2005年12月17日

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(6)05.11.23 友愛会館にて

『金聖浩(キム・ソンホ)前理事長・現レインボー財団理事長のお話(通訳・西岡氏)』

★西岡力氏


続いて金聖浩理事長から補足説明と、それから今行っている日韓の学生の交流、また脱北者を救出する方法についての問題について、総合的にお話をしていただきます。

★金聖浩前理事長・現レインボー財団理事長

私は昨年まで拉致被害者家族会として拉致問題解決に全力を尽くしてきましたが、拉致問題を解決する為には根本的には北朝鮮を変えなければいけない。
北朝鮮の内部に対する工作を行おうと考えて、今はレインボー財団と言う財団を作ってそのような事をやっております。

私は一言で申し上げて、金日成・金正日の政治は工作政治だと思っております。
共産主義国家の大変基本的なものが工作政治でありまして、それがまた残忍な政治であります。
戦争中の韓国人拉致そして戦後の韓国人拉致、また日本人拉致は北朝鮮が南を共産化しようと言う政治工作の一環として行った事が明らかになっています。
70年代も後半になり、北朝鮮の武器が老朽化する中で戦争による共産化が難しくなってきた状況で、北朝鮮は南に対する政治工作に基づく共産化に全力を尽くしてそのために拉致を本格化させたのです。

最近北朝鮮から亡命してきた黄長ヨプ(火へんに華)と言う人がこのような話をしています。
韓国が北朝鮮に対する経済的優位を確保するには数十年かかった。
しかし北朝鮮が韓国に対する政治工作を成功させるのに5年しかかからなかった。
今の韓国はその北朝鮮の工作に従って政治そして大学、大学の学生・教授たちの親北一辺倒になっている。
それだけでなくて反米反日もまた北朝鮮の工作によって行われている。
今突然また反日運動が起きているんですが、実は韓国で親日派の人名事典を作ろうと。
そして親日派を糾弾しようと言う人たちの前歴を見ますと、ほとんどが国家保安法、つまり北朝鮮のスパイとして過去に捕まった経験も持っている人達が反日運動を指導している。
北朝鮮の工作に基づく反日運動が活発化して、日本の安保まで危うくなってきているという事であります。

私は今最近北朝鮮から韓国に逃げて来た人たちの大部分の人たちから話を聞き情報を総合しています。
今日本を始めとする国際社会そして韓国も北朝鮮に対して人道支援を大々的に行っているわけです。
その理由について、北朝鮮で飢えて苦しんでいるという理由で人道的支援をしています。
またそのような事をしなければ北朝鮮は刺激を受けて戦争を起こすかもしれないと言う理由になっています。
それは私の知っている所によりますと北朝鮮の実情を全く分からない人たちの論理です。
私たちの得ている情報によりますと国際社会からの支援は金正日の忠誠分子たち、そして平壌に住む一部の人たちだけに配られているんです。
彼らの生活は韓国人よりもあるいは日本人よりももっと贅沢な暮らしをしています。
ベンツに乗っています。
高級マンションで外国からの贅沢品に囲まれて生活しています。

特に平壌を少し出た田舎の地域、特に中朝国境地域の住民は金正日が配給を出さないから自分達で自活して生きろと言う命令が下って、山の一番上までも耕してなんとか少しでも食料を得ようとして、山のてっぺんまで木が切られています。
私は鴨緑江・豆満江の中国側、中朝国境を全部歩いて見ているんですが、国境地帯に林立している北朝鮮の山は全て木が切られてしまって禿山になっています。
畑になっているんです。
そこから得られるホンの少しの食料で何とか延命しているんです。
そこから逃げてきた人たちの話を総合してみますと、国際社会が米や小麦粉を送ったといいますけども、それを食べたという人は誰もいません。
今も北朝鮮にまだ家族が残っていると。
人道支援を一般の人たちが食べられないんだから、金正日を助ける人道支援は止めて経済制裁をして欲しい。
それが金正日を絶つ道になると言うのが脱北者たちが口々に言う言葉であります。(拍手)

私はこのように話しています。
ガン細胞があればその横にある正常な細胞も栄養さえも奪ってしまう。
ガンにかかっている人に栄養を与えればガンに勝つ事ができるんじゃないかと考えますが、実は正常な細胞に入った栄養までガン細胞が食べてしまって、ガン細胞を育てる事になってしまう。
栄養分を与えれば与えるほどガン細胞が奪い取って食べてしまうので、ガンが成長して最終的には命を奪い取ってしまう。
北朝鮮に経済支援をすると言うことは、ガン細胞を育てていくという結果しかないと思います。
私はこのような状況の中で中国と北朝鮮が結託して危険水位まで来ていると思います。
黄・長ヨプ(火へんに華)さんが言っているように、近い将来韓国が金正日による赤化統一されてしまった場合、玄界灘を超えてすぐ近くにある日本の安全保障がどのようになるのか考えてください。
経済制裁を確実にする事がアジアの平和と人権を確保する道だと思っている。

最後に一言だけ申し上げます。
日本と韓国の協力関係について申し上げたいと思っております。
歴史観の問題だとか独島(トクト=竹島)、靖国参拝問題ですとか、このような問題は韓国と日本、中国と日本がお互いに相手の民族的アイディンティティーと伝統を尊重するときに解決すると信じます。(拍手)
自分の方から見るんではなくて第三者の立場ではどうなのか?
こちらはどうなのか?というふうに見れば、この問題は解決できる、距離が縮まるんじゃないかと思います。
今日本と韓国は人類の最高の価値である自由と人権と言う価値の為に、協力して闘っていけば北朝鮮の工作に勝つ事が出来ると思います。
日本と韓国で自由と人権と言う理念を共通とする人たちが協力して闘っていく時に、実は反日運動を裏で煽っている共産勢力の工作を見破る事ができ、彼らとの戦いに十分に勝つ事が出来ると私は確信しています。

ですから日本の大学生が韓国に来てくださった時に韓国の大学生との交流をお助けしたのでありますし、大学生同士だけではなくて企業家の人たちや知識人同志をの交流も進めていきたい。
そのために努力したいと思っているのであります。
長い間ありがとうございました。
特に日本の家族会と救う会の皆さんの大変温かいおもてなしに感謝します。(拍手)

★西岡力氏

解説をしようと思ったのですが時間が無いので、私は後でタイのお話をする時にまた出ますので、そのときに全体のことと合わせて今のお話の補足もしたいと思います。
で、以上で韓国人拉致についての第1部を終わらせていただきたいと思います。(拍手)

・・・・・・・・・・
05.1.2 本文の一部を訂正しました。 


2005年12月16日

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(5)05.11.23 友愛会館にて

『李美一 朝鮮戦争拉北者人士家族協議会理事長のお話(通訳・西岡氏)』

★西岡力氏


それではそのような拉致の背景、そして韓国政府がこの朝鮮戦争中の拉致についてどのような態度をしてきたのか?
また韓国の被害者家族がこれまでどのような運動をして来たのか?
そして今どのような運動をしているのか、と言う事について、李美一理事長に話をしてもらおうと思います。

★李美一理事長

まず朝鮮戦争拉致の状況について簡単に説明いたします。
朝鮮戦争と言うのは同族が殺し合う戦争であり、民間人の被害が大変酷い物でした。
韓国軍の被害が100万人程度だったんですが、民間人の被害は合計99万人くらいでした。
その中でも北朝鮮は実は韓国の各界各層の指導的な人士を選んで拉致して行ったのです。
その数は8万人以上を超えております。
北朝鮮に連れて行かれたまま、家族たちは生死確認と言う最低限の事さえも出来ない状況です。
そのような指導的な人材を連れて行かれてしまったのだから、我々家族はいつか韓国政府が対応してくれるだろうと信じていました。
しかし現在に至るまでも生死確認さえも出来ない状況で、我々の家族の問題は隠れてしまっているわけです。
私たちがまず今望んでいるのは生死確認です。

朝鮮戦争拉致が発生した背景に付いて簡単に申し上げます。
日本の植民地支配から解放された後、北では社会主義が南では民主主義がそれぞれ政権を作りました。
北朝鮮では貨幣改革と土地改革をし、そして社会主義の妨げになる資本家たちに対する粛清が始ります。
大部分のその資産家たちは、粛清から逃れようと南に逃げて来ました。
また知識人たちもたくさん南に逃げて来、その数は数百万に上ったと言われています。
そこで北朝鮮では大変な専門的な人材不足になり、1946年7月31日に金日成が、南朝鮮からインテリを連れて来い、と言う指令を出したのです。
金日成全集の第4巻にその指令が載っています。
彼らはその名簿をその時作ったのです。

そして彼らは北朝鮮内にまだ残っていた貨幣改革前の、南ではまだその時通用していた紙幣をたくさん持って、そして名簿にある有名人人士に接近して、これだけお金をやるから北に来いと騙して連れて行こうとしましたが余り上手く行きませんでした。
戦争になってソウルを含む大部分の地域を彼らが占領した後は、銃を持って自由に彼らが連れて行きたい人を強制的に連れて行くことが出来た。
当時の韓国の国会議員を含む公務員、そのような愛国者たちを連れて行きました。
そして彼らの体制のために奉仕させようとしたのです。
当初は有名人士・専門人力の拉致だったんですが、戦況が不利になると北朝鮮軍の最先端の兵士として使うために、また肉体労働者として使うために韓国の若者たちを拉致して行きました。

このような事実について、私たちはただ経験談だけに基づいて話をしているのではなくて、文書を発掘して証拠として持っております。
当時アメリカ大使館が国務省に、戦争当時韓国人拉致問題について報告した文書が一通発見されています。
50年の9月28日に、国連軍がソウルを回復するのですが、その直前にソウル市内の刑務所に北朝鮮のよって収監されていた政治犯、1万人から2万人が連れて行かれたのです。
その連れて行かれる方法は、まず5人ずつ縛られてそれを前後に縛って歩いて、前に騎馬隊がいて後ろにも騎馬隊がいて銃を突きつけられながら、歩いて北に連れて行かれたと。
その経路は西大門を通って、ミセ、議政府(ウィジョンプ)を通って北に連れて行かれたと。
また当時北朝鮮による拉致指令軍と言うのがある事まで私たちは掴んでいるのですが、その指令軍の資料までは探し出すことが出来ていません。
しかし2次的な資料ですが、ソウル市民を北に連れて行くときに不純分子を混ぜるな、と言う命令文は我々は確保しています。
その中には労働力のいない家族からの人間の摘出は中止せよ、と書いてあります。

韓国政府がこの問題についてどのように対処して来たのかと言う事について申し上げますと、最初は韓国政府は拉致被害者家族を支援し、積極的にこの問題に取り組みました。
そういう中、北朝鮮は若い拉致被害者を北朝鮮でスパイ教育をして、北のスパイに仕立て上げて南に送ってくるという事を始めました。
それが50年代の後半です。
それに対して韓国政府は我々家族を守るというような対策を立てるのではなくて、逆に北のスパイが(南に)降りて来れば家族に接触すると。
つまり家族はスパイの予備軍、協力者であると。
従って監視の対象にしなければならない。
また家族連座制を適用して、その人たちが公務員や軍の高官になる事を防がなければならないという家族連座制が適用されました。

1952年すでに私どものような家族会が結成されました。
当時被害者の奥さんたちがソウルの徳寿宮(トクスグン)という旧王宮で集会を開いてデモをしていた。
そして韓国の外務大臣に会ったり、あるいは国連代表部を尋ねて、わが夫を助けて欲しいという訴えをしたりしました。
マスコミの朝鮮戦争中の拉致についてたくさんの報道をしたりしたのですが、しかし冷戦時代にそのような動きは何の成果も上げる事ができませんでした。
60年代に入り新しい拉致、つまり漁民たちに対する拉致が始まります。
我々の戦争中の拉致については忘れられていき、そしてその後、韓国政府は何の対策も取りませんでした。

そして時が流れて2000年の6月、金大中大統領が北朝鮮を訪問して南北首脳会談が開かれた時、この時私たちの問題も生死確認くらいは出来るだろうか?と、私たちは期待をかけました。
しかし金大中大統領は486人の朝鮮戦争休戦後の拉致については言及をしましたが、戦争中の拉致に付いては全く言及をなされなかったわけです。
私たちはこの問題を深刻に考えて、家族会を再結成したのです。
そして家族会を作り朝鮮戦争時の拉致問題を広く知らせてきました。
しかし名簿も無いと言って韓国政府はこの問題を疎外して来ました。

私たちは大変苦労して国立中央図書館の書庫の中に眠っていた、1952年に韓国政府が作った戦争中拉致被害者の名簿を発見してそれを公開いたしました。
大韓民国政府が作った名簿であるにも拘らず、今も韓国政府がその名簿が、実態を表す資料だと認めていません。
他の名簿では7000人という名簿もあると、2000人という名簿もあるんだと。
従ってこの8万人という名簿は信頼性がないというのが、韓国政府の現段階での見解です。
それならばあなた達が正確な名簿を作る為に家族から生死確認要請書を受け取って、そして名簿を作れば良いではないか?と私たちは言いました。
しかし未だに準備もしていません。

私たちはこの拉致というものがどれほど深刻な物であって人間の営みを苦しめる物なのかと、どのように人間を苦しめる物なのかという事について、韓国政府は未だに理解していないと思います。
私たちは55年間、奪われた家族の事を忘れた事はありません。
家族というのはこの世の中で一番大切な基本単位であって、この世の中の誰もがその家族を破壊する権利は持っていないと思います。
韓国政府は今この韓国人拉致問題を北朝鮮に話をすれば南北和解の障害物になるといって、この問題を取り上げようとしないのです。
私たちはそれでも幸いに思うことは、戦争中に行方不明になった人たちの生死を確認しようと言う合意が南北で出来た時です。
最初に2002年の9月にそのような南北の合意がされ、また2002年の6月と9月にもそのような合意がなされたのです。
私たちは生死確認が大切だと思って、政府に対してその結果を待っているんですが、未だにただの一件についてさえ生死確認はなされておりません。
私はこのような生死確認の問題、拉致問題の完全な解決は金正日が政権から追い出されない限り、完全な解決はないと思っています。

今韓国の一部の親北派と言われる人たちは、北朝鮮を刺激すれば戦争になるというような事を言っています。
北を刺激すれば戦争になると。
戦争になれば大変莫大な費用がかかると。
それに比べれば今北朝鮮に無条件で支援している費用は十分の一にもならない小額であるというような、デタラメな論理を展開しているのです。
平和と言うのはただ実力によってのみ守れるというのが私の考えです。

今拉致問題は、日本の拉致問題、韓国の拉致問題、そしてそれ以外の国の拉致問題が発見され続けていると聞いています。
金正日を孤立させてそして弱めていく為には、私たちは連帯をして圧力を強めていかなければなりません。
このような多くの方たちが関心を持ってくださったことに心から感謝を申し上げて、私の話を終わらせていただきます。(拍手)

・・・・・・・・・・
05.1.2 本文の一部を訂正しました。

2005年12月15日

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(4)05.11.23 友愛会館にて

『ハ・ヨンナム朝鮮戦争拉北人士家族協議会・国際問題担当による、ご自身の家族のお話(通訳・西岡氏)』

Img_1205.jpg
(写真左端が、ハ・ヨンナムさん)

こんにちは。
皆さんありがとうございます。
私は実はこの席に座ってまして妙な気分に囚われているのです。
と言うのは韓国では私たちの話を聞いてくれようと言う姿勢が全く無いのです。

実は私も数年前まではうちの父についてほとんど関心を持っていなかったのです。
というのは私は朝鮮戦争のとき4ヶ月の赤ん坊であった。
そして父親を奪われた母が一人で必死になって私たちを育ててくれて、父のことを話してくれるそういう余裕さえなかった。
しかしうちの母は私を何不自由なく良く育ててくれました。
他の子供たちの中で父親が亡くなっている人たちに比べて、拉致されたというのは何か誇りのようにそんなふうにも思っていた。

実はうちの母は今83歳でカナダに移民に行ってトロントに今住んでいます。
時々ソウルに来るんですが、2002年のW杯の時、ソウルに大きな荷物で日記を持ってきました。
その頃から母は父のことについて色々文章を書いたり発言を始めていたんですが、私たち子供は何で今頃になって?と思っていたんです。
そこで母が日記を持って来てですね。
ここに父のことが書いてあると、ゆっくりこれを読んで父の事を知って欲しいと言って日記を置いてカナダに帰りました。
W杯が行われている間はテレビを見るのに忙しくてその日記を読まなかったんですが、W杯が終わってその日記を私は読み始めました。

その日記は1959年から始っているんです。
50年に夫を奪われた母は、私の上に二人の姉がいるんですが3人を育てるのに大変忙しくて日記を書く暇も無かったんですが、59年から毎日父の事をいろんな事を日記に書いて、今も日記を書いています。
その日記を読みますとですね。
母が父に会いたいと、父が恋しいと、毎日のように書いているのを読みまして、あぁ私たちを育てる中でもこんなに父の事を思っていたんだと。
それなのに私たち子供は何て父のことに関して無関心だったんだろうかと、涙が止まりませんでした。
そして二人の姉も今外国にいるのでそれを、そしてうちの娘たちにもその日記を読ませてインターネットに上げて、それを読ませてこれを絶対に忘れてはならないと思ったわけです。

うちの母はずーっとずーっと待ち続けていたんです。
しかし55年経って今絶望の中にいるようです。
80年代に離散家族探しのテレビ番組があったんですね。
その時もテレビ局まで行ったんですが、拉致者はそれに当たらないとテレビ局も取り上げてくれなかった。
また韓国軍の捕虜が脱北して帰って来る事があったんですが、そういうときにはその人が書いた本をすぐ買って読んで、どのような事か?と思いましたけど、結局韓国政府は何もやってくれていないんだと言う事が分かりました。
その中で偶然李美一理事長がなさっている朝鮮戦争家族会の新聞記事を読みまして、そして大変嬉しくて私がインターネットに上げている文章などをメールで送ったわけです。

