2005年06月01日

視野を狭めてはいけない

なんだか当Blogは、「座り込み懸念キャンペーン」の根城となってしまったかのような感じがしないでもないですが。(笑)
でもこの一件に関して、私は山ほど言いたいことがあるので、遠慮なしに言わせて貰います。
私がこのような弱小Blogで一人吠えたところで、座り込み実施の意向が変わるとは思いません。
変えられるとも思っていません。

しかしこの戦略には過ちがあると感じています。
その理由について、詳細はこれまでのエントリーをお読みいただきたい。
ともかく今は座り込みをするタイミングではない。
どうしてもというなら、拉致問題の山が動く局面で打って出るべきです。
座り込みで全ての問題が片付くわけでもないのですから。
今我ら支援者が何よりするべきは世論の喚起でしょう。
そのための方策として一番有効でご家族に負担の少ない策は何か?と考えるのが思考の順序と言う物です。
初めに座り込みありきと思い込むのは、選択肢を狭める分だけ思考の順序が愚かです。

今取り行われようとしている座り込みは止められないが、この先同じような無策を繰り返して欲しくはないのです。
言うまでも無く、私たちに残された時間は少ない。
被害者奪還と言う大望を果たすためには、この先このような無策を何度も何度も繰り返すわけには行かぬでしょうが?
過ちを繰り返すたび、被害者奪還は遠のくのです。
そのことを支援者たる者、深く心に刻まなくて何とするのか?

そのためにも今度の座り込み策の是非も含めて、これまでの私たちの支援活動は正しかったのか?
手抜かりや見落としは無かったのか?を論じることには大きな意義があると思う。
それが私の真意なのに、「ご家族の意思である座り込みを阻止するとは、支援者の風上にも置けぬ!」とばかりに脊髄反射するお人が少なくないのです。
悲しいですね。
どんなことがあっても家族会の意向に全面的に賛同することこそが、支援者の務めだとでも思っているのか?

座り込みによって小泉から何がしかの結果は取れない。
それは賛成・反対共に意見が一致してるのです。
あとは世論の喚起でしょう?
その世論もどの程度喚起されるのか?
仮に座り込みがうまくいって世論の喚起が成功したとしましょう。
問題はその後です。
座り込みという最大・最終の手段を使ってしまった以上、次はいったいどのような手段を使って小泉に決断を迫ると言うのか?
ここの所、座り込みの後にも策はあると言った方、私に答えを教えてくださいよ。

いくら今回の座り込みで世論の喚起に成功したとして、小泉から何がしかの結果を取れなければ、やがて世論はずるずると尻すぼみになるんですよ。
喚起した世論を持続させる策は考えてあるのか?
私が見た所、その策を述べてる人は一人もいませんがね?
どうして偽遺骨騒動の教訓から誰も何も学ぼうとしないのか?
座り込みは世論の喚起に使うのではなく、小泉から結果を取るための方策として使うべきなんです。
そうじゃないと後の策が無いじゃありませんか?
どうしてそんな簡単なことが分からないのか、理解に苦しみますよ。

何度花火を打ち上げても結果が取れなくては、意味が無いことがどうして分かってもらえないのでしょう?
こういうのは気休めに過ぎないと、どうして考えないのでしょう?
いいですよ、どうしても花火が打ち上げたければ何度でもおやりになれば良い。
私は一切止めはしませんから。

そうして何度も何度もエネルギーの必要な花火を打ち上げ続けるうちに、奪還運動そのものが消耗するとは思わないんでしょうか?
それをリスクと捉える感性は無いんでしょうか?
世論がしぼむたびに何度も何度も座り込みをかけるんですか?
一見名案のようですが、世論の慣れと言う物を考えないといけませんね。
いくらこちらが悲壮な決意で座り込んでも、世間の人は「あれ?家族会はまた何かやってるね?」位の印象しか持たないんですよ。
だから、座り込みはここ一番の最終策として使うべきで、安直に使ったら駄目なんですって。

こんな調子では何年やっても被害者奪還は覚束ないのでは?と思ってしまう。
座り込みイケイケ論者は一体全体、小泉から結果を取りたいのか?花火の打ち上げその物を楽しみたいのか?
私にはどうしても理解が出来ませんよ、ホントに。
それにしてもどうして日本人はこうも平和ボケしてしまったんでしょう?
まぁ単にボケてるだけの人はそれほど害は無いから良いんですがね。

問題だと思うのは一部のイケイケ論者です。
そういう人は、どれだけ自分が視野狭窄に陥っているのか全く自覚を持っていない。
それゆえ我こそ正論であるとの思い込みが強く、それが高じる余り異論・反論を排除し、心ある支援者を感情的に罵倒してやまないと言う傲慢さがあります。
私のような図太い人間ならいざ知らず、気の弱い人ならびびって尻り込みしますよ。
そういう不遜な態度が、せっかくの支援者を支援の輪の外に追い出していると言う現実に、なぜ気付かぬのか?
自分の思い込みの激しさが、めぐり巡って結局はご家族の足を引っ張っていると言う現実に、なぜ気が付かぬのか?

自分の思い込みにとらわれる余り、視野を狭くしてはいけない。
私たちは独裁者・金正日とは違うのです。
視野の狭さが運動の拡大を阻み、それゆえに支援の輪が広がらなければ、結局困るのはご家族なんです。
今も北の地で救いを待つ被害者なんです。
どうか冷静に異論・反論にも耳を傾け、相手の真意を汲み取る努力をしていただきたい。
分からないことがあれば、率直に疑問をぶつければよい。
それが民主主義のよい所ではありませんか?

ご家族を思う気持ちや被害者奪還を思う気持ちは、どの支援者も同じでしょう。
拉致問題解決を願う思いに偽りの気持ちなど、どなたの心にもありはしないでしょう。
でも家族を思う気持ちがあるゆえに、自分のしていることに過ちは無いと思い込むのは傲慢なのです。
謙虚に自分を見つめ、本当に有効な支援とは何か?
何をして差し上げることがご家族のためになり、また被害者奪還につながるのか?
真剣に考えなくてならぬと存じます。

増元氏のHPによれば、座り込みは6月の24日〜26日を予定しているとの事。
座り込みに打って出ても得られる成果が少ないことくらい、ご家族はとっくに承知のことでしょう。
それでも打って出ると言う。
それはそれはさぞかし悲痛な決意での座り込みでしょう。
支援者たる者、これを見て見ぬ振りをする訳にはいきますまい。
このようなに状況に家族を追いこんでしまった己の無能を恥じながら、私も支援に参ります。

初めに座り込みありきと思い込む余り、ご家族の悲壮な決意に「待ってました!」とばかりに拍手喝采した人達には、おそらく私の気持ちなど理解の範疇外なのでしょう。


posted by ぴろん at 00:30| Comment(5) | TrackBack(3) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。