2005年10月31日

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会(3)05.10.20 日本青年館にて

『崔成龍(チェ・ソンヨン) 拉北者家族の会代表のお話(通訳・西岡力氏)』

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ありがとうございます。

私は韓国における拉致問題への関心が日本の10分の1でもあってくれれば、もう少し力を得る事が出来るのになぁと思っています。
1993年に初めて韓国政府が、北朝鮮の韓国国内に入ってきたスパイ・非転向長期囚を人道問題だといって北に送り返した時、リ・インモウと言う老人を一人北に送ったんですが。
その時実は私は、私の娘二人と妻と一緒に4人で板門店まで行きましてプラカードを持って、「なぜ非転向長期囚、つまりスパイを北に送り返すのに、うちの拉致されたお父さんは返してくれないのか?」というデモンストレーションをしました。

その時から私は色々北朝鮮の中にラインを使いながら、うちの父の生死を確認しなくちゃならないという作業を始めました。
その中で2000年の4月に韓国の拉致被害者が初めて自力で脱北しました。
その時私は秘密に中国へ行きまして、朝鮮日報の記者とSBSという放送の記者を二人連れて行って、自力で脱北した拉致被害者に会いに行って来たんです。
自分のお父さんに会うような気持ちでした。
ところがわが国・韓国政府は丁度2000年、太陽政策を金大中政権が始めたときでした。
自力で拉致被害者が逃げてきて救出を求めたのに、その救出を拒否したのです。

恥ずかしい話ではありますが、その拉致被害者が韓国のチンタオの領事に「私を韓国に帰らせてください」と頼んだ時に、「国に迷惑をかけるな」と「お前は韓国に税金を払った事があるのか?」と。
そのような事を私の目の前で話しているのを見て、大変私も興奮しました。
それで私とその朝鮮日報の記者とが秘密にその拉致被害者を北京まで連れて行きまして、北京の韓国大使館に行って、そして「この人を帰国させろ」と。
「そうしなければ、先ほど言ったチンタオでの領事とのやり取りを朝鮮日報に大きく書くぞ」と言って圧力をかけて、そしてやっと帰国する事ができたんです。

その拉致被害者の人の証言によって、非公開で秘密に70〜80人くらいの拉致被害者の生死確認をいたしました。
その時韓国政府が公式に発表していた拉致被害者の数は454人でした。
その帰国した人の証言を元に追加で31人の認定が行われ、そしてまたもう一つ新しくキム・ドンシク牧師の拉致事件が起きたのでそれを会わせて32を足して、今486という認定数になっているわけです。
一人の人の脱出が成功した事によって韓国国民が拉致問題について大きな関心を持つようになり、また多くの情報を得る事が出来て、そのあと私はその情報を元に3人を脱出させ韓国まで帰国させました。
合計4人を助け出した事になります。
その結果ですね。
新しい拉致被害者についての情報を入手する事が出来て、約50人の韓国政府に認定されていない拉致被害者がいることが分かりまして、韓国政府に対しても証拠をつけて認定を要求しているわけですけども、まだ認定はされていませんが。
ですから大体合計530人くらいになるんではないか?と今は考えています。

我々拉致被害者の家族の悲しみは、もちろん家族が拉致されたと言う悲しさ・苦しみがあるわけですけれども、もう一つの悔しさは実はこの間、拉致被害者の家族が韓国政府に監視の下に置かれていたと言う事であります。
韓国政府は助け出す事ができる人がいるにも関らず、助け出そうという努力をしていないと言う状況であります。
ひとりでも助け出そうとしていないと。
しかし私たちの団体・家族会やあるいは市民団体などと協力しながら、自分達の力で何とか救出をしようと今努力している所であります。

実は今韓国政府は、金正日国防委員長の指示に従っているような状態であります。
先ほど言った非転向長期囚、ゲリラやスパイを金正日委員長の指示に従って北に送り返し、また今カン・ジョング教授の発言の問題などでも韓国政府は金正日委員長の指示に従って動いているような状況で、大変嘆かわしいと思っています。
日本の拉致問題の進展状況を見ている私たちの気持ち、特に日本の総理が平壌まで行って金正日に会って、無いと言っていた・でたらめだと言っていた日本人拉致を認めさせて5人を帰国させた。
そのような状況を見ている私たちの気持ちをご存知でしょうか?
韓国人拉致被害者の帰国や生死確認も金正日委員長が指示をして初めてできることなのに、その事の実現までにはまだまだたくさんの障害がある。
遠い将来の事ではないかと思っています。

私の母は今年の8月19日、父の生死確認さえ出来ていない状態の中で亡くなりました。
金正日委員長が小泉総理に会って、「なぜ家族が離れて過ごさなくちゃならないのか」と言って拉致被害者の家族を日本に送り返したのを見て、その言葉を聞いて。
わが同胞である金正日委員長が日本人に対してはそのような事をいうのに、韓国人拉致被害者の問題はなぜ解決できないのか?と。
実は北朝鮮はいまだに韓国人拉致被害者については、越北したと、自分で北に入ったと言う事を言い続けているわけですが。

私は5年前から北朝鮮のテロに遭うと、そのような警告を何回も受けてきました。
被害者の救出活動をしてきたからです。
そして今年の9月になって、公式に韓国の情報機関から韓国内でもテロに遭う危険があると言う通報を受けました。
韓国の市民団体や政治家の人が韓国政府に抗議してくれた結果、今は韓国国内で警察の警護を受けている状態です。
しかし私はここで皆さんに言いたいのです。
もしも私が北朝鮮のテロに遭って殺される事で韓国人拉致問題の解決に助けになるのならば、私は殺されたいと。
そのような気持ちでおります。

ありがとうございます。(拍手)

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会(2)05.10.20 日本青年館にて

『横田滋 家族会代表の挨拶』

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皆様こんばんは。(こんばんはの声)
拉致された家族の気持ちと言うのは、国を問わずに全く同じと思います。
私たちの国では大勢の方がこうやって支援してくださっているんですが、これからお話があると思いますが、韓国ではあまりそういった一般の支援が少ないということで、やはり韓国の世論も何とか日本と同じように盛り上げて、救出運動が盛んになることを望んでおります。
私たちが先日福島に言った時、やはり「韓国の拉致はどうなったんですか?」と言うことを質問がありました。
それに対して崔(祐英)さんが何回も日本に来て訴えてくださっているわけですけども、それはかなり浸透して来ていると思います。
それでもまだまだ知られていない部分もありますので、今日はどんなお話が聴けるのか楽しみにしておりますけども、我々も一緒に手を携えてこれからも闘っていきたいと思っていますので、これからもご支援よろしくお願いします。(拍手)

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会(1)05.10.20 日本青年館にて

『佐藤勝巳 救う会会長の挨拶』

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皆さん、こんばんは。(こんばんはの声)
お忙しい所お集まりいただきましてありがとうございます。
それから韓国から、私たちの集会の為に3団体の代表のご参加いただきましてありがとうございます。
拉致の問題は、実は日本よりも韓国のほうが多いわけですよ。
500名近いくらいですから。
なぜか韓国政府は余り拉致解決には積極的ではないわけですが。
私たちは日本人の拉致救出だけではなくて、韓国の拉致被害者これも同じですから。
一緒に手を携えて闘って行きたい。
いうことで、今晩このような集会を催しました。
遠い所、大変ありがとうございました。(拍手)

蓮池透さん講演(2005/10/29)青梅にて

去る10月29日、青梅市民会館ホールで開催されました、

「人権講演会とリコーダー演奏」−拉致問題を考える集い−

より蓮池透さんの講演テキストをご紹介します。
拉致被害者を救うために、国がなすべき事、私たち国民がなすべき事を改めて考えさせられるお話であると思います。
ぜひご一読ください。

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『蓮池透さんのお話』

みなさんこんにちは。
本日はお招き頂きましてまことにありがとうございます。私このようなところから皆様に偉そうにお話させていただく身分でも、立場でもございませんが、これだけは日頃から知っておいて頂きたいと言うことがありますので少しだけ時間を頂きたいと、こいうふうに思います。

拉致問題につきましては会場にお越しのみなさま、そして広く国民の皆様の関心を集めご支援を頂いておりますことに、この場をお借りいたしまして、厚く御礼申し上げます。
また、皆様のおかげをもちまして、弟家族が帰国できましたこと重ねて御礼申し上げたいと思います。

しかし(強く)、5人が日本に帰ってきたとき「自分たちだけ帰ってきて忍びない」ということを言っておりました。3年たって今も、その気持ちにはいささかの変わりもないというふうに思っております。

彼らも、彼らの家族も、私たちも、めぐみちゃんたち、まだ帰ってこられない方が帰ってこない限り、心の底から喜びに浸ることは出来ません。

さて、うちの弟夫婦やめぐみちゃんが北朝鮮に拉致されましてから、四半世紀という時間が、流れました。四半世紀と言えばオリンピック六回分です。生まれた子供が成長して、ばりばり働き出す年月に相当します。しかし未だに、この拉致問題は解決しておりません。
これほど長きにわたって、日本人の人権が侵害され続けています。

昭和53年の7月31日、弟たちは拉致されました。
若者がデートし、お年寄りが散歩する、そして子ども達が水遊びをする、誰もが行くような海岸で、不法侵入してきた北朝鮮の工作員の手によって暴力的に拉致されました。
これ以上の人権蹂躙、凶悪犯罪、国家主権侵害、国家テロというのはないと思います。
と言うことは他のどなたにも拉致される危険性があったということではないでしょうか。

そしてその状況はわが国において継続している可能性があるかもしれません。
もしみなさま、みなさまのご親族が拉致されたとしたら、みなさまが日本国民である限り、私たちとおなじめにあうのは間違いないというふうに思います。

弟たちは自分たちがどのように拉致されたかというのは、当初は余り語ろうとしませんでしたが、ようやく重い口を開きました。その中で、妻の祐木子は『ガムテープで体中をぐるぐる巻きにされてボートに乗せられた。ガムテープの隙間から故郷の柏崎がどんどん、どんどん小さくなっていくのが見えた。』という言葉には、私は心を引き裂かれる思いがしました。いったいどういう気持ちで連れ去られたのか、到底、私達には想像ができません。
北朝鮮で24年間、祖国日本に帰るという究極の自由を剥奪され、わずかに与えられた自由らしきものの中、希望のない、全くの不毛な暮らしを強いられてきたのです。

弟は言っています。『北では自分の意思で動いたことなど、一回もない。まったく自由がなかった。』と。
『会いたい人に会いたいときに会える。いきたいところにいける。好きなように自由にそういうことができる。兄貴にとっては平凡なことかもしれないけど、われわれにとってはそれが一番の幸福なんだ。日本に帰ってきて一番幸せなのはそれだ。』と言いました。
それほどまでに彼らはぎりぎりの生活をしてきたのです。
まさに、サバイバル生活です。

