救う会の活動なかりせば…
やはりこれまでの北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会、所謂救う会であります。やはりこれまでこの救う会が、この問題に関しまして問題提起をしてこなかったのであれば、どういう状況になっていたのであろうかと、わたくし大変そら恐ろしくなるわけであります。救う会ももちろん、当初から本当に小さな所帯から始めていった運動でありました。
やはり北朝鮮に拉致された日本人の方々が、おられるのではないか? その動きに対しましては、もちろん様々なプレッシャーがかけられていったわけでもあります。北朝鮮本国の意を受けた様々な勢力が、救う会を包囲しようとしていく…。様々な動きも多くありました。わたくしもそういった動きを目の当たりにするにあたりまして、やはりどれだけ北朝鮮、朝鮮総聯といったものが、救う会を初めと致しました北朝鮮に拉致された日本人の人権を取り戻そうという動きに対しまして、警戒をしていたのかなあと、わたくしもよく実感を致しました。
しかしながらやはり、事実は一つでございます(断乎たる口調)。救う会がこれまでにも一つ、一つ解明をしてきた問題、そしてまた政府に対しまして働きかけをしてきた問題、歳月は長くかかりました。そしてまた労力も多く費やしてきたわけでもあります。
が、ようやく平成の時代にはなりましたが、国会におきましてもそれこそ当時の梶山静六官房長官の答弁、そしてまたその後国会議員も、やはり我が国の国会議員として、果たすべき当然な役割といったものを、ようやく動きといたしまして、所謂政府に対しましての質問趣意書を初めといたしましても、予算委員会におきましての質疑、そしてそれに対しましての国家公安委員長、様々な政府機関が、拉致の認定といったもの、そしてまた北朝鮮による拉致といったものが、どれだけ恐ろしいものであるかということを、これまでわかっていた人たちも声を出し、はっきりとは言えなかった時代といったもの、長きに渡りまして続いていたわけでもあります。
変わりゆく国の動き ― 60年周期説 ―
しかしながらやはり、我が国も、国民の、自国の国民の人権を、また生命と安全を守るのは、政府にとりまして最優先な課題であります。よくいわれることでありますが、60年周期といった言葉があります。ちょうど戦争が終りまして60年経過をするわけでもありますが、その60年ごとに我が国におきましては、それこそ国の動きといったものが、大きく変わっていく周期というものがあるといわれております。
これまで、確かに戦前の悪い部分といったものが、多くクローズアップされてまいりまして、戦前というものは、すべて悪かった、確かにそういう位置付けが多くありました。しかしながらその結果といたしまして、やはり国家としてあるべきこと、政府として果たすべきことといったものが、蔑ろにされてしまう。それはやはりおかしいのではないか? ということが、これまでやはり60年周期で、周期によるものではないと思いますが、やはり国家としてあるべき方向に進みつつあるのではないかと思います。
しかしながらやはり、先だってのNHKの問題もありましたが、やはり北朝鮮拉致問題におきまして、あるべき政府の道筋といったものを、的確に示そうとする国会議員の安倍晋三幹事長代理であるとか、中川昭一経済産業大臣ですね、ああいった方々に対しては、それこそ我が国を貶めようとする勢力といったもの、闇の世界では見事に連携しております。
そういった勢力が追い落としを図ろうとする、もちろんそれだけ焦っている証拠ではありますが、やはり今のこれだけ北朝鮮の拉致問題といったものが、はっきりと明らかになった今の世の中でさえも、さらに危機感を感じながら、この問題に対しまして足を引っ張ろうという勢力が、たくさんあるわけでもあります。
国民世論の声で拉致事件の真相解明を
やはりこれ以上、北朝鮮の拉致問題といったものを、その事実が解明されてしまっては困る人たちが、我が国の内外にたくさんいるわけであります。やはりそういった方々に対しまして、国民世論の声といったものが、きちんと勝利していかなければいけないわけでもあります。これ以上、闇の中に葬られるわけにはまいりません。そのためにはやはり、私たちが声を大にしていくこと、とても大きな役割ではないかと思います。
世論を形成していくために、やはり私たち自身が声を大にしていくこと、それは様々な、私たちにできることはいっぱいあります。例えば、お家に帰られてご家族で今日こういう集会があって、参加してきました、と。または、今日駅でこういうチラシをもらいました、と。千葉県からも、海上郡の海上町からも、北朝鮮に拉致された疑いのある加瀬テル子さんという方がいらっしゃるんだということを、この事実といったことを、私たちが知るということから、すべてが始まっていくわけでもあります。
そうした中、わたくしも大変驚くわけでありますが、やはり大人といった方々、これまでそれこそあたかも他人事であるかのような大人が多くいるわけでもあります。しかしながら、若い方々、中学生、高校生の方々、本当に多くの方々、市原市内におきましてもそうであります。
古川了子さん、昭和48年に千葉駅での連絡を最後に、行方がわからなくなってしまった。この事実といったことを、ご存じない方々の方がこれまでは多かったのかもしれません。しかしながら、市原市内を初めと致しまして本当に多くの方々が、同じ市原市におきまして、同じ千葉県におきまして、古川さんという北朝鮮に拉致された人がいるというその事実を知って、これは本当に許せない。そしてこんなことがあってはいけない。率直なお気持ちを皆さんお持ちになられました。
そしてまた、それぞれの方々が、じゃあどうすれば古川さんの人権を一日も早く取り戻すことができるのか? 皆さん、お考えになることでもあります。そして署名活動、拉致された古川さんを特定失踪者ではなくて、拉致被害者として政府に認定をしてもらう。そして外交交渉の場におきまして、あるべき交渉の議題にしてもらう。その唯一の目的のために、署名活動展開させていったわけであります。
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