2005年07月19日

原敕晁さんを救うぞ!東京集会(4)05.7.14 友愛会館にて

『西岡力 副会長のお話 その1』

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西岡です。
お話をさせていただきたいと思いますけれども。
大変まぁ、原さん事件については悔しい思いが多いですね。
つまり85年の段階で、これだけ明確に拉致が明らかになってたわけなんですね。
80年に拉致されたわけですけども、85年の段階で韓国に捕まったわけですね。
原敕晁と言う日本政府が発行したパスポートを持ってたわけです。

そのパスポートは、金賢姫が持っていたのは北朝鮮が印刷した偽物だったんですが。
原敕晁の名義の辛さんが持ってたパスポートは本物だったんです。
日本国が本当に発行した本物だったわけなんです。
そこに貼ってあった写真は辛の物だったんです。
原さんの写真じゃなくて辛の写真が貼ってあって、原さんだという筆跡は辛の筆跡だったわけなんです。
完全に成りすまされて、本物のパスポートを取られて。
そしてそれが韓国で捕まったわけですね。
物証があるわけです。
パスポートと言う。
そして本人が自供して有罪判決となって拉致だとなったわけです。

そこで本当は今のようなマスコミの報道や国民の関心が集まるべきだったんだと思うんですね。
なぜその時に一過性の報道だけで終わってしまったのか?
当時の新聞などを見ますと、ソウル発で書いてはいるんですけども、しかし当時北朝鮮はでっち上げだと言ったんですね。
当時のですね、北朝鮮が言ってた記録を探してきました。
先ほどの資料として後でお配りした2枚のうちの一枚、労働新聞が85年の7月2日付で論評を出している物の翻訳ですけれども。
でっち上げだといったんですね、北朝鮮は。
3人と言うのは辛とそれから済州島にいるキム・ヒヨクと洪と書いてハンなんですけども。
在日韓国人でスパイをやってた人ですね。
その3人が捕まったと。
この人たちについてですね、でっち上げだと。
我々は総連となんら関係がないと言って来たんですね。

当時は日本の世論、そしてマスコミも両論併記なんですね。
韓国はこう発表したと。
北朝鮮はこう言ってると、言うことだったんですね。
つまりなぜそうなってるか?と言うと、日本にいる我々容疑者だと思ってるんですけども、逮捕が無かったんです。
今になって告発となってるんですが、85年の段階で日本の中で事件になってないわけです。
日本人が拉致されて犯人が捕まってて、成りすましている物証があって、自供しているのに逮捕できなかったという。
日本の中で事件になってなかった。
辛を国際手配したのもですね。
金正日が拉致を認めた後ですよね?
何でその時身柄の引渡しを求めたり出来なかったのか?と。
85年の段階で辛の身柄の引渡しをこちらに求めていればですね。
あるいはきちんとした捜査が日本主導で出来ていて。

彼は、一時期一回転向するんですね。
しゃべるんですけども、刑務所の中で戻っちゃうんですね。
プロセスはそういう感じなんですけども、その時にめぐみさんの事や曽我さんの事が知る機会があったわけです。
85年の段階で横田家は探してたわけですね。
分からなかったわけです。
曽我さんのも2002年まで分からなかったわけです。
そのことを知ってる人間が実は韓国にいたんですね。
85年に。

で日本国のパスポートを偽造すると言うことだけでも、大変な主権侵害ですね。
すると原さんがいなくなって、そのパスポートが偽造されている。
外交問題にして北朝鮮に強く抗議すると共に、韓国政府に対してこれは日本の主権のかかった問題だから人権のかかった問題だから、辛の取調べをさせてくれとなぜ要求できなかったか?
両論併記で北朝鮮はこういってるということの中で。
マスコミの報道もソウル発で一回か二回書かれて終わりになってしまった。

家族会がなかったからなんですよね。
当事者が言わないと日本の中で誰も被害者を救おうと言う人達がいなかったわけです。
警察は警察で、証拠・法に基づいて捜査していると言うんですけど、外務省は警察が認定した人について交渉すると言うんですけど。
国家が金正日に、これは辛が本人が韓国の取調べで言ってるんですけど。
原さん拉致は金正日から直接命令を受けたと、聞いてるわけです。
と言うふうに韓国の月刊現代と言う、編集長が当時書いてあるんですね。
ですからこれも金正日の命令なんですね。

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