2005年08月01日

遺書・・・ある特攻隊員のお話 その5・・・

Img_8422.jpg

  父母様
  幾星霜今日迄愛し育て下された母様
  何一つ孝を致さず何をもお詫びの申す言葉も有りません
  今迄何度か家を訪問致し私の心を明けんと致しましたが
  何か糸にでも引かれる思ひ致しそれも出来ませんでした
  今に成って何も申し上げる事は有りません
  十分御身体を強健にもたれ東洋平和をお待ちください
  父母さまも私が搭乗員に成るをお許し下された以上
  御覚悟は出来て居られた事と思ひます
  私も覚悟は出来ました
  我々が死んで皆様が幸福に成られたら何で惜しみませう
  決して父母様には驚かれず私の帰りを笑って迎へてくださいませ
  御身御自愛の程を

  昭和二十年
  父母様   正義

書き写しているだけでも涙が滲んで仕方がありません。
これは叔父が両親に宛てて書いた遺書です。
文面はとにかく勇ましいのです。
覚悟は出来ましたとか、笑って迎えてくれとか。
でも文字は写真を御覧になれば一目瞭然、乱れに乱れているのです。
叔父の心の揺れを物語って余りある遺書だと私は感じています。

本来叔父はもう少しきちんとした字を書く人です。
しかし、遺書の方は終わりに行くに従って徐々に徐々に乱れていくのです。
書き損じた所も一ヶ所ありますしね。
日付が入っていないので想像するしかないのですが、おそらくこの遺書は出撃命令を受けてから書かれた物ではないのか?と。

初めてこの遺書を目にしたとき、私はこの文字の乱れ具合に打ちのめされました。
特攻に志願した時からいくら覚悟を決めているとはいえ、いざその瞬間が来たとき、やはり人間というもの早々冷静ではいられないのではないでしょうか?
心の揺れが出て当たり前。
生への執着が滲み出て当たり前。
最後の最後まで逡巡して当たり前だよね?叔父さん・・・

文面は一応両親に宛てて別れの言葉をしたためるという形にはなっております。
しかし私にはそれだけではなくて、生への執着を振り切るため・自分自身に言い聞かせるために、威勢の良い言葉をあえて書き連ねているとも感じられてならないのです。
私は初めてこの遺書を目にしたとき、100%の死に向かう人間の覚悟の大きさ・重さに、己の身が潰れそうになりました。
泣くよりも先に、息が出来ないほど胸が痛くなりました。

Img_8422.jpg

千葉の生家には遺書のほかにもうひとつ辞世の歌などを書き付けた物があります。
こちらが叔父本来の筆跡です。
先にご紹介した遺書との違いがハッキリと見て取れるかと思います。
昨日ご紹介した略歴も、ここに書き付けてあります。
じつはこれ、紙ではなく白いハンカチに書き散らしてあるのですね。
中心に縫い止めてあるのは実は遺髪です。
その周りに辞世の歌などを書き付けてあります。
書かれている言葉を、全部拾ってみたいと思います。

  身は例へ南の海に散らうとも 残しおきたし我が心かな
  花は桜木 人は武士
  万歳
  死
  父母に幸あれ
  不幸を詫びる
  一人一艦撃沈あるのみ
  国に忠なるは親に孝なると信じ 我は往かん南の空へ

  海軍一等飛行兵曹 石渡正義

文字がきちんとしているところを見ると、これは出撃の日よりもかなり以前に書かれたのであろうと推測します。
略歴が721海軍航空隊へ配属になったところで終わっているのをみると、あるいは特攻に志願した後、部隊への配属直後に書いたものかもしれません。
出撃日直前に書いたものならば、鹿屋基地への移動も書かねばなりませんが、その記載がありませんので。

遺書の方は最期の場面に直面したギリギリの心情が溢れて余りあるものと思いますが、こちらのハンカチの方は、徐々に徐々に覚悟の程を決めていく、静かな心の軌跡が見て取れると感じています。
遺髪を縫いとめ、略歴を書き記し、心に浮かんだ言葉を書き散らす。
自分の思いを書き記すことによって、叔父は心の整理をつけようとしたのでしょうか?
書かれている言葉は全て、死に向かう覚悟と親への思い。
「花は桜木 人は武士」「一人一艦撃沈あるのみ」と言う言葉はおそらく特攻隊員の合言葉のようなものなのでしょう。
特攻隊員の遺書を調べて見ると、この言葉を書き連ねている人が結構いらっしゃいますので。

特攻については色々なご意見があろうかと思います。
中には厳しい物の言い方をするご意見も散見いたします。
例えば犬死であったとか、洗脳されていたとか。
でも叔父が書き残した物を見る限り、少なくとも私は、叔父が洗脳されていたとは思っておりません。
遺書の文字の乱れを見ただけでも、人間らしい心の揺れが溢れて余りあると思いますし。
叔父が生への執着を振り切り出撃して往ったその悲壮なまでの覚悟の裏には、溢れるほどの家族への思いがある。
ただ、それだけの事ではないのでしょうか?
であるからこそ、叔父の思いを受け継ぐ者の身に圧し掛かってくる物も、また重いのですけれどね。

