2005年08月09日

変人の本領発揮!?

お盆前の仕事の追い込みでメチャクチャ忙しい私です。
これが片付かないと私に楽しい盆休みはやって来ないのですね♪
おかげで古川了子さんの行政裁判・報告会のテキストもほとんど手付かずの有様。
お待ちかねの皆さんには申し訳ありませんが、お盆休みに入らないとテキスト化の時間が取れそうもありません。
テキストをご紹介するまで、後3〜4日ほどお時間下さい。
勝手を言ってすみませんが、よろしくお願いいたします。

ところで小泉総理、衆議院を解散しちゃいましたね。
何だかな〜〜?と言うのが私の正直な感想でしてね。
郵政問題がどうでもいい案件と言うつもりは無いが、今このタイミングで国会を解散してまで国民の信を問わねばならない案件か?といえば、答えはNOだと思うんですが?

小泉クンにしてみれば郵政民営化は彼の政治生命をかけた政策。
その案件を後もう一歩と言うところで否決されたとあれば、国会を解散して選挙に打って出て民意を問うて・・・という彼の信念は分からんでもない。
けれど今郵政ごときで政治の空白作るようなそんな余裕なんてあるわけ?
郵政のとばっちりを受けて廃案になってしまった案件は、どうするつもりなのでしょう?
こっちの方は勝手に野となれ山となれとでも言うつもりなのでしょうか?

それより何より北朝鮮問題を始めとする外交問題はどうするんですか?
拉致問題はいつまでも棚上げですか?
人の命の方が郵政よりもはるかに大事だと思うのですが、どうして小泉さんは郵政にかける情熱の半分も拉致には関心を寄せてくれないのでしょう?
拉致問題に深い関心を寄せる者の一人としては、どうしても釈然としないものを感じます。

昨日の解散を受けてネットの一部じゃ早くもお祭り状態。
そういうムードにも正直私は付いていけません。
小泉さんの“ある種の潔さ”にしびれている皆様には申し訳ないですけれどね。
郵政ばかりに目が行ってしまい、その他の問題に目が行かないのはどういうこと?
それって少し無責任なのと違うかな〜〜?と言うのが昨日の解散騒動を受けての私の率直な印象なのです。
私に言わせりゃ今度の解散、小泉総理の変人ぶりの本領発揮!と言うところでね。
総理のやり様は変人のレベルをはるかに通り越して、狂人のレベルに達してやいないか?と言う不安もよぎるので、諸手をあげて浮かれる気分にはなれないのですわ・・・

5.22の小泉再訪朝の時も、5人の子供たちを連れて帰国したという成果ばかりに気をとられ、他の被害者救出の手段が閉ざされたという、小泉外交の失策に目が行かなくてですね。
家族の怒りの意味を理解せずに家族会バッシングに走った一般国民の浅はかさと、今回の祭り状態が何やら通じる物があるといったら、言いすぎでしょうか?
もうちょい冷静になって、視野を広く持ってですね。
事の次第をよくよく確かめてから盛り上がっても遅くはないと思いますが、どんなものでしょう?

今度の選挙、いったい何を争点に国民の信を問うのでしょうか?
郵政だけを争点に今後の政局の成り行きを判断するほど、国民は暇じゃないと思うんですが。
年金とか財政とか、他にも重要な問題は山積みのはず。
それらの問題を置き去りで選挙に打って出て、勝算は本当にあるんでしょうかね?
下手をすると自民党は本当にぶっ壊れてしまいかねない・・・それはそれで小泉さんの公約の一つですから結果オーライでいいのかもれませんが?

しかしいくら自民がだらしが無いといってもですね。
そうかといって今の民主党に政権任せる気にはなれませんしね。
そうなるとやっぱり自民党に“仕方なく”一票入れるしかないのでしょうか。
となると自公で議席の半数と言う小泉クンの読みもまんざら的外れでもないのかなぁ・・・?
退陣覚悟の強気の発言、単なる勢いなのか?深い読みがあってのことか?
変人の考えている事は、どうも良く分からない・・・

それにしても総理の権限って、本当に絶大なのですね。
その事を今回いやと言うほど思い知らされました。
総理がその気になれば、こんなむちゃくちゃな解散だって打って出られるのだな?と改めて認識しました。
そうですか、総理がやる気になればかなりの事が出来ちゃうんですね?
その権限をぜひ今後は拉致問題解決の為にも振り向けてもらいましょうぞ♪
選挙の結果、小泉続投になるのか?
他の誰かが総理になるのか分かりませんが。
拉致は知らん振りで何にもしないなんて事、少なくとも私は許しません!(笑)

ともかく解散はしちゃったんです。
しちゃった以上は前向きに考えるしかない。
私の投票行動の基準は、ともかく売国議員を落とす事。
日本の国益を真剣に考え、拉致問題に真摯に取り組む人。
これを基準に候補者を選別しようと思います。
少しでもまともな人を国会へ・・・それが日本を少しでもまともな国にするための第一歩ですからね。
皆さん、選挙へは必ず足を運びましょう!!


posted by ぴろん at 20:20| Comment(10) | TrackBack(5) | 国内問題&国際問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月08日

「なぜ救出できないのか」〜町田シンポジウム(3)05.7.18 町田市民ホールにて

※司会 宮崎緑さん
荒木さん、いかがですか。

★荒木和博氏
アメリカはもう、今重村さんが言ったように、発電所が出来て実際送電が始まるまで、2年ぐらいかかるわけですから、その間、重油を供給すると。
六カ国協議の残りの5カ国で重油を供給するという話で、この計画が『安重根計画』という名前だと言うことには驚きましたけれど、日本も入れて、<安重根計画>というのはよく付けたものだと思いますが、そんなんだったら、こっちもですね、「何にもださないぞ」と言って、伊藤博文計画とか作ってやればいいと。(拍手)

 ◆参照:安重根について→http://www.tabiken.com/history/doc/A/A275L100.HTM

それはそれとしまして、これが重大提案という形、こないだ発表になったわけですが、あれが本当に重大提案なのかということについて、いぶかしく思っている説も韓国に中にありまして、私も重大提案というともっとドラスティックなことが出てくるのではないかと思っていました。
場合によっては北との連邦制とか、それにあたるようなことを、ひょっとしたら言い兼ねないのではないかと思っていたんですが、ひょっとしたら、あの電力の供給というのは、今韓国は北から出せと言えば、何でも出しますんで、恐らく今重村さんがおっしゃったように、鄭東泳が最後の最後で、もう藁をも掴むような気持で出してしまったんだと思うんですけれども。

それと別に何かの『隠れ蓑』ではないんだろうかという気がしております。
ひょっとしてもっとウラでやっているのではないだろうかと。
電力供給の方は、丁度10年ちょっと前の94年の時も、原子炉作るというようなことでごまかした経緯がありますから、同じ事をやらかしたんでしょうけれども、どうもですね、私はこの問題のウラに何かあるのではないかということを、<具体的に>何かというところまで判らないんですけれども、そちらのほうが気になっています。

※司会 宮崎緑さん
あの、今<具体的に>とおっしゃいましたけれど、要するに南北統一と言うことを狙ってと言うことですか?

★荒木和博氏
そうですね。
ですから、どういう言い方になるかは判りませんが、北が言っている、連邦制みたいなものを、なんだかの形で、段階的に進めるというような言質を取られていてもおかしくはない。
しかし今いきなりそれが出てしまうと、ショックが大きいのでこれを何かの形で、電力の問題とかで、ごまかしたのではないかと、そう言う可能性もあるんではないかと思うんです。

※司会 宮崎緑さん
はい。重村さん。

★重村智計氏
荒木先生が言う、具体的なと言うことなんですが、具体的な事が何かと言うとですね。
今おっしゃったように南北統一を宣言してもいいと言うのは、これは実は、盧武鉉大統領が今、北朝鮮側にさかんに南北首脳会談をしたいと、金正日さんと会いたいと申し入れて、ずーと一年以上たつんですが、北朝鮮側はなかなか応じない。

だから、「首脳会談をした結果、南北統一を宣言してもいいですよ」ということは提案している。
北朝鮮が何で応じないかというと、簡単に言いますと「金を出せ」と言うことなんですね。
金正日さんに会った人で、一銭も出さなくて会っ人は、小泉さんぐらいのもんで。(会場笑い)
金大中さんは5億ドルの金をだして会ってる。
それから韓国の財閥の人たちが何人か会ってますけれど、やっぱり韓国の財閥のオーナーの人たちも5億ドル近い金をだしている。

実は、今回の鄭東泳さんが会ったことでですね、南北首脳会談が決まったんではないか、あるいはやれるんではないかという噂がいろいろ流れててですね。
その裏として北朝鮮側にいろんな資金を渡す手段、合意、いろんな事が出来たんじゃないかと言うのが、実は荒木さんが言ってる<具体的>という話がいろいろ流れていると言うことなんです。

※司会 宮崎緑さん
安倍さん、これどう読んでいったらいいんでしょうか?

