2005年12月11日

三多摩市民集会(7)05.11.21 立川アイムにて

『梅田俊幸 日野市議会議員、渡辺眞 日野市議会議員による日野市の救出活動報告と拉致の実情報告』

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★梅田俊幸 日野市議会議員

ご紹介を頂戴しました、私日野市議会議員の梅田俊幸と申します。
どうぞよろしくお願いいたします。
そして横にいますのが同じくご紹介を頂戴しました渡辺眞(だたし)日野市議会議員でございます。
私たち日野市での活動を少しだけご紹介をさしあげたいと思います。

昨年の平成16年8月の3日から日野市においては、皆様良くご存知の東京都議会議員・古賀俊昭、地方議員の会の副会長をやらせていただいておりますが、を中心に今ご紹介を頂いた私と隣の渡辺日野市議。
そして私たちの地元での支援者を中心とした救う会日野の有志と言う形で、日野市にはJRの駅が二つ、そして京王線の主要な駅が高幡不動と言う駅があるんですが、その3つでですね。
順次、順番に署名活動そして募金活動を去年の8月3日からやらせて頂いております。

そして去年はですね。
8月3日からやっておりますので1235名の署名、そして12万とび366円の募金が集まりました。
そして今年に関しましても1月の3日、高幡不動の駅前から始めまして、先日の11月の11日まで豊田の駅前でやらせて頂きました。
集計が2427名の署名、195・530円の募金が集まりました。
そして去年と今年、合わせまして3662名の署名、315・896円の募金が集まりました。
街頭に立ちまして3人を中心にお訴えをさせていただいております。
今、前に拉致被害者の家族の方のお話と言う事で大沢さんがお話になりましたが、度々一緒に参加しておりまして大沢さんの熱いお訴えをですね。
街頭の方にも聞いていただいて、署名活動そして募金活動を協力を頂いているような次第でございます。

先ほどからお話を聞いておりますと、政府は何をやってるんだと言うようなご意見が多いとは思いますが、やはり私たちに出来ることは国民全体で国全体でこの拉致問題を解決しよう。
より多くの国民の方市民の方にこの拉致被害の実態を知ってもらうって事が、私たちに出来る協力じゃないかな?と言う事で、政府に対してバックアップする意味でもですね。
逆にバックアップをしなければ解決しないと思いますので、そういう意味でも署名活動を通して今の拉致問題の状況、そして先ほど大沢さんが申しましたように、私たちが住む日野市においても3人の拉致被害が濃厚な方がいらっしゃいます。
後ほど隣におります渡辺さんよりご紹介をさせて頂きますが、この同じ市内に住んでた方が3人も拉致被害に遭われている。
そういう疑いが濃厚であると言う方がいらっしゃると言う事を、同じ市民の方にも幅広く知ってもらいたい。
そういう言う気持ちが私は非常に強くあります。

自分が住んでる家のすぐそばにもそういう方がいらっしゃる。
拉致被害は先ほどお話があったように日本海を中心とした日本海側だけの問題ではありません。
東京にもたくさんいらっしゃる。
そういうことを日野市民の方にも知ってもらいたいと言う事で、一生懸命支援者を募ってですね。
活動をさせて頂いているような状況でございます。
これからも幅広く支援者を募って、そして継続的にこの署名活動そして募金活動を街頭活動をさせて頂きたいと思っております。

またいろんな方法、いろんな方に知らしめる為の方法と言うのがあると思うんですが、先日つい直近になりますが、11月の11日にやりました活動に関しましては、市の広報誌にですね。
活動が紹介と言うかご案内と言う形で少しの欄ですけど載せて頂いて、11月の11日に活動をやりますと言う形の広報もやっております。
そうした中でよりたくさんのよりたくさんの方のご支援を頂戴できればありがたいなと思っております。
日野市には高幡不動尊と言うお寺があるんですが、東京都内では割と大きなお不動さんと言う事でございまして、お正月から参拝者が非常に多いと言う事で、来年の1月1日はですね。
午後2時から高幡不動の駅前でもですね。
元旦からやろうという事で話がまとまっておりまして、今年もまだ12月当然ありますが、来年も1月1日から頑張って皆さんで活動を進めて行きたいなとそのように考えております。

以上、雑把ではございますが報告させていただきます。
続きまして日野市の失踪者の疑いが濃厚である方をご紹介差し上げます。

★渡辺眞(ただし) 日野市議会議員

日野市議会の渡辺眞です。
お世話になります。
私のこの、そちらから見てこちらですね。(手元のパネル、会場より向って右端を指差す)
上田俊二さんて言う方は、一番最初にお話しました荒木さんが主宰していらっしゃいます、特定失踪者問題調査会のHPで、日野と言うところをサーチしましたら上田さんが見つかりましたんで、荒木さんにご連絡させていただきましてこの人の詳しいことを教えていただきました。 
そしてその事を高幡不動の駅頭等で訴えをしておりました所、その次の馬場昌一さんと言う方がいらっしゃると言う事が分かりました。
この方は日野市の元の市議会議員の方の奥様の弟さんであります。
そして最近になって荒木さんの方からのメールで浜崎さんと言う方がいると言うことを教えていただきました。
この方は何と5年前の方でございます。