そして、まだ、同じ想いを持って、同じ状況で生活している拉致された日本人とその家族が大勢いることを忘れてはならないと思います。

一度だけ弟に聞いたことがあります。まだ子供たちが帰っていない状況の中で、『今、日本で暮らしている、生き甲斐は何だ』 と。
弟は、『兄貴、そんな酷な事、聞くなよ』と言ったあとで、『そんなもん、ねぇよ』と言いました。『でもな、兄貴、俺たちはなぁ、絶対くじけないんだ。何事があってもくじけないというのが、24年間で身に染み付いてしまったんだ。』ということを、私に、怒るように言いました。
私はそのようになってしまった弟を不憫に思うと同時に、なんてつまらない質問をしてしまったんだと、後悔しました。
そして弟の24年間の生活など、自分には決してわからないと思いました。実際にそういう目にあった人間でなければわからない。それを簡単に理解できるなどということをいったら、彼らに失礼だというふうに思うようになりました。

さきほど横田さんからも話がありましたが、この拉致問題、拉致事件というのは、憲法にも詠われ、国際条約にも規定されている人権問題です。四半世紀以上にわたって、人権が侵害され続けているのです。世の人権を標榜する専門家の方々は、なぜ声高に『日本人の人権を守れ』と仰って頂けないのでしょう?
不思議でなりません。

本日は、関係者の方々がみえていらっしゃいますが、人権擁護局、人権、人道家という看板を掲げている、法務省、外務省、その責任のもとに、その職務を全うしていただきたいというふうに、私は思います。

「基本的人権の保障」などということがよく言われますが、私はそういう言葉を聞くと、むなしさを感じます。
果たして、この国において、「基本的人権の保障」などあるのか。こと、拉致問題については存在するのでしょうか?誰がそれを保証してくれるのでしょう?四半世紀以上、帰りを待ち続けて、家族はみんなそう思っていると思います。

うちの弟は決して裕福とは言えませんが、普通の家庭に次男として生まれました。
確かに、小学校時代、交通事故にあい、両足切断の危機に瀕したことがございましたけれども、それも克服して、中学校時代には野球部のキャプテンをするようになりました。
そのようにして、立派に成長して幸福な時を送っていたと思います、あの忌まわしい昭和53年7月31日の夕方までは。

弟の姿が見えなくなった、その時の気持ちは一言ではあらわせません。
悲しみ、苦しみ、諦め、悔しさ、怒り いろいろな気持ちが、私達の心の中で渦巻いていました。

「基本的人権」というのは、何事にも犯されることのない生命、自由、幸福を追求する権利です。

拉致された人間は、その権利を一瞬のうちにすべて奪い取られました。

北朝鮮による日本人拉致は、基本的人権侵害の極みです。
そして、何事にも犯されることのない権利が、他国によって侵されているわけですから、これは、国家主権の侵害です。
さきほども言いましたが、到底許すことのできない凶悪犯罪であり、国家テロであります。

基本的人権を保障するのは国家の役割であります。
日本国憲法は拉致問題に関していえば、専守されていないのではないでしょうか?
私はそう言うようなことをする北朝鮮という国家を許すことができませんし、まだ解決できない、この国家の責任というのは甚大だというふうに考えております。

三年前の9月17日に、小泉総理が金正日総書記と日朝首脳会談をおこないました。拉致問題がやっと、事実だと言うことが世間に知れ渡ったときです。
それ以前は「でっち上げ」だの「疑惑」などいわれ、ひどいときには署名活動をやっている、横田めぐみちゃんの写真の看板が蹴飛ばされたりしたときもありました。

われわれは、「これで国家の対応も変わるだろう」、「新たなスタートだ」と思ったわけですが、ご覧のとおり5人とその家族が帰国しただけで、他の方々の問題は3年前と全く変わっておりません。中には後退させようとするような政治家や官僚がいるほどです。

日朝首脳会談に臨んだ時に、小泉総理の頭の中に、横田めぐみちゃんという名前があったのかどうか?あの平壌宣言にサインするときは、どうだったのでしょうか?

考えても見てください。もし日本で、国内で、13歳の少女が誘拐されて、それが死んだといわれ、犯人が目の前にいたら、みなさんどうされますか?
誰だって怒ると思います。
私は(もう3年前の話はするなと言われるかもしれませんが)、あのときにもっと、日本国家として怒りを示して欲しかったです。非常にあの時は残念に思いました。

今考えて見ますと、3年前の、9月17日に、あの北朝鮮が拉致を認め、謝罪した。これはひょっとすると、日本と北朝鮮が結託して、あの一日で拉致問題を終わらせ、封じ込めようとしたのではないかというふうに思っております。

<5人生存8人死亡>という情報は、北朝鮮が言った情報です。
それを、まぁ、生存は別にして、8人死亡という裏も何もとらずに、確認もせずに、やれ謝罪だの、やれ援助だのという、平壌宣言にサインしてしまったんです。

小泉総理はあのときに<5人生存8人死亡>という、それぞれの人間の名前が、頭の中にあったのでしょうか?5対8というただ数字の十把一絡げだったのではないでしょうか?
そこには、拉致された人々の人権や人格や尊厳などは、まったく存在しなかったのだというふうに思います。

北朝鮮からの伝聞情報を日本政府は、われわれをマスコミから隔離して、家族に断定的に伝えました。まず最初に横田さんご一家が、外務省の施設で、個室に呼ばれて、『非常に残念だが、めぐみちゃんは亡くなった。』とはっきり断定、断言、日本政府はしたのです。
つまり、5人は生きている。しかし、北朝鮮が良いといっている。だから会いたければ、日本から北朝鮮に行きなさい。

事実帰ってきた5人は、帰ってきたばかりの時は、北を礼賛ばかりしていました。会う日と会う人に、「北に来い。北に来い。」 と言っておりました。

それでは、死亡したと言われる8人はどうする?
政府が家族に断定的に伝える。
つまり「葬式を出してあげなさい」「まことに残念だが、いつなくなったか、どういう原因でなくなったか
わからないけれど、とにかく亡くなったんだ、だから葬式をだしてやりなさい」と。

マスコミも何の裏もとらずに、号外まで出しました。
家族会はなくて遺族会になってしまいました。
そしてあるテレビキャスターは『横田めぐみさんのご冥福をお祈ります』とまで、テレビで言いました。
金正日に盲従する北朝鮮国家ならいざしらず、お上が「お前の娘、息子が死んでる」と言って、信じる方がおかしいと、私は思います。

そういう幼稚で、誰でも信じないような、誰も信じないようなシナリオを書いて、家族を黙らせることができるというふうに思っていたら、間違いだと思います。

これで拉致問題は、たぶん、北と、どっかわかりませんが、外務省の一部人間=日朝国交正常化こそが最大の国益だというふうに、我々と根本的に価値観の違いを持ってる人が、考えたんでしょうがまぁ、そういうシナリオはまさに崩れた。

金正日は、次の手に出てきました五人を一時帰国させて、家族を北朝鮮に呼ぼうと。それも失敗に終わりました。外務省は言っていました。『2週間をめどに返してくれ』と。いわば約束破りです。そういうボタンの賭け違いがその後の交渉を膠着させた原因だというふうに、私は思っています。

これは北朝鮮の犯した犯罪ですから、交渉とか協議ではないのです。
「日本人を返せ」と要求しなければならないのです。

一年経って、ようやく日朝審議官級の協議が始まろうとしています。
日本政府に戦略があるのでしょうか?また間違った国益を重んじている外務官僚がいないとも限りません。

日本政府にきちんとした戦略があるのでしょうか?

弟たちは知りうる限りの情報を提供しています。
国はその情報をよく分析、解析して、アメリカあるいは韓国、中国から情報を収集して、<拉致被害者が今北朝鮮内の何処にいるの><どういう生活をしているのかとか>いうところまで確認した上で北朝鮮側に、「ここにこうやっているからこの人を帰せ」というようにしておかなければならないのです。

本当に、今回が正念場だといふうに、私は、思っています。

今までの北の謀略、いや、日本も絡んでいたかもしれません。
そういう狂ったシナリオは、みなさまの大きな声でのおかげで、みごとに崩れました。
もしそれがなければ、今頃、日朝国交正常化がなって、莫大な援助金が北朝鮮に渡っていた可能性も、あります。

今までは、北朝鮮に対して「これをあげるから、何かを出して」というやり方で、米をどんどん送り続けました。
従ってイニシアチブ主導権は全て北朝鮮に握られていた。

そうではなくて、主導権を日本側が握って、「これを出さなければ、われわれは何も出さない。」「これを出せば、これをあげるよ。」「これをださなければ、制裁だ」と。

全知全能にかけて、戦略を、私は、練ってほしい。

何事にもくじけないと言っている弟たちに負けないように、我々も頑張って言いたいと思いますので、皆さんも是非、政府、外務省の行動、言動を、冷徹に見守っていただきたいと願ってやみません。

ご静聴ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストは金木犀様の手による物です。
快く転載のご許可を頂きましたこと、感謝申し上げます。

2005年10月30日

短波放送「しおかぜ」放送開始

特定失踪者問題調査会による拉致被害者へ向けた短波放送が、いよいよ本日より放送開始の運びとなりました。
放送のサンプル音声は一部ですが、戦略情報研究所のサイトからダウンロードして聴く事ができます。
早速拝聴させていただきましたが、なんとも胸が痛いです。

ただ淡々と、被害者の名前と生年月日と失踪日、失踪場所、現在の年齢を述べるだけの放送。
一人一人のお名前を読み上げる時間は余りにも短い。
しかしその短い時間の中に被害者一人一人の余りにも長すぎる年月が凝縮されているのです。
その長い年月を、囚われの被害者たちはどんなふうに過ごしてきたのか?
改めて強く自分に問いかけざるを得ませんでした。
北の地で息を潜めながら、彼らはどんな思いでこの短波放送の声を聴くのでしょうか?

一人でも多くの被害者の元に、この放送が届いて欲しいと思います。
希望を失ったらば、人は生きることは出来ませんから。

私たちはどんな事をしても必ず全ての被害者を助けに行く。
その決意を新たにする為にも、どうかこの放送サンプルを聴いて欲しいと思います。
以下のリンク先からぜひ。

情報戦略研究所
北朝鮮向け 短波放送「しおかぜ」
http://www.senryaku-jouhou.jp/shiokaze.html
posted by ぴろん at 23:01| Comment(2) | TrackBack(4) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月29日

古川了子さん第3回行政訴訟報告会(8)05.10.20 東京弁護士会館にて

『質疑応答(質問者・増元照明さん)』

★川人弁護士

他にございますか?
なにか取り組みその他でインフォメーションとかございますですか?

※増元照明さん

川人さん、先ほど裁判の中で彼らは認定してもしなくても、やってる事はやってると言う事は。
政府認定と言うのは総理の認証が要りますので無理だとしても。
彼ら自身は、じゃあ古川了子さんが拉致されていると認めることになるんじゃないですか?

