2005年07月07日

靖国は日本人の心、粗末にするべからず

昨日アップしました特攻の叔父の話にたくさんのコメントを頂戴しました。
私の拙い駄文でどこまで家族の心情をお伝えできるか、少し不安に思っていたのですが。
私の足りない所を後ろから叔父が後押ししてくれたのかな?
感動した、涙が出たというコメントにこちらが逆に少し勇気付けられた思いです。
どうもありがとう。

お話したいエピソードはいろいろあるんです。
子供の頃の聞き伝えとはいえ、全部のお話をご紹介するとなると、エントリー4〜5回分は多分必要になるかと思います。
だいぶ長くなりますが、お付き合いいただけますでしょうか?
特に、なぜ遺族の私たちが叔父が沖縄戦で見事敵艦の撃沈に成功したことを知っているのか?
この件については非常に珍しいエピソードがあります。
子供の頃は特別どうとも思わなかったのですが。
今考えると中々感動的な、まるでドラマのようなお話が我が家の場合あるのです。
どうしてもこれについてご紹介したい。
あの時代を生きた人の心情を少しでも現代日本に伝えたい。
これが自分のBlogを立ち上げ、特攻の叔父さんの事を語ろうと思ったきっかけでもあるのです。
必ず書き上げますので、今しばらくお待ちくださいませ。

私は祖父から戦争の話を聞くのが好きな子供でした。
母方のいとこは私を含めて全部で12人いるのですが、多分、私が一番祖父から戦争の話を聞いているのでは?と自負しています。
だいたいそういう辛気臭い話って、子供は苦手でしょう?
ちょっとだけ聞くと後はいいやって話をはぐらかしたりして、きちんと聞かない事の方が多いと思う。
でも私の場合、それから?それから?とかなり突っ込んで祖父の話を聞いていたのです。
聞き手がいれば、もともとおしゃべり好きな祖父ですから良い調子で次々と話をしてくれる。
まぁだいたいは同じ話の繰り返しなんですが、その繰り返しに付き合うのが割りに億劫じゃなかったんですね。

でも子供の頃に感じる疑問と、大人になって感じる疑問は違います。
例えば、叔父が予科練に志願した理由とか、いつ特攻に志願してそれを家族に伝えたのか?とか。
その時親兄弟はどんな反応をしたのか?
叔父が特攻死したと聞いたとき、家族はどう思ったのか?とか。
何一つ私は聞いてはいないのです。
今、これらのことをどれだけ後悔しているか?
このBlogをお読みの方で、身近な人に戦争体験を持つ人をお持ちの方。
今のうちに根掘り葉掘り聞いておいた方が良いですよ。
あとでどれだけ悔やんでも「死者に口無し」なのですから。

私が今ご紹介できるのは、子供の視点で祖父母から聞いた話だけ。
でもたとえそれだけの話でも、今伝えねば誰も何も知らないまま、叔父の生きた証は埋もれてしまう。
それだけは嫌だったんです。
命を懸けて国と家族を護ってくれた叔父に対して申し訳が立たない、とも思いました。
戦後60周年の今年、供養を兼ねて叔父の話を広くご紹介しよう。
それがこのBlogを立ち上げたもうひとつの理由であり、英霊に対する私の恩返しなのだと思っております。


さて本日書き綴りたい素人のたわ言は靖国神社についてです。
いうまでもなくあそこは国を護るために命を懸けた人々の魂の眠る場所です。
現代日本に生きる日本人の全てが、彼らの尊い犠牲の上に命を生き永らえている事を再確認する場でもあると思う。
それなのにつまらぬ外交の駆け引きの道具にされ、参拝するのしないのといった瑣末なことで靖国が不当に貶められていることを、“私は遺族の一人として”とても哀しく思います。

死んだ人間より生きてる人間の方が大事なんだから、靖国を後回しに考えても良いじゃないか?
靖国参拝に反対する御仁の口からはそんな言葉も飛び出します。
へぇ〜〜、あんたはいつから日本人のプライドをどぶに捨てたのか?
テレビなどでそんな論調を目にするたび、私は彼らに軽蔑の眼差しを送ります。
確かに死者を拝むより、自分の腹に食べ物を満たす方が優先順位が先なのかも知れない。
しかし靖国の御霊は単なる死者ではありません。
私たちの国を命を護るために、自分の命を投げ出してくれた人の魂を祭ってある所なのです。
彼らの存在を蔑ろにするということは、めぐり巡って自らの存在も蔑ろにするということ。
そんな自虐的な国・国民が、どうやって世界からそして私たちの子孫から尊敬を集めるというのでしょう?

