2005年07月26日

第11回拉致被害者と家族の人権を考える市民集会(5)05.7.17 藤沢産業センターにて

『真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事のお話』

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どうも皆さんこんにちは。
ただ今ご紹介いただきました、特定失踪者問題調査会専務理事の真鍋でございます。
小泉さんに倣って、クールビズで来ております。
どうも失礼いたします。(笑い声)
一番イヤな人の格好真似るのも(笑)、どうかと思いますけれども・・・

私の方から、特定失踪者問題調査会の調査の現状、それから神奈川県の現状。
そしてそれに付随する、拉致問題全体を解決するのに何が必要かというようなお話をさせていただきたいと思います。
時間がだいぶ余っているようですので、ちょっと少しお時間をいただくかもしれませんが、よろしくお願いいたします。

最初に私ども特定失踪者問題調査会がですね、現在440名のご家族からご相談をいただいております。
私どもに届けられなくても、私たちに状況をご相談されるご家族が他にもたくさんいらっしゃいます。
本当に私ども、スタートして2年半になるんですけれども、実際これほど多くのですね。
失踪された方がいらっしゃる。
それで苦しんでいらっしゃるご家族がですね。
こんなにたくさんこの日本の、自由で、平和な、豊かな国にですね。
あるということにほんとに驚いております。

具体的な数を申しますと、日本で年間10万件失踪があるそうです。
これは警察に届けられた数ですから、警察に届けられないご家族もいらっしゃると思います。
年間10万件の失踪の内、99%くらいは5年間の内に何らかの結論が出るそうです。
拉致被害者の方もそうですし、特定失踪者のご家族がそうなんですが。
10年、20年、長い場合には40年、50年何の結論も出ないままにずっと時が流れていくご家族が年間に1000件、ということになります。

そうすると、拉致問題がいつから始まったのかというのは、まだはっきりとしていないんですけれども、仮に30年と致しましょう。
そうすると30掛ける1000ですから、3万人の失踪された方の内に北朝鮮による拉致被害者がいる事は間違いないと、思っております。

ですので、我々の所に届けられてるのは、その3万件の内の2%にも満たないくらいのご家族から、しか、実は届けられていないということですから。
我々でこうした後ろにもポスターがありますけれども。
公開された方々が220人くらいなんですけれども、我々の知らない所にですね。
必ず拉致被害者の方がいるだろうと思っております。

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その証明として幾つか例をお話したいんですけども。
ちょっとホワイトボード(以下、白板と略す)をお借りしますけれども、440人の内にですね。
もう既にご存じだと思いますけれども。(白板に向かった時、マイクがハウリングを起こす)
あぁ、ごめんなさい。
デカイ声で言いますね。(マイクを外して地声で話す)
藤田進さんの写真が出てきましたね、川口にお住まいになってた方ですね。(藤田進さんの名前を板書)
それから加瀬テル子さん、千葉県の海上町(うなかみちょう、05年7月1日より隣の旭市に合併)という所ですね、銚子の近くですけれども。(加瀬テル子さんの名前を板書)
このお二人は写真が出てきたので、皆さんもよくご存知だと思います。

もう一方、先日発表しましたけれども国井えり子さん。(国井えり子さんの名前を板書)
この国井えり子さんは網走から失踪(1968年)です。
藤田進さんは当時19歳、加瀬テル子さんが17歳、国井えり子さんは16歳です。(年齢を板書。会場より「え〜」と言う声)
まあめぐみちゃんが13歳ですね。
この3人につきましては、ちょっと事情があって国井えり子さんはややセーブした言い方をしておりますけれども。
私どもとしては、拉致はもう間違いないと思っているんですけれども。
写真が出てきた事情がありまして、はっきりした言明は避けておりますけれども。
はっきりいって北朝鮮から写真が出てきた方は、はっきりと判っているのは今3人です。

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posted by ぴろん at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第11回拉致被害者と家族の人権を考える市民集会(4)05.7.17 藤沢産業センターにて