そしてひとりひとりちょっと詳しく申し上げますと、上田俊二さんは東京大学を出られて医学の翻訳をなさっていた方だそうであります。
すごい技術を持っている方でございます。
高幡橋の南の、南平一丁目のところのアパートに住んでいらっしゃったそうでございます。
失踪直後、お兄さんがそのアパートを訪ねてみましたら、いつもはきちんと、東大出の方でしょうから当然きちんと片付けている性質の方であったそうですが、部屋は乱雑になっていたと言う事らしいです。
そして部屋の中にある電話番号が書かれたメモが残っていて、どうもそれが怪しいと言う事で何度かその電話にかけてみたところ、何の返事も無かったと。
それを取ってくれる人がいなかったと。
暫くしてからその電話は「使われなくなりました」というNTTの連絡に代わったそうであります。
失踪して1〜2年して千葉の友達の所に金正日を称える文書が入った荷物が届いたと、言うような事だそうであります。
現在、上田さんのお兄さんは浜松の方に住んでいらっしゃって、今まで2〜3回日野市の方に訪れられまして、古賀俊昭さんの事務所で私もお目にかかりました。
かなり周辺に対して非常に怯えていらっしゃると言う事だそうでございます。

・・・資料引用開始・・・
氏名 上田俊二 (うえだしゅんじ)
失踪年月日 昭和56(1981)年7月14日
生年月日 昭和6(1931)年11月20日
性別 男 当時年齢 49
身長 174センチ
当時身分 翻訳業
特徴 タバコは吸う。酒は飲む。趣味はテニス。
失踪現場 東京都日野市の自宅を出て
失踪状況 当日本人宛に誰かから電話があり出かけたまま失踪。通帳、パスポートはそのまま。失踪後1〜2年後に友人宅に差出人不明の金正日をたたえるパンフレット数種類の入った小包みが届く。
 
※情報は特定失踪者問題調査会HPより
   http://chosa-kai.jp/index.html
・・・資料引用終了・・・

そして二人目の馬場昌一さんですが、国立高校をお出になって卒業して新宿にある工学院大学に通われていたのです。
昭和39年と言うことだそうですが、6月でしたか。
失踪になったと言うことらしいです。
そして私も39年大学に入りまして、当時は学校はカラーグラビアみたいな物が生協会館みたいな所にありまして、金日成・北朝鮮を称えるようなグラビアがあったように記憶しています。
ですから当時は北朝鮮と言う国の悲惨さと言うものについて皆さん理解が行ってなくて、素晴らしい国だと言う宣伝があったんだと思います。
それでご家族の方に伺いますと、部屋の中に残っていた、それもゴミ箱の中に捨てられていたメモに「行くべきか、行かざるべきか」と言うようなお話でございます。
平山の方にはお姉さまは近くにお住まいでございますし、その一番上のお姉さまは元市議会議員のお姉さまでいらっしゃって時々高幡不動での活動にごきょうだい共々参加していただいています。
ずい分古い話の事でございます。

・・・資料引用開始・・・
氏名 馬場 昌一 (ばばまさかず)
失踪年月日 昭和39(1964)年6月4日
生年月日 昭和19(1944)年12月13日
性別 男 当時年齢 19
当時身分 大学2年生(機械科)
失踪現場 東京都日野市の自宅から出たまま
失踪状況 失踪当日朝、両親とは顔を合わせている。そのまま行方がわからなくなった。姉に「新宿でアルバイトがある」と話していた。お金も衣類も持ちだした様子はない。

※情報は特定失踪者問題調査会HPより
   http://chosa-kai.jp/index.html
・・・資料引用終了・・・

そして3番目の方は浜崎真嗣さん、今日はここに九州の長崎の方からお父さまの浜崎さんがいらっしゃってますが、ちょっと手を挙げて頂ければ・・・ありがたいと思いますが。(お父様その場で立ち上がって会釈、会場より拍手)
浜崎さんはここに書いてありませんけども、北八王子にビクターの工場がありますけどもそこのオーディオビジュアルの技術者でいらっしゃったという事でございます。
私は金正日が(韓国人の)映画監督を香港から拉致したとかですね。
ああいう喜び組であるとか、芸能関係が好きでオーディオが好きでビジュアルが好きであると思ってますので、そういう技術者を欲しがっていたのかなぁ?と言うふうにも思っております。
浜崎さんの出身大学が九州大学であるという事でありまして、その九州大学の先輩でいらっしゃる方、そして会社の先輩でもいらっしゃる方が生田の方にお住まいの方で、今は大学の教授をされている方ですが。
その先生に連絡を取らせていただいて実は明日、日本ビクターの方にお訪ねをして私と同僚の方とお話をして何か証拠でも出てくれば良いんですけれど、その話をさせて頂きたいと言う事で思っている所でございます。
浜崎さんは25歳の失踪と言う事でございますから非常に若くてですね。
持てる技術をあの社会に利用されてしまっているのかなぁ?と言うことを思っています。

失踪当日は5年前の正月明けのですね。
仕事始めの日の朝方ということですね。
起きたままであった事、携帯電話もそのままと言うことらしいです。
その日の朝方に東京駅の銀行、そして12時くらいには函館の銀行で合計15万円程が引き出されている。
ご本人が引き出したんでしょうか、あるいは誰かが引き出したんでしょうか。
それはよく分からないと言う事であります。
私もちょっとその浜崎さんの住んでる場所、実はこれは私の高校の同級生がオーナーやってる所のアパートでありまして、そのアパートが日本ビクターに借りられている訳でありますがそこも知っておりますし、勤め先の日本ビクター周辺も分かります。
行って見られてお分かりのように、どうもそういう関係の業界の人たちが周辺に住んでいそうな雰囲気のある所でもございます。
浜崎さんは趣味が当時ビリヤードだったと言う事で、ビリヤードと言うのは今時珍しい趣味をお持ちだなぁと思っていたら、その周辺にもそういうお店がありますし。
そういう事でございます。