笑って帰りを迎えてくれと書き残した叔父。
でも一体どうやって帰るのだと?
肉体は敵艦もろとも木っ端微塵、海の底です。
つい最近、NHKでDNA鑑定の結果60年ぶりに遺族の元へ遺骨が帰ったという番組がありましたが。
あれを見て、私はとても羨ましいと感じました。
我が家の場合、そもそも遺骨の収集が100%不可能。
第一叔父の体は人の形をしていません。
どう頑張っても肉体そのものが帰ってくることは出来ないのです。

しかし、これも難儀な話なのですが、特攻であっても一応“遺骨”は帰って来るのですね。
叔父の戦死後、役場から「遺骨を引き渡すので取りに来るように」と言う連絡が実家に入ったのだそうです。
連絡を受けて、私の祖父は役場へ出向き、白木の箱をひとつ受け取って帰ってきました。
帰宅後、箱の蓋を開けると・・・中には「英霊」と書かれた紙切れが一枚っきり入っていただけ。
他には何も無い空っぽの箱が無言の帰宅を果たしたのだそうです。

この箱を受け取って家族はどうしたか?
残念ながら私は、祖父にその心情までもを聞くことはしてないのです。
惜しいかな、さすがに子供はそこまで気が回らない。
事実は事実として何度も祖父から聞いているのですけどね。
子供の頃に思うことと、大人になって思うことの違いをこんな所でも思い知らされます。

で、唯一の体験者である母に聞いてみたのです。
母は、当時国民学校の2年生。
その日の事はハッキリと記憶にあるんだそうです。
当時千葉の家には、叔父のすぐ上の姉一家が東京から疎開して同居しておりました。
祖父の帰宅後、箱の蓋を開けて葉書大ほどの紙に書かれた「英霊」と言う文字を見た瞬間ですね。
その姉が前掛けを顔に押し当て、これ以上無いと言うほどの大きな声を上げて、ワァワァと号泣したのだそうです。
びっくりするほどの声の大きさを、母は今でも昨日の事のように覚えていると言います。

特攻の叔父さん。
笑って迎えてくれ、って言ってもそれは無理な相談ですよ、まさ叔父さん。
だって両親にとって、あなたはかけがえの無い息子。
兄や姉たちにとって、あなたは可愛い弟なのです。
私の母にとっては、優しい優しいお兄さんだったのですよ?
どうやったって、笑って迎える事など出来ようはずもないじゃありませんか?

わずか4年前の岩國予科練時代。
はるばる訪ねてきた年老いた母を見て男泣きに泣いたというあなたが、たった4年の間にどうして?
なぜ?こうも悲壮な死を覚悟するまでに至れたのでしょうか?
お国のため?
天皇陛下のため?
でも一番の理由は、やはり家族への愛ですよね?
私にはそうとしか思えないのです。

戦死の公報を受け、“遺骨”が戻ってきた以上、葬式を出してやらねばなりません。
でも本物の骨は無いのです。
ですので、叔父本人が実家に送ってきていた爪と髪の毛を代わりに収めて、墓を建ててやったのだと聞いております。
田舎のことですし、当時は墓と言っても土葬です。
棺おけごと埋めて土の山を作り白木の墓標を立てるのが、その当時のごくごく一般的な墓の建て方でした。

しかしお国の為に非業の死を遂げた息子を、そんな粗末な墓に埋葬したくは無かったのでしょう。
両親はなけなしのお金をはたいて立派な石の墓を建てました。
叔父の墓石には、先日ご紹介した本人の略歴のほかに、「一人一艦撃沈あるのみ」「国に忠なるは親に孝なると信じ 我は往かん南の空へ」の文字が刻まれています。
息子の生きた証しを後の世に伝え残したい・・・そんな両親の切なる思いが溢れた墓です。
そして、その両親の願いがあったればこそ、戦後60年の今、その記録を辿って叔父の生きた軌跡を辿れる私がいます。
これも家族の絆・血脈の証し、なのでしょうね。

突撃の瞬間。
叔父さんは何を叫んだのでしょうか?
天皇陛下万歳!と叫んだのか?
それとも親父!お袋!と叫んだのか?
その瞬間、叔父さんは笑顔だったのか?
それともぐしゃぐしゃに泣いていたのか?

でも、仮にどんなにみっともない突撃であってもですね。
あなたが家族へ向けた愛情と家族があなたへ向ける愛情に、何の変わりもありはしません。
叔父さんは、私にとって今も大切な家族なのですから。

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参考リンク

残しおきたし我が心をば・・・ある特攻隊員のお話・・・
生い立ち・・・ある特攻隊員のお話 その2・・・
ロマンス・・・ある特攻隊員のお話 その3・・・
神風桜花特別攻撃隊・・・ある特攻隊員のお話 その4・・・


posted by ぴろん at 21:15| Comment(0) | TrackBack(1) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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