2005年08月04日

靖国神社へ行ってきました

本日のエントリーは3本立てです
 ・靖国神社へ行ってきました
 ・古川了子さん第2回行政訴訟
 ・変人のたわ言を綴ってみる・・・本日は蓮池透氏の事

3本読むとだいぶ長いですけれど、宜しかったらお付き合いくださいませ<(_ _)>

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古川了子さんの訴訟が思ったよりも早く終わってしまったので、思い切って靖国神社まで足を伸ばしてきました。
特攻の叔父の話を書き終えた事を報告したかったし、今年は戦後60年の節目の年でもあるので、最初はお盆の頃にでも、と思ってたんです。
仕事の都合でその頃でないと時間が取れそうもなかったので。
でも盆の頃は混みますでしょ?
人ごみはどちらかと言うと苦手な方だし、あそこに行くとどうも私は平静でいられない。
出来れば人出の少ない静かな時にと思ってたので、今日は私個人的にはちょっとラッキーでした。
古川さん、不謹慎でごめんなさいね<(_ _)>

地下鉄で九段下駅下車、A1番の出口からエスカレーターで上がると、正面に靖国神社の大きな鳥居が見えてきます。
これが見えた時点で、私の涙腺はダムが決壊したような有様となってしまったのですね。
ハンカチで涙を拭き拭き参道を歩く私は、他の人から見たらさぞかしおかしな光景に見えた事でしょう。
戦死者の遺族と言うには私は一応まだ年若いですから。(笑)
この人いったいどうしちゃったのかしら〜〜?と、ね。
今年は叔父の思い出をエントリーする為にあれこれ調べ物もしましたし、以前よりも尚一層叔父の死をリアルに感じられるようになった事も、涙腺決壊の理由だとは思いますが。

本殿が近づくごとに、私の体には叔父の息遣いが肌身で感じられるような感覚を覚えます。
当然心の中ではすでに叔父との会話は始まっております。
「叔父さん、あなたの肉親が会いに来ましたよ。今年はあなたの思い出話をネットで紹介しましたよ。叔父さんは読んでくれましたか?喜んでもらえましたか?」などなど。
本殿前で参拝する時、何とも言えない思いが胸に迫るような気がしました。
これはどうも上手く説明が出来ません。
包まれるような、圧し掛かるような、温かいような・・・
国を家族を護る為沖縄の海に散った叔父の魂が、まるで私の体に乗り移ってきたような感じがする、と言ったら少し大げさでしょうか?

叔父の体は沖縄の海の底。
敵のアメリカ兵の遺体も同じ沖縄の海の底。
敵と味方が死んでもいがみ合う事のないように、叔父が安らかに海の底で眠れるように、叔父の霊を弔うと同時に敵兵の霊もお悔やみします。
どうか同じ沖縄の海の底で静かに安らかに眠ってくださいと。
友達作りの名人だった叔父のことだから、きっと今頃は敵兵のアメリカ人ともお友達になってますよね?などと、話しかけたりもいたします。
涙は相変わらずボロボロ状態ですが、心休まる瞬間でもありました。

参拝後は遊就館へ。
ここでもですね、特攻の展示コーナーを見るのは辛いですね、やっぱり。
特攻の文字を目にした途端、思わず足が止まってしまうのですよ。
でも特攻で戦死した叔父の遺族である私が、このコーナーを見ないわけには行きません。
しばらく深呼吸をして気持ちを整えて、一歩づつ歩みを進めます。
特攻隊員の遺品や遺書、特攻作戦に至る状況説明のパネルなどは読むほどに見るほどに辛いです。
多分他の人にとってはたくさんある展示物のひとつに過ぎないのでしょうが、私にはその展示物の向こう側にどうしても叔父の姿が重なるのです。
自分の存在意義が問われるような気がするのです。

もうひとつ、私の足が止まってしまう展示物があります。
それは特攻機「桜花」の展示と、桜花の出撃を再現したジオラマのコーナーです。
この展示室に入って、天井から吊るされた桜花を見るとですね。
胸が痛いんです。
近づいて行くのに、こちらも本当に勇気が要ります。
呼吸を整えて、気持ちを落ち着けて一歩一歩・・・

