2006年01月30日

よど号犯人と拉致問題 東京集会(10)06.1.19 友愛会館にて(恵谷治氏その2 音声有り)

『恵谷治氏の講演 その2』



先ほど言いました3つの組織、「調査部」「連絡部」「文化部」
この名前が文化部と言うこれは北朝鮮、根はソ連なんですが、軍にも文化部と言うのがあります。
これは言わば政治警察、思想監視組織というのがカモフラージュされて文化部と言う事なんですが。
3号庁舎の文化部と言う役割もありましたが文化部の下に作戦局という物がありました。
この作戦局が工作員をですね。
船で日本に運んだりというサポート部隊だったわけです。

75年の大検閲の後、あ、もう一つポイントで重要な事はですね。
辛光洙のような元々日本生まれの、日本語を教育しなくても日本人以上に日本語が出来るという人間をリクルートして工作員にずっとしてきたわけなんですが、だんだん世代交代が始まると。
日本に送っていた辛光洙だけではありませんが、たくさん工作員がいたはずです。
そういう人間も全て送還しろと言う事で、辛光洙も76年に(北朝鮮に)帰国します。
朴某も同じように帰国します。

大検閲の後(日本に)派遣されていた工作員は全て呼び戻されて、再び思想検査・思想教育され、使える使えないと言う判断になったはずなんですが。
一方で自分が今後自分が責任を持つこの3号庁舎の工作員教育が、今は皆さんもご存知だと思いますが、現地化教育・適化教育をする。
ついてはそれぞれの国の人間を教官にしろ、連れて来いという指示が出ます。
これは76年金正日が指示します。
それから皆さんがご存知の拉致がどんどん始まるわけです。

ところが特定失踪者問題調査会で調べてみると、75年以前にも当然明らかな拉致だと疑われる事件がたくさん生じてます。
75年以降は金正日が命令を下した事は間違いがありません。
しかし75年以前は金正日は命令を下す立場にはありませんでした。
ですから75年以前の拉致と言うのを私なりに分析してみますと、一つは背乗り、つまり戸籍盗用をするために拉致と言うケースも考えられなくは無いんですが、75年以降のような厳しいと言いますか背乗りをした人間を必ず連れて行くと言う事は余り無かったようです。
逆に言うと金正日はその点をついてですね、そんな危険な事をするなと。
背乗りしたら、その人間を連れて来いと命令をしたはずです。
それが一点。

それからもう一点は75年以前の拉致については、北朝鮮に欠けている職種・技術者。
分かりませんが病院関係者あるいは工場の技術者、何らかの技術を必要とする人間を拉致するという事があったように思います。
しかしこれについてはまだ私も完全に分析を終わっていなくて、いずれきちんとしたいと思うんですが、とにかく金正日以前にも拉致はあったと。
ただその時もですね。
昔のスパイ事件を含めて調べて見ますと非常に長閑で、北朝鮮から漁船で来るわけです。
漁船が漁港の端に泊まるとかという、今の工作船で夜間に潜入するというような事は無くて、そういう状況ですからたまには公安関係者に引っ掛けられるというような事で事件は発覚してます。

その事件を見ると、社会安全部だったりですね。
偵察局だったり様々な党であったり人間が来てますが、75年以降金正日が責任者になって以降は非常に分かりやすいと言うか整理されたと言うか、厳しくなって。
それは潜入する工作員の話でありまして、逆に言うとその工作員が拉致をして帰っていくという問題があります。
まずよく言えば教育係りあるいは養成機関の教官として拉致をする。
とにかく金正日は当初はですね。
これはまだ分析し切れてないんですが、誰でも良いと。
朝鮮語で言う「マグジャビ」と言いますが適当な奴を引っ張って来いと、いった可能性も考えられます。

一方で彼らの言葉で言う人定了解事項といいますか、この人物はこうこうこうで、家族はいない。
あるいは家族はこうだから安全だと、言うようないわゆる事前調査をして拉致するケースもあったと思います。
というか、ありました。
その時に一番ハッキリするのは教官として、つまり先ほど言ったように金正日は新しい組織再生をするためにですね。
教育カリキュラムも変えまして、それは全て日本人が担当すると、日本人に(成りすます為に)必要な知識を与える為、授業は日本人が担当する。
韓国の場合は韓国人と言うケースがあったと思いますが、その教官の為。
従来から行われている背乗りの対象者を拉致してすり替わった人間の安全を確保する。
それが2点目。
もうひとつは有本恵子さんのように若い女性、つまり拉致被害者と結婚させる為と言うものだったと思います。

そこでよど号の事件に一度戻りますが、よど号(ハイジャック事件)は1970年3月31日に事件が起こります
北朝鮮から見るとですね。
とんでもない厄介者が飛んで来たと言うのが実感だったと思います。
赤軍の頭の悪い連中が国際根拠地論とかわけの分からんことを言ってると。
とにかくホテルに住まわせて本でも読ませろと、言うのが最初だったと思います。
相手はモスクワで教育を受けたベテランの連中が相手をするわけですから、学生どもが勝てるわけがありませんし、2年で完全に主体思想化される、洗脳されると。
当然根拠地論とか世界同時革命論とか淘汰されて主体思想になる。

これが9人が全員がそうなりまして、その間に吉田金太郎はすぐ正体を見破って問題を起したのかも分かりませんがその辺はちょっとまだ分かりません。
完全に金日成万歳になったんです。
それで72年、(北朝鮮へ渡って)3年目の5月6日に日本人革命村と言うよど号の根拠地、生活地にですね。
金日成が来ます。
「5月6日はよど号記念日」と言う俵万智ふうの呼び方をするんですが、つまり約3年で金日成からのお墨付きが付く。
その72年にですね。
ハイジャック以降初めて日本からの記者団を呼んで、会見をさせます。
ご存知だと思いますが、その会見の席に工作員でキム・ユーチョルという男が写っているのがフィルムで確認されております。