私の母の話によりますと、うちの父はソウル市内で小さな製粉所をやっていたんですが。
実は父の兄に当たる伯父さんが日本の時代、大変親日派で大きな製粉所をやっていて日本軍に納品をするくらいの状況だったので、そのために取調べを受けて連れて行かれたのではないか?とうちの母は話しています。
一度警察に連れて行かれたんですが、その時父はそれほどたいしたことは無いと、お前たちは田舎に行っていろと言って、私たち家族は田舎に行ったんですが1週間くらい経ったらば父が隙を見て田舎まで来たんです。
それで2〜3日一緒に過ごしていたんですが、やはり自分の製粉工場が心配だった。
新しい機械も入れたんだと、もう一回に見に行って来ると言ってソウルに行ってしまった後、また捕まってしまった。
そしてその後消息が無いと。
うちの伯父さん、父のお兄さんがうちに来まして、今回はおかしいと。
全く消息が無いんだと、母に伝えたという事です。

その後うちの母は心配でもう一度ソウルに戻って一生懸命探したんですが、全く消息が無いと。
そこで ナンキョンドンのウォンバン1号に、その製粉所のあったところにず〜っと引越しもせずに過ごしていて父を待っていたんですが父が帰ってこないまま、カナダに移民に行ってしまったのです。
以上です。

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(3)05.11.23 友愛会館にて

『金聖浩(キム・ソンホ)前理事長・現レインボー財団理事長による、ご自身の家族のお話(通訳・西岡氏)』

Img_1205.jpg

皆さんこんにちは。
ご招待いただいてありがとうございます。
戦争が勃発した時、うちの父は50歳でした。
そして神学大学の教授をしていた牧師でもありました。
また東亜日報の記者をしていたので、言論界でも大変有名でした。
私は父のことを良く知っていて父の心の中の事が良く分かるので、父の思いを皆さんに十分に伝えられることが出来ると思います。

うちの父は日本の植民地時代に終戦の直前日本の警察に連れて行かれて、大変酷い取調べを受けたと言う経験を持っております。
上海にある臨時政府に資金を送った容疑と言う事で本町警察署に連れて行かれて一ヶ月間の大変酷い取調べを受け、その間うちの家族は生活に困窮し私の2歳下の妹は、栄養失調が原因で病死してしまうと言う家族的な悲劇も経験いたしました。
もちろん牧師だったので神社参拝に反対し、また教義的な問題でも弾圧を受ける中、私どもの父が所属していた教団全体が弾圧を受ける中、私の父も苦しみを受けたのです。

ところがおかしいと思ったのは、終戦になって日本人が韓国から帰国していく事に対して、うちの父は大変協力をしていたと。
当時の私の家の近くにも日本人はたくさん住んでいましたし、実は私の家族は家を失って田舎に行っていたんですが、ソウルに戻ってきて臨時に住んだのが日本人が住んでいた家でした。
私たちにその家を預けて日本に帰った人達、その家族は日本に帰る時、近所の人たちに温かく送り出してあげようとうちの父が言い出して、そして荷物もたくさん持って帰れるように取り計らっているのを見てですね。
私は大変不思議でした。
しかし、今になって私は父の心が理解できます。

朝鮮戦争が起きて父は避難する事ができました。
しかし学校を守らなくちゃいけない。
言う言葉を残して私と避難する途中、一人だけもう一度ソウルに戻って行ったのです。
私は田舎で隠れていたんですが、ソウルからの消息で父が捕まって連行されたと言う消息を聞いてソウルに戻りました。
その時うちの妹が拉致を目撃していたのです。
母は食料を求める為に外出しており、父と妹弟たちが家にいたのですが、突然黒いジープに乗った政治警察が現れて家を包囲したんです。

丁度そのときですね。
同じ神学大学の教授が一人我が家に来て、危ないから隠れろと言いに来てくれたのです。
その教授が来て話をしていたときに政治警察が包囲して玄関の門を叩いたので、その教授は押入れの中に隠れて、うちの父が玄関に出たところを裸足のまま引きずり出されて連れて行かれてしまった。
妹たちや弟たちが目撃していたのが父の最後の姿なんですが、そのあと消息はないんですが、実は一緒に拉致されていって脱出してきて韓国に戻ってきた人たちが東亜日報に証言をしている記事が出たのです。

その証言によりますと、うちの父は北に連れて行かれて収容所に入れられて、そこで北の地下教会の牧師と秘密に連絡を取っていたと。
その連絡を取っていた事が暴露されて政治警察につれて行かれてその後出て来ていない。
その後消息が全く無いのです。
それが私の父の拉致の過程の話です。

・・・・・・・・・・
05.1.2 本文の一部を訂正しました。 

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(2)05.11.23 友愛会館にて

『李美一(リ・ミイル)朝鮮戦争拉北人士家族協議会理事長による、ご自身の家族のお話(通訳・西岡氏)』

Img_1201.jpg

朝鮮戦争拉致は1950年までさかのぼるわけです。
北朝鮮は1950年の6月25日夜明けに奇襲南進を仕掛けて来たのです。
当時の韓国政府は敵軍を迎え撃つ事ができず、ソウルは3日目に陥落してしまいました。
私たちの家族は父と母とそれから祖父と祖母がおりまして、そして5歳の私のお姉さん、それから1歳を過ぎた小さかった私と言う家族でした。

当時韓国政府はソウルは死守すると、避難に行くなと私たちに伝えておきながら南に逃げてしまい、そしてソウルと言うのは韓江というのが南側に流れているんですね。
南に避難する為にはその川を渡らなければならないのですが、北朝鮮軍が南下するのを防ぐ為に大韓民国政府が南に秘密に逃げた後、6月28日に韓江に架かっている橋を韓国政府が爆破してしまった。
私たちの家族はそのような爆破計画があると知らなくて、その前日の27日に南の方に逃げていこうと思ってその橋の所まで行きました。
その時韓国政府は軍とそれから軍の関係の装備だけは南に行かせる事を許して、民間人は南に逃げる事を許さないで家へ戻れと言いました。
それで27日の夜は橋の近くの友達の家で夜を過ごしたわけですけども、28日の朝、橋は爆破されてしまったんです。
仕方なく私たちは家に戻って過ごすしかなかったのです。

その中でうちのおじいさんのお兄さんが医学博士だったんですが、北朝鮮に拉致されたという消息が伝えられました。
その不幸は9月5日我が家にも襲ってきたんです。
政治保衛部員、いわゆる政治警察ですね。
政治保衛部員と言う人が我が家に来まして、その時家にいたお父さんと出会ったわけです。
当時の韓国は反共が最も重要な価値観であった為に、大韓民国の国民はなんらかの反共団体・愛国団体に所属しておりました。
政治保衛部員が最初に父に聞いたのは、もともとの父の故郷は北朝鮮地域だったのでいつ南に来たのか?と聞きました。
戦争前、つまり北朝鮮の政府が出来てから逃げてきたんではなくてその前に、日本の植民地時代に南に来たんだと言ってその質問には上手く切り抜ける事が出来たんだと。

次の質問は愛国団体に金一封を寄付した事についての質問でした。
少ししかしなかったと言ったんですが、じゃあちょっと調査しなければならないと言って連行して行ったのです。
しばらくしたら戻ってくると思っていたら中々戻ってこないので、うちの母が当時の北朝鮮の内務省(ネームソ)、北の警察ですね。
に、うちの姉を連れて迎えに行きました。
中を見ると父が調査を受けていたんですが、その後しばらくして父が政治保衛部員に連れられて出てきて、そして路面電車に乗せられて行きました。
当時路面電車があったんです。
そこで母が駆け寄って「どうしたんですか?」と聞いたらば、真っ青に青ざめた父が「もう少し調査をすることがあるんだ」と言って「明日になれば帰れるだろう」と、母に言った言葉が最後の言葉になりました。

その後警察署に連れて行かれたと言うのですが、警察署に言ってみると一週間後には解放するといわれた。
一週間後にもう一度行って見ると北から指令が来て安全地帯に退避させる、と言うのが彼らの答えでした。
その後私たちの家族は父が帰って来る事だけを待って、連れて行かれた自宅、それをずっと守ってその家で今も暮らしています。
家族を本当に愛してくださった父のことを私は忘れる事はできません。

・・・・・・・・・・
05.1.2 本文の一部を訂正しました 

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(1)05.11.23 友愛会館にて

第1部・朝鮮戦争拉北人士家族協議会の方々による講演

『西岡力 副会長のお話』


Img_1188.jpg
(写真は右より西岡氏、李美一(リ・ミイル)朝鮮戦争拉北人士家族協議会理事長、
金聖浩(キム・ソンホ)前理事長・現レインボー財団理事長、
ハ・ヨンナム朝鮮戦争拉北人士家族協議会・国際問題担当です。)

でははまず皆さん、韓国の皆さんに拍手をもってお願いします。(拍手)
実はですね、このお三人の中の真ん中に座っていらっしゃる金聖浩(キム・ソンホ)理事長は、この集会だけの為にいらっしゃったんではなくて、約2週間、日本全国の大学を回って日本の大学生を相手に巡回公演会を今して下さっているんです。
その最中に今日のこの集会のスケジュールがありましたので来て頂きました。
後ほど金理事長からもお話があると思いますけども、実は2003年の5月に、5人(の被害者)が帰ってきた直後の国際フォーラムでの国民大集会の時に、李美一(リ・ミイル)理事長と金聖浩理事長と来て下さったんですね。

そこで金聖浩理事長が訴えたのを聴いた日本の大学生が感動しまして。
そして韓国にも拉致被害者がいたんだと、その人たちのことを我々は知らな過ぎたと。
韓国へ行って拉致のことを勉強しようと、日韓の拉致被害者を救出する為に韓国の大学生と協力出来ないか?と言ってですね。
2003年の夏・2004年の夏・今年の夏と3年連続で、大学生たちが自分のお金で日本全国の大学から集まってですね。
訪韓団を作って行ったんですね。
その時私が電話をしまして、日本の大学生たちが行くけどよろしくと言って。
金理事長や李理事長に食事をご馳走になったりして色々お世話になったんですが。

その時に金理事長が大変お世話をしてくださって、最初は韓国の国立墓地に連れて行ってですね。
韓国で訴えるんだったら、まず韓国の為に闘って死んだ人のところにお参りしなさいと、言ってそこに連れてって下さった。
その後、韓国の学生とディスカッションをしたり、韓国の家族に会って話を聞いたりと言う事をやって来まして。
それで今度は日本の学生たちがこの金理事長の話を自分達だけが聞くのはもったいないと言って。
日本の大学生たちが企画をしてですね。
金理事長を日本の大学に招こうという事になりまして、熊本大学、それから昨日は首都圏の大学の学生が集まって八王子の方で集会がありまして。
それから大阪教育大学、立命館大学、佐賀大学、福岡教育大学、長崎大学と大学で大学生たちに金理事長が韓国の拉致の問題、また最近は脱北者の救出運動をやってらっしゃいますのでその問題。
また日韓の歴史の問題。
歴史的な違いを越えてどうやって日韓の学生が連帯できるのか?と言う問題について講演をしてくださっているんですね。

また今日は午前中には月刊正論と言う雑誌の中に、増元照明さんと私と3人で座談会をしまして、次号にその話も出ると思いますので是非関心を持たれた方は、月刊正論の次月号を買ってくださるかと思いますが。

そして、それ以外の李理事長はいつも国民大集会の時に毎回来てくださっているんですが。
そしてそれからあちらのハ・ヨンナムさんは、韓国の朝鮮戦争家族会の国際担当の理事で英語が堪能でいらっしゃるんですけども。
3人が今日は来て下さいました。
前回は朝鮮戦争休戦後の拉致問題について取り上げたんですが、今日は朝鮮戦争中の民間人拉致について取り上げて、そしてその人たちを救出する為に、あるいはこの問題解決するために我々が何ができるのか?と言うことを考えたいと思っています。

まず韓国の拉致家族会の活動の紹介に入る前に、お3人の方々がそれぞれ、どの家族がどのように拉致されたのか?
家族会としてではなくて家族として、ひとりひとり朝鮮戦争のときに何が起きたのか?と言うことを私たちが理解する為に、自分の家族の話をして頂きたいと思います。
まずは李美一理事長からお願いします。

・・・・・・・・・・
05.1.2 本文の一部を訂正済み

2005年12月14日

透さんの意見は傾聴に値する

もう、くどい事は申しません。
ただ一言のみ。
透さんの意見は傾聴に値する重要発言だと思う。
透さんに対する個人的な遺恨・嫌悪感などがあろうともそれはそれ。
彼の主張は拉致問題を解決に結びつける為の重要且つ本質的発言であると思う。
だから、家族会の他の面々も、救う会の関係者も、そして私たち一般の支援者も耳を傾けて彼の主張を聞くべきです。

「制裁を発動するなら戦略的な制裁を発動するべきである」

私は彼のこの主張に同意します。
怒りに任せた闇雲な制裁など、単なるうっぷん晴らしでしかない。
戦略的な制裁を!と訴えるとすぐに、戦略的な制裁=制裁反対論者と単純に考える愚か者もいる。
こういう思考を持つ人を相手に、一体どうやって言葉を尽くしてこちらの真意を理解してもらえばよいのやら・・?
頭の良い人、名案をお持ちでしたらどうぞご教授ください。
私には、このようなカチカチ頭を説得する言葉を少しも持ち合わせておりませんので。

それにしても相変わらず一部の人たちの視野狭窄は、本当に目に余る物がありますね。
西村騒動に透さん騒動と、相次ぐ内輪もめに余りにもあきれ果ててしまって、短絡思考の問題点についてくどくど書く気力が湧きません。
この情けない思いは、座り込み騒動のときに感じたそれと全く同じ物。
下にリンクを貼ってますのでそれを読んでくださいな。
あの騒動から半年も経つのに、同じ主張を繰り返さねばならない現状が非常に情けなくてたまりません。

この救出運動は人の命を救う運動。
そのことの重みが少しも分かっていない人が、相変わらずネット上では我が物顔で闊歩していらっしゃる。
薄ら寒いです。
私のたわ言をどのように揶揄されようとご自由に。
しかしこれだけは言わせて貰います。

支援者たる者、自分の言動が支援の足を引っ張ってはいないか?
家族のご迷惑になってはいないか?
常に自問自答するべきである。
絶対に自問自答するべきである。
迷いの無い支援活動など、そんなものは嘘っぱちだと思う。
単なる自己満足、ごっこ遊びと知るべきであると思う。
ごっこ遊びの支援活動ほど、真剣に被害者の救出を目指す人々にとって目障りな物は無い。
その事どちら様も十二分に自覚をされるべきであろうと思う。

意見の違いは色々あっても良いとは思う。
だが唯一つ、命の重さを軽んじる論調・風潮だけは、私は容認できないのです。
例えネット上で発する言葉であっても、その言葉の上にはいつも人の命が乗っている事を忘れてはいけない。

家族は命を削って全国を飛び回っているのです。
とうとう体調を崩されて、横田滋さんは入院と言う騒ぎにまでなりました。
家族の痛み、被害者の痛みを意識できない支援活動など、するべきではないと思っています。
そもそも家族と被害者の痛みを想像する力すら無い人に、支援者を名乗る資格などあるのかどうか?

命の重みを意識しない運動など、そんな物は絵空事、単なるお祭り騒ぎ、自己満足のごっご遊びと知るべきである。
どうしてもごっご遊びに勤しみたいお人は、お願いだから拉致問題以外のネタで遊んで欲しいと切望します。

人の命がかかった非常時だというのに、ここ最近の内輪もめばかりの支援者の有り様に、私は言い知れぬ寂寥感に襲われております。

・・・・・・・・・・
関連過去エントリー

★馬鹿にも三十八通り
http://piron326.seesaa.net/article/4125828.html

★愛は盲目
http://piron326.seesaa.net/article/4214871.html

★変人のたわ言を綴ってみる・・・本日は蓮池透氏の事
http://piron326.seesaa.net/article/5617313.html
posted by ぴろん at 19:13| Comment(3) | TrackBack(1) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月13日

透さんが物を言うと風向きが悪くなるのはなぜなのだろう?

透さんの発言は拉致板などでは相変わらず物議をかもしているようです。
やれやれ、難儀な事ですなぁ・・・
先ごろの西村騒動にしろ今度の透さん騒動にしろ、この救出運動は一体何のためにするのか?
皆様ちゃんと心得ていらっしゃいますか?
私たちの敵は、北朝鮮の金正日なのですよ?
心を一つにして闘わねばならないこの非常時に、どうしてこうも次から次へと内輪もめの種が尽きないのでしょうか?

さて・・・透さん発言に付いては昨日のエントリーでひとまず置いておくつもりだったのですが、拉致板などを見るとまだまだヒートアップしているようなので、冷静さを取り戻してもらうためにも、あえて私はここで異論を書かせていただこうと思います。
ぜひ、ご一読をお願い申し上げます。

「経済制裁に政府が慎重になっているのに『やれ』と言うのは反政府の圧力団体と変わりない」

どうも透さんのこの発言辺りにいわゆる脊髄反射をして反発を感じている人が少なくないように思われますが。
副代表と言う役職にある以上、家族会の総意に逆らうような発言を公の場でするのはルール違反であるという意見も目にしました。
ふうむ・・・何故なのだろう?
透さんのこの発言をどうして家族会批判と短絡的に捉えるのでしょうか?
そもそも透さんのこのご意見は家族会の総意に逆らう意見なのでしょうか?
私には皆様のそういう感覚の方が理解できません。

確かに私たち支援者の間では経済制裁発動は規定事実となった感があります。
しかし支援の輪の外にいる人にそれが十分に理解されているかと言えば大きな?マークが付くのも現実ではないでしょうか?
現に昨日のエントリーのコメント欄にも、「経済制裁一辺倒の主張だけでは、どうしてもマイナー圧力団体という印象をぬぐえない」と言った意見は寄せられています。
そういう視線でこの救出活動を見る人は少なからずいるのだ、という現実を踏まえたうえで透さんの発言を読めばですね。
むしろ、世間からいらぬ誤解を招いて救出運動が頓挫しないよう、この運動の屋台骨を守るために絶対に見失ってはいけない視点を、勇気を持って提示しているのでは?と私は受けとめていますけれどもね。

今度の国民大集会では経済制裁の必要性を訴えるパンフも配られるとの事。
今必要なのは一人でも多くの国民に、誠意を持って理解を求めると言う姿勢だと思います。
どこかの一部の支援者のように、制裁に同意しない者は支援者ではないとか、やれ売国奴だとか。
いたずらに罵倒するだけでは世論はますますひいてしまうだけ。
透さんのご意見はそういった一部の支援者に見られる暴走を戒め、家族の訴えが世論に誤解されぬよう先回りして釘を差しているのではないか?とも読めると思うんですがねぇ・・・?

