2005年12月15日

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(4)05.11.23 友愛会館にて

『ハ・ヨンナム朝鮮戦争拉北人士家族協議会・国際問題担当による、ご自身の家族のお話(通訳・西岡氏)』

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(写真左端が、ハ・ヨンナムさん)

こんにちは。
皆さんありがとうございます。
私は実はこの席に座ってまして妙な気分に囚われているのです。
と言うのは韓国では私たちの話を聞いてくれようと言う姿勢が全く無いのです。

実は私も数年前まではうちの父についてほとんど関心を持っていなかったのです。
というのは私は朝鮮戦争のとき4ヶ月の赤ん坊であった。
そして父親を奪われた母が一人で必死になって私たちを育ててくれて、父のことを話してくれるそういう余裕さえなかった。
しかしうちの母は私を何不自由なく良く育ててくれました。
他の子供たちの中で父親が亡くなっている人たちに比べて、拉致されたというのは何か誇りのようにそんなふうにも思っていた。

実はうちの母は今83歳でカナダに移民に行ってトロントに今住んでいます。
時々ソウルに来るんですが、2002年のW杯の時、ソウルに大きな荷物で日記を持ってきました。
その頃から母は父のことについて色々文章を書いたり発言を始めていたんですが、私たち子供は何で今頃になって?と思っていたんです。
そこで母が日記を持って来てですね。
ここに父のことが書いてあると、ゆっくりこれを読んで父の事を知って欲しいと言って日記を置いてカナダに帰りました。
W杯が行われている間はテレビを見るのに忙しくてその日記を読まなかったんですが、W杯が終わってその日記を私は読み始めました。

その日記は1959年から始っているんです。
50年に夫を奪われた母は、私の上に二人の姉がいるんですが3人を育てるのに大変忙しくて日記を書く暇も無かったんですが、59年から毎日父の事をいろんな事を日記に書いて、今も日記を書いています。
その日記を読みますとですね。
母が父に会いたいと、父が恋しいと、毎日のように書いているのを読みまして、あぁ私たちを育てる中でもこんなに父の事を思っていたんだと。
それなのに私たち子供は何て父のことに関して無関心だったんだろうかと、涙が止まりませんでした。
そして二人の姉も今外国にいるのでそれを、そしてうちの娘たちにもその日記を読ませてインターネットに上げて、それを読ませてこれを絶対に忘れてはならないと思ったわけです。

うちの母はずーっとずーっと待ち続けていたんです。
しかし55年経って今絶望の中にいるようです。
80年代に離散家族探しのテレビ番組があったんですね。
その時もテレビ局まで行ったんですが、拉致者はそれに当たらないとテレビ局も取り上げてくれなかった。
また韓国軍の捕虜が脱北して帰って来る事があったんですが、そういうときにはその人が書いた本をすぐ買って読んで、どのような事か?と思いましたけど、結局韓国政府は何もやってくれていないんだと言う事が分かりました。
その中で偶然李美一理事長がなさっている朝鮮戦争家族会の新聞記事を読みまして、そして大変嬉しくて私がインターネットに上げている文章などをメールで送ったわけです。

私の母の話によりますと、うちの父はソウル市内で小さな製粉所をやっていたんですが。
実は父の兄に当たる伯父さんが日本の時代、大変親日派で大きな製粉所をやっていて日本軍に納品をするくらいの状況だったので、そのために取調べを受けて連れて行かれたのではないか?とうちの母は話しています。
一度警察に連れて行かれたんですが、その時父はそれほどたいしたことは無いと、お前たちは田舎に行っていろと言って、私たち家族は田舎に行ったんですが1週間くらい経ったらば父が隙を見て田舎まで来たんです。
それで2〜3日一緒に過ごしていたんですが、やはり自分の製粉工場が心配だった。
新しい機械も入れたんだと、もう一回に見に行って来ると言ってソウルに行ってしまった後、また捕まってしまった。
そしてその後消息が無いと。
うちの伯父さん、父のお兄さんがうちに来まして、今回はおかしいと。
全く消息が無いんだと、母に伝えたという事です。