★安倍晋三氏
韓国の今採っている平和繁栄政策についてですが、まぁ、隣の国であるから、北朝鮮の崩壊をですね、彼らは許容できない。
それによって韓国は大変な経済的負担を強いられることになる。
ですからなんとか、こんな政権であれ生き延びられるようにしていかなければいけないと言うのが、この平和繁栄政策の基本的な考え方なんですが。

それは一見最もらしく聞こえるんですけれど、最大の問題点は、そういう政策を採っていることをよくわかっている限りですね、(北朝鮮が)何をたかっても許されるということに繋がっていくんですね。
事実そうなっている。
平和繁栄政策で果たして南北がうまくいっているかというと、うまくいっていません。
先ほど重村さんがおっしゃった首脳会談も開かれませんので。
これはやはり、彼らの値段が上がってきている、期待値が上がってきているためだと私は思います。

そこで韓国側もどうしようかと言うことで、多少の、政策についての自信も、私は大統領自身、少し揺らいでいるのではないかと言う気がしないでもありません。
ただ、この平和繁栄政策を作っている人物はまだ青瓦台にいる。
政治的な場所にいるのも間違いはない訳なんですが。
そこが最大の問題点になるかなと。
ですから、日本と米国とはですね、ここでどうしても(韓国と)政策的な溝があるということだと。

〜森本さん挙手〜

※司会 宮崎緑さん
(森本さんに向かって)はいどうぞ。

★森本敏氏
安倍さんに、もうひとつ、中国について。
これは朝鮮半島という事ではないんですけれど、中国というのは、六カ国協議をそもそも・・して、そのイニシアチブをとることでアメリカとの関係に於いて、非常にセールスポイントになっていて。
しかし、中国は本気で北朝鮮をたとえば今回の4回目の六カ国協議に引き出すために、真の役割をしたかというと、そう言う風には見えない。
ほとんど何もしないで、結局アメリカが、米朝交渉をやって、引き出すということにいわば、まぁ成功したという言い方はおかしいですけれども、北朝鮮側にも成功があったから半分半分ですけれども。

中国は場を与えたり、食事の場所をアレンジしたりすることはしたけれども、本気で北朝鮮をこの交渉の場に引き出す真剣且つ深刻な外交努力をしたというふうには思えないんですね。
何でなんだろうと。
つまり、中国の基本的な狙いは、自分たちが六カ国協議の交渉を一応チェアマンとして音頭を取っているわけで、何かしらの具体的成果があるほうがよいが、本気で北朝鮮の核開発計画が全部廃棄するようなことが実現してしまったら、それはむしろアメリカのテコが強くなって望ましくない。

つまり交渉がだらだらと続いていくことが、常に中国がアメリカに売れるセールスポイントを中国は持っている。つまり中国は常にそういうイニシアチブを維持できる。
アメリカは常に中国に配慮しなければいけないという状況がおきる。
つまり今のようにぐずぐず、ぐずぐずして進んで、余り進展もせず、何か忘れた頃にまた北朝鮮が入ってくると言う状態が中国にとって、むしろ望ましいんではないか、という感じが非常に強いんです。
つまり中国こそ、事態を停滞させており、ぐずぐずさせて北朝鮮がなかなか我々の思った通り動かない最大の原因なんであって。
実は中国こそ、この問題の黒幕だと私は思っている。(長い同意の拍手)
でも、その辺は、ちょっと外交やる場合に、あこぎすぎるかもしれない。
幹事長代理から見て、中国はどういうふうに見えるかと言うことをお伺してみたい。

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posted by ぴろん at 09:04| Comment(0) | TrackBack(1) | 集会テキスト(町田集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月06日

「なぜ救出できないのか」〜町田シンポジウム(2)05.7.18 町田市民ホールにて

※司会宮崎緑さん
今ずっと、話を現状分析と言うことで進めて参りましたが、そういう北朝鮮の中で、家族が、大切な人が、一生懸命生きている、それをこちらでどうすることも出来ないお気持ちというのは、察するに余りある、本当に心が痛むんですが、横田さんに一言お話しを伺いたいと思います。
今経済制裁の話も致しました。
座り込んだり、いろいろと手を尽くし、本当に一個人として出来ることは何だろうかと、おやりになっていると思いますが、今、どういうお気持ちでいらっしゃるのかを、お話し頂ければと思います。

★横田滋さん(家族会代表)
昨年の5月に小泉総理大臣が再訪朝をした際に、北朝鮮側としましても死亡したと言っている人、未入国だと言っている人についても、徹底的に調査を行うと約束したわけですが、実際の所はその約束は守られませんでした。

8月9月に第一回、第二回の実務者協議が開かれたんですが、しかしその時は「調査委員会を作った」と言う報告があっただけで何もありませんでした。
そして第三回目は11月の9日〜14日まで。
それまでは「調査委員会に伝えます」とかで、直接は聞けなかったので、平壌で、第三回の協議が行われたわけですが、その際は。
「めぐみのものと称する遺骨」も提供されましたが、しかし、それは鑑定の結果、それは別人のものと判定されました。

国家間の交渉でそういった「1200度で焼いた」とか「DNA鑑定は出来るはずがない」という発言もありましたが、そう言った不誠実な態度に対して、家族会、救う会では「速やかに経済制裁の発動を」という声明を出したわけです。
その翌日に(今日は原口さんとか役員も来ておられますが)超党派の国会議員の集まりで
「経済制裁を」と言う決議が為されましたし、それと同時に、「食糧支援の凍結」とか、それだけでなくて「国交正常化交渉をすべきでない」更に「金正日政権を打倒しなくては完全に解決しない」ということも表明されました。
その翌日、自民党の拉致対策本部、衆議院の拉致特別委員会でも制裁の決議が為されているわけですが、実際には、小泉総理が「対話の窓口が途絶える」ということで全くその姿勢を変えておりません。

12月24日の日に全体(一部不明)官房長官が「北朝鮮が速やかに誠意ある対応を取らないと、日本側としては厳しい態度を取らざるを得ない」という経済制裁の予告ともとれる発言がありましたが、それからすでに7ヶ月が経過ぎていますが、北朝鮮は全くそう言った態度を崩していないわけです。

今年の2月の日米外相会談でも(?)2月の段階でも、「北朝鮮がこのままの態度であれば経済制裁をせざるを得ないけれども、アメリカのご協力をお願いします」といった発言をしたところライス長官は「全面的に支持してくださる」という発言がありましたし、又6月14日、参議院内閣委員会がありまして、その時に細田官房長官に対して、森ゆう子議員が「今の北朝鮮をどうみるか」という質問をしましたところ(多少の演技みたいな事もある、それは報道や新聞がいろんな事を言っているわけですが)「北朝鮮側は公式ルートでは全く誠意ある態度をしめしていない」ということをおっしゃったわけです。

そうした事があって我々は(6月)24日から経済制裁を求める座り込みになったわけですが、(一部不明)一般の方が3日間2500人も参加してくださって、すぐには結果が出なかったわけですが、大成功だったと思っております。

小泉総理も六者協議が始まっても何も誠意ある回答がなければ、(経済制裁)に踏み切ってくださると期待をしておりますが、やはり家族としましては、それぞれで若干の差がありますけれど、それこそ30年近い、肉親が奪われて、何の情報も入らないという状態は、もうとても我慢できるものではありませんので、やはり経済制裁、圧力、たとえば万景峰号の船の入港を止めるということから行って頂きたい。
一日も早く解決して欲しいと言う願いでいっぱいです。(大きな拍手)

★横田早紀江さん
今日はたくさんの方にお集まり頂いてありがとうございます。
本当に私達はめぐみがいなくなって、20年もの間苦しみ、本当に悲しんできたわけなんですけど、ようやくめぐみのことが、考えられないようなところにいたと言うことが判ったのが9年前です。
そして、すぐに立ち上がって、皆様方のお力を得ながら、こうして9年の間、一生懸命救出のための活動をしてきましたけれど、その中で私達は、本当にいろいろなことを経験致しました。

それは、苛立ちの原因というのは、今もそうなんですが日本政府、外務省も含まれると思いますが、いろんなところで、非常に行動が遅いんですね、全てのことに。
今だったら、このチャンスがあるのに、ここで今こうやればいいのにと何時も思っていることが、何時も何にも為されないで、通り過ぎていってしまっているということを何度も経験しました。

いつもお話しますけれど、金正日の息子(金正男)がこちらに不法入国したときも「これは本当に良いカードだ」と私達は、あの時に、みんな家族の人たちは、「こんどこそこれで、みんな助けて貰える」と思っていたのに、あっという間に、何の理由もなく過ぎに向こうに返されてしまうという。

そして米支援の時もそうですけれど、私達は「そんなものを与えても、支援をしても、決して気の毒な人たちには届かないんだ」ということで、そのようなことをする前に、「子ども達を、みんなを返して欲しい」と、「それからにしてください」という座り込みもしましたけれど、あっという間に、それも向こうに支援されていきましたし。

あらゆることで、私達は、言うときりがないほど、どうしてこんなに後手後手になっていくのかと、不思議な気が致します。
そしてそのところに、今の制裁問題もそうですが、万景峰号の入港禁止ということは、もう以前から新潟の救う会も一生懸命に立ち上がって言ってくださっていましたし、私達も何度も万景峰号の前に、垂れ幕を持っていったり、(一部不明)「もう入ってくるな」と何度もやって来ましたけれど、どういうわけか、ずーとずーと、ずるずると為されてきましたし、制裁という今の状況であっても、まだそのことが為されていないという。

「今チャンスの時にすぐにやる」ということ。
そして大変な問題なのに、本当に絶叫したいようなほど、悲しい、残酷なことを何度も何度も目の前に突きつけられていても、それに対して家族は、本当に怒り悲しみ、眠れないような夜を過ごしているのに、「話し合い」ということで何時も、こう軽くおっしゃるその姿勢というか。。
本当に助けなければならないという想いがあれば、自分の子どもでなくても、何とかしなければならないと思うほんとの気持があれば、「じゃぁ、どうしたらいいんだろう」と。

3組の方もお帰りになっているのわけですから、その方達は、「家族には全部は話した」「政府にも全部話した」「警察にも全部話した」とおっしゃっています。
全部というのは、その方にとって、本当に全部なのか、私達は断片的にしか聞いていないような気がしますけれど、その三つの聞いたところが、全部一緒に、言われたことを合わせて、
「ここまでは聞いているけど、あなた達はこれ以上聞いていますか」
「警察は政府よりどれだけ多く聞いていますか」
「全部同じですか」
ということをきちんと本気で話し合って、そしてその中でどういう風に対処していけばいいのかということを真剣に知恵をだしあって、外交に向けて、やって頂かなければ、いつまでたってもなんだかわからないままでうやむや、うやむやと過ぎていくような気が致します。
本当に非常に苛立って、悲しい思いをしております。(大きな拍手)

※司会 宮崎緑さん
私達一人一人が共有している想いだと思いますが、只今安部さん到着しました。
ご入場頂きたいと思います。衆議院議員自由民主党幹事長代理安倍晋三さんです。(拍手)

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posted by ぴろん at 18:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(町田集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月05日

「なぜ救出できないのか」〜町田シンポジウム(1) 05.7.18 町田市民ホールにて

★パネリスト

横田 滋・早紀江 夫妻 北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表
安倍 晋三 自由民主党衆議院議員・幹事長代理・自民党拉致対策本部長
水野 賢一 自由民主党衆議院議員
原口 一博 民主党衆議院議員
森本 敏 拓殖大学海外事情研究所所長
西岡 力 東京基督教大学教授
重村 智計 早稲田大学国際教養学部教授
荒木 和博 拓殖大学海外事情研究所教授

※司会 … 宮崎 緑 千葉商科大学政策情報学部助教授

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「冒頭北朝鮮状況分析 現在の北朝鮮の状況について」

★荒木和博氏(拓殖大学海外事情研究所教授)
今の朝鮮半島の状況というのは、(95年前に日韓併合となって、100年前は・・)100年前の状況と、それから50年ちょっと前、朝鮮戦争が始まる前の状況が一緒にきている。
100年前と違うのは、100年前の主役は『日本とロシア』でしたが、それが『中国とアメリカ』に変わっているということでございます。
50年ちょっと前と非常によく似ているのは、南の中に北朝鮮のスパイのようなものが、相当の根を張って、そして、実際に表に出て行動していたという状況。
こういった2つの状況が一緒に来た形ではないかと思っています。

北朝鮮の中は今、西岡さんがお話をなされた状況な訳ですが、今、中国はアメリカに取られないようにということで、相当の手を突っ込んでいるといった状況のように見受けられます。
金正日は『中国よりアメリカの方が好きですから、アメリカになびきたい。
しかしアメリカが非常につれない』ということで、一生懸命自分の値段を上げようとしていると言うことでございまして、まぁ、昔100年ちょっと前も、朝鮮の王様がロシア大使館に1年以上逃げ込んでいたと言うことがございましたが、こんなことがやがて起きないとも限らない。
ある意味でかなり切迫した状況ではないかと思います。
韓国の中も、ある意味では韓国の方が先に崩壊するのではという状況ですが、北朝鮮の状況も単に経済だけでなく、政治の体制自体が相当のガタがきているというような状況ではないかと思います。

※司会 宮崎緑さん
わかりました。
原口さんいかがでしょう?