★川人弁護士

そこは言わないんです。
言わないんですが事実上はそういうふうに近いわけです。
近いんですがハッキリは言わない。

※増元照明さん

今回の裁判は古川了子さんの拉致を認めるか認めないか、ということですが。
最終的には総理に認証させるしか無いと言うことなんですが、そこまで持っていくと?

★川人弁護士

裁判所が判決で認めれば、政府、内閣総理大臣はそれに基づいて認定しなければいけないと、こういう事になります。

※増元照明さん

裁判所の?

★川人弁護士

裁判所の決定に総理大臣が従って認証するという事になります。
それは三権分立の考え方からしますと、裁判所が決定したらそれに従わなければいけない。
こういう事になります。
それを求めているということですね。
で、向こうはそれは一種の専権事項のようなことで行政のフリーハンドにして貰いたいという事で、逃げてると。
やる事は一生懸命やってますと。
後はまぁ行政に・・・

※増元照明さん

言ってる事は同じことですね?

★川人弁護士

まぁ同じ事なんですけど、形として判決で内閣総理大臣の行為を縛るようなことはしないで欲しいと、こういうことですね。
本音はそういうことです。

えっと、よろしいでしょうか?
そうしましたら長時間ありがとうございました。
次回もですね、今日傍聴券の発行は無かったんですが、多分次回もないと思います。
裁判所の最近の傾向としては、定員とほぼ同じくらいの場合はですね。
多少多くなっても傍聴券の発行はしないと言う扱いになっているようです。
これは単純に理由は傍聴券を発行する職員の数が足らないと言う事、それだけの話なんです。
ですので、おそらく次回も傍聴券の発行は無しという事になるかと思いますが、従いまして、11時半でしたか。
まぁちょっと早めに来ていただければ、そうですね、20分か30分前くらいには法廷に入っていただいた方が宜しいかと思います。
どうも本日はありがとうございました。

・・・報告会終了・・・

古川了子さん第3回行政訴訟報告会(7)05.10.20 東京弁護士会館にて

『質疑応答(質問者 時事通信・ヤマネ氏)』

※質問者 時事通信・ヤマネ氏

すみません。
時事通信のヤマネと言います。
さっき川人先生が次回あるいは次々回、裁判官が決断を迫られると言う・・・具体的にどういうふうな展開になりそうなんですか?

★川人弁護士

こちらとしては証人採用決定を求めていくという展開にしたいと思うんですよ。
つまり向こうはこれ以上乗れないと言うわけですよね。
ここに書いてある以上は。

で、普通の裁判だとですね。
こちらが主張しているように古川了子さんは、こうこうこういう経過で突然失踪したと。
こちらが言ってる事に対して、その事実は認める、あるいは認めない、分からない。
このどれか答弁をしなければいけない、普通の裁判ではね。
突然何月何日にいなくなったと、こちらは言ってるわけですね。
7月の7日にいなくなったというふうに主張していると。
その事実に対して、認める・認めない・分からない、このどれかを答弁しなければいけないというのが裁判のルールなんですよ?
所がそれをしないわけですよ、向こうがね。
だから実態審議に入らないで門前払いしてくれと言うのがそういう意味なんです。

通常の裁判だと認める・認めない・不知ということになってですね。
どれかなんですけど、それはなぜやるかと言うと、認めると言う部分に関しては証拠調べをする必要はないわけですよね。
で、争いになってる部分だけ、証人調べをしていくわけですよね。
ですから始めの内は書面のやり取りが続くというのが裁判なんですね。
ところが本件の場合は向こうがいつまで経ってもそれを応えないわけですよね。
ですので、こちらとしては見切り発車をして、相手が応えないと言う事は、全て争うという趣旨だと考えてですね。
どんどん証人調べをしていきたいと。
だから彼女が失踪した経過も含めてですね。
ご家族の方にも証人に立ってもらってですね。
どういう経過でいなくなったかと言う経過も含めて、証人調べに入っていただくと。
そういうことを裁判所に要求したいと思います。

そうしますとその時点で裁判所としては、証人決定をするかどうかと言うことで迫られてくるということですね。
向こうが言うように門前払いをするということは、証人調べを一切しないということですから。
ですからこちらが証人調べを求めるという事に対して、裁判所としての態度決定が迫られていくと。
そういうふうに理解いただければと思います。
ですから次回・次々回がその辺のやり取りが、裁判所としてもそろそろ、だから3人の間でそろそろ議論をしているんじゃないでしょうか?
どうしようか?というような話を、多分そういうような展開になると思います。

古川了子さん第3回行政訴訟報告会(6)05.10.20 東京弁護士会館にて

『質疑応答(質問者・川添友幸 救う会神奈川会長)』

★川人弁護士

更にご質問ご意見等ありましたなら、あ、どうぞ。

※質問者 川添友幸・救う会神奈川会長

救う会神奈川の川添と申します。
ちょっと気になる点があってお聞きしたいなぁと思ったんですが。
先週例の、警視庁公安部がですね。
よど号の裁判の中で、「福留貴美子さんが拉致被害者では無い」と言うことを明言すると言う発言がありまして。
私たち神奈川の会では慎重に反論を書いて発表したんですが。
今まで初めてじゃないかと思うんですね。
拉致被害者ではないと言う事を言っていたと。
私たち心配していたのは今日の裁判を見ていて、最後は政府がそういうことを言ってくるんじゃないのかなぁ?と、言う事を感じたんですが。
あの、警視庁公安部の発言がこの裁判に影響すると言う事は、出て来る可能性というのはあるんでしょうか?
お願いいたします。

★回答 川人弁護士

あのですね。
拉致被害者として政府が認定しないと言う場合にですね。
ちょっと大別すると二つのタイプのグループがあると、被害者の。
一つはですね、典型的に古川了子さんのようにある日突然失踪して、それで警察や政府が言う所のハッキリした証拠がないと、言う事で認めてないケースですね。

で、もう一つは北朝鮮にいたことは事実だけども、要は自由意志で行ったと、言うふうな趣旨。
そこまでハッキリ言わなくてもそれに近い奴。
この間の証言は自由意志ってハッキリ言ったんですかね?
裁判では?
自由意志とは言わなかった?

★岡田和典 特定失踪者問題調査会理事

一度帰って来ているにも拘らず、そこで訴えだとかそういうものが無かったじゃないか?と。
で、そのまままた(北朝鮮に)帰ってるじゃないかと、そういうような話ですね。

★川人弁護士

ああなるほど。
つまり本人が、広い意味で自由意志という事になりましょうか。
そういう趣旨であると。
で、従って認定しないと。
多分大別すると2種類のタイプがあると思うんですね。

それでですね。
後者の方についてはですね。
あるいは他にも良く似た事案があるのかどうか分かりませんが、もうそういうことを考えて言い出したのかも知れませんね。
ある意味で言えば、有本さんのケースなどもですね。
騙されて行く訳ですけども、そういう100%暴力的な拉致の場合と騙して行く場合と比べて。
つまり騙して行く場合と言うのは、法律的には内心ですね。
瑕疵ある意思表示というんですけども、物理的な意味で拉致されたり連れて行った者と比べると、あるいは論争をしようと思えば、向こう側がですね。
騙されて連れて行かれたのか?自分の自由意思で行ったのか?と言うことが、論争しようと思えば向こうが出来る余地がややあると。
つまり色々な嘘の証言を集めればですね。

ですので、あるいは前回のよど号事件の証言の話は、今後そういう自分の自由意思で行ったのかどうか?というタイプの拉致認定に影響する事案ではないかと思います。
古川さんの事案は、そういう意味ではそういう議論になる余地は全くないと思います。
そういう意味での違いはあると思います。
ただ全体としての問題として、田中さんの認定が4月下旬にやられたわけですけども、その後新たな認定は今の所無いわけですよね。
そういう意味では、政府の方としては拉致の認定に消極的であると、変わってないということはあると思いますので、この裁判その他の活動を通じてですね。
その点の姿勢を正していく事は必要ではないか?と思っております。
そういうふうに思っております。
ちょっと補足をね・・・

★岡田和典 特定失踪者調査会理事

調査会の理事の岡田でございます。
ちょっと今の自由意志云々の話なんですけども、例えば田中実さんのケースなんですけども。
私ども兵庫県警に繰り返し拉致認定を求める。
そういう、外事の方に出向いて話をしておりますとですね。
自由意思で行った可能性はあるということは必ず匂わせながらですね。
だから中々拉致認定にならないんだと、そんな事も言ってるわけですね。
付け加えるわけですね。

ただですね。
この点についてはですね、非常におかしな訳ででしてね。
現実に4月の終わりに拉致認定された。
またこのですね。
去年の暮れぐらいにですね。
どうも田中実さんはですね、自分から進んでといいますかですね。
ラーメン屋の親父にですね、一緒に連れて行ってやると言われてると言う事をですね。
周辺に相談していたとか、そういうような情報が去年の暮れから初めて出てきたんですね。

最終的にはですね。
どんな情報が出てきたかと申しますと、養護施設の理事長のところにですね。
卒業してから、その養護施設を卒園してから1回だけ訪ねてるんですね。
その時にですね。
「僕は籍を売ろうと思ってる」と。
そういうふうな話すらもしているわけですね。
それが丁度、拉致認定の前くらいに出てきてるわけですね。
となってくるとですね。
自由意思で行ったか?と言う点ですね。
これがまだハッキリと明確な物が無いにも拘らず、拉致認定になったということですね。

もう1点ですね。
様々な伝聞情報、または雑誌などで、暴露・告発等によってですね。
田中実さんが北朝鮮に拉致されたと言う事は色々と取り沙汰されたわけですね。
ただ現実に、田中実さんを政治軍事大学で見たと、金正日の政治軍事大学で見たという証言があったのはですね。
安明進一人なんですね。
他には無い訳ですね。
こういう点からも含めてですね、向こうでの目撃証言があるいう点。
これは古川さんと共通する安明進氏の証言のみですね。

で、今言ってるのは自由意志云々という事になってくるとですね。
これもどちらかと言えば、今16人認定されている中ででもですね。
(田中実さんは)自分の意思で行った可能性が一番高い方でもあるわけです。
自分で籍を売りに行くんだと言う事をわざわざ周りに喋ってると、言うようなことででしてね。
この点もなぜ拉致認定されたのか?と言う点になるとですね。
はなはだ明確な根拠があるとは思えないわけですね。

非常に摩訶不思議なのはですね。
この古川さんの裁判、こうして続けているわけですけれども、何を思ったのかですね。
先日の、神奈川の川添さんから今お話がございました、よど号の帰国に関する裁判が先日行われた折にですね。
警視庁は何も聞かれてもいないのにですね。
わざわざ「福留貴美子さんは拉致被害者じゃない」と言う事を、極めて踏み込んだですね。
必要の無い裁判での発言をしているわけですね。

