2005年10月19日

早紀江さんの言葉

「第3回拉致被害者救うフォーラムinふくしま(05.10.16)」での横田早紀江さんの講演テキストを入手いたしましたのでご紹介いたします。
早紀江さんの悲痛な叫びをどうぞお聞き届けくださいませ。

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今日は、このようにお集まり頂きまして、私たちの何の罪もなく北朝鮮に連れて行かれた子どもたちを、一刻も早く救出するために、この問題に関心を持って集まってくださいましたことに感謝いたします。
そしてまた、これまでの8年過ぎました救出活動の中で、福島の菅野会長はじめ、福島の皆様にも本当にたくさんの署名やカンパを頂戴いたしまして、今日まで、なんの心配もなく、活動を続けてくることができました。
本当にお礼申し上げます。
ありがとうございました。(拍手)

この拉致ということが、私たちのこのような平和な日本の国の中で、誰もが自由で、何を食べ、何を着、何を話してもいい、ほんとに豊かなものに恵まれている平和なこの日本の中で、誰も知らない間に、30年も35年も近くの間、全国の津々浦々から、めぐみもそうですけれども、町の中から、家のすぐ近くから、浜辺から、たくさんの何の罪もない、これから希望に燃えた日本の若者たちが、あっという間に、北朝鮮の工作員に捕まえられて、夜の闇にまぎれて、ぐるぐる巻きにされて、目隠しをされ、猿轡をはめられ、そして袋をかぶせられて、あの暗い波間を、船に乗せられて、日本海を、連れ去られていったというこのような恐ろしい出来事が、長い、長い年月、ほ・ん・と・に、こんなことが日本の中でおきていたとだれも信じることができない・・・・。

私たち、当事者自身でさえも、9年前に「めぐみが北朝鮮に拉致をされて平壌にいるということがわかりました」 っていうような話を聞いても、20年間、あの52年の11月15日の夕方、めぐみはまっすぐに帰ってきて、この家のすぐ曲がり角のところで、めぐみの匂いは消えてしまっておりました。
(警察)犬が来ても、何度かこうして回って、そこからどこへもいかないという状況があったので、ここで何が起きたんだろうと思いました。

そのようなことが、ほんとに日本の中で起きていたのです。
そして私たちは、北朝鮮という国を、あまり知りませんでしたので、「なんともいえない不気味な国だな」とぐらいしか思っておりませんでした。
実際にこのような問題が起きて、当事者になってはじめて、たくさんの専門的な方々のお話の中で、勉強会を開いてくださったり、私たちがたくさんの本を読んで、ようやくこの国がとんでもないことをやっている国だと言うことが、ようやくわかりました。

そのような国が、さきほど主人が申しましたように、偽ドルを作ったり、麻薬を作ったり、そして拉致もその中の一つとして、大変な罪をいっぱい犯している。
その国がすぐ近くにあるわけです。
そして、その国が、今回、核を持ったと宣言をしています。
そのような恐ろしい国が、ほんとに核を持って、その核があちこちの国に売りさばかれて、そしてその核がどのような形で、私たちのこの平和な日本の中を、あっという間に灰に化してしまうかもしれない。

そのような恐ろしさがもう今、私たちの身の回りに迫ってくるような、身の毛もよだつようなことが段々に迫ってきているということを、私たちはこの拉致を通して、めぐみたちの、ほんとにこのかわいそうな犠牲者を通して、ようやくわかってくるようになりました。

そしてたくさんの方がこのようなことをようやく理解してくださるようになりました。
そして私達は家族会を作って、拉致をされた多くの方たちと一緒に
「子どもたちを救ってください」
「政府の方が外交の上でやって下さらなければ私たちは何の力もありませんから」
「事実をはっきり言うだけですからお願いします」
と全国を歩きまわって、署名活動をしてまいりました。