★原口一博氏
今日の会、本当にありがとうございます。
私は2002年の7月1日に金正日が出した、いわゆる経済改善処置、これに着目しております。
その直後に小泉首相が平壌を訪れられました。

つまり数々の飢饉、経済節制、多くの国民の餓死と言うものを経て、改革開放、そちらにに舵をとろうとした。
ところが、それは何を意味するかと言いますと、党主導で行われたと言われますが、それは軍にとっては非常におもしろくない。
一方で、私達は今年の初めの最高人民会議、(これが一党独裁の国の最高意思決定機関、だけど実質的には金正日総書記の意思を確認するだけの機関だと言われていますが)これが延期をされました。これに着目しました。

もし金正日体制が専軍政治の中で核開発をし、ミサイル開発をし、そして世界から瀬戸際外交、孤立をしようとすれば、軍の方の予算に力を入れるはずです。
「そうでなはない」と、いわゆる経済改革を協調の中でやるとすれば、そうじゃない予算がでるとはずだということで着目していました。

それが延期をされました。
この延期の意味というのは何なのか?
只今両先生がおっしゃいましたとおり、北朝鮮の体制の中で、縮小する経済、縮小する利権の中で、様々なせめぎ合いがあるのかなと思っています。
それは西岡先生が最初おっしゃった、厳しい情報統制、洗脳教育といったものが逆に厳しくなってきているのではないかとと(いうことです。)

ここに朝鮮労働党出版社がだした、2005年の『異色的な生活風潮を流布させる敵どもの策動を徹底的に打ち破ることについて』(という資料があります。)
つまり国内の情報が統制できなくなって、様々な風俗やあるいは習慣や、あるいはお金に対するモジベーションがでてきて、それを抑えられなくなっているので、如何に異色的な生活風潮を抑え、髪型もきちんとし、労働党、つまり、一党独裁政治に、従順な人になるかということがここに書かれているわけでございます。

私は、今、大きな岐路に立っているだろうなという風に思います。
金正日総書記にとっては、二つのシナリオがあると思います。このまんま専軍政治(専軍政治の中で軍をきっちり掌握しているかと言うことについて、あとで他の先生にお聞きしたいと思いますが)専軍政治を続けて、そして国際社会から孤立を深め、国民を飢えさせるのか、それとも拉致の問題に誠実に対応して、核を放棄して経済改革をする、そのそのどっちかと思います。
後ろのシナリオをとったときに、金正日政権にとって危険なことは何か?それは軍によるクーデターです。

今年の初めに官僚機構である内閣が、たしか外貨の中から20%を農業改革に入れるんだと言う話をしました。
これで又、複雑になっているのは、外貨というのは今まで党と軍が持っていた大きな利権です。
その利権に官僚機構がくちばしを入れるようになった。これでまた余計複雑な様相を呈している。
もし平和解決、拉致問題解決のシナリオを取ろうとするなら、一時的に金正日総書記は、軍によるクーデターの危険を排除できなくなります。

しかし、是非冷静に考えてみて欲しい。
アメリカの軍や、多くの国際社会の軍事行動を彼が何処までコントロールできるのか。
それよりもむしろ、自分の国内のクーデターと反乱をコントロールするほうが容易ではないか。
そういう理性的な立場に立った時には、選択肢は自ずと決まっている。拉致問題を解決する。

最後にただ何故、ここまで疲弊をした、インフラもほとんど統一化されていない、スクラップ化している、農業生産も厳しい。
しかし、何故のびているのか?中韓の援助ですか?私はそれだけではないと思います。
こないだ松原議員が、国会で『日本からの送金はいくらか』ということを聞きました。
答弁は『3億円から4億円』と言う話でした。

冗談じゃありません。
一兆4000億も、北朝鮮系の金融機関に私達は国民の税金を入れています。
そのうちの一兆円が返ってきません。
私も国会で取り上げましたけれども、莫大な債権放棄をして、そこに国民の税金を入れて、国民の税金で拉致の工作員を雇い、国民の税金でミサイルを作り核を開発させているのだとしたら、こんな愚かな話はない。

私は公安の諸君、日本政府、重要な立場にある人は、このことを知っている(と思っています)。
知っていて何故それを追求しないのか?
知っていて何故それを止めないのか。ここに大きな問題があると思っています。

※司会 宮崎緑さん
今、あやうい綱渡りをしている体制を支えているかもしれないという、その構図についてご指摘があったわけですが、その構図について水野さんはどう考えますか?

★水野賢一氏(自由民主党・衆議院議員)
水野ですけれども。
まず、北朝鮮の現状と言えば、実はよく判らないことが当然あるわけなんですね。
日本とか先進国ではたとえばGDPの統計など、様々な経済的な統計が公開されているわけですが、そう言う意味では(北朝鮮は)もっとも不透明であり、最も情報が届かない国な訳ですから、よくわからないことがあるわけなんですが、しかしながら、そうした中でも、非常に困窮した、疲弊をしている状況であるというのは、容易に想像がつくわけであります。

普通は、自国の中が飢餓に苦しんでいるとか、そういうことは隠すのものですが、北朝鮮もだからこそ、かつてはそうしたことは『デマ宣伝』だとか『謀略』だとか言っていた訳ですね。
そして自分の国は「地上の楽園」だなんて言うことをいっていたわけですけれど。

それがむしろ90年代ぐらいから方針が変わってきて、彼ら自身もそう言うことを隠し切れなくなったというのが一方ではあるでしょうし、一方には、そのことを訴えてでも他国からの支援を引き出さなければいけないという、たとえば、電力とか原油だとかそう言うようなものを、引き出そう引き出そうと、カードとしても要求をしてくるぐらい、彼らの困窮がそれだけ極まってきたのかなというふうに思うわけでございます。

そういうことからも、彼らを支えているということになると、外国からの支援、中国、韓国、そして今原口先生がおっしゃられたように、日本からも様々な形、合法、非合法の形があってですね、様々な資金援助等々がある。やはり『ここを止める』ということが、大きいカードになりうるのではないかという風に考えているわけであります。

困窮しているからこそ、(そこが単なる生命線になっているわけですから)そこに対して、切り込んでいくという事が我々にとっては『外交のカード』になりえるのではないかと。
それで問題は(ここは経済制裁の話に繋がってくるわけですが)今までは政府は『対話と圧力』と言いながら、実は『圧力』というのはかける術さえ持っていなかったのですね。これも大きい問題なんでして。

昨年すでに、法律を2つ改正致しまして、特定船舶入港禁止法と改正外為法、これは原口さんの民主党と自民党が、党派を超えて、これを成立をさせたんですけれども。
圧力を従来かけようと思ってもかけられなかった。
なぜなら、法律がなかったから。
法律がないのであればこれを立法府の一員として、法律に不備があるのならば、法律を作る必要がある、そういう思いの中で、新しい法律を作ったわけですが。

ですから今は、「圧力カード」をかけようとすればかけることができるんですね。
ただ政府はかけようとしていないというだけのことで、そのカードを切ろうとしていないというのが現状でございます。
ですから私も、党派を越えて、今やろうとすれば出来る状態にあるのですから、このことを行う時期が、もう来たのではないかと、そう言う風に思っているところでございます。

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posted by ぴろん at 20:09| Comment(0) | TrackBack(1) | 集会テキスト(町田集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月04日

靖国神社へ行ってきました

本日のエントリーは3本立てです
 ・靖国神社へ行ってきました
 ・古川了子さん第2回行政訴訟
 ・変人のたわ言を綴ってみる・・・本日は蓮池透氏の事

3本読むとだいぶ長いですけれど、宜しかったらお付き合いくださいませ<(_ _)>

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Img_0367.jpg

古川了子さんの訴訟が思ったよりも早く終わってしまったので、思い切って靖国神社まで足を伸ばしてきました。
特攻の叔父の話を書き終えた事を報告したかったし、今年は戦後60年の節目の年でもあるので、最初はお盆の頃にでも、と思ってたんです。
仕事の都合でその頃でないと時間が取れそうもなかったので。
でも盆の頃は混みますでしょ?
人ごみはどちらかと言うと苦手な方だし、あそこに行くとどうも私は平静でいられない。
出来れば人出の少ない静かな時にと思ってたので、今日は私個人的にはちょっとラッキーでした。
古川さん、不謹慎でごめんなさいね<(_ _)>

地下鉄で九段下駅下車、A1番の出口からエスカレーターで上がると、正面に靖国神社の大きな鳥居が見えてきます。
これが見えた時点で、私の涙腺はダムが決壊したような有様となってしまったのですね。
ハンカチで涙を拭き拭き参道を歩く私は、他の人から見たらさぞかしおかしな光景に見えた事でしょう。
戦死者の遺族と言うには私は一応まだ年若いですから。(笑)
この人いったいどうしちゃったのかしら〜〜?と、ね。
今年は叔父の思い出をエントリーする為にあれこれ調べ物もしましたし、以前よりも尚一層叔父の死をリアルに感じられるようになった事も、涙腺決壊の理由だとは思いますが。

本殿が近づくごとに、私の体には叔父の息遣いが肌身で感じられるような感覚を覚えます。
当然心の中ではすでに叔父との会話は始まっております。
「叔父さん、あなたの肉親が会いに来ましたよ。今年はあなたの思い出話をネットで紹介しましたよ。叔父さんは読んでくれましたか?喜んでもらえましたか?」などなど。
本殿前で参拝する時、何とも言えない思いが胸に迫るような気がしました。
これはどうも上手く説明が出来ません。
包まれるような、圧し掛かるような、温かいような・・・
国を家族を護る為沖縄の海に散った叔父の魂が、まるで私の体に乗り移ってきたような感じがする、と言ったら少し大げさでしょうか?

