2005年11月18日

母の記憶では薫はまだ26歳のまま・・・斉藤文代さんの声

05.1.13 「松木薫さんを救うぞ!東京集会」より

斉藤文代さんの声(松木薫さん姉)



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あの私のこと、名前すら分からないのに、母はいつも「薫、薫」という頭。
でまた、26歳の記憶で母は止まってるわけです。
私が病院から帰ろうとすれば「奥さん、奥さん」って私に言うから「なあに?」て言うと、「ご飯が炊いてありますので」と敬語を使うんですよね。

「ご飯が炊いてありますので、おかずを作って、薫と爺ちゃん食べさせてあげてくれませんか?」て言うから。
「ああいいですよ、作りますよ、じゃあ何がいいかね?」って私が言うと、
「薫はまだ若いからお肉がいいんじゃないですか?お肉料理をたくさん作ってあげてください」て言う。
「ああいいわよ、じゃあ爺ちゃんはどうしようか?」と言うと、
「爺ちゃんは年だから、簡単な軽いものでいいんじゃないですか?」って私に言うから、
「ああいわよ、じゃあたくさん作って食べさせるから」って言ったら、
「薫は若いからたくさん作ってあげてください」って言うんですよね。

だから本当にそれを聞くとですね。
つらくてつらくて、私は何とかして母に会わせてあげたい。
本当に何とかして会わせてあげたいと思うんですけど、私の力ではどうすることも出来ませんし。
かといって私たちが動かなければ、尚更薫は置いていかれるし。

だから私も何とかして頑張って、これから先も生きていかなければ、母に会わせてあげなければ、薫を、と思ってですね。
(病院に)行けば私がいつも「今日も元気で来て良かったね」って「私も元気だよ」って「だから一緒に頑張ろうね」って、いつも口癖になってるんです。
「頑張りますよ」って言うんですけど、やはり病気なんかして高熱を出したときなんか、「頑張ろうね」って私が言うと「もうそんなに頑張れませんよ」とかって言うんですよ。

そのときは本当につらくてですね。
なんでこんなに長いね、拉致の人生をね、過ごして来たんだろうかと。
この世に神も仏も無いのかなぁ、と思いつつですね。
でも、私がくじけたら、母に薫に会いたいと言う希望をかなえてあげなきゃいけない、という気持ちがあるもんですから。
「頑張るのよ」と。
「どんなことがあっても頑張るのよ」といつもいつも励ましております。

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松木薫さんのお母様はこの集会以降も何度も危篤状態に陥り、その都度奇跡的な回復をしているのだそうです。
一目で良いから息子の薫さんに会いたいという切なる気持ちに、まだ応えられない私たち。
弟の救出を訴えて全国を駆け巡る姉の文代さんとて、決してお若いと言える歳ではない。
時に体調の不調を訴えられる事もあると、漏れ聞いてもおります。
松木家にとってのごく普通の日常を取り戻せるのはいつの日なのか?
お母様に残された時間は余りにも少ない。


posted by ぴろん at 01:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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