蓮池家の人間がかつて政府に対して一番強行的だったではないか?と言う意見も散見しました。
確かに仰る通りかもしれません。
それを思えば今の透さんの悟りすました様な物言いは何かとカンに障るし、未帰還者家族の意向に逆らうかのようにも見えるし、透さん自身が変節したかのように見えるのかもしれません。

でも・・・立場が変われば視点も変わるのは自然な事ではないんでしょうか?
透さんは弟の救出に無事成功して、家族会の中でも冷静に世論の動向を見つめる視点を手にした稀有な存在ではないかと思っています。
となればいまだ家族の救出が果たせない未帰還者家族とは、同じ制裁発動を訴えるにしても視点の持って行く先がそもそも違うのは当たり前。
そしてこれも座り込みの時に当Blogでは何度も主張しましたが、切羽詰った当事者家族に冷静に物事の判断を求める事事態、無理な相談だと思うのです。
家族に代わって、冷静に事の判断をするのが支援者の務め。
そして弟の救出に成功して冷静さを取り戻しつつある透さんが、家族会の中で果たすべき務めではないのか?と私は思うのですが。

それともう一つ。
経済制裁を発動するにはその前提として、日本政府の姿勢を、「まずは国交正常化」ではなく「まずは被害者全員の救出」に切り替えてもらわねばなりません。
その意味で考えれば、透さんの言う
「『ちゃんと(拉致問題を)やらない限り経済援助できない』と言うのは十分な圧力になる」

と言う意見は家族会のそれとなんら反する物ではないと私は思うのですが・・・?
小泉さんが「一人残らず被害者を帰さない限り、経済援助はしませんよ」、と言えば慌てるのは北朝鮮です。
十分圧力ではありませんか。
万景峰号を止めたり、北朝鮮への送金を止めたりするのも圧力カード。
まずは政府が毅然とした姿勢を示してもらうのも圧力カード。
違うのは圧力のレベルの違いと言った所でしょうか?
昨日も言いましたけれども、まずは政府が毅然とした態度で拉致問題を解決する気になってもらい、最低限の基本姿勢を表明してもらわねば、経済制裁と言う強い圧力カードなど発動するべくもないのです。
家を建てるときも、まず作るのは基礎・土台です。
土台なくしてその上に立派な二階は作れない。

まずは政府に基本姿勢をキッチリ表明してもらう事。
それは経済制裁に賛成であれ反対であれ、イデオロギーの右左・ノンポリに関らず、多くの同意を得られる所ではないでしょうか?
まずは救出運動の土台を作るべき。
右も左も関係なく手を取り合いたいと願う私の理由はそこにあります。

まずは基本姿勢と言う合意なくして、経済制裁発動と言う強いカードを切ることはできない。
仮に世論の合意をすっ飛ばして、政府へプレッシャーをかけて力ずくで経済制裁発動を勝ち取ったとしてですね。
その反動としてどんなリアクションが北から返ってくるのか?
制裁発動が上手く行かなかった場合の二の矢、三の矢はどうするのか?
そこまで議論を尽くしある程度の世論の合意がなされなければ、制裁発動と言う強い圧力カード行使の『余波』を世論が支える事など出来るはずも無いと思うのですが?

それとも何ですか?
この経済制裁も座り込みのときと同様に、「やって見なければ分からない」レベルの行き当たりばったりの制裁発動をするつもりなのでしょうか?
増元氏の言う「国民の皆さんの中で論議していただきたい」と言う願い。
蓮池氏の言う「制裁するなら、被害者を救出するための戦略的な制裁をすべき」という意見。
この二つの主張の何処に食い違いがあるというのだろう?
国民の中での議論をすっ飛ばし、救出の為の戦略も持たない制裁に果たしてどれほどの効果が望めるのか?
やるなら出来るだけ最大の効果が望める策を準備周到に冷静に講じるべきではないのか?

何かと言えばつまらぬ内輪もめ、いがみ合い。
隙あらばこの救出運動を潰したいと狙う者にとっては、ここしばらくの私たち支援者の狼狽振りをみれば、おそらく高笑いが止まらないのではあるまいか?
これでは敵と戦う前に、自滅の道をまっしぐらになり兼ねません。

それと意見の交換をする際は、まずは相手の言わんとすることをシッカリ読み取る事。
視野を狭めて短絡思考に陥らない事。
どうも上っ面の言葉に流されて、カッカカッカと熱くなる御仁がたくさんいらっしゃるようで・・・
支援者としてどうのこうの言う前に、まずは皆の日本語能力を磨く方が先なのか?と、寂しい気持ちに襲われるこの頃でもあります。

・・・・・・・・・・・

参考過去エントリー
蓮池透さん講演(2005/10/29)青梅にて
http://piron326.seesaa.net/article/8799186.html
posted by ぴろん at 18:03| Comment(4) | TrackBack(2) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

三多摩市民集会(9)05.11.21 立川アイムにて

『増元照明 家族会事務局長のお話 その2』

あの先ほども言いましたけども、日本と北朝鮮の不正常な関係がこの拉致問題を生んだというふうに、ここにも書いてありますが、皆様ご存知のようにタイからも78年に拉致をされております。
マカオからは3人なんですが、その内の(ひとりが)タイ人なんですよ。
もちろん連れて行って何処の国の国籍かと言うことを調べればタイだとすぐ分かったでしょう。
そのタイと言う国は1975年に北朝鮮と国交を樹立しています。
で拉致されたのが1978年、3年後なんです。
すなわち今日本の中でちょっと、馬鹿な事を言うコメンテーターが一杯いるんですけども。
国交正常化が成されれば拉致被害者も帰ってくるではないか?と言う方たちがいらっしゃいますが、国交のあった国からも拉致をしていってるんです。

更にマカオもです。
マカオというのは昔はポルトガル領でしたけれど、今は中国なんです。
一番親しい中国の国民であるマカオ人、当時はマカオ人でしたが今は中国人です。
孔さんと言う方と蘇さんと言う方ですね。
ふたり拉致して行ってる、しかもマカオから拉致して行ってる。
これは不正常な関係があったから拉致が起こったんじゃない。
レバノンもそうです。
レバノンも通商部、たしか北朝鮮に通商部が置いてあったはずです。
さほど悪い関係ではない。
だからどんなに仲が良くてもどんなに国交正常化をしていても北朝鮮は拉致をしていってる。

それは何故か?
1976年に金正日が拉致強化指令と私は言っておりますが、それまでの南朝鮮の赤化統一が中々進まない事を見て、彼が掌握した3号庁舎と言う工作機関に対し、命令を出したのが1976年です。
ですから77年、78年、やたら滅多らあちことから拉致をして行ったんだと思います。
日本でも一番認定者が多いのは77年、78年です。
でも余りこうやたら滅多ら拉致して行ったので、教育係として不適格な人がいたと言うことなんですね。
曽我さんの場合は間違えて連れて行かれたと言われているようですけど、それも分かりません。
先ほど荒木さんが仰ったようにそれ以降、向こうは選定するようになったんではないか?
有益な人間だけを連れて行った。
ですから日本で必ず協力者がいて誰を連れて行けば良い、それをこいつを連れて行こうと、そういう選定をしていったんだと思います。
それがこれだけの特定失踪者が生まれた理由だと思います。

金正日が拉致を認めて3年、我が国は未だに協力者さえ捕まえていないんですね。
田中実さんの場合、ちゃんと曹廷楽と韓竜大というちゃんと実行犯と言うか協力者が分かってるんですけども、手を付けられないんです。
手を付けるか付けないのかどうか?なぜ付けないか?ちょっと僕には分からないんですけれど、日本にはスパイ防止法とかそういうのがありませんから。
まずやるべきはそういう方たちを逮捕して取り調べる法律を作るべきではないでしょうか?
3年も経って何も出来ないと言うのはおかしいと思います。
自由に日本の中を工作員が動いているというのはおかしいです。

私たちは経済制裁でまず万景峰号を止めろと言ってます。
万景峰号は大型工作船としてもすでに安明進も認知してますし、とにかく3号庁舎の工作機関の下に籍を置く船であると言う事。
あの船で日本の破壊工作の指示が出されていると言う事。
これはすでに多くの脱北者、それから元工作員の話から出ているわけです。
その船が堂々と新潟に入ってくるわけです。
更にあの船でもしかしたら拉致被害者が連れて行かれた可能性もある。
そんな船を、私たちの家族もまだ返していない国の船が定期的に新潟に受け入れる事事態が、私はおかしいと思います。
国家としてなんら意思を示さない事がおかしいと思います。

この船の入港に関して最初は36社、今油濁法でしたっけ、船舶の。
油濁法の改正がありまして施行されているんですけども、世界に通用する36社の保険会社の物しか認めないと最初は国交省は言ってたんです。
それがニュージー(ランド)の変な会社の保険に入った。
万景はバミューダの会社の保険に入ったそうですが、そのオーナーは過去に2回会社を潰して賠償金を払わなかったと言う実績がありますから、そんな保険会社の保険に入ったと言う事で私たちの国はそれを認めてしまったんです。
36社から外れているにも拘らず、何でそんな事をしたのか?

国交省の人間が永田町から風が吹いたと言っておりますので、おそらく永田町の政治の圧力があったんだと思います。
それだけ政治家の方たちには、どうしてもあの船を入れなければいけない許可しなければいけない、何らかの理由があるんだと思いますが。
証拠が無いんで、これを私たちが言うとまた訴えられますので、テレビの前ではなるべく言わないようにしているんですが、証拠が無いのがとにかく問題だと思いますね。
証拠があれば今政界に巣食う本当の悪を出していけるんでしょうが、証拠を出す為には朝鮮総連への家宅捜索だと思います。
朝鮮総連に破防法をかけて全ての書類を出せば、あそこに必ずどの政治家にいくら金をやった、何年の何月にお金をやったというのが必ず出て来ますから、出していただくしかないと思います。
警察の方もおられるみたいなんで、是非それはお願いしたいんですけど。

この前科学技術者協会に朝鮮人参の事で家宅捜索がされたようですが、あの時にパソコンを全部持って行かれたみたいなんで、いろんな情報を入っているパソコンを持っていかれたようです。
それを是非生かして頂きたいと思います。
なぜ?科協に家宅捜索が入ったか?
非常に議連の方には失礼だと思うんですけども、佐藤会長はたしかアメリカがやれと言ってその許可を出したのではないか?と言うことを仰ってます。
あの同時期にアメリカはマカオの銀行、北朝鮮がマネーロンダリングをしている銀行に手をつけております。
同じ時期です。
ただし、アメリカは北朝鮮ではなく、金正日の懐に入る銭を全部シャットアウトし始めました。

そして科協と言うところのトップは、中国にある、中国と日本の合弁会社である会社に、日本の本社にミサイルの部品やそれから・・・(聞き取れず)の部品を注文するように指示を出した責任者が科学技術者協会にいるわけです。
ですから科学技術者協会のトップを止めるという事は、日本からのミサイルの部品を止められると言う事です。
このために警察は入ったのではないか?
それが一番の目的だったんだろう。
それはアメリカとの連動があるんではないか?
更にはアメリカが本腰になってきたという。
ただアメリカは中東問題を抱えてますし、国内の問題を抱えています。
最終的にどちらを取るかまだ今決めかねていますが、長い時間あの金日政権を放置するとは思いません。
私たちはアメリカに行って、どうも今の政府の関係者たちはもっと早いスパンであの国に大きな圧力をかけ始めているんではないかと言う気がしています。

だから中国に圧力をかけて始めている。
中国はあの国の宗主国です、北朝鮮の。
中国が本気になればあの国を諭す事ができるし、あの国に命令することができる。
あの国へのパイプラインを断ち切ることによって、北朝鮮に大きな圧力をかけることが出来るんです。
6者協議だってそうです。
北朝鮮と言う小国と、他は全部大国です。
ロシア・中国・アメリカ、軍事大国です。
日本も経済大国です。
韓国だって一応世界で11番目か12番目の経済大国なんです。
その大国が5カ国も集まって、北朝鮮に対して何も諭す事もできないし言う事を聞かせる事も出来ない。
これは私は絶対に中国が裏で何かやってると言うふうにしか思えません。
それでなくてはあの北朝鮮に何かいうことを聞かせるのは簡単だと思います。
あの6者協議の中で。
それが出来ないんですから、それは大きな国、やっぱり中国の何らかの意図があるんではないかと思います。
私たちは中国に対してもこれからはちょっと厳しい目で見ていかなければならないんではないでしょうか。

中国と言うのは人権問題に対しても自国の事もありますから、とにかく反対する22カ国の中に入っています。
常任理事国ですからこのまま安保理付託になって経済制裁が論議されても、ロシアと中国がふたり拒否権を発動すればそれで出来なくなるんです。
ですからこれは中国に対して人権と言う事で世界中から大きな圧力をかけて行かなければならない。
2008年のオリンピック、こんな人権の無い国でやれるかと。
スポーツの祭典、平和の祭典で、そんな大きな祭典をなぜ人権の無い中国でやらなければならないのだ。
人権を考えない中国でやらなければならないんだ?と思ってる方たちがアメリカにはいらっしゃいます。
私たちも人権と言う言葉で中国を攻めて行かなければならないんではないでしょうか?
2008年のオリンピックまで、オリンピックを開催する国は人権を重んじるべきでなければならない。
その声を上げていけば中国だって多少動かなければならないと思います。
ましてや北朝鮮の2000万と言われる人民の苦しみを未だに放置しているようなそういう国であってはならない。
北朝鮮の人権非難決議に対して、反対を投じるような国ではあってはならないという自覚を持たせなければならない、と思っています。
それが一番の早道だと思いますが。

それにつけても私たちの国がまずやらなければならないのは、経済制裁の発動です。
制裁は単なる政策手段ではない。
同義的な声明であると言う事。
これはブッシュ大統領がカストロ政権に対し制裁を継続するときに言った言葉です。
同義的声明だと言う事です。
効果の有る無しではないです。
日本の国が北朝鮮に対して、私たちの国が拉致被害者を救出するためには大きな力を使いますよ。
そしてあなたのやってることは悪いんですよと言う声明を発するのがこの経済制裁の発動です。
それを出来るのは我々の国しか有りません。

韓国はすでに盧武鉉政権になってそれをやる気はありません。
しかし私たちの国はそれができる国であるし、それだけ大きな影響力を持っている国であるということ。
もうちょっと考えていただきたいです、国会議員にも。
そしておそらく国民の皆様にも覚悟を突きつける事だと思います。
それは怖いでしょう。
怖いからといって何もしなければ結局私たちの国は何も出来ない国になってしまいます。
それで良いというのであればそれで良いのかも知れない。
私はでもそういう国であってはならないと思います。
脅しに屈して何も出来ないような国には成りたくないし、お金だけ渡して何もされたくない国にはなりたくないと考えています。

先日テレビで言ってました。
どこかの中学校に父兄が怒鳴り込んで数時間も教師それに校長を缶詰にし、そして最終的には80万のお金を払った。
コメンテーターは、「何で毅然と出来ないんだ?」と言っておられました。
「何で毅然と出来ないんだ、いくら父兄が何と言おうと、それはちゃんと教育現場にいた人間が毅然とすれば良いんではないか?」と言っておられましたけれども。
今の日本は果たして毅然としているんでしょうか?
北朝鮮のむちゃくちゃな言いがかりに対し、そしてむちゃくちゃな言い分に対して、私たちの国は毅然として言ってるんでしょうか?
それを全く批判しないでその校長だけを批判するのは、片手落ちだと思いますが、コメンテーターの方たちもご自分の覚悟につながることに関しては中々発言が出来ないのか。
自分の身に降りかかるかもしれないその恐怖に対しては何も言わないで、その校長に対してだけ責任転嫁をしているように感じて私はちょっと非常に残念でなりませんでした。

でも私たちは皆さんにもお願いしたいと思います。
これは皆さんにも多分覚悟を決めて、この拉致問題と言うのは皆さんにも覚悟を押し付けると言うか、なんて言うのかなぁ。
皆さんにも覚悟をしていて頂かなければならない問題なのかもしれません。
それは国家の中で論議すれば、国民の皆さんの中で論議していただきたいと思います。
私はその一つの大きな転換点としてこの拉致問題を皆さんにももっと深く考えていただきたい。
このままで良いのか?本当に我が国は。
本当に私たちの国はこのままで良いのか?

100人200人守れない国は、1億2千万守れるはずが無いんです。
本当にこれから先安全を保障する為にも私たちの平和を確保する為にも、国民の皆さんにもっと考えていって頂きたいと思います。
これはどっちになるか分かりません、私。
でも論議はするべきだと思います。
経済制裁の発動をするのかしないのか?
郵政民営化で投票をするのではなくて、国会の中で経済制裁をいつ発動するのか。
その論議をして国民に問う事も良いのではないでしょうか?
是非お考えになって頂きたいですし、私たちは家族を取り戻す為に絶対に一歩も引かない構えでおります。
皆さんと一緒に話してそして家族を取り戻していきたいと思っています。

是非ご協力をお願いします。
生意気を言って申し訳有りません。
ご協力をお願いします。(拍手)

2005年12月12日

また異論の排除ですか?

拉致問題解決向け「経済制裁は手段」 蓮池透さん講演 東藻琴 

北朝鮮による拉致被害者家族会副代表の蓮池透さん(50)は十日夜、網走管内東藻琴村で講演し、「今の家族会や支援組織は経済制裁と言っているが、それは手段であって目的ではない」と述べ、外交手法の転換を訴えた。

 蓮池さんは家族会が「生存」と「死亡・不明」とされた家族とで意見が割れていることに複雑な心中を明かした上で、「経済制裁に政府が慎重になっているのに『やれ』と言うのは反政府の圧力団体と変わりない」と指摘した。その上で、蓮池さんは「(北朝鮮の)日本への興味は経済援助。それを逆手に取り、『ちゃんと(拉致問題を)やらない限り経済援助できない』と言うのは十分な圧力になる」などと語った。

北海道新聞より
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20051211&j=0022&k=200512109897

透さんもつくづく因果なお立場に追いやられたものだなぁ・・・と思うこの頃でございます。
拉致問題を解決するには「心を一つに」して一致団結する必要性があるのは言うまでもない事なのです。
ですがひとたび「心を一つに」とスローガンを掲げると、途端に『家族会の意向には絶対に逆らってはいけない』だとか、もっと酷いのになると『家族の意向に逆らう者は支援者にあらず』と言った、異論排除の論調が必ず湧いて出るのですから。
もうすこし皆様、冷静に透さんの発言の趣旨を読み取ったらいかがでしょうかねぇ・・・?