桜花、実物は本当に小さいのです。
零戦などよりもはるかにはるかに小さい機体。
こんな小さな機体に、体の大きかった叔父はどんなふうに乗り込んだのだろう?とか。
切り離しを受ける瞬間は何を思ったのだろう?とか、どうしてもあれこれ考えてしまう。
そしてジオラマを見て、一式陸攻の腹に吊り下げられた桜花を見るとですね。
叔父さんもこんなふうに突撃して往ったのだなぁ、と思うとたまらない気持ちになる。
ジオラマの前で再び涙腺決壊状態。
他の人にそれと悟られぬよう、涙を隠すのに必死となりました。

そうそう、遊就館で仕入れた桜花の情報を少しお教えします。
桜花の搭乗員は離陸時は母機の一式陸攻に乗って行くんだそうですね。
そして現地に近づくと桜花に乗り移り、以後は母機と桜花のやり取りはモールス信号でするんだそうです。
そして桜花切り離しの合図は「トン、トン、トン、ツー、トン」。
彼はこの、「トン、トン、トン、ツー、トン」を今生の名残として耳にし、数秒後には突撃して木っ端微塵となったわけです。

こういう事実を一つ一つ知るたびに、叔父の死がますます私の中でリアルになります。
その分だけ叔父に近づけたと思うと同時に、叔父の存在も更に私の中で重みを増してくる。
これはもう、仕方の無いことですね。
私が特攻隊員の遺族である事は避けられない事実。
叔父の生きた証しを背負う覚悟は、キッチリ決めなければならない、と言うことでしょうからね。

ジオラマの横には721海軍航空隊・雷神部隊の戦死者名簿が展示されています。
ここにも叔父の名前はきっちりと記録されておりました。
しばらくその名簿の前に立ち尽くしてですね。
叔父の名前を何度も何度も指で撫でました。
そして心の中で話をしました。
「叔父さん、私はあなたの肉親です。私の温もりが届いてますか?寂しくはないですか?母も私も元気にしていますから心配しないで下さいね」などなど・・・

721海軍航空隊の隊員は、靖国の神門をくぐった右側の2番目の桜の木の下で会おうと約束をしていたんだそうですね。
ですから靖国神社には、生き残った戦友たちの手で本当に右2番目の場所に桜の木が植えてあるのです。
その写真が冒頭の物。
神雷桜と札の架かった桜の木は一抱えもあるような大木でした。
そっと手を触れてみると夏の日差しを受けてほかほかと温かいのです。
私にはそれが何やら叔父の体温のようにも思えました。
「戦友の皆さん、ごめんなさい。ちょっとだけお邪魔して叔父の温もりに触らせてください」
そうお断りをして、少しだけ叔父と話をしました。
もしも生きている叔父さんと触れ合う事が出来たなら、こういう温もりを感じる事が出来たのかな?などと想像を巡らせたりしました。

私にとっては靖国は静かに祈る場所。
叔父と心の対話をする場所。
それ以上でもそれ以下でもありません。
今靖国問題がいろいろ言われていますが、そういう喧騒が一刻も早く鎮まって、心静かにお悔やみが出来る場所になって欲しいというのが、私の素朴な願いです。

帰り際は、何度も本殿を振り返り振り返り、叔父との別れを惜しみました。
「叔父さん、また来るからね。それまで寂しくても待っててね」
と声を掛けながら、地下鉄の駅に向かいました。


posted by ぴろん at 20:04| Comment(8) | TrackBack(3) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

古川了子さん第2回行政訴訟

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本日東京地裁で開かれた古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟へ行ってきました。
と言っても抽選で外れたので、裁判の傍聴は出来なかったんですけどね。
傍聴席37の所へ集まった人数は6〜70人くらいはいたのでしょうか?

