2005年12月31日

制裁発動で被害者救出を!国民大集会(4)05.12.22 日比谷公会堂にて

『中川昭一 農林水産大臣の挨拶』

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皆さんこんばんは。(「こんばんは」の声)
今櫻井よしこさんからご紹介いただきました、中川昭一でございます。
年の瀬も押し詰まりまして、また大変寒い中をこうやって気持ちを一にする皆さんにお集まりいただいて、私も議連のメンバーの一人としまして、心から皆様方にありがとうございます。
そしてまた、本日を契機に目的達成の為に一緒に頑張りましょうと、こういう事を申し上げたいと思います。

先日横田めぐみさんの写真展、この中にも大勢の方が行かれておられると思いますけれども、写真一枚一枚が、あるいはいろんな物一つ一つが、さっき平沼会長が良識であると言いましたけれども、先輩には失礼ですけど常識以前で、当たり前の普通の人であればあの写真展に行ってですね。
考えずに会場を出ることは私は出来ないだろうというふうに思いました。(拍手)

中でもめぐみさんが拉致される直前にお父さんお母さん、拓也さん哲也さんに送ったハガキ、「もうすぐ帰るからね」
あのハガキは私は本当にその場で涙が出てまいりました。
あれからもう30年近くであります。
普通の人間であれば自分の子供があるいはきょうだいが、ある日突然いなくなれば多分気が狂ったように探すんですね。

私にも親がおりますし、子供もおります。
しかもそれがですね、事故でもなくそして事件であると。
しかもその事件が国家による犯罪であると、言うことが明らかになった訳でありますから、これは国家対国家としての犯罪の糾明・解決。
そしてもちろん被害者の全員の救済と相手国に対する責任の全うに到達するまで、この運動は進めていかなければならないと思います。

そういう中で私は平沼経済産業大臣の後を受けて経済産業大臣になりまして、今お話のありました飯塚さんや平沼会長からもお話がありましたが、貿易の責任担当大臣でございました。
対話と圧力と言う政府の決定事項でありますから、貿易担当大臣として何とかそのバランスを取る。
つまり対話だけではなくて圧力を強めていかなければならないと努力をいたしましたが、誠に残念ながら力不足でございました。

その後、今度は農林水産大臣を現在やっております。
食料担当でございます。
私は北朝鮮の国民の多くの皆さんは、この東京よりもはるかに寒くて、そして満足な食料も無い。
大勢の気の毒な皆さん方には、100歩譲って食料を援助しても良いと実は思っているんです。
一般の人たちには食べ物が無いんですから。

しかし今年、あるNGO団体が日本の食料を送ったら、その後ビデオを見ますと平壌の自由市場で日の丸付いたまま、その米が高く売られているという映像を見た瞬間に、私は先ほど100歩譲ってと申し上げましたけど、改めてこの拉致の問題が解決しなければ、そして圧力として効果があるんであれば、私は自分の責任において、つまり職を堵してひと粒たりとも向こうに食料は送らない。(大きな拍手)
改めて決心をしたわけでございます。
決してこれが問題解決に直接つながるかどうか分かりませんけれども、前進になるであろう事を私は信じておりますし、ご家族の皆さんの切なる希望である事を我々はしっかり受けとめていかなければ行けないと思っております。

今日ここに来る前にご家族の方から頂いたトータル100通を超える手紙やハガキを、改めてサァーっと今読み返してこの会場に参りました。
ある方のおハガキの中には「人の世の侘しさを感じます」という一言に、私は一瞬目が留まってしまいました。
人の世の侘しさを感じながら30年近く過ごして来られた。
失礼ですけれども、私よりもずっと年配の方々が大勢いらっしゃいます。

横田滋さんは緊張の糸がちょっと切れて体調を崩された。
しかし奥様からのおハガキでは順調に快復しておりますけれども、私も横田会長を良く存じ上げていますので、じっとしていられない方ですから、この際少しじっくり体調快復して、そして元気でめぐみさんに会って貰わなければ困るわけですから。(拍手)
ゆっくり休んで頂きたい。
そして改めてここぞと言う時にまた、今まで以上に元気になってリーダシップを発揮して頂きたいと思います。

先ほどからの飯塚副会長や平沼会長のお話を聞いていると、本当に私自身の責任の重さと言う物を、またご期待に応えられないという申し訳なさを痛感している所であります。
私は今日は農林水産大臣としてあるいは国会議員として、というだけではなくて一人の普通の人間としてこの問題を解決せずにはおれない、許しては置けないと言う気持ちで来ましたので。
これは皆さん気持ちは同じだと思いますので、平沼会長の下、家族会また支援団体の皆様方と私の出来る範囲の事を、全力を挙げてやる事をお誓いを申し上げましてご挨拶とさせていただきます。(大きな拍手)

★櫻井よしこさん

ありがとうございました。
ご自分の責任において、ひと粒の米もあの金正日政権には渡さないと言うお言葉、本当に心強く仰っていただきました。(拍手)
日本政府はようやく拉致問題解決に取り組もうとしているのか。
その兆しが人権担当の政務官の任命でございます。
山中あき子(火へんに華)さんに今日はお出で頂いております。
どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

制裁発動で被害者救出を!国民大集会(3)05.12.22 日比谷公会堂にて

『平沼赳夫 拉致議連会長の挨拶』

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★櫻井よしこさん

では次に、拉致議連会長として目覚しい活躍をしてくださり、私たちを強力にサポートし続けてくださっている平沼赳夫衆議院議員にご挨拶をお願いします。(拍手)

★平沼赳夫衆議院議員

皆様方こんばんは。(「こんばんは」「頼みますよ」の声、拍手)
師走の寒い中、拉致問題に大変関心をお持ち頂き、また憤りをお持ちいただいている皆様方が、こうしてお集まりを頂きました事に主催者の一人として本当に心から御礼を申し上げたいと思います。
本当に皆様方ありがとうございました。(拍手)

拉致問題に関して我々国会議員も議連として経済制裁をするための法律を2本、ご承知のように作らせて頂きました。
しかし残念な事でありますけれども、閣議で決定するという条件が付いておりまして、総理大臣にやる気が無いんです。
けしからん事だと私は思っています。(拍手)
色々な理由付けがあります。
経済制裁をすると北朝鮮からテポドン・ノドンが飛んでくる。(薄笑いの声)
こんな事を言っている人もあります。

しかし考えてみてください。
経済制裁法案を作ると日本が言った時に、テポドン・ノドンが飛んでくる。
こう言った国が北朝鮮じゃないですか?
法律が出来てもそんな事態は起こらなかった。
そんな心配する必要ありません。(「そうだ」の声、小さく拍手)
やはり法律が出来てるんですから毅然とやるべきことが今一番大切な事だと思います。(拍手)

客観的な事を色々考えて見ますと、小泉総理は国交正常化に重きを置いているとしか考えようがありません。(「そうだ」の声)
しかし国交正常化をする前に断じてやっておかなければならない事は、10名の行方不明者、そして400名を越える特定失踪者、この問題の全面解決を無しに国交正常化をすべきではありません。(拍手)

我々は家族会の皆様方や救う会の皆様方や特定失踪者のご家族の皆様方のご要望に、力を合わせてお応えさせて頂きました。
ひとつは衆議院・参議院に特別委員会を作る事。
その特別委員会で経済制裁の決議をする事。
そして今申し上げたように法律を作る事。
これはクリアをして参りました。

しかし今申し上げたように、ヘッドがやる気が無いんです。
従って立法府の国会でもう一つやらなければならないと私は思っています。
それは閣議の決定、それを待っていたら埒が開きませんから。
要は新しい法律をもう一つ作って、そしてテロ行為ですとかあるいは不誠実な対応があったときには、閣議の決定より優先をする法律を作る事なんです。
こうこうこういう事があって不誠実な対応であったら、閣議で決定をする以前に優先的に閣議はその行動をするという法律を作る。
この準備を私どもはしようと思っています。(拍手)

その法律の中には具体的に、こうこうこういう場合には閣議の決定に拘らず経済制裁を発動する。
こういう法案をみんなの力を合わせて努力をして作っていく。
そういうことをしない限りですね。
本当の解決は私は図れない。
そのように思っているわけでありまして、我々として全力を挙げてこの問題に取り組んで行きたい。
このように思っています。(拍手)

今日は皆様方はもうご承知だと思いますけども、この運動も非常に国際的になって参りました。
お隣の韓国から被害者の代表の方も来られておりますし、またタイ国にも同じような拉致被害があったと。
アノチャさんと言う女性が北朝鮮に拉致されている。
そしてご兄妹のパンジョイさんもここに来られております。
レバノンでも同様の問題がありまして、その被害者のお母様であるハイダールさんもここに来られています。
国際的な連携の中で力強くこの問題を展開していく事も、大きな私はポイントだと思っております。(拍手)
そういう意味でこの国民大集会に、韓国、タイ、更にはレバノンからご参加を頂いたという事は非常に大きな意味があると思っておりまして、(拍手)我々議連と致しましても国際的な連携の下でこの問題解決の為に汗をかかせて頂きたい。
このように思っている次第であります。(拍手)

今日お集まりの本当にこの問題を心配してくだすっている良識ある日本国民の皆様方が、更なる危機感を持って我々の運動に連帯をして頂くことが家族の皆様方にとり、救う会の皆様方にとり、また400名を超える本当に毎日を不安とそして悲しみで暮らされている特定失踪者の皆様方。
その方々に本当に大きな力になるわけでございまして、我々も全力で頑張って参りますので、どうか今日お集まりの皆様方の更なるお力を衷心からお願いを申し上げまして、私の挨拶に代えさせていただきます。
本日は誠にありがとうございました。(拍手)

★櫻井よしこ

平沼さんありがとうございました。
では次に拉致議連前会長で現職の大臣であります、中川昭一さんにお願いしたいと思います。
よろしくお願いいたします。(拍手)

制裁発動で被害者救出を!国民大集会(2)05.12.22 日比谷公会堂にて

『飯塚繁雄 家族会副代表 開会の辞』

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皆様、年末のお忙しい時に、このようにたくさん大勢の方がお集まりいただきまして本当にありがとうございます。
また日頃からこの拉致問題に深いご理解を頂き、かなりな色々な面でご支援を頂きまして本当にありがとうございます。
感謝いたします。(拍手)
本来ならば、ただ今司会の方からお話しがあったように、代表である横田代表がご挨拶すべき所でございますけども、すでにご承知の通り過酷な日程、この活動の日程によりまして体調を崩し、検査入院と言う事で入院して今静養中でございまして。
奥様から聞きますと、元に戻ったからしばらく様子を見ようと言う事でございますので、皆さんにもぜひよろしくと言う事でお伝えを致します。

更に我々の家族もですね。
そのように毎年毎年歳をとって行きます。
長い間、まだかまだかと言うような念願の気持ちを持ちながら、いつの間にか1年経ち2年経ち3年経ち、もう家族会が結成されてから8年も経つこの時期に、まだまだ問題の解決の糸口が見えない、言う事でございます。
更には北朝鮮に実際に連れて行かれている被害者の皆様、すでに数十年目のこの厳寒の季節を迎えます。
毎年毎年寒さを堪えながら、「いつ日本に帰れるか?」というふうに今この日、この時間もじっと我慢して待っていると、言う状態を私たち思い浮かべるに辺り、本当に我々はいても立ってもたまらない。
そういう気持ちでございます。

我慢と言うのは何年のことなんでしょう?
もう我慢の限界はとっくに過ぎています。
そういう中で我々あるいは被害者の方々、大勢の方々がこの我慢を強いられているわけですけども、我々生身の人間でございます。
やはりその環境、あるいは年齢、あるいは病気になるかもしれません。
それを思いながら解決を望んで活動をしておりますけれども、なかなかそれが実際には良い結果が出て来ないと、言うのが現状でございます。

私たち長い間この日本人拉致被害者を奪還しようと言う事で活動してまいりましたけれども、全国の救う会の方々、あるいはそれに伴う支援団体の皆様、そして中央・地方の議員の先生方、更には皆様の絶大なるご支援によりまして、ようやくここまでこの問題を解決しようと言う気運が盛り上がって参りました。
我々はこの盛り上がりを全ての解決に向けて今後も持続させたい気持ちではございますけども、今まで活動を続けながら2002年の9月の17日に日朝の首脳会談が行われ、北が拉致を認め、更には5人の被害者が帰って来、更にはそのご家族も帰ってきましたけど、これは言ってみれば皆様の大きな声がそうさせたと。
その実績が皆様のおかげで得られたことになるかと考えています。
しかしながらこの拉致の問題の本質である、まだまだ我々の家族を含めた大勢の方々が北朝鮮に囚われの身になっている。
この問題を解決しなければいけないということは、もうすでに世論もそう思っております。
私たち当然ですけどもそれが中々なされない。

この北朝鮮の対応につきましては全てウソの報告が来ております。
横田めぐみさんの骨と言われる物から始まり、我々家族、その他の人に対する報告書も全くの捏造であります。
そういう事を考えますと私たちは、これは絶対被害者は皆生きているというふうな確信を持っております。
そういうつもりでこの運動も・・・(聞き取れず)のある者を絶対に返してもらう、奪還する、助け出す。
そういう強い気持ちで今後も闘って参りたいと思います。
一刻を争う問題であります。
しかも国の重要課題でもあります。
何をさておいてもこの問題を解決しない限りは他の問題は解決できないというふうにも考えております。

去年の12月24日、政府は北朝鮮の対応が不誠実だと言う事で、日本はそれに対する厳しい対応を取らざるを得ないという事を言及しておりましたがすでに1年になろうとしています。
その間、何もやってはいなかったと私たちは感じます。
確かに日朝協議その他、今継続中でございますけども、日朝協議にしましてもいわゆる北と日本の懸案事項という形でその中の一部として拉致問題と言う形になっておりますけども、もちろん日本国としてはこの拉致問題を第一、最優先と言う形で交渉していただき、更には生きてる日本人を全部返しなさいと。
言うふうに大きな圧力を持って要求していくと言う事が大事だろうと言うふうに考えています。(拍手)

やわな交渉では全くこの問題はただ長引くだけで、(拍手)北朝鮮の思う壺です。(「そうだ」の声)
そのうちある所で幕引きと言う形で変な日朝正常化が行われる。
この事を我々一番心配しております。
ですから今この細い糸がつながれていますけれども、この糸を手繰ってこの日本人拉致問題あるいは韓国、更には世界各国の皆様の被害者を取り戻すと言う所に是非つなげて行って頂きたいと、言うふうに考えます。
従いまして今回この経済制裁をせよと言う我々の強い声、皆さんの声、これをきちっと受けとめていただいて北朝鮮に対する日本人の怒りだというメッセージを強く与えていって頂きたいというふうに、交渉団の人にもお願いしたいと思います。

