2005年11月09日

増元さんの言葉の向こうに見えたもの

先月20日の古川了子さん第3回行政訴訟報告会に参加した時の事です。
報告会終了後、帰途のため参加者がエレベーターに乗り込んだとき、増元さんは私たちに向って軽く頭を下げながらこう仰いました。

「今日はありがとうございました」

すでにこの報告会から、半月以上は時間が過ぎているのですが。
私の心には、この言葉が今も突き刺さって離れないのです。
9.17から3年、私はいまだ増元さんの大切な“るみ姉”を救出出来てはいない。
そんな無力で情けない支援者の私に向って、なぜ?彼は「ありがとう」と頭を下げるんだろう・・・?

ふと思いました。

「ご支援お願いします」
「ご協力感謝します」

拉致被害者のご家族は、こうして今までどれ位下げなくても良い頭を下げ、支援のお願いをして来たのだろうか?と。

残念ながら世間と言うものは、他人の痛みにはとことん薄情になれるという非情な一面を持っております。
支援を求めて出会う人々の全てが、拉致について深い理解を持ち心温まる心遣いをしてくれる人ばかりでは決してありますまい。
どれほど言葉を尽くしても、無理解・無関心のままの人。
あるいは支援者気取りを良い事に、恩着せがましく尊大な態度で迫ってくる不愉快な人もいた事でしょう。
無神経で冷ややかな言葉を浴びせる人もいた事でしょう。

でもどんなに不愉快な相手でも傲慢な相手でも、家族はそんな不満を表に出すわけには行きません。
「何だ、あいつら偉そうに」と反発心を持たれては、世論の高まりにはつながらない。
どんなに悔しくてもはらわたを煮えくり返らせても、忍の一字でこらえた事はおそらく一度や二度ではないはず。
彼らも人の子、理不尽な扱いを受けた時は、どんなにか人知れず悔し涙を流しているか。
怒りに心を震わせているか。
家族の方々が今まで味わってきたであろう心の痛みを思う時、こちらも本当にたまらない気持ちになります。

この3年間、私は結局誰ひとり救い出せてはいないのです。
その意味で、私は支援者失格です。
むしろこちらの方が、増元氏に向って申し訳ないと詫びねばなりません。
そうでなくても集会などで、お疲れのご家族の姿を間近に見るのは忍びなく、いつもいつもいたたまれない思いでお話を伺っております。
ご家族が血を吐く思いで語る言葉を、決してその場だけの空しい物にしてはならない。
家族の言葉を一人でも多くの人へ、1本の集会が会場の参加者の2倍3倍の人の耳に届くように、支援の輪の広がりにつながる様にと願って、これまでテキスト化に取り組んで来ました。
それとて人の命を見殺しにできないと言う自分の気持ちで動いているだけの事。

私は増元さんから、「ありがとう」などと感謝の言葉をもらえるようなことは、何一つしてはいないのです。

そんな台詞、あなたが言わなくても良い!
少なくとも私に対しては、お礼の言葉は不要です!
私は心の中で叫んでおりましたが・・・

増元さんの大切な“るみ姉”を無事救い出せたとき、その時は遠慮なく、感謝の言葉を受けたいと思いますが。
けれども“るみ姉”はいまだ、北の地に囚われの身のまま。
その現実が動かぬうちは、私は増元さんに御礼を言われる立場には無い。
全ての被害者を取り戻すまで、少なくとも私自身は真の支援者を名乗る資格は無いと思っております。


posted by ぴろん at 16:05| Comment(0) | TrackBack(1) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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