2005年09月02日

拉致被害者を忘れないで(3)

★飯塚繁雄さんのお話(田口八重子さんの兄)

私の妹にすればですね。
例の大韓航空機の話から結構長いんですけれども、やはり「子供をおいてきたんだ、早く返してください」というような願いがしょっちゅうあって、向こうにも訴えってきたんですが、それもままならないと。
今私が思うに、(先ほどから)【日本の団体がきて、迎えに来てくれそうだけれども帰ってしまった】と言う話、これは何回も見てたり聞いてたりしてると思うんですね。

『いつかは迎えにきてくれるだろう』という気持ちがあると思うんですが。
今も、私達、願わくば、
『ほんとに元気で。私達もこういう活動をやってるんだ。もう少し待ってくれ。必ず迎えに行くから』
ということが少しでも伝われば、向こうに行っている皆さんが、『よし、もう少しだ頑張ろう』という気持ちになってくれると思うんですが、今まではそう思っていてもなかなか日本が動かないと言うのも現状ですし、今現在もそう言う状態にもあります。
言ってみれば、嵐の前の静けさと言う感じもしますけども、やはり、この静けさがいつまでも続いても困る。

(中略)

やっぱり、『日本はこういう問題を抱え国民全体が怒っているぞ』と言うことをぶつけていかなければ、向こうは動かない。
日本が黙っていれば黙っているほど(北朝鮮は)得になるわけですから。
このままずるずると終わりにしたいと、まぁ狙いでしょうから。
確かに今、向こうはいろんな経済的な面も含めて、困っていると思うんですけれども、更に我々国民の声、あるいは政府の声を大きくして向こうに強いメッセージを与えなければいけません。

※「曽我ミヨシさんを救うぞ!東京集会(17)05.5.12 豊島公会堂にて」より一部抜粋

★飯塚耕一郎さんのお話(田口八重子さんの長男)

私個人としてもやはり、今の現状の、(あまり言いたくはないんですけれど)日本政府として、何故この問題を解決できないのか。
何故、日本としての正しい姿勢=相手が悪いことをしているんだから、こちらとしては怒るべき事は怒る。
当然向こうに要求すべき事は要求する。
つまり要求でも何でもなくて、只、ある姿に返して欲しいと、そう切実に一人の人間として願っているだけなんです。

(中略)

私は個人のことを言わせて頂ければ、やはり曾我さんと同じく母を拉致されていますので、且つ、私には母の記憶がないので、一分でも一秒でも早く母の顔を見たいと思っております。
その為には、やはり皆様のこれまで通りのご理解とご協力とご支援を頂ければと思います。
以上です。

※「曽我ミヨシさんを救うぞ!東京集会(13)05.5.12 豊島公会堂にて」より一部抜粋

★本間勝さんのお話(田口八重子さんの兄)

私新潟の港の方に、万景峰号の入港阻止の集会にこれで4回ほど参加してきたんですが。
そのたんびに思うことは、新潟の救う会の会長で馬場先生がいらっしゃるんですが。
この人は横田めぐみさんが小学校に入学した時の校長なんです。
その方がもう年齢が84歳になられる方が先頭になっていつも岸壁に来てやっておられる訳なんですね。
新潟の県議連の関係の人たちも入港のたびに我々と一緒に「入港反対!万景峰帰れ!日本人返せ!拉致被害者を帰せ!」と言う声を一緒になって上げていただいております。
私もその万景峰が入るたびにですね。
先頭に立って海上保安庁の巡視艇が先導してくるわけですね。
そういった姿を見るとね。
そんな工作船、ひとつの危険な船が護衛をしないと何があるか分からないと。
あれは貨客船なんですよね。
そういう荷物も運ぶ、お客様も運ぶ、そんなような船がね。
海上警備をしなければ日本の港に入って来られない。
そんな事はノーマルじゃないわけですよね?

だったら、万景峰号の今までの役割と言うのは、大型工作船であり、核の必要な物を日本から輸入していたり、それから日本にいる在日生徒ですね。
在日の学校の朝鮮学校の生徒は、北朝鮮の金正日の崇拝と言う研修を受けて、まぁ修学旅行ですよね。
それで帰ってくるんです。
帰ってきた時に我々が船に向かってシュプレヒコールをやるときにですね。
その姿を笑って見てるんですよ。
何回4回入港したんですけども、その窓越しに見てるんですね。
デッキの上にも顔を出したりしていました。

そういうふうに在日のね。
日本にいて生活していくのに、こういった我々の拉致被害の問題を真剣に受け止めて自分たちの問題としてね。
いかに考えてないか、教育してないかと言う姿を見て、本当に憤りを感じます。
来月8月10日には新潟で1万人大集会と言うのをやりますので、ぜひその日は万景峰が入港する日なんですね。
そういった姿を見てください。
そしてその大会に参加してください。
お願いいたします。(拍手)

※「原敕晁さんを救うぞ!東京集会(12)05.7.14 友愛会館にて」より一部抜粋


posted by ぴろん at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

拉致被害者を忘れないで(2)

★平野フミ子さんのお話(増元るみ子さんの姉)