叔父の体は沖縄の海の底。
敵のアメリカ兵の遺体も同じ沖縄の海の底。
敵と味方が死んでもいがみ合う事のないように、叔父が安らかに海の底で眠れるように、叔父の霊を弔うと同時に敵兵の霊もお悔やみします。
どうか同じ沖縄の海の底で静かに安らかに眠ってくださいと。
友達作りの名人だった叔父のことだから、きっと今頃は敵兵のアメリカ人ともお友達になってますよね?などと、話しかけたりもいたします。
涙は相変わらずボロボロ状態ですが、心休まる瞬間でもありました。

参拝後は遊就館へ。
ここでもですね、特攻の展示コーナーを見るのは辛いですね、やっぱり。
特攻の文字を目にした途端、思わず足が止まってしまうのですよ。
でも特攻で戦死した叔父の遺族である私が、このコーナーを見ないわけには行きません。
しばらく深呼吸をして気持ちを整えて、一歩づつ歩みを進めます。
特攻隊員の遺品や遺書、特攻作戦に至る状況説明のパネルなどは読むほどに見るほどに辛いです。
多分他の人にとってはたくさんある展示物のひとつに過ぎないのでしょうが、私にはその展示物の向こう側にどうしても叔父の姿が重なるのです。
自分の存在意義が問われるような気がするのです。

もうひとつ、私の足が止まってしまう展示物があります。
それは特攻機「桜花」の展示と、桜花の出撃を再現したジオラマのコーナーです。
この展示室に入って、天井から吊るされた桜花を見るとですね。
胸が痛いんです。
近づいて行くのに、こちらも本当に勇気が要ります。
呼吸を整えて、気持ちを落ち着けて一歩一歩・・・

桜花、実物は本当に小さいのです。
零戦などよりもはるかにはるかに小さい機体。
こんな小さな機体に、体の大きかった叔父はどんなふうに乗り込んだのだろう?とか。
切り離しを受ける瞬間は何を思ったのだろう?とか、どうしてもあれこれ考えてしまう。
そしてジオラマを見て、一式陸攻の腹に吊り下げられた桜花を見るとですね。
叔父さんもこんなふうに突撃して往ったのだなぁ、と思うとたまらない気持ちになる。
ジオラマの前で再び涙腺決壊状態。
他の人にそれと悟られぬよう、涙を隠すのに必死となりました。

そうそう、遊就館で仕入れた桜花の情報を少しお教えします。
桜花の搭乗員は離陸時は母機の一式陸攻に乗って行くんだそうですね。
そして現地に近づくと桜花に乗り移り、以後は母機と桜花のやり取りはモールス信号でするんだそうです。
そして桜花切り離しの合図は「トン、トン、トン、ツー、トン」。
彼はこの、「トン、トン、トン、ツー、トン」を今生の名残として耳にし、数秒後には突撃して木っ端微塵となったわけです。

こういう事実を一つ一つ知るたびに、叔父の死がますます私の中でリアルになります。
その分だけ叔父に近づけたと思うと同時に、叔父の存在も更に私の中で重みを増してくる。
これはもう、仕方の無いことですね。
私が特攻隊員の遺族である事は避けられない事実。
叔父の生きた証しを背負う覚悟は、キッチリ決めなければならない、と言うことでしょうからね。

ジオラマの横には721海軍航空隊・雷神部隊の戦死者名簿が展示されています。
ここにも叔父の名前はきっちりと記録されておりました。
しばらくその名簿の前に立ち尽くしてですね。
叔父の名前を何度も何度も指で撫でました。
そして心の中で話をしました。
「叔父さん、私はあなたの肉親です。私の温もりが届いてますか?寂しくはないですか?母も私も元気にしていますから心配しないで下さいね」などなど・・・

721海軍航空隊の隊員は、靖国の神門をくぐった右側の2番目の桜の木の下で会おうと約束をしていたんだそうですね。
ですから靖国神社には、生き残った戦友たちの手で本当に右2番目の場所に桜の木が植えてあるのです。
その写真が冒頭の物。
神雷桜と札の架かった桜の木は一抱えもあるような大木でした。
そっと手を触れてみると夏の日差しを受けてほかほかと温かいのです。
私にはそれが何やら叔父の体温のようにも思えました。
「戦友の皆さん、ごめんなさい。ちょっとだけお邪魔して叔父の温もりに触らせてください」
そうお断りをして、少しだけ叔父と話をしました。
もしも生きている叔父さんと触れ合う事が出来たなら、こういう温もりを感じる事が出来たのかな?などと想像を巡らせたりしました。

私にとっては靖国は静かに祈る場所。
叔父と心の対話をする場所。
それ以上でもそれ以下でもありません。
今靖国問題がいろいろ言われていますが、そういう喧騒が一刻も早く鎮まって、心静かにお悔やみが出来る場所になって欲しいというのが、私の素朴な願いです。

帰り際は、何度も本殿を振り返り振り返り、叔父との別れを惜しみました。
「叔父さん、また来るからね。それまで寂しくても待っててね」
と声を掛けながら、地下鉄の駅に向かいました。
posted by ぴろん at 20:04| Comment(8) | TrackBack(3) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

古川了子さん第2回行政訴訟

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本日東京地裁で開かれた古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟へ行ってきました。
と言っても抽選で外れたので、裁判の傍聴は出来なかったんですけどね。
傍聴席37の所へ集まった人数は6〜70人くらいはいたのでしょうか?

無事傍聴できた人のお話では、今回の裁判も30分ほどで終わってしまったそうです。
原告側弁護人は拉致認定された人とされない人とでは、政府の扱いに天と地ほどの差があることを強く訴えたのだそうですが、被告・国側はのらりくらりとかわすばかり。
次回公判の予定(何と2ヶ月も先の10月20日だそうだ!)を決めてあっさりと閉廷したそうです。

人の命がかかっていると言うのに、こののらりくらりは何なのか?
裁判後開かれた報告会での竹下さんのご挨拶の声にも、やり切れない苛立ち怒りの色を感じます。
それは他の特定失踪者ご家族も同じ。
その苛立ちの声を聞き、何も出来ない無力の私は本当にやり切れない思いで一杯になりました。

報告会後、調査会の真鍋氏と山本美保さんの妹、森本美砂さんのお話を少し伺う機会がありました。
国側代理人が余りにも若い人だったので、もっと責任のあるというか話のちゃんと分かる人が裁判に出てくるわけにはいかないのか?という森本さんの疑問に対してですね。
真鍋氏が言うには、要するに被告・国側の代理人で出てくる人も官僚であると。
官僚も人の子、自分の出世は大事なのだと。
とにかくミスのないように仕事をし、余計な事をしないように仕事をし、上司の心証を悪くしないようにとあくせくするのは仕方の無いことなのだと。

こういう官僚に全うな仕事をしてもらうには、トップの意識がなにより重要。
この案件での責任者は誰か?
法務大臣でもなく官房長官でもなく・・・首相官邸の総理殿。
要するに小泉純一郎と言うことです。
トップの裁定がない限り、官僚も迂闊な決済は出せない。
だから裁判の場に若手が出ようが誰が出ようが、どっちでも同じ事、と言う話に目眩がしそうになりました。

あ〜あ、何と申しましょうか。
一国のトップの意識が裁判の有り様まで触るとは・・・これが政治や司法の世界の常識といわれても、私のような一市民感覚からはとても付いてはいけません。
お〜〜い、この一件には人の命がかかってるんだぞ〜〜!!
もっと真面目にやらんかい!!
それが私の素人感覚なんですけどね。

田中実さんの拉致認定がされた理由には、安倍晋三氏の総理就任がチラついてきたからだ、と言う話も聞きました。
いうまでもなく、安倍さんは拉致問題には非常に熱心な人です。
総理が仮に小泉から安倍さんに代わった時、田中さんの認定をしたという実績があれば、不作為の罪を安倍氏から問われる事を防ぐアリバイ作りになると踏んで認定したんじゃないか?という趣旨のお話にこれまた気が遠くなりそうな思いがしました。

ともかくも、ですね。
裁判を良い結果に導くためには、この裁判は世論が大いに注目してるんだぞ!と裁判所に思わせる事が大事なのだそうです。
傍聴席が常に一杯に埋まっている事も、そのためのアピールポイントとしては大事な事なのだとか?
無論、単に傍聴するだけでなく、その外側に入りきれないほどの支援者が駆けつけ、裁判の行方を見守っている事が、何よりも重要なんだそうです。
次回公判は、10月の20日だそうです。
お時間のある方、溢れるほどの支援者で裁判所の前を埋め尽くしましょう。
私も時間の都合が付けば駆けつけたいと思います。

裁判後の報告会では、荒木氏から次回公判では安明進氏に傍聴してもらう事も考えているとの発言がありました。
裁判所と被告・国側に良い意味でのプレッシャーをかける意味でも名案かと思う。
やれる事はなんでもやろう、吉報をつかむ為にも。

それとですね。
ちょっとした手違いがあって、この報告会の冒頭を聞き逃しました。
まぁそれらの報告は調査会からもあるでしょうから、私は古川了子さんのお姉さま、竹下珠路さんのご挨拶を初め、今日参加された特定失踪者ご家族の発言をテキストにしてご紹介したいと思います。
今後のテキスト化の予定ですが、蒼き星々管理人の金木犀様より町田集会のテキスト転載のご許可を頂きましたので、まずはこれを3日間に分けてアップします。
その後、本日の報告会の模様をテキストでご紹介しようと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
posted by ぴろん at 19:41| Comment(0) | TrackBack(1) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

変人のたわ言を綴ってみる・・・本日は蓮池透氏の事

家族会・救う会に今こそ必要なのは「透さんの冷静さ」ではないのか?と私は思っています。
もっと分かりやすく言えば、常に原点を見失わない透氏の意思の強さ・良い意味での強かさ、とでも言えば良いでしょうか?
しかし透氏の発言はしばしば激しい批判と誤解を招くのですよね。
何故なんでしょうかねぇ?