・・・資料引用開始・・・
氏名 浜崎 真嗣 (はまざきまさつぐ)
失踪年月日 平成12(2000)年1月6日
生年月日 昭和49(1974)年8月2日
性別 男 当時年齢 25
当時身分 会社員(業務用ビデオの設計)
失踪現場 東京都日野市の会社寮
失踪状況 失踪当日は会社の新年の始業日。午前6時から7時にかけて、東京駅のATMで3万円、続いて午後1時半ごろ北海道の北洋銀行函館中央支店で普通預金口座より12万円を引き出した(定期預金には一切手をつけていない)。当日の朝刊は部屋にあり、布団は敷きっぱなしの状態。食べかけのパンが残っていた。PHSは置きっぱなしで、書置きもなかった。ごく普通の服装で出かけ、自転車も置いたまま。職場の机はすぐにでも仕事が始められるような状態になっていた。失踪直後に航空会社に飛行機に搭乗した形跡がないかを調べてもらったものの記録がはっきりしないとのことであった。
 
※情報は特定失踪者問題調査会HPより
   http://chosa-kai.jp/index.html
・・・資料引用終了・・・

これで3人の紹介を終わらせていただきます。
どうもありがとうございました。(拍手)


三多摩市民集会(6)05.11.21 立川アイムにて

『大沢茂樹さん(特定失踪者・大沢孝司さんの兄)のお話』

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ただ今、紹介にあずかりました、私特定失踪者・大沢孝司の兄で大沢茂樹と申します。
本日は山本美保さんの家族を支援する東京支部の入倉様のご縁を頂きまして、私までこの三多摩集会に参加させていただきまして本当にありがとうございます。
入倉様には厚く感謝いたします。

私は今「北朝鮮に拉致された日本人を奪還する地方議員の会」の東京都議会の古賀先生。
また日野市会議員の渡辺先生そして梅田先生、並びに日野市救う会での合同での街頭署名での、隣の日野・高幡不動・豊田駅で定期的に行われている街頭署名に、私の出来る限り時間の許す限り私も出席させて頂き、私の弟の拉致の内容等もお訴えさせていただいておりますが。
このようにして立川市民の皆様にお会いするのは初めてで、おそらく私の弟の拉致の内容についてご存知の方はおられないと思いますので、簡単ではございますが、弟が失踪した時の状況よりお話をさせていただきます。

私ども兄弟は3人兄弟で、一番上の兄は新潟県の巻町と言うところで家業の跡を継いでおります。
私は次男で今現在横浜市瀬谷区で在住しております。
拉致されたのは一番下の弟、孝司でございます。
弟孝司は昭和49年の2月の24日、今から丁度31年前でございますが。
新潟県の佐渡島で、曽我ひとみさん親子が拉致された真野町の現場から7〜8キロしか離れていない、トキ保護センターのある新穂村と言うところで北朝鮮に拉致された疑いが残っている者でございます。
新潟県庁の出先機関であります、佐渡の農地事務所に赴任中の事件でありました。
また、曽我さんたちが拉致される約2年半前の事件であります。

私の弟のように忽然と行方が分からず、今特定失踪者問題調査会・荒木先生のところに調査以来が出ている方々は450名おられると聞いております。
そのうち私は実際に北朝鮮に拉致されている方々は何名おられるのか想像も付きませんが、北朝鮮を研究している先生方のお話によりますと、少なくても100名から200名は拉致されているのであり。
今日本政府が拉致認定している11件16名よりまだまだこんなにたくさん、特定失踪者の方々が拉致の疑いがある方がいられることを知っていただきたいと思っております。

日本政府の拉致の取り組み状況は、昨年の暮れ、北朝鮮が突然の核の保有宣言と。
横田めぐみさんの遺骨のDNA鑑定は日本政府が捏造した物と、北朝鮮がコメント以来硬直化し足踏み状態となっていましたが。
今月の3日、約1年ぶりで日朝会談が再開され大きな期待を私は抱きましたが、残念ながらまた物別れの状態となりました。
小泉さんは何回北朝鮮からこのように侮辱を受け馬鹿にされれば気が済むのでしょうか?
このままでは拉致被害者は皆殺しの状態になってしまうと思います。
一刻も早くこの拉致問題を終結するには、もう北朝鮮との話し合いだけでは無理だと思います。
小泉首相から一刻も早く経済制裁の発動をしていただき、この拉致問題を解決しなければならないと思っております。

それには更なる皆様方のご支援と日本政府に対するバックアップが必要であり、それをここにお願いしまして、はなはだお粗末ではございますが、私の訴えとさせていただきます。
皆様、どうかご支援の程をよろしくお願いします。(拍手)

三多摩市民集会(5)05.11.21 立川アイムにて

『森本美砂さん(特定失踪者・山本美保さんの妹)のお話』

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今日は平日の大変お忙しい中を、お集まりいただきましてありがとうございます。只今ご紹介頂きました、山梨から参りました、森本美砂といいます。

私の双子の姉・山本美保が、21年前、「図書館に行ってくる」と言って、いつものように、バイクで出かけて失踪してしまいました。その日帰ってこなかったんです。

ほんとに何気ない言葉で出かけて行って、いつものようなバックと服装で、とてもその日帰らないような感じではなかったんです。
夕方から、ファミリーレストランのバイトが入っていまして、そのバイト先から「今日来ていない」という話があって。。姉が無断でバイト休んだり、無断で外泊するような姉ではなかったんです。