この東藻琴集会での透さんの発言報道に関しては、透さんの発言を全文を通して見ない事にはなんとも言えないと思う、と言うのが私の意見です。
新聞報道のホンの一部だけを読んで彼の発言の真意を判断するのは早急に過ぎましょう。
年中集会のテキストを起こしている者として一言申し上げたいのは、30分なら30分の講演の何処を切り取るかによって、その発言の色が急進的に見えたり、あるいは慎重な論陣に見えたりすることは大いにある、と言うことなんですよね。
つまり透さんの発言をある意思を持って、ある種の色付けをすることは大いに可能であると言う事。
それを承知の上でまずは報道の裏にある透さんの発言趣旨を真摯に読み取らねば、勘違いや誤解を招く恐れ多いにあり、と言う現実をまずは心に留め置くべきかと。

座り込みのときにも言いましたけど、一つの組織を運営するに当たって、異論は大事にした方が良いんです。
あらぬ方向へ運動が暴走するのを防ぐ為にも、家族会の中に透さんのような存在はいるべきだと私は思っています。
被害者奪還に成功した家族とそうでない家族とに温度差があるのは自然のこと。
なのに何をそんなにいきり立って、透さん排除に及ぼうとする論陣が後を絶たないのか?
私には分かりません。

拉致問題の山がいよいよ切羽詰った今、制裁発動と一言で言ってもですね。
では実際にどんな制裁をどのタイミングでかけるのか。
そういう中身の議論が今こそ必要なんですよ。
だいたい制裁は何のために発動するんですか?
北朝鮮に圧力をかけて、敵を交渉のテーブルに引き出すためですよね?
それであるなら、まずは日本政府に毅然とした態度で、「全ての被害者を取り返すまで、日本政府は一歩もひかない覚悟である」という基本姿勢を示してもらわねばなりません。
その姿勢なくして、経済制裁の発動なんてそもそも有り得ませんのでね。

敵にプレッシャーをかけると言う意味では、まずは小泉総理に毅然と基本姿勢を示してもらう事。
これ一つとっても私は十分に圧力カードになると思っています。
次に内閣に担当大臣を置いて各省庁の情報の共有化を図り、スパイ防止法などの法整備を進め、政府主導で特定失踪者の調査を始めるなど、拉致問題解決に向けてのあらゆる国内行動をとる事。
これも圧力カードとしては効果はあると思いますよ?
現在調査会がやっている短波放送「しおかぜ」のような策も国の主導で行えば、これも十分に圧力になります。
そういうあらゆる被害者救出に向けての手段の一つとして、「経済制裁」という圧力カードは存在するはず。

この記事を読んでですね。
少なくとも私には透さんのご意見は、そういった制裁の中身の議論をして欲しいというふうにも取れましたけどね。
あるいは政府の腰がどうにも重くて経済制裁のカードが行使出来そうも無いのであれば、次善の策として他の効果的な圧力カードを政府に行使させる事も視野に入れるべきでは?と言う主張とも取れますけれども。
ともかく何とかの一つ覚えのように経済制裁、経済制裁と主張するという段階ではすでに無いと、私自身は思っています。
被害者救出を進める為にはとにかくまずは、日本が毅然とした態度を示す事が大事、と思う。
そしてどういう手順で制裁に臨むのが一番効果的なのか、議論を尽くす必要もあると思っています。

異論を排除する為に相手をひたすら罵倒するだけでは、心を一つになんて出来っこないんです。
制裁発動が必要であればあるほど、それに異論を唱える人(慎重・反対も含めて)に対して、中身のある論で説得するべきと思います。
そういう議論を重ねる事で国民の意思もひとつに固まるし、制裁の手順だってよりよい方向が定まってくるのではありませんかね?
それなのに透さんが何か言うたびに、やれ家族の意向に逆らった!彼は不届き者だ!家族会から追放しろ!などと感情的な物言いに終始しては本当にお話にならない。
議論を重ねた末に、策という物はより良い答へと辿り着く。
そのためにも、異論は大事にするべきなんです。
排除の論理はやめるべき。
日本人ももう少し、己の主張とは違う意見と冷静に論を交えるという姿勢を、真摯に実践する必要性があるのでは?と思います。
posted by ぴろん at 14:48| Comment(3) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

三多摩市民集会(8)05.11.21 立川アイムにて

『増元照明 家族会事務局長のお話 その1』

Img_1171.jpg

こんばんは。(会場より「こんばんは」の声)
今ご紹介を頂きました、家族会の増元です。
今ちょっと長時間に亘って重い話ばかりなので皆さんお疲れだと思いますけど、もう少しお付き合いください。

今わたしたち家族会と救う会で何をやっているか?
小泉さん任期中に国交正常化だけは何としても阻止しなければならない。
それだけの思いで、今年中、とにかく12月の22日の国民大集会まで各地で集会を催しています。
そこで国民の皆さんに喚起し、小泉さんの暴走だけは止めないといけないと思っております。
でも今回の組閣で、安倍さんが官房長官になられたので最悪のことだけはないだろうと。
それだけは期待して良いんではないかと思います。

小泉さんの人の上手い使い方と言うところなんでしょうけれども、前拉致議連の会長の中川さん。
最初の、新しい拉致議連が出来たのが2002年の3月です。
その時会長になられたのが石破さんです。
そして9.17以降最初のその会長であった石破さんを内閣に取り込みまして、その次に会長になられましたのが今農林水産大臣をされております中川さんです。
そしてその方を組閣の時に経産大臣に取り込まれました。
で、安倍さんは幹事長に選ばれました。
ほとんど小泉さんに批判的なことを言う人を内輪で囲っちゃって、中々言えなくしてしまった。
仕事を与えて忙しくして、拉致の問題にのめり込まないようにしているという状況があるんではないかと私は思っています。

平沼さんがその後会長になられたんですが、平沼さんは今度はポスト小泉として名を上げられたんですね、一回。
そしたら郵政民営化で、なんかはめられたんじゃないか?と私は思うんでありますけども、造反組と言われる方に拉致議連の会長、事務局長、それから副会長と、3人主だった方がいらっしゃいまして、結局皆さん方は自民党から出されております。
自民党内でこの拉致問題を強く言えるのは安倍さんだけになっている状況です。
非常に私たちは危惧しておりました。
どうなるんだろう?と。
小泉さんは昨年の8月17日でしたか、私の任期中に国交正常化をやると仰ったので、それも冠に拉致問題の解決を言わないで国交正常化をやると仰ったので、これはとんでもない事になったと思ったんですが。
今回の組閣で安倍さんを官房長官にしたので、もう拉致問題をおそらくどうでも良いとお考えになっているのかな?と思っております。

私は何回も言っているので、皆さんも聞かれていると思いますけど、小泉さんが拉致の扉を開けたのではございません。
これだけは何回も何回も言わせて頂きますが、ブッシュ大統領の2002年の一般教書、その前年からのならず者国家と言い始めて、そして悪の枢軸と言って。
ここにも現代コリアにも書いてありますけども、本当に今のままで核の開発をしていたら核攻撃も辞さないと言う、悪の枢軸と言う発言に怯えた金正日が日本と仲良くしなければならないと思ったんですね。
日本と仲良くすれば、アメリカと日韓、日米に楔を打つことが出来るし、良くすればアメリカの武力制裁のときに日本が止めに入ってくれるんじゃないか?
更にもう一つ、経済的な事情がありますから、国交正常化が成されれば一兆円強と言う二兆円と言うODAが行くと言う。
そうすれば磐石な金正日体制が出来ると言うわけです。
一石3鳥があった。
ですから金正日が拉致を認めて、国交正常化をしようと持ちかけたんです。

与党は1990年以降ずっと日朝国交正常化。
正常化と言うと荒木さんがよく言うんですけども、日本と言う不正常な国家と北朝鮮と言う不正常な国家が、国交を樹立してもそれは正常化とは言わないだろうと言ってるんですが。
確かにその通りです。
まず日本と言う国を正常に戻し、更に北朝鮮と言う国を正常に戻してから国交樹立をしないと国交正常化とは言わない事を私も確かにその通りだと思うんですけども。
これをとにかく自民党それから政権与党は目指して来ておりました。
ですから小泉さんにとっても渡りに船でしょう。

小泉さんはまさかなれないと思っていた総理になってしまった。
その次に何を望むかと言うと権力を握った人は後は名誉欲だと言うことらしいですね。
金大中がそうであったように、まさか私はノーベル平和賞まで狙ってないとは思うんですが、とにかく今高校の教科書に載る。
日ソの鳩山、日中の田中、そして日朝の小泉と。
それを望んで日朝国交正常化に走り始めたというのが事実だと私は思います。
金正日が入国を認めて一緒にやろうよと言って許可を降ろしたから小泉さんは(平壌へ)行けたんです。
小泉さん、日本政府が向こうに積極的に働きかけて、拉致問題をどうにかしろと言って向こうが答えるはずがありません。
それまで食料をやってもでっち上げだと言っていた国です。
それが急に2002年の9月17日に認めたのはアメリカの武力攻撃が怖かったからです。
それだけはまず間違いはないでしょう。
その後の小泉さんの動向を見ていると、私たちはそう納得せざるを得ません。

まさに2002年の9.17は日朝国交正常化のための第一歩があったということです。
それが日朝平壌宣言と言う奴ですね。
いまだに小泉さんは日朝平壌宣言、平壌宣言ですよね?
あれを遵守する限り経済制裁の発動はないと言ってますが。
日朝平壌宣言と言うのは、田中均さんと向こうのミスターXという実務者が、9.17の一月くらい前に草案をし、そしてそのまま変更なくサインがなされた物です。
あの9.17の日に「5人生存8人死亡2人不明」というその言葉を聞いて、なぜ小泉さんは追及してくれなかったのか?
いつ何処で、どうやって死んだのだ?と。
このままでは私はこの平壌宣言にサイン出来ないと、何故そこまで言って頂けなかったのか?
黙して唯々諾々と平壌宣言にサインをされました。
それは最初っから結局この平壌宣言ありき、それから国交正常化、そして多大の経済協力と言うそのラインが出来ていたからだと私は思っています。

その平壌宣言、拉致の拉の字も書いてない。
私がその読ましていただいてすぐ外務省の平松さん、当時のアジア課長ですが、に電話しました。
「どこに拉致の問題が書いてあるんですか?」と私聞きましたら、「いや書いてあります」と。
「どこなんですか?」「3番目に書いてあります」って言うんですが。
その3番目の文言を読みますと、「双方は国際法を遵守し互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認した。また日本国民の生命と安全に関る懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国は日朝が不正常な関係にある中で生じた遺憾な問題が今後適切な措置をとる事を確認をした」
この日本国民の生命と安全に関る懸案問題が拉致だって言うんですね。
常にこうやって言葉をごまかしながら、私たちの国は北朝鮮に対し、接していってる。

前回の6者協議でもそうです。
そして今月行われた日朝協議でありますが、拉致と言う言葉は使われていません。
懸案問題と言うふうに、必ず懸案問題と言うふうに書かれているんです。
で、日本側からすると懸案問題と言うと拉致になるんですけど、北朝鮮側から懸案問題とすると36年の植民地支配になるわけです。
どっちからも解釈できるような言葉で日本政府は北朝鮮と交渉しているわけです。
ですから何もこれ以上、日朝の協議の中で拉致が進展する事は無いんではないか?と私は思っています。

更に私は今の外務省の体制って非常に強いと思ってるんです。
麻生さんはまた別個にしても、谷地事務次官。
あの方は昨年の12月に事務次官になられましたが事務次官になられたと同時に、「全て拉致被害者は生存を前提で私たちはこれから交渉します」と初めて日本政府の中で拉致被害者の生存を口にされたのはあの方が初めてなんですね。
で、これからは私たちは拉致被害者を返せと言う立場でやりますと言うふうに仰いました。
そして佐々江局長に代わられましたけど、更に斎木審議官。
斎木審議官は日本史上初めて北朝鮮に机を叩いて交渉した初めての外務省の職員です。
このラインがある限りは私はまだ外務省は安心できるんではないかと思っているんですが。

それにしても今回の日朝協議で分科会的なことをやったのは誰の差し金なのかちょっと分かりません。
本当に頭の良い方がそれを考えたのか分かりませんが、その理由として外務省が言うにはとにかく日朝協議を続けなければいけない。
話し合いをしなければいけないと言う事なんでしょうね。
その日朝協議を続けていけば、話し合いも重なって、そして拉致問題も話せるんではないかと。
でも私たちはもう切っても良いんではないか?と思ってるんです。
向こうに厳しい姿勢を見せて、席を立って帰ってくる。
「お前らそんな状況で誠実な態度で対応しているのか!馬鹿野郎!」と、そんな様な気持ちで席を立って帰ってくる。
それは一時期交渉が出来なくなるかもしれません。

しかし困るのは向こうであって、私たちも多少困るんです。
時間が経てば。
私たちは時間が無い時間が無いと言ってますから。
それは困るんですけれども、でもこれが拉致問題全体の解決の早道だと私は信じて疑いませんので。
いったんそれをやれば良いじゃないかと私は思うんですけども、常に話し合いの場に出てもらわねばならないと困ると、そういう低姿勢で言ってるのが日本政府です。
これは2000年の河野外務大臣の時からそうです。
10万トンの食糧支援をやると言ったとき、河野さんが言ったのは
「私たちが誠意を見せて相手の誠意を引き出す。私が責任を持ちますから」
で10万トンの食糧支援が行ったら、「拉致はでっち上げだ」と「行方不明者はいない」と言う回答を出してきたんです。

そのような国とまともな協議が出来るというふうに本当に思っているのかどうか?
私はちょっと信じられないんですけども、これが10数年も日朝の協議をやってて1990年からですから。
途中だいぶ抜けてますけども、北朝鮮のやり方を知ってる外務省の人たちが、これ以上まともな話が出来ると本当に思ってるのかなぁ?と、私は思うんですよね。
それでもまぁ外務相の人たちは役人ですから、結局政治家が決断をしなければ厳しい対応を取ることが出来ないと言う事です。
自分の職を賭してまで北朝鮮と喧嘩する事はできないでしょうからね。
そうすると飛ばされちゃいますからね。
そうすると可哀想ですから私たちもあんまり言えませんけれど。
でも結局は政治家の決断だと思います。

先月アメリカに私たちは行きました。
6者協議の合同宣言に署名したクリストファー・ヒルというあの弱腰の、国務省ですけれど、国務次官補。
国務省の人間も日本の外務省と同じらしいですね。
結局官僚と言うのは話し合いをしてそして安全にやるのが官僚の、何処の国でもそういう気質のようですね。
今それに対して、アメリカのネオコンが非常に怒って厳しい追求をしていると言うのが現状らしいです。
クリストファー・ヒルに対してもその上にいるライスに対しても、今回の6者協議での共同宣言、あれはなんだ?と。
あんな生ぬるい事で良いのか?と。
そういう厳しい追求をしているのがアメリカ国内です。

私たちが行った時に、私たちが会うのはだいたい強硬派の方たちばっかりなので、非常に私たちは安心して言えるんですけども、アメリカの国内で民主党の議員が何を考えているのかは未だにちょっと分かりません。
おそらくクリントンの時の対応を見てますと、さほど強硬な事は出来ないでしょうが、しかし民主党もクリントンの時に騙されてますから、1994年のジュネーブ合意で。
軽水炉の建設、その時には日本と韓国にお金を出せと言って、日本も10億ドルの拠出を約束させられておりましたけど。
アメリカは毎年10万トンの重油を上げていましたから、それでも密かに核開発を続けてきた。
アメリカとの約束も全て破棄し、そして朝鮮半島の非核化宣言と言うのにもサインしているんですけども、それも全部破棄して彼らは核の開発をやってきた。
アメリカは今見てるのは北朝鮮は核開発を止めないんではないか?という、その見方をしています。

でも今アメリカは、北朝鮮は何を望んでいるのか?
2008年のブッシュ大統領の任期まで、どうにかこうにか誤魔化し誤魔化し今の体制を維持してそして民主党の政権になるまで待つという。
自分達の喧伝作を考えているんではないか?というのがアメリカの政府の考え方です。
ですからそんな事は絶対に許さない、という民主党の中におりますので、そんなに泳がせておく事はないと思います。
ブッシュ大統領が先日中国へ行って人権問題に言及されておりましたけれども、アメリカも感じているように中国が一番ネックなんではないか?と言う事です。

6者協議、中国・ロシア・韓国・日本・アメリカで北朝鮮ですよね。
先日の国連総会の第三委員会、そこで北朝鮮の人権に関する非難決議が出ました。
賛成84カ国、反対22カ国、そして棄権が64カ国、62カ国かな?
ですから棄権を反対とすると、84対84なんですけども、賛成と反対で84対62だから可決されたんです。
それの22カ国反対した中にどこの国が入ってるか?
瑣末な事は良いんですけども中国・ロシアが入ってるんです。
更に棄権の中に韓国が入ってるんです。
6者協議の中の北朝鮮をのぞく3カ国が親北なんですね。
そして日本とアメリカが強硬姿勢だと。
北朝鮮を入れると4対2なんです。
6者協議の中で北朝鮮に対し厳しい姿勢をとる国が2カ国しかないわけですね。

国連では逆に84カ国が非難決議に賛成しているわけです。
22カ国の反対しかない。
ですから世界の、島田先生が書いたんですけども、世界の考え方とあの6者協議の中の考え方は間逆なんだと。
6者協議に期待することはほとんど出来ないと言う事を、私たちは知らなきゃいけない。
この6者協議の中でこの拉致問題とか人権問題とかが解決できるなんて思わない方がいいだろうと。
そうするとです。
どうすれば良いか?
日本の単独経済制裁に踏み切らざるを得ないだろうと、いう事があるんですね。

・・・続く・・・

2005年12月11日

三多摩市民集会(7)05.11.21 立川アイムにて

『梅田俊幸 日野市議会議員、渡辺眞 日野市議会議員による日野市の救出活動報告と拉致の実情報告』

Img_1163.jpg

★梅田俊幸 日野市議会議員

ご紹介を頂戴しました、私日野市議会議員の梅田俊幸と申します。
どうぞよろしくお願いいたします。
そして横にいますのが同じくご紹介を頂戴しました渡辺眞(だたし)日野市議会議員でございます。
私たち日野市での活動を少しだけご紹介をさしあげたいと思います。