昨日のエントリーにも通じる話なんですが、家族はあくまでも自分の肉親の事だけを考えていれば良いと思うのです。
本来被害者救出について責任を負うべきは日本政府です。
しかし政府の体たらくは皆様ご存知の通り。
囚われの被害者を救い出す為、家族はのんびりと被害者家族と言う立場に安住してはいられなかったのです。
何とも情けない話であります。

ちょっとまえに、雑誌FLASHに掲載された透さんの発言も、各方面で物議をかもしました。
「news_from_japan閉鎖に思うこと」のコメント欄に、その記事がoxygen様によって提供されましたので、これを元に、私の思う蓮池透氏についてのあれこれをちょっと書いてみたいと思います。
少し長いですけど、記事を全文引用します。

蓮池透氏の発言 『FLASH』4.19号

「家族会は、もともと拉致された肉親を救出するために集まった会です。
ところか、最近やたらに「金正日体制打倒」などと言う人がいる。
私に言わせれば、北朝鮮がどうなろうか、あの体制がどうなろうが知ったことじゃない。
家族が帰ってくれば、それで目的は達成されるはずです。
とにかく北に制裁を、という制裁至上主義にもついていけない。
私も制裁はすべきだと思いますか、制裁するなら、被害者を救出するための戦略的な制裁をすべきです。
ところが今は制裁すること自体が目的になっているようにみえる。
戦略のない制裁は単なる感情的な報復でしかありません。
それで本当に被害者が帰ってくるんでしょうか。
今の家族会は、私の目には政治的な圧力団体と化してしまったようにみえる。
家族会では座り込みも辞さないというが、その姿を世間の人が見たらどう思うでしょうか。
肉親を取り戻すための座り込みなら、かつて私もやりましたが、
制裁を求める座り込みは異様に映るのではないか。
世論対策からもけっしてプラスにはならないと思います」

「批判覚悟で言いますが、一人10億払えば被害者が帰ってくるのなら
10人で100億積めばいいじゃないですか。拉致した相手に身代金を払うのはおかしい。
そのとおりです。しかし、どうせ政府が何もできないのなら、裏取引でも何でもいいから、
せめて金くらい出してくれと書いたい。それが家族の本音ですよ。
きれい事ばかり言っていても拉致被害者は帰ってこない。
政府にも家族会にも、もっと、したたかにやってくれと私は言いたいんです」


この記事を受けてまず一番強い批判を受けたのは、「いくらお金を積んだってあの金正日が拉致被害者を帰すはずは無い、透氏はいったい何を考えているんだ?」と言う点。
今ひとつは、「自分は無事に弟一家を取り戻したので、他の被害者の事はもうどうでもいいんだろう」と言うものでした。

透氏は他の被害者家族同様、長い事無法国家・北朝鮮と無能国家・日本との戦いをしてきた人です。
彼が北朝鮮の本質について知らないはずはありません。
いくらお金を積んだとて、被害者がすんなり帰るはずも無い事くらい、彼だって十分承知のはずでしょう。
それなのになぜ彼はお金を積んででも、と言う発言をしたのか?
透さんの本心はお金云々にあるんじゃないと私は思うのです。
お金云々は例え話、一種のレトリックだと私は思います。
拉致被害者運動の本質を見失ってはいけない、家族会の原点を忘れてはいけない、と言うことを彼は言いたかったのではないでしょうか?

それなのに透氏の真意を汲み取る努力もせず、言葉尻のみを捉えて槍玉に挙げる人は少なくない。
そういうことを平気で口に出来る人たちは、本当に家族の置かれた立場を理解しているといえるのか?
本当に被害者の痛みや家族の苦痛を理解しているといえるのか?
私は疑問に感じています。

いまひとつは自分は家族を取り戻したから他の家族のことはどうでもいいんだろ、と言う批判です。
まぁ確かに被害者の奪還に成功した家族とそうでない家族の間に、微妙な温度差があるのはやむを得ない。
でも他の家族の事はどうでも良いのだろう?とは、それは余りにも酷い言い草ではないのかな?と。

座り込み懸念エントリーの時にも私は口を酸っぱくして主張しましたが、異論・反論を排除する組織と言うものはやがて先鋭化し、先細りするものなのです。
それは拉致被害者救出運動にとってプラスになるのかマイナスになるのか?
懸命な人であれば、少し考えれば十分理解できる理屈だと思うのですが。

家族会・救う会の内情を、私はそれほど詳しく知っているわけではありません。
しかし仮に家族会・救う会の中に異論・反論を許さないという空気があるのだとしたら、それはいただけない行為だと思う。
透氏の意見は特別異端というわけでもない。
ネットを一周りすればそこそこ散見する意見でもあります。
かく言う私も透氏の意見に賛同しているひとりですからね。

それを「自分は弟を取り返したから他はどうでもいいんだろ」などと狭義な台詞をのたまって、排除するのはいただけない。
むろん未帰還者家族の焦りや苛立ちは良く分かるつもりです。
しかし悲しみに目をふさぎ、苦しみに耳をふさぐ行為をしてはいけない。
追い詰められた時こそ、運動を先鋭化させないためにも、異論・反論の声には耳を傾ける努力をするべきではないのか?

今、家族会の訴えはどの集会に参加しても悲痛な叫びです。
過熱気味と言っても良いかもしれない。
焦りと苛立ちがギリギリのところまで噴出していると言った感じがします。
そんな時に彼らに冷静になって状況判断をしろ、と言っても空しい忠告なのかもしれません。
ある種の政治運動に救出運動が利用されないように気をつけろ、と忠告してもその判断を今の彼らが下すのはおそらく容易な事ではないのでしょう。

そんなときに、支援者の顔を装った下心たっぷりの不貞の輩がですね。
家族の耳元で天下国家をささやけば、それを拒絶する事は今の家族には出来ない相談だと思います。
拉致問題の根底には確かに日本の抱える諸問題の存在がある。
これを抜きに、被害者の奪還を果たす事はおそらく不可能です。
しかし、被害者家族が一歩その禁断の地に足を踏み出す事で失う物もまた多い。
そのためには悪魔のささやきに引きずられない強かさ、あるいは逆に悪魔のささやきを利用するくらいの強かさが家族会には必要だと思うのですが、そのための適任者が透氏のような存在だと私は思うわけです。

家族会にも救う会にも先鋭化を防ぐ為のブレーキ役は必要なのです。
異論・反論を恐れずに主張する人が存在するべきなのです。
しかし今、その役目を担う人材が家族会・救う会、共にいないと感じます。
そういう状況の中で一端事に及べば、救出運動も暴走の限りを尽くしかねない危険性がある。
座り込み騒動の一件などはその典型ではなかったか?
しかし今現在、透氏は救出運動の本流からは離れています。
自ら離れたのか、無理やり押し出されたのかは分かりませんが。
それは運動の本質を護る意味で、とても残念な事だと思う。

また今はですね。
帰国した5人の被害者たちのガードが固すぎて、救う会も調査会も中々彼らから直接話を聞く機会を持てないのだという話を良く耳にします。
当然そのガード役の筆頭には透氏の存在がある。
これもまた透氏批判の槍玉に上がりそうなネタですけれどね。

でもこれも透さんの身になって考えてあげて欲しいのですよ。
透さんは今弟さん一家の生活を守る事に必死なのだと思う。
スパイ防止法も無く北の工作員がどこをうろついているか分からない今、薫さんはじめ家族の身の安全はどこまで保障されているのか?
政府の保護は期待できるのか?
はなはだ怪しい・・・
そんな体たらくな状況の中、大事な弟の命を守るためにはどうすればよいのか?
仮に世間と家族会・救う会を敵に回しても俺は弟一家の安全を護る、と透氏が決断したとしてですね。
その事をいったい誰が「蓮池透の卑怯者め!」と責める資格があるというのでしょうか?

目先の言動に囚われて本質を見失う事の怖さを、透氏の存在は訴えかけていると思います。
短慮に走って良いことなどひとつも無い。
透氏を批判するのはたやすい事です。
しかし透氏を失うことで発生するリスクと言う物も考えてみるべきではないのでしょうか?
運動が行き詰った時こそ、大事な事は何なのか?と、原点を振り返ってみるべき。
何より一番大事なことは拉致被害者の命を救う事なのです。
その大望の前で、つまらぬ事で内輪もめなどしている暇は無いはずですよね?

透氏の“問題発言”を責める資格が一体全体日本国民の誰にあるというのでしょう?
拉致問題の解決をここまで引き延ばしてしまった責任は、私たち国民全てにあるのではありませんか? 
そんな無能な私たち国民のどこら辺に、透氏の“問題発言・態度”を責める資格があるというのでしょうか?
posted by ぴろん at 19:40| Comment(16) | TrackBack(3) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

家族会を煽っているのは誰ですか?