実はその頃姉は二十歳で、大学受験に向けて勉強しておりました。
というのも私達が高校三年生のときに、二つ上の兄が、突然バイクの事故で亡くなるという不幸に見舞われました。そういう意味で何の心配もない家族の幸せが一気に不幸のどん底になりまして、両親の嘆きは大きく、特に母は、ほんとに生きる気力がないほど、大抵無気力で暮らしているのが、丁度私達が高校三年生の秋だったんです。

その暗くなってしまう家庭をどうにか変えたいという思いが、姉にはあったんだと思います。

「東京の大学を受けたい、力試しに受けたい」と言って、見事日本女子大学に受かるんですが「丁度兄を亡くしたばっかりのときに、一人で東京になんか行かないで」と私を含め家族三人で反対してしまったんです。そのことをずっと今でも後悔しています。「あの時行かせてあげれば、姉はこんなことにならなかったんではないか」と言う思いをずっと抱えて生きてまいりました。

でも二十歳になった姉は、一旦は山梨の高看=高等看護学校のほうに進みまして、ワンゲルなんかで山登りをして青春を謳歌していたんですが、やはり大学進学の夢があきらめきれず、「もう一度挑戦したい」と言って大学受験のための勉強をしているそう矢先だったんです。

ですから自分の目標を定めて一生懸命頑張ってる、時だったんです。

だから失踪する理由なんてありません。

2日、3日と連絡がないまま、母は、胸がつぶれるような思いで連絡を待っていたんです。そして、4日後に柏崎の海岸にかばんが落ちているということで柏崎署から連絡をいただきました。もう、どんな思いで両親が、飛んで言ったかと思うと、今でも胸が痛みますけれども。

当時警察官だった父は、最悪の状況を考えていました。多分、事件・事故に巻き込まれているんじゃないかという思いがあったんですけれども。丸二日間、柏崎で方々探したんです。佐渡に渡っているんじゃないかと、汽船所の乗客名簿を探したりして。でも何の手がかりもないんです。

そして、約半年後、無言電話が入るようになりました。約四年間続くんですけれども。

中にはすすり泣くような声まで聞こえて<美保ではないか!>と必死で呼びかけたことを覚えていますでも、その無言電話も4年ぐらい立つうちになくなってしまいました。

その時に警察のほうにも捜索願を出しておりますので、各県で身元不明の遺体なんかがあがると連絡が来るんですね。本当に、身も凍えるような思いで母はその電話を取るわけです。大体、血液型が一緒だったり、女性と言うことが一緒だったりすると、電話があるんです。

当時、あの当時で3件ほど電話がありました。一つは富山県のほうのご遺体、もう一つは東京都内のご遺体でした。そんなこと姉とは一致したくありません。でも、歯の歯形が違う、足のサイズが違うということで、「違います」ということで、もう、ほっとしたことを覚えていますけれど。

さきほど荒木先生のほうから、詳しくお話がありましたが、まぁ、いろんな状況から美保はやっぱり拉致の可能性が濃いと思っております。

昨年の3月に突然山梨県警のほうから「イヤ、実は21年前に山形県遊佐町で上がった水死体がそうですよ」と言われたときには、もうはじめは捜査をした結果そうであれば、「20年間私はとんでもないことをしてしまった。美穂を本当に冷たい土の中に放っておいてしまったんだ」と本当に(胸を)苛まれたんですけれど、でも、いろいろ調べていくうちに、やっぱり、変なことがたくさんあるんですね。

もし姉だとしたら、姉と一致するものが出てくるはずなんです。
でも、のちのDNA鑑定に使った山形に残っていた骨髄、0.15グラム、本当に微量な、一グラムもない微量な骨髄の粉末です。

これは、たまたま当時の山形大学に残っていた。鍵もかかっていないんです。誰が触って、何処に持ち出そうとも自由になるような机に、無造作においてあったものなんです。「本当に21年前の山形の骨髄なんですか」と私が疑いを持つような、そういう保管の仕方でした。それを山梨県警が山形の大学から持ってきて、それで私の血液と鑑定したんです。

私の血液を提出したときは、「あらゆる捜査をします。もしかしたら国内で亡くなっている場合もあります。それは多分ないと思いますけれども。」という言い方をして「あらゆる捜査をしますので、血液を提供してください」ということで、提供しました。それも父が病床に倒れ、余命いくばくもないという病院の中でした。
ですから私はいろんな資料を警察サイドでチェックすることができなかったんです。とても動揺していましたので。
でも父の看護をしながら、「姉の行方がわかるんであれば」と思って提供した血液がとんでもない使われ方をしていたんだと思います。約半年以上、警察はその血液を持っていました。科警研で検査、鑑定したそうですが、結果がはっきり得られなかったということで、約半年後、名古屋大学に持ち込むんです。その間も、(骨髄と血液は)ずっと警察サイドにあったわけなんですよね。

そして昨年の3月4日。
私は「山形のご遺体と私の血液をDNA鑑定します」とは一度も聞いたことがないんです。ところが警察のほうは「4度も伝えた」と言い張るんですね。その伝えたと言う場所が全部私が一人で対応した時だったんです。だから私が<聞いていない>と言うことを、証明してくださる方がいらっしゃらない。