これが非常にポイントなんですが、よど号の連中は最初ホテルに滞在させられてですね。
それ以降郊外の、皆さんご存知の招待所と呼ばれる場所に移されます。
彼らを管理してたのが朝鮮労働党連絡部、先ほどの3つある連絡部でした。
と言うのも、その工作員が記者会見の脇の方にですね。
写ってたわけで、これで彼らは労働党連絡部の管轄に居たんだということが分かります。

ところがこのキウ・ユーチョルというのがですね。
1973年、翌年に連絡部から調査部に異動されます。
有本さんを連れてかどわかしたのがキム・ユーチョルなんですが、それが1983年で10年後ですが。
おそらく、おそらくと言うよりもキム・ユーチョル自体が調査部の人間だったと。
逆に言うと有本さんは調査部管轄の拉致対象だったと言うふうに思われます。
それはもっと後に話しますが、いずれにせよよど号はまず連絡部の管轄に置かれて、完全に金日成シンパになって。
そうこうしている内にその間軍事訓練があったのかどうか?
まぁ彼らは無かったと言ってますが、これは良く分かりません。

75年の10月にご存知の小西(隆裕)の恋人だった、福井タカ子が突然に平壌に現れます。
で、まぁ、いろいろあったでしょう。
男だけ9人の中に5年も離れていた恋人がやってくると。
若い連中はいろいろあって、労働党も「そうかこいつらを黙らすためにも結婚させよう」と。
先ほど言った5月6日はよど号記念日と言う意味において、連絡部の中に5月6日の56課と言う部署を作ります。
この56課がその後ずっとよど号の担当をする部署になります。

この56課がいわゆる田宮高麿と話し合って結婚作戦というものを、お前たちも結婚しろと。
小西・福井タカ子を羨ましく思うなと。
言う事でやってですね、当然連絡部が日本とコンタクトしたと思います。
都合の良い事にと言いますか、よど号事件が起きた直後からですね。
日本にもチュチェ研と言うものが、まず群馬で生まれて、その後全国にどんどんどんどん拡大して行ったようですが。
労働党連絡部はこのチュチェ研で何か気の利いた奴はいないか?と言う事で一本釣りをして5人ほどは集まったんですが、後はなかなかすんなり行かない。

その中で確信犯ではなかった八尾恵であれ、福留貴美子であれと言う事で。
1977年に皆様ご存知だと思いますが、どんどん送ってどんどん結婚させる。
その77年にそうやって日本からよど号の花嫁候補を非合法に北朝鮮に呼ぶことが出来たと。
いうような事もあってですね。
金正日としてはですね。
金正日は自分の側近であれご存知だと思いますが、とにかくまず結婚させる、つまり女をあてがう、それで自分に感謝するだろうという思考回路の人間です。

ですから有名な喜び組を護衛と結婚させたりとか、よくやるんですが、同じ意味でよど号も同じだった。
拉致被害者に対しても同じ発想をする。
ですからよど号に対しても、これは有本さんの場合が83年で、田宮が安部に直接あるいは直接八尾に言って25歳前後の若い女性を連れて来いと言ったのも同じ文脈にある訳です。

そういう事を考えますとですね。
ここには横田めぐみちゃんのお母さんがいらっしゃるんであれなんですが、めぐみちゃんの配偶者も北朝鮮の人間であるはずがないんですね。
つまり国際結婚は絶対に認めないと。
とにかく私は、(めぐみさんの夫とされるキム・チョルジュが)顔を出さない。
いろいろ逃げ回るというのは、日本人、最近では韓国人と言う話も出て来ますが、韓国人の可能性も十分あります。
いずれにせよ北の人間では無いと言う事だけは間違いないと私は思いますが、それは今も言ったようにわざわざ有本さんを拉致するのは誰かと結婚させようと言う事で、それは結果的には石岡さんと言うすでに拉致された被害者だったことになるわけですが。

とにかくそういう作業をするわけで、それを国家予算を使ってですね、やるわけですから。
めぐみさんに対しても同じように北朝鮮の人間である事はまずありえないと、私は、そんな事を言っても何も解決はしないんですが。

・・・その3に続く・・・

2006年01月29日

よど号犯人と拉致事件 東京集会(9)06.1.19 友愛会館にて(恵谷治氏その1 音声有り)

『恵谷治氏の講演 その1』

★西岡力 副会長


ありがとうございます。
それでは今日の講師をご紹介したいと思います。
今日はジャーナリストの恵谷治さんに来て頂きまして、拉致の実行犯は誰なのか?
当初はよど号事件を中心にしてお話をして頂こうと思っていたんですが、辛光洙・朴の話が出て来ましたので、よど号に限らずですね。
拉致の実行犯は誰なのか?
拉致事件と言うのはどういう犯罪だったのか?
という事について、実は私もいろんなことを教えてもらっている専門家中の専門家でありまして、恵谷さんのこういうすごい本も書いていらっしゃって、「対日謀略白書」というなかに、朴とかたくさん入っています。
恵谷さんの今の時点での分析を、そうですね、8時10分くらいまでの間お話をしていただいて、その後私が少し補足をして質疑を行おうと思います。
では恵谷さんお願いします。

★恵谷治氏

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どうもはじめまして、恵谷です。
当初、今日よど号関連の集会なんでその話をするつもりだったんですが、それで私も丁度去年の暮れにお話が出まして、丁度いい機会でもう一度よど号事件、洗い直しをやろうと。
そしてこの場に臨もうと思ってたんですが、辛光洙の件が出て来たり、あるいはご存知の金正日が訪中いたしました。
それはフォローで、結果的によど号関連のお話が出来ない状態だったんですけども、それよりも辛光洙を含めて拉致の実行犯、あるいは拉致と言う物はどういうふうに行われるか、と言う方に重点を置いてお話をすれば良いと言う事だったもんですから、ちょっと気は楽なんですが。

