2005年10月09日

イデオロギーの呪縛

私はどちらかと言えば保守系、右派の人間だと思っております。
拉致問題によって気付かされたこの国の有り様に、危機感・問題意識を持つ者として私にもそれなりの自負はあるつもりです。
けれど拉致問題を支援する草の根の一人として、己の立ち位置はどうあるべきか?と考えた時、やはり救出運動と天下国家を本末転倒に考えるべきではない、との結論にはきっちりとたどり着くわけですね。

ともかくも、私は何としても被害者を救い出したいのです。
被害者を救う為に有益な方法なら、何でも実行して欲しいしそれを全力で応援したいと思う。
しかし、イデオロギーだの歴史問題がどうだの、そんなことは二の次だと思いつつですね。
拉致問題が国家主権侵害問題である以上、日本国のあり方は本来どうあるべきか?という、戦後60年日本が先送りにしてきたツケを、どうしても考えざるを得ない場面に直面する現実は確かにあるのです。
気が付くと嫌でもイデオロギーの呪縛に絡め取られていく自分がいるのを意識せざるを得ない事がある。

その流れの中で、私自身が拉致問題の根本をどこかで見失ってはいないのか?
視野狭窄に陥る事を良しとしないと思いつつ、どこかで自分の視野を無意識の内に狭めてはいないのか?
そういう根本的な疑問にもぶち当たり、この所なんともいえない不快感・苛立ちや焦りを感じ、悩みや迷いに囚われ閉塞感に陥ってもいるんです・・・恥ずかしながら。
ですので、この所自分のBlogにどんなエントリーを載せれば良いのか、何を書けば良いのか(集会テキストは除く)正直分からなくなっているというのも、偽りの無い気持ちなのです。

煮詰まった時はともかくも原点回帰。
そこでふと思い出したのが、当Blogの過去エントリー「news_from_Japan閉鎖に思うこと」
ここで書いた自分の意見と寄せられたコメントを読み返し、改めて目を開かされる自分がおりました。(笑)
このエントリーで私はもっともらしいことを言ってはおりますが、問題の根本をどこまで理解していたのか?
その度合いは今にして思えば限りなく浅かったかなぁ、と自戒しております。(冷汗&脂汗・・・)
もし宜しければこのエントリーをもう一度お読みください。
特にコメント欄は必読、お勧めします。
私のぼんやりした論陣はともかく、寄せられたコメントにはハッとさせられる物がある。
改めて優れたコメントをお寄せいただいた訪問者の方々に感謝申し上げます。

保守の目から見た場合、左翼の欺瞞は分かりやすいんです。
例えば社民・共産の頓珍漢振りをみればそれは一目瞭然。
でも保守から保守の欺瞞を見抜くのは、案外難しい。
身びいきが入る分だけ、どうしても身内に甘くなりがちです。
それに真の保守と欺瞞の保守は、似て非なるもの。
視野狭窄の罠に陥った保守は、自分の論陣が左翼の欺瞞のそれと同レベルに陥っている事におそらく気付いてはいない。
そこが問題なのだと思いますが。

いずれにしても右であれ左であれ、極端に振り切れた論と言うのはどうにも聞くに堪えません。
そういう論調に触れるたび、彼らは本当に被害者を救いたいと思っているのか?
それとも拉致問題にかこつけて、相手の揚げ足取りに終始し単に日ごろのうっぷん晴らしをしたいだけなのか?
そういう傾向に私は大いなる疑問を感じますし、同時に言い様の無い気分の悪さを感じてならないのです。
私は問いかけたいです。
日本は確かに言論の自由がある。
どんな論を主張するのも結構だとも思う。
しかし自分の論を押し通すがために、拉致を利用したり拉致を黙殺したりするのは卑怯ではないんですか?と。
拉致問題の向こう側には人の命がかかっている事を、どれだけ自覚されているのですか?と。

最近の私は己の視野を広げる為、ネット上でもリアルの世界でも、努めて自分とは違う立場・違う主義主張の人のご意見を聞くようにしております。
いわゆる左派・在日・北朝鮮の人権問題に取り組むNGOの方々のお話をなるべく耳にしたいと、あちらこちらと出没をしております。
それによってやはり目を開かされる事は、大いにある。
救う会の右傾化は以前より良く言われていることですが、救出運動のコアな輪から少し離れて俯瞰してみると、やはりその指摘はまさしくその通り、と思わざるを得ないかな?と。

反対意見、少数意見、異論・反論の類は自分の姿を映す鏡でもあると思う。
イデオロギーの呪縛に囚われて排除の論理に陥る事は愚かなことであり、もったいないことでもあると思う。
運動の先鋭化は争いと反発を生むだけで、何の利も得られない。
己の論に固執する余り、排除の論理に陥り世界を狭め、視野を狭めて肝心要の原点を見失ってはいけない。
拉致問題を解決したいと本気で望むならば、何よりも“被害者の声”を聞き逃してはいけないのではないか?と改めて思います。