その後うちの母は心配でもう一度ソウルに戻って一生懸命探したんですが、全く消息が無いと。
そこで ナンキョンドンのウォンバン1号に、その製粉所のあったところにず〜っと引越しもせずに過ごしていて父を待っていたんですが父が帰ってこないまま、カナダに移民に行ってしまったのです。
以上です。


救出の為に日米韓連帯を!東京集会(3)05.11.23 友愛会館にて

『金聖浩(キム・ソンホ)前理事長・現レインボー財団理事長による、ご自身の家族のお話(通訳・西岡氏)』

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皆さんこんにちは。
ご招待いただいてありがとうございます。
戦争が勃発した時、うちの父は50歳でした。
そして神学大学の教授をしていた牧師でもありました。
また東亜日報の記者をしていたので、言論界でも大変有名でした。
私は父のことを良く知っていて父の心の中の事が良く分かるので、父の思いを皆さんに十分に伝えられることが出来ると思います。

うちの父は日本の植民地時代に終戦の直前日本の警察に連れて行かれて、大変酷い取調べを受けたと言う経験を持っております。
上海にある臨時政府に資金を送った容疑と言う事で本町警察署に連れて行かれて一ヶ月間の大変酷い取調べを受け、その間うちの家族は生活に困窮し私の2歳下の妹は、栄養失調が原因で病死してしまうと言う家族的な悲劇も経験いたしました。
もちろん牧師だったので神社参拝に反対し、また教義的な問題でも弾圧を受ける中、私どもの父が所属していた教団全体が弾圧を受ける中、私の父も苦しみを受けたのです。

ところがおかしいと思ったのは、終戦になって日本人が韓国から帰国していく事に対して、うちの父は大変協力をしていたと。
当時の私の家の近くにも日本人はたくさん住んでいましたし、実は私の家族は家を失って田舎に行っていたんですが、ソウルに戻ってきて臨時に住んだのが日本人が住んでいた家でした。
私たちにその家を預けて日本に帰った人達、その家族は日本に帰る時、近所の人たちに温かく送り出してあげようとうちの父が言い出して、そして荷物もたくさん持って帰れるように取り計らっているのを見てですね。
私は大変不思議でした。
しかし、今になって私は父の心が理解できます。

朝鮮戦争が起きて父は避難する事ができました。
しかし学校を守らなくちゃいけない。
言う言葉を残して私と避難する途中、一人だけもう一度ソウルに戻って行ったのです。
私は田舎で隠れていたんですが、ソウルからの消息で父が捕まって連行されたと言う消息を聞いてソウルに戻りました。
その時うちの妹が拉致を目撃していたのです。
母は食料を求める為に外出しており、父と妹弟たちが家にいたのですが、突然黒いジープに乗った政治警察が現れて家を包囲したんです。

丁度そのときですね。
同じ神学大学の教授が一人我が家に来て、危ないから隠れろと言いに来てくれたのです。
その教授が来て話をしていたときに政治警察が包囲して玄関の門を叩いたので、その教授は押入れの中に隠れて、うちの父が玄関に出たところを裸足のまま引きずり出されて連れて行かれてしまった。
妹たちや弟たちが目撃していたのが父の最後の姿なんですが、そのあと消息はないんですが、実は一緒に拉致されていって脱出してきて韓国に戻ってきた人たちが東亜日報に証言をしている記事が出たのです。

その証言によりますと、うちの父は北に連れて行かれて収容所に入れられて、そこで北の地下教会の牧師と秘密に連絡を取っていたと。
その連絡を取っていた事が暴露されて政治警察につれて行かれてその後出て来ていない。
その後消息が全く無いのです。
それが私の父の拉致の過程の話です。

