2005年09月03日

支援の輪を広げる努力と深める努力

拉致問題解決にとって一番の敵は、国民がこの問題について無関心になる事だと思う。
これはどなたにお聞きしてもまず異存のない所だと思います。
だからきっかけはどんな些細な事でもいい。
「可哀想」「お気の毒」といったレベルでも良いからまずは関心を持ってもらいたい、というのが支援の輪の端くれにいる者の切実な願いであるのです。
そして一度関心を持ったなら、今度は深める努力をお願いできないものか?
それも支援の輪の端くれにいる者の偽りのない本音の思いなのですが。

なんでこんな事を言い出したかといいますと、拉致問題を支援するあるお仲間からこんなお話を聞いたからです。
ある人に「拉致被害者の名前を挙げて下さい」と問うた所、ひとりも名前を上げられない人がいたそうです。
しばらく考えて「めぐみ」という名前がようやく出る有様、「横田めぐみ」というフルネームさえすっと出ない人がいたというのですね。
その人たち、決して拉致に関心が薄いというわけではない。
政治運動に関り、選挙運動のボランティアなどをしていて、普通の人と比べて政治問題その他に関する意識はかなり高い人たちです。
それなのに拉致被害者のお名前は?と問われてこの有様。
その現実にかなりのショックを受けた、というお話です。

そうなのかも知れません。
拉致問題に熱心に取り組む支援者の間では常識中の常識であることが、支援の輪の外側にいる人たちには常識にすらなっていない。
それが拉致問題を取り巻く、哀しい現実なのかもしれません。
政治に関心の深いこれらの人でさえこの程度の認識であると言う事は、それ以外の普通の市井の人々の認識はどの程度か?というのは私がここで説明せずとも押して知るべし、でありましょうね。
被害者の名前さえもあげられない人が、例えばどれほど個々人の拉致の現状について知っているのか?
政府官邸・外務省・警察その他の組織の拉致問題への取り組み度具合を理解できているのか?
諸外国の拉致問題に対する認識度はどの程度か知っているのか?
中国や韓国が拉致問題解決に関して当てにならない現実を知っているのか?

拉致問題に関心のない国民はいないと思う。
大なり小なり拉致問題の存在自体は知っているし、一刻も早く被害者が救出されて欲しいと、多くの国民は願ってくれている事でしょう。
けれど現実は哀しいけれど、この程度でしかないと言う側面はあるのだと思う。
拉致の実態についてはほとんど何も知らないに等しい人が、この国には大勢いるのが実情なのだ、と思っていた方が多分認識としては正しいような気がします。

logさんのエントリー「拉致問題収束への思惑?」に寄せられたけん様と言う方のコメントが、拉致問題に対する国民の関心度具合を上手く表現してくれていると思うので、一部引用させていただきますね。

国民の拉致問題への関心は微妙ですね。「覚えているけど忘れかけている」「どうでもいいとは思っていないけど、最重要とも思っていない」「知識はそれなりにあるけど断片的」という感じで凄く中途半端です。これでは国民とマスコミの操縦だけは凄く上手い小泉首相の思う壺です。今回の「郵政劇場」みたいに盛り上がり、わけのわからないまま勢いだけで国交正常化に突っ走り、拉致問題は置いてきぼりということになりかねません。


私もこのコメントに同意。
制裁賛成80%、小泉政権支持率50〜60%
この数字のギャップの裏には国民の拉致問題に関する認識の低さ・薄さがある、と私は睨んでいます。
今度の選挙、郵政郵政で盛り上がり拉致がどこかへ消し飛んでいるのは、国民の薄〜〜い関心度も原因なのだと思う。
その現実をこの国の国民はどこまで自覚しているのだろうか?
制裁賛成の数字がいくら高くてもその心は?と問えばどこまでも心もとないのが今の日本の現実と違いますかね?

国民の関心と言う歯止めがある限り、政府も外務省も勝手な真似は出来ません。
しかし一度国民の関心が薄れたら、拉致問題の解決は棚上げとなり国交正常化へと悪しき方向に舵を切る可能性は否定できないと私は思っています。
どんなに家族や支援者が訴えても「全ての被害者を取り返す」とは決して言わない官邸サイド。
特定失踪者問題に熱心に取り組もうとしない官邸サイド。
隙あらば国交正常化へと舵を切りたいというのが政府・外務省の隠された本音ではないのか?
これは拉致問題を支援する人の間では半ば常識の話だと思いますが、支援の輪の外にいる人たちにこの常識はどれほど浸透しているのだろう?