今この問題も国際化され、国連の人権委員会でも総会でも北朝鮮の非難決議は多数の賛成によって可決され、世界の国からも北朝鮮はけしからんという圧力が加わったわけでございます。
そういうことも含めて内外から圧力を加えて、北朝鮮が「ごめんなさい、返します」と言うふうな声を出すまで私たちは強い態度で闘っていきたいと思います。(拍手)
引き続き皆様の絶大なるご支援を頂き、我々も頑張ってまいりますので、よろしくお願いします。
ありがとうございました。(拍手)

制裁発動で被害者救出を!国民大集会(1)05.12.22 日比谷公会堂にて

『櫻井よしこさん 開会の言葉』

皆様こんばんは。(「こんばんは」の声、拍手)
寒い中をこの会場に、ウィークディの中を、師走の大変お忙しい中をお出でいただきましてありがとうございました。

めぐみさんたちの拉致が分かってこの運動が始まってから早くも足掛け9年になります。
来年3月には10年目に入ります。
そして二日後の24日には迅速で誠実な対応が無ければ日本政府としては厳しい対応を取ると、前官房長官が仰ってからこの24日で丁度一年になります。

北朝鮮は今24日から25日にかけて、北京で日朝交渉を行おうと向こうから話し掛けて参りました。
けれども交渉に応じると言う事は、何の進展も意味するものではありません。(「そうだ」の声、拍手)
私たちはあの金正日体制の北朝鮮が拉致問題を解決する気持ちもなく、単に時間を稼ぐのであればこれは絶対に許してはならないと思います。(拍手)
拉致の被害者の皆さん方が、寒い時も暑い時も絶望に陥りがちな状況の中で希望を失わずに一生懸命に、日本全国のみならず国連にもアメリカにもジュネーブにも、いろんな国に出かけていって訴えかけてきました。
そして今私たちは拉致問題が日本の直面する問題にとどまらず、世界各国の直面する問題である事を明らかにして参りました。

そして今北朝鮮がこれ以上の時間稼ぎをしないためにも、させないためにも、北朝鮮に強い態度で臨む事が最も重要であるかと思います。(拍手)
これほど物事がハッキリして来た今、拉致の被害者全員を日本人だけではなく、韓国の人もマレーシアの人もタイの人も、全ての国の拉致被害者を取り戻す為の最後のチャンスだと言うふうに私たちは受けとめて、小泉政権に厳しい経済制裁を取るように求めて行こうではありませんか。(拍手)

ただ今から「制裁発動せよ」「拉致被害者全員を救い出すための経済制裁発動をせよ」
この趣旨で国民大集会を開催いたします。
司会は櫻井よしこです。
どうぞよろしくお願いします。(拍手)

家族会の会長の横田滋さんは、体調を少しばかり崩しておられまして、元気なんですけども大事を取って今日はお休みをさせていただきました。
そこで家族会を代表いたしまして、副代表の飯塚繁雄さんにご挨拶を頂きたいと思います。
田口八重子さんのお兄様でいらっしゃいます。
よろしくお願いします。(拍手)

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(14)05.11.23 友愛会館にて

『横田滋 家族会代表の挨拶』

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今の増元さんや西岡さんの話にありましたように、各国で新しい拉致が続々と見つかっています。
先日の産経新聞では11カ国の人が拉致されていると出ていましたんですが、それぞれの国が連携して拉致家族も連携して国際的な包囲網を敷くことによって、是非一日も早く解決して欲しいと思っています。

それからまぁ個人的なことですが、18日から今日まで有楽町のマリオンでめぐみの写真展をやっておりまして、昨日で5日間で1万6千人、今日は祭日ですからおそらく4千人を越えて2万人くらいの方がいらっしゃったと思います。
大勢の方がこの作品を見て拉致問題について改めて考えるきっかけになったと、出口のところで皆さん仰ってくださいました。
ですからこれも何らかの形でプラスになって欲しいと願っておりますし、ご参加された方々にはここで改めて御礼申し上げます。(拍手)

・・・集会終了・・・

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(13)05.11.23 友愛会館にて

『西岡力 副会長のお話』 

最後に、あと10分くらいしかないのでまとめの話をさせていただきたいのですけども。
つまり拉致問題が国際化してきた、言う事ですね。
今タイの問題が出てきましたけど、実は今度は増元さんマカオの話をされたんですが、これは78年の7月2日にアノチャさんが拉致されてるんですね。

でジェンキンスさんの本によると、アノチャさんは、同じ船に二人のアジア人女性が乗っていたのを見たと言っていたと書いています。
そのアジア人女性が誰なのかがわかったんです。
当時のマカオでは、おかしな行方不明事件、人身売買事件じゃないかとして報道もされていたし、捜査もされていたんですね。
宝石点の店員の孔さん(ホンさん、前述)という方と、ホテルのナイトクラブで働いていた蘇妙珍(ソウ・ミウザン)さんという女性二人が、同じ日にいなくなってる。

日本人を名乗る人間が、フクダと名乗る人間が現れて、案内してくれとか言って連れ出した後いなくなった、いうことなんです。そうしましたら、実は韓国から拉致されて自力で脱出した韓国の映画俳優と映画監督がいる。
1978年に拉致されて、86年にオーストリアに逃げた崔銀姫(チェ・ウニ)さんと申相玉(シン・サンオク)さんが本を書いている。

「闇からの谺」(上下巻、文春文庫)という本ですが、その中で崔銀姫さんという映画俳優が、隣にマカオ人が住んでいたと書いていた。
そのマカオ人と親しく話していたと、行ったり来たりしていたと。
名前はホンさんと言う。
宝石店に勤めていたという。
ピッタリ一致した。

そのことが話題になる中、今度は香港の「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」が、13日に記事を書いてるんですね。
マカオでも拉致があったと。
そして、その孔さんの弟さんが出てきた、という記事ですね。
ここにアノチャさんの写真まで出てて。
香港の新聞なんですけども。
同じ日に3人、タイ人一人とマカオ人二人を拉致していたのはほぼ間違いが無い。

そしてこれは少し面白くてですね。
今マカオは中国に返還されているんです。
マカオ人と言うのは中国国民なんです。
中国政府は今、北朝鮮の国連総会の人権決議に反対したんです。
自国民が拉致されているのに反対していいんですか?と。
マカオの人たち、あるいは香港の新聞がこれからどんどん書くでしょう。

つまり、北朝鮮は友好国からも拉致するんですよ。
タイでの拉致は、タイは国交正常化30周年って言いましたよね?
75年に国交正常化して、78年に拉致したんです。
国交(正常化)したあと拉致したんです。
そしてその後食糧支援を要請して米を貰ったりしてるんです。

今テレビなどでですね。
国交正常化した後拉致被害者を探せば良いじゃないかと言ってる人がいますけども、国交正常化したら拉致が起きたんです。
絶対に許さないと言う姿勢でこの問題解決しなけれが駄目なんですよ。
実例が示している。

そして崔銀姫さんの本をもう一度点検して見ますと、ヨルダン人の女性と会ったと言っている。
それからフランス人の女性が拉致されていると聞いたと言ってるんです。
レバノンの新聞、1979年の11月9日の新聞によりますと、レバノン人が拉致されて4人の女性が取り戻されてひとり(北へ)帰りましたよね?
その話は前にここで取り上げた事がありますけども、その帰った人たちが拉致被害者を見ているとレバノンの新聞が書いてるんですね。
それによると、28人。
3人のフランスの女性、2人のドイツの女性、3人のイタリア人の女性が含まれていて、一緒に訓練を受けたと。
というふうに証言しているとレバノンの新聞が書いている。

もう一回言いますとフランス人が3人、ドイツ人が、みんな女性ですね。
女性が一緒に女性同士訓練を受けた可能性があるんですけども、フランス人女性が3人、ドイツ人の女性が2人、3人のイタリア人の女性を含む28人。
で、イタリア人と言うのは、イタリアから拉致された(ルーマニア人の)ドナさんがイタリア人と思われていたかもしれませんね。
ルーマニア人ですけどもイタリアから拉致された。
病気で亡くなってしまった、と曽我さんが言っていますけども。

ドイツ人に関しては、アノチャさんが89年に、アノチャさんの夫は早く病死してしまうんですね。
一人も子供がいないんですけども、89年にドイツ人と再婚すると言って曽我さんたちのアパートからいなくなるんです。
誰と?
ドイツ人の拉致被害者がいた可能性が出てきます。
このレバノン人達の証言、イタリア、ドイツと言うのは他の情報もあるわけですね。
もちろん女性と男性と言う違いはありますけども、ですからもっと詳しく聞かなければならない。

いうことで、北朝鮮は日本に対してですね。
あるいは韓国に対して、韓国は同族じゃないかと韓国は拉致に対して言うわけですね。
同じ民族だと。
北朝鮮の方が暮らしが良いんだから拉致された方が幸せだったんだと、そういう事を言うわけです。
韓国の政府も国民も同族じゃないかという認識はあるわけです。
日本については、日本は戦前もっと酷い事をしたじゃないかと。
800万人強制連行して20万人性奴隷にしたと、言ってるんですよね?

そういう事を言って、国連の人権決議に反対したわけですけども、中国人も拉致しています。
タイ人も拉致しています。
ル−マニア人もフランス人ドイツ人イタリア人も拉致しています。
レバノン人も拉致しています。
この事実をどんどん確定して国際社会に訴えていけば、拉致問題は日本対北朝鮮、北朝鮮対韓国だけの問題ではないと。
国際社会対北朝鮮の問題だと。
国際社会をまたに駆けて凄まじい人権侵害を北朝鮮は70年代の後半に集中的に行ったんだと。
言う事が今明らかになりつつある、言う事なんですね。

アメリカは北朝鮮の人権問題を北朝鮮に強く今言い始めている。
人権特使を作ったんです。
国連も人権報告官を作ってるわけなんです。
日本政府も早く拉致問題を含む人権特使を作って欲しい。
参与をやっていた人で女性で、大変適当な人がいるじゃないですか?(小さな笑い声)
そういう人も居るわけですからぜひして欲しいんですが。
そういう中で国際的なネットワークの中で、だんだん悪事がばれてきた、いうことなんです。

じゃあそれを、実はマカオに出稼ぎに行っていたタイの農村の女性がいなくなる、なんてのは良くあることだと。
北朝鮮は思ってたわけです。
良くある事で絶対にばれないと、ばれなかったんです。
韓国で83000人を拉致して名簿まで作ったけれども、そして国際社会に訴えて国連にも訴えたけども、国際社会は制裁も何もしなくて誰も帰ってこなかったと。
大丈夫だったと。
拉致をした方が得だったと。
で次に漁民も拉致したわけです。
500人くらい拉致したんです。
でも大丈夫だった。
問題にならなかった。

そしてそういう状況の中で76年に金正日が後継者になって工作機関に入って拉致命令を出すんです。
工作員の現地人化をするために、現地人の教師を連れて来いと。
そしたらば77年78年は全世界的に集中的に拉致が起きたと。
日本でも日本政府の認定の16人の内、12人が77年78年なんですね。
アノチャさんも78年なんです。
マカオ人の二人も78年ですよね。
さっき言った崔銀姫さんも78年です。
レバノン人も78年です。
フランス人やドイツ人も一緒に訓練受けてたって言うんですから、78年の頃でしょう。

そして作られた、現地人化された工作員ってのに金賢姫がいるんですね。
金賢姫は80年に当時外国語大学の日本語学科の学生だったのが、召喚されて当時工作員になるわけです。
同期生が8人いたんです。
拉致された日本人が8人、1対1で教育が出来るように準備が整った後、学生を募集するんですよ。
金正日の命令で教員を拉致して、それに朝鮮語を教えさせて教師が確保されたから、80年に学生を募集が始まった。
曽我さんはその中で教師じゃなくて奥さんになったわけですね。
そうだとすればタイ人化の過程もあったんじゃないか?

実際韓国でですね。
マレーシア人に偽装した工作員と、フィリピン人に偽装した工作員が捕まったり殺されたりしてるんですね。
韓国当局によって。
まず80年代にフィリピンのパスポートを持って韓国に入って、「私はアラブ系フィリピン人だ」と言ってですね。
「アラビアの専門家だ」といって韓国の大学の助教授をやっていた。
ムハマド・カンスさんと。
ひげを生やしてテレビにも良く出ていた。
アラビア問題専門家で、その人が実はアラビア人ではなくて北朝鮮人だった。
じゃあ、彼はアラビア語を誰から習ったのか?

そしてもう一人、今度は99年に日本にも工作船が入ってきて、日本の海上自衛隊が沈没(正確には、撃沈したのは01年の不審船で、99年は追跡のみ)させましたけど、韓国の海軍も見つけて沈没させたんです。
引き上げてみたらば死体が入っていた。
その人がマレーシア人として韓国に外国人登録をしている人だった。
マレーシア料理店をやっていた。
北朝鮮のスパイだった。
じゃあマレーシア人化教育もあったんじゃないか?

安明進さんなどは、中国系の人も見たし、アラブ系の人も見たし、ヨーロッパ人も見たと言ってるわけですね。
今レバノン人とこの人の話をも合うわけです。
工作員学校の教師としてこれだけの人間が連れてこられたと。
完全犯罪に近かったわけです。
分からなかった。
だからどんどんどんどん拉致して、工作員を日本人化してそして大韓機爆破事件まで出来たわけですね。
115人を日本のせいにして殺す事も出来たんです。
そこまでは彼らの思う壺ですね。
拉致をして工作員教育をして現地人化してテロまで出来たんですね。

しかし金賢姫は生き残ったんです。
あの時金賢姫は毒薬を持たされていたわけです。
で、家族が北朝鮮にいるわけですね。
捕まったら毒薬を飲めと言われて、彼女は毒薬を飲んだんです。
青酸カリを飲んだわけですけども、3日間昏睡状態だったけども生き返ったんです。
そして韓国へ来て、韓国人を殺す目的は韓国は北朝鮮より貧しいから、韓国で革命を起さなくちゃいけないと思って115人殺したんだけど、韓国の方が豊かだった。
それを見て金賢姫は大変動揺する。
人間の心の中にある良心があってですね。
それが自分は罪の無い人を殺してしまった、と思うようになるわけです。
だけど北朝鮮はもう一つ安全装置を付けてる訳です。
それは家族が北朝鮮にいると、裏切ったらば家族が政治犯主要所に送られると、いう事なんですね。

金賢姫はあのまま行ったら辛光洙になれたんです。
自分で脱北したんじゃないんですから。
捕まって刑務所に入っていたらば2000年に(北朝鮮に)帰れたわけです。
英雄になって、家族も英雄だったんです。
しかし家族の事を思うと喋ったら危ないと思う。
しかし自分が115人殺したのは罪だと思う。
大変悩むわけですよね。

そこで私が前、徳間(書店)から出した「拉致の真実」と言う本にもその事を引用しましたが、その金賢姫の本にも書いてあるんですが。
金賢姫は自分のお母さんの事を思い出して、私のお母さんは砂漠でコップ一杯の水があったらば私に譲ってくれる人だ、と。
それくらい私を愛してくれたと。
そのお母さんが、今自分が罪の無い115人を北朝鮮の命令を受けたからとしても殺してしまったと。
謝りたいと。
しかし謝ったらお母さんたちは収容所に入れられてしまうと。
お母さんが、眠れなくて自分の中で自問自答して、うちのお母さんだったら、私たちがどうなってもあなたが正しいと思う道を行きなさいと言ってくれるお母さんだと。
いうふうに彼女は結論づけてその後自白を始めるわけですね。
つまり共産主義の社会の中でも母親が一生懸命愛情をかけて自分の娘を育てたと。
その愛情が完全犯罪を打ち破ったんです。

アノチャさんもそうなんですね。
お父さんが忘れてなかった。
28年間、アノチャ、アノチャと言い続けたお父さんがいるから、近所の人がテレビで放映されたので「お前の家かもしれない」と教えてくれたんですよ。
そうじゃなければ一回放映されて終わりですよね?

