢姫は我々の先輩だという噂が出て。
日本人に化けてたらしいと。
拉致された日本人が先生らしいという噂が駆け巡って、日本人に対する関心が高まるわけなんですね。

一方88年(87年の言い間違い?)の3月、安さんが入学した時にですね。
安さんよりも先輩の工作員たち。
特に、安さんは25期生なんですけども、11期生。
清津連絡所で実際に拉致をやっていた先輩の工作員たちが、「再教育を受けろ」という命令があって政治軍事大学に再入学するわけです。
昔は教育期間が2年ぐらいだったんですね。
安さんは6年コースなんです。

政治軍事大学もだんだんコースが長くなってきて、金正日は工作員教育を重視してたんですね。
現役の工作員だけれども教育期間が足りない、2年しか受けてないから。
もう一度学校に戻って再教育をしろ、と言われて。
それが実はめぐみさんを拉致したチョンという教官が、その再教育組だったわけです。

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