で、この古川さんの裁判においてはですね。
いまひとつ踏み込んで来ない。
逃げてばかりでいるにも拘らず、否定する部分についてはですね。
極めて積極的な必要も無いことをですね、言うてると。
じゃあ被害者で無い根拠は何なんだ?と、いう事になってきたときにですね。
その警視庁の公安の裁判の説明によるとですね。
福留さんはモンゴルに行きたい行きたいと言っていて、騙され諌言によってモンゴルに行って、騙されて北朝鮮に行ったもんだと言うふうに我々は考えているんですけども。

そのあとよど号のメンバーの指示によってですね。
日本に今一度再入国しているわけですね。
こうして日本に今一度入ってきたときにですね。
本当の拉致被害者であればですね。
いくらでも逃げられる自由とかそういう物があったんだと、それをしていないから拉致被害者じゃないんだと。
いうような説明をしているわけなんですね。

こういうところからでも、古川了子さん、あるいは田中実さん、また福留さんのこういうものを通じてですね。
国の姿勢と言うものが、垣間見えるわけですね。
何としてでも勝ち取っていきたいと思ってる次第でございます。

★川人弁護士

ちょっと法律家としての見解を申し上げます。
これちょっと私の個人的見解ですが、将来必要であれば法律家の会としての見解を出したいと思いますが。
おそらくですね。
次のどちらかの用件を満たしておれば自由意志ではないんですよ。
まず、向こうに行く時に、騙されたりもちろん暴力的に拉致されたりした場合、こういう場合は自由意志ではない、拉致であると。
これはまず明確ですね。

もう一つはですね。
そうであるかないかに関らずですね。
つまり全く100%共和国は素晴らしい国だと思って行ってもですね。
今度は向こうから自由に国を出られないと、そういう場合はですね。
これも拉致の被害者として、厳密に言うと言葉的には監禁の被害者なんですけども、そういう形で被害者として認定するべきだと。
だって自分の国籍である日本に自由に出国出来ないというのは、身柄を拘束されているのと同じですから。

ですから私は自由意志議論が問題になるとすれば、それは(日本を)出る時、または、且つじゃなくてね。
(日本を)出るときに何らかの形で騙されたりしていると。
または(日本を)出るときに仮に100%自由意思で出て行ったとしても、もう(北朝鮮を)出られなくなった状況になったときには、それはまた被害者として認定するべきだと。

例えばですね。
始めに騙されて(北朝鮮へ)行ってですね。
そして向こうで生活している間に様々なしがらみが出てきた結果、まぁ、言葉の上では帰りたいとは言わないとか、日本に。
あるいは寺越さんのような状況になったりすると言うことがあるわけで、ですから今現在ですね。
その人がどういうふうな表現を使ってるかどうかは、一番始めのところで犯罪行為によって連れて行かれている場合にはですね。
今その人がどう言っているかと言うことは基本的には関係ないです。
被害者なんですね。
連れて行かれたという場合、その後しがらみの結果、今は自分が日本に戻りたいとは思わないと、仮に言葉として使っているか使ってないかですね。
そういうことは基本的に問題ではない。
被害者の認定のあり方は、おそらくまたは、ですね。
(北朝鮮に)入っていく、または(北朝鮮を)出られないと言う、どちらかを満たしておれば被害者と考えるべきで、自由意志と言うのは本来ほとんどのケースで有り得ないと。

よど号の犯人はどうですかね?
この辺になってくると、それでもあり得るかもしれないですかね?
そういうふうに思っています。
また今後色々議論をしていきたいと思います。

古川了子さん第3回行政訴訟報告会(5)05.10.20 東京弁護士会館にて

『質疑応答1(質問者・生島馨子さん 特定失踪者・生島孝子さん姉)』

★川人弁護士

何かご意見、あるいはちょっとこの点が良く分からないと言うようなご質問等ございましたらどうぞご遠慮なく。
もしマスメディアの方がいらっしゃったら挙手していただいて結構です。
もしありましたならどうぞ。
はい、どうぞ。

※質問者 生島馨子さん(特定失踪者・生島孝子さん姉)

生島孝子の姉の生島馨子でございます。
3回ほど傍聴させていただきましたけど・・・裁判の事についてはど素人ですのでお任せする。
それから調査会の方で色々お骨折りいただいているので、そうじゃなくて疑問に思うと言うか不思議に思うことをちょっとお聞きしようと思ってるんですが。

この行政訴訟を起こした当時、起こしましたと言う簡単なニュースは流れたんですね。
その後、まぁ被告側の回答がああいう物だから、マスコミでは取り上げようが無いんでしょうけれども、そういう事に関して余り報道されないんですね?
一方現実には認定された方とされてない者と、交渉の場のテーブルにも名前も直接出て来ない。
官房長官の談話なんかでも、会見なんかでも「その他にもいるようだし」と言う言い方しかしないんですね。
で、そういうような理解で・・・当事者も、国と言うのは当事者ですよね?
当事者もいるし、マスコミもそこら辺がキチッと分かってないし。

それから国会なんかでも質問はしてくれますけども、質問なさってる方も、この間の山谷さんのあれなんかを見てもね。
ちょっと扱いに差があるんだというのを分かってるのかなぁ?と言うのを、感じがしないでもないんですよね。
そして、「全員救出をするまではどうとか」っていうような答弁があるんですけども、拉致被害者という言葉の理解がそれぞれの立場ですごく幅があるように思うんですね。
政府はもしかすると、認定した者だけに思ってるんじゃないか?と思うし。

一般に運動してくださっている方には、当然それは認定者だけじゃなくて調査会で色々情報を得て告発した人も入ってるし。
名前の分かってない最後の一人までね。
救出するまでが拉致被害者っていうふうな理解して運動している。
私たちは「全員帰って来るまでよ」って簡単に言うわけですよ。
で、そういう言葉からすると推察されるのは、全員帰ってくるというのは認定されて無い人も入ってるんじゃないかなぁ?と思うわけですよね。
その言葉の幅がすごく広いので、裁判、係争中のことはあまり報道したり運動に使ったりしたらいけないんでしょうかね?
もうちょっと一般の人たちに、こういうようなことを知ってもらえるようなことは拙いんでしょうか?

あの例えば差があるという事実ね。
こういうふうに差があるんですよ、3回も(裁判を)やってるのに国の方は態度が全然変わらないんですよと。
そういうことをもうちょっと一般の人が分かるようにですね。
分かりやすく広めてって言うか、理解してもらえるようなことは出来ないんでしょうか?と、思うんですが。

★回答 川人弁護士

仰るとおりだと思うんですが、ちょっと色々その辺り、努力させていただきたいと思います。

★回答 荒木和博調査会代表

改めて(裁判も)もう3回目になるわけで、改めて向こう側が動かそうとしないと言うことは完全に明らかになっているわけですので。
今パッと思いつきませんけど、ともかく、古川さんの訴訟の事に絞って分かるような物を何かの形にまとめて公に発表すると言う事くらいは、それほど難しいことではないので。
そこはそうですね。
この訴訟の問題だけでひとつちょっと分かりやすくアピールできる物をちょっと考えて見ます。
これはですからマスコミがと言うことではなくて、我々が発信するという事になるわけですけども。
マスコミの中にも関心を持ってる方はいるので、今生島さんが言われた事を頭に置いてその部分をやってみたいと思います。

ですから拉致被害者がどこまでの枠かと言うのは、これは一人でも多くの人が大声で、全部最後の一人が帰ってくるまでは、帰ってこなきゃ駄目なんだと言う事を言い続けて既成事実化していくしかですね。
方法がないと思います。
政府の方は出来るだけ今の16人のところで止めておきたいと。
拉致被害者というイメージもそこまでにしておきたいというイメージ、だと思うんで。
それでもあの前は完全にそうだったわけですよね?
完全にそうだったものが、やはり世論が認定した被害者だけじゃないんだと言う事が分かって来た事によって、政府も少なくとも一言は付け加えなければいけないというふうになって来ている訳ですから。
これはもう世論が大きくなれば変わらざるを得ないと思うので、我々も注意して考えていきたいと思います。

※質問者 生島馨子さん

お願いします。

2005年10月28日

古川了子さん第3回行政訴訟報告会(4)05.10.20 東京弁護士会館にて

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表のお話』

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今日はどうも、皆さんお忙しい所をありがとうございます。
今先ほど川人先生のお話をちょっと聞いて思ったんですが、やはり政府が認定しているとしていないに関らずちゃんとやってると。
言う所を、我々はもっと効果的に使っていく必要があるのではないだろうか?と、いうふうに思います。
今竹下さんが言われた、告発している人以外はやってるかどうか分かりませんと。
これもし何かちょっとでもやっていれば、おそらく警察はやってますと言う風にですね。
一応10にしても100にしても言うだろうと思いますから、分からないと言う事はやってないと、言う事だと思います。
これだけでも認定しているのとしていないのとの違いがハッキリ分かるのではないだろうかと、言うふうに思います。

今年の6月の参議院の内閣委員会の官房長官の答弁でですね。
ともかく認定については、要は民主党の森ゆうこ議員が「認定の枠をもっと広げても良いんじゃないか?」と言うことを言ってるわけですが、官房長官は「ちゃんと証拠が集まって警察が調べて、証拠が集まった物について認定する」と言う答弁をしております。
これも考えてみれば逆に使えるのではないか?と思っておりまして。
警察の責任で認定するのであれば、逆に認定をしていなかった方が拉致だと分かった場合は、当然警察が責任を問われるべきことですね?
警察の捜査によって分かったんではなくて、例えば曽我さんのように北朝鮮側が発表したことによって分かったと。
いうことであれば、当然それまで分からなかった、曽我さんの場合26年間ですか?
分からなかった事の責任をですね。
誰かがとって貰わなければいけないはずであると、いうふうに思います。

で、この6月の参議院の内閣委員会の時には官房長官はお詫びを一言言ってます。
おそらく私が覚えてる限りでは、これが政府がお詫びをした初めてのことではないかな?と、いうふうに思っておりまして、少し私も脅かしを込めてですね。
もしそういうことが分かったら警察庁の長官も当該県警の本部長もですね。
当然皆辞表を出すんだろうなと、いうふうに書いてあります。

尚且つこういう言い方をすると非常にご家族の方もおられるんでちょっとあれなんですが。
それでも帰って来た方に謝ることが出来ればまだマシな方で、もう謝ることもできない状況になってしまっていたと、いう事にでもなったらですね。
その時は辞表なんかでは済みませんよと、と言うふうにですね。
ちょっと今あちこちで言ったり書いたりしております。

だからもしそういう所で責任を取らされるのが嫌であれば、だったら警察だけでは出来ないんだと。
認定と言うことだけでは、拉致は解決できないんだと言う事を警察自らハッキリしろと。
言うふうに言っておりまして、こういう形で古川さんご家族にご無理をいただいて、そして法律家の会の先生方が一生懸命やっていただいているお陰で、ある意味で言うとそういう部分にいろんな所に道が開けているんではないかと言うふうに思っておりますから。
我々もこのことをですね。
私たち自身がこの訴訟のことを出来るわけではありませんので、この訴訟でやってる事を基礎にして、更にいろんな形の取り組みをしていきたいと思っておりますので今後ともよろしくお願いします。(拍手)