家族会の今までの歩みもそうなんですね。
忘れてなかった。
20年経って、もう忘れてなくて、それどころか悲しくてたまらなくて、何が出来るか?とずっと思っていたから家族会に集まって訴えをはじめたわけです。
彼らの緻密に計算された完全犯罪を打ち破ったのは家族の愛なんです。

朝鮮戦争の李美一さんのお母さんは、実は1950年代最初に家族会を作ったんですよね。
髪の毛をずっと伸ばしていてですね。
夫が帰ってきたら髪の毛を見せて、この長さなんだと。
あまりにも長くなって、今でも待ってるんです。
つまり北朝鮮とすれば戦争中のこと、50年前のことだから忘れてるだろうと思ったのに、未だに覚えていて今年の6月に北朝鮮の、あ、8月ですね。
北朝鮮の代表団が来た時にデモをしたんですよね。
北から見れば50年前の何の事だ?と。
でも家族は家族を覚えていて探していると。
そしたら少しずつ、つまり名簿が出てくるんですね。

家族への愛情が事実を明らかにしてここまで来たと。
完全犯罪を打ち破りつつあると。
世界中を対象にして拉致をしてテロをやって、そして北朝鮮の人民を苦しめている金正日政権は今追い詰められつつあると。
言う事を報告できるんじゃないかと思います。
以上です。(拍手)

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このエントリーのテキスト化には一部原良一氏のご助力を頂きました。

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05.1.2 本文の一部を訂正しました。

2005年12月26日

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(12)05.11.23 友愛会館にて

『増元照明 家族会事務局長のお話』

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 先程、西岡さんがおっしゃったように、できるだけ大阪の集会に西岡さんと一緒に行かなきゃならないねって、来週くらいですかと話しをしてたら、ぜひ4日後には出るというようなことになりまして、ほんとにありがとうございます。

 で、今先程も言いましたように、最初に私たちが向こうの現地の日本人記者に聞いたら、どうもお兄さんは北朝鮮に感謝しているようだというふうに言ってる。なぜかというと、アノーチャさんというのは、義務教育で小学校4年生くらいの教育しか受けていなくて、学歴もないそういった女性が、北朝鮮でいいくらしをしているのだと、そういう情報が入ってきたので、拉致ということもまったくわからない。拉致があるなんてこともわからないし、北朝鮮がどういう国かも全然わからない。

 それでいきなり27年後くらいに、突然いなくなった妹の話が、北朝鮮でいいくらしをしてるよということが入って、最初感謝している。そんな状況ですよ、ということだったので、これはとても、感謝されては私困りますもんで(苦笑)、だから二人してお話ししたんです。で、ようやく最終的には、「取り戻したい」という言葉をおっしゃったんで、ある程度の理解をされておられるとは思います。

 私の会、救う会の方でも、役員会も何もしないで二人で行って、そして招聘したんですけれども、会の承認も得ないで単独で招聘したんですけど、それは事後報告になってしまいました。

 私たちが向こうに行ったのは、お兄さんが本物だろうかということ。報道では、兄だ、甥だと出ているんですけども、本当にアノチャさんの肉親であるかどうかを確認しなければならないし、確認ができたら、やはり各国の被害者家族の皆さんと連携してやってる、国際的な問題であるということを訴えられたらいい機会であるし、ぜひ日本に来ていただいた方がいいのかな、と。

 そして曽我さんも、アノチャさんのお兄さんとお会いして、話しをしたい意向もありまして、それでとりあえず行きました。

 最初は、本当に田舎の農民です。田舎というと田舎に失礼ですが、非常に先程言ったようにバンコクに行ったことも、飛行機にも乗ったこともない。昔から、英字新聞もそうですけど、向こうの新聞を見てなくて、ほとんど喋らないわけです。その代わり郡長さんというのがいる。郡長さんというのは、市長さんと同じレベルだと思うんですが、その彼が一生懸命説明されるわけです。その側でお兄さんが黙って、(ネーション紙の写真を示しながら)この顔で睨んでるんです。

 でどうやって、とっつきにくい感じを受けましたので、どうやって聞き出せばいいのかなという思いで、常にお兄さんに話しかけていました。事前に先程言ったように北朝鮮に感謝しているようなそぶりなので、絶対にそれだけは少なくとも堰き止めようと、記者会見で北朝鮮に感謝しているなんて言われたらとんでもない。それだけは避けよう。

 それで一番良かったのは、北朝鮮の拉致という、日本人拉致、韓国人拉致、これが北朝鮮の拉致であることが、タイの国民の皆さんにもある程度認知されたということじゃないでしょうか。まあ二人して、今が旬だからということで、ネーションで取り上げて、タイの方で随分とアノチャさんアブダクション(拉致)というタイトルでクローズアップされてる。

 そこに私たちが行くことによって、さらにまたタイの上等のニュースになる。とするとタイの人たちにも、北朝鮮による拉致というものが認識されるだろうという思いがあったんですが。先程言ったように、タイの地元の扱いというのは、新聞それからテレビによって報道してくれたので、ある程度の北朝鮮の問題も認識されていると思います。

 タイの人たちっていうのは、とても今日あったことは明日忘れるという、それくらいあまり囚われないという「マイペンライ(タイ語で「だいじょうぶ」「気にしない」「問題ない」という意味の言葉)」という有名な言葉もありますけど、囚われない国民ですから、ネーションの担当者は、タイの国民がこれを忘れないように、何か常に取り上げていかなければならないとおっしゃっていました。

 タイ政府の方たちにも、タイ政府としては、今年は北朝鮮と国交を結んで30周年になるので、いい関係にあったという認識があるので、これからもそれを壊したくないという思いがあるんですね。ただもし国民が拉致されているのであれば、何とかしなければならないと外交官の方がおっしゃってました。どういうアプローチをするにしろ、北に対する圧力にはなっていくんではないか、と思います。

 北朝鮮は、ただ単にいるかどうかちょっと聞いてみたという程度の北朝鮮の臨時大使を呼び出した。タイ外務省が呼び出して、ちょっと聞いてみた。そしたらすぐ正式な文書で「(アノチャさんは)いない」と言ってきたくらいでして、タイ人拉致に関しても、北朝鮮としても非常に神経をピリピリさせているようであるんです。

 タイ政府は、我々も行ってまず間違いないということを話しましたんで、アノチャさんは拉致疑惑ではなくて、日本の報道では拉致疑惑と言ってましたが、完全な拉致である。証言者がいるんですから、こちらに。それをはっきりと認識すれば、これから展開する追及も当然強くなっていくと思います。

 で、マカオ(で拉致された)の三人の(拉致被害者の一人)孔さん(孔令●と書いてホン・レンイン女史、日本語読みで「こうれいおう」、●=讐の隹の部分が貝。どの文字コードにもありません)という方の弟さんが名乗り出られたので、調査でまたマカオに行かなきゃならないのかな(西岡氏と苦笑)と言っております。

 またできれば、12月22日の国民大集会に招聘していきたいと考えております。マカオ、タイ、第一回集会以来、当然韓国の皆さんも来ていただきますし、さらにもう一人機会がある可能性がある。とにかく世界中で拉致されている被害者の家族が集まって、様々な行動をできるような状況になるという可能性が高いということを認識しています。

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このエントリーのテキストは原良一氏の手によるものです。

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(11)05.11.23 友愛会館にて

第3部 タイ訪問報告

『西岡力 副会長のお話』


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 え〜、座ったままでいいですか? 11月9日から11日までタイに行ってきたんですが…、多分ご承知の人も多いと思うんですけど、ジェンキンスさんが本を書く前に、我々は、5月に増元さんと二人で佐渡に行きまして、曽我さんからタイ人の拉致被害者がいるっていう話しは聞いていました。

 曽我さんと話しをして、国際社会に日本人拉致救出をお願いすると。国連の人権委員会の作業部会にお願いをすると。そういう中で、日本人以外の拉致被害者の状況がわかった場合は、まずその家族に何とか伝えなきゃならない。その国の政府に伝えなきゃならないということで、曽我さんもその通りだということだったので、調整室(内閣府直属拉致問題連絡・調整室)を通じて、外務省からタイ政府に連絡をしてもらいました。

 今回、タイに行きまして、6月に最初にアノチャさんというタイ人女性が拉致されているということを、日本側から通報を受けていたということを、聞きました。ただアノチャさんという名前は、一般的な女性の名前なんです。ヨシコとかヒロコとか・・・。70年代の後半にいなくなったヨシコを探せといっても、日本でも難しいでしょう、タイの政府にしても、やはりね。それでなかなか特定できなかったということです。

 まあマカオの新聞を繰って行けば、アノチャさんが、78年の7月2日に失踪しているという記事が出ていたので、もう少しやってくれればなあ、という気がしないでもなかったんですが、とにかくわからなかった、と。
 そして10月にジェンキンスさんの本が出て、そこにタイ人が拉致されたと書いてある。11月の1日に、タイの新聞の「ネーション」という英語の新聞があるんですが、それがですね、この記事を出すんですね(記事のコピーを示す)。

 タイ人が拉致されていると、ジェンキンス氏の本に書いてある。それがこの女性だと言って(写真に)丸を付けている。この写真は、CBSというアメリカのテレビ局が、曽我さんというよりジェンキンスさんの番組を1時間枠で作った時に、曽我さん、ジェンキンスさんより提供を受けていて、CBSのホームページに掲載されている。それをCBSから撮ったとして、その映像を載せてアノチャさんという名前と、ジェンキンスさんの本を載せて、日本語の部分もこうやって写真に載せて報道したわけです。

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 ただ、英語の新聞は、それほど読まれていないわけです。これだけだったらわからなかったんですが、この新聞を元にしてタイのテレビが、アノチャという女性が拉致されていると報道したわけです。それが11月1日なんです。我々が行った時は、あの家テレビなかったんだよね(隣の増元氏に確認)、見れなかったよね。あのお兄さん家、テレビなかったんですよ。田舎の高床式の農村だったんですよ。だからテレビもだけど、英語の新聞なんか絶対読んでない、断言してもいいけど。

 ただしですね、お父さんが3ヶ月前までご存命で、90歳過ぎてるんですけど、アノチャさんのこと忘れてなくて、「アノチャ、アノチャ」とずっと探してたと・・・。病床でも写真を大きく飾って、帰りを待ってたと。だから近所の人たちが、あの家にはアノチャという娘がいるんだ、お父さんが探してたというのを知ってた。いなくなって27年経ってたんですね。

 だから、それで忘れていたらば、誰か近所の人がテレビ見てて、「アノチャという名前だから、あの家じゃないか?」と言ってくれたんです。それでこの写真を見て、ああ似てるということで、テレビ局にお兄さんが一人いらっしゃってて電話をした。それが11月2日ですね。

 11月の3日にタイの総理大臣(タクシン首相)が、記者会見の時にそのことで質問されて、「これが真実だったら、北朝鮮に帰還を要求する」と言ったんですね。まあ真実だったらていうのが付いてますけども、総理大臣が言及したんです。

 そして4日には、タイの外務省の担当官が家族の家に行き、そのままそのお兄さんをバンコクに連れてきて、外務大臣が面会したんです。報道から、外務大臣の面会まで5日しか経っていないんですね。我々家族会作ったのに(笑)結構(増元氏苦笑しながら「半年くらい」)半年位かかったんですよ。

 ただそれは、日本で拉致があることが明らかになった後だからっていうことも、もちろんあると思いますけれど、タイ政府はタイヘン積極的です。そして8日の日には、タイと北朝鮮は国交があるんです、大使館がある。大使館の大使を呼んだら、大使がいなくて臨時大使が来て、臨時大使を外務省に呼んで情報を突きつけて、どうなってんだ? と聞いたらば、タイ人女性が北朝鮮に行った証拠は一切ありません、と。調べてもいない内から(失笑)、政府の前で言ったんです。タイ政府は、それでも継続して調査してほしいと言った。

 そしてタイのマスコミは、このように連日のように報道をしまして、そしてお兄さんがバンコクに来た時、(写真を示しながら)これがお兄さんで、その息子さんで、これがアノチャさんの写真なんですね、失踪前の…。そして日本のマスコミが、これを大きく報道したんです。日本のマスコミが、この写真をバンコク発でテレビで報道して、佐渡で曽我さんが、そのテレビを見ている。で、この写真を見て最初に思ったのが「懐かしい」。

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 アノチャさんが拉致されたのは、78年なんですけども、曽我さんがアノチャさんに会うのは80年です。だからこの(写真の)姿と似てる時に会ってるわけですね。10年間一緒に暮らしてる。だからよく知ってるわけだ。米軍の脱走兵士が4人いまして、ジェンキンスさんと曽我さん、それから後一人とアノチャさん、もう一人とルーマニア人でイタリアから拉致されたドナさん、それからもう一人がレバノンから拉致されたシハームさん、4人が2階建てのアパートで、1階に2世帯、2階に2世帯一緒に住んでた。よく知っているわけです。

 それで忘れないと思って、曽我さんに電話もして、この写真のあるのを聞いてお兄さんが日本に来たら是非お会いしたい、タイ政府の情報収集にも協力したいというお話しもして、とにかく行こう、と。日曜日に決めて、水曜日に出発したんですね。相当無理なスケジュールだったんですけども・・・。調整室と、外務省とそれから…、在バンコク日本大使館と、在チェンマイ外国総領事館と様々なマスコミ関係者が、いろんな方に無理を言ってとにかく(タイに)行ってしまったんですね。

 でまあ、お兄さんにお会いすることはできました。10日の日の午前中、1時間半お話しをしまして、その時我々がジェンキンスさんの本に書いてない、従ってお兄さんが知らないであろう情報を一つ持ってたんですね。

 それは二つあって、曽我さんがこの写真は懐かしいと言っていた。それからもう一つは、家族構成について曽我さんは、アノチャさんはお母さんは既に亡くなっていると、確か直接聞いている、失踪前から。お父さんがかなり歳が離れている。お兄さんが一人いる。というふうに私たちは聞いていた、5月の段階では。

 で、行ってみたらばことそのとおりだった。ジェンキンスさんの本に書いてないとおりのことでありますから間違いないと。お兄さんから最終的に「ホントですかねぇ?」という話しになったんですけど「間違いないと思いますよ。いろいろな情報を総合したら」後は「生きてますかねぇ?」ということと「どんな暮らししてますかねぇ?」そして「どうしたら取り戻せますかねえ」具体的なんですね、家族の考えることは。生きてますかねえて言った時に増元さんが答えたのは、増元さんお願いできますか?