いつもお話しますけれども、鹿児島の増元るみ子さんも死亡宣告をされているおひとりです。
そのお父様も、鹿児島県人であり、九州男児であり、明るい大きな声のお父さまでした。
お父さまも一緒に私達は、めぐみの写真も大きくして、るみ子さんの写真も大きくして、有本恵子さんの写真も大きくして、熊本や鹿児島の町に立って、
「皆様、通り過ぎないでください」
「署名活動、お願いいたします」
チラシを配り、
「ここに、お一人でも書いてください、助けてください」
と訴えておりましたけれど、当初はほんとに誰もが
「そんなことがほんとに日本にあるんですか?」
「ほんとなんですか?」
そしてある方は、
「北朝鮮というような不気味な国のことにには、関わりたくありません」
というかたちで、ほとんどの方が、片手を振りながら、通り過ぎてしまわれたんです。

その時に増元さんのお父様は叫んでおられました。
「こんなに大変な大事件が、大変なことがこの日本の中で起こっていたのに、24年間も一体政府は、何をしていたんだー!」
と大きな声で涙を流しながら叫んでいたことを、私は今も忘れることができないんです。

一緒に活動していた蓮池さんや地村さん、そしてまだ名前もあがっていなかった曽我さんが帰国なさった、ほんとうに奇跡のようなことが起きました。
そしてあのタラップから降りてこられました。
「あ〜、あの後ろから、めぐみちゃんや恵子ちゃんが現れてくれないかな。。」と。

死亡宣告されても尚、私たちは、ひょこっと現れてくれるんじゃないかと、扉の向こうを一生懸命眺めていましたけれど、その時は私たちの子どもたちは、ほんとに影も形も見えませんでした。

増元さんのお父様は、なんとかるみ子のことを知りたいと、お帰りになった方々に、息子さんの照明さんが一生懸命次の日に、部屋を回って、
「どーんな小さなことでもいいから、るみ子のことを知っていませんか。なんか話したことありませんか」
「何処にいたか知りませんか。なんでも教えてください。お父さんは、もうあぶないから、大変な病気で臥せっているんですから何でもいいから。」

もうその頃、増元さんのお父様は酸素マスクをなさって、病院のベットで臥せっておられました。
ほんとにもう、何日も危ないという状況でありました。

照明さんは必死でまわられましたけれど、あの時は、不思議なことに、めぐみのことばっかり出てきました。
「このような招待所で、このようにして、めぐみちゃんの家族と私たちは暮らしていました」
「めぐみちゃんの結婚式には行きませんでしたけれど、めぐみちゃんは、大きなスイカを持ってきてくれたんですよ。」
とか、そのような生活の一端を、いろんなことを、思いもかけないそのような状況を教えてくれて、もう、びっくりしたんです。

けれども、るみ子さんのことは何ひとつもわからなかったんです。
「見た事もありません。その人と話したことも、聞いたこともありません」
とその時に、帰ってこられた方は照明さんにおっしゃいました。

照明さんはがっかりして、飛んでお父さんのところに帰られました。
「何にもわからなかったけれど、絶対にめぐみちゃんも、るみ子も生きているからね、頑張ろうね。私たちも頑張るからね」
とお父さんを励まされていたんです。
お父さんは、本当に力のない、酸素マスクをした体をやっと持ち上げて、

「るみ子、もう、お父さんは、お前を探してあげられんようになってしもうたけれど、絶対元気でいなさい。」
そして
「俺は日本を信じる、だから、お前も日本を信じろ」

と、照明さんにおっしゃって、旅立っていかれたんです。
みなさまがお帰りになった2日あとでした。

あれだけ長い間待ち続けて、「るみ子、るみ子!」と街角で泣き叫んで、叫んでいらしたお父様。。。
私達家族はみんな、いろんな形ではありますけれど、なんの罪もなく、そのように連れ去られた子どもたち。
なんで、こんなに苦しい目に、なんという恐ろしい人生に変えられてしまったんだと思います。

今、ジェンキンスさんの著書が出ました。
その中で私は、初めて知ったことがありました。
ジェンキンスさんと(曽我さん)ひとみさんご夫妻が、一緒に暮らされるちょっと前に、めぐみと曽我さんは一緒に招待所で暮らしていました。
ほんとうにめぐみにとっては同じぐらいの年の、ほんとうに寂しい、苦しい、辛い中で初めて出会った日本人の女性でした。