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お話をする前に個人的な事をちょっと話したいと思います。
これは私が大学4年のときに、よど号事件が起こりました。
そのときのスクラップです。(大きなスクラップブックを掲げてみせる)
私にとってよど号と言うのは全く自分の歴史と一緒でありまして、当然ながら私と同級生に当たるのが安部公博あるいは田中義三です。
ですからその連中がこういう犯罪をやっていると聞いたのは正直80年代に入ってからで、この当時の日本中に衝撃を与えた事件と言うのは痛いほど私は分かっております。
で、連中らがどういうふうに考えてきたのか?それなりに個人的にはずっとフォローしてきましたが。

私が一番最初に北朝鮮に行きましたのは1987年です。
その時は初めて北朝鮮で観光が解禁されまして、それ以前は社会党友好実施訪問団とか、そういう形でしか行けなかったのが金さえ払えば誰でも良いという事で、初めて行きました。
で、その時もおそらく、ツアーだったんですがその中にはよど号の新聞記者もいたと言う雰囲気もあります。
というのもホテル、高麗ホテルに泊まっていたんですが、夜そのホテルの地下のバーで私が全く一人で飲んでいたんですが、その一員が話をしているのを聞いていると、よど号の誰々と、名前は当時覚えていたんですが今思い出せないんですが。
よど号のメンバーの名前を言いながら今ここに来ると、言う話をしてました。

私はその時点では、よど号(犯人たち)は(日本に)帰って来れない犯罪を犯している。
個人的にはそれを差して拉致問題を起してるとは知りませんから、なぜ帰ってこないのか?
言葉で言う微罪ですんで娑婆に出てくると、それがおかしいおかしいと言うのが、結果的にはとんでもない犯罪を犯していたと。
非常に納得できたわけです。
それ以降、もう一度よど号事件と言うのを洗い直しをしながら、私が初めて北朝鮮へ行った翌年に有本さんの事件がハッキリしました。
あの3人の方の手紙が来て、当然それもフォローしながら、どういう形でよど号は犯罪と言うか拉致をするようになったのか?と。
気にはなっていたんですが、もちろん具体的な証拠は有りません。
そうした中で先ほどから話の出ています、高沢皓司氏の「宿命」を読み、当然ながら納得しましたし。
それに至るまで様々な情報が入っていました。
ですからだいたいこんな物かなと言う状況は分かるようになりました。

よど号については後でお話をするとして、まず辛光洙についてお話したいと思います。
私は今言った87年の翌年に初めて北朝鮮の本を書きました。
その中でも辛光洙の事件を書いておるんですが、当時はですね。
いわゆる工作員の動きと言うものに興味がありまして、とにかく彼は日本に潜入して合法的身分を取った後、パスポートでヨーロッパ経由北朝鮮と言う判明しているだけでも6回往復しています。

当然韓国での、85年に逮捕されて以降の判決文を検討して時系列的に考えました。
今回、最初に地村さんの件がありまして、それからめぐみちゃんの件が出てきたと。
皆さんご存知だと思いますが、判決文の中にはですね。
判決文の中ではその時期は北朝鮮にいたと言う事になっています。
先ほど西岡さんが紹介してくれたこの本にもですね。
私は裁判記録を盲目的に信用し、無批判に信用しましてそんなはずはないと思ってましたし。

もう一点78年の3つのカップル誘拐、拉致事件の時のですね。
もう一つ未遂があります。
その未遂事件の時にそのカップルの女性の方が、警察から辛光洙の顔写真を見せられて、この人に似ていると証言していたのですが、裁判記録によれば北朝鮮にいるんで、見間違い・記憶違いだろうというふうに私はこの本の中で書いてます。
その事については反省をしているんですが。

辛光洙が少なくとも地村さんとめぐみちゃんを拉致したかどうかは別としましても、まず彼の簡単な生い立ちと言いますが、皆さんも新聞で読まれたかと思いますが、お話します。
彼は在日、日本で生まれまして愛知県だったと思いますがハッキリしません。
(会場より「静岡です」の声)そうです、静岡です、失礼をしました。
彼は北に戻ってですね。
韓国経由で戻ったんですが、1971年、この年号を覚えてください。
71年に工作員になる、リクルートされます。

後でも申し上げますが、工作員と言うか謀略活動をする人間の名称についていろいろ問題があるんですが、ここに来られている方は皆さん意識が高いので、頭に入れて頂きたいんですが。
新聞等では工作員と言う言い方をします。
しかしこれが落とし穴でありまして、北朝鮮においてはですね。
そういう謀略活動をする人間を北の用語で4種類あります。
「工作員」と、それから「偵察員」、それから「戦闘員」、それから「案内員」、これが彼らの呼称です。

辛光洙はですね。
1971年に「偵察員」としてリクルートされました。
「偵察員」と言うのはですね。
軍の工作員と言いますか、もっと正確に言いますと朝鮮人民軍偵察局の工作員です。
工作活動をする人間です。
彼はまず軍にリクルートされて、約2年半教育・訓練を受けます。
それで1973年7月2日に元山から石川県の海岸に、皆さんご存知のような形で潜入し日本に再入国します。
日本語は非常に上手くて、おそらく数字は覚えていませんが大体30歳過ぎてたと思いますが、辛光洙がまず入ってきて日本人の日本語と変わりませんから日本社会に溶け込むのは楽。

ただ法的な身分がありませんから、北朝鮮に帰国した人間の手紙を持って日本に住んでる家族に渡す。
これはあらゆる工作員が最初に日本に上陸すると潜入すると、そういう作業をします。
言わば脅しですね。
自分に協力しろと、協力しなければこの手紙の人物の待遇が悪くなると言う事であります。
ポイントは何か?と言うと先ほど言ったように、彼は偵察員です。
これは軍の所属ですが、71年にリクルートされました。