久々に変人のぼやきを書こうと思います。(笑)
例によって難しい話の出来ない私は、半径3メートル程度の生活実感から話を起こします。(笑)
ご承知くださりますよう・・・<(_ _)>

当blogで何度も主張している通り、私は拉致被害者救出運動というものは、基本的に「人の命を救う運動」であるべきだと思っています。
しかし最近の運動のあり方・一部支援者のあり方には、疑問や違和感を感じる事も少なくないのです。
拉致が先か?天下国家が先か?
人の命を救う運動であるはずの救出運動が、いつの間にやら政治運動へと変質をし、本末転倒の主義主張を繰り出す支援者がどうも少なくはありませんしね。

そんな事をあれこれ考えている折々も折、「news_from_japan閉鎖に思うこと」のコメント欄に中々興味深く、重要な視点を含んだご意見をたくさん頂戴しました。
今日はそれらのご意見に対するレスを揃ねて、自分の思うところを書き綴ろうと思います。
ですので本日のエントリーを読む前に、当Blogの「news_from_japan閉鎖に思うこと」のコメント欄でのやり取りをまずはご一読くださいませ。

例えばの話です。
我が子と他人の子と二人一緒に川で溺れてしまい、どちらか一人しか助けられないとしましょう。
あなたが親ならば、どちらの子供を助けますか?
私が親ならば、迷うことなくまず我が子を救うでしょう。
親が我が子を放り出して他人の子を先に救えば、それはお話としては美しい物語になるでしょうけど、私はそれは一種の偽善だと思う。

人間は誰でも自分と自分に属する者が可愛いのです。
それは人間の誰でも持ってる「業(ごう)」と言う奴。
良いも悪いもないのです。
ただし、私は支援者がこの手の視野狭窄に陥る事を良しとはしない。
そもそも他人の痛みを想像する能力のない人が、他人の困りごとを支援するなど、性質の悪すぎる冗談話です。
人助けをしようと思うなら、まずは支援者の側もそれなりの器量なり余裕なりを備えてしかるべきと思う。
自分の事で手一杯という懐の小さい人間は、他人の心配をする前にまずは自分の頭の上の蝿を追うことを考えるべきでしょう。

しかし家族は別物だと私は思うのですよ。
拉致という非情な犯罪行為の前では、家族もある意味被害者。
その彼らに必要以上に聖人君子であることを求める事事態、私は話が違うと思っています。
家族は、奪われた肉親を思う愚かな親や迷えるきょうだいのままで一向に構わないと思う。
日本の再生とか人権問題とか外交だとか歴史問題だとか・・・そんな難しい“他人の子供”の話など、私の知った事ではない!
とにかく我が子を返してくれ!きょうだいを返してくれ!
おおっぴらに口には出せないけれど、これが彼らの偽らざる本音だと思う。
そしてこれこそが彼らにとって絶対に譲る事のできない、家族会が救出運動を続けるための“原点”だと思います。
私は、拉致被害者家族の“原点”は、本来これで良いんじゃないか?と思うのですね。

本来被害者救出について責任を負うべきは日本政府です。
しかし政府の体たらくは皆様ご存知の通り。
囚われの被害者を救い出す為には、家族自ら動いて被害者救出を政府や世論に訴えなければならない。
家族は被害者家族と言う立場に安穏としてはいられなくなりました。
世論の支持を得るために、家族たちは否が応でも戦略を持たねばならなくなりました。
外交や歴史や日本国のあり方まで、ありとあらゆる分野の勉強もしなければならなくなりました。
そして好むと好まざるとに関わらず、彼らは北朝鮮問題のエキスパートと成らざるを得なくなったのです。

ところがそうなればなったで、今度はある下心を持った連中がしたり顔で家族に近づいてくる。
そういう連中にとって、家族会の人たちと言うのは格好の旗頭となりますからね。
これを利用しない手は無い。
表向き被害者奪還運動の支援者を装いながら、実はその裏で自分の政治的理念を実現する為の体のいい媒体として、家族に近づき操ろうとする不届き者が出てきます。
家族の口を借りて天下国家を語らせ、人権問題を語らせ、歴史問題や外交問題を語らせれば、これほど世の中にアピールする方策も他に無いでしょうから。

確かに拉致問題解決のためには、日本が抱えるあらゆる問題を解決せねばなりません。
私も歴史問題や靖国問題・教科書問題、果ては憲法改正問題まで、日本が抱えるあらゆる問題に心を痛めております。
そしてこれらの諸問題を解決できないような情けない国家が、あの無法国家から拉致被害者を奪還する事など出来ようはずも無いだろう、とも思っています。

しかしそれらの問題はあくまでも拉致問題とは別立てで考えるべきだと思うのです。
拉致問題を解決する為に日本の諸問題の解決を考えるならばともかく、日本の諸問題を解決する為に拉致を利用するのでは、話が本末転倒。
人の命がかかっている拉致問題を利用して日本再生を図ろうなどとは、考え方そのものが逆立ちしています。
そういう不遜な事をして憚らない人たちは、囚われの被害者の命をいったい何と心得ているのか?
大事な肉親を奪われて苦しむ家族の痛みを何と心得ているのか?

家族はあくまでも家族です。
彼らはあくまでも囚われの肉親の救出を願う愚かな親であり、迷えるきょうだいで良いのだと思う。
仮に彼らが公の場でどんなにいけ好かない発言や態度を取ったとしてもですね。
拉致問題は日本の国家主権侵害問題である以上、日本政府は全力で被害者奪還をしなければならないし、国民もそれを支持するべきだろうと思う。
けれど残念ながら、日本人の意識はそこまで届いてはいないのではあるまいか?
5.22の家族会バッシングは、そんな体たらく国家日本を支える日本国民の、レベルの悪さを表して余りある行為ではなかったか?

5.22以降、国民の反感を買わぬよう支援を取り付けられるよう、家族は以前にもまして世論の動向に気を使うようになりました。
どんなに激しい批判を受けても嫌がらせを受けても諦めることなく、支援を求めて全国を駆け巡っていらっしゃいます。
時には理解の無い冷たい言葉を浴びせられたり、理不尽な思いをする事も一度や二度ではないはずです。
それでも家族は忍耐の日々を過ごし諦めることなく活動を続けていけるのか?

答えは簡単です。
それは北に囚われの肉親に対する、強い愛があるからに他ならない。
家族への愛があればこそ、家族会の人たちはどんな理不尽にも耐えて耐えて耐え抜いて、日々支援を求めて東奔西走しているのです。
その事を私たち支援者は、いったいどこまで真剣に理解して日々の支援活動をしているのでしょうか?
家族の愛を利用して彼らに天下国家を語らせるなど、非常に傲慢で恥ずかしい行為だとなぜ気が付かないのでしょうね。

私たち支援者は彼ら家族に必要以上に聖人君子になることを求めてはいけないと思う。
彼らを北朝鮮問題のエキスパートにしてしまったのは、日本国と日本国民が余りにもだらしが無いことの逆証明でもあるのです。
家族を必要以上に奉り、まるで神様か何かのように崇める前に、まずは己の不甲斐なさを反省するべきではないでしょうか?
ましてや自分の政治目的を達成する為の手段として、家族を利用し拉致問題を利用するのは卑怯という物。
支援者たる者、ここを勘違いしてはならぬと思う。
今一度立ち止まり、謙虚に冷静になって、我ら支援者も拉致被害者救出運動の原点を考えるべきでしょう。

一番優先すべき、大事な事は何なのか?
少なくとも私は、この救出運動は人の命を救う運動であるべきと心得ます。
人の命は待ったなし。
日本再生は、拉致被害者奪還運動の後回しでも一向に構わない問題なのですから。
そこの所順序を間違えたくは無いものだと思う。

最近のご家族の発言で気になるものがあります。
確か有本嘉代子さんだったと記憶するのですが。
テレビでだったか集会でだったかちょっと忘れてしまったのですけれど「日本がちゃんとした国になるように、そのために娘は犠牲になったのだと思う、云々」・・・と言う発言をされました。
まぁ、嘉代子さんに限らず家族の口からは時々この手の発言が飛び出します。

その言葉を聞くたびに、なんだか「天下国家のためならば例え肉親の救出が叶わなくても仕方が無い」と言っているようにも思えて、聞いてる私はたまらない気持ちになる。
そんな悟りすました事を言う暇があったら、もっともっと貪欲に家族の奪還を叫べば良いのにね。
まるで聖人君子のようなこの手の台詞を、家族の口から言わせてしまってるこの状況を、他の人は恥ずかしい事だとは感じないのでしょうか?

前述したとおり、家族の原点はあくまでも肉親の救出なのです。
しかし娘を犠牲にしても日本がちゃんとした国になるようになどと、彼女の口から天下国家を語らせた時点で、全ての国民は己の不甲斐なさを家族に懺悔せねばならないと思う。
被害者の救出よりも天下国家を優先させるような逆立ち発言。
そしてここが一番言いたいことなのだけれども、家族にこういう発言をするように仕向けている不届き者を、支援者と呼ぶにはどうも抵抗があるのです。

これだけ声をからして訴えても世論の支持や関心が思ったように広がらないのはなぜなのか?
無論一番悪いのは政府の体たらくです。
しかし支援者の側に果たして何の問題も無いといえるのか?
原点を忘れた支援者の傲慢さが、心ある国民を家族から遠ざけてはいないか?
家族が家族の心情として被害者奪還を訴える事は、広く国民の共感を呼ぶことができます。
しかし政治的発言をすることは両刃の剣です。
政治色を帯びた発言をすることは、その発言に共感する人の支持を取り付ける事はできても、それ以外の人の支持を失うと言うリスクがある。

最近参加した集会で感じた事ですが、家族の苛立ちは座り込み以前よりも更に募っているように思えます。
特に早紀江さんを初めとする女性陣の訴えは、叫びを通り越してもはや悲鳴です。
このままの負担を彼・彼女たちに強いれば、近いうちに本当に倒れる人が出る。
命を取られる人が出る。

家族の願いはあくまでも肉親の救出。
徹頭徹尾、息子や娘の救出を願えば良いのです。
愚かな親のままで良いのです。
我が子の命を棚上げにしてまで、日本の抱える諸問題のエキスパートになる必要は無いのです。
なのに家族の願いを利用して彼らのカリスマ性を利用して、彼らに天下国家を語らせる不届き者は誰なのか?
してやったりとほくそ笑むのは誰なのか?
支援者の顔を装いつつ、その裏で家族に命懸けの過剰な負担を強いる不届き者を私は決して認めたくはない。

え〜っとですね。
後もうひとつ、蓮池透氏についての思うところも書きたかったのですが、長くなりましたので明日に順延。
エントリー第2弾として別立てで記事を書きます。
お待ちくだされ・・・<(_ _)>
posted by ぴろん at 00:01| Comment(6) | TrackBack(1) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月02日

尋ね人で始まった出会い・・・ある特攻隊員のお話 その6・・・

  千葉県出身の石渡正義君の最期の消息を存じておる者です。
  石渡君のご家族の方、この放送を聴いていらっしゃいましたら、
  熊本県○○○○のAまでご一報ください。

戦後しばらくの間、NHKのラジオ放送に、「尋ね人」と言う番組があったのをご存知ですか?
戦争のドサクサで生き別れになってしまった肉親や知人・友人の消息を尋ねる番組。
その番組に上記のような放送が流れたのは終戦後しばらく経ってからのことだと聞いております。
一度目の放送は空振り。
しかし2度目の放送を、当時東京在住だった親戚の人が聞きつけ、放送局に問い合わせを入れました。
そして千葉の家族と、A氏の数奇なご縁がつながったのです。

A氏とは何者なのか?
まずはこれをご説明しなければならないでしょう。
彼は叔父が搭乗した桜花の母機、一式陸攻の搭乗員だった人。
叔父が敵艦目掛けて突撃し、特攻に成功したその瞬間をその目で目撃した生き証人なのです。

前々回のエントリーでご説明したように、桜花は自力発進が出来ない戦闘機です。
一式陸攻の腹に桜花を抱え込むようにして出撃、敵艦目掛けて桜花を切り離し特攻する。
その母機の搭乗員だったA氏は戦争を生き延び、戦友の最期の様子を家族に伝えるべく、尋ね人に申し込んで叔父の家族を探してくれたのです。

戦争を生き延びた元特攻隊員の心中がどのような物であるのか?
私には想像がつきません。
しかし元特攻兵の中には、自分だけ生き残ってしまったという慙愧の念に囚われる余り、心を病んでしまった人も少なくないと聞きます。
とすればA氏も、生き残ってしまった者が感じるであろう、心の痛み・苦しみに苛まれる日々を過ごしていた事は、想像に難くありません。
それもA氏の場合は戦友の死の瞬間をその目で見たのですから。
心に受けた傷の深さも半端なものではなかったであろう事は推測されます。
A氏が戦友の最期を家族に伝えようとしたのも、それをすることで、おそらく自分の心にけじめを付け、心の安らぎを得たかったからではないのではないでしょうか?