誇りを捨てるということは、自分の心を殺すこと。
そんな最低限のプライドさえも持たない根無し草が、いったいどうやって?自分の国を、家族を護るというのだろう?
プライドだけじゃ飯は食えないという拝金主義が現代日本には蔓延っているようですが。
プライドを護るためには、今目の前にあるご馳走を蹴飛ばす勇気が必要な時もある、と私は思っています。
いくらご馳走で腹を満たしても、そこにどのような生きる支えがあるというのでしょうか?
プライドをなくしたら、何をよりどころに人は人生を生きるのですか?
何を誇りにして次の世代に伝えるのですか?
誇りをなくした人間は生きるしかばねです。
そんな腐臭ばかりを放つ人間に、いったいどんな魅力があるというのでしょうね?

私たちの国・日本には連綿と続く長い歴史があります。
縄文・弥生の時代から平安・戦国の世を経て、徳川の時代を経て明治・大正・昭和と続き、今平成の世があります。
その時代その時代を真剣に生きた人の証は私たちの体の中に、血脈として刻まれていることを、戦後60年間の日本人はあまりにも蔑ろにし過ぎたのではないでしょうか?
この歴史の連鎖を、現代日本の勝手な都合で勝手に拾捨選択しても良いのでしょうか?
無論どこぞの国のように、不当に歴史を美化することは許されませんが、不当に貶める必要も無いんじゃないか?と私は思います。

私の特攻の叔父は、沖縄で敵艦の撃沈に見事に成功しているのだそうです。
その敵艦にアメリカ兵はいったい何人乗り組んでいたのか?
彼らの家族から見れば、私の叔父は憎い仇でありましょう。
日教組の自虐歴史観的に語れば、私の叔父はアメリカ兵を何十人も何百人も殺した人殺しです。
でも歴史のあやと言う物をそんなに簡単に単純に論じることが、果たして正義と言えるのか?
私に言わせたら、国を家族を護るために命懸けで戦ったのは、アメリカ兵も私の叔父も同じです。
ただ、勝負は時の運です。
戦争が終わったとき、たまたま非常にも勝者と敗者をクッキリと色分けしただけのこと。
戦争が罪だと言うならば、戦争に加担した勝者も敗者も等しく罪を背負わなければ不公平です。
勝者は何の罪にも問われず、敗者のみが罪を着せられ汚名を被せられ不当に貶められるのは、命懸けで戦って散った戦死者に対する冒涜だとも思う。

私はいつも叔父を供養する時、叔父が撃沈したという敵艦のアメリカ兵の犠牲者にも叔父と同じように哀悼の意を捧げています。
もしも叔父が撃沈したアメリカ兵のご遺族にお会いしたら、謹んでご冥福を祈らせて頂きたいとも思っております。
しかし彼らに謝罪はいたしません。
彼らの息子や夫や父親が命を懸けて祖国・アメリカと家族を護ろうとした気持ちと、私の叔父が命を懸けて祖国・日本と家族を護ろうとした気持ちとに、上下の隔たりは無いと思うからです。

私が自虐史観に負けてアメリカ兵のご遺族に頭を下げると言うことは、叔父の犠牲を不当に貶めることにつながります。
それは叔父の名誉のためにも出来ないことだと思っています。
逆に仮にあの戦争で日本が勝利したとしても、私はアメリカ兵の遺族に謝罪を求めることはいたしません。
それが戦争のある意味での本質ではないのでしょうか?
戦争はその決着がついたとき、非常なまでに敗者と勝者を分けるだけのこと。
戦争の責任は敗者だけが背負うべき物、戦争の罪は敗者だけが背負うべき物・・・とは、私にはどうしても思えないのです。


posted by ぴろん at 09:27| Comment(34) | TrackBack(1) | 与太話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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