昨年の平成16年8月の3日から日野市においては、皆様良くご存知の東京都議会議員・古賀俊昭、地方議員の会の副会長をやらせていただいておりますが、を中心に今ご紹介を頂いた私と隣の渡辺日野市議。
そして私たちの地元での支援者を中心とした救う会日野の有志と言う形で、日野市にはJRの駅が二つ、そして京王線の主要な駅が高幡不動と言う駅があるんですが、その3つでですね。
順次、順番に署名活動そして募金活動を去年の8月3日からやらせて頂いております。

そして去年はですね。
8月3日からやっておりますので1235名の署名、そして12万とび366円の募金が集まりました。
そして今年に関しましても1月の3日、高幡不動の駅前から始めまして、先日の11月の11日まで豊田の駅前でやらせて頂きました。
集計が2427名の署名、195・530円の募金が集まりました。
そして去年と今年、合わせまして3662名の署名、315・896円の募金が集まりました。
街頭に立ちまして3人を中心にお訴えをさせていただいております。
今、前に拉致被害者の家族の方のお話と言う事で大沢さんがお話になりましたが、度々一緒に参加しておりまして大沢さんの熱いお訴えをですね。
街頭の方にも聞いていただいて、署名活動そして募金活動を協力を頂いているような次第でございます。

先ほどからお話を聞いておりますと、政府は何をやってるんだと言うようなご意見が多いとは思いますが、やはり私たちに出来ることは国民全体で国全体でこの拉致問題を解決しよう。
より多くの国民の方市民の方にこの拉致被害の実態を知ってもらうって事が、私たちに出来る協力じゃないかな?と言う事で、政府に対してバックアップする意味でもですね。
逆にバックアップをしなければ解決しないと思いますので、そういう意味でも署名活動を通して今の拉致問題の状況、そして先ほど大沢さんが申しましたように、私たちが住む日野市においても3人の拉致被害が濃厚な方がいらっしゃいます。
後ほど隣におります渡辺さんよりご紹介をさせて頂きますが、この同じ市内に住んでた方が3人も拉致被害に遭われている。
そういう疑いが濃厚であると言う方がいらっしゃると言う事を、同じ市民の方にも幅広く知ってもらいたい。
そういう言う気持ちが私は非常に強くあります。

自分が住んでる家のすぐそばにもそういう方がいらっしゃる。
拉致被害は先ほどお話があったように日本海を中心とした日本海側だけの問題ではありません。
東京にもたくさんいらっしゃる。
そういうことを日野市民の方にも知ってもらいたいと言う事で、一生懸命支援者を募ってですね。
活動をさせて頂いているような状況でございます。
これからも幅広く支援者を募って、そして継続的にこの署名活動そして募金活動を街頭活動をさせて頂きたいと思っております。

またいろんな方法、いろんな方に知らしめる為の方法と言うのがあると思うんですが、先日つい直近になりますが、11月の11日にやりました活動に関しましては、市の広報誌にですね。
活動が紹介と言うかご案内と言う形で少しの欄ですけど載せて頂いて、11月の11日に活動をやりますと言う形の広報もやっております。
そうした中でよりたくさんのよりたくさんの方のご支援を頂戴できればありがたいなと思っております。
日野市には高幡不動尊と言うお寺があるんですが、東京都内では割と大きなお不動さんと言う事でございまして、お正月から参拝者が非常に多いと言う事で、来年の1月1日はですね。
午後2時から高幡不動の駅前でもですね。
元旦からやろうという事で話がまとまっておりまして、今年もまだ12月当然ありますが、来年も1月1日から頑張って皆さんで活動を進めて行きたいなとそのように考えております。

以上、雑把ではございますが報告させていただきます。
続きまして日野市の失踪者の疑いが濃厚である方をご紹介差し上げます。

★渡辺眞(ただし) 日野市議会議員

日野市議会の渡辺眞です。
お世話になります。
私のこの、そちらから見てこちらですね。(手元のパネル、会場より向って右端を指差す)
上田俊二さんて言う方は、一番最初にお話しました荒木さんが主宰していらっしゃいます、特定失踪者問題調査会のHPで、日野と言うところをサーチしましたら上田さんが見つかりましたんで、荒木さんにご連絡させていただきましてこの人の詳しいことを教えていただきました。 
そしてその事を高幡不動の駅頭等で訴えをしておりました所、その次の馬場昌一さんと言う方がいらっしゃると言う事が分かりました。
この方は日野市の元の市議会議員の方の奥様の弟さんであります。
そして最近になって荒木さんの方からのメールで浜崎さんと言う方がいると言うことを教えていただきました。
この方は何と5年前の方でございます。

そしてひとりひとりちょっと詳しく申し上げますと、上田俊二さんは東京大学を出られて医学の翻訳をなさっていた方だそうであります。
すごい技術を持っている方でございます。
高幡橋の南の、南平一丁目のところのアパートに住んでいらっしゃったそうでございます。
失踪直後、お兄さんがそのアパートを訪ねてみましたら、いつもはきちんと、東大出の方でしょうから当然きちんと片付けている性質の方であったそうですが、部屋は乱雑になっていたと言う事らしいです。
そして部屋の中にある電話番号が書かれたメモが残っていて、どうもそれが怪しいと言う事で何度かその電話にかけてみたところ、何の返事も無かったと。
それを取ってくれる人がいなかったと。
暫くしてからその電話は「使われなくなりました」というNTTの連絡に代わったそうであります。
失踪して1〜2年して千葉の友達の所に金正日を称える文書が入った荷物が届いたと、言うような事だそうであります。
現在、上田さんのお兄さんは浜松の方に住んでいらっしゃって、今まで2〜3回日野市の方に訪れられまして、古賀俊昭さんの事務所で私もお目にかかりました。
かなり周辺に対して非常に怯えていらっしゃると言う事だそうでございます。

・・・資料引用開始・・・
氏名 上田俊二 (うえだしゅんじ)
失踪年月日 昭和56(1981)年7月14日
生年月日 昭和6(1931)年11月20日
性別 男 当時年齢 49
身長 174センチ
当時身分 翻訳業
特徴 タバコは吸う。酒は飲む。趣味はテニス。
失踪現場 東京都日野市の自宅を出て
失踪状況 当日本人宛に誰かから電話があり出かけたまま失踪。通帳、パスポートはそのまま。失踪後1〜2年後に友人宅に差出人不明の金正日をたたえるパンフレット数種類の入った小包みが届く。
 
※情報は特定失踪者問題調査会HPより
   http://chosa-kai.jp/index.html
・・・資料引用終了・・・

そして二人目の馬場昌一さんですが、国立高校をお出になって卒業して新宿にある工学院大学に通われていたのです。
昭和39年と言うことだそうですが、6月でしたか。
失踪になったと言うことらしいです。
そして私も39年大学に入りまして、当時は学校はカラーグラビアみたいな物が生協会館みたいな所にありまして、金日成・北朝鮮を称えるようなグラビアがあったように記憶しています。
ですから当時は北朝鮮と言う国の悲惨さと言うものについて皆さん理解が行ってなくて、素晴らしい国だと言う宣伝があったんだと思います。
それでご家族の方に伺いますと、部屋の中に残っていた、それもゴミ箱の中に捨てられていたメモに「行くべきか、行かざるべきか」と言うようなお話でございます。
平山の方にはお姉さまは近くにお住まいでございますし、その一番上のお姉さまは元市議会議員のお姉さまでいらっしゃって時々高幡不動での活動にごきょうだい共々参加していただいています。
ずい分古い話の事でございます。

・・・資料引用開始・・・
氏名 馬場 昌一 (ばばまさかず)
失踪年月日 昭和39(1964)年6月4日
生年月日 昭和19(1944)年12月13日
性別 男 当時年齢 19
当時身分 大学2年生(機械科)
失踪現場 東京都日野市の自宅から出たまま
失踪状況 失踪当日朝、両親とは顔を合わせている。そのまま行方がわからなくなった。姉に「新宿でアルバイトがある」と話していた。お金も衣類も持ちだした様子はない。

※情報は特定失踪者問題調査会HPより
   http://chosa-kai.jp/index.html
・・・資料引用終了・・・

そして3番目の方は浜崎真嗣さん、今日はここに九州の長崎の方からお父さまの浜崎さんがいらっしゃってますが、ちょっと手を挙げて頂ければ・・・ありがたいと思いますが。(お父様その場で立ち上がって会釈、会場より拍手)
浜崎さんはここに書いてありませんけども、北八王子にビクターの工場がありますけどもそこのオーディオビジュアルの技術者でいらっしゃったという事でございます。
私は金正日が(韓国人の)映画監督を香港から拉致したとかですね。
ああいう喜び組であるとか、芸能関係が好きでオーディオが好きでビジュアルが好きであると思ってますので、そういう技術者を欲しがっていたのかなぁ?と言うふうにも思っております。
浜崎さんの出身大学が九州大学であるという事でありまして、その九州大学の先輩でいらっしゃる方、そして会社の先輩でもいらっしゃる方が生田の方にお住まいの方で、今は大学の教授をされている方ですが。
その先生に連絡を取らせていただいて実は明日、日本ビクターの方にお訪ねをして私と同僚の方とお話をして何か証拠でも出てくれば良いんですけれど、その話をさせて頂きたいと言う事で思っている所でございます。
浜崎さんは25歳の失踪と言う事でございますから非常に若くてですね。
持てる技術をあの社会に利用されてしまっているのかなぁ?と言うことを思っています。

失踪当日は5年前の正月明けのですね。
仕事始めの日の朝方ということですね。
起きたままであった事、携帯電話もそのままと言うことらしいです。
その日の朝方に東京駅の銀行、そして12時くらいには函館の銀行で合計15万円程が引き出されている。
ご本人が引き出したんでしょうか、あるいは誰かが引き出したんでしょうか。
それはよく分からないと言う事であります。
私もちょっとその浜崎さんの住んでる場所、実はこれは私の高校の同級生がオーナーやってる所のアパートでありまして、そのアパートが日本ビクターに借りられている訳でありますがそこも知っておりますし、勤め先の日本ビクター周辺も分かります。
行って見られてお分かりのように、どうもそういう関係の業界の人たちが周辺に住んでいそうな雰囲気のある所でもございます。
浜崎さんは趣味が当時ビリヤードだったと言う事で、ビリヤードと言うのは今時珍しい趣味をお持ちだなぁと思っていたら、その周辺にもそういうお店がありますし。
そういう事でございます。

・・・資料引用開始・・・
氏名 浜崎 真嗣 (はまざきまさつぐ)
失踪年月日 平成12(2000)年1月6日
生年月日 昭和49(1974)年8月2日
性別 男 当時年齢 25
当時身分 会社員(業務用ビデオの設計)
失踪現場 東京都日野市の会社寮
失踪状況 失踪当日は会社の新年の始業日。午前6時から7時にかけて、東京駅のATMで3万円、続いて午後1時半ごろ北海道の北洋銀行函館中央支店で普通預金口座より12万円を引き出した(定期預金には一切手をつけていない)。当日の朝刊は部屋にあり、布団は敷きっぱなしの状態。食べかけのパンが残っていた。PHSは置きっぱなしで、書置きもなかった。ごく普通の服装で出かけ、自転車も置いたまま。職場の机はすぐにでも仕事が始められるような状態になっていた。失踪直後に航空会社に飛行機に搭乗した形跡がないかを調べてもらったものの記録がはっきりしないとのことであった。
 
※情報は特定失踪者問題調査会HPより
   http://chosa-kai.jp/index.html
・・・資料引用終了・・・

これで3人の紹介を終わらせていただきます。
どうもありがとうございました。(拍手)

三多摩市民集会(6)05.11.21 立川アイムにて

『大沢茂樹さん(特定失踪者・大沢孝司さんの兄)のお話』

Img_1151.jpg



ただ今、紹介にあずかりました、私特定失踪者・大沢孝司の兄で大沢茂樹と申します。
本日は山本美保さんの家族を支援する東京支部の入倉様のご縁を頂きまして、私までこの三多摩集会に参加させていただきまして本当にありがとうございます。
入倉様には厚く感謝いたします。

私は今「北朝鮮に拉致された日本人を奪還する地方議員の会」の東京都議会の古賀先生。
また日野市会議員の渡辺先生そして梅田先生、並びに日野市救う会での合同での街頭署名での、隣の日野・高幡不動・豊田駅で定期的に行われている街頭署名に、私の出来る限り時間の許す限り私も出席させて頂き、私の弟の拉致の内容等もお訴えさせていただいておりますが。
このようにして立川市民の皆様にお会いするのは初めてで、おそらく私の弟の拉致の内容についてご存知の方はおられないと思いますので、簡単ではございますが、弟が失踪した時の状況よりお話をさせていただきます。

私ども兄弟は3人兄弟で、一番上の兄は新潟県の巻町と言うところで家業の跡を継いでおります。
私は次男で今現在横浜市瀬谷区で在住しております。
拉致されたのは一番下の弟、孝司でございます。
弟孝司は昭和49年の2月の24日、今から丁度31年前でございますが。
新潟県の佐渡島で、曽我ひとみさん親子が拉致された真野町の現場から7〜8キロしか離れていない、トキ保護センターのある新穂村と言うところで北朝鮮に拉致された疑いが残っている者でございます。
新潟県庁の出先機関であります、佐渡の農地事務所に赴任中の事件でありました。
また、曽我さんたちが拉致される約2年半前の事件であります。

私の弟のように忽然と行方が分からず、今特定失踪者問題調査会・荒木先生のところに調査以来が出ている方々は450名おられると聞いております。
そのうち私は実際に北朝鮮に拉致されている方々は何名おられるのか想像も付きませんが、北朝鮮を研究している先生方のお話によりますと、少なくても100名から200名は拉致されているのであり。
今日本政府が拉致認定している11件16名よりまだまだこんなにたくさん、特定失踪者の方々が拉致の疑いがある方がいられることを知っていただきたいと思っております。

日本政府の拉致の取り組み状況は、昨年の暮れ、北朝鮮が突然の核の保有宣言と。
横田めぐみさんの遺骨のDNA鑑定は日本政府が捏造した物と、北朝鮮がコメント以来硬直化し足踏み状態となっていましたが。
今月の3日、約1年ぶりで日朝会談が再開され大きな期待を私は抱きましたが、残念ながらまた物別れの状態となりました。
小泉さんは何回北朝鮮からこのように侮辱を受け馬鹿にされれば気が済むのでしょうか?
このままでは拉致被害者は皆殺しの状態になってしまうと思います。
一刻も早くこの拉致問題を終結するには、もう北朝鮮との話し合いだけでは無理だと思います。
小泉首相から一刻も早く経済制裁の発動をしていただき、この拉致問題を解決しなければならないと思っております。

それには更なる皆様方のご支援と日本政府に対するバックアップが必要であり、それをここにお願いしまして、はなはだお粗末ではございますが、私の訴えとさせていただきます。
皆様、どうかご支援の程をよろしくお願いします。(拍手)

三多摩市民集会(5)05.11.21 立川アイムにて

『森本美砂さん(特定失踪者・山本美保さんの妹)のお話』

Img_1138.jpg



今日は平日の大変お忙しい中を、お集まりいただきましてありがとうございます。只今ご紹介頂きました、山梨から参りました、森本美砂といいます。

私の双子の姉・山本美保が、21年前、「図書館に行ってくる」と言って、いつものように、バイクで出かけて失踪してしまいました。その日帰ってこなかったんです。

ほんとに何気ない言葉で出かけて行って、いつものようなバックと服装で、とてもその日帰らないような感じではなかったんです。
夕方から、ファミリーレストランのバイトが入っていまして、そのバイト先から「今日来ていない」という話があって。。姉が無断でバイト休んだり、無断で外泊するような姉ではなかったんです。

実はその頃姉は二十歳で、大学受験に向けて勉強しておりました。
というのも私達が高校三年生のときに、二つ上の兄が、突然バイクの事故で亡くなるという不幸に見舞われました。そういう意味で何の心配もない家族の幸せが一気に不幸のどん底になりまして、両親の嘆きは大きく、特に母は、ほんとに生きる気力がないほど、大抵無気力で暮らしているのが、丁度私達が高校三年生の秋だったんです。

その暗くなってしまう家庭をどうにか変えたいという思いが、姉にはあったんだと思います。

「東京の大学を受けたい、力試しに受けたい」と言って、見事日本女子大学に受かるんですが「丁度兄を亡くしたばっかりのときに、一人で東京になんか行かないで」と私を含め家族三人で反対してしまったんです。そのことをずっと今でも後悔しています。「あの時行かせてあげれば、姉はこんなことにならなかったんではないか」と言う思いをずっと抱えて生きてまいりました。

でも二十歳になった姉は、一旦は山梨の高看=高等看護学校のほうに進みまして、ワンゲルなんかで山登りをして青春を謳歌していたんですが、やはり大学進学の夢があきらめきれず、「もう一度挑戦したい」と言って大学受験のための勉強をしているそう矢先だったんです。

ですから自分の目標を定めて一生懸命頑張ってる、時だったんです。

だから失踪する理由なんてありません。

2日、3日と連絡がないまま、母は、胸がつぶれるような思いで連絡を待っていたんです。そして、4日後に柏崎の海岸にかばんが落ちているということで柏崎署から連絡をいただきました。もう、どんな思いで両親が、飛んで言ったかと思うと、今でも胸が痛みますけれども。

当時警察官だった父は、最悪の状況を考えていました。多分、事件・事故に巻き込まれているんじゃないかという思いがあったんですけれども。丸二日間、柏崎で方々探したんです。佐渡に渡っているんじゃないかと、汽船所の乗客名簿を探したりして。でも何の手がかりもないんです。

そして、約半年後、無言電話が入るようになりました。約四年間続くんですけれども。

中にはすすり泣くような声まで聞こえて<美保ではないか!>と必死で呼びかけたことを覚えていますでも、その無言電話も4年ぐらい立つうちになくなってしまいました。

その時に警察のほうにも捜索願を出しておりますので、各県で身元不明の遺体なんかがあがると連絡が来るんですね。本当に、身も凍えるような思いで母はその電話を取るわけです。大体、血液型が一緒だったり、女性と言うことが一緒だったりすると、電話があるんです。