曽我さんが招待所に連れてこられた時「めぐみちゃんは、にっこりと笑って私を迎えてくれたんですよ」
と曽我さんは言っていました。
「私はその笑顔に、どんなに私は、ほっとしたかわかりません」と言ってらっしゃいました。
そして二年ほどの間でしょうか、何度か引越しをさせられながら、二人で暮らして、勉強させられてて、朝鮮史、朝鮮語、物理、数学、化学、いろんなものを教わったと言っていました。

そして、その後になって「今日あなたはこの人と別れて、めぐみと別れてこちらに行かなければならない所がある」と連れて行かれたところが、ジェンキンスさんがいらした所だったそうです。
そしてそこで一緒に暮らすようになって、初めは警戒をなさっていらしたんですけれど、本当に寂しい中で、アメリカの人ではありましたけれど、そこで心が結ばれて結婚をなさったと言っていらしました。
本当にあちらの国は、
「あなたはここに行きなさい!」
「この人を変えなさい」
「この人と結婚しなさい!」
と言われれば、「嫌です」と逃げ出すわけにも行かない所です。

監視の厳しい、いつもいつも、24時間、、毎日毎日誰かが行動を監視しています。
盗聴器が備え付けられています。
本当に恐ろしい、監獄のような国の中で、何の罪もないたくさんの私たちの子どもたちが、180度人生を変えられて、あちらの思想を埋め込まれて、あちらの国のためにそのような仕事をさせられて、今も曽我さんとめぐみたちがあの頃に歌っていた。。。

−日本の唱歌を、寝床の中で小さな声で<ふるさと>や<もみじ>を歌いながら泣いていたと言っています。
お月様を見ながら「明日、誰かが来てくれる、必ず来てくれる」と。
「親が来てくれる。政府が来てくれる。」と思い続けて。。。

蓮池さんたちも帰ってこられておっしゃっていましたけれど
「3年間待っても、だれも来ててくれなかったので、私たちは、もうあきらめるしかなかった。だから、これからはもう北朝鮮人として生きて行くしかないと、心を180度転換してあちらで住んできたんです」
とおっしゃっていました。
曽我さんは帰られるあの前の日まで
「私は誰かが来てくれる、必ず来てくれると信じていたんです」
とおっしゃってました。

それぞれが、どんな想いで、今も。。。
今はめぐみは一緒に暮らしていた曽我さんも、そして蓮池さん、地村さん、同じ集落で暮らしていた(へギョンちゃんも一緒に暮らしていたといいますけれど)そのような人たちがみんな、飛行機に乗って帰ってしまった。

「何で私だけ、かえれないんだろう?」
「何で私だけたすけてくれないの?」と
今日も、お月様を見ながら泣くに違いありません!
(会場すすり泣き)

「助けてください」と!。

みんなあそこにいる囚われた人たちは本当に、海に溺れている 状態なんです。
私は、いつもこれを話に出させて頂きますが、海に溺れてもがいているんです。

「早くもとの所に帰りたい。」
「陸に上がりたい」

「助けて〜」「助けて〜」
と片手を挙げて溺れそうになっているんです。
本当にこの人たちの命を助ける気があれば、泳げる人は急いで飛び込むんではないでしょうか?
泳げない人は、ロープをなげるんじゃないでしょうか?
小さなボールでも投げて「これにつかまりなさい」と投げてあげるんじゃないでしょうか?
大きな声で「もうちょっと我慢しなさい」と、言ってあげるんじゃないんでしょうか?

それが人間の本当の心だと、私は思っているんです。

それがめぐみだけではなく、特定失踪者と言われる方が、まだ400名を超える方が、まだ名前もあがらないで、何処から連れて行かれたか、どのようになったかも判らないまま、お父さんお母さんは、丁度9年前の私たちと同じように
「誰が連れて行ったんだろう」
「海の中にはまって死んでしまったんだろうか」
「どこかに家出して、誰か悪い者に捕まってしまったんだろうか」
「あそこの畑の、あのようなところに埋められたんだろうか」
「あの雪の山に埋められたんだろうか」
「雪が解けたら、来年は必ずあそこを探しに行こう」

私達はあらゆることをあの子のために、一生懸命に戦ってきました。
それと同じような状況が今も、特定失踪者の方は続いていらっしゃるんです。
80歳代、90歳代になっても、まだ、ご両親は子どもたちが帰ってくることを信じています。

それが北朝鮮の国家犯罪として「拉致はわが国がやったことである」とあちらの一番の指導者が認めたにも関わらず、相変わらず、めぐみの偽の骨が出されたり、出してきたものをこちらが鑑定して、違ったものだと言えば「そのようなことは日本がでっち上げたんだから、その骨を返せ」と言ってきます。
どこまで、このような残酷、非道なことをし続けるんでしょうか?