古川了子さん第3回行政訴訟報告会(3)05.10.20 東京弁護士会館にて

『増元照明さんのお話』

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ご苦労様です。
裁判を聞いていて、先ほど川人先生が仰ったように「何を言ってるんだ、こいつら」と思ったんですけども。
実際、家族会は認定被害者家族ですけども、認定と非認定の場合、非常に差があると思っております、私たち自身も。
私も調査会の一応理事をやってますので、外務省関係で佐々江局長たちとお会いするのは家族会・認定の家族だけです。
その他非認定の方たちに関しては直接佐々江さんと会う事も、今のところ誰も会っていないと思います。
それだけ差が出ていると言う事。
それが法的にどういう利益なのか分かりませんけども。

実際認定と言うのは2002年の9月17日以降、ちょっとハードルが高くなったんですね。
証拠が有る無しに関らず、横田めぐみさんは一応警察では拉致容疑事案に入ったんです。
それが9月17日金正日が認めたがゆえに、認定と言うふうになった。
それまでは私たちも拉致容疑事案であって、政府認定ではなかったんです。
ただ国会で一応6件9人、それはまず間違いないだろうという国務大臣、自治大臣の答弁があったので、一応認定と言う形になったのだと思いますが。

更に認定がされたのは横田めぐみさんが1997年の3月だと思いましたけど、国会答弁の後にされました。
有本恵子さんは2002年の3月、やはり東京地裁で八尾恵が証言して認定されました。
その時は政府認定ではなくて警察認定と言う形なんですけど。
ですから非常にこの認定と言うの。
警察がそこまで容疑事案としてあげても、官邸がそれを認めない限りは国側の認定にならないんです。
これが一番問題で、官邸サイドが増やそうとしていないので、一番攻めるべきはおそらく官邸だとは思うんですが。
これから私たちの運動で官邸がどう動くか?
それは私たちにも全然良く分かりません。
でも実際この拉致問題の全面解決までにはこの拉致は終わらないと感じておりますので、私たちは一生懸命やっていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。(拍手)

2005年10月27日

古川了子さん第3回行政訴訟報告会(2)05.10.20 東京弁護士会館にて

『竹下珠路さんのお話』

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こんにちは。
皆さんありがとうございます、お忙しい中遠くまでありがとうございます。

私どももこの準備書面と言う物を読ませていただいた中で、本当に皆さんと一緒にイライラすると言うのが現実なのですけども。
準備書面といって出された中に国会での審議の書類が入っていたんですけれど、今日ちょっと読ませた頂いた中でも、警察庁が「証拠があれば認定する」と言う文言があちこちにありまして。
証拠集めを、これは荒木先生が前々から言って頂いてる、証拠集めをして拉致認定に結び付けると言う日本の警察のやり方が本当にそれで拉致という事につながっていくのか?と言う思いが。
警察はそれで証拠集めを一生懸命していても、それは証拠が出ないから認定されないという事になってしまうのか?というのを、つくづく感じます。

つい3週間ほど前に、千葉県警の担当官の方が私どもの方にも中間報告だと言う事で来て頂いたんですが。
「その後何にも証拠が出ないんですよね」って、彼らも言っているんです。
そこの中で国が証拠があったら認定すると、ここの同じ国側ではありながら矛盾では・・・
どんな証拠を?と言う私も求めたいんですけども、それでは拉致認定にいつまで経っても、警察の今のやり方ではつながらないんではないかな?と言うのが本当に歯がゆい思いをしております。
もっと色々な面から警察も考えていただかないと、それから千葉県警の例でも担当官は
「千葉県内から失踪した全ての人について捜査をしていただいているんですか?」
と私が踏み込んで尋ねた所が、
「いや私たちは古川事件に関して、これは告発されているので捜査しております。
それからもう一件千葉県では、加瀬テル子さんの事件に関しても捜査チームを作って捜査しております。」

「それ以外全般的な千葉県内の色々な特定失踪者の方々について捜査はしているんですか?」
と重ねて尋ねても「僕達には分からないんです」と言われてしまいました。
そういう県警外事課の返事をしているかもしれないし、してないかもしれないというのが、本当に暖簾に腕押しと言う感じがしてなりません。
弁護士の先生方と調査会の皆さん、救う会の方々にも政府が前進するようにお力を頂きながら頑張りたいと思いますので、どうぞ皆さん方もよろしく応援をお願いいたします。
ありがとうございました。(拍手)

古川了子さん第3回行政訴訟報告会(1)05.10.20 東京弁護士会館にて

『川人弁護士による裁判報告』

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皆さんご苦労様です。
弁護団の川人と申します。
私の方から前回の法廷以降今回までの法廷でのやり取りについてご説明したいと思います。

前回の法廷がございましてですね。
要は前回の時に、被告・国側としてですね。
本件については門前払いにしてくれと、こう言う事をはっきり主張したわけです。
そして前回から今回までの間に、と言っても実際には今から一週間前なんですが。
被告側からこういった準備書面1と言う物が出てきまして。
それと合わせていくつかの国会議事録ですね。
などが出て来ました。
それが向こうから約一週間前に提出されまして、今日は主としてその問題についてのやり取りを中心に行ったわけです。

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結局の所、今被告側が何を言っているかと言うと、こういう事なんですね。
拉致被害者支援法と言う法律が2002年の12月に出来たわけですね。
第一回の日朝首脳会談の後に拉致被害者支援法と言うのが出来ましたが、要は国側の主張は、被害者の認定をしてもしなくても、いずれにしてもやるべき事はやっていると。
こういう事なんですね。
従ってこの裁判で拉致被害者として認定するように要求が出されているけれども、そういう事の法的な利益が無い。
法的な利益が無い。
こういう事をるる述べてですね、それで具体的に過去に遡ってですね。
拉致問題でどういう取り組みをしてきたかと言う、まぁHPでですね。
彼らが書いている物の写しを裁判所に出してきた。
特に目新しい物は何もありません。

私どもはこれまでも主張した事なんですけども、今日もより裁判官に認識して貰いたいと思いまして、繰り返し弁護団の方から申し上げたのはですね。
古川さんの扱いと田中実さんの扱いを比べれば歴然としている、この問題は、という事なんですね。
古川了子さんについてはですね。
一度たりとも北朝鮮との交渉に名前を出した事がない。
そういうような報告はご家族にも一切無いわけです。
ですから一般的にですね、拉致被害者として認定した15人の方以外にもですね。
取り組みをしているといってもですね。
具体的にその問題で北朝鮮に対して追求して交渉したと言う事実が無いわけです。

他方ですね。
田中実さんに関しまして、今年の4月にですね。
この裁判が提訴された以降ですけれど、今年の4月の下旬に政府が16人目の拉致被害者として認定したと。
で、その後すぐですね。
北京の大使館ルートを通じて北朝鮮に対して、彼を拉致被害者として政府は認定したと。
そしてこの件についてきちっと北朝鮮に対して真相を明らかにしなさいと。
彼を帰国させるように扱いなさいと。
いうことで、日本政府は北朝鮮政当局に要求をしたと、言う事であります。
それは新聞報道などで明らかなわけです。

ですから認定しても認定しなくてもですね。
違いはないんだと、同じようにやってるというのは、これはもうどう見てもおかしいわけですよ。
だけどもその当たり前の事をですね。
とにかく国側の代理人としては認めようとはしない。
結局ですね。
彼らが書いてる書面にはですね。
特に田中さんの問題については書けないんでしょうね。
一言も触れてないんですね。
私どもは田中実さんについては繰り返し今までも書面で触れているわけです。

一応裁判の書面では相手方の言ってることに反論をする書面でしょう?
今私が言った事はこれまでも繰り返しですね。
書面でも、田中実さんのケースと古川さんのケースの違いを主張しているわけです。
ですから彼らが反論を書いた言うんであればその事に触れてなければならないわけですね。
だけども反論は以上ですって言って、田中さんの事は一言も書いてないです。
つまり彼らの言ってる事と辻褄が合わないから、書きようが無いわけでしょうね。
それが今日のやり取りであります。

皆さん方から見られてですね。
しかしそれにしても裁判官はもっとなんで強く言わないんだ?と、被告国側に?と、思われたと思うんですね。
私どもも、もちろんそういうふうに思います。
ただですね、行政訴訟と言うのはなかなかですね。
裁判所もですね。
国側に変な意味で配慮すると言う所が、どういう事件でもございましてですね。
我々もですね。
そういう意味では裁判所を一つ一つ粘り強く説得してですね。
裁判官を味方に付けていくという活動をしなければいけないというのがありまして、現在の時点では余り強く裁判官を追及していくという法廷姿勢は取らないということであります。
もっぱら被告側を追求すると言う事で、裁判所にはですね。
あくまでもこちらの立場に立って判断をするように粘り強く説得すると。

今後の問題なんですけども、次回12月の6日という事になりました。
裁判所の方としては、向こう側が一週間前に出した書面についてですね。
反論の書面を出してくれと言うことなんですね。
でも、反論と言うか、我々も言う事は言ってあるんですけど、とにかく一応書いてあるものをそれは出しますと。
それはまぁ約束をしたんですが、合わせてですね。
本件に関して訴訟をどんどん進行して貰いたいと思いますので、次回は証人のリストを裁判所に出そうかと今思っています。
ですから具体的にですね。
証人申請をして、こういう人から裁判所に事情を聞いてもらいたいというリストを提出しようかと言うことで考えています。
具体的にはご家族と共に、安明進氏などの証人リストを次回裁判所に提出しようかと思っています。
今検討中でございます。

今日はですね。
日弁連、あるいは警察などに出してきておられます、竹下さんが作られた当時の彼女が失踪した当時の経過がわかる詳細な図面ですね。
どの場所からどういうふうにいなくなったという、図面など。
あるいはそれらについての写真ですね。
現地の方、我々よりもご存知でしょうけれど、彼女が立ち寄る予定で結局立ち寄らなかった美容室が、まだ同じ所にあるんですよね。
そういう所を含めて写真等も提出いたしました。
更に原告の竹下さん私どもが調査した内容のポイントなどについても、書面として出した次第でございます。

最後にですね。
向こう側が今後どう出てくるかと言う事なんですが。
おそらくですね。
今日やり取りした域のことは出てこないという可能性が高いと思います。
今の所。
向こうではおそらくいろんな議論をしているんだと思うんですけれど。
ですので次回、あるいは次々回位はですね。
いよいよ裁判所が決断を迫られる段階に入ってくると思うんですね。
今のところは裁判所もこちらが強く言うと、検討してくださいと向こうに言ってますが、裁判官はそろそろどこかで決断しなければいけない時期に近づいているわけですね。
その点では私どもも、裁判所を説得するためにはどういう点が大事かと言う議論をしてですね。
法廷に臨んでいきたいと。