無事傍聴できた人のお話では、今回の裁判も30分ほどで終わってしまったそうです。
原告側弁護人は拉致認定された人とされない人とでは、政府の扱いに天と地ほどの差があることを強く訴えたのだそうですが、被告・国側はのらりくらりとかわすばかり。
次回公判の予定(何と2ヶ月も先の10月20日だそうだ!)を決めてあっさりと閉廷したそうです。

人の命がかかっていると言うのに、こののらりくらりは何なのか?
裁判後開かれた報告会での竹下さんのご挨拶の声にも、やり切れない苛立ち怒りの色を感じます。
それは他の特定失踪者ご家族も同じ。
その苛立ちの声を聞き、何も出来ない無力の私は本当にやり切れない思いで一杯になりました。

報告会後、調査会の真鍋氏と山本美保さんの妹、森本美砂さんのお話を少し伺う機会がありました。
国側代理人が余りにも若い人だったので、もっと責任のあるというか話のちゃんと分かる人が裁判に出てくるわけにはいかないのか?という森本さんの疑問に対してですね。
真鍋氏が言うには、要するに被告・国側の代理人で出てくる人も官僚であると。
官僚も人の子、自分の出世は大事なのだと。
とにかくミスのないように仕事をし、余計な事をしないように仕事をし、上司の心証を悪くしないようにとあくせくするのは仕方の無いことなのだと。

こういう官僚に全うな仕事をしてもらうには、トップの意識がなにより重要。
この案件での責任者は誰か?
法務大臣でもなく官房長官でもなく・・・首相官邸の総理殿。
要するに小泉純一郎と言うことです。
トップの裁定がない限り、官僚も迂闊な決済は出せない。
だから裁判の場に若手が出ようが誰が出ようが、どっちでも同じ事、と言う話に目眩がしそうになりました。

あ〜あ、何と申しましょうか。
一国のトップの意識が裁判の有り様まで触るとは・・・これが政治や司法の世界の常識といわれても、私のような一市民感覚からはとても付いてはいけません。
お〜〜い、この一件には人の命がかかってるんだぞ〜〜!!
もっと真面目にやらんかい!!
それが私の素人感覚なんですけどね。

田中実さんの拉致認定がされた理由には、安倍晋三氏の総理就任がチラついてきたからだ、と言う話も聞きました。
いうまでもなく、安倍さんは拉致問題には非常に熱心な人です。
総理が仮に小泉から安倍さんに代わった時、田中さんの認定をしたという実績があれば、不作為の罪を安倍氏から問われる事を防ぐアリバイ作りになると踏んで認定したんじゃないか?という趣旨のお話にこれまた気が遠くなりそうな思いがしました。

ともかくも、ですね。
裁判を良い結果に導くためには、この裁判は世論が大いに注目してるんだぞ!と裁判所に思わせる事が大事なのだそうです。
傍聴席が常に一杯に埋まっている事も、そのためのアピールポイントとしては大事な事なのだとか?
無論、単に傍聴するだけでなく、その外側に入りきれないほどの支援者が駆けつけ、裁判の行方を見守っている事が、何よりも重要なんだそうです。
次回公判は、10月の20日だそうです。
お時間のある方、溢れるほどの支援者で裁判所の前を埋め尽くしましょう。
私も時間の都合が付けば駆けつけたいと思います。

裁判後の報告会では、荒木氏から次回公判では安明進氏に傍聴してもらう事も考えているとの発言がありました。
裁判所と被告・国側に良い意味でのプレッシャーをかける意味でも名案かと思う。
やれる事はなんでもやろう、吉報をつかむ為にも。

それとですね。
ちょっとした手違いがあって、この報告会の冒頭を聞き逃しました。
まぁそれらの報告は調査会からもあるでしょうから、私は古川了子さんのお姉さま、竹下珠路さんのご挨拶を初め、今日参加された特定失踪者ご家族の発言をテキストにしてご紹介したいと思います。
今後のテキスト化の予定ですが、蒼き星々管理人の金木犀様より町田集会のテキスト転載のご許可を頂きましたので、まずはこれを3日間に分けてアップします。
その後、本日の報告会の模様をテキストでご紹介しようと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
posted by ぴろん at 19:41| Comment(0) | TrackBack(1) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

変人のたわ言を綴ってみる・・・本日は蓮池透氏の事

家族会・救う会に今こそ必要なのは「透さんの冷静さ」ではないのか?と私は思っています。
もっと分かりやすく言えば、常に原点を見失わない透氏の意思の強さ・良い意味での強かさ、とでも言えば良いでしょうか?
しかし透氏の発言はしばしば激しい批判と誤解を招くのですよね。
何故なんでしょうかねぇ?