「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」と、官邸トップの主は事あるごとに繰り返しますが、その言葉の真意はどこにあるのか?
拉致問題の解決はあくまでも全ての被害者の救出に他なりません。
しかし北朝鮮と親北派の方々にとっての「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」の真意は、あくまでも「5人生存・8人死亡・2人未入国」なのです。
受け止める人の都合によって玉虫色に変わる「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」の言葉の意味。
私たち支援者はこの言葉の意味を私たちの望むような「全ての被害者の救出」と素直に捉えて安心していても良いのでしょうかねぇ?

無関心が問題解決の敵であることは間違いないが、薄〜〜い関心もまた問題解決の障害となりかねない側面はあると思う。
拉致問題への関心がいつまでも「可哀想」「お気の毒」のレベルで止まったままでも困るのです。
敵の工作に翻弄されて本質を見失わない為にも、拉致に関して確かな知識をひとりでも多くの国民が共有して欲しいと願う。
いつか厳しい状況判断を迫られる日が来た時に、私たち国民が選択するべき道を間違えない為にも、それぞれが出来る範囲で構わないから少しでも知識を深める努力が必要だと私は思う。

拉致問題に関心を持って欲しい。
「お気の毒」でも「可哀想に」と言うレベルでもいいから、とにかく関心を持って欲しい。
そして一度関心を持ったなら、今度はそれを深める努力をして欲しい。
時間があれば家族の手記を読んで欲しい。
拉致について解説した本を一冊読んでみて欲しい。
一度でいいから集会に参加してみて家族の生の声に触れて欲しい。
それらの積み重ねが問題解決のための大きな力となると私は信じています。

ところで、某県の某候補が「拉致問題は票にならない」とほざいたそうである。
以下のサイトを参照の事。
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=4258

この発言、候補者ばかりを責めるわけにも行きますまい、と思う。
政治家のレベルは国民のレベルに比例するもの。
この程度の体たらく候補が堂々と選挙に名乗りを上げ、堂々とこのような不届き発言が出来てしまうのはですね。
それだけ国民の側の認識も甘っちょろいということを表して余りあると言う、なによりの証しではあるまいか?


posted by ぴろん at 19:51| Comment(8) | TrackBack(1) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

拉致被害者を忘れないで(4)

★市川健一さんのお話(市川修一さんの兄)

弟がるみ子さんと忽然と消え、姿を消して。
大捜索にも関わらず、何も見つからず何も進展しないまま、捜索が打ち切られてしまいました。
日々悶々とした思いで月日が過ぎていきましたけども。
私が修一のことを思うとね、背負って遊ばせたそのことを思うともう涙が出てどうしようもないです。
兄である私がこういう気持ちですがね。
ですから親としては本当に身を切られる思いだったと思います。

それから失踪からですね、2年後だったと思うんです。
東京の新聞記者の方(産経新聞の阿部雅美氏)から聞かされ、その時初めて私は全国各地でアベック失踪事件が起きているのを知りました。
それまでは修一は神隠しにあったんじゃないか?
あるいはUFOに連れて行かれたんじゃないか?
そういうことばかり思っておりました。
富山県でのアベック未遂事件で残された遺留品。
これから見て、おそらく修一さんも北朝鮮に拉致されている可能性が強いと言われました。
以前から拉致、北朝鮮に連れて行かれたんじゃないだろうか?と言う疑惑はありましたけれども、この話を聞いて絶対に北朝鮮に拉致されたんだと、確信を持ちました。

(中略)

事件から17年後1995年、確か11月の終わりだったと思います。
私が父と店を代わり昼食を取っていたところ、電話が鳴りました。
韓国から国際電話が入ったんです。
以前私の家に取材に来られたテレビ局の記者の方(大阪・朝日放送の石高健次氏)でした。
「韓国へ亡命した北朝鮮の元工作員・安明進さんという方に取材をすることが出来た。
何枚かの行方不明者の写真を見せたところ、その中からこの男性は何回も目撃している。
おそらく修一さんは北朝鮮で生きている可能性が強いです」
と言うお電話をいただいたんです。