721海軍航空隊・別名神雷部隊の出撃は、次から次へと搭乗員を補充して出撃するという有様だったと聞きます。
ひとつの部隊が出撃して基地が空になると次を補充し、その部隊が出撃して空になると次を補充しと言う具合に。
考えてみればこれも当然の成り行きなのですよね?
なにしろ特攻は往ったきりニ度と帰らない片道切符の出撃。
ひとつの部隊が出撃すれば鹿屋の基地は空っぽになるのは当たり前。
作戦続行の為には後から後から人員を補充せねばなりません。

ですから同じ部隊の戦友といっても、叔父とA氏が共に過ごした時間は本当にわずかな物でしかなかったのだそうです。
お互いの事は、せいぜい名前と出身地くらいしか知らなかったんですね。
戦後、A氏が叔父の家族の元を尋ねようと決心しても、尋ねていく先がどうにも分からない。
せめて私の叔父が予科練の17期生だという事だけでも分かっていれば、そこから住所を辿る事も可能でしたでしょうが。
それでやむなくA氏はラジオの尋ね人に申し込み、家族を探す決意をしたのだそうです。

叔父とA氏は出会ってすぐに親しい友人となったと聞きます。
朗らかで明るく、すぐに親しい友人を作る名人だったという叔父の特性が、良く発揮された場面でありましょう。
そして出撃の日、叔父は桜花へA氏は母機の一式陸攻へ。
これも運命なのでしょうか?

過日説明したように、桜花は戦闘機としてはお話にならないくらいちゃちな代物です。
母機の一式陸攻の方も敵の返り討ちに遭い、そのほとんどが帰還を果たせず、搭乗員もろとも撃破されたと聞きます。
しかし幸か不幸か、はたまた叔父の腕前が良かったのか?
叔父の搭乗した桜花は敵艦の撃沈に成功しました。
その瞬間、母機の操縦席の中でA氏は「石渡〜〜〜〜!!」ととてつもなく大きな声で絶叫したのだそうです。

しかし、暢気にしてはいられません。
一式陸攻は無事桜花の切り離しに成功したら、鹿屋基地まで帰還せねばならないのです。
敵の雨あられのような砲弾の嵐をかいくぐり、レーダーに引っかかるのを避けるために海面すれすれを飛行。
A氏の乗った一式陸攻は逃げに逃げたそうです。
けれどアメリカの追撃は激しく、もう駄目かと思ったその時、前方に大きな雲の塊を発見。
その雲の中に飛び込んでアメリカの追撃を辛くも振り切り、計器飛行で鹿屋を目指しました。
そして、何とか無事の帰還に成功したのだそうです。

この話を聞いて、私は自分の立ち位置のレアぶりを思わずにはいられなくなりました。
特攻隊員の遺族である事事態がすでにレアケース。
そして、叔父が特攻に成功した事が更にレアケース。
特攻の瞬間を目撃した生き証人がいる事が更に更にレアケース。
その生き証人を乗せた母機が無事の帰還を果たした事が更に×3のレアケース。
そして母機の搭乗員だったA氏が戦後を生き延びた事が更に×4のレアケース。
そのA氏が千葉の家を探し当てて、叔父の最期を伝えに来てくれた事が、更に×5のレアケースだという事に。

特攻隊員の中にも色々なケースがあります。
中には特攻に志願した事を家族に内緒にしたまま出撃した特攻隊員がいるそうです。
戦後のどさくさで出撃名簿が分からなくなっている者。
自分の息子が兄弟が特攻で戦死したことを知らない遺族もいれば、出撃時の状況どころか出撃地さえも分からない、と言うケースさえあると言います。

そこへいくと我が家の場合、所属部隊から出撃日、出撃の様子から特攻に成功したその瞬間と、何から何まで分かっているのです。
これが叔父の死を受け止め、心の整理を付けるのにどれだけ役に立った事か?
大切な肉親の最期の様子が分からない多くの遺族は、中々その死を受け入れる事が出来ず、最期の消息を求めてあちこち訪ね歩く人もいると言います。
しかし我が家の場合、その必要は全くありませんでした。
はるばる熊本からA氏が叔父の最期を知らせるべく、訪ねて来てくれたのですから。

私が祖父から聞いているのはこれらの事実のみ、です。
A氏が千葉の家を訪ねてきてくれた時、何を感じて何を思ったのか?
どんな会話を交わしたのか?
子供の知恵ではそこまでの機転は利きません。
惜しい話を聞き逃してしまったと、本当に悔やんでおります。
戦友の最期を伝えに千葉の家を訪ねるA氏の心境や如何に?
叔父の最期を知る戦友を迎える祖父たちの気持ちは如何に?
人一人の死を、それも特攻による死を伝えに来るのです。
迎える方も訪ねる方も、それ相応に複雑な心境であった事と推測いたします。
千葉の家の敷居をまたぐ、A氏の足取りは軽かったのか?重かったのか?

なので、この先の話は想像するしかないのですが。
私の祖父は人情の塊が服を着て歩いていると表現しても差し支えないくらい、情の厚い人でした。
悲壮な決意をして戦友の最期を伝えに来るA氏の事を、祖父が邪険に扱うとは100%考えられない。
A氏の告白を受けて、おそらく祖父はA氏の手を取り、感激のあまり男泣きに泣いたのでしょう。
そして顔を涙でぐしゃぐしゃにしながらおそらくこんな台詞を語ったに違いない。

「よく弟の最期の様子を伝えてくださった。
ありがとう。
本当にありがとう。
Aさん、いつでも弟の墓参りに来てやってください。
この家を自分の実家だと思っていつでも訪ねて来て下さい。
あなたが来ればきっと弟も大喜びするでしょうから。」

そんなふうに歓待されて感激しない元特攻隊員がいるでしょうか?
おそらくA氏もつられて男泣きに涙したであろうことは想像に難くありません。
その証拠にA氏はその後何度か叔父を訪ねて千葉まで墓参りに来ています。
叔父の墓の周りを花一杯にしてやりたいと、訪ねてくるたびにツツジなどの花木の苗を持参し、墓の周りに植えつけていきました。
5月4日の叔父の命日には、叔父の霊前に供えて欲しいと供物と手紙を毎年毎年欠かさずに送って寄こすようにもなりました。
平成元年、祖父は病で他界したのですが、その後A氏からは
「実の兄とも思って慕っていたのにとても哀しい。心に穴が開いたようだ」
と言う内容の手紙を書き送ってきています。

祖父との交流を通じて、A氏の心の痛みは少しは和らいだのでしょうか?
生き残ってしまった罪悪感を乗り越える事はできたのか?
分かりません。
特攻の是非を問う事はここではいたしません。
しかし特攻はやはり非業の死です。
死んだ者は無論のこと、生き残った者の心にも癒しがたい傷を作る事だけは確かなのです。
肉親然り、戦友然り。

国を守る為には、家族を守る為には、命を懸けて戦わねばならぬ事がある。
世の中きれい事だけでは済みません。
それは平和の時代を生きる私にも、理解は出来ているつもりです。
けれどもそうかと言って、生きてる人間を爆弾に乗せて敵艦目掛けて打ち込むなど、どう考えても正気の沙汰とは思えない所業でしょう。
同じ戦うにしても、どうしてもう少し人の命を粗末にしない戦い方をしてくれなかったのか?
その思いはやはり私の心のどこかで疼いています。
そして私の心の中から、叔父の特攻死の重みと痛みが消える事は、おそらく永遠に無いのだと思います。

A氏の証言により、祖父を初めとする家族の心の痛みがいくらか和らいだ事は確かなのでしょう。
特攻の現場を目撃した人の証言であれば、叔父の死は動かし難い事実となります。
否でも応でも、叔父の死を受け入れざるを得ないのです。
もしかしたらあるいはどこかで生存しているのでは?という淡い期待も、きれいさっぱり捨て去らねばならない。
A氏のお話は、家族にとってさぞかし非情な非情な死亡通告であったことでしょう。
しかし、叔父は無駄に死んだのではない。
見事敵艦を撃沈して本望を果たしたのだ・・・そう思えば、辛い現実の中にも一筋の光を見る事は出来ますから。

私が物心付くか付かないかの幼い子供の頃から、特攻の叔父の話を聞かされて育ったのも、祖父の心の中である程度、弟の事が整理が付いていたからに他ならないと、今は感じています。
おかげで戦後生まれの私でも、かなり詳細な叔父の人生の軌跡を辿る事が可能になりました。
こうしてご訪問の皆様に叔父の人となりを語る事も出来ました。
叔父が残しおきたいと願った心の内を、多少なりとも受け継ぐ事が出来れば、叔父もさぞかしあの世で喜んでくれる事と思います。

最後に。
拙作ではありますが、叔父の辞世の歌を受けて自分の今の想いを込めた返歌を作ってみました。
これをご紹介して、一連のエントリーを終わりたいと思います。
叔父の短い生涯を通して、何かを感じ何かを考えるきっかけにしていただければ、遺族としましては大変ありがたく嬉しく思います。
長々お付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。
ご訪問の皆様に、心より感謝申し上げます。
  