昨日のエントリーにも通じる話なんですが、家族はあくまでも自分の肉親の事だけを考えていれば良いと思うのです。
本来被害者救出について責任を負うべきは日本政府です。
しかし政府の体たらくは皆様ご存知の通り。
囚われの被害者を救い出す為、家族はのんびりと被害者家族と言う立場に安住してはいられなかったのです。
何とも情けない話であります。

ちょっとまえに、雑誌FLASHに掲載された透さんの発言も、各方面で物議をかもしました。
「news_from_japan閉鎖に思うこと」のコメント欄に、その記事がoxygen様によって提供されましたので、これを元に、私の思う蓮池透氏についてのあれこれをちょっと書いてみたいと思います。
少し長いですけど、記事を全文引用します。

蓮池透氏の発言 『FLASH』4.19号

「家族会は、もともと拉致された肉親を救出するために集まった会です。
ところか、最近やたらに「金正日体制打倒」などと言う人がいる。
私に言わせれば、北朝鮮がどうなろうか、あの体制がどうなろうが知ったことじゃない。
家族が帰ってくれば、それで目的は達成されるはずです。
とにかく北に制裁を、という制裁至上主義にもついていけない。
私も制裁はすべきだと思いますか、制裁するなら、被害者を救出するための戦略的な制裁をすべきです。
ところが今は制裁すること自体が目的になっているようにみえる。
戦略のない制裁は単なる感情的な報復でしかありません。
それで本当に被害者が帰ってくるんでしょうか。
今の家族会は、私の目には政治的な圧力団体と化してしまったようにみえる。
家族会では座り込みも辞さないというが、その姿を世間の人が見たらどう思うでしょうか。
肉親を取り戻すための座り込みなら、かつて私もやりましたが、
制裁を求める座り込みは異様に映るのではないか。
世論対策からもけっしてプラスにはならないと思います」

「批判覚悟で言いますが、一人10億払えば被害者が帰ってくるのなら
10人で100億積めばいいじゃないですか。拉致した相手に身代金を払うのはおかしい。
そのとおりです。しかし、どうせ政府が何もできないのなら、裏取引でも何でもいいから、
せめて金くらい出してくれと書いたい。それが家族の本音ですよ。
きれい事ばかり言っていても拉致被害者は帰ってこない。
政府にも家族会にも、もっと、したたかにやってくれと私は言いたいんです」


この記事を受けてまず一番強い批判を受けたのは、「いくらお金を積んだってあの金正日が拉致被害者を帰すはずは無い、透氏はいったい何を考えているんだ?」と言う点。
今ひとつは、「自分は無事に弟一家を取り戻したので、他の被害者の事はもうどうでもいいんだろう」と言うものでした。

透氏は他の被害者家族同様、長い事無法国家・北朝鮮と無能国家・日本との戦いをしてきた人です。
彼が北朝鮮の本質について知らないはずはありません。
いくらお金を積んだとて、被害者がすんなり帰るはずも無い事くらい、彼だって十分承知のはずでしょう。
それなのになぜ彼はお金を積んででも、と言う発言をしたのか?
透さんの本心はお金云々にあるんじゃないと私は思うのです。
お金云々は例え話、一種のレトリックだと私は思います。
拉致被害者運動の本質を見失ってはいけない、家族会の原点を忘れてはいけない、と言うことを彼は言いたかったのではないでしょうか?

