2005年07月23日

原敕晁さんを救うぞ!東京集会(12)05.7.14 友愛会館にて

『本間勝さん(田口八重子さんの兄)のお話』

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私は田口八重子の兄のひとりで本間勝と申します。
今日は町村外務大臣との談話があったんですが。
町村外務大臣は大臣になられてから10ヶ月近くなるわけですが、しばらく会ってないからということと、たまたま今回は6カ国協議の開催と言う時期に会ったんだけども。
それを意識しての面談では無いよと言っておりました。
町村外務大臣はですね、その前の元川口外務大臣なんかと比べればですね。(会場内クスクス笑い)
格段に拉致被害者問題につきましては親身になってやっていただいておると言うことは常々感じております。

川口外務大臣は一回家族会と会ったことがあるんですが、拉致被害の問題を今後どうするんですか?どう取り組むんですか?と我々が問いただした時に、
「北朝鮮をあまり刺激しないで、おとなしく水面下でやってるからおとなしくして下さい」
と、このような言葉ですね。
それと比べれば、
「我々の家族会の各種集会、座り込み等大変な思いをしている割には政府側の進展があまり見られなくて申し訳ない」
という言葉を出してくれました。

状況なんですが、私新潟の港の方に、万景峰号の入港阻止の集会にこれで4回ほど参加してきたんですが。
そのたんびに思うことは、新潟の救う会の会長で馬場先生がいらっしゃるんですが。
この人は横田めぐみさんが小学校に入学した時の校長なんです。
その方がもう年齢が84歳になられる方が先頭になっていつも岸壁に来てやっておられる訳なんですね。
新潟の県議連の関係の人たちも入港のたびに我々と一緒に「入港反対!万景峰帰れ!日本人返せ!拉致被害者を帰せ!」と言う声を一緒になって上げていただいております。
私もその万景峰が入るたびにですね。
先頭に立って海上保安庁の巡視艇が先導してくるわけですね。
そういった姿を見るとね。
そんな工作船、ひとつの危険な船が護衛をしないと何があるか分からないと。
あれは貨客船なんですよね。
そういう荷物も運ぶ、お客様も運ぶ、そんなような船がね。
海上警備をしなければ日本の港に入って来られない。
そんな事はノーマルじゃないわけですよね?

だったら、万景峰号の今までの役割と言うのは、大型工作船であり、核の必要な物を日本から輸入していたり、それから日本にいる在日生徒ですね。
在日の学校の朝鮮学校の生徒は、北朝鮮の金正日の崇拝と言う研修を受けて、まぁ修学旅行ですよね。
それで帰ってくるんです。
帰ってきた時に我々が船に向かってシュプレヒコールをやるときにですね。
その姿を笑って見てるんですよ。
何回4回入港したんですけども、その窓越しに見てるんですね。
デッキの上にも顔を出したりしていました。

そういうふうに在日のね。
日本にいて生活していくのに、こういった我々の拉致被害の問題を真剣に受け止めて自分たちの問題としてね。
いかに考えてないか、教育してないかと言う姿を見て、本当に憤りを感じます。
来月8月10日には新潟で1万人大集会と言うのをやりますので、ぜひその日は万景峰が入港する日なんですね。
そういった姿を見てください。
そしてその大会に参加してください。
お願いいたします。(拍手)


原敕晁さんを救うぞ!東京集会(11)05.7.14 友愛会館にて

『地村保さんのお話』

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皆さんこんばんは。
福井から来ております地村でございます。
皆さんと政府と国民の世論のおかげで3家族、新潟・佐渡・福井県の3家族が皆さんの協力で帰して頂きました。
政府が動き、総理が行って連れて帰って頂きました事、親として本当に皆さんに御礼申し上げます。
帰りました息子も孫も、大変日本に馴染みまして。
もう小浜の方言で会話をしているような状態でございます。
本当に幸せに暮らしております。