  辞世 
  身は例へ南の海に散らうとも 残しおきたし我が心をば

  返歌
  後の世に残しおきたし心をば 胸に抱きて散る桜花
  残されし心を我に刻みつつ 五月四日の蒼空を見る

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考リンク
残しおきたし我が心をば・・・ある特攻隊員のお話・・・
生い立ち・・・ある特攻隊員のお話 その2・・・
ロマンス・・・ある特攻隊員のお話 その3・・・
神風桜花特別攻撃隊・・・ある特攻隊員のお話 その4・・・
遺書・・・ある特攻隊員のお話 その5・・・
posted by ぴろん at 20:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月01日

遺書・・・ある特攻隊員のお話 その5・・・

Img_8422.jpg

  父母様
  幾星霜今日迄愛し育て下された母様
  何一つ孝を致さず何をもお詫びの申す言葉も有りません
  今迄何度か家を訪問致し私の心を明けんと致しましたが
  何か糸にでも引かれる思ひ致しそれも出来ませんでした
  今に成って何も申し上げる事は有りません
  十分御身体を強健にもたれ東洋平和をお待ちください
  父母さまも私が搭乗員に成るをお許し下された以上
  御覚悟は出来て居られた事と思ひます
  私も覚悟は出来ました
  我々が死んで皆様が幸福に成られたら何で惜しみませう
  決して父母様には驚かれず私の帰りを笑って迎へてくださいませ
  御身御自愛の程を

  昭和二十年
  父母様   正義

書き写しているだけでも涙が滲んで仕方がありません。
これは叔父が両親に宛てて書いた遺書です。
文面はとにかく勇ましいのです。
覚悟は出来ましたとか、笑って迎えてくれとか。
でも文字は写真を御覧になれば一目瞭然、乱れに乱れているのです。
叔父の心の揺れを物語って余りある遺書だと私は感じています。

本来叔父はもう少しきちんとした字を書く人です。
しかし、遺書の方は終わりに行くに従って徐々に徐々に乱れていくのです。
書き損じた所も一ヶ所ありますしね。
日付が入っていないので想像するしかないのですが、おそらくこの遺書は出撃命令を受けてから書かれた物ではないのか?と。

初めてこの遺書を目にしたとき、私はこの文字の乱れ具合に打ちのめされました。
特攻に志願した時からいくら覚悟を決めているとはいえ、いざその瞬間が来たとき、やはり人間というもの早々冷静ではいられないのではないでしょうか?
心の揺れが出て当たり前。
生への執着が滲み出て当たり前。
最後の最後まで逡巡して当たり前だよね?叔父さん・・・

文面は一応両親に宛てて別れの言葉をしたためるという形にはなっております。
しかし私にはそれだけではなくて、生への執着を振り切るため・自分自身に言い聞かせるために、威勢の良い言葉をあえて書き連ねているとも感じられてならないのです。
私は初めてこの遺書を目にしたとき、100%の死に向かう人間の覚悟の大きさ・重さに、己の身が潰れそうになりました。
泣くよりも先に、息が出来ないほど胸が痛くなりました。

Img_8422.jpg

千葉の生家には遺書のほかにもうひとつ辞世の歌などを書き付けた物があります。
こちらが叔父本来の筆跡です。
先にご紹介した遺書との違いがハッキリと見て取れるかと思います。
昨日ご紹介した略歴も、ここに書き付けてあります。
じつはこれ、紙ではなく白いハンカチに書き散らしてあるのですね。
中心に縫い止めてあるのは実は遺髪です。
その周りに辞世の歌などを書き付けてあります。
書かれている言葉を、全部拾ってみたいと思います。

  身は例へ南の海に散らうとも 残しおきたし我が心かな
  花は桜木 人は武士
  万歳
  死
  父母に幸あれ
  不幸を詫びる
  一人一艦撃沈あるのみ
  国に忠なるは親に孝なると信じ 我は往かん南の空へ

  海軍一等飛行兵曹 石渡正義

文字がきちんとしているところを見ると、これは出撃の日よりもかなり以前に書かれたのであろうと推測します。
略歴が721海軍航空隊へ配属になったところで終わっているのをみると、あるいは特攻に志願した後、部隊への配属直後に書いたものかもしれません。
出撃日直前に書いたものならば、鹿屋基地への移動も書かねばなりませんが、その記載がありませんので。

遺書の方は最期の場面に直面したギリギリの心情が溢れて余りあるものと思いますが、こちらのハンカチの方は、徐々に徐々に覚悟の程を決めていく、静かな心の軌跡が見て取れると感じています。
遺髪を縫いとめ、略歴を書き記し、心に浮かんだ言葉を書き散らす。
自分の思いを書き記すことによって、叔父は心の整理をつけようとしたのでしょうか?
書かれている言葉は全て、死に向かう覚悟と親への思い。
「花は桜木 人は武士」「一人一艦撃沈あるのみ」と言う言葉はおそらく特攻隊員の合言葉のようなものなのでしょう。
特攻隊員の遺書を調べて見ると、この言葉を書き連ねている人が結構いらっしゃいますので。

特攻については色々なご意見があろうかと思います。
中には厳しい物の言い方をするご意見も散見いたします。
例えば犬死であったとか、洗脳されていたとか。
でも叔父が書き残した物を見る限り、少なくとも私は、叔父が洗脳されていたとは思っておりません。
遺書の文字の乱れを見ただけでも、人間らしい心の揺れが溢れて余りあると思いますし。
叔父が生への執着を振り切り出撃して往ったその悲壮なまでの覚悟の裏には、溢れるほどの家族への思いがある。
ただ、それだけの事ではないのでしょうか?
であるからこそ、叔父の思いを受け継ぐ者の身に圧し掛かってくる物も、また重いのですけれどね。

笑って帰りを迎えてくれと書き残した叔父。
でも一体どうやって帰るのだと?
肉体は敵艦もろとも木っ端微塵、海の底です。
つい最近、NHKでDNA鑑定の結果60年ぶりに遺族の元へ遺骨が帰ったという番組がありましたが。
あれを見て、私はとても羨ましいと感じました。
我が家の場合、そもそも遺骨の収集が100%不可能。
第一叔父の体は人の形をしていません。
どう頑張っても肉体そのものが帰ってくることは出来ないのです。

しかし、これも難儀な話なのですが、特攻であっても一応“遺骨”は帰って来るのですね。
叔父の戦死後、役場から「遺骨を引き渡すので取りに来るように」と言う連絡が実家に入ったのだそうです。
連絡を受けて、私の祖父は役場へ出向き、白木の箱をひとつ受け取って帰ってきました。
帰宅後、箱の蓋を開けると・・・中には「英霊」と書かれた紙切れが一枚っきり入っていただけ。
他には何も無い空っぽの箱が無言の帰宅を果たしたのだそうです。

この箱を受け取って家族はどうしたか?
残念ながら私は、祖父にその心情までもを聞くことはしてないのです。
惜しいかな、さすがに子供はそこまで気が回らない。
事実は事実として何度も祖父から聞いているのですけどね。
子供の頃に思うことと、大人になって思うことの違いをこんな所でも思い知らされます。

で、唯一の体験者である母に聞いてみたのです。
母は、当時国民学校の2年生。
その日の事はハッキリと記憶にあるんだそうです。
当時千葉の家には、叔父のすぐ上の姉一家が東京から疎開して同居しておりました。
祖父の帰宅後、箱の蓋を開けて葉書大ほどの紙に書かれた「英霊」と言う文字を見た瞬間ですね。
その姉が前掛けを顔に押し当て、これ以上無いと言うほどの大きな声を上げて、ワァワァと号泣したのだそうです。
びっくりするほどの声の大きさを、母は今でも昨日の事のように覚えていると言います。

特攻の叔父さん。
笑って迎えてくれ、って言ってもそれは無理な相談ですよ、まさ叔父さん。
だって両親にとって、あなたはかけがえの無い息子。
兄や姉たちにとって、あなたは可愛い弟なのです。
私の母にとっては、優しい優しいお兄さんだったのですよ?
どうやったって、笑って迎える事など出来ようはずもないじゃありませんか?

わずか4年前の岩國予科練時代。
はるばる訪ねてきた年老いた母を見て男泣きに泣いたというあなたが、たった4年の間にどうして?
なぜ?こうも悲壮な死を覚悟するまでに至れたのでしょうか?
お国のため?
天皇陛下のため?
でも一番の理由は、やはり家族への愛ですよね?
私にはそうとしか思えないのです。

戦死の公報を受け、“遺骨”が戻ってきた以上、葬式を出してやらねばなりません。
でも本物の骨は無いのです。
ですので、叔父本人が実家に送ってきていた爪と髪の毛を代わりに収めて、墓を建ててやったのだと聞いております。
田舎のことですし、当時は墓と言っても土葬です。
棺おけごと埋めて土の山を作り白木の墓標を立てるのが、その当時のごくごく一般的な墓の建て方でした。

しかしお国の為に非業の死を遂げた息子を、そんな粗末な墓に埋葬したくは無かったのでしょう。
両親はなけなしのお金をはたいて立派な石の墓を建てました。
叔父の墓石には、先日ご紹介した本人の略歴のほかに、「一人一艦撃沈あるのみ」「国に忠なるは親に孝なると信じ 我は往かん南の空へ」の文字が刻まれています。
息子の生きた証しを後の世に伝え残したい・・・そんな両親の切なる思いが溢れた墓です。
そして、その両親の願いがあったればこそ、戦後60年の今、その記録を辿って叔父の生きた軌跡を辿れる私がいます。
これも家族の絆・血脈の証し、なのでしょうね。

突撃の瞬間。
叔父さんは何を叫んだのでしょうか?
天皇陛下万歳!と叫んだのか?
それとも親父!お袋!と叫んだのか?
その瞬間、叔父さんは笑顔だったのか?
それともぐしゃぐしゃに泣いていたのか?

でも、仮にどんなにみっともない突撃であってもですね。
あなたが家族へ向けた愛情と家族があなたへ向ける愛情に、何の変わりもありはしません。
叔父さんは、私にとって今も大切な家族なのですから。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考リンク

残しおきたし我が心をば・・・ある特攻隊員のお話・・・
生い立ち・・・ある特攻隊員のお話 その2・・・
ロマンス・・・ある特攻隊員のお話 その3・・・
神風桜花特別攻撃隊・・・ある特攻隊員のお話 その4・・・
posted by ぴろん at 21:15| Comment(0) | TrackBack(1) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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