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05.1.2 本文の一部を訂正しました。 

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(2)05.11.23 友愛会館にて

『李美一(リ・ミイル)朝鮮戦争拉北人士家族協議会理事長による、ご自身の家族のお話(通訳・西岡氏)』

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朝鮮戦争拉致は1950年までさかのぼるわけです。
北朝鮮は1950年の6月25日夜明けに奇襲南進を仕掛けて来たのです。
当時の韓国政府は敵軍を迎え撃つ事ができず、ソウルは3日目に陥落してしまいました。
私たちの家族は父と母とそれから祖父と祖母がおりまして、そして5歳の私のお姉さん、それから1歳を過ぎた小さかった私と言う家族でした。

当時韓国政府はソウルは死守すると、避難に行くなと私たちに伝えておきながら南に逃げてしまい、そしてソウルと言うのは韓江というのが南側に流れているんですね。
南に避難する為にはその川を渡らなければならないのですが、北朝鮮軍が南下するのを防ぐ為に大韓民国政府が南に秘密に逃げた後、6月28日に韓江に架かっている橋を韓国政府が爆破してしまった。
私たちの家族はそのような爆破計画があると知らなくて、その前日の27日に南の方に逃げていこうと思ってその橋の所まで行きました。
その時韓国政府は軍とそれから軍の関係の装備だけは南に行かせる事を許して、民間人は南に逃げる事を許さないで家へ戻れと言いました。
それで27日の夜は橋の近くの友達の家で夜を過ごしたわけですけども、28日の朝、橋は爆破されてしまったんです。
仕方なく私たちは家に戻って過ごすしかなかったのです。

その中でうちのおじいさんのお兄さんが医学博士だったんですが、北朝鮮に拉致されたという消息が伝えられました。
その不幸は9月5日我が家にも襲ってきたんです。
政治保衛部員、いわゆる政治警察ですね。
政治保衛部員と言う人が我が家に来まして、その時家にいたお父さんと出会ったわけです。
当時の韓国は反共が最も重要な価値観であった為に、大韓民国の国民はなんらかの反共団体・愛国団体に所属しておりました。
政治保衛部員が最初に父に聞いたのは、もともとの父の故郷は北朝鮮地域だったのでいつ南に来たのか?と聞きました。
戦争前、つまり北朝鮮の政府が出来てから逃げてきたんではなくてその前に、日本の植民地時代に南に来たんだと言ってその質問には上手く切り抜ける事が出来たんだと。

次の質問は愛国団体に金一封を寄付した事についての質問でした。
少ししかしなかったと言ったんですが、じゃあちょっと調査しなければならないと言って連行して行ったのです。
しばらくしたら戻ってくると思っていたら中々戻ってこないので、うちの母が当時の北朝鮮の内務省(ネームソ)、北の警察ですね。
に、うちの姉を連れて迎えに行きました。
中を見ると父が調査を受けていたんですが、その後しばらくして父が政治保衛部員に連れられて出てきて、そして路面電車に乗せられて行きました。
当時路面電車があったんです。
そこで母が駆け寄って「どうしたんですか?」と聞いたらば、真っ青に青ざめた父が「もう少し調査をすることがあるんだ」と言って「明日になれば帰れるだろう」と、母に言った言葉が最後の言葉になりました。

その後警察署に連れて行かれたと言うのですが、警察署に言ってみると一週間後には解放するといわれた。
一週間後にもう一度行って見ると北から指令が来て安全地帯に退避させる、と言うのが彼らの答えでした。
その後私たちの家族は父が帰って来る事だけを待って、連れて行かれた自宅、それをずっと守ってその家で今も暮らしています。
家族を本当に愛してくださった父のことを私は忘れる事はできません。

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05.1.2 本文の一部を訂正しました 

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(1)05.11.23 友愛会館にて

第1部・朝鮮戦争拉北人士家族協議会の方々による講演

『西岡力 副会長のお話』


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(写真は右より西岡氏、李美一(リ・ミイル)朝鮮戦争拉北人士家族協議会理事長、
金聖浩(キム・ソンホ)前理事長・現レインボー財団理事長、
ハ・ヨンナム朝鮮戦争拉北人士家族協議会・国際問題担当です。)