しかし、帰りました息子たちの言う言葉に出すのは
「僕らは帰ったけれど、また皆さんのおかげで帰ったけれど、本当に申し訳ないんだ」
と言うことを本当にしょっちゅう言うております。
家族会や東京あたりへ来て見ますと、まだまだ未帰還の人。
横田さん有本さん増元さん、大変大勢の拉致された未帰還の人たちが北朝鮮に残っております。
本当に私たちは穴があったら入りたいなと、思っておりますし。
本当に申し訳なく思っておりますし、帰りました息子達もいつもそれを口に出しております。
「あんまりとうちゃん、集会でも息子が帰ったと喜んだ言葉を出すなよ」
と、いつもブレーキを掛けられておるような状態でございます。

しかし私とすれば帰ってきた孫も大変私に馴染みまして、本当に幸せに暮らしております。
これもひとえに皆さんの協力あってのことで、本当に感謝しております。
孫も息子も帰ったからといって、私もこれでええと言うわけにはいかんと思いまして、北朝鮮の拉致問題の全面解決までは、私は帰った者が表に出てやるべき事やと思って、署名活動を現在もしております。(拍手)
政府を頼らずに、皆さんの力で政府を動かしていただきたいと思います。
皆さんの政府を動かし拉致問題の全面解決まで、どうかみなさん、どうかひと配り、助けていただきたいと思います。
簡単な御礼でございますが、御礼とお願いの言葉に代えさせていただきます。
どうも皆さん、ありがとうございます(拍手)

原敕晁さんを救うぞ!東京集会(10)05.7.14 友愛会館にて

『飯塚繁雄 家族会副代表のお話』

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やはり今日は町村外相との話し合いの中で感じたことは、たまたま6者協議が後で決まったと言うことなんですけども。
いずれにしてもそれを前にして政府あるいは外務省の強い態度って言いますかね、考え方というか。
そういう意気込みが見受けられなかったと、いうのが非常に残念ですけども。
その中で6者協議、多分核・ミサイルの話が中心になると思うけども。
その核・ミサイルも言ってみれば人道、人の命の問題だと。
今度の拉致問題につきましても当然ながら人道問題であると。
と言うことからすればこの問題は必ず出しますよ、と言う話はしてくれたんですけども。
私も今回こういう日本独自の立場を強く表明してくださいと。
北朝鮮よりしたたかにやってくださいと、いう話をお願いとして出しておいたんですけども。
全体的には何となく、しばらく会ってないから会ったという感じに終わってしまいましたけども。

その中で私としては実はこの原さんの問題は、私の妹田口八重子との関係と言うか情報的にはですね。
あるんですが。
今までの情報を全部整理しますと、実は結婚はしていないと。
86年の7月の20日に会った富貴恵さんの話だと、まだ独り者だった。
先ほどの話、原さんの件については89年の7月19日に亡くなっていると。
言う話もありますけれど、その情報は全く別々なんですね。
そういうことなんですが。

いずれにしても辛光洙と言うのは、もしかしたらめぐみさんとかひとみさん以外にも日本人のハングル語の先生になったのかもしれない。
田口八重子もそれに教わったかもしれない、という勘ぐりもあるんですけども。
そういう意味で辛光洙については日本政府も拉致犯罪者としてね。
国際指名手配をしているわけですから、これについては今後どうしますか?と、言う問いかけをしました。
これは町村さんが直接話したんじゃなくて、斎木さんが話してくれたんですけども。
この問題については引き続きやってますと。
かなり情報としても重要な情報も得ていると。
従いましてこれからもこの追求については引き続き今後もやっていきますというお話を頂きました。
外相は傍で頷いていましたので、多分本人もそういう気持ちだろうというふうに考えます。

こうして今までの問題の経過の中で、この問題を解決する糸口としてのチャンスはかなりあったんですね。
大韓航空機の時の事もそうでしたし、それ以来数えてみますと相当ありました。
今回の辛光洙の件に関してはある意味向こうの事実を明らかにするための大きな手がかりと。
重要な生き証人と、言うことで捕らえられると思います。
そういう意味ではこれはこれとしてですね。
きちっと追求して、日本としてもきちっと調査を出来るような結果に早くしてもらいたいなと。
それがこの拉致問題解決につながるひとつの大きなタイミングでもあると私は感じています。
以上です。(拍手)
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