それなのに透氏の真意を汲み取る努力もせず、言葉尻のみを捉えて槍玉に挙げる人は少なくない。
そういうことを平気で口に出来る人たちは、本当に家族の置かれた立場を理解しているといえるのか?
本当に被害者の痛みや家族の苦痛を理解しているといえるのか?
私は疑問に感じています。

いまひとつは自分は家族を取り戻したから他の家族のことはどうでもいいんだろ、と言う批判です。
まぁ確かに被害者の奪還に成功した家族とそうでない家族の間に、微妙な温度差があるのはやむを得ない。
でも他の家族の事はどうでも良いのだろう?とは、それは余りにも酷い言い草ではないのかな?と。

座り込み懸念エントリーの時にも私は口を酸っぱくして主張しましたが、異論・反論を排除する組織と言うものはやがて先鋭化し、先細りするものなのです。
それは拉致被害者救出運動にとってプラスになるのかマイナスになるのか?
懸命な人であれば、少し考えれば十分理解できる理屈だと思うのですが。

家族会・救う会の内情を、私はそれほど詳しく知っているわけではありません。
しかし仮に家族会・救う会の中に異論・反論を許さないという空気があるのだとしたら、それはいただけない行為だと思う。
透氏の意見は特別異端というわけでもない。
ネットを一周りすればそこそこ散見する意見でもあります。
かく言う私も透氏の意見に賛同しているひとりですからね。

それを「自分は弟を取り返したから他はどうでもいいんだろ」などと狭義な台詞をのたまって、排除するのはいただけない。
むろん未帰還者家族の焦りや苛立ちは良く分かるつもりです。
しかし悲しみに目をふさぎ、苦しみに耳をふさぐ行為をしてはいけない。
追い詰められた時こそ、運動を先鋭化させないためにも、異論・反論の声には耳を傾ける努力をするべきではないのか?

今、家族会の訴えはどの集会に参加しても悲痛な叫びです。
過熱気味と言っても良いかもしれない。
焦りと苛立ちがギリギリのところまで噴出していると言った感じがします。
そんな時に彼らに冷静になって状況判断をしろ、と言っても空しい忠告なのかもしれません。
ある種の政治運動に救出運動が利用されないように気をつけろ、と忠告してもその判断を今の彼らが下すのはおそらく容易な事ではないのでしょう。

そんなときに、支援者の顔を装った下心たっぷりの不貞の輩がですね。
家族の耳元で天下国家をささやけば、それを拒絶する事は今の家族には出来ない相談だと思います。
拉致問題の根底には確かに日本の抱える諸問題の存在がある。
これを抜きに、被害者の奪還を果たす事はおそらく不可能です。
しかし、被害者家族が一歩その禁断の地に足を踏み出す事で失う物もまた多い。
そのためには悪魔のささやきに引きずられない強かさ、あるいは逆に悪魔のささやきを利用するくらいの強かさが家族会には必要だと思うのですが、そのための適任者が透氏のような存在だと私は思うわけです。

家族会にも救う会にも先鋭化を防ぐ為のブレーキ役は必要なのです。
異論・反論を恐れずに主張する人が存在するべきなのです。
しかし今、その役目を担う人材が家族会・救う会、共にいないと感じます。
そういう状況の中で一端事に及べば、救出運動も暴走の限りを尽くしかねない危険性がある。
座り込み騒動の一件などはその典型ではなかったか?
しかし今現在、透氏は救出運動の本流からは離れています。
自ら離れたのか、無理やり押し出されたのかは分かりませんが。
それは運動の本質を護る意味で、とても残念な事だと思う。

また今はですね。
帰国した5人の被害者たちのガードが固すぎて、救う会も調査会も中々彼らから直接話を聞く機会を持てないのだという話を良く耳にします。
当然そのガード役の筆頭には透氏の存在がある。
これもまた透氏批判の槍玉に上がりそうなネタですけれどね。

でもこれも透さんの身になって考えてあげて欲しいのですよ。
透さんは今弟さん一家の生活を守る事に必死なのだと思う。
スパイ防止法も無く北の工作員がどこをうろついているか分からない今、薫さんはじめ家族の身の安全はどこまで保障されているのか?
政府の保護は期待できるのか?
はなはだ怪しい・・・
そんな体たらくな状況の中、大事な弟の命を守るためにはどうすればよいのか?
仮に世間と家族会・救う会を敵に回しても俺は弟一家の安全を護る、と透氏が決断したとしてですね。
その事をいったい誰が「蓮池透の卑怯者め!」と責める資格があるというのでしょうか?