もう一人の朴と言う、朴某、朴なにがしという男は、これは党の工作員です。
辛光洙よりも先に日本に潜入しますが、北朝鮮においては日本に対して様々な機関が工作員を派遣するという時代でした。
それが1971年です。
もちろんその後も続くんですが、ポイントはですね。
1975年にご存知だと思いますが、金正日が73〜4年にかけて党の書記、政治局員というふうに中枢部に躍り出ます。
彼はそれまでに演劇部門、音楽部門、つまり文化芸術部門は権力中枢部でも一目置かれるような活躍をします。

しかし現実権力として、もっと言いますと権力執行機関、あるいは自分の力の基盤と言うものが全くありません。
女優を騙して好き勝手をするということは出来ても、権力、自分の力が無いと。
それは例えば警察、例えば軍、いろんな所のトップになれば、それなりの権力基盤が作れるわけですが、そうした中で金正日はこの秘密機関、謀略機関に目を付けます。
この謀略機関がこの辛光洙が、あるいは様々な工作員が活躍する場で、皆さんご存知の現在では3号庁舎と言うふうに呼ばれる部署ですが。

この3号庁舎、正確に言いますと1975年当時はですね。
連絡部、調査部、文化部、この3つしかありませんでした。
それ以外に軍の偵察局があって、辛光洙は軍の方にいたわけです。
ところが1975年金正日が3号庁舎を検閲する。
つまりお前たちの仕事を再チェックすると、言う事があってですね。
それまでの活動のあらゆる物を全てチェックしました。

で、これはもう世界中どこの機関もそうなんですが、この秘密機関と言うのは言わば機密費で賄っているような機関ですから、工作費そういう費用、これを受け取っても工作に使わずポケットに入れる人間もたくさんいるわけです。
これは世界の常識です。
CIAの工作員でも同じだし、我が国の大使館員の外交機密費で自分の絵を買っているとか言う事もあります。
これはどこの、つまり領収書が明確に要求されませんから皆ポケットに入れると。
まぁ皆じゃありませんが、そういう事が往々にしてあります。

ですからその大検閲によって、全員すねに傷がある。
で、そのポケットに入れる以上に工作活動を成功させていれば、問題は無い。
とにかく金正日はですね。
半年に亘って全ての工作をチェックしました。
それで75年の11月から全体会議を開きまして、全員の自己批判をやらせます。
そしてとにかく全員すねに傷がありますから、「自分はこういうことをしました、今後反省します」と、とにかく締め上げて、当然部長クラスは全員首を挿げ替えて。

プラス、当時はですね。
75年当時まだ北朝鮮は、まだと言うか今と変わらないというか、外貨がほとんどありませんでした。
外貨は中国政府から恵んで貰っていた貴重な外貨でした。
その貴重な外貨を工作活動に与えて、それを勝手に工作員がポケットに入れると言う状況だったわけで、それを厳しく叱責した上で、今後一度たりともですね。
自分のサインが無いとしてはいかんと、これで金正日は3号庁舎を押さえたわけです。
当然もちろん人事も含めて。

・・・その2に続く・・・

2006年01月28日

「蒼のはがきキャンペーン」ご協力のお願い

本日早朝アップしました、東京連続集会14「よど号犯人と拉致問題」においてのご家族の声はお読み頂きましたでしょうか?
テキストの中でご家族の皆さんがそれぞれ口にされていますが、先日の鈴木官房副長官と漆間警察庁長官との面会は今までに無く手ごたえの強い、期待の持てる言葉が聞けたとの事でした。

この政府・警察の動きが本物なら是非歓迎したい所ですが、これが単なるリップサービス、ポーズであっては困ります。
相変わらず官邸サイドには国交正常化へ向かう勢力もありますし、6者協議や日朝交渉の行方如何では拉致問題が棚上げにされかねない危険性もあります。

ご家族は今こそ、世論の力を必要としています。
万が一の政府の暴走を止められるのは、何だかんだ言っても国民の声のほかに無いだろうと思います。
そこでですね。
「一人残らず被害者を救う」という国民の率直な声をぜひ一枚のハガキにしたためて、総理に届けては頂けないでしょうか?
国民の多くは今も拉致問題を忘れてはいない。
その事実を政府に知らしめる事によって、万が一の暴走を食い止める事も出来るはずです。

またあなた様の身近な友人・知人の中で拉致問題に理解と関心をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひこの機会に「蒼のはがきキャンペーン」の事を教えて頂きたいとも思っております。
ハガキを書くのが面倒だ!と言う方はメールでも構わないと思います。
一人でも多くの方が総理に向けて、ハガキやメールと言う形で拉致問題解決のための行動を起こしてくださる事を切に願っております。
ご訪問の皆様には是非、総理へハガキを送る運動の趣旨へのご理解とご協力をお願いしたいと存じます。

今の時期ならどちらのご家庭にも年賀はがきの残りが数枚程度はあるものと思います。
あれも普通のハガキと交換するとなると一枚5円の手数料を取られます。
勿体無いです。
それでしたらば、その年賀状の残りへ国民の率直な思いを書いて総理に宛てて出すのも、有効なハガキの生かし方ではないかな?と思うのですがいかがでしょうか?
尚、掲示板「蒼き星々」様では、専用の蒼のハガキを多数用意されていて、希望の方にお分けもして下さっています。
申し込み先を以下に紹介しておきますので、ご希望があればお申し出になってください。

★ハガキの宛先
〒100-8968
東京都千代田区永田町 1-6-1内閣官房
  拉致問題連絡・調整室気付
内閣総理大臣 小泉純一郎様

★メールの宛先
首相官邸 ご意見募集メールフォーム
http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html