「あ、やられた」と思いました。
山梨県警でずっと仕事をしてきた父が生きていれば、<こんな事にはならなかった>と、今でも、思っております。

それがとても残念で、悔しくてたまりません。

それでも、本当に美保と一致するものがあれば、私は真実として受け入れるんです。

真実はもっと重く家族にも、いろんな人にも、重く響くものだと思っております。

でも、そのご遺体が美保という、姉であるという事実を私になんら示してくれないんです。
先ほど、荒木先生がおっしゃったように、ご遺体の(不明上着?)は全く姉のものではありませんでした。

私、結構いろんなものをとっておくほうなんですけれども、「白いネックレスをしていました」 というそのネックレス(ネックレスという白いもの)が全部家から出てきているんです。見た事もないジーパンをはいていて、見た事もない白いネックレスをしていて・・そういうご遺体だったんです。

むしろ、そのジーパンはとっても珍しい、皮を施した、皮を前のポケットと後ろの方に貼り付けてある、縫い付けてある、とても変わったジーパンで、支援者の同級生が、ほんとうに隈なく探してくれて、もしかしたら、フランスのジルボー社というところで作られたものではないか?、もしかしたら、1万5000円ぐらいする高級品であると言う所まで、突き止めてくれたんですが、まだちょっと断定できないんです。どちらにしても、私は国内で見たこともないようなジーパンをはいていたご遺体だったんです。

さきほどお話があったとおり、体のサイズもまったく違っておりました。当時二十歳の私も姉も、もっとぽっちゃりしていまして、今より5キロも太っているんですけれども。ご遺体の身につけいた下着は、とても当時の私や姉も身につけられないような小さな細いものでした。一つ一つが全部違うんです。

そして、先ほどお話がありましたけれど、そして姉の失踪から17日間、又、かばんが見つかってから13日間では、とても行けそうもない山形の遊佐町で見つかりました。またそのご遺体の写真も、母は見られませんでしたが、私は思いきって見ました。それが姉の最後の姿であるならばと。

でも、男性も女性もわからない、ましてや姉の姿のかけらも見あたらない、本当に頭は白骨化しておりましたし、体の方は脂漏化と言って、たぶん長く水に浸かっていたせいで、もう、バーンと腫れ上がって石鹸状態になるんですね。それが、『たった13日間ではなりません』と専門家の方が仰いました。
もう2万体という水死体監査している上野正彦先生と言う方ですけれど、原作本がドラマになった方ですけれども。2万体という水死体を専門となさっている監察医の方です。その方にもいろんな情報をお伝えして、資料を見て頂きましたけれど、『二十歳の人の歯が、たった13日間で13本も抜けません』とはっきっり仰いました。


そういう一つ一つが姉ではないと言うことを、私に、家族に、示していました。

ですから私は意地を張っているわけではないんです。
真実を示して頂けるんであれば、私は姉の真実を受け入れるんです。

それを、どうかみなさんご理解頂きたいと思います。
『森本美砂さん(山本美保さん妹)のお話』

荒木先生が流してくださっている<しおかぜ>を私も聞きました。
とても暖かい言葉で、もう胸が詰まりました。
その中に美保の名前も入っております。
その声が美保に届いていると思っています。
美穂の真実は、やはり北朝鮮を探すしかないと思っております。

家族は、家族に会いたいだけなんです。何の政治的なことも、いろんな社会的な情勢も、何を訴えることもないんです。
只家族は家族に会いたい。ただ、共に生まれて共にすごした家族に会いたいとただ言っているだけなんです。それは、私も、これからお話になる大澤さんも、増元さんもそうなんです。いろんな政治的な運動をしているわけではないんです。共に同じ両親から生まれた家族に、会いたい。

二十歳で失踪した姉。
私、今41をすぎたんですけれど、姉と過ごした日々よりも、姉を失った日々の方が長くなってしまいました。

そんな事ってあるんでしょうか?

今ぱっと合ったら、姉ってわかるんだろうか。まぁ、双子ですから、こんな顔をして元気でいると信じてるんですけれども。家族に会いたいという気持だけで、みなさまにわかって頂いて。。。

そう言う家族が、まだ日本国中に400人以上います。400人以上の家族が『家族に会いたい』と、声にならない声で叫び続けております。

ここまで拉致問題、特定失踪者問題が、発展してきたのも、いろんな皆様の声を政府にあげて頂いて、そして世論の力でここまできたんです。

どうかその声を緩めないでください。

特定失踪者も含めた、全拉致被害者が日本の土を踏んで、家族の元に返るまでどうかお力をお貸し頂きたいと思います。よろしくお願い致します。

また、今日この会を開いてくださいました、同郷というだけで本当に大きな力をくださいました入倉さんご夫妻に感謝を申しあげ、また、お忙しい中集まってくださいましたみなさまに感謝申し上げ、私の挨拶とさせて頂きます。ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストは金木犀様の手によるものです。

三多摩市民集会(4)05.11.21 立川アイムにて

『真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事のお話』

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皆さんこんばんは。
ただ今ご紹介を頂きました特定失踪者問題調査会の専務理事、真鍋と申します。
よろしくお願いします。
荒木が代表で私が専務でございますが、私も2年前までこの隣の小平市で市議会議員をしておりまして、今こういった活動に専念をさせて頂いてる所でございます。

今日は荒木の方がですね。
拉致問題の概要と言いますか全容、それから山本美保さんのお話を中心にいたしましたので、私の方はそれを補足すると言う形で、皆さんのお手元に「神津島で消えた兄」というチラシがあると思うんですが、その裏側に大町ートと言うのがございます。
(大町ルートはこちら http://nyt.trycomp.com/takano/oroot.html
これがちょっとポイントになる事ですし、それから10月14日にですね。
警視庁が大規模なガサ入れをいたします。
ガサ入れって言うか、捜査ですね。
それは西新井病院の中にございます金萬有科学振興会と言うところに、警視庁が捜査に入った。
それと特定失踪者のお話、と言う物をさせていただきたいと思います。
25分ですから本当にかいつまんだお話しか出来ませんけれども、よろしくお願いします。