目先の言動に囚われて本質を見失う事の怖さを、透氏の存在は訴えかけていると思います。
短慮に走って良いことなどひとつも無い。
透氏を批判するのはたやすい事です。
しかし透氏を失うことで発生するリスクと言う物も考えてみるべきではないのでしょうか?
運動が行き詰った時こそ、大事な事は何なのか?と、原点を振り返ってみるべき。
何より一番大事なことは拉致被害者の命を救う事なのです。
その大望の前で、つまらぬ事で内輪もめなどしている暇は無いはずですよね?

透氏の“問題発言”を責める資格が一体全体日本国民の誰にあるというのでしょう?
拉致問題の解決をここまで引き延ばしてしまった責任は、私たち国民全てにあるのではありませんか? 
そんな無能な私たち国民のどこら辺に、透氏の“問題発言・態度”を責める資格があるというのでしょうか?
posted by ぴろん at 19:40| Comment(16) | TrackBack(3) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

家族会を煽っているのは誰ですか?

久々に変人のぼやきを書こうと思います。(笑)
例によって難しい話の出来ない私は、半径3メートル程度の生活実感から話を起こします。(笑)
ご承知くださりますよう・・・<(_ _)>

当blogで何度も主張している通り、私は拉致被害者救出運動というものは、基本的に「人の命を救う運動」であるべきだと思っています。
しかし最近の運動のあり方・一部支援者のあり方には、疑問や違和感を感じる事も少なくないのです。
拉致が先か?天下国家が先か?
人の命を救う運動であるはずの救出運動が、いつの間にやら政治運動へと変質をし、本末転倒の主義主張を繰り出す支援者がどうも少なくはありませんしね。

そんな事をあれこれ考えている折々も折、「news_from_japan閉鎖に思うこと」のコメント欄に中々興味深く、重要な視点を含んだご意見をたくさん頂戴しました。
今日はそれらのご意見に対するレスを揃ねて、自分の思うところを書き綴ろうと思います。
ですので本日のエントリーを読む前に、当Blogの「news_from_japan閉鎖に思うこと」のコメント欄でのやり取りをまずはご一読くださいませ。

例えばの話です。
我が子と他人の子と二人一緒に川で溺れてしまい、どちらか一人しか助けられないとしましょう。
あなたが親ならば、どちらの子供を助けますか?
私が親ならば、迷うことなくまず我が子を救うでしょう。
親が我が子を放り出して他人の子を先に救えば、それはお話としては美しい物語になるでしょうけど、私はそれは一種の偽善だと思う。

人間は誰でも自分と自分に属する者が可愛いのです。
それは人間の誰でも持ってる「業(ごう)」と言う奴。
良いも悪いもないのです。
ただし、私は支援者がこの手の視野狭窄に陥る事を良しとはしない。
そもそも他人の痛みを想像する能力のない人が、他人の困りごとを支援するなど、性質の悪すぎる冗談話です。
人助けをしようと思うなら、まずは支援者の側もそれなりの器量なり余裕なりを備えてしかるべきと思う。
自分の事で手一杯という懐の小さい人間は、他人の心配をする前にまずは自分の頭の上の蝿を追うことを考えるべきでしょう。

しかし家族は別物だと私は思うのですよ。
拉致という非情な犯罪行為の前では、家族もある意味被害者。
その彼らに必要以上に聖人君子であることを求める事事態、私は話が違うと思っています。
家族は、奪われた肉親を思う愚かな親や迷えるきょうだいのままで一向に構わないと思う。
日本の再生とか人権問題とか外交だとか歴史問題だとか・・・そんな難しい“他人の子供”の話など、私の知った事ではない!
とにかく我が子を返してくれ!きょうだいを返してくれ!
おおっぴらに口には出せないけれど、これが彼らの偽らざる本音だと思う。
そしてこれこそが彼らにとって絶対に譲る事のできない、家族会が救出運動を続けるための“原点”だと思います。
私は、拉致被害者家族の“原点”は、本来これで良いんじゃないか?と思うのですね。