当時、あの当時で3件ほど電話がありました。一つは富山県のほうのご遺体、もう一つは東京都内のご遺体でした。そんなこと姉とは一致したくありません。でも、歯の歯形が違う、足のサイズが違うということで、「違います」ということで、もう、ほっとしたことを覚えていますけれど。

さきほど荒木先生のほうから、詳しくお話がありましたが、まぁ、いろんな状況から美保はやっぱり拉致の可能性が濃いと思っております。

昨年の3月に突然山梨県警のほうから「イヤ、実は21年前に山形県遊佐町で上がった水死体がそうですよ」と言われたときには、もうはじめは捜査をした結果そうであれば、「20年間私はとんでもないことをしてしまった。美穂を本当に冷たい土の中に放っておいてしまったんだ」と本当に(胸を)苛まれたんですけれど、でも、いろいろ調べていくうちに、やっぱり、変なことがたくさんあるんですね。

もし姉だとしたら、姉と一致するものが出てくるはずなんです。
でも、のちのDNA鑑定に使った山形に残っていた骨髄、0.15グラム、本当に微量な、一グラムもない微量な骨髄の粉末です。

これは、たまたま当時の山形大学に残っていた。鍵もかかっていないんです。誰が触って、何処に持ち出そうとも自由になるような机に、無造作においてあったものなんです。「本当に21年前の山形の骨髄なんですか」と私が疑いを持つような、そういう保管の仕方でした。それを山梨県警が山形の大学から持ってきて、それで私の血液と鑑定したんです。

私の血液を提出したときは、「あらゆる捜査をします。もしかしたら国内で亡くなっている場合もあります。それは多分ないと思いますけれども。」という言い方をして「あらゆる捜査をしますので、血液を提供してください」ということで、提供しました。それも父が病床に倒れ、余命いくばくもないという病院の中でした。
ですから私はいろんな資料を警察サイドでチェックすることができなかったんです。とても動揺していましたので。
でも父の看護をしながら、「姉の行方がわかるんであれば」と思って提供した血液がとんでもない使われ方をしていたんだと思います。約半年以上、警察はその血液を持っていました。科警研で検査、鑑定したそうですが、結果がはっきり得られなかったということで、約半年後、名古屋大学に持ち込むんです。その間も、(骨髄と血液は)ずっと警察サイドにあったわけなんですよね。

そして昨年の3月4日。
私は「山形のご遺体と私の血液をDNA鑑定します」とは一度も聞いたことがないんです。ところが警察のほうは「4度も伝えた」と言い張るんですね。その伝えたと言う場所が全部私が一人で対応した時だったんです。だから私が<聞いていない>と言うことを、証明してくださる方がいらっしゃらない。

「あ、やられた」と思いました。
山梨県警でずっと仕事をしてきた父が生きていれば、<こんな事にはならなかった>と、今でも、思っております。

それがとても残念で、悔しくてたまりません。

それでも、本当に美保と一致するものがあれば、私は真実として受け入れるんです。

真実はもっと重く家族にも、いろんな人にも、重く響くものだと思っております。

でも、そのご遺体が美保という、姉であるという事実を私になんら示してくれないんです。
先ほど、荒木先生がおっしゃったように、ご遺体の(不明上着?)は全く姉のものではありませんでした。

私、結構いろんなものをとっておくほうなんですけれども、「白いネックレスをしていました」 というそのネックレス(ネックレスという白いもの)が全部家から出てきているんです。見た事もないジーパンをはいていて、見た事もない白いネックレスをしていて・・そういうご遺体だったんです。

むしろ、そのジーパンはとっても珍しい、皮を施した、皮を前のポケットと後ろの方に貼り付けてある、縫い付けてある、とても変わったジーパンで、支援者の同級生が、ほんとうに隈なく探してくれて、もしかしたら、フランスのジルボー社というところで作られたものではないか?、もしかしたら、1万5000円ぐらいする高級品であると言う所まで、突き止めてくれたんですが、まだちょっと断定できないんです。どちらにしても、私は国内で見たこともないようなジーパンをはいていたご遺体だったんです。

さきほどお話があったとおり、体のサイズもまったく違っておりました。当時二十歳の私も姉も、もっとぽっちゃりしていまして、今より5キロも太っているんですけれども。ご遺体の身につけいた下着は、とても当時の私や姉も身につけられないような小さな細いものでした。一つ一つが全部違うんです。

そして、先ほどお話がありましたけれど、そして姉の失踪から17日間、又、かばんが見つかってから13日間では、とても行けそうもない山形の遊佐町で見つかりました。またそのご遺体の写真も、母は見られませんでしたが、私は思いきって見ました。それが姉の最後の姿であるならばと。

でも、男性も女性もわからない、ましてや姉の姿のかけらも見あたらない、本当に頭は白骨化しておりましたし、体の方は脂漏化と言って、たぶん長く水に浸かっていたせいで、もう、バーンと腫れ上がって石鹸状態になるんですね。それが、『たった13日間ではなりません』と専門家の方が仰いました。
もう2万体という水死体監査している上野正彦先生と言う方ですけれど、原作本がドラマになった方ですけれども。2万体という水死体を専門となさっている監察医の方です。その方にもいろんな情報をお伝えして、資料を見て頂きましたけれど、『二十歳の人の歯が、たった13日間で13本も抜けません』とはっきっり仰いました。


そういう一つ一つが姉ではないと言うことを、私に、家族に、示していました。

ですから私は意地を張っているわけではないんです。
真実を示して頂けるんであれば、私は姉の真実を受け入れるんです。

それを、どうかみなさんご理解頂きたいと思います。
『森本美砂さん(山本美保さん妹)のお話』

荒木先生が流してくださっている<しおかぜ>を私も聞きました。
とても暖かい言葉で、もう胸が詰まりました。
その中に美保の名前も入っております。
その声が美保に届いていると思っています。
美穂の真実は、やはり北朝鮮を探すしかないと思っております。

家族は、家族に会いたいだけなんです。何の政治的なことも、いろんな社会的な情勢も、何を訴えることもないんです。
只家族は家族に会いたい。ただ、共に生まれて共にすごした家族に会いたいとただ言っているだけなんです。それは、私も、これからお話になる大澤さんも、増元さんもそうなんです。いろんな政治的な運動をしているわけではないんです。共に同じ両親から生まれた家族に、会いたい。

二十歳で失踪した姉。
私、今41をすぎたんですけれど、姉と過ごした日々よりも、姉を失った日々の方が長くなってしまいました。

そんな事ってあるんでしょうか?

今ぱっと合ったら、姉ってわかるんだろうか。まぁ、双子ですから、こんな顔をして元気でいると信じてるんですけれども。家族に会いたいという気持だけで、みなさまにわかって頂いて。。。

そう言う家族が、まだ日本国中に400人以上います。400人以上の家族が『家族に会いたい』と、声にならない声で叫び続けております。

ここまで拉致問題、特定失踪者問題が、発展してきたのも、いろんな皆様の声を政府にあげて頂いて、そして世論の力でここまできたんです。

どうかその声を緩めないでください。

特定失踪者も含めた、全拉致被害者が日本の土を踏んで、家族の元に返るまでどうかお力をお貸し頂きたいと思います。よろしくお願い致します。

また、今日この会を開いてくださいました、同郷というだけで本当に大きな力をくださいました入倉さんご夫妻に感謝を申しあげ、また、お忙しい中集まってくださいましたみなさまに感謝申し上げ、私の挨拶とさせて頂きます。ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストは金木犀様の手によるものです。

三多摩市民集会(4)05.11.21 立川アイムにて

『真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事のお話』

Img_1131.jpg

皆さんこんばんは。
ただ今ご紹介を頂きました特定失踪者問題調査会の専務理事、真鍋と申します。
よろしくお願いします。
荒木が代表で私が専務でございますが、私も2年前までこの隣の小平市で市議会議員をしておりまして、今こういった活動に専念をさせて頂いてる所でございます。

今日は荒木の方がですね。
拉致問題の概要と言いますか全容、それから山本美保さんのお話を中心にいたしましたので、私の方はそれを補足すると言う形で、皆さんのお手元に「神津島で消えた兄」というチラシがあると思うんですが、その裏側に大町ートと言うのがございます。
(大町ルートはこちら http://nyt.trycomp.com/takano/oroot.html
これがちょっとポイントになる事ですし、それから10月14日にですね。
警視庁が大規模なガサ入れをいたします。
ガサ入れって言うか、捜査ですね。
それは西新井病院の中にございます金萬有科学振興会と言うところに、警視庁が捜査に入った。
それと特定失踪者のお話、と言う物をさせていただきたいと思います。
25分ですから本当にかいつまんだお話しか出来ませんけれども、よろしくお願いします。

まずこの大町ルートなんですけれども、これは我々が名前をつけているルートでございます。
これはですね。
去年北朝鮮から写真が出てきたと言われる加瀬テル子さんと言う方がいらっしゃるんですけども、その加瀬テル子さんの失踪を調査しているうちに浮かび上がったルートです。
というのは加瀬テル子さんと言うのは千葉県の銚子の一番はずれの所にあるんですけれど、海上町と言うところでですね。
1961年ですからもう40年も前の失踪事件、40年以上も前の失踪事件なんですけども。

どっちにしても これを調べてみますと当時の海上町、あるいは近くの旭市、現在旭市ですけどその辺一帯ではですね。
水飴をたくさん作っていると言う事です。
それから当時はあの辺は砂鉄がたくさん採れていると。
良質の砂鉄が採れていると、それを一大産業としているわけです。
その砂鉄と水あめがどういうふうに物流、運ばれたのかと言う事を調べていくうちに、全部が全部と言うわけでもないんですけど、この砂鉄と水飴が千葉から東京を通って、東京から山梨、そして長野、そしてこの新潟の糸魚川まで行って、富山か新潟方面に運ばれて行って朝鮮半島に輸出されていたと、いう事が明らかになったわけであります。
これはもしかして何かがあるんじゃないか?と言う事で、このルートを丹念に調べようと言う事で今日に至ってるわけです。

しかも加瀬テル子さんのですね。
調査のプロセスで明らかになったんですけども、水飴とか砂鉄と言うものがですね。
誰によって採取されていたか?と言うことなんです。
それはもちろん多くの日本人も採取に従事していたんですけども、多くの在日の人たちがですね。
この水飴や砂鉄の採取に関っていた、物流に関っていた、販売に関っていたということが判明したわけです。
そして色々加瀬テル子さんのですね、ご実家。
お父さんはもう90歳近いおじいちゃんなんですけども、記憶を辿っていただくと、「そういえば当時、我が家にも在日の人たちが買い付けに来とったなぁ」と。
要するに農家ですから、水飴も作るし農閑期には砂鉄も採っていたと。
その砂鉄を採っていたのも買い付けに来たのも在日の人がいたなぁと言う事が判明しました。

物のついでに申し上げますと、加瀬テル子さんの身近にいた女性がですね。
実は在日朝鮮人の男性と結婚して北朝鮮に行ってしまいました。
その後全く消息は不明です。
そういう方が加瀬テル子さんの身近にいたと言うことなんですね。
それで当時はまだ写真が出ていませんでしたから、この加瀬テル子さんの失踪には何かがあると言う事で調べていったわけですが、そうすると北朝鮮から亡命者がもたらして来た一枚の写真。
今日お持ちしなかったのは残念ですけども、調べてみると専門家の先生もこの写真については加瀬テル子さんに間違いがないと、いうような判断をされたような写真が出てきました。

ちょっと補足しますと一枚の写真をですね。
40年前の写真16歳の写真と現在の57歳の写真を比べて素人目にはほとんど分からない。
言われてみて分かるんですけども、加瀬さんの場合は最大の本人を特定するポイントがあるんです。
それは向って右側の目ですから、こちら側ですね、ごめんなさい向って左側ですね。
加瀬さん特有の、目の中にほくろがあるんです。
その目の中のほくろがちょっと出てるんですね。
それが北朝鮮からもたらされて来た写真にもあったんです。
この形状、この形ですね。
それから場所がピッタリ一致する。
そういうことがあったもんですからあの写真については間違いがないという事になりました。
加瀬さんにつきましては我々としてはこの事件はですね。
拉致に間違いが無いと言う結論を出しているんですけども、政府は未だに認定も何もしていません。

と言うような事からこのルートがもしかしたら何かがあると言う形で主に重点的に調査したわけなんですけども、お手元のこのルートを見ていただきますとですね。
このルートには工作活動の拠点と言うものが点在します。
千葉県に行きますと蘇我(千葉市と市原市の境付近)なんですね。
蘇我と言うのは当時、昔なんですけども鉄鋼の会社に労働者として従事していた在日の方が非常に多く住んでいる所で、ここでも失踪事件があるわけですけども、そこを通ります。

そして東京都内に入りますと足立区、足立区は後ほど話をしますけどガサ入れのあった西新井病院があるところです。
そこから管七を通りますとですね。
北区を通るんですけども、北区にはですね。
私の住んでいる小平には朝鮮の大学校があるんですけども、北区には朝鮮高校があるわけですね。
そしてここも失踪者が多発している地区です。

そして都内を通って甲州街道に入ります。
甲州街道に入りますと、杉並付近を通りますね。
杉並は実は非常に失踪が多い場所です。
付け加えますと杉並区と言うのは南北に(JR)中央線で分かれるわけですけども、失踪者は北側には誰もいません。
私たちに届けられている方ですけども、全て南側のこの甲州街道沿いと言う状況があるわけです。
それも毎年きれいに一人ずつ若い男性が失踪すると言う不思議な現象があるところです。

その杉並を通っていきますと今度は三鷹とか調布になるんですね。
三鷹は荒木が先ほど申し上げましたように、久米裕事件があります。
そしてこの調布ではこの「神津島で消えた兄」と言う、まさに高野清文さんが住んでいた場所であり、高野清文さんが通っていた大学、電気通信大学と言うのがある。

そこを通ってずっと行きますと、山梨になるわけですけれども、山梨では今日のメインのテーマでありますけども、山本美保さんが失踪した場所です。
山梨と言うのは非常にある意味を山にかこまれて誰でも何をしているか分かる小さな、と言っちゃ失礼ですけど非常にコミュニティが小さいところですから、今名乗りを上げていらっしゃるのはホンの河合健次さんと言う方と山本美保さんの二人だけですけども、失踪事件の非常に多い場所です。
しかも私たちに届けられない失踪者の家族がたくさんいる

それから山梨を通りまして長野に行きますと、長野と言うのは朝鮮総連の非常に活発な場所なんです。
数はそんなに多くないですけど、規模も数もそんなに多くないんですけど非常に活動は活発なところなんですね。
それを裏付けるのがですね、辛光洙の存在です。
辛光洙と言うのは先ほど荒木が説明しましたように原敕晁さん(拉致)の犯人ですけども、この辛光洙が一時的に職を得ていたのが長野県です。
自動車専用道路の切符切りをしていました。
ですからおそらく皆さんもそこらへんの有名な観光ルートですから、1970年くらいにそこの道路を通ったら辛光洙がおそらく皆さんの切符を切ってると思います。

そして長野を北上しますとですね。
これを言うと風評被害になるので言わないでくれと言われているんですけど、大町があるんですね。
で、この大町が非常に問題のある町です。
辛光洙を支援していた在日の協力者がいます。
それから年配の方は覚えていらっしゃると思いますけど、朴正煕(パク・チョンヒ)、朴大統領の射殺未遂事件。
奥さんが亡くなった事件がありますね。
そのときの犯人、文世光(ムン・セガン)、ぶん・せいこうですね、日本語で言うと。
彼が匿われていたのもこの大町です。
大町にはそういった北朝鮮の工作員を支援する個人がいるわけです。
誰なのか?ってのは分かってますけども、それを言うと私は訴えられますのでこれ以上は申し上げませんけど、そういう存在が大町にはおります。
そこでも失踪事件がある。

そして糸魚川に抜けていくわけですね。
糸魚川から富山方面と新潟方面に分かれていくわけですけども、新潟の方はご存知のように万景峰号がしょっちゅう入ってくる港があるわけですからここが終点になるんですけども、富山方面が見逃しちゃいけないんですね。
富山方面では富山を抜けて新湊と言う小さな港があります。
そこが小さいですけれど国際港でございまして貿易港でございまして、ここに万景峰号がしょっちゅう入ってきてたんです。
北朝鮮の貨物船がしょっちゅう入って来ていて、おそらくここが終点だろうと、そう思っています。

このルートで失踪者の数なんですけど450人くらいのお届けがあるんですけども、私どもにですね。
その内の実に150人の失踪がこのルート上で存在すると言う事です。
警察庁の専門家に話すと笑って、「そんなもんありゃせんよ」と言われるわけです。
確かにこのルートが工作員の名前で存在している事はないと思うんです。
ただこういったルートこういった集積状況こういったところに住んでいる協力者、と言うものの連携の中で拉致が行われたのは否めないんじゃないかな?と思っております。

で実はその証明として現れたのが藤田進さんと言う事件です。
これも去年写真が出て大きな衝撃的な写真だったんですけども。
この藤田進さんの失踪事件、我々は拉致と思ってますけど、拉致事件に拘った・拉致を手伝わされたと言う人物がいるわけです。
証言をしている方がおられるわけです。
自ら、まぁ名乗ってはおりませんけども、「私が藤田さんを運びました」と、「運ばされました」と、脅かされて。
この方は2回ほど私ども面会したわけですけども、「私も日本人である」と。
で「嫌々手伝わされた」「良心の呵責がある」と。
「だから藤田進さんだけは何とか助けてあげたいんだ」と言うような事から私たちに接触をされてきたんですね。

でその方がどう言っていたかと言うとですね。
「足立区の西新井病院の運転手をしていました」と。
で、「あるとき命令されて男性を一人運びました」と。
それは西新井病院の施設があるんですね。
千葉県に保養施設がある。
「そこの保養施設に監禁されていた若い男性を車に乗せて、この千葉・東京・山梨・長野を抜けて糸魚川と言うルートを通って車で運びました」と。
で、「糸魚川で別の人物に若い男性を渡しました」

でその若い男性は誰ですか?と言う話になって行ったんですね。
その結果、あの写真が出てきて当時の若い男性は「藤田進さんで間違いない」と証言をされたわけなんです。
これはですね、とても重要な事だったので私たちも極秘と言う事で取り扱ったんですけども、それがなぜか今年の正月にですね。
週刊新潮にすっぱ抜かれました。
その結果私たちにこの証言をもたらしてくれた男性は、それ以来一切接触が途絶えてしまいました。
残念な・・・ですからその話が本当なのか嘘なのか検証する間も無くですね。
現在に至っているわけであります。