それとネットと言うバーチャルな世界で、自己満足に陥る事の危険性も改めて感じております。
リアルの世界で生の声を聞く。
昨日の藤沢集会後の懇親会でも北朝鮮難民基金の野口氏を始め、様々な立場で活動している人の率直なご意見に触れ、その思いを一層強くいたしました。
生の声に触れることが、やはり自分の琴線に一番響くのです。
視野を広げてくれるのです。
独りよがりの罠から自分を救い出してくれるのです。
これからも時間の許す限り、多種多様な人のご意見を拝聴したいと思っています。
被害者救出に近づく為には、何より自分が視野狭窄に陥ってはいけない。
その事を心に深く留めて、一人の草の根の支援者としての立場を全うしていきたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
10月10日 PM15:55追加
↓宜しければこちらのエントリーもコメント欄と合わせてお読みください。

参考エントリー
★8月4日付家族会を煽っているのは誰ですか?
★8月4日付変人のたわ言を綴ってみる・・・本日は蓮池透氏の事


posted by ぴろん at 21:11| Comment(0) | TrackBack(2) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

溺れる子供

正直申しまして、最近ちょっと憂鬱気味です。
拉致問題が硬直してしまい、にっちもさっちもいかない現状への苛立ちとか焦りなんかが多分、原因にあるんだと思いますが。
どうすれば被害者を取り戻せるのか、私のようなボンクラ頭ではいくら考えても名案は浮かばない・・・
悲しいことに、拉致問題解決の為にこれといった特効薬はおそらく無い、というのが現実なんだと思う。
拉致問題の山は複雑怪奇、こんがらがって難攻不落なのです。
それがまた、気分を憂鬱にさせる理由の一つなのですが。
ともかくも、迷いが出たらば原点へ返れと申します。
で、そもそも拉致問題の原点とは何なのか?

横田早紀江さんは拉致被害者を溺れる子供に例えて、泳げる人はすぐにでも飛び込んで、抜き手を切って助けに行って欲しい、と仰ります。
それが家族の偽りの無い心情だと思います。
そして助けを待つ多くの被害者の本音であるとも思います。

拉致問題に無関心な人はいないと思う。
誰に聞いても一日も早く救出出来れば良いのに、と多くの国民が思っていると思う。
けれど振り返って現実を見れば、拉致問題に絡めて天下国家を語るのに忙しい人がいる。
イデオロギーの呪縛に囚われて立ち止まったままの人がいる。
お上意識が抜けないのか何なのか、政府にお任せしておけば何とかなると無邪気に信じている人もいる。
目の前で溺れている子供がいると言うのに、それってどこか暢気に過ぎないか?
どこか不遜に過ぎないか??

助けてくれるなら、家族は何にでもすがりたいのです。
右翼でも左翼でもノンポリでも、イデオロギーなんかどうでも良い。
アメリカのブッシュ大統領でも日本の小泉首相でも、救助者は誰でも良いんです。
助けてくれるなら救助者は誰でも良い。
救助方法も何でも良い。
しかし今の日本の世論をみていると、どうもその原点を忘れている人が少なくないように思うのですが、どうでしょう?

拉致問題は主権侵害問題です。
だからどうしても問題解決策を天下国家と絡めたくなる人がいるのは分かります。
その動きを嫌って救出運動の右傾化を毛嫌いする人がいるのも分かります。
しかし溺れる子供を前にして、それはあまりにも些細な内輪もめではないのでしょうか?
そんなつまらぬ事であれこれ足の引っ張りあいをするのは不毛だと思います。
被害者に対して不遜だとも思います。
なんとしても被害者を救い出さねばならない私たちに、内輪もめなどしている暇は無いはずです。

拉致問題に絡めて天下国家を語る右翼の方々。
救う会の右傾化を笑う一方で、己はイデオロギーの呪縛に囚われて立ち止まったままでいる左翼の方々。
そして己の主義主張・イデオロギーに固執する余り、己の論に同調しない人を排除して先鋭化の道をひた走る人々。
そのお姿は正直申し上げて見苦しいと思う。
あなた方はいったい人の命を何だとお思いなのでしょう?
人の命をダシにして内ゲバに及ぶのがそんなに楽しいですか?

しかし、私はこれらの人を排除しようとは思いません。
多少考え方が偏っていても、無関心よりははるかにマシ、マシ、マシ。
拉致被害者救出運動は、イデオロギーを超えて広く国民運動にしなければなりません。
支援者を選り好みしている暇など、私たちにはないはずです。
内輪もめをしている間に、被害者の命はどんどん失われてしまう。
再会の日を心待ちにしている家族の命が次々と天に召されてしまう。

拉致被害者救出運動にかこつけて、うっぷん晴らしをしたいのか?
それとも本当に被害者を救い出したいのか?
どうもその辺りの見境がつかなくなっているとしか思えないような人を時々お見かけします。
不用意な発言や行動が、被害者救出を遠ざける結果になってはいないか?
救出運動が単なる自己満足に陥ってはいないか?
もう一度謙虚に考えてみる必要はあると感じています。

私たちは真剣に“被害者の声”に耳を傾けるべきではないか。
彼・彼女たちが見上げる空の向こうには故郷日本がある。
気が狂うほどの苦しい環境の中で、どれほど故郷を家族を恋焦がれているか。

今、目の前で子供は溺れている。

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日付が変わってしまいましたので、昨日の話になりますが、藤沢集会へ参加してきました。
この集会の模様は、順次テキスト化してご紹介いたします。
お付き合いをよろしくお願いいたします。
posted by ぴろん at 02:23| Comment(0) | TrackBack(1) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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