★増元氏 
 アノチャさんというのは、向こうの満年齢で50、数えで50歳らしい(後の発表では1954年7月12日生まれの満51歳)です。年齢を聞いて私の姉も52になる。必ず52歳とまだ若いし、まだ死ぬような年齢ではないから必ず生きていると思うし、そう信じて私は救出運動をやっているから、ぜひお兄さんも生存を信じてこれからも一緒にやっていきたいと申し上げました。

★西岡氏
 そしたら「生きているんだったら、どんな暮らししてるんですか?」って言うんですよ。私は「精神的には大変辛いと。監視の対象だけれども、物質的には工作機関の中だから比較的生活水準は上だろう」って言ったんですけれども、そうしたら増元さんが

★増元氏
 あのジェンキンスさんが「告白」の中で書いてますけれども、暖房さえ充分手に入らない。自分、私たちは、もう少しいい暮らしをしてるのかなと思ったんですけど、あの本に書かれている暮らしを見れば、私たちは驚きました。ですから西岡さんは精神的に部分もおっしゃって、でも物質的には多少いいだろうと。北朝鮮の経済状況が酷すぎるので、一般の人たちよりは多少いい暮らしになってると、それはもう世界レベルの中では低い生活の状況だと、早く助けなければならないと、(いうことを伝えました)。

★西岡氏
 そして最後に「どうやったら取り戻せますかねえ?」という話しになったので、私は「北朝鮮は、アノチャさんは今いない」と言っている。それは(日本人拉致被害者の)家族会が作られた97年と同じだ。そのあと北朝鮮に拉致されたのは間違いないといって具体的な事実を示して、日本国内で、そして海外で、国際社会に訴え続けたと。その結果、北朝鮮が5年後に(拉致被害者が)北朝鮮にいると認めた。

 だからまずは、北朝鮮にいることを認めさせることが第一歩です。そのためには、家族会がやったようにタイの国民、タイ政府に対して、世界に対して訴えるということが大切です。ぜひ日本に来てくれないか。曽我さんと直接会って、お兄さんが覚えていらっしゃるアノチャさんの特徴と、曽我さん10年間一緒にくらしたアノチャさんの特徴が合致すれば、合致するほどホントに間違いないんだということを、タイ国民にも、日本国民にも、世界中にアピールできる。

 曽我さんに電話したところ、お兄さんが来てくだされば、ぜひ会いたいと言ってるんだ。そして曽我さんは、アノチャさんの印象について、大変優しい人だった。ウチの二人の娘を大変かわいがってくれたと、気配りのできる人だったと。私にとってお姉さんのような人だった、と言っていたということを訴えました。

 我々が会ったのは10日ですから、1日に新聞報道が出て、10日後には日本から変な人たちが来て(苦笑)、もうカメラが、日本のカメラがテレビ局、タイのテレビ局、イギリスのBBCとかがわーっと来ていて、記者が40人くらいで警察が交通整理をやってるんです。

(アノチャさんの兄の)家は、チェンマイから車で40分くらいで、鶏が放し飼いされてたりして、ほんとに農家なんですよね。それで高床式の家なんですよ。事前に打ち合わせして、カメラが全部入ったら床が抜けるからどうしましょうか?(笑)って、テレビ局のスタッフの人たちが言ってるんです。事前に行ったことがあるから。

 それで、下で会うところだけ頭撮りしてもらって、上に上がったところからはカメラなしにしましょうと言ったので、だんだん、だんだん(話しが途切れる)

 飛行機に乗るのも、バンコクに行くのも初めての人で、日本に来てくれと言われても即答はできませんておっしゃったんです。ところがその後記者会見をしたんです。これが「ネーション」という新聞で、記者会見をしている場面(「Japanese visitors Conform abduction(日本人訪問者と拉致が一致)」の見出しの写真を示しながら)がですね、タイの新聞に出たんですね。

 増元さんがまず報告をして、その後お兄さんがタイ語で喋ってるので、我々は何を喋ってるのかわからなかったのですが、総領事館から来てくださったタイ語の専門家の方が、後で教えてくださったんですが「(日本に)行かねばなるまい」と言っていた、と(苦笑)。

 ということで、(日本に)来てくださるということになりました。だいたいそんな感じで、あと増元さんの方から何か・・・。

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このエントリーのテキストは原良一氏の手によるものです。

2005年12月24日

国民大集会より タイ人・レバノン人拉致被害者家族の声

★スカム・パンジョイさん(タイ人拉致被害者・アノーチャさんの兄)
 ※通訳:海老原智治さん タイ・アヤプ大学講師

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(写真左より スカムさんの息子さん、通訳の海老原さん、スカムさん、スカムさんの住む土地の郡長さん)



★ハイダールさん(レバノン人拉致被害者・シハームさんの母)
 ※通訳:(アラビア語から英語へ) マレック・ゲダムさん:フリージャーナリスト
      (英語から日本語へ) 島田洋一 救う会副会長

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(写真は左より ハイダールさん、通訳のマレック・ゲダムさん 島田洋一副会長)



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国民大集会・音声ファイルのご紹介はこれで終わります。
残りの登壇者の発言は後ほどテキストで順次ご紹介いたします。
音声を全て聞くのはだいぶ時間がかかりますが、年末年始のお休みに入ってお時間のある方は、興味のある所だけでもぜひ家族の生の訴えの声をお聞き届けいただければと願っております。
よろしくお願いいたします。

一時休載を宣言しておきながら、まったく休載になっておらず言行不一致で冷や汗をかいております。(^^ゞ
正真正銘これを最後に本当にしばらくの間休載をいたします。
Blog再開は大晦日の31日くらいになりそうです。
予めご了承の程よろしくお願い申し上げます。<(_ _)>
posted by ぴろん at 11:37| Comment(1) | TrackBack(1) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

国民大集会より 韓国人拉致被害者家族の声他

★金聖浩 朝鮮戦争拉致被害者家族協議会前理事長

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★崔祐英 韓国・拉致被害者家族協議会会長

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★安明進さん(元北朝鮮工作員)

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2005年12月23日

国民大集会より ご家族の訴えの声

★横田早紀江さんの声

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★曽我ひとみさんの声

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★竹下珠路さん(特定失踪者・古川了子さんの姉)の声

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2005年12月22日

国民大集会 音声ファイルアップ

時間が無いので取り急ぎ、音声ファイルのみをアップします。
集会の中で、短波放送「しおかぜ」に乗せて被害者に呼びかけるそれぞれの家族の声を、ご家族自ら朗読をする場面がありました。
その部分を音声ファイルでご紹介します。

涙無しではとても聞けない家族の叫びです。
何も申し上げる事はありません。
私たちは何のために拉致被害者を救うのか?
その原点を確かめる為にも、どうかお聞き届けになってください。

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★短波放送「しおかぜ」に乗せる家族から拉致被害者へのメッセージ



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家族の紹介をする増元さん

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有本恵子さんの母、嘉代子さん

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市川修一さんの義姉 市川龍子さん

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松木薫さんの姉、斉藤文代さん

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増元るみ子さんの姉 平野フミ子さん

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横田めぐみさんの弟 横田哲也さん

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★ご訪問の皆様へお願い

当Blogへご訪問の方の中で、本日の国民大集会に参加された人がいらっしゃいましたら、感想やレポートなどコメント欄に書き込みをお願いできませんでしょうか?
集会の模様を少しでも早く一人でも多くの方にお届けしたいのですが、多忙の為どうしてもレポートまでは手が回らないのです。
厚かましくて申し訳ありませんが、コメント欄を開放しますのでお願いを申し上げます。<(_ _)>

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23日 AM9:45追加

※参考リンク
 
★Blue jewel様 国民大集会速報
http://blog.goo.ne.jp/blue-jewel-7/e/fd11c78736a96f5b85de0f840922cf7f

★電脳補完録別館様 「救出するまで元気でいて」めぐみさんの母
http://nyt.trycomp.net/modules/weblog/details.php?blog_id=132
posted by ぴろん at 23:57| Comment(1) | TrackBack(3) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月21日

森本美砂さんのことば(2005/11/30)韮崎にて

ご紹介いただきました山本美保の双子の妹であります森本美砂です。
本当に今日は平日の忙しい中にも関わらず、多くの方々に来ていただきまして、お話を聞いてくださいまして、ありがとうございます。
3年前姉のことが明るみにでて以来、本当に県民のみなさまにはたくさんのご支援をいただきました。改めてこの場をお借りしましてお礼を申し上げます。(拍手)

いろんなところでお話しさせていただいておりますが、姉、山本美保は21年前の、昭和59年6月4日にいつもと変わらない表情といつもと変わらない服装、姿で、「図書館に行ってくるね」と母に言い残して、家を出ました。当時受験勉強をしていまして、その大学進学を目指して勉強していて、図書館に通っていたのです。

二十歳で勉強していたのには少し理由があります。私たちが高校三年生の秋に突然兄を(当時、二つ上で、梨大=山梨大学に通っておりましたが)バイクの事故で亡くしました。それ以来、家族の歯車が狂ってしまって、家の中が真っ暗になってしまいました。両親は、もう無気力な状態で、毎日を過ごしていましたし、私たちもどうしていいかわからなかったんです。

でも自分の進路を何とかしなくてはいけないという思いで、何とか勉強を続けていましたけれども。姉は暗くなってしまった家の中を少しでも明るいものにしていこうと、たぶん、思っていたと思います。また自分の力を試してみたいと、東京の大学を目指していました。当時父の一人の力では子供三人を大学に通わせるのは難しいと、行くなら地元だということで、東京の大学には行くことはできなかったんです。でも姉はそれを挑戦したんです。苦しい中ですけれども、見事日本女子大学に受かりました。でも私を含め、私も含めた家族は「お兄ちゃんがなくなった後、ひとりで東京になんか行かないで」と反対して、行くことに賛成できなかったんです。そのことをずっと、今でも悔いています。
あの時に行かせてあげればこんな事にならなかったんじゃないか、図書館にいってくるなんて、受験勉強をしなくてもよかったのではないかということを、未だに悔いております。
ですからなかなか、姉のことを言い出すことができませんでした。

3年前の有本さんの事件が明るみになったときに、姉は家を出てから4日後に、柏崎の荒浜海岸で鞄が見つかっています。当時行ったこともない新潟県で、海岸で姉の鞄が見つかったのだろう。当時新潟の柏崎署の方々の協力を得て、くまなく探し回りましたけれど、何の手がかりも見つかりませんでした。でも、何の手がかりもつかめない中で、どこに何を訴えていいかわからないまま、十数年がたっていました。

姉のことは片時も忘れることはなかったんですが、あの時応援できなかったということもあって、他の人に伝えることもできませんでした。

でも有本さんの拉致事件のことを知って、姉の鞄も、蓮池さんたちが拉致された20キロあまりの近くの海岸に落ちていた。何の手がかりもない。これは今何かをしなければ、動き出さなければ、姉に一生会えないという思いで、すこしずつ、調べを始めました。

そして新潟の小島会長さんに協力をいただきまして、詳しい話を聞いて頂きまして、「これは、拉致事件に間違いない」と言われまして、それからいろんな方々の支援を受けまして、すこしずつ運動して参りました。特定失踪者調査会の荒木さんにも相談し、「これはかなり濃い、今の特定失踪者野中で、特に拉致の疑いが濃い」 と言われまして、16人の中に数えられ、昨年1月29日刑事告発もさせていただきました。本当に県民の皆さんにもお力をいただきまして、20万の署名を集めて、政府に提出いたしました。

ところが、先ほどお話しがあったとおり、昨年の3月4日、私の携帯に電話がかかりました。「DNAが一致した」と電話がありました。まだ正式な鑑定書も寄せられていない状態での話でした。専門的なことはよくわかりません。でも、そう言われて、その翌日に、資料を見せられたときも、(本当はその鑑定をした専門家の方が説明をしなければならないのだと後で言われましたけれど)、県警の方が代弁する形で「よくわかりませんけれども、ここに<99.9999・>、この数字が美保さんのことを物語っています。美保さんでない確率は、六兆分の一だ」と言われました。

それがはじめは真実だと思いました。私は二十年間冷たいか鉄の中に放っておいてしまったんだと泣き崩れてしまいました。「なんてことをしてしまったんだろう」と。でも、となりで聞いていた夫は冷静でした。「なんかおかしい」とずっと思っていたようです。
その「おかしい」がやっぱり的中したんです。

DNAが一致したのであれば、全てのことがもっと一致していいはずです。
先ほどもお話がありましたし、いろんな資料にも書かせていただきました。遺留品がやっぱり・・。
遺留品は警察の方は、重視しないのでしょうか?「遺留品が違うことが、人が違うことになるんですか?」と言うことも(警察の方は)おっしゃいますけれども。

遺留品が全く違って、体のサイズも違って、専門家の方に聞きました。
「二十歳の女性の遺体が、13日後にこんなふうになってしまうんですか?」
その写真もDNAが一致したと言われた後に詳しい資料も見せていただきましたけれど、すごいご遺体です。まともにみられない状態です。男も女もわからない、年齢ももちろんわからない、姉の形などひとつもない、そういう痛ましいご遺体でした。手足がなかったんです。頭は白骨化でした。歯も13本も抜けているんです。
「こんなになってしまうんですか?」