そうしたところ10月の14日、西新井病院の中にある金萬有科学振興会の、そこの理事をしている人物が薬事法違反だという事でガサ入れがあるんです。
ガサ入れの結果一週間前くらいに結論が出まして、50万円の罰金と略式起訴と言う形で一件落着と言うことでありますが。
この50万円の罰金の為に警視庁がどれだけの人間をどのように動員したか?
実際の数字は分かりませんけどテレビでも出ましたから相当の数だったのもあるわけですけど、300人から400人の警察官が動員されました。
そしてテレビでは映されてませんけども、新聞記者さんたちが言ってたのは、その後ろにはマシンガンを持った警察官も待機していた。
それくらい厳重に捜査をしていた。

それから、結果11箇所の捜索で終わったんですけども当初は26箇所、全国で26箇所です。
東京だけじゃなくて大阪方面、あらゆる所を捜索したんです。
で薬事法違反とは無関係の所までもガサ入れをしているわけであります。
で警察はですね。
今日警察の方いらしてると思いますけども、これは全部薬事法違反ですと。
拉致とは関係ありませんと言う話をず〜っと記者会見では言ってますけども、そんな事はないと言うのがだいたい一般的に考えられるわけなんです。

それで、あの〜〜、えっと、あと5分くらいで終わりなんですね?(司会の方に尋ねる)
それでですね、その後藤田進さんは加瀬さん同様写真が出てきました、北朝鮮から。
専門家の橋本先生もほぼ間違いがないだろうと言う鑑定を、橋本さんが間違いないと。
で二つ目、安明進さんはですね。
北朝鮮で藤田進さんを目撃していますと証言しています。
これは中々表には出ないんですけども、市川修一さんですね。
一緒にいて安明進にタバコをくれた優しい親切な若い青年だと言っています。
私に証言してくれる人物が存在する。
この3つがあるにも拘らず、警察はまだ認定していません。
と言うか政府は、と言った方が良いかもしれません。
拉致被害者として認定する最期の判子を押すのは小泉総理ですから、小泉さんが判子を押さない限り拉致認定されないわけです。
だから警察としては相当の資料、相当の証拠があるにも拘らず、加瀬さん同様藤田さんについてはなんら手を打っていないと言うのが現状で。

時間もないのでこれは一体なんだ?と言うことです。
山本美保さんにしても大沢さんですね。
今日お兄さん来られてますけど、あれだけ怪しい事件、物証に至る物も存在するにも拘らず、日本政府が認定しないのはなぜか?と言うことです。
これはもう、警察に問いただしますと政府に問いただしますと証拠が無いと言うんです。
証拠がないからだと言われる訳です。
先ほど荒木がお話しましたように、証拠が出りゃこんな簡単な話はないわけでありまして。
拉致と言うのは一切証拠を残さないで行う完全犯罪ですから、そこで証拠がないから拉致認定しませんでは一生かかったって認定できないと、言うところなんです。
ここが苦しいところなんです。

だから我々は状況証拠だとか目撃証拠だとかこういう写真だとか、こういう話を集めて集めてこの人は間違いないでしょうって、政府に言ったりあるいは警察の方に訴えても、証拠がない。
じゃあどこまで証拠が必要なんですか?と聞くと日本から出たという証拠が欲しいと。
次、北朝鮮にいるという証拠が欲しいと。(会場内から小さな笑い声)
それを我々に(真鍋氏、少し自嘲気味に)我々に出せと言うんですか?と。
加瀬さんについてこれだけの写真があります。
これだけの状況証拠がありますと。
藤田さんについてはこれだけの状況証拠がありますと、それでも認定しないと言うのは認定したくないということなんです、要は。

誰が?
それは現場の警察官の方は一生懸命です、本当に。
本当に一生懸命に、暑い中も寒い中も一生懸命やってらっしゃって、相当のデータ、相当の情報がこんなに集められているにも拘らず、最後の段階になって認定せずというわけです。
なぜでしょうか?

日朝国交正常化の障害になると言うわけです。
特定失踪者、これ以上話をややこしくしたく無いと言うわけです。
ただでさえ日朝間の交渉がデットロックになっている所へ加えてまた特定失踪者の問題だ?
こんな物は後回しだと言うのが、まぁ正直な今までの政府でした。
我々も外務省と警察庁とこういうことでしょっちゅう喧嘩をしています。
荒木は普段はあんな穏やかなんですけども、いざとなったら怖いですからね。
本当に。

机をぶん投げて怒る位の事をするわけですけども、ようやく安倍官房長官になられてですね。
この状況も少しづつ変わるだろうと言う期待もしておりますけども、ただ官房長官が一人頑張ってもですね。
あの政治構造の中では中々難しいと思います。
やはりそれを支えていくのは皆さん国民一人一人の声しかないと思います。
安倍さん頑張れ!拉致議連の幹部の皆さん頑張れ!国民は応援してるぞ!と
そして特定失踪者の問題も忘れちゃいないんだぞ!と。
山本さんや大沢さんや藤田さんやそういった人たちの問題が解決しない限り、拉致問題の解決はない。
そして日朝国交正常化も無いんだということをですね。
皆さんが強く訴えていくしかないんじゃないかな?と思っております。

それで私どもにもですね、ぜひ昔こんな事が会った、こんな変な事件があった、こういう人たちがいるぞと言う情報があったらいずれもお知らせ頂きたいと思います。
どうか皆様方の一層のご理解とご協力を頂いて、一日も早く。
本当に本当にそうなんです、一日も早くこの問題解決したいです。
ホンマに、荒木も私もこの問題8年間やってます。
でもご家族はその3倍4倍苦しんでいるわけです。
30年40年苦しんでいるわけですから、本当にそういう意味で一日も早く、この問題を皆さんと一緒になって解決したいと思います。
どうか今後ともご支援をお願いしまして、私のお話をさせていただきます。
どうもありがとうございました。(拍手) 

2005年12月10日

山梨県民集会05.11.30 韮崎市文化ホールにて

去る11月30日、山梨県は韮崎市で開催されました山梨県民集会での、荒木和博・特定失踪者問題調査会代表のテキストを入手いたしました。
先日立川市で開催された三多摩市民集会でのお話と重なる部分もありますが、荒木氏のお話は拉致問題の基本を考える上で非常に分かりやすいと思います。
拉致問題の関心を深める為にも、どうぞご一読をお願いいたします。

このエントリーのテキスト作成者は金木犀様です。
快くテキストの転載にご同意頂きました事、御礼申し上げます。

・・・・・・・・・・

『山梨県民集会にて 荒木和博さんのお話』

ご紹介いただきました荒木でございます
今日はこんなにたくさんの方々、おいでいただきまして、ほんとにありがとうございます。私は山梨に別に血縁はありませんけれど、ずっと無尽のグループに加わっておりまして、最近忙しくてそこに参加できないんですが、今日は無尽の仲間も来てくれております。
そういうご縁もあるということで、お話をお聞きいただければと思います。

今日これから後ほど森本美砂さん、横田ご夫妻のお話があると思いますけれども、この問題につきまして是非ともまず一番最初にご理解をしていただかなければならないことがございます。それは何かと申しますと、この問題が、単に拉致被害者がかわいそうだから、救出運動をやるという問題ではないんだということでございます。

拉致は、何十年も前から行われて参りまして、比較的最近でも、おそらく拉致ではないかと思われるケースがある。北朝鮮は拉致をやめたということは一言も言っておりません。これから先も必要であれば拉致は行うでしょう。そして主な拉致場所というのは、別に日本海側だけではありません。太平洋側でも、この山梨県のような内陸でも、どこでも行われるんです。

ですから、拉致被害者の救出の運動というのは、拉致をされた方々がかわいそうだから、自分と違う立場になった人がかわいそうだからやるんではなくて、これから先、ここにおられるみなさんや、そのご家族をどうやって守るかということをやっていくための活動だということです。

横田めぐみさんの事件は日本海の近くで起きておりますから、海岸の事件というふうに思っていらっしゃるかもしれませんけれど、あの事件も決して海岸の事件ではありません。ずいぶん離れております。やられた場所はご自宅の近くです。つまり、それはこの韮崎の町の中であっても、何一つ変わることはないということでございます。

今日は県警の方も、いろいろ警備をしてくださっていると聞いております。山本美保さんの話をしてしまえば、どうしても県警の批判をせざるを得ない。あるいはそれ以外でもこうやって一生懸命来てくださっている方々の中には、若干差し障りがあるかもしれませんが、敢えてこの問題はそういうことで遠慮を強いるわけにいかないということで、お話をさせていただきます。

横田さんの事と山本美保さんの事と、非常に共通した一つのことがございます。そして、その共通したことに直接関わった、私自身は唯一の証人でございます。

どういう話かと。3年前、いわゆる小泉第一次訪朝のとき、あの時に何があったのか、ということでございます。あの日横田さんご夫妻をはじめとする家族会のみなさん、そして私ども救う会のメンバー、あるいは拉致議連の役員、衆議院の議員会館に陣取りまして、その状況を見ておりました。

昼頃に首相管邸の方から(当時8件11人と申しましたが)「政府認定の拉致被害者全員の消息を伝える。だから外務省に来てもらいたい」というふうな話がありました。

行くつもりはなかったんですが、しかし、全員の消息が伝えられるというふうに聞きましたので、半信半疑で、外務省の麻布にございます飯倉公館というゲストハウスにみんなで向かいました。

こういうときだけは政府も手回しが良てくですね、観光バスが一台きておりまして、これに乗っかって飯倉公館というところに行きましたのが、(議員会館を出たのが丁度3時でしたから)3時半すぎだったと思います。そこで小一時間待たされまして、まず横田さんのご家族から、別室に呼ばれました。今日おみえのご両親とそして双子の弟さん、更に救う会で佐藤会長と当時事務局長だった私でございます。

そこで、植竹繁雄さんという外務省の副大臣が通告をされました。「まことにお気の毒ですがお嬢さんは亡くなっておられます。」と。お母さんは「そんなこと信じられません」というふうに言ったんですが、植竹さんは「何度も確認しました。何度も平壌に確認をして本当かどうかということを、確認をしたのでこんなにお待たせしてしまったんです。」という風に伝えました。


あの時、私自身でなくてもそうですが、この拉致の救出活動に関わっている者であればおそらく誰でも、心の奥底に<ひょっとして、この救出運動によって、拉致された方々の身が危なくなるんではないか>という懸念していない人は一人もいないだろうと思います。私自身、これをやっていけば絶対に取り返すことができるという確信をもってやっているわけでございますけれど、それでもやはり心の奥底にそういうものが無かったといえばうそになります。

あの植竹副大臣からの通告を聞いたときには、私は「自分のやったことは人殺しだったのか」ととっさに思いました。頭が真っ白にあるというのは、正にああいうことでごさいまして、「取り返しがつかないことをしてしまった」という思いがしていたわけです。

そのあと有本恵子さんのご家族、そのほかのご家族が順次呼ばれまして、「亡くなりました」といわれました。「亡くなりました」といわれたご家族が、「いつ亡くなったんですか」「何で亡くなったんですか」という風に聞いても「わかりません」「わかりません」というだけです。しかし「確認はした」ということでした。

実は、これがまったくの嘘だったんです。翌日になってこれがほとんど偶然に近い形でわかりました。

さすがに外務省に連れて行かれて、副大臣、あるいは別の方は、当時の福田官房長官から、この通告を受けまして、そこまで言われるんだから、さすがにいくらなんでも「確認をしたんだろう」と思いました。それでも、やはりですね、<最後まで、本当にわれわれが納得するまではやらなければいけない>という思いだったんですけれど、半ばあきらめかけていた。

翌日、小泉首相に会って話を聞きたいというふうに、要請をしたんですが、小泉さんは「忙しくていけない」ということだったので、翌9月18日の11時半ごろだったと思いますが、記者会見をやって解散をいたしました。

泊まっているホテル荷物を片付けながら、「さてこれから先、どうしたらいいんだろう」「どういう風に責任をとれるんだろうか」という想いで、途方にくれて荷物を片付けておりましたら、電話がかかってまいりました。

電話をかけてきたのは、当時拉致議連の事務局長でありました、平沢勝栄さんでございました。平沢さんは、のちにいろいろな経緯がありまして、いろいろうまくいかないことがあったわけですけれども、あの時平沢さんの電話がなかったら、状況はまた、全く変わっております。

平沢さんの電話はどういうことかといいますと、「今平壌で、蓮池さんたちに直接会った、梅本さんという(当時イギリス大使館公使・前の北東アジア課長ですが)この方がまだ東京にいる。ひょっとしたら会えるかもしれない」という話でございました。「それはじゃぁ、是非すぐにお願いします」と頼んで、連絡の取れるご家族に引き返してもらいました。といっても、横田さんのご家族、蓮池さんのご家族だけです。蓮池さんのご両親とお兄さん、そして横田さんのご両親と双子の弟さんたち、そして私の合計8人。

その日の5時半だったと思いますが、外務省に参りまして、梅本さんに会った。
そこで話を聞いたら、梅本さんははっきりと「いや、確認はしていません」と言いました。「北朝鮮の行ってきた言葉を、東京にそのまま伝えただけです」という風にいったんです。

「話が違うじゃないか!<北朝鮮側がこういっているという話>と、<確認をしました。亡くなっておられますという話>は天と地の差がある。これはまったくの違った話である。訂正をしなさい」というふうに申し入れだんですが、梅本さんは「上司と相談して」いうだけで何も動こうとしませんでした。

みなさん、覚えていると思いますが、あの9月17日の昼過ぎから、選挙の開放速報のように、テレビにこうやって「だれだれさん、横田めぐみさん死亡、蓮池薫さん生存」と(テロップが流れました。)覚えていらっしゃる方もあると思います。あの時は、まだご家族には何も伝えられてはいない。あの時政府がやったことは、実はとんでもないことです。つまり家族を外務省の公館の中に隔離しておいて、マスコミから切り離しておいて、そこで話をする前に、もう情報をどんどんリークして、誰が生きてる、死んでるという話をどんどん流してしまった。そして家族には、確認をしていないことを、「確認をしました。間違いありません」 と伝えたんです。

あの時、もし政府が、確認はしていません。北朝鮮はこういっています。という風に言ったらですね、世論の受け止め方、あるいはマスコミの報道は全部違っていました。亡くなったということだけ伝えている。

しかもそれだけではありません。あの9月17日の朝の時点で北朝鮮側から伝えられた書類には、死んだといわれた人たちは、死んだ日付まで全部入っていた。ところがその日付を聞いたときには、政府は伝えていない。ご家族が飯倉公館で「いつ死んだんですか」といってもですね、「わかりません」といっているんです。わかりませんじゃないんです。わかっているんです。わかっていて伝えなかった。どうして伝えなかったか?その日付が完全にでたらめだったからです。目撃証言があった日付より、もっと前に死んでいることになっているんです。ご家族が見たら、みただけでこれはウソだとわかる。うそだということがわかってしまえば、そこで拉致問題を終わりにしようとしていたのが、ご破算になってしまう。ということでそれを伝えようとしなかった。

のちにマスコミが事実をすっぱ抜きまして、明らかになるわけでございますけれども、私は、この一連の動きを見ていまして、『国家権力が、いかに恐ろしいものか』ということを、本当に痛感しました。

あの時は日朝国交正常化をどうしてもやりたい。そのためには、国民の命など関係ない。これが、あの時小泉政権が、やったことでございます。

そしてその一年後、二年後ですね(数えながら)3月に、夜森本美砂さんから電話をもらいまして、「山梨県警から電話をもらって、山形県で見つかった遺体とDNA鑑定の結果が一致したというふうに伝えられてきた」という話でございました。

あの時も同じようなショックを私は受けました。絶対に探し出して会うことができると思っていた山本美保さんがはるか前に亡くなっていたと。どういうことなんだという思いがしたんです。

ところが、あの、その前の、9.17の時の横田さんの話がございましたので、あのときに非常によく似たものを、私は感じました。(のちほど、この山本美保さんのことについては清水さんをはじめとしてご報告もありますし、お手元の資料にも書いてございますので、細かいことは省略しますが)とにかくDNAが一致したということ以外、すべての情報が違っているんです。体のサイズが違う、遺留品が違う。そして、もしバックのおいてあった柏崎の海岸で入水自殺をしたとしても、山形の海岸に13日後にたどり着くという可能性は、ほとんど<0>に近い。

もし警察が、本当に確信を持っているならば、DNAがちゃんとその鑑定をやったものであってそして間違いないと思っているんであれば、ほかの事の矛盾もすべて解消されるはずです。せめて一つや二つぐらい、何かですね、「いや実はこれ新しいことがわかった」ということがあるはずです。全くない。

先ほど挨拶をなさった赤池衆議院議員も初質問で、山本美保さんのことを質問をされましたけれど、そのときも、警察の刑事部長は、この事実関係について、一切答えることができません。

私は、やはりこれは、どう考えてもこれは県警が嘘をついているとしか思えない。そして、こういうことは、県警だけで決まられた問題では、私は、ないと思わざるを得ないわけでございます。

残念ながら、それがこの国の現状です。

そしてその被害者になる可能性があるのは、これから先、ひょっとしたら、ここにおられるみなさんや、そのご家族かも知れません。

前の官房長官、細田さんは、今年の6月の参議院内閣委員会の答弁の中で、「どうやって拉致された被害者を取り返すんですか。具体的に教えてください」いう質問を受けましてこういうふう答えました。
「相手側の政府、相手側にいるわけですから、話し合いをして、向こう側が『わかりました、拉致しておりました、返します』というまで粘り強く話し合いを続けます。」という言葉を言っておりました。

話し合いをして帰してくるぐらいな国ならば、最初から拉致などするわけがないのです。われわれはそういう異常な国を相手にして戦っている。それを《話し合いをして、『わかりました』というまでやるんだ》ということは何を意味しているのか?