まずこの大町ルートなんですけれども、これは我々が名前をつけているルートでございます。
これはですね。
去年北朝鮮から写真が出てきたと言われる加瀬テル子さんと言う方がいらっしゃるんですけども、その加瀬テル子さんの失踪を調査しているうちに浮かび上がったルートです。
というのは加瀬テル子さんと言うのは千葉県の銚子の一番はずれの所にあるんですけれど、海上町と言うところでですね。
1961年ですからもう40年も前の失踪事件、40年以上も前の失踪事件なんですけども。

どっちにしても これを調べてみますと当時の海上町、あるいは近くの旭市、現在旭市ですけどその辺一帯ではですね。
水飴をたくさん作っていると言う事です。
それから当時はあの辺は砂鉄がたくさん採れていると。
良質の砂鉄が採れていると、それを一大産業としているわけです。
その砂鉄と水あめがどういうふうに物流、運ばれたのかと言う事を調べていくうちに、全部が全部と言うわけでもないんですけど、この砂鉄と水飴が千葉から東京を通って、東京から山梨、そして長野、そしてこの新潟の糸魚川まで行って、富山か新潟方面に運ばれて行って朝鮮半島に輸出されていたと、いう事が明らかになったわけであります。
これはもしかして何かがあるんじゃないか?と言う事で、このルートを丹念に調べようと言う事で今日に至ってるわけです。

しかも加瀬テル子さんのですね。
調査のプロセスで明らかになったんですけども、水飴とか砂鉄と言うものがですね。
誰によって採取されていたか?と言うことなんです。
それはもちろん多くの日本人も採取に従事していたんですけども、多くの在日の人たちがですね。
この水飴や砂鉄の採取に関っていた、物流に関っていた、販売に関っていたということが判明したわけです。
そして色々加瀬テル子さんのですね、ご実家。
お父さんはもう90歳近いおじいちゃんなんですけども、記憶を辿っていただくと、「そういえば当時、我が家にも在日の人たちが買い付けに来とったなぁ」と。
要するに農家ですから、水飴も作るし農閑期には砂鉄も採っていたと。
その砂鉄を採っていたのも買い付けに来たのも在日の人がいたなぁと言う事が判明しました。

物のついでに申し上げますと、加瀬テル子さんの身近にいた女性がですね。
実は在日朝鮮人の男性と結婚して北朝鮮に行ってしまいました。
その後全く消息は不明です。
そういう方が加瀬テル子さんの身近にいたと言うことなんですね。
それで当時はまだ写真が出ていませんでしたから、この加瀬テル子さんの失踪には何かがあると言う事で調べていったわけですが、そうすると北朝鮮から亡命者がもたらして来た一枚の写真。
今日お持ちしなかったのは残念ですけども、調べてみると専門家の先生もこの写真については加瀬テル子さんに間違いがないと、いうような判断をされたような写真が出てきました。

ちょっと補足しますと一枚の写真をですね。
40年前の写真16歳の写真と現在の57歳の写真を比べて素人目にはほとんど分からない。
言われてみて分かるんですけども、加瀬さんの場合は最大の本人を特定するポイントがあるんです。
それは向って右側の目ですから、こちら側ですね、ごめんなさい向って左側ですね。
加瀬さん特有の、目の中にほくろがあるんです。
その目の中のほくろがちょっと出てるんですね。
それが北朝鮮からもたらされて来た写真にもあったんです。
この形状、この形ですね。
それから場所がピッタリ一致する。
そういうことがあったもんですからあの写真については間違いがないという事になりました。
加瀬さんにつきましては我々としてはこの事件はですね。
拉致に間違いが無いと言う結論を出しているんですけども、政府は未だに認定も何もしていません。

と言うような事からこのルートがもしかしたら何かがあると言う形で主に重点的に調査したわけなんですけども、お手元のこのルートを見ていただきますとですね。
このルートには工作活動の拠点と言うものが点在します。
千葉県に行きますと蘇我(千葉市と市原市の境付近)なんですね。
蘇我と言うのは当時、昔なんですけども鉄鋼の会社に労働者として従事していた在日の方が非常に多く住んでいる所で、ここでも失踪事件があるわけですけども、そこを通ります。

そして東京都内に入りますと足立区、足立区は後ほど話をしますけどガサ入れのあった西新井病院があるところです。
そこから管七を通りますとですね。
北区を通るんですけども、北区にはですね。
私の住んでいる小平には朝鮮の大学校があるんですけども、北区には朝鮮高校があるわけですね。
そしてここも失踪者が多発している地区です。

そして都内を通って甲州街道に入ります。
甲州街道に入りますと、杉並付近を通りますね。
杉並は実は非常に失踪が多い場所です。
付け加えますと杉並区と言うのは南北に(JR)中央線で分かれるわけですけども、失踪者は北側には誰もいません。
私たちに届けられている方ですけども、全て南側のこの甲州街道沿いと言う状況があるわけです。
それも毎年きれいに一人ずつ若い男性が失踪すると言う不思議な現象があるところです。