上野正彦先生という水死体を2万体検査、監査された、東京の監察医の先生にその事を、情報をお伝えしました。資料もお見せしました。
「そんなことはない」と はっきりおっしゃいました。
「二十歳やそこいらの人が、歯がぬけるはずがない。」
歯が身元を確認する唯一の手がかりになるんです。その歯が13本も抜けている。「一年以上たっていますね。」とそんなこともおっしゃっていただきました。
いろんな状況が姉とは一致しないのです。

そういうことを調べて、でも、99.999という数字だけで、姉が亡くなったとは到底思えないのです。意地を張っているわけではありません。真実であるならば、二十年以上探し続けている姉の存在がはっきりしたのであれば、どんな過酷な事実であっても受け入れるんです。でも数字だけのものは私に真実を伝えていません。

特定失踪者の中でも特に同級生の方々の力をいただきまして、本当に大きなご支援をいただきました。日本の中で400人以上いる特定失踪者家族は、あまり声を出していないんです。拉致の認定をもらっていないからです。「拉致でなかったらどうしよう。」と言う不安を抱えて生きているんです。何十年も家族に会えない状態で苦しい胸の内を秘めながら、「でも拉致でなかったらどうしよう。」「批判されるではないか」「特定失踪者問題調査会の荒木さんたちに迷惑をかけるんではないか」と、そんな思いもあってなかなか声を出せません。本当に発展していかないんです。

そんな中で、この美保を支援してくださる方は、大きな、大きな活動を通して支援をしてくださいました。
「そこをつぶしたのかな?」と思わざるを得ないのです。

現場の警察官の方々を批判するつもりはありません。父も山梨県警に40年以上勤めた人間です。(涙があふれる、話が少し涙声になる)現場の警察官の大変な生活、仕事ぶりは、身近でよく知っております。小さい頃、どこかに連れて行ってくれると約束してもそれをきちっと実現したことは少なかったんです。事件がおきれば、即、「今日はいけない。」だから小さな頃は、父は嘘つきだと思っていました。でも、だんだん父の大変さを知るにつけ、これは国民の命と財産を守る大変な仕事をしていると言うふうに思っています。

未だに現場の警察官の方々に、パトカーにあえば、頭が下がるんです。
でも姉の問題は納得できないんです。
真実ではないからです。(涙)

「しおかぜ」の短波放送、10月の終わりから聞かせていただいております
今日からは家族のメッセージというかたちで、荒木さんが家族のメッセージを読み上げてくださいます。私は長い間その手紙を書けないでいました県民の皆様に、美保の状況を訴えることはできても、二十年間なかなか声を上げることのできなかった姉に対して、なんと言えばいいのだろう。かける言葉が見つからなかったんです。
やっとの思いで書いた手紙が、今日読み上げられます。荒木さんの暖かい言葉で。
たぶん美保は北朝鮮で聞いていると信じております。

数字だけで何の一致もしない、DNAでも・・
北朝鮮で美保を見たという方がいるんですけれども、私を見たときに姉の特徴をかなりはっきり伝えてくれました。

「あなたより肩幅がありますね。」「あなたの方が、お姉さんより大きいですね。」

それはいろんなところでそのことを伝えていないんです。そんなことを、その方は言い当てていました。

「バレーボールが得意で運動がとても得意な人でした。」(目撃者のことば)

姉だと思いました。
北朝鮮で、元気で、必死でがんばっていると思っています。

どうか姉の真実がはっきりするまで、また全国にいる拉致被害者、拉致の疑いのとれない特定失踪者のことがはっきりと、真実が明らかにされるまで、みなさまどうかご支援の声を上げ続けてください。

皆様の力で、ここまで世論を盛り上げて、政府を動かして参りました、どうか・・。
これは政治問題ではないんです。
私たちは、家族は政治問題を言っているのではないのです。
家族が家族に会いたいだけなんです。
家族にあわせていただきたいという思いを、皆様に理解してくださってここまで来たと思っています。

どうか、その声をゆるめないで、全員が救出されるまで、お力を貸してください。
よろしくお願いします。
本日は、本当にありがとうございました。(拍手)

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このエントリーのテキストは金木犀様の手によるものです。

ハイダールさんからのメッセージ

★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2005.12.19)より

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大阪と東京で開催される国民大集会参加にあたり、12月16日、レバノン人拉致被害者シハームさんのお母さん、ハイダールさんから下記のメッセージが英文で届いていますのでご紹介いたします。島田洋一救う会副会長訳。

■ハイダールさんからのメッセージ

 シハームは本当に優しい、いい子でした。娘によい教育を受けさせようと、私は一所懸命働きました。彼女の将来に多くを期待していました。父親は早くに亡くなりましたが、それを乗り越え、美しい知的な女性へと成長しました。娘は私
を大変愛してくれました。職業学校で学び、秘書として働くことを目指していました。自立し、母親を助けたいと願っていたのです。

 27年前のある日、娘が私に、日本で素晴らしい仕事が見つかったと言いました。月給も3000ドルぐらいとのことです。そんなよい仕事に就けるというので私たちは大喜びしました。夢が実現したのです。海外で働きたいというのが、
娘の子どもの頃からの望みでした。娘が日本に着いたら、私もきっと行くと約束しました。

 日本に向かう途中の娘から電話がありました。が、ベオグラード(旧ユーゴ、現セルビアの首都)からの電話だったことに、不吉なものを感じました。娘は言いました。「もうお母さんに会えないかも知れない」。一体何を言おうとしてい
るのか、理解できません。多分、知らない国で新しい生活を始めることに神経質になっているのだろうと思いました。「会えるに決まっているじゃないの。日本でひと月ぐらい一緒に過ごそうと話したことを忘れたの」。ああ、娘に何が起こったか、私には分からなかったのです。

 日本からの電話をいくら待っても、一向に掛かってきません。段々不安が募ってきます。私は、当時暮らしていたイタリアの警察へ相談に行きました。警察は、娘を捜すと約束してくれました。それから2、3か月後、驚くべきニュースがやっ
てきました。娘は、日本でなく北朝鮮にいるというのです!

 一体どういうことなのか、わけが分かりません。聞いたことすらないような国に、なぜ彼女は行ったのか。娘の身に何が起こったのか。私は怖くなり気が動転しましたが、地図の上でどこにあるのかさえ分からない所にどうやって連絡を取
ればよいのか、私に分かるはずもありません。私にできるのは、ただもう一度警察を訪れ、さらに助けを求めることだけでした。

 苦悩と不安に苛まれつつ数か月が経った頃、レバノンから知らせがありました。私のシハームが帰ってきたというのです! 私は彼女に会うため飛んで行きました。再び娘の顔が見られて、本当に幸せでした。政府当局者によれば、シハームを含む4人のレバノン人の女の子がだまされ、北朝鮮に連れていかれたとのことです。日本での素晴らしい仕事、000ドルの月給等々……、すべてウソだったのです。私は、北朝鮮がなぜそんな策略によって無垢な女の子をおびき寄せよ
うとするのか理解できませんでした。しかし、娘に会えた嬉しさが先に立ち、それ以上深くは考えませんでした。彼女は落ち込んで見えましたが、まだ若いし、すぐにこの悪夢を克服できるだろうと考えていました。

 数週間が経ち、私は再び娘のことが心配になってきました。精神的に参っていましたし、健康状態が非常に悪かったのです。ある日、彼女の目をのぞき込んで尋ねました。「一体何があったの」。娘は泣き出し、告白しました。あるアメリ
カ人男性の子どもを身ごもっているというのです。北朝鮮で自分を守ってくれた人で、もしその人と結婚していなければ、はるかにひどい扱いを受けたはずだというのです。

 私は衝撃を受け、頭が混乱しました。しかし自分を納得させようと努めました。今や、彼女には夫と赤ん坊がいる。今や、家族が出来た。そのアメリカ人男性は、娘によくしてくれているようだ。娘の性格はよく分かっている。ある人の子ども
が出来たなら、彼女は、その人と結婚し生涯を共に暮らすことを選ぶ。だから結局、私は、娘が男性の待つ北朝鮮に戻ることを許したのです。

 ああ、大きな、おそるべき誤りでした。北朝鮮がどんなところか知っていたら、決して娘を行かせはしなかったでしょう。警察を呼んででも、娘を止めにかかったはずです。

 娘は27年間、北朝鮮で暮らしています。その間、ほとんど会っていません。一度私は北朝鮮に行きました。娘に幸せな様子はまったく見られませんでした。北朝鮮側が何を隠そうとしたのか知りませんが、娘の家を訪れることすら許され
ませんでした。彼らは一軒の家を用意し、そこを私と娘、娘の家族の滞在場所にしました。どこへ行くにも、当局の人間が付いてきて私たちを監視していました。娘は生活について悪いことは一言も言いませんでしたが、私には彼女が何を考え
ているか分かりました。見送りに来た空港で、娘は泣きつづけました。

 娘からは、年に一度、ふつう、私の誕生日に電話がありますが、ほとんどしゃべろうとしません。ただ私に大丈夫かと尋ね、自分たちは大丈夫だというだけです。彼女が話せないことは分かっていますから、こちらからも多くを聞こうとはしません。

 でも娘の身体を案じています。健康状態が悪化しているのです。本当に心配でたまりません。かたわらで看取ってやれないまま娘は死ぬのではないか、私が死ぬとき娘はそばにおれないのではないか、そんなことを考えてしまいます。運命
を受け入れる以外ないのかも知れません。

 北朝鮮は、私の娘の人生を台無しにしました。彼らは、娘の夢に付け入ったのです。外国で働き、きちんとして仕事に就き、お金を稼いで私を助けるというのが彼女の夢でした。彼らは、娘の純真さに付け込み、私たちの夢を破壊したので
す。シハームとその母、私の夢をです。引退した後は娘とともに暮らすというのが私の夢でした。いま、私はレバノンに一人でいます。

 娘は何千マイルも離れたところで、夫に先立たれ暮らしています。シハームは、私のたった一人の子どもです。私は、娘と、孫と一緒に過ごしたいのです。

 彼女がレバノンに帰ってきた時、どうして支えてやればよいのかは分かりません。レバノン政府は助けてくれないでしょう。娘を北朝鮮に帰したのは、あなた自身の判断ではないか。政府はそう言うでしょう。レバノンに、私を支えてくれ
る人はいません。だから、私は娘を取り戻すという望みをほとんど捨てかけていました。

 しかし、今回、日本で多くの人と知り合うことが出来ました。痛みを共有し合いました。いつか娘と暮らせる日が来るという希望を、私は再び得ることが出来ました。日本やタイの人々と力を合わせ、娘たちと母親たちが、息子たちと父親
たちが、再びともに暮らせるよう頑張ります。

 最後にもう一度、日本の皆様にお礼を申し上げます。皆様の支援なしには、私が娘を取り返すことなどありえないでしょう。本当にありがとうございます。

2005年12月19日

一時休載のお知らせ

年末を迎え、いよいよ忙しくなって参りました。
ご訪問の皆様はお変わりなくお過ごしでしょうか?
寒波の襲来で各地で軒並み記録的な積雪被害が発生しているようです。
なかでも豪雪地帯にお住まいの皆様方へ、この場を借りてお見舞いを申し上げます。
くれぐれも事故などありませんよう、ご自愛くださいませ。

さて現在取り組み中の「救出の為に日米韓連帯を!東京集会」のテキスト化ですが、仕事の方がいよいよ忙しくなってきたため、テキスト化のための時間を確保するのが大変難しい状況になってきました。
現在第2部のワシントン訪問報告まで完了、残りは第3部のタイ訪問報告を残すのみとなり、出来れば国民大集会前に完成させたかったのですが、やむを得ず一時中断とさせていただきたく存じます。

尚、本業多忙のため明日よりしばらくの間、Blogの更新そのものも一時的に休載させて頂きたいと思っております。
国民大集会のレポートくらいはアップしたいと思っているのですが、確約は出来ない状況です。
悪しからずご了承の程を・・・<(_ _)>

再開は仕事納め後の今月29日か30日くらいを予定しています。
勝手を言って申し訳ありませんがご理解の上、テキスト化の再開をお待ちいただきたく存じます。
コメント・TBはご自由にどうぞ。
ただしレスをつける余力はおそらく無い物と思われますので、こちらも悪しからずご了承くださいませ。

22日の日比谷での国民大集会には万難を排して駆けつける予定。
こちらの集会もいつものように録音を録りテキスト化の予定ですが、これは訪タイ報告のテキストに続き、年末年始のお休みの間に随時ご紹介の予定です。
posted by ぴろん at 20:30| Comment(2) | TrackBack(0) | ご挨拶&お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(10)05.11.23 友愛会館にて

『島田洋一 副会長のお話』

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私の方からは具体的な点についていくつか補足をしたいんですが、今増元さん、それから横田さんの話にもありましたように、我々面会したのはホワイトハウス国家安全保障会議のアジア上級部長である、マイケル・グリーン氏。
彼がですね。
別れ際に、日本は北に対する締め付けと言う点では良くやってるんではないですか?と、言いましたけれども。
それは一つに相対的に韓国とかですね、が酷過ぎると。
それに比べればですね、良くやっていると見えるでしょうし。
かつ、大使館の方も同行してましたんで、日本政府の方がおられましたんで日本政府の方がおられる前でですね。
日本はまだまだと言うわけにも行かない、いう点もあったと思いますが。
ただ法律で出来る範囲であってもですね。
日本政府も経済産業省による取締りとか、やってることは事実だと思います。

ただですね。
金融制裁が効くと言う話も出てましたけども、実はそのアメリカの金融制裁に関係する、北に関する銀行に対する金融制裁のオペレーションのまとめ役をやってる人間と実は会うことがありまして、彼が言うにはですね。
日本の経産省等が北に対して取引をしている企業を取り締まり締め付けていると言うのは良いんだけれども、ただ日本はですね。
「傷つけ」はするけど「殺し」まではやってない。
いまや殺しきる段階までやるべき所まで来ている。
そういう発言をしておりました。
そういった発言を鑑みればですね。
まだまだ日本政府が現行法の枠内で、北と怪しい協力をしている企業を締め付けを出来る余地は相当残ってるんじゃないかな?と思います。

アメリカのブッシュ政権の対北朝鮮戦略、一体どう考えているんだ?と。
率直に皆さんに聞いたんですが、彼らの中心に位置する政府高官が大変率直に語ってくれまして、北朝鮮が交渉で核を放棄するはずが無い、と断言しました。
で、北が6者協議に出てきたり出て来なかったりは、あれは何をしているか?
要するに時間稼ぎをしている。
ブッシュ政権が終わるあと3年間、こういう感じで時間稼ぎをしながら、秘密核開発を続けると。
で、次にですね。
甘い政権が出てきてくれれば、まぁ要するにクリントン的なですね。
北側の核開発を事実上黙認して、経済支援。
で、日本に対してですね、正常化したら良いんじゃないか?と言うアドバイスをする。
そういう政権になるのを期待してですね。
時間稼ぎをしているんだと。

