2005年06月07日

戦って救い出すのか?尻込みして見殺しにするのか?

まずは本日のエントリーをお読みいただく前にこちらのサイトを御覧ください。

お気に召すまま様(6.6)「座り込みに関する個人的意見」

私が拙い文章力で1週間もかけてうだうだと書き綴った今回の座り込みに関しての疑問点を、スッキリクッキリ簡潔にまとめていらっしゃいます。
お気に召す様のこのご意見に私も全面的に賛同します。

それにしても・・・あぁ、つくづく自分の文章力の無さ加減を思い知らされる(^^ゞ
もう少し論理的思考力を磨かねば・・・と深〜く反省している、私。
それにしても・・・
訪問者の皆様は、よくこの数日間、飽きもせずに私の駄文にお付き合いいただいたものだと思いましたね。
皆様のその忍耐力にもこの際、深〜く深〜く感謝申し上げます。<(_ _)>

尚、ネット上の一部には当Blogの一連のエントリーに関して、どうも激しい勘違い?をしている向きがいらっしゃると思われるので、もう一度説明いたします。
私は座り込み賛成派の全てを非難するつもりはさらさら無い。
ただし座り込みに関して「やってみなければ分からない」式の、一部の“行き当たりばったりイケイケ論者”をお諌めしているだけのこと。
拉致問題の支援のためというお気持ちがどれほど尊い物であっても、方法を間違えればそれは支援の足を引っ張るだけであり、ご家族のためにも被害者のためにもなりません。
こういう一大事だからこそ、リスクや得られる効果の程についての深い思慮があってから、打つべき策を選ぶべきなのです。
当Blogの一連のエントリーは全てその発想の下に書き起こした物。
それ以上でもそれ以下でもない。

それともうひとつ。
今回の座り込みへの賛否の議論に関して、あえて批判を覚悟で言わせて貰えば、ですね。
座り込みのリスクや疑問・懸念などの考慮も何も一切無く、ただご家族が決めたのなら賛成しようと言う安易な発想で賛成の意思表示をしたのであれば、そういう思考の順序も少し危険に過ぎはしないか?と感じています。
過去のエントリーでも申し上げましたが、慎重派・反対派の言う懸念やリスクを分かった上での賛成論であれば、こちらとしても少しは安堵して事の次第を見ていられるのですね。
けれどリスク考慮も何も無く、ただ家族の意思だから良いじゃないかと安易に賛成したのでは、それもある意味一種の思考停止ではないかと思うのです。
何か策を講じるとき、リスクや効果の程をよくよく考えた上で賛否の判断を下す訓練を、もう少し日本人は積んだ方が良いのではないか?
私は日本人の人の良い所・優しい所は誇るべき美徳だと思っています。
がしかし、いざ非常時という際に、日本人の優しさが判断の甘さにつながることを懸念する。
変人?と思われたついでに、老婆心から一言ご意見申し上げます。


前置きが長くなりました。
聞くところによれば、家族会はただ自分の感情のままに座り込みを言ったのではなく、反対論・慎重論があることも十分検討の上、苦渋の決断をしたのだと言う。
つまりご家族の皆様は、当Blogがこれまで取り上げ続けてきたリスクの数々を、全て承知の上で覚悟の上で座り込みをするというのです。
そうであるならば支援者たる者、ご家族を孤立させるような事態にならぬよう、最大の支援をしないわけにはいきますまい。

そこで冒頭のタイトルとなるわけですが。
少々過激に過ぎるかな?とも思いましたがね。
平和ボケ日本人の寝ぼけ眼を覚まさせるにはこれくらいインパクトのあるタイトルでないと、お話にならないのではないか?と思いましたので、思い切ってみました。

言うまでも無く、この瞬間もめぐみさんやるみ子さんは日本から救いが来る日を、今か今かと息を潜めて待っています。
彼らの救出が遅れれば遅れるほど、被害者の命もひとつまたひとつと失われていく。
拉致問題に無関心になると言うことは、イコール被害者の命を見殺しにすること。
見殺しにするとはつまり北の地に囚われの被害者を

“私たちの手で自ら殺すに等しい行為”

ではないか?と思うのです。
そういう危機感を、果たして今の平和ボケ日本人はどこまで深刻に受け止めているのだろうか?