中々傍聴席から聞かれていて、いらいらするやり取りかと感じられたと思うんですけれど、今申しましたような意味でですね。
次回、もしくは次々回はかなり重要な局面に入るかと思います。
向こう側の準備書面ですね。
とにかく認定してもしなくても一生懸命やると繰り返し言ってますので、これはある意味逆手にとってですね。
特定失踪者の方々についてですね。
何をやっているのか?と、どんどん追求して要請を強めていく必要があると。
とにかくしてもしなくても一生懸命やると繰り返し言ってますので、その通りにやってもらうのはそれ自体は重要な事です。
ですからその辺りはある意味では逆に活用してやっていただければ良いかなと、そのように思っています。
どうも私の方からは以上報告いたしました。
では、後は珠路さんの方から・・・

2005年10月25日

音声ファイルアップ(曽我ひとみさん)

「曽我ミヨシさんを救うぞ!東京集会(05.5.12)」より

★曽我ひとみさん(曽我ミヨシさん長女)

母に寄せる思い 


テキストはこちらから
http://piron326.seesaa.net/article/3609995.html


救いを待つ日々 


テキストはこちらから
http://piron326.seesaa.net/article/3670359.html


実際に拉致の被害にあったひとみさん御本人による、あまりにも重すぎる証言の一部をご紹介いたします。
今も彼女と同じ境遇で星を月を見つめて助けを待つ人がいることに、どうか思いを馳せてくださいませ。
posted by ぴろん at 17:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

音声ファイルアップ(竹下珠路さん)

「古川了子さんを救う千葉集会in市原(05.6.25)」より

★竹下珠路さん(古川了子さん姉)



テキストはこちらから
http://piron326.seesaa.net/category/481871.html

途中涙で声を詰まらせながらのお話です。
家族の悲痛な声をどうかお聞き届けくださいませ。
posted by ぴろん at 01:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月24日

音声ファイルアップ&お詫び

悪戦苦闘の末、ようやく音声ファイルのアップに成功しました。
まずは先月友愛会館で開催された「拉致被害者は生きている!東京連続集会」でのご家族の声をご紹介します。
アップ済みのテキストと合わせて、ご家族の声にどうぞ耳を傾けて差し上げてください。

★平野フミ子さん(増元るみ子さん姉)



テキストはこちらから
http://piron326.seesaa.net/article/7306109.html


★寺越昭男さん(寺越昭二さん長男)



テキストはこちらから 
http://piron326.seesaa.net/article/7306152.html 


★有本嘉代子さん(有本恵子さん母)



テキストはこちらから
http://piron326.seesaa.net/article/7306194.html


★有本明弘さん(有本恵子さん父)



テキストはこちらから
http://piron326.seesaa.net/article/7306251.html


★斉藤文代さん(松木薫さん姉)



テキストはこちらから
http://piron326.seesaa.net/article/7306298.html

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お詫び

「古川了子さん第3回行政訴訟」&「韓国人拉致被害者も救うぞ!東京連続集会」のテキスト化について

週明けの本日から作業着手の予定でしたが、急ぎの仕事が入ったため、後2〜3日は取り掛かることが出来ません。
通常集会1本をいつもは1週間ほどで起こしておりますが、今回は仕事の関係で少し時間がかかりそうです。
お待ちの皆さんには申し訳ありませんが、もうしばらくお時間をいただきますことお許しください。

どの仕事でもそうでしょうが、私の本業もご他聞に漏れずこれから暮れに向けて忙しくなってまいります。
来月も何本か集会参加を予定しておりますが、テキスト化作業の時間を確保するのは暮れに向かうほどに難しくなります。
通常通りのテキストアップは中々難しくなるかもしれませんが、本業に差しさわりのない範囲で取り組み必ずアップしますので、気を長く?お待ち下さいますようお願い申し上げます。<(_ _)>
posted by ぴろん at 19:17| Comment(5) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月22日

被害者を思う心さえあれば良い

9.17から3年。
集会のテキスト化という具体行動を始めて1年。
Blogを立ち上げておよそ半年。
おかげさまで支援者のお仲間も増え、当事者家族の方ともほんの少し顔なじみになりました。
行動を起こしたぶんだけ、家族の生の声やリアルな息遣いに触れる機会も比例して増えます。
けれどもそういうきっかけが増えれば増えるほどですね。
拉致問題に首を突っ込めば突っ込むほど、己の無力さ加減を強く思わざるを得ない自分がいるのです。

私たちの戦うべき相手の底知れぬ闇の深さ。
被害者を取り戻す為に立ち向かわねばならない障壁の大きさ。
当事者としてそれに挑まねばならない家族の思いに心を寄せる時、私も何かとてつも無く大きな物に潰されそうな気分になります。
おかげで最近の私は少々煮詰まり気味です。
この手の運動の活動歴の長いある支援者のお仲間に言わせれば、意気込んで支援をしていても問題の山が動かないとなれば丁度3年目くらいでちょっと気分が落ち込む時があるんだそうです。
なるほどな〜〜〜、と。
それは確かに当たっているかも知れません。

そもそも被害者救出運動は何のためにするのでしょうか?
集会でお見かけする多くの支援者は、私など到底足元にも及ばないような豊富な知識や情報をお持ちの方が大勢いらっしゃいます。
中には本当に体を張って、命懸けの支援活動をする人もいらっしゃいます。
熱心に支援をすると口で言うのは安しですけれど、皆それぞれに仕事があり、生活があり、家族があるわけです。
自分のプライベートな時間を削ってまで支援に力を注ぐのは、それはそれは並大抵の覚悟では務まらない。
私の目から見ても、彼らの努力奮闘には本当に頭が下がると感じております。

早紀江さんが仰る「溺れる子供」を前にして、傍観者ではいたくない。
それが私個人が拉致問題に関る一番の理由でしょうか?
むろん支援者が100人いれば100通りの理由があることでしょう。
何か自分に出来る事を・・・そういう思いで、集会にはせ参じている多くの老若男女に出会いました。
ネットを通じて、こちらも種々様々な考えを持つ人の存在を知りました。

世の中には実にたくさんの考え方があります。
支援の輪を広げようと奮闘すればするほど、この意見の違いという現実の壁にうんざりするほど直面します。
救助の方法一つとっても制裁即刻発動派から慎重派まで様々です。
被害者を救い出したいという気持ちは同じでも、救う会の運動方針には同意できないと言う人もいる。

そんな中で、ではいったいどうすれば支援の輪を広げる事ができるのか?
自説にこだわる余り何かといえば内部ゲバに及ぶ人たち。
内ゲバまではいかずとも、支援者同士の揚げ足取りに終始して溜飲を下げている人も少なからずお見かけします。
振り返れば拉致問題の支援活動には、過去にも種々雑多な争い・内輪もめがありました。
内輪もめなどしている暇があったらば、その力を支援の輪を広げる方向に注ぐほうが前向きではないか?と私などは思うのですが、中々その思いが通じない場合もある。

そもそも支援者として最低限必要不可欠な物は何なのでしょうか?
支援者として必要な資格があるとすれば、それは「被害者を思う心」に尽きると私は思っています。
それさえあれば、後は救出の為の方法論が違っても関心度の濃淡があっても、支援する仲間として手をつながねばならないと考えてもいます。
つなぐ努力をしなければならないと考えます。
立場や意見の違いを乗り越えて大勢の支援者が手をつながねば、国民世論をもっともっと強固な物にしなければ、拉致問題の山を動かす事などとても出来ようはずもない、と思うからです。

被害者は今も救出を一日千秋の思いで待っています。
残り少ない命の火を燃やして被害者の帰国を待ちわびる家族たち。
彼らの胸の内を思ったならば、今私たちが内輪もめして支援の輪を乱す暇など無いはずだと思うのですが。

私たちは何のために自分のプライベートな時間を削ってまで支援をするのか?
一円の得にもならない支援活動をするのか?
集会ひとつ参加するにも交通費から参加費までそれらの費用は全部自分の持ち出しです。
それでも足しげく集会に通うのはなぜなのか?
ボランティアとして裏方仕事を務めたり、ネットに書き込んだり、署名活動やカンパをするのは何のためなのか?

私たちが救うべきは被害者の命と彼らの帰りを待ちわびる家族の命であるはずです。
全ては被害者の為。
被害者を救い出す為。
それが支援活動の原点であろうと思います。
その原点を忘れてはいけないと思う。
それぞれがそれぞれに出来る事を積み上げて、意見の違いを乗り越えて手をつなげれば、それが被害者救出のための大きな力となることを私は信じます。

私に出来ることは所詮この程度。
悩んで苦しんでいつも同じ所をぐるぐる回っておりますが、それでも諦める事はしたくない。
拉致問題の支援活動は命を救うための運動です。
命の危機を前にして、溺れる子供を前にして、私は卑怯者になりたくはありません。
posted by ぴろん at 09:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月21日

なんとも切ない一日でした

本日は集会二本立て。
一日に2ヶ所掛け持ちするのは、ちょっと疲れましたね、正直な所。
午後から東京地裁で古川了子さんの第3回行政訴訟報告会。
夕方からは日本青年館で韓国人拉致被害者も救うぞ!東京連続集会12に参加してきました。

しかし、なんとも切ない一日ではありました。
いや本当はこれしきのことでいちいちセンチになってる場合ではないのですが、思うようにはいかない現状をダブルで見せ付けられるとなんともはや・・・と言う気分ではあります。
行政訴訟の方は、私が遅刻をしてしまったため傍聴をし損ねてしまったのですが、無事傍聴をした人の話では国側の対応は相変わらずのらりくらりだったそうです。
開廷時間もおよそ20分ちょっとくらい。
こんな調子ではいったい認定を勝ち取るのは何時の頃になるのやら・・・

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(写真は左から増元照明さん、竹下珠路さん(古川了子さん姉)、川人弁護士)

前回第2回の報告会の時は、ご家族から怒りにも似た声も上がっておりましたが、今日は失望の色といいますか八方塞の閉塞感とでも言いますが。
裁判後の報告会でも、今日は前回と比べてちょっとどよ〜んとした空気が漂っていたようにも感じました。
まぁ所詮はしがない草の根の支援者に過ぎない私が、勝手にどよ〜んとした所で体制に変化なしなのですが、当事者であるご家族の心中を思うとですね。
当然彼ら当事者はどよ〜んと落ち込んでいる場合ではないわけですから。
報告会後もどのようにお声をかければ良いものか・・・どうしても私の言葉は詰まり気味です。
それと同時に一向にやる気の見えない官邸の有り様に、苛立ちと強い不満を感じます。

「全ての被害者を取り戻す」
これが全うな国民の全うな感情だと思います。
けれど全ての被害者とは一体どこまでを指すのか?
どうも政府には政府認定被害者のみでケリをつけようとしている節がありありなのです。
そこがどうにも問題なのですが。