それに対しアメリカはどうするのか?ですけれども、要するに締め上げを強めていく。
言う事で、その政府高官もそうですし、また複数の方がモデルケースとしてあげたのが、マカオのバンコ・デルタ・アジアと言う銀行に対して9月15日付で、アメリカ財務相が制裁を発動しました。
でこの実は例の第4回6者会議で共同声明。
形だけのものですけど、あれが出たのが9月19日ですけれども、その直前の9月15日に制裁を発動しているんですね。
その理由はこのバンコ・デルタ・アジアと言う銀行は、北朝鮮の自ら手下となってウィりングホーンと言う表現を使ってますけど、ホーンと言うのが手下というんですが。
ウィリング(willing)と言うのが自ら進んで、北の手下となってマネーロンダリング、あるいは偽札の行使。
というのに協力をしている、べったりくっついている、と言うそういう理由でですね。

アメリカの愛国者法、パトリオットアクト(Patriot Act)の311条を発動して、これをですね。
今後もパトリオットアクト311条で全て行くんだと口にしている人が何人もいました。
後でもう一辺補足しますが、何で金融面で追求するのかと言うと、金融であればですね。
北朝鮮を痛めつけられるのと同時に中国に対しても圧力になる、言う事であります。
で、そういう意味でもバンコ・デルタ・アジアはモデルケースだというわけですが、若干説明するとですね。
これは9月15日にアメリカ財務省が制裁を発動する旨の布告をしました。
その直後にバンコ・デルタ・アジアの各支店は預金者の取り付けが遭ってですね。
一日で10%〜20%の預金が逃げたと。
バンコ・デルタ・アジアは慌てて、実は東京にも支店があるんですけども、北朝鮮との取引をとにかく一切中止するという宣言を即座にしました。
一時的にですね。
マカオの特別行政地区、マカオは中国の政権下ですけども、マカオ特別行政区に事実上下駄をちょっと預ける、運営をちょっと預けると言うですね。
大変劇的な状況になっている。

そして面白いのはですね。
これは実は9月15日にバンコ・デルタ・アジアを指定する前に、アメリカ財務省は意図的なリークをしてまして。
そのリークの中ではバンコ・デルタ・アジアだけじゃなくてバンク・オブ・チャイナ、中国銀行。
中国最大の銀行であります、バンク・オブ・チャイナも怪しいと。
で、これはあくまでリーク情報として。
ただごく最近もですね。
アメリカ財務省でこの問題を監督しているのが、スチュワート・レビーという不法行為担当の次官なんですけども、このレビー氏が、実はバンク・オブ・チャイナも制裁対象として検討されていると報じられているが実際どうなんだ?と聞かれてですね。
その点についてはイエスともノーとも言えないと、ような言う言い方をしておったと。
もしバンク・オブ・チャイナに取り付けなどと、アメリカ財務省制裁、で取り付け騒ぎなどと言うことがあればですね
これは中国経済に対し、大変なブレーキであるし。
アメリカにだって金を借りていますから簡単には出来ないと。
ただ要するに金融で制裁をチラつかせる事によって、中国に対してもですね。
北朝鮮がらみで怪しい取引を中国も銀行にやらせてたら、持たなくなりますよと言う圧力をかけてるわけですね、ハッキリ言って。

これは北にとっては大変痛い、と言うことは北朝鮮自身が自白をしておるんです。
つい先日11月9日〜11月11日まで開かれた第4回6者協議、北の代表金桂寛(キム・ケグァン)が議場の中でもあるいは外の記者会見でも一貫して繰り返し言ってたのが、バンコ・デルタ・アジアに対するアメリカの制裁はけしからん。
ああいう事をアメリカがやるんだったら今後6者協議には出る事は出来ない、と言っとるわけですね。
いかに北にとって痛かったか?いう証拠だと思うんですが。
日本に関して言えば、よく日本でですね。
制裁をやるとそれを口実に6者協議に出ないなんて事を言い兼ねないから制裁すべきでないとか言う人がいますが、アメリカは現にですね。
それやったら協議に出ませんよと(北が)言ってる制裁をやった。
だから日本だって気にする必要は無いと、言う事であります。

その制裁に絡んで国防総省のテクノロジー強化部長であるエドワード・ティパレッジというのがですね。
我々に対して盛んに、例の朝鮮総連の科協(在日本朝鮮人科学技術協会)ですね。
この間西新井の病院に警察が手入れをしましたけども、あれ狙いは藤田進さん拉致の方ではないかと言われてましたが、実は本当の狙いは科協、日本からいろんなテクノロジー情報を北に流した。
科協をどうもターゲットにしたらしいですけれど、アメリカがですね。
ミサイルなどのテクノロジーの強化を担当するディレクターですね。
次官補レベルの方ですけども科協問題に関して、今後も追いかけていくと言う事でした。

それでですね。
こういう事で要するに6者協議なんていうのは猿芝居なんだと言う、アメリカの政府高官はきちんと認識を持っていて。
北も猿芝居だと分かった上で出たり出なかったり、陰で核兵器の開発をする。
アメリカも猿芝居だと分かっているので影で北が何を言おうが、金融政策を中心に締め付けをやっていく。
パトリオットアクトこれを愛国者法311条はアメリカが制裁した場合、関係者国に協力を求めなければいけないという義務規定があるんですね。
だから間違いなく日本に対しても金融制裁で協力してくれという協力依頼が来ているという話、来ています。
更に自民党・政府でもこの金融面での北からの怪しい取引の取り締まり強化を言い出してますけど、間違いなく日米、アメリカからの連携と言う流れにあると思います。

あとですね。
ヘンリー・ハイド下院国際関係委員長の面談についてはすでにお二人が話されましたけれども、現在政権もそれから議会の方も強硬派が多い共和党が握っとるのというのは、まぁ我々にとっては有利な状況だと思うんですが。
ただアメリカの内部でもですね。
やはり日本同様色々せめぎ合いがあって北朝鮮のですね。
北朝鮮を普通の国としてイメージアップするのに協力する議員もいる。
それがまさにですね、先ほど話に出た丁度我々がヘンリー・ハイド委員長に会ってる同じ時間に同じビルの中で、北朝鮮国連代表部次席大使と言う肩書きを持つ工作員、ハン・ソンニョルがですね。
対話重視派議員、融和派議員と国務省の招待で短い講演をするということがありました。

その点に関してはですね。
エピソードをちょっとだけ紹介すれば、同じ日の午後一時半から脱北者で、対北向けラジオ放送をやろうとしているキム・ソンミンと言う人を議会に呼んで公聴会をやろうとしていたんですね。
強硬派の議員が呼んだんですが、そのキム・ソンミン氏とハン・ソンニョルがゴールドルームと言うわりと広い部屋なんですけど、鉢合わせしたと。
ワシントン・タイムスと言う新聞が詳しく書いているんですが、キム・ソンミン氏がですね。
そのハン・ソンニョルに向って「金正日追放こそが朝鮮半島の平和への道だ」と、そういうふうに話しかけたというか言葉を投げ掛けた。
それに対してハン・ソンニョルが「お前死にたいのか」と言ったって言うんですけども。
それを新聞が、ジョン・マッカーシーが、有名なコラムニストですけれどインサイド・デイトレイジ、デイトレイジというのは日本で言えば霞ヶ関・永田町に当たる言葉ですが、そのコラム、これかなり読者が多いコラムですが、その模様を取り上げたんですね。

実は先ほどから出ています、ヘンリー・ハイド委員長の北朝鮮に対する抗議書簡、これはですね。
拉致問題を解決しなければ、一つの話ですね。
仮に核問題に関してアメリカ政府が北へ経済支援をするとかテロ支援国リストから解除するとか国交を正常化するとか、政権が決めても議会が絶対に承知しない。
そういう内容がひとつ入っている。
もうひとつはですね、私の事務所のあるこの下院のビルの中で、そして我がアメリカ議会が証人としてわざわざ呼んだ人に対して「お前死にたいのか」ということを言うと。
何考えてるんだと言うですね。
ふざけるんじゃないとそういう内容もその書簡の中に入っているわけです。

ただ注意しなければいけないのはやはりアメリカ議会の中でもせめぎあいと言うのがあると言いましたけど実はワシントン・タイムスと言う新聞に載ったコラム。
これはスザンヌ・ショルティさんの言葉等も引用されているんですけども、そのショルティさんがですね。
北に対して厳しい立場を取ろうとする優れた議員がいる反面ですね。
北のイメージアップに手を貸そうとする、北の人権抑圧を覆い隠すような行為に手助けするような嘆かわしい議員もいると。
そういう事を書きまして、それに対してその嘆かわしい議員の一人であるカート・ウェルダン(共和党下院議員)って言う議員がですね。
スザンヌ・ショルティを嘘つきだと、言うような事を言い、またその記事を書いた記者なんかをですね。
あいつらパパラッチだと。

それに対してスザンヌ・ショルティさんの周辺が何を恥ずかしい、血迷った事を、議員ともあろう者が。
まぁ今でも論争が続いているんですけども、アメリカの中でもですね。
我々支援してくれる人たち、決してそういう意味では楽な戦いをしているわけではなくて、足を引っ張ろうとする勢力があるわけです。
やはりこちらからもですね。
例のタイの件、あるいはマカオの件、シンガポールの件等に関してですね。
どんどん拉致問題国際的に大きくし、その事によってこのアメリカで戦っている我々の同志に対して、こちらからも追い風を送って行く必要があるだろうと思います。

それでですね。
最近国務省のクリストファー・ヒル次官補もですね。
相当保守派からあんな情けない共同声明にサインして、その後立場がはっきりしなくて恥ずかしくないのか?とかなりボロクソに言われているみたいで、本人もかなり堪えてるみたいで。
実はブッシュ大統領がソウルにAPECに出席する為に数日前に行きましたけども、クリストファー・ヒルも同行しましてですね。
ヒル氏がソウルでインタビューって言うか学生を前に講演をしている中でですね。
ハッキリと意外に言ってるんですね。
核問題がどうなろうが、強制収容所を持っているような国とアメリカは正常化をしない。
いうことをクリストファー・ヒル氏が、国務省ですからどちらかと言うと人権問題について余りはっきりと言いたがらない体質があるんですけども、そのヒルがそういった発言をしたと言う事はいかに保守派からの圧力が窺がわれると言う事であると思います。

日本でも人権特使を作ってくれと話があるんですけども、それこそですね。
猪口邦子氏をですね、軍縮大使とかに任命したとかいう悪しき実例もあるんですが、(小さな笑い声)あんな程度の人でも大使にしとる訳ですから。
彼女まだ40代の終わりくらいの年齢でですね。
日本でもまぁ西岡さんあたりにですね。
人権特使に任命すべきなんです。(拍手)

それでですね、というわけでアメリカは要するに制裁を発動しているわけです。
従って日本もですね。
いくら我慢がよくたって、待ったを掛けられているということもないので、アメリカ政府の高官の話も紹介しましたけど、6者協議と言うのははっきりと猿芝居とアメリカも認識しているので、メジャー(なマスコミ)は6者協議の取材をする必要は無い。(笑い声)
私は思いますけども、私も6者協議のニュースは余り真剣に見てないですけども。
それよりもマカオに行って取材する。
拉致問題の現場でありますから、各メディアの高い取材スタッフはですね。
ぜひ6者協議の取材はもう止めた方がいいんじゃないでしょうか、と思います。
じゃあ、取り合えず・・・(拍手)

・・・・・・・・・・
05.1.2 本文の一部を訂正しました。 

12月22日、日比谷公会堂での国民大集会を成功させよう!

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国民大集会に向けて街頭活動
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22日国民大集会に向けて、集会を案内し、世論に拉致を訴えるため街頭活動が行われます。
19日〜21日 3日間連続街頭活動

19日 (月)  有楽町マリオン前   夕方5時から7時まで
20日 (火)  有楽町マリオン前   夕方5時から7時まで
21日 (水)  新橋SL広場     夕方5時から7時まで

22日の国民集会のご案内のチラシを配布いたします。
お時間のある方はご協力をお願いいたします。
責任者 救う会 古藤  連絡先 09090071182

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12月22日(木)国民大集会 東京
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めぐみさんたちは生きている!
  制裁発動で拉致被害者救出を!
    国民大集会
日   時: 12月22日(木)午後6時半〜8時半 5時半開場(先着順)
場   所: 日比谷公会堂
司   会: 櫻井よしこ・ジャーナリスト
登壇予定者: 横田滋・早紀江代表夫妻等家族会10名余
       佐藤勝巳救う会会長他全国幹事
       平沼赳夫拉致議連会長等
       特定失踪者家族・特定失踪者問題調査会役員
       韓国・拉致被害者家族
       安明進・元北朝鮮工作員他
       タイ国のスカム・パンジョイさん(アノチャ・パンジョイさんの兄)来日予定
会場案内 : 千代田区日比谷公園1−3
       地下鉄霞ヶ関駅B3出口、内幸町駅A7出口、日比谷駅A14出口
       より各徒歩3分
参 加 費: 無料(会場カンパ歓迎)
主   催: 家族会・救う会全国協議会・拉致議連
連 絡 先: 〒112-0033東京都文京区音羽1-17-11-905
      電話03-3946-5780 FAX03-3946-5784
posted by ぴろん at 10:09| Comment(1) | TrackBack(0) | ご挨拶&お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(9)05.11.23 友愛会館にて

『横田拓也 家族会事務局次長のお話』

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横田拓也と申します。
よろしくお願いします。
今日はまず初めに、お休みにも拘らず皆様お越し頂きました事、御礼申し上げます。
それから先ほど増元照明事務局長からもお話がございましたように、今回の訪米に付きましてはですね。
内閣官房の調整室と在米の日本大使館の皆様方とそれからご紹介のあった、今日お見えになっています楠城氏他、現地のスタッフの方々の本当に絶大なるご協力があってですね。
大きな成果を獲得する事が出来ました事を重ねて御礼申し上げたいと思います。
私の方からは(訪米の)目的とですね、成果。
あと具体的なアウトプット、あと今後の課題という4つのお話を簡単に申し上げたいと思います。

目的につきましては、まぁこちらの本の中に書かれているのかも知れません。
今増元さんの方からお話があった通りではあるんですが、そのほかにも簡単にお話したいと思います。
私たちはたまたまこの拉致問題という事に関しまして、皆様方に常にお訴えをしているわけなんですが、この日本国内では拉致問題と並行的に6者協議、そして日朝対話と言うことが10月の下旬の中で開かれ展開していたわけでございます。
この政治的な流れ、もしくは二国間の流れにおいて、私たちもこの拉致問題がピンボケしてしまわないようにしなければいけないという事で、訪米を持ってこのニュースの価値をあげていく必要があっただろうということを考えると言うのが一点です。