本来被害者救出について責任を負うべきは日本政府です。
しかし政府の体たらくは皆様ご存知の通り。
囚われの被害者を救い出す為には、家族自ら動いて被害者救出を政府や世論に訴えなければならない。
家族は被害者家族と言う立場に安穏としてはいられなくなりました。
世論の支持を得るために、家族たちは否が応でも戦略を持たねばならなくなりました。
外交や歴史や日本国のあり方まで、ありとあらゆる分野の勉強もしなければならなくなりました。
そして好むと好まざるとに関わらず、彼らは北朝鮮問題のエキスパートと成らざるを得なくなったのです。

ところがそうなればなったで、今度はある下心を持った連中がしたり顔で家族に近づいてくる。
そういう連中にとって、家族会の人たちと言うのは格好の旗頭となりますからね。
これを利用しない手は無い。
表向き被害者奪還運動の支援者を装いながら、実はその裏で自分の政治的理念を実現する為の体のいい媒体として、家族に近づき操ろうとする不届き者が出てきます。
家族の口を借りて天下国家を語らせ、人権問題を語らせ、歴史問題や外交問題を語らせれば、これほど世の中にアピールする方策も他に無いでしょうから。

確かに拉致問題解決のためには、日本が抱えるあらゆる問題を解決せねばなりません。
私も歴史問題や靖国問題・教科書問題、果ては憲法改正問題まで、日本が抱えるあらゆる問題に心を痛めております。
そしてこれらの諸問題を解決できないような情けない国家が、あの無法国家から拉致被害者を奪還する事など出来ようはずも無いだろう、とも思っています。

しかしそれらの問題はあくまでも拉致問題とは別立てで考えるべきだと思うのです。
拉致問題を解決する為に日本の諸問題の解決を考えるならばともかく、日本の諸問題を解決する為に拉致を利用するのでは、話が本末転倒。
人の命がかかっている拉致問題を利用して日本再生を図ろうなどとは、考え方そのものが逆立ちしています。
そういう不遜な事をして憚らない人たちは、囚われの被害者の命をいったい何と心得ているのか?
大事な肉親を奪われて苦しむ家族の痛みを何と心得ているのか?

家族はあくまでも家族です。
彼らはあくまでも囚われの肉親の救出を願う愚かな親であり、迷えるきょうだいで良いのだと思う。
仮に彼らが公の場でどんなにいけ好かない発言や態度を取ったとしてもですね。
拉致問題は日本の国家主権侵害問題である以上、日本政府は全力で被害者奪還をしなければならないし、国民もそれを支持するべきだろうと思う。
けれど残念ながら、日本人の意識はそこまで届いてはいないのではあるまいか?
5.22の家族会バッシングは、そんな体たらく国家日本を支える日本国民の、レベルの悪さを表して余りある行為ではなかったか?

5.22以降、国民の反感を買わぬよう支援を取り付けられるよう、家族は以前にもまして世論の動向に気を使うようになりました。
どんなに激しい批判を受けても嫌がらせを受けても諦めることなく、支援を求めて全国を駆け巡っていらっしゃいます。
時には理解の無い冷たい言葉を浴びせられたり、理不尽な思いをする事も一度や二度ではないはずです。
それでも家族は忍耐の日々を過ごし諦めることなく活動を続けていけるのか?

答えは簡単です。
それは北に囚われの肉親に対する、強い愛があるからに他ならない。
家族への愛があればこそ、家族会の人たちはどんな理不尽にも耐えて耐えて耐え抜いて、日々支援を求めて東奔西走しているのです。
その事を私たち支援者は、いったいどこまで真剣に理解して日々の支援活動をしているのでしょうか?
家族の愛を利用して彼らに天下国家を語らせるなど、非常に傲慢で恥ずかしい行為だとなぜ気が付かないのでしょうね。