★蒼のハガキ 請求先
蒼き星々様 mail@blue-stars.org
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よど号犯人と拉致問題 東京集会(8)06.1.19 友愛会館にて(増元照明さん音声有り)

『増元照明 家族会事務局長のお話』

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家族会事務局長の増元です。
今日、先ほど皆さんが仰っているように、今日の官邸の中で政府の官房副長官、更に警備局長非常に強い姿勢を示して頂いたと。
もう一つ、我々がひとりずつ話しますとそれにひとりずつに対応して話をしてくれる。
これは初めて、今まで殆ど初めてのケースではないかと思うんですが。
それほど積極的にやろうと言う姿勢は非常に強く見えます。
それはやっぱり昨年11月の1日に安倍さんが官房長官になってようやく動き始めた証しなのかな?と私はそういう思いをしています。

警察庁が昨年末そして今年の初めに辛光洙、朴某を出しましたけども、あれも昨年末に新しい情報として得て、そして出したと言う事ですが、それも情報として表に出すのも官房長官の意向も関ったのかな?と言う。
とにかく官房長官が安倍さんでなければ伏せられたと言う事が多くありますので、その点で動き始めていると言う気がします。

今年、私と西岡さんがマカオに行きまして、マカオの拉致被害者家族と会いました。
で、ほとんどまず間違いなく、孔さんという方がマカオから拉致されていると言うのは確信しました。

で、お願いなんですけども、ここにメディアの方たちがいらっしゃいますけども、北京支局に連絡しまして孔泉報道官に「あなたの国の人たちが拉致されていますけども、どのように考えますか?」と質問をして頂きたい。(拍手)
これで孔泉さんがもし北朝鮮側を庇うような回答をされると中国のスタンスが分かると思います。
ぜひこれだけはやって頂きたい。
「中国の人が北朝鮮によって拉致された事が今明るみになりましたけども、中国政府としてはどうされますか?」と。
それだけ聞いて頂きたいと思いますので、是非マスコミの皆さんにはお願いしたいと思います。(拍手)

更に明日から、私アメリカのスラムダンス映画祭と言うところで「ABDUCTION〜拉致 横田めぐみストーリー」と言うのがスラムダンス映画祭の大賞にノミネートされておりまして。
それで大賞を取るような事があれば、アメリカ全土にこの映画が開放されて、そしてアメリカ国民の拉致に対する認知度が高くなる。
それをぜひ成功させて頂きたいと思いますし、私もその場所に行って初めてその映画を観させて頂きますが、今年は政府も我々も攻める年だろうと。
守ってばかりいられない。
攻めて行かなければならないと思っておりますので、是非皆さん一緒に戦ってください。
ありがとうございます。(拍手)

よど号犯人と拉致問題 東京集会(7)06.1.19 友愛会館にて(横田早紀江さん音声有り)

『横田早紀江さんのお話』

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皆様こんばんは。
本当にいつもご支援いただいてありがとうございます。

今日もお会いしていろいろとお話を致しましたけど、めぐみの事は辛光洙によると曽我さんからもお聞きしておりましたけど、まだこれは今言葉に出して表に出して頂きたくないという事でしたので、私はその事はまだ何も言っておりませんでした。
地村さんもそうだと言う事で、もう表に出ていることですから、・・・一緒に・・・(聞き取れず)しているんだということで、私はハッキリと出して良いと思って、マスコミの質問にもハッキリとびっくりしましたとお答えした事で、こんなふうになって来たんですが。

主犯であるその人たちがいるんですから、私のめぐみちゃんの場合は新潟ですけど、やはり新潟の中で朝鮮総連なのか在日の人か、また日本人であるのか分かりませんけれど、拉致と言うことに対して協力をした人が必ずいると。
始めからそれは何となく分からないままに、誰かが何か一緒にやった事じゃないかな?といつもどこかで思っていたものですから、今日も各地で起きた拉致問題ね。
その中の協力者と言うことをもっと徹底的に各県で調べて頂きたい、と言う事をお願いしておきました。

その様な事を知らずに、皆何も悪い事もしていないで、家族から離されて30年近い間何とかして帰りたいと。
船に乗れば帰れるんじゃないかと、めぐみなどは何度も外へ飛び出して船に乗ったら帰れるんじゃないかと思って逃げ出したような事もあると蓮池さんたちからお聞きしました。
本当にどんなに辛い思いで過ごしているんだろう、今もその様な思いで待っていると思いますので。

日本中がようやくこの思いで、めぐみの事が浮上した不思議な事で、拉致問題が大きく報道されるようになって、マスコミの方もご協力いただいて、国民の方々あらゆる方が本当にバックで支えてくださって、おかげさまでようやくここまで国際的に拉致と言う事を本当に鮮やかにあぶり出してもらったと思って感謝しております。
今こそハッキリと日本の国全部が一丸となって怒って、拉致に対してシッカリと怒って言葉に出して、世界に表現していく事で救出の事が動いていくんじゃないかと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。
ありがとうございました。(拍手)

よど号犯人と拉致問題 東京集会(6)06.1.19 友愛会館にて(平野フミ子さん音声有り)

『平野フミ子さんのお話』

★西岡力 副会長


熊本から増元るみ子さんのお姉さんの平野さんが来てますので、一言。

★平野フミ子さん



皆さんこんばんは。
本当に難しい問題。
でも日本が今変わろうとしている問題です。
本当に日本をどうにかしようと言う皆さんの思いが、この席に来ていらっしゃる一つの要因だと思っています。
私たちもその一端を担っていると言う、私たちも自負しておりますけども、あの本当に今日はですね。
今までに無く鈴木官房副長官と面談する事が出来ましたし、そしてまた力強い言葉も頂きました。
絶対にこの拉致問題解決なくして国交正常化はありませんと言う事を断言されました。