後、先ほど増元さんの方からもお話ありましたが、国際協議においてとかくこの形式的に合意がなされて、実質的な実があったのかどうか?
つまりアメリカの真意が何処に行ってしまったのかどうか?と言う事を確認をするために、直接政府・議会の関係者の方とお会いいたしまして、確認をしに行ったということが2点目でございます。

あと先ほどの話と重なる所があるんですが6者協議の中ではとかく核の問題、安全保障の問題が優先的に話し合われているわけでございます。
私たちは日本の国民の一人としては安全保障の問題、大きな懸念事項であるんですが、こちらとしては人権の問題であります。
そういう意味では核の問題の他に人権問題をどう考えているのか?と言う確認と、重ねてこの拉致問題が深刻な状態にあるんだという事をアメリカ政府・議会関係者の方々に改めてお伝えしに行ったと、言う事でございます。

ニュースにつきましてはアメリカ国内の方々、多くの方々がご存知でしたけれども、昨年末の「めぐみの骨」と称します物。
彼らの欺瞞工作について改めて多くの方にご説明申しあげて、そして皆様方もご記憶に新しい、めぐみが拉致されて半年後くらいに北朝鮮で写された北朝鮮国内で寂しい顔をした写真があったと思うんですが、あの経緯についてお話をしてまいりました。
増元事務局長の方からは、中心的にタイとか他の多くの国々で日本人・韓国人以外にも拉致が成されていたんだという事も説明させていただきまして、この拉致問題が世界規模の広がりを見せているんだという事も説明させていただきました。

また今回は訪米におきまして具体的には接触する事は出来ませんでしたけれども、本来であれば、ワシントンの他にニューヨークの国連にお邪魔をしてボルトン国連大使と会いまして、この国連安保理の付託の打ち合わせですとか、人権委員会への流れも確認しに行くという事も考えてはいたんですが。
国連の中での動きと言うものが私たちの行程と折り合うことが出来ませんでした為に、今回はワシントンDCのみでの活動という事になった次第でございます。

当初、決まっていた物も多くあったんですが、全ての日にちにおいて全てが決まっていたわけでもなかったんですが、結果的に訪米した(後)、現地に行ってからですね。
事後増殖的に予定が入っていった。
これは私たちの力ではなくて、あちらにいらっしゃる多くの議会関係者の方、政府高官の方々が「あの方にも会って置けよ」と、言う助言を持ってですね。
私たちの行く所に全ての道筋をつけて頂いたという事では、この問題の高さ、関心の深さを改めて感じた訪米でもありました。

もう一つは私からは本当は申し上げるつもりは無かったんですが、すでにある新聞などで書かれているんでこちらでも申し上げたいと思うんですが。
丁度11月15日が横田めぐみが拉致された日でありまして、11月15日〜16日にブッシュ大統領が日米首脳会談で日本へお見えになりました。
そのタイミングでこの拉致問題・人権問題をどうか口にして頂けないかと、多くの方々にお願いをしてきたわけです。
訪米が終わった後にも成田の記者会見で申し上げましたけども、この件に付いては実は伏せておりましたけど。
結果的にいろんな日米首脳会談の結果につきましても宮沢さんとか中曽根さんとかが、「余り中身があったとは言えないね」と言ういろんな報道をなされておりますけども、その中に拉致の問題・人権問題がブッシュ大統領の口から言及されたという事については、私たちの訪米の大きな成果であったのかな?と思っております。

その成果の中でお会いして頂いた議会関係者・政府関係者の方々のコメントをいくつかご紹介したいと思います。
ただ、先方のお立場とか、オープン・クローズっていう問題があるんで、あえて日時ですとかどなたがとかは伏せた状態でアットランダムな形で話を申し上げたいと思います。
これも私たちが訴えてきた内容とほとんど合致することではあるんですが、私たちの活動、人権問題・拉致問題をクローズアップさせていく事は、とても大事な事ですよと。
イコール北朝鮮にとってはとても大きな圧力になるはずですよ、と言う事を仰ってました。

で、ある高官についてはですね。
6者協議の中で合意がなされた翌日に北朝鮮が更に大口叩いた結果については、あんな物はどっちでも良いというかですね。
結局彼らは言いたいことは言うけれども、アメリカ政府としてはこれは6者協議の約束を守った後にしか北朝鮮にとっては見返りは無いんだと言う事は明言されていました。

また私たちも、もしくは日本政府も拉致問題の解決なくして国交正常化は有り得ないと言う事は統一見解として出されておりますけれども、アメリカ政府としてもですね。
日本のこの拉致問題・人権問題解決されなければ、米朝間の国交正常化はありえないということは仰ってました。
またこの拉致問題については、核の問題の問題と同時に大きな関心を寄せている所であるということは仰っていました。

先ほど増元事務局長から最後にお話がありましたけれども私たちが求めている北朝鮮への経済制裁、これはとても有効でしょうと言う事を仰ってました。
とりわけ贅沢品に絞ってですね。
彼らの政府高官・軍高官に行ってるような物を絞っていく事にはとても意味があるんじゃないか?と言う事を仰ってました。
その例えとしてですね。
これはまた違う方が仰ってたんですが、結局は日本国内の、先ほど第1部の方でもお話がありましたように、経済制裁をすると(北朝鮮の)一般の国民の方が飢えて苦しんでいるのではないかといったまやかしの議論がよく横行するわけなんですが、そんなことは決して無いんだと。
元々が北朝鮮は宮殿経済、「パレスエコノミー」と言う言葉を例えられていましたけど、そこにしか経済と食べ物・着る物・贅沢品が行ってないんで、そこを止めることは一般の方に苦しみを与えないんだと。
私たちが戦っている敵に効果が有るんだということを明言されていました。
とても意味があると思います。
その意味で私たちは経済制裁と言う言葉を口にしているんですが、スマートサンクションですとかターニングサンクション、要は絞った制裁なんだという事葉を使ったらどうか?といった助言もあったくらいでして、私たちが訴えている具体的な行動案と言う物を、全く正しいという事が実感した次第でございます。

あとあえてこの人だけは特定して申し上げたいんですが、今回の訪米の目的で、人権に焦点を当てていくという具体的な形で、J・レフコウィッツさん、大統領特使の方と会うと言うのが目的の一つでした。
この方と直接お会いしまして、アメリカ政府としてはこれは譲れない問題だと言う事を仰っておりましたけれども、その中でですね。
これはまた違う有る方なんですが、日本においても人権特使を設定されたらどうか?と言うことは仰ってましたし。
これはアメリカ政府の共通認識であるということは仰ってました。
これは後でお話しするように具体的なアウトプットとして省く事なんですが、実際に安倍官房長官が数日前に人権特使の設定を検討しようかと言う話も口にされ始めていますから、やはり今回の訪米の結果ですとかアメリカ政府からのお口添えと言うものが具体的な形として表れてきたのかな?と言うふうに考えています。

またNGOの方々が主催されるいろいろな夕食会ですとか打ち合わせ会とかに、多く参加いたしました。
この拉致問題が実にアメリカ国内で広く浸透し始めているという事を実感いたしました。
私たちは人権問題の中でもとりわけ拉致問題に関して取り組みをいつもしているんですが、先ほど増元事務局長の方からお話がありましたようにですね。
実際現地で会って政治犯キャンプの問題ですとかですね。
人権侵害とか、そういった問題に対してあらゆる組織・団体の方々が同じ目的を違うアプローチで検討し始めている。
広がっているという事で、日本から拉致問題を紹介する時に更にこんな問題があったのか?と言う認知で広がったという意味では、国際的な広がりをますます拡大していくだろうという実感をした次第でございます。
向こうのNGOの中にラジオ、短波放送(RFA、自由アジア放送)、北朝鮮向けに出している団体もいらっしゃいました。
私たちの日本国内でも特定失踪者問題調査会の荒木代表が同じ試みをされておりますけれども、そこと連携しようじゃないかと言ったようなお話も向こうの方からお話もありましたし、それも国際的な広がりが具体化して来ようかと、いうふうに思っています。

私の方からある方とお話をさせていただいたときに、これ私個人的に思い込んでる話なんですが、めぐみまたは他の誰かがですね。
拉致をされていく経過の中で、万景峰号で拉致をされたケースが私はあるんじゃないか?と思っています。
それは根拠はありません。
ただあらゆる疑いからそういう疑いを捨て切れないと私は思っておりまして、その中で万景峰号を私たちは国会を通した制裁法を通過させる為に、もっとアメリカの方からも規制強化をする必要があるんじゃないかと言う事をお願いかたがたしてきました。
ただこの問題日本国内で決めた法案の問題なので私がお話した相手の方はですね。
それはちょっと政治的な問題なのでそれに対してはちょっと言う立場には無いけれど、ただ不法行為がされているのだとしたら監視の強化は緩めないと言う事を仰っていただいたのは、私自身にとっては印象的な内容でした。
今後もさらに強化をしていく必要があるというお話でした。

私も日本政府は良くやっていると言う言葉の裏には、私は日本政府がこの問題真剣に取り組んでいるのか分かりませんけど、ただ経産相がやってるPSIにはアメリカ政府は大変意義があると仰ってましたし、今後更に強化していくと仰っていました。
後もう一つは私たちは経済制裁、特定船舶入港禁止法と改正外為法のお話をしているんですが、過去にPSIとかあるんですけども、このほかにマネーロンダリングを始めとする金融面での強化を図っていく必要があるし、それはとても効果があると言う事をおっしゃっていました。
これは後ほどの所でもう一回触れたいと思います。

今度の訪米で具体的に何が起きたのかと言う事をお話したいと思います。
ひとつは先ほどのブッシュ大統領からの人権問題への言及と、後は安倍官房長官から人権特使のポストの設定の可能性があったこと。
訪米後に増元さんからお話のあった、ハイド委員長からですね。
アメリカから北朝鮮の国連大使に対して行った、10月15日までに横田めぐみを即座に解放せよという警告文を具体的に流していただいた事。
これは本当に具体的な大きな形として実現したわけでございます。

昨日・今日の新聞で皆さんも一面、社会面で出ているかも知れないと思いますけども、これは日本政府としては直接関係ないと言ってるようでございますが、朝鮮総連へのお金の取り立てですとかね。
そういったものが具体的に金融面からの強い強化が図られてきたというのは、分離した話ではなくて、私たちから見るとつながった話、アメリカからの圧力があって日本も動いているんじゃないかと言う見方をしております。
更にKEDOの中止と言う事も 私たちの訪米結果と言うのは本当に実に多くの皆様方に支えられてですね。
国際的な規模、そして日米で展開して来たと言った内容かと思います。

ただ今後の課題としては、やはり日本政府の取り組みとしてはどうも甘いと私は言わざるを得ないと思います。
それは拉致の被害者、政府認定の方々がどうして小規模で留めておく必要があるのか?といった事。
今日のこの会場には特定失踪者の家族の方も見えてますけど、相談件数は450件くらいも特定失踪者調査会に来ているそうでございます。
その中において11件16人と言う政府認定と言うのは余りにも遅すぎるし、この取り組みの姿勢がちょっと甘すぎるんじゃないかと言う事を思います。
具体的に人権特使をポストを設定されてもっと北朝鮮に対して毅然たる態度を取っていただくと共にですね。
この拉致問題解決の為に具体策を練っていただきたいと思います。

この人権特使と言うのはアメリカにおいてはクリストファー・ヒルとレフコウィッツという二人ですが、6者協議と人権問題と言うのを切り分けているわけですが、ある高官の方が大変面白い意義深い事を仰っていました。
この二人を分けていると言うのは仮に日本みたいに一人でやってしまうと結局日朝間なり米朝間なりで協議があった場合、こっちの問題は許すからこっちの問題をやってくれとか、バーター的な取引があって片付けられてしまう、捨てられてしまうその危険があるのでこの問題を分けてですね。
それそれが交渉を迫ることにとても意味があるんだと、言う事を仰ってました。
その意味で日本もですね。
佐々江局長が精力的にやってくださってますけど、また違う方でこの人権問題・拉致問題のアプローチをですね。
それぞれ迫っていただく事がこの拉致問題、被害者を一刻も早く取り戻す早道だと私は信じております。

後もう一つは今日の第1部でもお話がありましたし、私たち国内においても特定失踪者の方々が、多くのポスター失踪者の載ったポスターがあるわけでございます。
国際的規模、タイの方とかルーマニアですとか、増元事務局長と西岡副会長がいろんな国に行ってですね。
この問題の真相解明に向けて格闘しておりますけども、やはりこれだけ数が多いとですね。
これは私自身の個人的な考え方ではあるんですけども、ご帰国されている方がどなたか見られている可能性は無いのか?と言うことを私自身思うわけでございます。

当時5人の方がご帰国をされた時にですね。
横田めぐみの話を中心的に話された事はご記憶に新しいかと思います。
増元(るみこ)さん他、他の方の件については何も見ていない聞いていないと言う事で、後から見ればご本人たちが直接私たちにお話も頂いておりますけども、北朝鮮政府の差し金によってですね。
横田家を一本釣りするためにですね。
横田めぐみについての情報に絞って情報提供をしていたと言う事実は知られている所でございます。
その中で彼らから話があった内容としては、めぐみが住んでいた家とか、彼ら自身が住んでいた家の近くに幼稚園があったと言う事はご存知かと思うんですが、幼稚園があるということはですね。
人が二人や三人では無いと言うことなんです。

その意味で拉致被害者がある一角に隔離されていて、先ほどの韓国の方々ですとかタイの方々ですとか、もしくは特定失踪者問題調査会に挙げられている460人から100人の、多くの被害者の方と一緒だった可能性はあるんじゃないかな?と、私は思います。
私たちは救う会・家族会ともにですね。
国民の皆様方の力を借りる形でですね。
この問題を世界的に広げようとしてこの問題皆様にもお訴えをしておりますが、この問題合わせてですね。
ご帰国された5人の皆様方に更に自発的自主的にですね。
あの人を見た見ないという事をですね。
お口に頂く事でこの問題更に具体化していくんではないか?と言うふうに思います。
その意味では、私たち自身としてはですね。
家族会・救う会合同で、1対1ではなくて合同でですね。
彼ら5人と会う機会を設けさせていただいて、情報交換が出来ることは出来ないのかな?と思っております。(小さな拍手)