その杉並を通っていきますと今度は三鷹とか調布になるんですね。
三鷹は荒木が先ほど申し上げましたように、久米裕事件があります。
そしてこの調布ではこの「神津島で消えた兄」と言う、まさに高野清文さんが住んでいた場所であり、高野清文さんが通っていた大学、電気通信大学と言うのがある。

そこを通ってずっと行きますと、山梨になるわけですけれども、山梨では今日のメインのテーマでありますけども、山本美保さんが失踪した場所です。
山梨と言うのは非常にある意味を山にかこまれて誰でも何をしているか分かる小さな、と言っちゃ失礼ですけど非常にコミュニティが小さいところですから、今名乗りを上げていらっしゃるのはホンの河合健次さんと言う方と山本美保さんの二人だけですけども、失踪事件の非常に多い場所です。
しかも私たちに届けられない失踪者の家族がたくさんいる

それから山梨を通りまして長野に行きますと、長野と言うのは朝鮮総連の非常に活発な場所なんです。
数はそんなに多くないですけど、規模も数もそんなに多くないんですけど非常に活動は活発なところなんですね。
それを裏付けるのがですね、辛光洙の存在です。
辛光洙と言うのは先ほど荒木が説明しましたように原敕晁さん(拉致)の犯人ですけども、この辛光洙が一時的に職を得ていたのが長野県です。
自動車専用道路の切符切りをしていました。
ですからおそらく皆さんもそこらへんの有名な観光ルートですから、1970年くらいにそこの道路を通ったら辛光洙がおそらく皆さんの切符を切ってると思います。

そして長野を北上しますとですね。
これを言うと風評被害になるので言わないでくれと言われているんですけど、大町があるんですね。
で、この大町が非常に問題のある町です。
辛光洙を支援していた在日の協力者がいます。
それから年配の方は覚えていらっしゃると思いますけど、朴正煕(パク・チョンヒ)、朴大統領の射殺未遂事件。
奥さんが亡くなった事件がありますね。
そのときの犯人、文世光(ムン・セガン)、ぶん・せいこうですね、日本語で言うと。
彼が匿われていたのもこの大町です。
大町にはそういった北朝鮮の工作員を支援する個人がいるわけです。
誰なのか?ってのは分かってますけども、それを言うと私は訴えられますのでこれ以上は申し上げませんけど、そういう存在が大町にはおります。
そこでも失踪事件がある。

そして糸魚川に抜けていくわけですね。
糸魚川から富山方面と新潟方面に分かれていくわけですけども、新潟の方はご存知のように万景峰号がしょっちゅう入ってくる港があるわけですからここが終点になるんですけども、富山方面が見逃しちゃいけないんですね。
富山方面では富山を抜けて新湊と言う小さな港があります。
そこが小さいですけれど国際港でございまして貿易港でございまして、ここに万景峰号がしょっちゅう入ってきてたんです。
北朝鮮の貨物船がしょっちゅう入って来ていて、おそらくここが終点だろうと、そう思っています。

このルートで失踪者の数なんですけど450人くらいのお届けがあるんですけども、私どもにですね。
その内の実に150人の失踪がこのルート上で存在すると言う事です。
警察庁の専門家に話すと笑って、「そんなもんありゃせんよ」と言われるわけです。
確かにこのルートが工作員の名前で存在している事はないと思うんです。
ただこういったルートこういった集積状況こういったところに住んでいる協力者、と言うものの連携の中で拉致が行われたのは否めないんじゃないかな?と思っております。

で実はその証明として現れたのが藤田進さんと言う事件です。
これも去年写真が出て大きな衝撃的な写真だったんですけども。
この藤田進さんの失踪事件、我々は拉致と思ってますけど、拉致事件に拘った・拉致を手伝わされたと言う人物がいるわけです。
証言をしている方がおられるわけです。
自ら、まぁ名乗ってはおりませんけども、「私が藤田さんを運びました」と、「運ばされました」と、脅かされて。
この方は2回ほど私ども面会したわけですけども、「私も日本人である」と。
で「嫌々手伝わされた」「良心の呵責がある」と。
「だから藤田進さんだけは何とか助けてあげたいんだ」と言うような事から私たちに接触をされてきたんですね。

でその方がどう言っていたかと言うとですね。
「足立区の西新井病院の運転手をしていました」と。
で、「あるとき命令されて男性を一人運びました」と。
それは西新井病院の施設があるんですね。
千葉県に保養施設がある。
「そこの保養施設に監禁されていた若い男性を車に乗せて、この千葉・東京・山梨・長野を抜けて糸魚川と言うルートを通って車で運びました」と。
で、「糸魚川で別の人物に若い男性を渡しました」

でその若い男性は誰ですか?と言う話になって行ったんですね。
その結果、あの写真が出てきて当時の若い男性は「藤田進さんで間違いない」と証言をされたわけなんです。
これはですね、とても重要な事だったので私たちも極秘と言う事で取り扱ったんですけども、それがなぜか今年の正月にですね。
週刊新潮にすっぱ抜かれました。
その結果私たちにこの証言をもたらしてくれた男性は、それ以来一切接触が途絶えてしまいました。
残念な・・・ですからその話が本当なのか嘘なのか検証する間も無くですね。
現在に至っているわけであります。

そうしたところ10月の14日、西新井病院の中にある金萬有科学振興会の、そこの理事をしている人物が薬事法違反だという事でガサ入れがあるんです。
ガサ入れの結果一週間前くらいに結論が出まして、50万円の罰金と略式起訴と言う形で一件落着と言うことでありますが。
この50万円の罰金の為に警視庁がどれだけの人間をどのように動員したか?
実際の数字は分かりませんけどテレビでも出ましたから相当の数だったのもあるわけですけど、300人から400人の警察官が動員されました。
そしてテレビでは映されてませんけども、新聞記者さんたちが言ってたのは、その後ろにはマシンガンを持った警察官も待機していた。
それくらい厳重に捜査をしていた。