私たちはひょっとしたら小泉さんが3回目の訪朝をして、ふわぁっと行ってですね。
印鑑押してくるんじゃないかな?
そしてたくさんのお金を取られるんじゃないかな?と言う、妹たちは帰らずにこのままになってしまうのかな?と言う、そういう思いでいつも不安になっております。
でもそういう言葉も頂きましたし、警察庁長官の今年の年頭の(挨拶)ですね。
拉致問題の解決を絶対するぞと言う意気込みも感じましたので、安心して、本当に今年は何か、拉致被害者を絶対に取り返す年になると思います。
皆さん期待してください。
本当にありがとうございます。
いつも応援していただいて本当にありがとうございます。(拍手)

よど号犯人と拉致問題 東京集会(5)06.1.19 友愛会館にて(飯塚繁雄さん音声有り)

『飯塚繁雄 家族会副代表のお話』

★西岡力 副会長


続きましてよど号の事件ではありませんが、この年末年始に、帰国した被害者の方の証言によってですね。
拉致の実行犯が明らかになって来ています。
そのことも含めて、今日警察庁とそれから内閣府、官房副長官にも要請して。
要請した内容を皆さんにもお配りしていると思いますが、それ以外の家族の方たちも今日ここに来てらっしゃいますので、時間の関係もありますので短く一言ずつですね。
犯人をきちっと取り調べて欲しいと、そして事件の実態を明らかにして欲しいと願っていると言う点を中心に話をしていただければと思います。
では飯塚さんの方から。

★飯塚繁雄 家族会副代表

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今西岡さんの方から説明のありましたように、今日午後から内閣総理大臣と警察庁長官の漆間さんに向けて要請文を提出して参りました。
内容的には載っておりますけれども、我々長い間、また年が明けてしまったかと言う気持ちがありますけども、その流れの中で、暮れから正月にかけていろいろ情報がたくさん出てます。
そういう中で我々としても今まで訴えて参りました、いわゆる日朝協議を待つ事無く制裁をきちっとして貰いたいと。
実行して貰いたいと言う事。
それから、拉致の実行犯に対する捜査に一層力を尽くして欲しいと
特によど号関係者が帰国した際には、拉致問題についても徹底した捜査を実行して頂きたいという事と。
国際的に広まっている拉致問題に対して米国、韓国、タイ、マカオ、レバノンを始めとする関係各国との連携を強めて頂きたいという強い要望書を提出して参りました。

その中でいろいろ感じた事は、政府は安倍(官房)長官はもちろん「この拉致問題については徹底的にやるんだ」と言っておりますし。
先日、外務大臣の麻生さんも「拉致なんかけしからん」と言う強い態度でいました。
それから先ほど言った警察庁長官も、今年こそ拉致の問題を片付けるべく行動する。
そういう約束をして参りました。
それやこれや考えて見ますと、今年こそと言う言葉を何回も使っちゃうんですけども、本当に今年中にこの問題を解決したいと思いますし、その動きがあちこちから出ているという事を感じました。
そういう意味では我々今までどおり一生懸命戦って参りますので、また宜しくご協力お願いします。(拍手)

2006年01月26日

竹下珠路さんの声 古川了子さん第5回行政訴訟報告会より

東京地裁で行われた、古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟の傍聴と報告会に参加してきました。
本日の裁判では原告側から証人申請を求めて裁判所の判断を仰ぐ予定でした。
が、裁判の冒頭、裁判官から「進行協議期日」を設けてはどうか?と言う提案がなされました。
「原告・被告ともに拉致問題解決のベクトルは同じであるのだから、胸襟を開いて進行の協議をしてはどうか?」と言うのが裁判官の言葉です。

裁判官の提案を受けて、法廷は一時休廷。
原告側弁護団は協議の上この提案を受け入れました。
理由は、裁判所側の姿勢に証人尋問に前向きなニュアンスを感じ取り、同意の意向を示したとのことです。
被告・国側もこの提案に同意し、来月2月27日協議が執り行われる事に決まりました。

「進行協議期日」というのは原告・被告がこれからの裁判の進行のあり方など実務的な協議を行う事だそうです。
ただし、これは代理人同士の話し合いなので、傍聴は不可。
今日の裁判で承認申請が認められなかったのは、歯痒いものがありますが、裁判所の姿勢に好意的な物があるのを感じての決断です。
裁判所が今回このような態度に出てきたのは、やはり拉致問題に寄せる世論の高い関心が背景にあるからだろうとの指摘が弁護団よりされました。

もっとも、「進行協議期日」を設け、原告・被告共に同意したからと言って、証人申請が必ず認められると決まったわけではありませんので、油断は出来ません。
尚一層のご支援ご協力をお願いしたいとの弁護団からのお願いもありました。
ネット上でこの記事をお読みの方々も、世論喚起のため、出来る事をコツコツ積み上げて頂きたいと思います。

報告会での竹下珠路さんの声を取り急ぎアップします。
裁判の進行ののんびり加減には、正直イライラしますがこちらの側も諦める事無く粘り強く支援を続けていきましょう。

・・・・・・・・・・・
竹下珠路さん 古川了子さん第5回行政訴訟報告会 06.1.26 東京弁護士会館にて

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・・・・・・・・・・・

報告会に引き続き、調査会の記者会見が行われました。
詳しくは後ほど調査会ニュースで配信になると思いますが、速報を一つ二つ。

短波放送「しおかぜ」は来週月曜日から、いよいよ朝鮮語・英語・中国語での放送を開始するそうです。
月曜が朝鮮語、火曜が英語、水曜が中国語で後の放送は日本語です。
しおかぜは北朝鮮のみならず、アジア各地やヨーロッパでも聞こえたと言う報告があり、多言語で放送を出す事により、様々な情報が調査会に入る事を期待しているとのこと。
むろんこれらの外国語版放送にも、情報の受け手である私書箱の宛先も乗せるそうです。

