2005年05月30日

座り込みに関して

今日はレスをかねて、先日のエントリーで説明不足だったところ・言葉足らずだったところを、少し補足しようと思います。
今日初めて当Blogをご訪問の方は、まず27日29日のエントリーとそこに寄せられたコメントに目を通してから、本日の記事をお読みくださるよう、お願いいたします。


まず、はじめに申し上げたいのは、座り込みは現段階で決定事項ではないということです。
ご家族の方は座り込み決行と言う方向で話はまとまったとも聞きますが、それはまだあくまでも3役だけの話で、メンバー全員の総意はまだ決定してはいないようです。
救う会の方はまだ幹事会も開かれてはおらず、こちらも会としての総意はまだ決定してはいないと聞いています。
予定は未定で決定ではない・・・これが現時点での座り込み策の現状です。
正式発表もされていません。
座り込みが決定事項で無い今、異論・反論・慎重論を含め、様々な意見が出るのはむしろ健全なことではないのでしょうか?
支援者が10人いれば10通りの、100人いれば100通りの意見があるのが民主主義です。

『座り込み反対=反救う会』
などと、一方的に決めつけるような物言いは率直に申し上げていかがな物か?と。
そういう論調を言い出したら家族会も救う会も、どこかの国の独裁者と同じです。
少しばかり視野の狭さを感じざるを得ません。
そんな狭義な団体・活動が、どうして一般国民の支持を広く得られるというのでしょう?
支援者はコアな人だけ残ればいい、後は野となれ山となれというものではないでしょう。
支援意欲の濃い・薄い、主義主張の左右を問わず、広く支持を取り付けて国民運動にしていかねばならぬと存じます。
支援の輪が広がらなければ、結局困るのは当のご家族なのですから。

さて、座り込みは数ある策の中でも一番とるべきではない愚策だと、私は思っています。
まず何より高齢のご家族には体力的な負担が大きすぎます。
負担が大きすぎると言う点だけを考えても、十二分に愚策です。
どうしても座り込みに打って出るなら、それなりの勝算が得られるときに最終手段として行使するべきだと考えています。
しかし、コメント欄には以前コメ支援反対の座り込みをしたことがあるのだから、今回の座り込みも後が無いと言うのは当たらないというご意見も頂戴しました。

でも、これは私のほうが答えを教えていただきたいですね。
座り込み以上にインパクトのある策を私は思いつきません。
インパクトのある策だから、切羽詰った今こそ実行すべし、と賛成派の皆さんはお考えなのでしょう?
その最終策を実行するならば、それなりに大きな結果を勝ち取るという勝算があるべきです。
でも残念ながらそれだけの勝算があるとは思えない。
座り込み賛成派も反対派も、これで小泉が動くまいと言う点では、意見が一致しています。
では、家族会・救う会はいったい何を勝算ラインとするのか?
世論の喚起が勝算ラインだとしたらそれは余りにも貰いが少ない。

世論喚起が目的の座り込みなら、どんなに崇高な理念の下に座り込みしても、結局は自分たちの気休めレベルという事になりはしませんか?
無理と無駄が多すぎると思う。
ご家族がやる気になってるんだからそれを応援するのが支援者の務め。
確かに一理あります。
異論はありません。
でもご家族の負担と得られる成果を冷徹に天秤にかけて、成果が少ないと判断したら止めて差し上げるのも支援者の務めではないかと思うのです。
家族は疲労困憊しきっているのですから。

過去にもコメ支援反対の座り込みはありました。
でもあの時の座り込みの結果、何か得た成果はあったのでしょうか?
一定のアピールは確かに出来たのかもしれません。
そこは認めます。
しかし結局は座り込みも空しくコメ支援は実施され、ご家族のお骨折りは無駄に終わったのです。
さぞかし落胆されたことでもありましょう。
切羽詰ったご家族にとっては、その落胆でさえ精神的に大きなマイナスです。
救出運動への気力を削ぎかねないし、そこから再び気力を盛り返すのは更なるエネルギーが必要。
それをたいした問題ではないと感じる人がいるのだとしたら、余りにも配慮のない冷たいあしらいではないかと思う。