もう本当に私はね、今までクローズアップされてから、修一君とるみ子が付き合っていると言うのを、父親は知らなかったんですよ、それまでは。
で、いなくなってから、いなくなってから初めて、付き合ってると言うのを父は知ったんです。
というのも、厳格な父でしたので男女交際には凄く厳しかったんです。
もし結婚を前提にしてないふたりがね、二人は結婚を前提にしてると思ってたんですけど、まだそう煮詰まった話じゃなかったから、言ってなかった。
私と母は知ってましたけど。

テレビに婚約間近とか婚約したとかいう話が先にたって、いかにも婚約中ということで話が出てましたので、そのときでも「おれは許しとらん」て言ってました。
そして9月17日以降もですね、テレビの中で妹たちを紹介するのに、婚約間近とか解説がついてたんです。
その時でも、病室のベッドの上で「まだおれは許しとらん」って言うんですね。
父親というのはすごいなぁと思いました。
自分が知らないところでそういう話がいってると言うのが、とても許せなかったんでしょうね。

10月の11日、延命措置を受ける午前中にですね、父親は「結婚を許す」って言ってくれました。
もうその時は自分でも死期が分かってたから、これだけは言って旅立ちたいと思ったんでしょうね、
父親の責任として。
なんでそんな気になったのか?
(このあたりから会場内あちこちから、すすり泣く声。以後最後まですすり泣き止まらず)
声が小さいから、耳元に私こうして(顔を寄せるしぐさ)近づけて聞いたんですけども。
「修一君とるみ子、二人は愛し合ってる」って。
「なんで愛し合ってると分かるの?」って聞いたら、何か、悪者がですね、市川君を刀で切りつけて2〜3刃、刃を受けたそうです。
軽症になったそうですね。
それをるみ子がかばったんですって。

だから「二人は愛し合ってるんだ」って、言う。
傷を負ったんだけども、二人のかばい合うその姿にですね・・・父の夢なんでしょうけど・・・父は「二人を許す」それしかないんだと思ったんでしょうね。
ですから自分がこの世を去るけれども、妹にはそれを伝えて欲しい。
私も本当「とうちゃん良かったね。やっと許す気になったね」って。
「るみ子が帰ってきたらちゃんとそれ言うからね。市川さんにもそれ報告するからね」って言いました。

※「増元るみ子さんを救うぞ!東京集会(1)04.12.9 友愛会館にて」より一部抜粋

★増元照明さんのお話(増元るみ子さんの弟)

なぜなら2002年の9月17日、あれだってアメリカの圧力があったから、小泉訪朝を金正日が受け入れたんです。
圧力がなければ本当の事を言わない国なんです。
本当にそれまで食糧支援なんかやってて、でっち上げだでっち上げだと言い続け、5年半たってアメリカの圧力があってようやく認める結果になった。
今、死んだと言われている人間を生き返らせるためには、もっと大きなエネルギーが要るし、もっと強い圧力がいります。
ですから死んだと言われている人間だからこそ、日本が圧力をかけて向こうに白状させる。
日本が追求して白状させていくと言う姿勢を見せていかなければならないと思っています。

みなさん、やっぱり怖いと思います。
でもあの国を怖がっていたら、私たちはこのままずっとあの国を怖がって貢いでいかなければならない。
末代までずっと貢いでいかなければならない。
中国に貢いでいかなければならない。
こんな国だったら、アメリカの52番目の州になれば良いんです。

私たちは、姉は日本が嫌いになりそうだと言ってますが、私は日本は好きです。
海外から見た日本と言うのはすごく美しいですし、天皇家の行事を見ても日本の文化と言うのは素晴らしいものがある。
私はそう思ってますし、その文化を守らなきゃいけないし、この日本と言う国を守らなきゃならないと思ってますので、中国の属国にもなりたくありませんし、アメリカの52番目の州になりたくもない。
日本と言う国は日本で守らなければならない。
自由と平和は授かるものではない。
自分たちで勝ち取っていかなければならないものだ。(大きな拍手)
ぜひ皆さんも周りの人にそういうふうに言いながら、経済制裁この発動、これに対して大きな声を上げていって下さい。

※「増元るみ子さんを救うぞ!東京集会(2)04.12.9 友愛会館にて」より一部抜粋


私も飯塚さんと同じで、まず姉に会ったら謝らなければならない。
30年近くも・・・(涙を流しながら語る)
取り戻していないと言うことが非常に残念です。
もう30年という年月を取り戻すことは出来ない。
でも姉が30年前私にくれた時計、今非常に私大事にしておりまして。
この時計の動きを止めることは出来ないし。
今でも動いていると言うことを彼女に教えてあげたい。
そしてこれからもずっとその時計は・・・持ち続けていくということ・・・(涙で言葉にならず、声を詰まらせる)
父が死んで、あんなに可愛がっていた姉ですから、必ず北朝鮮で姉の身を・・・(再び声が詰まる 「頑張って!増元さん!」の声)・・・守ってると思います。
以上です。

※「第7回国民大集会(25)05.4.24 日比谷公会堂にて」より一部抜粋
posted by ぴろん at 02:12| Comment(0) | TrackBack(1) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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