政府認定被害者だけが拉致被害者ではない。
未認定の被害者も、まだ名前さえ分かっていない被害者も全て救い出さねばこの問題解決したことにはなりません。
その意識の共有が政府・国民共に出来るのかどうか?
政府はいったいいつまで家族に我慢を強いるのでしょうか?
マスコミはもっともっと拉致を取り上げて、国民に広く周知徹底をして欲しい。

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(写真は左から拉北者協議の会会長・崔祐英さん、拉北者家族の会代表・崔成龍さん、拉・脱北者人権連帯事務局長・都希侖さん)

夕方からの東京集会は韓国から、拉北者協議会会長の崔祐英さんをはじめとする、韓国拉北者関係のお3方のお話です。
こちらも・・・なんとも切ないお話で。
韓国政府が自国の拉致被害者に冷たいのは皆様ご存知の事だと思います。
彼らの口からは異口同音に、日本政府が羨ましい日本国民の高い関心が羨ましいとの言葉が出ました。
決して日本の状況が褒められるレベルではないのも皆様ご承知の通り。
改めて、彼らの置かれている状況の辛さを思わされます。

こちらの集会では特定失踪者・高野清文さんの妹の美幸さんと隣同士になりました。
私がどよ〜んとしている隣で、当事者の彼女はいったいどんな思いで登壇者のお話を聞いていらっしゃるのだろう、と思うとですね。
こちらも本当にいたたまれない気持ちになります。
政府やマスコミに対する怒りや不満は私の感じるそれとは、はるかにレベルが違うのだろうな、と。
そういう家族の気持ちをどうすれば私は支える事ができるのだろうか?と。

集会参加も度重なると、支援者のお仲間だけでなく、当事者のご家族の方とも顔なじみになります。
当然ちょっとしたご挨拶はするわけですが、最近の私は集会に参加すればするほど、ご家族の方にどうお声をかければ良いのか分からなくなるのです。
安易に頑張りましょうというのも軽はずみな感じがしますし、必ず取り戻しましょうとハッパをかけるのもなんだか言葉が上滑りしているようで、どうにも口が固まってしまうのです。
なので、近頃の私はどうも無口で無愛想になりがち?です。
お疲れ様でしたとか、出来ることは精一杯させていただきますので、と申し上げるのが精一杯。
無力な自分が本当に情けなくなります。

両集会ともテキスト化の予定ですが、明日から3日ほど本業の方が忙しいので、テキスト化作業に着手できるのは週明けになります。
勝手を言って申し訳ありませんが、それまでお時間いただきますことをお許しくださいませ。<(_ _)>
posted by ぴろん at 00:25| Comment(2) | TrackBack(2) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月19日

早紀江さんの言葉

「第3回拉致被害者救うフォーラムinふくしま(05.10.16)」での横田早紀江さんの講演テキストを入手いたしましたのでご紹介いたします。
早紀江さんの悲痛な叫びをどうぞお聞き届けくださいませ。

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今日は、このようにお集まり頂きまして、私たちの何の罪もなく北朝鮮に連れて行かれた子どもたちを、一刻も早く救出するために、この問題に関心を持って集まってくださいましたことに感謝いたします。
そしてまた、これまでの8年過ぎました救出活動の中で、福島の菅野会長はじめ、福島の皆様にも本当にたくさんの署名やカンパを頂戴いたしまして、今日まで、なんの心配もなく、活動を続けてくることができました。
本当にお礼申し上げます。
ありがとうございました。(拍手)

この拉致ということが、私たちのこのような平和な日本の国の中で、誰もが自由で、何を食べ、何を着、何を話してもいい、ほんとに豊かなものに恵まれている平和なこの日本の中で、誰も知らない間に、30年も35年も近くの間、全国の津々浦々から、めぐみもそうですけれども、町の中から、家のすぐ近くから、浜辺から、たくさんの何の罪もない、これから希望に燃えた日本の若者たちが、あっという間に、北朝鮮の工作員に捕まえられて、夜の闇にまぎれて、ぐるぐる巻きにされて、目隠しをされ、猿轡をはめられ、そして袋をかぶせられて、あの暗い波間を、船に乗せられて、日本海を、連れ去られていったというこのような恐ろしい出来事が、長い、長い年月、ほ・ん・と・に、こんなことが日本の中でおきていたとだれも信じることができない・・・・。

私たち、当事者自身でさえも、9年前に「めぐみが北朝鮮に拉致をされて平壌にいるということがわかりました」 っていうような話を聞いても、20年間、あの52年の11月15日の夕方、めぐみはまっすぐに帰ってきて、この家のすぐ曲がり角のところで、めぐみの匂いは消えてしまっておりました。
(警察)犬が来ても、何度かこうして回って、そこからどこへもいかないという状況があったので、ここで何が起きたんだろうと思いました。

そのようなことが、ほんとに日本の中で起きていたのです。
そして私たちは、北朝鮮という国を、あまり知りませんでしたので、「なんともいえない不気味な国だな」とぐらいしか思っておりませんでした。
実際にこのような問題が起きて、当事者になってはじめて、たくさんの専門的な方々のお話の中で、勉強会を開いてくださったり、私たちがたくさんの本を読んで、ようやくこの国がとんでもないことをやっている国だと言うことが、ようやくわかりました。

そのような国が、さきほど主人が申しましたように、偽ドルを作ったり、麻薬を作ったり、そして拉致もその中の一つとして、大変な罪をいっぱい犯している。
その国がすぐ近くにあるわけです。
そして、その国が、今回、核を持ったと宣言をしています。
そのような恐ろしい国が、ほんとに核を持って、その核があちこちの国に売りさばかれて、そしてその核がどのような形で、私たちのこの平和な日本の中を、あっという間に灰に化してしまうかもしれない。

そのような恐ろしさがもう今、私たちの身の回りに迫ってくるような、身の毛もよだつようなことが段々に迫ってきているということを、私たちはこの拉致を通して、めぐみたちの、ほんとにこのかわいそうな犠牲者を通して、ようやくわかってくるようになりました。

そしてたくさんの方がこのようなことをようやく理解してくださるようになりました。
そして私達は家族会を作って、拉致をされた多くの方たちと一緒に
「子どもたちを救ってください」
「政府の方が外交の上でやって下さらなければ私たちは何の力もありませんから」
「事実をはっきり言うだけですからお願いします」
と全国を歩きまわって、署名活動をしてまいりました。

いつもお話しますけれども、鹿児島の増元るみ子さんも死亡宣告をされているおひとりです。
そのお父様も、鹿児島県人であり、九州男児であり、明るい大きな声のお父さまでした。
お父さまも一緒に私達は、めぐみの写真も大きくして、るみ子さんの写真も大きくして、有本恵子さんの写真も大きくして、熊本や鹿児島の町に立って、
「皆様、通り過ぎないでください」
「署名活動、お願いいたします」
チラシを配り、
「ここに、お一人でも書いてください、助けてください」
と訴えておりましたけれど、当初はほんとに誰もが
「そんなことがほんとに日本にあるんですか?」
「ほんとなんですか?」
そしてある方は、
「北朝鮮というような不気味な国のことにには、関わりたくありません」
というかたちで、ほとんどの方が、片手を振りながら、通り過ぎてしまわれたんです。

その時に増元さんのお父様は叫んでおられました。
「こんなに大変な大事件が、大変なことがこの日本の中で起こっていたのに、24年間も一体政府は、何をしていたんだー!」
と大きな声で涙を流しながら叫んでいたことを、私は今も忘れることができないんです。

一緒に活動していた蓮池さんや地村さん、そしてまだ名前もあがっていなかった曽我さんが帰国なさった、ほんとうに奇跡のようなことが起きました。
そしてあのタラップから降りてこられました。
「あ〜、あの後ろから、めぐみちゃんや恵子ちゃんが現れてくれないかな。。」と。

死亡宣告されても尚、私たちは、ひょこっと現れてくれるんじゃないかと、扉の向こうを一生懸命眺めていましたけれど、その時は私たちの子どもたちは、ほんとに影も形も見えませんでした。

増元さんのお父様は、なんとかるみ子のことを知りたいと、お帰りになった方々に、息子さんの照明さんが一生懸命次の日に、部屋を回って、
「どーんな小さなことでもいいから、るみ子のことを知っていませんか。なんか話したことありませんか」
「何処にいたか知りませんか。なんでも教えてください。お父さんは、もうあぶないから、大変な病気で臥せっているんですから何でもいいから。」

もうその頃、増元さんのお父様は酸素マスクをなさって、病院のベットで臥せっておられました。
ほんとにもう、何日も危ないという状況でありました。

照明さんは必死でまわられましたけれど、あの時は、不思議なことに、めぐみのことばっかり出てきました。
「このような招待所で、このようにして、めぐみちゃんの家族と私たちは暮らしていました」
「めぐみちゃんの結婚式には行きませんでしたけれど、めぐみちゃんは、大きなスイカを持ってきてくれたんですよ。」
とか、そのような生活の一端を、いろんなことを、思いもかけないそのような状況を教えてくれて、もう、びっくりしたんです。

けれども、るみ子さんのことは何ひとつもわからなかったんです。
「見た事もありません。その人と話したことも、聞いたこともありません」
とその時に、帰ってこられた方は照明さんにおっしゃいました。

照明さんはがっかりして、飛んでお父さんのところに帰られました。
「何にもわからなかったけれど、絶対にめぐみちゃんも、るみ子も生きているからね、頑張ろうね。私たちも頑張るからね」
とお父さんを励まされていたんです。
お父さんは、本当に力のない、酸素マスクをした体をやっと持ち上げて、

「るみ子、もう、お父さんは、お前を探してあげられんようになってしもうたけれど、絶対元気でいなさい。」
そして
「俺は日本を信じる、だから、お前も日本を信じろ」

と、照明さんにおっしゃって、旅立っていかれたんです。
みなさまがお帰りになった2日あとでした。

あれだけ長い間待ち続けて、「るみ子、るみ子!」と街角で泣き叫んで、叫んでいらしたお父様。。。
私達家族はみんな、いろんな形ではありますけれど、なんの罪もなく、そのように連れ去られた子どもたち。
なんで、こんなに苦しい目に、なんという恐ろしい人生に変えられてしまったんだと思います。

今、ジェンキンスさんの著書が出ました。
その中で私は、初めて知ったことがありました。
ジェンキンスさんと(曽我さん)ひとみさんご夫妻が、一緒に暮らされるちょっと前に、めぐみと曽我さんは一緒に招待所で暮らしていました。
ほんとうにめぐみにとっては同じぐらいの年の、ほんとうに寂しい、苦しい、辛い中で初めて出会った日本人の女性でした。

