2005年06月13日

テキスト化作業の途中ですが

某サイトにて、当Blogが座り込みに関して反対論を主張しておきながら、一転して最大限の支援云々とは理解できない、との御主張を目にいたしました。
またあるサイトでは、座り込みの支援を云々する前に己の持論の過ちを自己批判せよ、との御主張も目にしました。
どうも激しい誤解があるようですし、誤解の芽をそのままにしておくと、この先支援の輪にひびを入れかねない恐れ無きにしも非ずと感じましたので、テキスト化作業中ではありますが、急遽エントリーを上げることといたします。

日本は民主主義の国です。
ですから、議論の段階ではよりよい策を求めて、賛否両論多いに意見を戦わせたらよろしいのでは無いでしょうか?
そして一旦方針が決まったら、今度は一致団結して事に当たる。
それが“民主主義の基本”というものだと私は思っております。

確かに私は今度の座り込み策、疑問や不安がたくさんあると主張しました。
私は今でもこのタイミングの座り込みでは、苦労の割りに得るものが少ないと思っています。
でもご家族の方は、私のような慎重派・反対派の意見も十分理解した上で、それでも尚座り込みに打って出ると決断をしたのですね。
全てを承知の上でやるとご家族がいうならば、こちらも意見の違いを乗り越えて出来るだけの支援をしましょうと言うのが私の考えです。
ですから、当Blogとしましても、ご家族の決断が下された以降は反対・慎重の論陣を張るのはやめて、座り込みを支援する体制に切り替えたわけです。
ところが私のこの変わり身具合を、矛盾だと言い理解できないと仰る向きがいるんですね。

ご家族がひとたび決断をした以上、今度はその状況の中で奪還運動を一歩でも先に進めるにはどうするべきか?を、真剣に考えるのが支援者の本分でしょう。
家族が自分の望む通りの策を講じないからと言って、その度にいちいちへそを曲げて家族への支援を拒むような人がいるのだとしたら、それはただの愚か者です。
第一私が駄々をこねて、いつまでも座り込み反対!反対!とやっていたら、それこそ支援者の分裂を印象付けかねない。
ご家族の足を引っ張りかねない。
そんなつまらない意地悪をする暇があるなら、目先の個人的意見は一端横に置いてでもご家族を支援するのが“大人の分別”というものです。
これは民主主義だの何だのと難しい話を持ち出す以前の、人間としての常識ではないかと存じます。

家族会の人も、今回の座り込みに限らずあらゆる場面でそれなりの計算はしていると思います。
十二分に、それも私たちが思う以上に。
ただ、それが外からは中々見え難いだけのこと。
ご家族は確かに北朝鮮問題のエキスパートには違いない。
が、しかし彼らも神様ではないのですね。
迷える魂を持った一人の人間である以上、この決断をするまでに、余人には計り知れないほどの苦悩の日々を過ごしたことと思います。

確かに意見は対立しましたが、それもこれもより良い策を講じるために必要な通過点だったのではないでしょうか?
もちろんご家族は私たち支援者以上に計算に計算を重ね、苦渋の決断を下したのだと認識しています。
彼らが十分な計算の上で最終決断を下した以上は、私は一旦持論を引っ込めてでも、家族の決断を精一杯支援する。
難しいことなど何も無い、ただそれだけの単純なお話だと思っております。

けれども賛成派の一部には、まず初めに座り込みありきと思い込む余り、自分の意見のみが正論であると思い込む余りですね。
それ以外の主義主張には一切耳を貸そうとしない、強硬な意見を主張する人もいらっしゃいました。
ですがここで何度もいったように、議論の段階で賛否両論出るのは健全なことなのです。
なのにハナからそれを許さず、ご家族の意思にケチをつけるなど言語道断とばかりに、一方的な罵倒をした人たちがいます。
座り込みに懸念を示しただけで、私は「小泉マンセー」だの「反救う会」だのと一方的に決め付けられたり、「お前には支援者の資格が無い」と言わんばかりの物言いも受けたりしました。

その視野の狭さ・器量の狭さ加減は、罵倒を受けた側の私から見れば、やはり愚か者の所業ではないのか?と今でも認識しております。
そういう傲慢な態度は、今回の一件に限らず支援の輪を広げる障害であると私は考えております。
今後の支援のあり方を考える上で、進むべき道を誤る危険の芽が潜んでいるとも思います。
むろん彼らにも彼らなりに家族を支援する気持ちがあることは理解しておりますが。
だからといって「小泉マンセー」だの「反救う会」だのといった一方的なレッテル貼りをする行為だけはやめて欲しい物です。
その上でいま少し、異論にも耳を傾ける器量を持っていただくことをお願いしたいと存じます。

それと、ここの所間違ってもらっては困るのですが、私は座り込み賛成派全てをひとまとめに批判した覚えはありません。
私の書いた過去のエントリーをもう一度お読みいただきたいですね。
私が批判したのは、座り込みありきと思い込む余り異論を少しも許さぬ人々、です。
そして、それらの批判は今でも少しも間違ってはいないと思っています。

まぁいろいろありましたが、ともかくご家族の決断は出たのです。
結断が出てもまだ私がごちゃごちゃと訳の分からないことを主張し続けていて、それに対して「もういい加減にしろ!」と批判を受けるなら、まだ分かりますがね。
決断が出た以上は、今後は家族の意思を尊重して応援しようと気持ちを切り替えました。
すると今度は、あなたの態度は矛盾していて理解できないと批判が出る。
じゃあ、私はどうすれば良いのですか?
私が批判を加えた人に対して土下座して謝れとでも?
お前の論はハナから間違っているのだから、応援云々言う前に一言謝罪するのが筋だとでも言いたいのでしょうか?

そもそも座り込みに関する論争は、より良い策を求めての論争のはず。
ある意味ではどちらも正論であり、正解であると思っています。
どちらかひとつが正論でありそれ以外は全て誤論であるかのように思い込むこと事態が、すでに視野狭窄ではないのでしょうか?
ましてや家族の決断が出るや否や、賛成派の一部に見られる、まるで勝ち誇ったかのような、座り込み慎重・反対派の論を足蹴にしてやまない態度は少し問題があると思います。

今回の一件。
ご家族は今回、たまたま座り込み賛成派の望む通りの決断を下しましたが。
仮にご家族が慎重・反対派の意見を取り入れて、座り込み中止の決断をしたとしたら、座り込み強硬派の人は、それを素直に聞き入れてご家族の意思を尊重するのでしょうか?
家族の意思こそ錦の御旗と信じてやまない人々は、その場合は“己の意見の誤りを厳しく自己批判”なさるのでしょうか?
ぜひお聞きしたい物です。

まったくもう・・・一体全体どこまで視野を狭めれば気が済むというのでしょうね?
人の話に耳を貸さず、一方的に罵倒したことに対する自己批判の気持ちはないのでしょうか?
自分の意見だけが正しくて、それ以外は全て誤りであると決め付ける不遜な態度は問題であると、何度説明申し上げればご理解いただけるのでしょうか?


posted by ぴろん at 03:20| Comment(13) | TrackBack(3) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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