『平野フミ子さんのお話』

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こんにちは。
今日は本当にありがとうございます。
やっぽり暑いですね。
熊本も35度くらいあるんですけども、こちらも負けずに暑いなぁと思って。
ここにお集まりの皆さん、拉致被害者を助けたいっていうその思いと、こんなに日本が駄目になったどうしたら日本を立て直すことが出来るんだろうか?
ちゃんとしたまともな国にする事が出来るんだろうか?とそういう思いの、日本が大好きな人たちが集まってくださっていると思います。
本当に感謝いたします。
ありがとうございます。

私の妹、さっき龍子さんが仰いましたけども。
修一さんと一緒に吹上浜に行って、その時に車の中にカメラがあったんですね。
その時にお互いに撮った写真です。(ホワイトボードに掲げられたるみ子さんと修一さんの写真を指差す)
ですから拉致される数時間前に撮った写真を現像しましたら、このように暑い8月の12日ですから、盆の前の日ですから。
サングラス掛けて、帽子かぶってますけども。

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それを蓮池祐木子さんにですね。
帰国した翌年ですね。
「この写真はふけてるね」って仰いました。
私たちもそう思います。
これが拉致される2ヶ月前にいとこの結婚式に父と二人で出たときのスナップ写真ですね。(るみ子さんの写真を掲げる)
あの本当にふたり、これは一人で写ってますけど。
本当に父は妹を可愛がっていましたので、恥ずかしそうな顔で父と妹が一緒に写っている写真もあります。
それが1枚でしょうね。
父とるみ子が一緒に写ってる写真と言うのはですね。

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本当に妹は良い子でした。
身内ですから、あの第3者として見ても親思いの良い子でした。
私が代わりに行けたら良いのになぁ、と思うくらい親孝行の子でした。(少し涙ぐみながら)
その日は私と妹は同じ鹿児島市内の会社に勤めておりましたので、(車で)私を降ろしてから妹は会社に行ってるんですね。
8月の12日、ちょうど土曜日でした。
半ドンでしたので、今日は修一君と一緒に吹上浜に夕日を見に行くんだっていうふうに、2〜3日前から言ってたもんですから。

私もまだ修一君の顔は一回かニ回見たくらいででですね。
直接お話したことは無いです。
でも実直そうな感じの方でですね。
妹も今の24歳と違って昔の24歳と言うのは本当に真面目って言うか、子供ですね。
妹は暗い所が嫌いだから、ちょっとこう男性を、修一君も男性ですから、暗い所でちょっと手を握ろうとしますよね?普通ね。
嫌ってして、こんなふうにしてするんだよって。(体をよけるしぐさをしてみせる)
妹が私にこんなふうに嬉しそうに、恥ずかしそうに話をしてくれたのを思い出すんですけども。

そんな真面目な子がですね。
10時になっても電話くれない。
12時、1時、本当にその夜はまんじりともせずに夜を明かしました。
本当に私たち母と、父はちょっと船に乗ってましたので、分かりませんでしたけれども。
なんでこんなに遅いのか?
今までこんなこと無い。
携帯電話も無い時ですからね、連絡もつかないですよ。
何でるみ子こんな事、今まで一度も無いことだよね?って、事件にでも巻き込まれたんだろうかね?って言って警察に届けても警察は取り合ってくれません。
アベックで出てますから。

駆け落ちじゃないか?とか、ラブホテルにいるんじゃないか?
そんなことをする子じゃないんです!って言っても何も事件が表に出てこないもんですから、警察は取り合ってくれません。
市川さんの家族と一緒に、翌々日にですね。
吹上浜に行ったらそのような車と、スリッパと置いてあった様な状況でした。
本当に私たちは、本当に自分たちが被害者の家族になるなんて思いませんでした。
突然来るんです。
ある日突然、本当に、狙われたようにして、本当に不思議。
なんで私たちが新聞沙汰になるんだろうか?って、何でるみ子がこんな事になるんだろうかって言う、そういう思いです。

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posted by ぴろん at 08:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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