曽我さんが招待所に連れてこられた時「めぐみちゃんは、にっこりと笑って私を迎えてくれたんですよ」
と曽我さんは言っていました。
「私はその笑顔に、どんなに私は、ほっとしたかわかりません」と言ってらっしゃいました。
そして二年ほどの間でしょうか、何度か引越しをさせられながら、二人で暮らして、勉強させられてて、朝鮮史、朝鮮語、物理、数学、化学、いろんなものを教わったと言っていました。

そして、その後になって「今日あなたはこの人と別れて、めぐみと別れてこちらに行かなければならない所がある」と連れて行かれたところが、ジェンキンスさんがいらした所だったそうです。
そしてそこで一緒に暮らすようになって、初めは警戒をなさっていらしたんですけれど、本当に寂しい中で、アメリカの人ではありましたけれど、そこで心が結ばれて結婚をなさったと言っていらしました。
本当にあちらの国は、
「あなたはここに行きなさい!」
「この人を変えなさい」
「この人と結婚しなさい!」
と言われれば、「嫌です」と逃げ出すわけにも行かない所です。

監視の厳しい、いつもいつも、24時間、、毎日毎日誰かが行動を監視しています。
盗聴器が備え付けられています。
本当に恐ろしい、監獄のような国の中で、何の罪もないたくさんの私たちの子どもたちが、180度人生を変えられて、あちらの思想を埋め込まれて、あちらの国のためにそのような仕事をさせられて、今も曽我さんとめぐみたちがあの頃に歌っていた。。。

−日本の唱歌を、寝床の中で小さな声で<ふるさと>や<もみじ>を歌いながら泣いていたと言っています。
お月様を見ながら「明日、誰かが来てくれる、必ず来てくれる」と。
「親が来てくれる。政府が来てくれる。」と思い続けて。。。

蓮池さんたちも帰ってこられておっしゃっていましたけれど
「3年間待っても、だれも来ててくれなかったので、私たちは、もうあきらめるしかなかった。だから、これからはもう北朝鮮人として生きて行くしかないと、心を180度転換してあちらで住んできたんです」
とおっしゃっていました。
曽我さんは帰られるあの前の日まで
「私は誰かが来てくれる、必ず来てくれると信じていたんです」
とおっしゃってました。

それぞれが、どんな想いで、今も。。。
今はめぐみは一緒に暮らしていた曽我さんも、そして蓮池さん、地村さん、同じ集落で暮らしていた(へギョンちゃんも一緒に暮らしていたといいますけれど)そのような人たちがみんな、飛行機に乗って帰ってしまった。

「何で私だけ、かえれないんだろう?」
「何で私だけたすけてくれないの?」と
今日も、お月様を見ながら泣くに違いありません!
(会場すすり泣き)

「助けてください」と!。

みんなあそこにいる囚われた人たちは本当に、海に溺れている 状態なんです。
私は、いつもこれを話に出させて頂きますが、海に溺れてもがいているんです。

「早くもとの所に帰りたい。」
「陸に上がりたい」

「助けて〜」「助けて〜」
と片手を挙げて溺れそうになっているんです。
本当にこの人たちの命を助ける気があれば、泳げる人は急いで飛び込むんではないでしょうか?
泳げない人は、ロープをなげるんじゃないでしょうか?
小さなボールでも投げて「これにつかまりなさい」と投げてあげるんじゃないでしょうか?
大きな声で「もうちょっと我慢しなさい」と、言ってあげるんじゃないんでしょうか?

それが人間の本当の心だと、私は思っているんです。

それがめぐみだけではなく、特定失踪者と言われる方が、まだ400名を超える方が、まだ名前もあがらないで、何処から連れて行かれたか、どのようになったかも判らないまま、お父さんお母さんは、丁度9年前の私たちと同じように
「誰が連れて行ったんだろう」
「海の中にはまって死んでしまったんだろうか」
「どこかに家出して、誰か悪い者に捕まってしまったんだろうか」
「あそこの畑の、あのようなところに埋められたんだろうか」
「あの雪の山に埋められたんだろうか」
「雪が解けたら、来年は必ずあそこを探しに行こう」

私達はあらゆることをあの子のために、一生懸命に戦ってきました。
それと同じような状況が今も、特定失踪者の方は続いていらっしゃるんです。
80歳代、90歳代になっても、まだ、ご両親は子どもたちが帰ってくることを信じています。

それが北朝鮮の国家犯罪として「拉致はわが国がやったことである」とあちらの一番の指導者が認めたにも関わらず、相変わらず、めぐみの偽の骨が出されたり、出してきたものをこちらが鑑定して、違ったものだと言えば「そのようなことは日本がでっち上げたんだから、その骨を返せ」と言ってきます。
どこまで、このような残酷、非道なことをし続けるんでしょうか?

いつも思います。私たちも、あの52年の11月15日の夕方、あのようなことになるとは誰も考えた事もありませんでした。「元気で行って参りまーす」とお友達と一緒にラケットを持って出かけためぐみ。
その子が28年間も、別れたまま、助けを求めている、その場がわかっているのに。

そしてめぐみちゃんが持っていた赤いスポーツバックをひとみさんが「頂いたんです」とこのたび初めてジェンキンスさんの本にも書かれていました。
別れる時にめぐみが「私だと思ってこの赤いバックを大事に持っててください」とひとみさんに渡したと初めて知りました。

あんなに一緒に、私たちがふたりで赤いバックを買いに行って、そこに運動着を入れて、元気で通っていたあの赤いバックは何処に行ったんだろうと、いつも思っていました。

ひとみさんはまだお話は、なさらなかったんですが、
「いつか言おう言おうと思っていたんですけど、長いこといえなくてごめんなさい」
ということでようやくそのことがはっきりいたしまして、ひとみさんが大事に持っていたんだとおっしゃっておりました。

けれどもその大事なものさえも、何一つ。。
めぐみちゃんからいろいろと絵を描いてもらったり、手を写生してくれたり、朝顔の押し花を作ってくれて、言葉を入れてしおりをつくってくれたり、「いろんなことをめぐみちゃんはしてくれたんですよ」といってましたけれども。
「そのどの一つも日本にもって帰ることができなかった。お父さん、お母さんに見せてあげることができなかった。本当に残念でなりません」
とおっしゃっています。

本当にめぐみはそうやって一生懸命、そうやって生きているんです。
今もどこかで、助けを求めながら、誰かにまた絵を描いてあげているかもしれません。

このような、犠牲者が、400名にも上る人たちが(全部が全部でないかもしれませんが)北朝鮮の国家犯罪によってなされいた事。
現在もそれが解決していないという事。
今も何処かで、皆様方のように、ごく平凡な、普通のご家庭の誰かが、何処からかひょこっと消えてしまうかもしれないと言う、現在進行形のこのような恐ろしいことを、こんなに苦しみ続けている、子供たちのことを忘れないで頂きたいと思うんです。

どうかこの問題が、今現在私たちの、この時代に、私たちの子どもたちや、孫たちがこれから住んでいくこの日本が、こんなにいい加減に、あいまいにしたままで、この事を引きずって、まだまだそのことが連なっていくことになっては、決していけないと思っています。

どんなになっても、私たちは、倒れるまで、子どもたちを、日本の土地に、この国に連れ戻す為に、政府に訴え続け、小泉さんに、
「父親の思いになってください、あなたの大事な幸太郎さんがもしこのような状態になっても、あなたはいつも『まだまだ、対話と圧力ですね』と言って片手をあげていらっしゃるんですか」
と私達は本当に訴えてきています。

ほんとにどうして、こんなに速やかに毅然とした姿勢を貫いて、怒って、「国際的にも声を出して怒ってください」と、お願いをしていることができないのが私たちはわからないんです。

小さな国民にとって、力がありません。
たくさんの小さな国民の力が結集されて、そしてそれが世論となって、波のように官邸に押し寄せて、そして国際的にも多くの方々に、知っていただいて、北朝鮮のこの人権問題全てが、北朝鮮の苦しんでいるたくさんの国民の、餓死をしている子どもたちや国民たちも含めて、こんなに悪いことを、はっきりと表明して行くものになりたいと思っています。

どうかよろしくご支援ください。
お願いいたします。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このエントリーのテキストは金木犀様の手による物を元に、当Blog管理人が一部再構成をしたものです。
転載に快く同意いただきましたこと、感謝申し上げます。

2005年10月18日

靖国参拝・・・

一晩経って昨日の事となりましたが、小泉首相の靖国参拝は各方面で相も変わらず結構な騒ぎようで。
昨日は靖国の上空にヘリが飛び、各局特番を組んでのお祭り騒ぎ・・・
何なのですか?あの騒ぎっぷりは?と言うのが私の率直な印象です。

あぁ〜〜ぁ、だから何事か行事のあるときに靖国に行くのは嫌なんだよなぁ・・・
特に例大祭とか、終戦記念日とか。
個人的に人ごみが苦手と言うのもあるけれど、それより何より不愉快なのはですね。
いろんな思惑を持った人がそれぞれの思惑で靖国に色を付けてですね。
靖国を自説を通す為の旗印に利用しようとしようと企む連中と、鉢合わせするのが嫌なんですよ。
そんな連中とうっかり出くわすと、こちらもおちおち参拝してはいられない。
心静かに叔父の魂と触れ合うことも出来ませんので。

イデオロギーだの歴史問題だのを絡めて、各人それぞれ思惑があるのはこちらも承知。
だがその前に、あそこには国家の為に尊い命を捧げた数え切れないほどの英霊の御霊がおわすことを忘れないで欲しいのです。
靖国が慰霊の場であると言う事を忘れてですね。
イデオロギーの色に染めて、喧騒の中に御霊を巻き込むのは不遜ではないか?と私は思うのですけれど。

今日も国会議員が例大祭に合わせて大勢参拝し、それを取材するマスコミが大挙して靖国に押しかけてますが。
彼ら取材陣は取材を始める前に、きちんと靖国参拝はしてくれたのでしょうか?
誰も何も突っ込まないけれどもですね。
まずは御霊に対し、謙虚に静かに礼節を尽くし敬意を払って頂きたい。
お祭り騒ぎするのはそれからにして欲しいと思うのですよ。

靖国参拝反対なら反対でも良い。
だが、国家の為に命を捧げた御霊の前で不遜な騒ぎを繰り広げられるのは見るに忍びない。
首相や議員にマイクを突きつけて、「公式参拝ですか?私的参拝ですか?」なんて質問は、どうか靖国以外の場所でしてもらえませんか?
マスコミ各位殿、ご検討をお願いいたします。

靖国は、御霊のおわす場所。
どうか彼らを静かに眠らせて欲しい。
靖国を喧騒に巻き込まないで欲しい。
御霊の前であの騒ぎっぷりは何なのか?
叔父の御霊に対し、私は申し訳ないのと恥ずかしいのとでたまらない気持ちです。
そういう思いで私は昨日からの一連の喧騒を見つめております。
posted by ぴろん at 15:22| Comment(1) | TrackBack(5) | 国内問題&国際問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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