お袋がその時はテレビを見ておりましたですけども、私が修一と言う言葉を出したもんですから、サッとこっちの方を見ておりました。
私が電話を切ってから「お母さん、修一が北朝鮮で生きているよ」と言った途端みるみる大きな粒の涙を流し
「どこへねおってもいい、元気でいてくれればそれでいい」
本当にね、私もびっくりするぐらいの大きな大声で泣いておりました。
私も初めてね、母親があのように大きな声で泣くのを見て、本当に母親の愛というものは海よりも深く広いなぁと理解しました。
それからお袋の顔も笑顔が戻り、修一の話をしてもそんなに悲しい顔をしなくなりました。
本当に安明進さんの証言と言うものは家族にとっては本当に大きな光が、希望の光が差し込んだような思いがしました。
それから修一が帰って来ても困らないように、着れもしない20代の頃のスーツを取り出して虫干ししている母親の姿を見ると本当にたまらない気持ちですよね。(少し声を詰まらせ涙声で語る)

それからですね、まもなく家族会が発足したんです。
私は国は国民の生命を守る義務があります。
修一たちを全員を必ずいつかは政府が取り戻してくれるだろうと。
私は期待し、絶対に取り戻してくれるんだと、いつも思っておったんです。
ところが20年間政府は何もしてくれませんでした。
拉致被害者をね、完全に見捨てていたわけなんです。

※「市川修一さんを救うぞ!東京集会(1)05.3.10 友愛会館にて」より一部抜粋

★市川龍子さんのお話(市川修一さんの義姉)

修一が北朝鮮にいると分かってから、母はですね、(昭和)60年だったですかね。
韓国の38度線の鉄柵の前でですね、言っても聞き苦しいかも知れませんけども。
鉄柵の前でですね、あらん限りの声で叫びましたよ?
「修一どこにいるの〜!顔を見せて〜!声を聞かせて〜〜!」
ってですね。
むこうの方では断髪的に号砲がなり響くんです。
聞こえるはずも届くはずも無いんですけども、それでも母は叫び続けました。

今にも鉄柵を乗り越えてですね、修一を探したい、連れ戻したい。
そんな心境だったんでしょう。
もう後を振り返り振り返り、空しく国境線38度線を後にして日本に帰ってきましたけども。
子を思う親の気持ちは何処の国でも本当に同じです。
気が狂ってもおかしくないぐらいの状況の中で27年過ぎます。
私だったら気が狂っておりますね。
よく耐えてくれていると思います。

(中略)

主人の父も90になるんです
ただひたすらわが子の帰りを待っているんです。
毎朝発する言葉はですね。
「お父さん、修一が帰ってくるまでは何としても元気な体で修一を迎えてやりましょうね」って言って。
自分で無農薬の野菜を作って食べていますよ?
お互いに食事に気をつけてですね。
お互いに二人で一人前だって言ってかばい合いながら、頑張っています。
30年同居しています、30年以上です。
もう手に取るようにわかります、私には。

もう切なくなってくるんです。
朝に夕な仏壇に手を合わせております。
母の背中もだんだんだんだん小さくなってきております。
食卓や部屋のあちこちとか庭の池の周りとかには、可愛い蛙の人形がですね、あちこちに置いてあるんです。
「修ちゃん帰る。必ず帰る」って私が全部、どんなちっちゃな蛙にでもですね。
もう何百個ってあります。
ちっちゃな蛙にも、手書きをしてですね。
その文句を入れて、あちこちに蛙が置いてあるんです。

最初この蛙を見たとき、母が泣き出したんです。
「泣くんだったら蛙引っ込めるよ、私は!」って私言ったんです。
そしたら
「いやそうじゃない龍子さん、このおどけた蛙の顔を見て、ちょっと慰められて笑みが出てくる」
って言ってですね。
泣き笑いをしております。
もう本当にもう私はたまりません、もう。

※「市川修一さんを救うぞ!東京集会(2)05.3.10 友愛会館にて」より一部抜粋
posted by ぴろん at 19:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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