西岡さんがお親しい関係にはありますし、私の横田めぐみと言う言葉を最初に口にしてくださった安明進さん。
亡命元工作員の方がいらっしゃるわけなんですが、この方は私たちが日本の事しか知らないように、北朝鮮の事を良く知ってらっしゃるわけです。
で、ご帰国された方は北朝鮮の事を23、24年間、北朝鮮政府の管理の中ではありますけども北朝鮮国内にいらっしゃったわけであります。
その中でいろんな事を見聞きしたはずでしょうし、生活と言う物を実感しているわけでありますからお互いが見てきたこと感じた事をですね。
情報を補強しあって補完する事が、問題の情報を点と点を線につなげて面と化していく、大きな道筋になると私は感じています。
その意味では今回の訪米のベクトルをもう一歩大きなベクトルにするためにはですね。
日本国内からこの問題にですね。
この問題焦点を当てていく機会を何とか作って行きたいなと思っています。

その意味では12月の22日に、国民大集会他ありますけども、こういった大きなイベントとはまた別にですね。
この問題の仕掛け作りをしていけないかな?と思っています。
私が帰国後に成田空港での記者会見の場でも申し上げましたけども、今回の訪米結果と言う物はですね。
直後には具体的に何も見えた成果はございませんと申し上げました。
おそらくこれから仕掛けが生きてくる訪米だったと申し上げたんですが、今申し上げた事意外にもおそらくいろんな物が有機的につながって行って、この問題がクローズアップされてくると私は信じています。
私たちは本当にこうしてお話で訴えさせていただくしか出来ないんですが、きっとこの問題解決に向けて今着実に進んでいると私は感じておりますし、皆様方に引き続きのご関心をいただければと思いますので宜しくお願い申しあげます。
ありがとうございました。(拍手)

・・・・・・・・・・
05.1.2 本文の一部を訂正しました。 

2005年12月17日

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(8)05.11.23 友愛会館にて

第2部 アメリカ・ワシントン訪問報告

『増元照明 家族会事務局長のお話』


Img_1224.jpg 

皆さんこんにちは。
今紹介されまして、先月の24日日本を立って、30日帰国しました。
訪米の内容は現代コリアの11月号に島田先生書いてありますので、それを読んで頂くと分かると思うんですけども。
まず最初に島田先生に・・・皆さんに40分くらいまで・・・(後は聞き取れず)

詳細に時間してはこれに書いてありますので、私から申し上げる事はありません。
私が向こうに行って感じたことは、最初に・・・(会場より「増元さんもうちょっとマイクに寄って・・・」の声)
はい、分かりました。
訪米に際しては調整室の皆さんにお世話になって、駐米のワシントンの大使館員の皆さんにお世話になった事を申し上げて、御礼申し上げたいと思います。
そこには楠城(ナンジョウ)君って来てらっしゃいますけどこの端にいますけど。
(司会者より「一寸立って」の声、会場席より楠城氏起立して一礼)
つい先日までワシントン在住で、私たちの通訳兼、それから運転手兼、支援者と言う事でず〜っとお世話になりました。
今日本に帰ってこられて、もう働き始めました?
(楠城氏、「1月から新聞社で」の声)1月から、そういうことです。
某新聞社で働かれると思います。

皆さんのご協力を得て有意義な訪米をやってきたんですが、私たちがまずなぜ訪米したのか?
私たち第4回実務者協議、第4回6者会合でまさか合意されないと思っていた共同声明の合意を受けましてアメリカがどういうような考え方をしているかを、それを一寸島田先生に探っていただきたいと思いましたし。
私たちとしてはやはりこの拉致の問題をアメリカに再度考えていただかないと、と訪米させていただきました。

政府関係者、それから民間団体に色々とお話をさせて頂きましたけれども、政府関係者はほとんどこの拉致問題と言う物は認識しておられました。
更に昨年の暮れの横田めぐみさんの偽の遺骨問題、これもほとんどの方が認識されておりました。
それに対して非難と言うか、北朝鮮のやり方に対して怒りを持っておられる方もおられます。
更に私たちがお会いしたのはだいたい保守系の議員と更に保守系の団体の方ですので、その方たちとは私たちの問題と共通認識、北朝鮮の人権問題、そういう点で一致した考え方を持っておられると思います。

そして今アメリカでやはりこの北朝鮮問題が大きな問題として捉えられているのは、日本人拉致・韓国人拉致ではなくて。
更に脱北者、それから北朝鮮の国内において行われている大きな人権侵害、強制収容所等、そちらの方が大きい課題だと私たちは感じているんです。
でも、それでも私たちと結局共通認識として北朝鮮の金正日政権があのままであったら、全ての拉致問題は解決しないと言う共通認識を持ってますので、どのような方法からでも金正日に対し圧力をかけて行かなければならないと思ってますし、私たちの家族は私の姉の人生を奪った金正日を絶対に許す事は出来ませんから。
もしこの拉致問題が解決しても国際刑事裁判所なりに、金正日を訴えていく事も考えております。
その前に北朝鮮の民衆が金正日を許さないと思うんですけれど、それでも私たちは最後まで金正日の責任は追及しなければならないと思っています。

これは本当に金正日の拉致強化指令によって我々多くの同胞や私たちの家族が、一番人生の中で良い時期を北朝鮮と言う過酷な状況の中で過ごさなければならなかった状況に追い込まれた。
この点について私は絶対に許す事はできませんので、どのような方法であれ、アメリカが北朝鮮の人権問題に関心を持ち、そして北朝鮮に圧力をかけていってもらうこと。
これは私たちにとっても大きな力になると思っております。

向こうに行って、マイケル・グリーンさんとか政府関係者に会って一番驚いたのは、日本の政府は良くやってると言う。(少し笑いながら)
私たちは経済制裁と言う観点で、単独の経済制裁を発動したいし、それを支持してもらいたいと言うふうには申し上げたんですけど、日本政府は良くやってるよと言うのが、マイケル・グリーンさんの回答でした。
私たちの目に見えない所でやってるのかどうか?分かりませんが、アメリカとしては日本の政府は良く北朝鮮に対し圧力をかけているよと言う認識を持ってるようです。

それはPSIとかそれからキャッチオールとか、経産省がやってるそういう貿易の制限、それに対して評価をしているのではないか?というふうに感じられましたが、私たちとしてはこの拉致問題を日本の主導で解決しなければならないと考えると、やはりせっかく昨年作られた改正外為法更に特定船舶入港禁止法案、この二つの法案を直ちに実施していただかなければならないという思いでおります。
アメリカは今北朝鮮に対し、どのような考え方でいるのか?
それはまだ基本的には変わっていないんだろうと言うのが、感じております。
今このまんま北朝鮮に時間稼ぎをさせるような、そのような道は選ばないだろうと言うのが、私の感触だったんですが。
今表面的には6者協議の中で、合意をしておりますが、アメリカの保守系の方たちはそれに対し非常に、あのクリストファー・ヒルという国務省の国務次官補に対し、大きな圧力をかけているという事も分かりましたし。
そしてホワイトハウス関係者の中では、北朝鮮の待ってる軽水炉、軽水炉建設を望んでますけどもそれに対し、そういうことは絶対にありえないという強い姿勢を見せておりましたので、更に圧力が強まっていく方向にはなると思います。

もう一つ問題なのは今ブッシュ政権が支持率が落ちているということ、それと中東の方が危機的状況になっているということ。
それは北朝鮮の、東北アジアの危機よりも中東イランの危機の方が、今アメリカの国内では一寸優先順位が上なんではないか?と言うのは感じております。
ですから島田先生が後ほど仰ると思いますが、中東の危機よりもこの北朝鮮の問題、まだイランは核を開発中なんですね。
北朝鮮はすでに持ってると自分で言ってます。
そちらの方が危機的状況だと言う認識が、させて行かなければならないんではないか?と、そのためにも日本が、あの、そうですね、声を発していく。
経済制裁の発動だと、私は思っています。
危機的状況を作るのではなく、ただ北朝鮮がやってることに対して、大きな問題があるという事を世界中に分かってもらう為に、私は単独の制裁発動が必要だと思います。
あるいは道義的声明の意味、制裁の発動を私たちは求めます。

これが先ほど言いましたヘンリー・ハイド(下院国際関係委員長)さんと言う方です。(ハイド氏と一緒に写った写真を掲げる)
この方は4月に訪米した時にも島田さんと私に会っていただきました。
今回は会っていただけないだろうから、ハルピンさんと言うスタッフに御礼だけ申し上げたいと思ってと打診したんですが、会ってくださるとかでお会いしました。
この方は国際関係委員長で私たちが4月に行った時に私たちと面会したその場で、下院の決議案として北朝鮮の韓国人拉致問題それから日本人の拉致問題これを決議しようじゃないか、創案しろとハルピンさんに言って、すぐ命令しまして。
その2カ月くらいで下院に全会一致でその法案が出来ました。
迅速に対応していただくし、非常に北朝鮮の問題に対しては怒りを、韓国の実情に対しても怒りを持って、ちょっとそういう方です。

こちらジム・リーチという、(写真を掲げる)東アジア太平洋問題小委員長の、この前公聴会を開いたそのときのその委員長ですが、この方にもお会いして非常に温和な方で喋る時に、非常に小さい声でゆっくり喋るので良く聞き取れない時もあるんですが。
私たちの問題、拉致問題に関しては多くの事を知っておられましたし、特に横田さんがもう、お会いになった事があると思いますね?アメリカ大使館ですよね?(となりの島田氏に確かめる。島田氏「アメリカです」の声)
そうですよね?(島田氏「拓也さんも会ってると思う」)
非常に温和な方でゆっくりとじっくりと通訳を交えて1時間半くらいお話をしていただきました。

ただこの後に北朝鮮の国連次席大使で、あれは韓成烈(ハン・ソンニョル)がこの下院の施設、レセプションの会場で演説したんですがそこにもジム・リーチ下院委員長は出て、そしてハン・ソンニョルとずっと話をしていて、私たちが下院のレーガン堂ですか。
あそこを出るときにハン・ソンニョルとジム・リーチとが一緒に出てくるところに出くわしまして、向こうが気付いたか分かりませんけども、私は次席大使を見て、そこらへんにいる変なおっさんだなぁと思ったんですけども、何の威厳も無い方だと私思いました。
でもその方を最後までレーガン堂の外まで見送りに出て行かれたので、いろんな話をされたとは思います。
どういう話をされたのか?分かりません。

で、今回の訪米の主目的であるのはレフコウィッツさん。(別の写真を掲げる)
これもすでに写真が出ていると思いますけども、昨年の北朝鮮人権法案で任命された人権特命大使です。
今年の8月くらいになりまして10月、2ヶ月間、まだほとんど動いてない状況なんですが、私たちが行った時点くらいから丁度スタッフも決まり、事務所もある程度決まったので、これから動く。
これからドンドン活動していくということを仰ってました。

ただ、スザンヌ・ショルティさんと言う北朝鮮自由連合の代表に言わせるとちょっと出足が遅いと。
すでにもう2回か3回くらい韓国、それから日本へ行って話をしてきても良いのではないかと仰っておりましたけれども。
とりあえず今年中には来られると思うんですけども、若くて40代前半だと思います。
非常に若くて行動力のある方でありますし、大統領の信任も厚いという事で任命されたようです。
私たちもこの方に期待する部分は大きいかなと言うふうには感じております。

ただ先ほど言ったようにアメリカの真意、それは私は基本的には変わらないしブッシュ政権の間にこの北朝鮮問題をどうにかしなければならないというふうに考えているのはまず間違いないでしょう。
ただそこの中国をもっと活用しなければならないと言う事も考えています。
先日ブッシュさんが中国へ行って人権問題に関して言及されましたけど、あれも北朝鮮の人権問題に通ずる物があると思います。
中国の人権問題を追及することによって、もうちょっとしっかり人権問題を考えろという、そのメッセージを送ったんだと言うふうには私は思っています。
以上です。(拍手)

・・・・・・・・・・
05.1.2 本文の一部を訂正しました。 

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(7)05.11.23 友愛会館にて

『西岡力 副会長 補足のお話』

Img_1221.jpg

ひとつだけですね。
折角持ってきたので紹介しますが、これがその発見された名簿。(名簿を手にとって会場に見せる)
名簿は手書きだったんです。
漢字で書いてあったんですね。
それをボランティアの大学教授と大学生がコンピューターに、ハングルにして入力して、それを今度は印刷して月刊朝鮮と言う所から出したんです。
82959人、拉致被害者の名簿ですね。
韓国政府が1952年に作った物です。

そしてここにですね。(名簿を広げて読み始める)
実は、小さくて分からないかも知れないですけど、ハ・ノホォンと書いてありますけどもハ理事のお父さん。
男・30歳・民防団という保守団体の総務部長をやっていた。
そして拉致されたのが1950年の8月20日だと。
拉致された場所は南川洞(ナムチョンドン)の4−2だと。
住んでた住所は左と同じ。
というふうに名前と職業と拉致された日時と場所と現住所を、韓国政府が調べて名簿にしたんです。

それからこのページを、(別のページを開いて読み上げる)ここを見ますと、李・ソンファン。
これは李美一理事長のお父さんの名前。
男・31歳・工場の工場長。
1950年5月5日、そして拉致の場所が書いてないんですがその後、住所がチョンナンリ181番。
今も李さんはそこに住んでらっしゃって、そこに韓国家族会の事務所があるんです。
お父さん帰って来るまで引っ越さないといってず〜っと今もそこに住んでるわけです。

それからもう一つここ金・ユウヨン。(更に別のページを開いて読み上げる)
これが金理事長のお父さんの名前が書いてありまして、男と。
年齢は書いてないんですが、牧師と書いてあります。
そして1950年8月、それからコンドックウォンと言うところに住んでいたと、いうふうに書いてあります。

つまり具体的に戦中にひとりひとり家族に調査して作ったわけです。
これ韓国政府が作ったんですから。
それなのに韓国政府は自分達が作った名簿が信用出来ないと言ってる。
だいたいその名簿が無かった、無いと言ってた国なんです。
探したのは李理事長です。
そして見つけてきて突きつけたら信用出来ないと言ってる。
今、大韓民国が危機なんです。
大韓民国が当時大韓民国として、北朝鮮と闘っていた大韓民国が北朝鮮の側に付こうとしている。
と言う記事が実はこの名簿からも分かる、と言うことです。

(会場より「その本はいつ出たんですか?」の声)
この本は2003年に出たんです。
2003年の2月に名簿が発見されて2003年の8月に月刊朝鮮が出しまして、そしてこれを出したらですね。
全国から家族が来てうちのお父さんの名前はあるかどうか?と来たんですね。
そしらたば、無い人もいる。
漏れてる人もいる。
戦中に作った物ですから漏れてる人もいるわけです。
つまり8万3千人以上、10万。
今李美一理事長たちは10万人くらいいるんじゃないかと、今考えているわけです。

・・・・・・・・・・
05.1.2 本文の一部を訂正しました。 
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