でははまず皆さん、韓国の皆さんに拍手をもってお願いします。(拍手)
実はですね、このお三人の中の真ん中に座っていらっしゃる金聖浩(キム・ソンホ)理事長は、この集会だけの為にいらっしゃったんではなくて、約2週間、日本全国の大学を回って日本の大学生を相手に巡回公演会を今して下さっているんです。
その最中に今日のこの集会のスケジュールがありましたので来て頂きました。
後ほど金理事長からもお話があると思いますけども、実は2003年の5月に、5人(の被害者)が帰ってきた直後の国際フォーラムでの国民大集会の時に、李美一(リ・ミイル)理事長と金聖浩理事長と来て下さったんですね。

そこで金聖浩理事長が訴えたのを聴いた日本の大学生が感動しまして。
そして韓国にも拉致被害者がいたんだと、その人たちのことを我々は知らな過ぎたと。
韓国へ行って拉致のことを勉強しようと、日韓の拉致被害者を救出する為に韓国の大学生と協力出来ないか?と言ってですね。
2003年の夏・2004年の夏・今年の夏と3年連続で、大学生たちが自分のお金で日本全国の大学から集まってですね。
訪韓団を作って行ったんですね。
その時私が電話をしまして、日本の大学生たちが行くけどよろしくと言って。
金理事長や李理事長に食事をご馳走になったりして色々お世話になったんですが。

その時に金理事長が大変お世話をしてくださって、最初は韓国の国立墓地に連れて行ってですね。
韓国で訴えるんだったら、まず韓国の為に闘って死んだ人のところにお参りしなさいと、言ってそこに連れてって下さった。
その後、韓国の学生とディスカッションをしたり、韓国の家族に会って話を聞いたりと言う事をやって来まして。
それで今度は日本の学生たちがこの金理事長の話を自分達だけが聞くのはもったいないと言って。
日本の大学生たちが企画をしてですね。
金理事長を日本の大学に招こうという事になりまして、熊本大学、それから昨日は首都圏の大学の学生が集まって八王子の方で集会がありまして。
それから大阪教育大学、立命館大学、佐賀大学、福岡教育大学、長崎大学と大学で大学生たちに金理事長が韓国の拉致の問題、また最近は脱北者の救出運動をやってらっしゃいますのでその問題。
また日韓の歴史の問題。
歴史的な違いを越えてどうやって日韓の学生が連帯できるのか?と言う問題について講演をしてくださっているんですね。

また今日は午前中には月刊正論と言う雑誌の中に、増元照明さんと私と3人で座談会をしまして、次号にその話も出ると思いますので是非関心を持たれた方は、月刊正論の次月号を買ってくださるかと思いますが。

そして、それ以外の李理事長はいつも国民大集会の時に毎回来てくださっているんですが。
そしてそれからあちらのハ・ヨンナムさんは、韓国の朝鮮戦争家族会の国際担当の理事で英語が堪能でいらっしゃるんですけども。
3人が今日は来て下さいました。
前回は朝鮮戦争休戦後の拉致問題について取り上げたんですが、今日は朝鮮戦争中の民間人拉致について取り上げて、そしてその人たちを救出する為に、あるいはこの問題解決するために我々が何ができるのか?と言うことを考えたいと思っています。

まず韓国の拉致家族会の活動の紹介に入る前に、お3人の方々がそれぞれ、どの家族がどのように拉致されたのか?
家族会としてではなくて家族として、ひとりひとり朝鮮戦争のときに何が起きたのか?と言うことを私たちが理解する為に、自分の家族の話をして頂きたいと思います。
まずは李美一理事長からお願いします。

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05.1.2 本文の一部を訂正済み
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