漏れ伝わる話では今回の座り込みは3日間連続で行われる由。
これは相当体力を使う、ご家族にとってはまさに命がけの戦略です。
座り込み予定日と言われる6月24日の東京は、普通で行けば梅雨明け直後の土用の最中。
一年で一番気候の厳しい時です。
いくら細かい配慮をしたとしても、ボロボロに疲れきったご家族の体力が果たしてどこまで持つのか?
仮に倒れて病院へ担ぎ込まれる人が出たとしても、座り込みはする価値があるのか?
私はそうは思いません。
得られる成果が世論の喚起だけだとしたら、それはご家族の健康を懸念する私にとっては微々たる収穫だと感じます。
それならもっとご家族の体に負担の少ない方法を選んで差し上げる方が、懸命なのではないかと思う。

ともかくも、このような愚策を取らざるを得なくなる前に、もっと他に取るべき良策は無かったのか?
例えば昨年のめぐみさんの偽遺骨問題が発覚した後、ずるずると世論の関心が風化したのはなぜなのでしょう?
もちろん一番の原因はのらりくらりの官邸サイドです。
ではその間、救う会は世論喚起の為に何かしたのか?
振り返って考えるに、先月の日比谷の国民大集会まで目立ったことは特に何もしていない。
例えば毎月24日に小規模でもいいから、小泉に決断を求める集会を開催し続けるとか。
あるいは24日ごとに全国で一斉に街頭アピールをして世論の喚起に務めるとか。
めぐみさんの偽遺骨で盛り上がった世論をうまく支援の高まりに結びつけられれば、今頃は少なくとも座り込みなどと言う最悪の事態に追い込まれなくても済んだ可能性はあったと思う。
集会とか街頭アピールの方が、座り込みなどと言う強硬手段よりもご家族の負担ははるかに少なくて済みますからね。

素人の浅知恵でちょっと考えても、世論の喚起と官邸へのアピールになる策は、座り込み以前に色々あったはずなんですよ。
でも救う会は結局何もせず、ずるずると時を過ごしてしまった。
追い詰められて、最後は座り込みなどと言う最悪の選択をせざるを得なくなった。
こういう経過を真摯に振り返り謙虚に反省することは、同じ過ちを二度と繰り返さないためにも、絶対に必要だと思います。
無論ここで反省が必要なのは救う会ばかりではない。
私のような草の根の一支援者も含めて、こういう事態になるまで問題を放置し、ご家族を追い詰めてしまった己の無策・無能を、まずは一同うち揃って懺悔するのが先でしょう。
私はご家族に悲愴な決意をさせたことを申し訳なく思うことはあっても、もろ手を上げて賛同の拍手を送る気にはなれないのです。

座り込みをすれば、家族はここまで追い詰められているんだと言うことを広くアピール出来るという。
そうですね、確かにそういう一面もあるでしょう。
でも、話の分かる人はすでに十分すぎるほど分かっているんですよ。
そういう人は座り込みをしようが何をしようが、きちんと理解してくれるから良いんです。
ただ、問題は支援の輪の外側にいる人たちのことです。
今の日本の世論は私たち支援者が思うほど家族会・救う会に優しいんでしょうか?

世の中には家族会・救う会の活動を右翼の活動だと冷ややかに見ている人もいます。
怪しげな政治団体・圧力団体の類だと怪訝な視線で見る人も少なからずいるでしょう。
拉致問題の解決には賛同しても、政治運動的な物にはあまり関わりを持ちたくない、と言う人もいるでしょう。
そういうもろもろの人達の目から見れば、いくら理念が崇高でも、座り込みはやはり座り込み。
「座り込み=単なるごり押し団体」と取られかねないリスクは、やはりあると思う。
しかし、拉致問題解決のためにはそういう人にも理解の輪を広げなくてはなりません。
誤解を招きやすい座り込みなどという愚策は、なるべく避けるのが懸命なのでは?とも思う。