私たち支援者は彼ら家族に必要以上に聖人君子になることを求めてはいけないと思う。
彼らを北朝鮮問題のエキスパートにしてしまったのは、日本国と日本国民が余りにもだらしが無いことの逆証明でもあるのです。
家族を必要以上に奉り、まるで神様か何かのように崇める前に、まずは己の不甲斐なさを反省するべきではないでしょうか?
ましてや自分の政治目的を達成する為の手段として、家族を利用し拉致問題を利用するのは卑怯という物。
支援者たる者、ここを勘違いしてはならぬと思う。
今一度立ち止まり、謙虚に冷静になって、我ら支援者も拉致被害者救出運動の原点を考えるべきでしょう。

一番優先すべき、大事な事は何なのか?
少なくとも私は、この救出運動は人の命を救う運動であるべきと心得ます。
人の命は待ったなし。
日本再生は、拉致被害者奪還運動の後回しでも一向に構わない問題なのですから。
そこの所順序を間違えたくは無いものだと思う。

最近のご家族の発言で気になるものがあります。
確か有本嘉代子さんだったと記憶するのですが。
テレビでだったか集会でだったかちょっと忘れてしまったのですけれど「日本がちゃんとした国になるように、そのために娘は犠牲になったのだと思う、云々」・・・と言う発言をされました。
まぁ、嘉代子さんに限らず家族の口からは時々この手の発言が飛び出します。

その言葉を聞くたびに、なんだか「天下国家のためならば例え肉親の救出が叶わなくても仕方が無い」と言っているようにも思えて、聞いてる私はたまらない気持ちになる。
そんな悟りすました事を言う暇があったら、もっともっと貪欲に家族の奪還を叫べば良いのにね。
まるで聖人君子のようなこの手の台詞を、家族の口から言わせてしまってるこの状況を、他の人は恥ずかしい事だとは感じないのでしょうか?

前述したとおり、家族の原点はあくまでも肉親の救出なのです。
しかし娘を犠牲にしても日本がちゃんとした国になるようになどと、彼女の口から天下国家を語らせた時点で、全ての国民は己の不甲斐なさを家族に懺悔せねばならないと思う。
被害者の救出よりも天下国家を優先させるような逆立ち発言。
そしてここが一番言いたいことなのだけれども、家族にこういう発言をするように仕向けている不届き者を、支援者と呼ぶにはどうも抵抗があるのです。

これだけ声をからして訴えても世論の支持や関心が思ったように広がらないのはなぜなのか?
無論一番悪いのは政府の体たらくです。
しかし支援者の側に果たして何の問題も無いといえるのか?
原点を忘れた支援者の傲慢さが、心ある国民を家族から遠ざけてはいないか?
家族が家族の心情として被害者奪還を訴える事は、広く国民の共感を呼ぶことができます。
しかし政治的発言をすることは両刃の剣です。
政治色を帯びた発言をすることは、その発言に共感する人の支持を取り付ける事はできても、それ以外の人の支持を失うと言うリスクがある。

最近参加した集会で感じた事ですが、家族の苛立ちは座り込み以前よりも更に募っているように思えます。
特に早紀江さんを初めとする女性陣の訴えは、叫びを通り越してもはや悲鳴です。
このままの負担を彼・彼女たちに強いれば、近いうちに本当に倒れる人が出る。
命を取られる人が出る。

家族の願いはあくまでも肉親の救出。
徹頭徹尾、息子や娘の救出を願えば良いのです。
愚かな親のままで良いのです。
我が子の命を棚上げにしてまで、日本の抱える諸問題のエキスパートになる必要は無いのです。
なのに家族の願いを利用して彼らのカリスマ性を利用して、彼らに天下国家を語らせる不届き者は誰なのか?
してやったりとほくそ笑むのは誰なのか?
支援者の顔を装いつつ、その裏で家族に命懸けの過剰な負担を強いる不届き者を私は決して認めたくはない。

え〜っとですね。
後もうひとつ、蓮池透氏についての思うところも書きたかったのですが、長くなりましたので明日に順延。
エントリー第2弾として別立てで記事を書きます。
お待ちくだされ・・・<(_ _)>
posted by ぴろん at 00:01| Comment(6) | TrackBack(1) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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