それからもう一つ、「しおかぜのサポータグッズ」と言う事で調査会より新しく作ったグッズの紹介がありました。
販売は来月2月6日より。
通販他集会などでの販売を予定しているとの事。
売り上げはしおかぜの運営資金に当てられます。
このグッズは、労働組合の方でいろいろとアイデアを出してもらって作った物だそうです。

今時の若者にも抵抗なく受け入れてもらえそうな、マフラータオルとハンドタオルです。
このアイデア考えた人、GJじゃないでしょうか?
こうやって様々な人がそれぞれ知恵を持ち寄り、世論の盛り上げにつなげるのも大事なことではないかと思います。
写真を撮らせて貰って来ましたのでどうぞ御覧下さい。

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よど号犯人と拉致問題 東京集会(4)06.1.19 友愛会館にて

『川添友幸 救う会神奈川会長のお話』

★西岡力副会長

続きまして、今日は拉致の実行犯について考えてみようと言う趣旨で集会を開いているんですが、よど号の犯人たちは20人拉致していると言う事が分かって来てるわけですけども、そのグループの妻たちはどんどん帰国しているわけですね。
帰ってくると旅券法違反と言う罪で捕まって裁判が行われていると。
その裁判を継続して傍聴して来た、救う会神奈川の川添さんから報告をして貰います。

★川添友幸 救う会神奈川会長

初めてこういう場で話しますんで、ちょっと上手く出来るか分からないんですが、ご説明していきたいと思っています。
ちょっと今日、資料を作ってきたんですが、「よど号を通して見た拉致事件」という資料を作りました。
全部ことらだけじゃなくて、こちらの流れの中で少しずつ説明していきたいと思います。

まず、よど号のハイジャック事件自体は1970年、もう35年前でしょうかね。
ハイジャックをしまして、韓国経由で北朝鮮に向かったと。
当初どうもすぐ帰ってくるつもりだったんですが、中々帰って来られなくなってしまった。
70年代後半から80年代初めにかけて、日本から次々入国した女性たちとですね。
強制結婚だったんじゃないかと言うこともあるんですが、結婚してですね。
今度はヨーロッパにおいてですね。
非合法な活動を開始いたします。

そういう中で88年に日本政府がですね。
ソウルオリンピックを日本赤軍やよど号グループが妨害する恐れがあるんじゃないか?と言う事を、各国の情報機関から入手しまして。
テロ防止の観点から旅券を返納しろと言う命令を発動しました。
1993年に返納命令に従わなかったと言う事で、旅券法違反で妻たちに対して国際手配を警視庁がかけました。
この後でご説明する裁判と言うのは、この警視庁の出した旅券返納命令違反における国際手配の裁判です。

2001年以後ですね。
よど号グループの帰国がずっと続いています。
妻たち自体は国際手配をされておりますので、帰国後、逮捕起訴されるんですが、この旅券法自体が微罪の為に実際有罪判決が宣告されても執行猶予になってしまいます。
今まで実刑になった方が一人もいらっしゃらないみたいで、非常に問題だと思います。

更にですね。
先ほど有本さんの方からお話があったと思うんですが、子どもたちがかなり帰って来ていまして。
この子供たちと言うのはもちろん国際手配をされていませんので、日本国籍を取得して私たちと同じように一般社会で暮らしています。
今日、警察庁とか内閣府に行った時も増元さんとかお話しされたんですが、今子どもたちがパスポートを入手しまして北朝鮮と日本を行き来しています。
北朝鮮から何らかの支持を受けて動いているんじゃないかと言う事で、ぜひパスポートについても以前やったような旅券返納命令を日本政府は取っていただきたいなと、私は思っています。

私自身がよど号の事件に関るようになったきっかけは、先ほどお話の出ました、高沢皓司さんの「宿命」を読んで非常に引き込まれてですね。
この問題取り組みたいなと思いました。
実際細かい裁判の内容に入りますと、私たち救う会神奈川としてはですね。
裁判をやっているという話を聞いて、これはちょっと見てみる必要があるなと言う事で、神奈川の会の私と他にボランティアの方とだいたい3〜4人くらいでずっと裁判の傍聴を行いました。
傍聴した期間は2004年の7月から2005年の6月まで、1年間の間で裁判の数は9回傍聴に行きました。
被告人は有本恵子さんを拉致した容疑で今国際手配をされています、安倍公博の奥さんである魚本民子とですね。
田中義三、あのカンボジアで偽ドル持って捕まった、の奥さんの水谷協子の裁判です。

先ほど出ました八尾恵の証言によりますと、この水谷協子はどうも有本さんの入国した後の指導係りだったんじゃないかと言う話が出ていますが、裁判ではこの辺を追求したみたいですが、全く答えないような状況でした。
細かい裁判の一問一答みたいのはですね。
私たちの救う会神奈川のHPがありまして、HPからリンクが貼ってありますaoinomamaさんのHPに全部一問一答が出てますので、そちらを見て頂ければと思います。(http://aoinomama.trycomp.net/

裁判の全体的な様子からまずご説明しますと、裁判は公開するんですが、人出が多いと言う関係で傍聴券を交付するのに抽選があるんですが、基本的にほとんど傍聴に来る人はおりませんので私たちで殆ど傍聴出来てます。
傍聴に来る方を分類して見ていますと、私たち救う会あるいはよど号グループの支援者の方、子どもたち。
あと私自身が一番びっくりしたのは、有罪判決を受けて執行猶予中の妻たちも傍聴に来ていました。
更に警察の方とかマスコミの方、大体メンバーの方は同じような方々です。
私ちょっと見て感じたのはですね。
よど号グループの関係者が来て傍聴しているのは被告人に対する激励よりも、八尾さんみたいに余計は発言をするなと言う監視の為に北朝鮮から来ているのではないか?と感じました。