いつも思います。私たちも、あの52年の11月15日の夕方、あのようなことになるとは誰も考えた事もありませんでした。「元気で行って参りまーす」とお友達と一緒にラケットを持って出かけためぐみ。
その子が28年間も、別れたまま、助けを求めている、その場がわかっているのに。

そしてめぐみちゃんが持っていた赤いスポーツバックをひとみさんが「頂いたんです」とこのたび初めてジェンキンスさんの本にも書かれていました。
別れる時にめぐみが「私だと思ってこの赤いバックを大事に持っててください」とひとみさんに渡したと初めて知りました。

あんなに一緒に、私たちがふたりで赤いバックを買いに行って、そこに運動着を入れて、元気で通っていたあの赤いバックは何処に行ったんだろうと、いつも思っていました。

ひとみさんはまだお話は、なさらなかったんですが、
「いつか言おう言おうと思っていたんですけど、長いこといえなくてごめんなさい」
ということでようやくそのことがはっきりいたしまして、ひとみさんが大事に持っていたんだとおっしゃっておりました。

けれどもその大事なものさえも、何一つ。。
めぐみちゃんからいろいろと絵を描いてもらったり、手を写生してくれたり、朝顔の押し花を作ってくれて、言葉を入れてしおりをつくってくれたり、「いろんなことをめぐみちゃんはしてくれたんですよ」といってましたけれども。
「そのどの一つも日本にもって帰ることができなかった。お父さん、お母さんに見せてあげることができなかった。本当に残念でなりません」
とおっしゃっています。

本当にめぐみはそうやって一生懸命、そうやって生きているんです。
今もどこかで、助けを求めながら、誰かにまた絵を描いてあげているかもしれません。

このような、犠牲者が、400名にも上る人たちが(全部が全部でないかもしれませんが)北朝鮮の国家犯罪によってなされいた事。
現在もそれが解決していないという事。
今も何処かで、皆様方のように、ごく平凡な、普通のご家庭の誰かが、何処からかひょこっと消えてしまうかもしれないと言う、現在進行形のこのような恐ろしいことを、こんなに苦しみ続けている、子供たちのことを忘れないで頂きたいと思うんです。

どうかこの問題が、今現在私たちの、この時代に、私たちの子どもたちや、孫たちがこれから住んでいくこの日本が、こんなにいい加減に、あいまいにしたままで、この事を引きずって、まだまだそのことが連なっていくことになっては、決していけないと思っています。

どんなになっても、私たちは、倒れるまで、子どもたちを、日本の土地に、この国に連れ戻す為に、政府に訴え続け、小泉さんに、
「父親の思いになってください、あなたの大事な幸太郎さんがもしこのような状態になっても、あなたはいつも『まだまだ、対話と圧力ですね』と言って片手をあげていらっしゃるんですか」
と私達は本当に訴えてきています。

ほんとにどうして、こんなに速やかに毅然とした姿勢を貫いて、怒って、「国際的にも声を出して怒ってください」と、お願いをしていることができないのが私たちはわからないんです。

小さな国民にとって、力がありません。
たくさんの小さな国民の力が結集されて、そしてそれが世論となって、波のように官邸に押し寄せて、そして国際的にも多くの方々に、知っていただいて、北朝鮮のこの人権問題全てが、北朝鮮の苦しんでいるたくさんの国民の、餓死をしている子どもたちや国民たちも含めて、こんなに悪いことを、はっきりと表明して行くものになりたいと思っています。

どうかよろしくご支援ください。
お願いいたします。(拍手)

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このエントリーのテキストは金木犀様の手による物を元に、当Blog管理人が一部再構成をしたものです。
転載に快く同意いただきましたこと、感謝申し上げます。


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