それから、結果11箇所の捜索で終わったんですけども当初は26箇所、全国で26箇所です。
東京だけじゃなくて大阪方面、あらゆる所を捜索したんです。
で薬事法違反とは無関係の所までもガサ入れをしているわけであります。
で警察はですね。
今日警察の方いらしてると思いますけども、これは全部薬事法違反ですと。
拉致とは関係ありませんと言う話をず〜っと記者会見では言ってますけども、そんな事はないと言うのがだいたい一般的に考えられるわけなんです。

それで、あの〜〜、えっと、あと5分くらいで終わりなんですね?(司会の方に尋ねる)
それでですね、その後藤田進さんは加瀬さん同様写真が出てきました、北朝鮮から。
専門家の橋本先生もほぼ間違いがないだろうと言う鑑定を、橋本さんが間違いないと。
で二つ目、安明進さんはですね。
北朝鮮で藤田進さんを目撃していますと証言しています。
これは中々表には出ないんですけども、市川修一さんですね。
一緒にいて安明進にタバコをくれた優しい親切な若い青年だと言っています。
私に証言してくれる人物が存在する。
この3つがあるにも拘らず、警察はまだ認定していません。
と言うか政府は、と言った方が良いかもしれません。
拉致被害者として認定する最期の判子を押すのは小泉総理ですから、小泉さんが判子を押さない限り拉致認定されないわけです。
だから警察としては相当の資料、相当の証拠があるにも拘らず、加瀬さん同様藤田さんについてはなんら手を打っていないと言うのが現状で。

時間もないのでこれは一体なんだ?と言うことです。
山本美保さんにしても大沢さんですね。
今日お兄さん来られてますけど、あれだけ怪しい事件、物証に至る物も存在するにも拘らず、日本政府が認定しないのはなぜか?と言うことです。
これはもう、警察に問いただしますと政府に問いただしますと証拠が無いと言うんです。
証拠がないからだと言われる訳です。
先ほど荒木がお話しましたように、証拠が出りゃこんな簡単な話はないわけでありまして。
拉致と言うのは一切証拠を残さないで行う完全犯罪ですから、そこで証拠がないから拉致認定しませんでは一生かかったって認定できないと、言うところなんです。
ここが苦しいところなんです。

だから我々は状況証拠だとか目撃証拠だとかこういう写真だとか、こういう話を集めて集めてこの人は間違いないでしょうって、政府に言ったりあるいは警察の方に訴えても、証拠がない。
じゃあどこまで証拠が必要なんですか?と聞くと日本から出たという証拠が欲しいと。
次、北朝鮮にいるという証拠が欲しいと。(会場内から小さな笑い声)
それを我々に(真鍋氏、少し自嘲気味に)我々に出せと言うんですか?と。
加瀬さんについてこれだけの写真があります。
これだけの状況証拠がありますと。
藤田さんについてはこれだけの状況証拠がありますと、それでも認定しないと言うのは認定したくないということなんです、要は。

誰が?
それは現場の警察官の方は一生懸命です、本当に。
本当に一生懸命に、暑い中も寒い中も一生懸命やってらっしゃって、相当のデータ、相当の情報がこんなに集められているにも拘らず、最後の段階になって認定せずというわけです。
なぜでしょうか?

日朝国交正常化の障害になると言うわけです。
特定失踪者、これ以上話をややこしくしたく無いと言うわけです。
ただでさえ日朝間の交渉がデットロックになっている所へ加えてまた特定失踪者の問題だ?
こんな物は後回しだと言うのが、まぁ正直な今までの政府でした。
我々も外務省と警察庁とこういうことでしょっちゅう喧嘩をしています。
荒木は普段はあんな穏やかなんですけども、いざとなったら怖いですからね。
本当に。

机をぶん投げて怒る位の事をするわけですけども、ようやく安倍官房長官になられてですね。
この状況も少しづつ変わるだろうと言う期待もしておりますけども、ただ官房長官が一人頑張ってもですね。
あの政治構造の中では中々難しいと思います。
やはりそれを支えていくのは皆さん国民一人一人の声しかないと思います。
安倍さん頑張れ!拉致議連の幹部の皆さん頑張れ!国民は応援してるぞ!と
そして特定失踪者の問題も忘れちゃいないんだぞ!と。
山本さんや大沢さんや藤田さんやそういった人たちの問題が解決しない限り、拉致問題の解決はない。
そして日朝国交正常化も無いんだということをですね。
皆さんが強く訴えていくしかないんじゃないかな?と思っております。

それで私どもにもですね、ぜひ昔こんな事が会った、こんな変な事件があった、こういう人たちがいるぞと言う情報があったらいずれもお知らせ頂きたいと思います。
どうか皆様方の一層のご理解とご協力を頂いて、一日も早く。
本当に本当にそうなんです、一日も早くこの問題解決したいです。
ホンマに、荒木も私もこの問題8年間やってます。
でもご家族はその3倍4倍苦しんでいるわけです。
30年40年苦しんでいるわけですから、本当にそういう意味で一日も早く、この問題を皆さんと一緒になって解決したいと思います。
どうか今後ともご支援をお願いしまして、私のお話をさせていただきます。
どうもありがとうございました。(拍手) 
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