本来ならば、ご家族がこの期に及んでまで奪還運動の旗頭に立たせていること事態、非常に恥ずかしく情けないことなのです。
拉致問題は単なる誘拐事件ではない。
国家主権侵害問題なのです。
同胞を理不尽に奪われたことに対して、日本人はもっと!もっと!もっと!もっと!声を大にして怒らなければならない。

この問題は家族会の人たちだけの個人的な問題などではないのです。
日本人が全うな愛国心を持ち、国家の一大事に関してもっと強い危機感を持ったなら、高齢のご家族が疲れを押してまで座り込みさせるなど、恥の極みと思うはず。
そこの所、我ら日本人は己の国家意識の欠如具合を深く深く自覚せねばならない。

救う会と言う組織に対して一種怪訝の視線で見る人がいることは承知しております。
この救出運動はあくまでも被害者とその家族のためにするのであって、救う会の面子や組織維持のためにするものでは決して無い。
ただいま現在、救出活動の中心を担っているのは救う会であるのだから、奢ることなく謙虚に真剣に、そして効果的な救出運動を展開することを望みたいのですね。
自分たちの狭い思考にのみ囚われるのではなく、広く世間一般から知恵を結集する懐の深さがあっても良いと思う。
それが家族のためであり、被害者の奪還にもつながる事だと思いますので。
これはあくまでも一刻も早い被害者奪還を願うゆえの苦言提言であり、決して救う会を罵倒することが当Blogの本意ではないことを改めて記しておきたいと思います。

そして今だ支援の輪の外にいる人、外に出てしまった人々に申し上げたい。
拉致問題に目を背けて手をこまねいていることは、無意識のうちに同胞の殺人という罪を犯しているに等しいのだと言うことを、どうか自分の心に寄せて考えていただきたいのです。
救う会の活動に賛同できないのなら、独自の活動でも良い。
それぞれが考えるアプローチの仕方で、被害者奪還のため、自分に出来る何かをして欲しい。
署名活動でも良し、集会に参加してみるも良し。
仲間内で拉致についての話題を取り上げたり、官邸や外務省にメールを送ったり。
ご家族の手記などを読んで基本的な知識を深めるのも、立派な支援活動の一環だと思います。

ともかく一人でも多くの国民が、ご家族の置かれている立場を正しく理解出来るように願っております。
そして同時に日本が置かれている現状を正しく理解して、国家主権とは何か?について真剣に考えて欲しい。
被害者の奪還のためには北朝鮮と戦わねばなりません。
話し合いなどと言う穏便な方法で救出が出来ないことは分かりきっているのだから、もういい加減日本人は腹をくくって戦う覚悟をするべきではないでしょうか?

しかし日本人は長く平和ボケのぬるま湯に浸かり過ぎてきました。
そもそも戦う覚悟とはどういうものなのか?
そこの所の自覚が足りず、どうも思考が迷走している人も少なくない。
今だ他人事のようにしか拉致問題を捉えていない人もいる。
今は非常時なのですから、それぞれがこの拉致問題を通して、国家のあり方・国民のあり方を含め、事の次第をもっともっと真剣に考えて欲しい。

日本という国が、同胞の命を見捨てるようなそんな情けない国であって欲しくはない。
日本国民が安易に同胞の命を見殺しにするような、そんな薄情な国民に成り下がったとしたら?
いくら経済大国だ何だと威張ってみても、そんな哀れな国に、明るい未来はあるとは思えない。
私たちの子孫に誇れる国・日本を作り上げるためにも、私たちは今歯を食いしばってでも踏んばらねばならないのです。


posted by ぴろん at 20:26| Comment(5) | TrackBack(3) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。