支援の輪の外にいる人は、そんなに簡単にこちらの話に耳を貸してはくれません。
家族会バッシングが起きたら戦えば良いとは言うけれど、昨年の5.22以降この一年間、必死に戦った結果が小泉の高支持率なのだと言う現実もどうかお忘れなく。
無駄な戦いは体力と時間をいたずらに消耗するだけです。
その間、肝心の拉致被害者の救出は確実に遅れます。
今の私たちに無為に時間を過ごすゆとりは、無い。
そんな無駄なことにエネルギーを割く暇があるなら、その力を救出に振り向ける方が良策です。
いらぬ反発はなるべく受けない策を取ることを考えよう、と提案することがどうしてそんなに悪いことなのか?

ご家族の健康はこれも絶対に優先して考えなければなりません。
確かに肉親の奪還がかなうまで、ご家族の気が休まることは無いでしょう。
その日が明日なのか来月なのか?一年後なのか二年先なのか?
それは誰にもわかりません。
ゴールが見えないまま走り続けるというのは、端が思う以上に気力と体力を消耗します。
すでにご家族は9.17から数えても2年8ヶ月、全速力で走り続けたままです。
これ以上の無理を強いれば、倒れて病院へ担ぎ込まれる人が出ることでしょう。
下手をすると本当に命を取られる人が出るかもしれない。
歳の若い増元さんや横田ご兄弟とて例外ではないと思いますよ?
ストレスが高じるあまり、夜十分に眠れないご家族もいらっしゃると、漏れ聞いてもおりますし。

私は東京での連続集会にほとんど参加させていただいておりますが、回を追うごとにご家族の疲労の色が濃くなるのが手に取るようにわかります。
そんなご家族に対し、座り込みしてでも世論の喚起を!などとは口が裂けても言えません。
拉致被害者の奪還に成功しても、その時肝心のご家族は疲労の余り仏になっていた、では洒落にならない。
ご家族の命あってこその拉致被害者奪還運動です。
当のご家族が命を取られる様な事態を招いてしまったら、それこそ後が無いと思います。
本末転倒な話でもあると思う。

ご家族の健康問題を私が大げさに騒ぎすぎているとお感じの方もいるようですが。
私は決して大げさではないと思っています。
横田夫妻が今どんなスケジュールで全国を駆け巡っているか?
無理がたたっていつか倒れるんじゃないか?と集会でお見かけするたびにハラハラしています。
大げさか大げさでないかは、ご家族の疲労をどれだけ実感として捕らえているかどうかの違いではないでしょうか。
別に支援者の皆様に脅しをかけるつもりなどありません。
私の率直な感想です。
今のご家族にこれ以上の無理はして欲しくない、ただそれだけです。

最後に

>>今のご家族に冷静に戦略を練る精神的・体力的な余裕は、無い。
>この言葉だけは許せません。20余年もの間、金正日という悪魔と戦ってきた皆さんに対する侮辱です。取り消してください

取り消せ、という明確なご批判を頂きましたので、ここだけは沢村様に向けて。
人間生きてりゃ、誰でも一度や二度は人生の修羅場をくぐった経験をお持ちのはずです。
そんな時、冷静に事の次第を判断できた人が果たしてどのくらいいると言うのでしょうか?
例えて言えば、今のご家族はちょっとしたショックでもぷつんと切れそうなくらいギリギリに張り詰めた糸のようなものです。
いくらご家族が対北朝鮮問題のエキスパートだからと言っても、そんな状態で必ず正しい決断ができるとは限りません。
その分周りの冷静なフォローが大事ではないか?という私の考えが、なぜご家族への侮辱になるのか?
沢村様のこの論理展開は私には理解不能です。
申し訳ありませんが、沢村様のこのご意向に添うことは出来かねます。
悪しからずご了承の程を<(_ _)>


整理推敲を重ねたのですが結局長くなってしまいました。
分かり難い文章で申し訳ありません。
最後までお読みいただき、感謝申し上げます。


posted by ぴろん at 00:29| Comment(8) | TrackBack(2) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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