《この国の政府が埒被害者を絶対に取り戻さないと国民の前で断言したこと》 と全く同じでございます。

ですから、皆さんのご家族が、もしこれから拉致されたとしても、この国のやり方は同じです。《向こうの国に行ってしまっているんだからあとは煮ても焼いても好きなようにしてくれ》ということにしかなりません。

私たちは、しかし、そういう中ですべての拉致被害者を取り返していかなければいけないんです。
それは単に拉致されたかたがただけではなく、私たち自身の安全を守るためでもあります。

先ほど会場の中で流れておりました、私の声で名前を呼びあげておりましたのは、現在北朝鮮向けの短波放送を流しておりまして、「しおかぜ」という名前で、毎日夜の11:30から12:00まで、北朝鮮に向けてあのように拉致被害者、あるいは拉致の可能性がある失踪者のお名前を読み上げております。12月8日からは一時間に延長してできる予定になっておりますが、あの読み上げをしながら私自身、いつも思うんですけれども、あの中で「だれだれさん、昭和×年×月○日生まれ、昭和×年×月○日、どこどこで失踪、当時何歳、現在何歳・・・」自分で読み上げながら、一体この人達にとってこの20年、30年の日々というのは、一体何だったんだろうということを本当に感じます。

この人達がもし無事に帰ってきたとしても、私たちは、「一体どうやって謝れば良いんだろう」しかし、更に言えば、それでもまだ、謝れる相手が残っていてくれればいい。「あの時やっていなかったから間に合わなかった」と言うことになってしまったら、私たちは一生そこに悔いを残さざるを得ないわけでございます。

この拉致の問題というのは我々自身が「日本というのは本当に安全な国だ」と思っていたその間違いから起こったんです。確かに、街中に夜中に女性がひとりで歩いていても大丈夫だったかもしれません。しかしそんなことは、多少注意すればいいことです。それよりも、『外国の国家機関の力によって、人が拉致されている』そのことの方がはるかに危険なことです。

日本の政府は間違いなく、今よりもたくさん(今政府の認定者、16人ですが)それよりはるかに多くの方々が拉致をされていたことを知っていました。今でも、もちろん知っています。しかしそれを公表することはありません。

みなさん、現在政府が認定している16人。あの中で、政府のほうが誰も何にも言わないのに、自分から「この人は本当は北朝鮮が拉致をしておりました」と言ったケースが何件あるか、おわかりになりますか?
事実上一件も無いんです。

横田めぐみさんの事件は、現代コリア研究所というところの「現代コリア」という月刊誌が発端となってわかりました。アベックの拉致事件は、産経新聞が昭和55年の1月7日にスクープした記事でわかりました。あるいは田口八重子さんの事件は、大韓航空機の爆破事件、キム・ヒョンヒが、リ・ウネと呼ばれていた日本人女性に日本語や日本の風習を習っていたという事でわかった事件です。

そのように考えていくと、マスコミが明らかにしたか、あるいは工作員が捕まって自供したか、それがほとんどであって、政府の方から自分から、警察が何も知らない、国民が何も知らない時に、「この人が拉致です」と言ったケースは、実は事実上一つもないのです。

ということは、今日、本政府が認定している以外に、はるかにたくさんの人たちが、拉致をされていると言うことです。

曾我ひとみさんのことは、警察は「あれは違う」と言っていました。その人が拉致だとわかった。

でもみなさん、曾我ひとみさんのその曽我ひとみさんが拉致されていた。要は誘拐犯である北朝鮮の方が先にこれを出してきたんです。その時に日本政府の中で、誰か「曾我ひとみさん、これまで24年間、拉致を気付かなくて申し訳ありません」と言った人がいたか。ただの一人もいません。総理大臣も官房長官も、国家公安委員長も、警察庁長官も、新潟県警本部長も、誰一人として、責任を取った人も、お詫びをした人すらいません。

つまり皆さんのご家族がいなくなって、何十年か囚われていて、そしてそれにこの国が気がついていなくても、出てきても、誰も、誰もお詫びもしない。お詫びをしないと言うことは、どういう事かというと、つまり自分たちが拉致された人が何処にいるか、誰が拉致をされているかと言うことを、調べるための責任を持っている人が、ひとりもこの国にいないと言うことです。

この状態は絶対に変えていかなければいけないと思います。

この拉致問題というのは、最近タイの拉致の問題がでておりますけれど、単に一つや二つの問題ではない。レバノンでもやられておりますし、マカオでもやられておりますし、そして他の地域でも、恐らくやられていただろうというふうに捉えております。北朝鮮という国にとって、拉致をするということは当たり前のことであって、たまたま日本人をやったわけではない。

今横浜の赤煉瓦倉庫の先に置いてあります、あの九州南西沖での沈没した北朝鮮の工作船。見て頂ければわかります。全く漁船とは違う形状をしています。水の中に沈んでしまうとわかりませんが、丘の上に上げてみると、もの凄い切り立った、こういうV字型の船首をしている。シロウトが見てもこの船が工作目的につくられたということはすぐにわかる。漁船をたまたま改造して、ちょっと工作活動で使ってみようと言うのではないんです。その為の船を造る。そして、それを運用する人を育成している。こういう事をやって来た国があるわけです。

そして、あの船は海上保安庁の船に銃撃されて沈んだわけではなくて、自分で自爆して自沈をしております。この平和な日本に、自殺することを覚悟して、全員自爆することを覚悟して入ってくる工作員が、あの時のそうだったし、恐らく今でもいるだろうということです。恐らく、この山梨県の中にも、そう言う工作員はいるに違いない。ひょっとしたらこの会場の中にも来ているかもしれません。

私たちはそういうものと戦って私たち自身の安全を守って行かなければいけないと言うことでございます。

この問題は、そういう意味で言うと、非常にですね、この国はこんな事で良いのかと言うことになってしまう。しかし、そればかり話をしていくとだんだん暗くなって参ります。

一方でこの国は、大きく今変わりつつあります。そして本当に持っている力を発揮しつつある。それはどういう事か。あの9.17のあと5人が10月の15日に、羽田空港でタラップを降りて帰って参りました。そのときに五人を私は下で迎えていたわけですけれども、どういうふうに感じたかというと『なんだ、やればできるじゃないか』ということです。

拉致の救出運動の一員として世論を盛り上げて国を動かせば取り返せると思っていた私自身でも、本当にあの五人が帰ってきたときには、『あ、本当にできたんだ』という思いをしておりました。

この国の力というのは決して小さくはありません。世界第二の経済大国でございます。そしてアジアの最大の民主主義の国であって、世界のリーダーたる国です。その国の力を持って、拉致事件が解決できないわけはございません。
そして、それを実現していくのは、今日ここにこうやって集まって頂いた、たくさんの方々のお力です。こうやって集まっていただいて声を上げていただくことがこの国の政府を動かしてきたんです。外国から見れば、日本はすごい。拉致された人々をあのテロ国家から取り返したということを、非常に評価をしてくれる。ですからこの力をもっと絞り込むことが出来れば、北朝鮮から被害者を全員取り返すことは、絶対に可能でございます。

私は来年の末までに、すべての被害者を絶対に取り返して見せるということを公約致しております。それができなければ自分なりに責任を取らなければならないと思っておりますけれども、我々は、それは絶対に可能であると考えます。

そして、その方向を導いていくのは、ここにお集まりのみなさんだと言うことです。

この問題は被害者だけの問題ではない。この国全体を律していくという問題です。

我々は、この国の中に今生きておりますけれど、この国はわれわれだけの国ではありません。これまで何千年もの間、この国を創ってくださった我々祖先のものでもある。そしてこれから先生まれてくる我々子孫のものでもあります。我々は単にその中継ぎをしているに過ぎません。

ですから、我々として過去の人たちに恥ずかしくない国を創り、そして次の世代に恥ずかしくない国を渡していくということをしなければいけない。拉致被害者の救出は日本人だけではなく、韓国人はじめとする他国の拉致被害者の救出にもつながりますし、そしてその次には、あの北朝鮮の中で苦しんでいる2000万の国民を救うことにも繋がります。

我々自身の安全を守っていく。そしてすべての被害者を救出して、北朝鮮の人々を助けてアジアの平和を守るのか?あるいは、それらすべてを見捨ててそれによって、自分たちの安全も脅かされることを許すのか?選択は二つに一つでございます。

これからやらなければならないことは本当に今まで思っていたこととまったく違う局面が必ず出てまいります。しかしその局面を絶対に乗り切って行かなければ行けません。
皆様方のお力で、全員が帰ってこれるように、そして山梨県の被害者は山梨県に、暖かくお迎えすることができるように皆様方のご協力をお願いいたしまして、私のお話を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

国民大集会のお知らせ

ご訪問の皆様はすでにご存知の事と思いますが、下記のご案内の通り、今月は大阪と東京で大規模な集会が開催されます。
どちら様も年末の何かと忙しい時期だとは思いますが・・・実際問題、私も個人的にかなり?忙しい(^^ゞ
何とか時間をやり繰りして、東京の集会へ馳せ参じる予定でおります。

一人でも多くの方にご参加頂き、国民の拉致問題へ寄せる関心の高さを政府・マスコミ、そして世論に広くアピールする場となればと願っております。
ご訪問の皆様方に置かれましても何とか万障繰り上げてのご参加を検討していただければと思っております。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

尚、仕事の都合・地方在住などでどうしても参加できない方は、この機会にハガキ・メールなどで、是非政府にあなた様の声を届けて頂ければと思います。
あて先などはBlog右に案内がございますので、ご協力をお願い申し上げます。


★12月16日(金)国民大集会 関西大会

タイトル めぐみさんたちは生きている!
制裁発動で拉致被害者救出を!
国民大集会 関西大会
日 時 12月16日(金)午後6時半〜8時半 5時半開場(先着順)
場 所 大阪府立国際会議(グランキューブ大阪)
登壇予定者 横田滋・早紀江代表夫妻等家族会10名余
佐藤勝巳救う会会長等
平沼赳夫拉致議連会長等
特定失踪者家族・特定失踪者問題調査会役員
安明進・元北朝鮮工作員他
会場案内 大阪府北区中之島5−3−51 堂島大橋すぐ、リーガロイヤルホテル隣
JR福島駅・新福島駅、阪神福島駅、地下鉄阿波座1番・9番出口・肥後 橋3番出口より各徒歩約10分
参加費 無料(会場カンパ歓迎)
主 催 家族会・救う会全国協議会・拉致議連・大阪ブルーリボンの会・救う会滋 賀・救う会京都・救う会兵庫・救う会和歌山
連絡先 〒112-0033東京都文京区音羽1-17-11-905
電話03-3946-5780 FAX03-3946-5784
info@sukuukai.jp http://www.sukuukai.jp/
大阪事務局 電話072-277-4140 FAX072-277-4309


★12月22日(木)国民大集会 東京

タイトル めぐみさんたちは生きている!
制裁発動で拉致被害者救出を!
国民大集会
日 時 12月22日(木)午後6時半〜8時半 5時半開場(先着順)
場 所 日比谷公会堂
司 会 櫻井よしこ・ジャーナリスト
登壇予定者 横田滋・早紀江代表夫妻等家族会10名余
佐藤勝巳救う会会長他全国幹事
平沼赳夫拉致議連会長等
特定失踪者家族・特定失踪者問題調査会役員
韓国・拉致被害者家族
安明進・元北朝鮮工作員他
タイ国のスカム・パンジョイさん(アノチャ・パンジョイさんの兄)来日予定
会場案内 千代田区日比谷公園1−3
地下鉄霞ヶ関駅B3出口、内幸町駅A7出口、日比谷駅A14出口
より各徒歩3分
参加費 無料(会場カンパ歓迎)
主 催 家族会・救う会全国協議会・拉致議連
連絡先 〒112-0033東京都文京区音羽1-17-11-905
電話03-3946-5780 FAX03-3946-5784
info@sukuukai.jp http://www.sukuukai.jp/
posted by ぴろん at 15:13| Comment(0) | TrackBack(0) | ご挨拶&お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月09日

「古川了子さん第4回行政訴訟報告会」テキストアップのお知らせ

去る6日、東京地裁での古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟後の報告会の模様を、支援者のお仲間である原良一氏が全文テキスト化をしてくださいました。
さっそく再構成の上、当Blogにて公開いたしました。
全部で9つのエントリーはかなりの長文になりますが是非ご一読をお願いいたします。

テキストの中でも何度か触れておりますが、特定失踪者の認定に関して、国の態度は冷たいの一言に尽きます。
また、この問題についてのマスコミの関心度・世論の関心度も決して高くはありません。
古川了子さんの拉致認定が取れるか否かは、拉致問題の行方を考える上でも重要なポイントであると思います。
どうぞ一通りテキストに目を通していただき、この問題に対しての関心と知識を深めていただきたいと思います。
よろしくお願い申し上げます。

最後になりましたが、この報告会のテキスト化にご尽力いただいた原良一氏に、この場を借りて御礼申し上げたいと思います。


★カテゴリー「集会テキスト(古川了子さん第4回行政訴訟)」より
http://piron326.seesaa.net/category/942703.html

テキストは以下の9本です

『川人博弁護士による裁判報告』
『安明進氏のあいさつ(宋允復氏の通訳を再構成)』
『原田敬三弁護士のお話』
『生島馨子さん(特定失踪者・生島孝子さんの姉)のお話』
『一般傍聴者(川人弁護士の教え子)の感想』
『二瓶和敏弁護士のお話、もう一度原田弁護士のお話他』
『杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事のお話』
『竹下珠路さん(特定失踪者・古川了子さんの姉)のお話』
『もう一度安明進氏、調査会の杉野氏のお話』
posted by ぴろん at 10:34| Comment(0) | TrackBack(0) | ご挨拶&お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

古川了子さん第4回行政訴訟報告会(9)05.12.6 東京弁護士会館にて

『もう一度安明進氏、調査会の杉野氏のお話』

★安明進氏 

わたくしも、もっと力を尽くしてがんばる所存です。
日本政府も含めてしばしば誤解されることですが、北朝鮮が、拉致被害者は既に亡くなったとか、日本側でも殺してしまったのではないかとお考えになる方もいらっしゃるようですが、北朝鮮は、拉致被害者を殺すことはできません。被害者は必ず生きていますし、戻ってきます。
ところが、既にこういう人がいたという明らかな証言がある人についてまで、日本政府の認定がここまで手間取るというか、躊躇する状況であっては、先程も申し上げましたが、一体彼らが生きて戻ってきた時に、どういう対応をするつもりなのだろうと思います。
最後まで私の証言を信じていただいて、闘っていただきたいということでございます。(拍手)

★司会(川人氏)
あのすみません、杉野さんの方からもう一つ、短波放送の話しが抜けました。

★杉野氏

再び杉野でございます。お知らせということで、裁判とは直接関係はないわけですけど、今調査会の方で「しおかぜ」とい銘打ちまして、北朝鮮の方に短波放送を10月30日から流しております。
聞くところによると、日本全土でも聞けるということなんですけれども、どうやら平壌でも聞けた、という情報も入っております。
何とか、ここにもいらっしゃいますけどご家族の声、それから日本人が待っているんだという、探しているんだと、絶対に助け出すという声を、拉致被害者に伝えたいということで始めていまして、現在、毎日30分間放送しておりますけれども、これが12月8日から、放送時間を1時間半に延長することが決まりました。
時間が、夜の11時から12時の1時間と、それから早朝の4時から4時半、これで毎日放送いたします。

特定失踪者の公開されている方の、お名前、生年月日、どこでいなくなったとかそういう情報の読み上げが一つと、それからご家族の皆様にメッセージをいただきまして、それを読み上げるということ、それから、これはこれから作業をしていくわけですけど、ご家族の皆さんの直接の声を、電波に乗せて北に送りたいと・・・。
あるいは、これは案外広範囲に電波が行ってるみたいですので、例えば、英語で解説をすれば、そこに来た旅行者が聞いているとか、あるいは韓国語で話していて、それを解する人たちがそれを聞いていて、日本では、こういう問題が起こっているということを、知ることができる。
そういうことを狙って、これから番組作りをやっていきたい、と。

周波数は5890MHz、短波放送が聴けるラジオであれば、実は私も聞きましたけれども、かなり良く聞こえます。
お天気ですとかに随分左右されるみたいですけど、アンテナを真上に立てれば、かなり聞こえる。
日本全国で聴けたという報告が入っております。
なぜか、今日本国内での反響が、非常にあって、北朝鮮以外でも、中国ですとかからも聞こえましたとのお便りをいただいておりますので、是非拉致被害者の耳に届けるように、もっともっと工夫をしていきたい、と思っております。ご協力お願いします。

★司会(川人氏)

これは当然ながら、国営ではございませんので、広範なカンパによって、このラジオ放送は(杉野氏:「その大事なことを言い忘れて・・・」)成り立って(笑)、何か大事なことを言わなかったんですが、放送を継続するために資金援助を、皆さんにご協力をお願いしているということですので、またその点もご配慮してください。

どうも長い時間ありがとうございました。
次回は、ほんとに重要な裁判の期日となります。
次回どういう判断になるか、証人を何時どういうふうに聞くのか? あるいは、まったく聞かないという危険もゼロではない。
非常に重要な期日となりますので、次回の裁判に向けて、裁判所にもわかるような宣伝とか、様々な世論形成をしたいと思いますし、法廷の当日においても、より重要な局面になると考えておりますので、ぜひよろしくお願い申し上げます。
今日は長い時間、ありがとうございました。(拍手)

・・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストは原良一氏の手によるものです。

古川了子さん第4回行政訴訟報告会(8)05.12.6 東京弁護士会館にて

『竹下珠路さん(特定失踪者・古川了子さんの姉)のお話』

Img_1345.jpg



本当に寒い中、遠くからお越しいただきまして本当にありがとうございます。
家族と致しましては、この裁判は、一人古川了子の問題だけではなく、生島孝子(1972年11月1日失踪)さん、佐々木悦子(91年4月22日失踪)さん、大屋敷正行(69年7月27日失踪)さん、山本美保(84年6月4日)さん、そして日本中の、たくさんの特定失踪者としか今は呼ばれていない拉致被害者の問題、家族にとって大変大きな裁判だと思っております。

日本政府のあの態度は、すべての生島さんの妹さんとか、そういう人たちに対する態度であって、これはほんとに許すことはできないし、このまま許すことはできない。
なんとしてもこの裁判で、裁判長がこちらを向いてくださるように、わたくしも、そして弁護士の先生方にお願いしながら、また支援の皆様にお願いしながら、頑張っていかなければいけないなと思っております。
何をしたらいいのか教えていただきながら、先程二瓶先生の方から、具体的なビラ配りと言うことも含めて、アイディアもいただいておりますので、なんとかこれからまた、いろいろなご支援の皆様とも相談して、頑張っていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストは原良一氏の手によるものです。
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。