一番私が印象に残ったシーンと言うのは、一昨年の12月24日の水谷協子の初公判の時です。
この日、実は内閣府の方で横田めぐみさんの遺骨が偽遺骨だと発表のあった日で、ご家族の方皆さん東京におられましたので。
私の方でちょっとお願いしますと言う事で、松木薫さんの弟さんの松木信宏さん、お姉さんの斉藤さん、有本さんのご両親、石岡享さんのお兄さんの章さんが、お願いしたら来て頂きましてみんな一緒に並んでたんですね。
今までは我々が普通に並んでいてもよど号の支援者の連中は黙ってるんですが、何か慌ててるんですね、我々が来ると。
横で何気なく聞いていると、「今日は二家族来ているぞ、二家族来ているぞ、二家族来ているぞ」と。
「今日は旅券方の裁判なのになんで拉致の人たちが来るんだ?」と言ってるんですね。

非常にまずこっけいに思えたのはですね。
石岡章さんと言うのはいろいろ事情があって、家族会に入られなくて一人で活動されているんですね。
殆どマスコミにも出ないので、石岡さんの顔知らないもので松木さんの所と有本さんのところと二組いると思ったんでしょう。
裁判自体もなんで傍聴に来るんだ?と言われても、公開されている物を我々傍聴に行こうとなんでこんな事を我々に言うのか?と。
大きなお世話だなと感じたところなんですが、実はこのときのやり取りがよど号グループの機関紙を私とっておりまして、機関紙に以下のように書いています。

中略となっていまして「かりはゆく」と言う機関紙の名前なんですが。
『傍聴席に拉致被害者家族も顔を見せており、次回24日の検察側の被告人質問は八尾証言を唯一の根拠としながら何としてでも彼女(水谷協子)を、「拉致犯の一員」にでっち上げようと悪辣に策動してくると思われます。』
でまあ最後のところに、『「かりの会」のメンバーは「拉致問題」とは何の関係もありません。』
拉致を実質的に否定しています。

自分達は拉致に関与していないということを彼らはずっと主張しているんですが、そうであれば堂々とですね。
有本のお母さんなり我々に言うべきだと思うんですが、何か知らないんですが右往左往、右往左往していまして、何も私たちに言ってくる事を感じませんでした。

で次に大きな問題点と言う事で非常に感じたのは、裁判自体が、こういう事を言うと検察庁に怒られてしまうかも知れませんが茶番であると。
私なんか、ドラマで裁判なんかを見ていますと、検察側と弁護側が丁々発止でやるもんだと想像してたんですが、実際検察側が微罪であると言う事もあって、さっき有本さんのお母さんの話もあったんですが、事実究明が今一歩であると。
弁護側の方が本当に意気揚々としていました。

ただですね、一つ面白いなと思ったのは、検察側が八尾恵さんの長所を証拠として採用しようとすると、弁護側は八尾さんの長所は証拠性がないと、八尾さんの言った事はおかしいと彼らは主張するんですが。
それであれば八尾さんを法廷に呼んでちゃんと質問すればいいことなんですが、八尾さんを法廷に呼ばないんですね。
なぜ呼ばないかと言う事をちょっと考えてみると、これ以上余計な事を喋られてしまうと困ると言う事と、検察側のほうも今後有本さんの安倍公博の公判があると言う事で、手の内を晒したくないと言う事で。
この問題自体が問題だと思います。
そもそも旅券法違反の事件で拉致問題で解決しようと言う、この調査手法に問題があるんではないかと私は思います。

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最後の一点として私もうひとつお伝えしたいのは、実行犯が今度帰国します。
今日ちょっとパネルを作ってきたんですが、これよくテレビに出てくる写真なんですが、この二人(黒田佐喜子、森順子)が3月ないし8月くらいに帰ってくるんではないか?と言う話です。(黒田、森両名が石岡享さんと一緒に写った写真を見せる)
このような明らかな証拠があるんですね。
このような明らかな証拠があるにも拘らず、現在もまだ警察は拉致容疑でこの二人に手配をかけていません。

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これは「宿命」の中にちょっと出てくるんですが、彼女たち二人が実はスペインのマドリッドのホテルに、松木さん石岡さんの泊まったホテルのすぐ傍のホテルにいまして。
宿帳に、彼ら本名で書いてるんですね、森順子と黒田佐喜子。
これは間違いない証拠だと思いますんで、何とかですね。
非常に難しいかもしれませんが、警察の方に頑張ってもらってこの問題、自供に追い込んで全員の拉致被害者奪還と言うことを是非やって頂きたいと思います。

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最後に時間が無いんで一点ですが、一番向こうのパネルの白黒の福留貴美子さん。
この方やはり海外旅行に行こうとして、モンゴルに行こうとしましてそのまま北朝鮮に連れて行かれてしまった方で、テルアビブ・ロッド空港乱射事件の犯人の岡本公三のお兄さんの岡本武と強制結婚させられてですね。
よど号グループは死んだと言ってるんですが、その方の娘さんたちは実はもう帰国していまして裁判に来ていました。
福留さんについても実は警察は拉致では無いと言う事をつい最近証言したりして、この福留問題も含めてですね。
3人+福留さんを入れて4人はですね。
一刻も早く救出しないといけないと思いますので、皆様のご協力の方、よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。(拍手)

2006年01月25日

「私が小泉退陣に拘るのをやめたわけ」への長〜いレス

昨日アップしたエントリーに長いコメントを頂戴しました。
それに対してレスを書いていたら、長い文章になってしまいましたので、新エントリーとしてアップします。

さて。
ここ数日支援活動のあれこれについて当Blogで立て続けにエントリーを上げるのは、ネット上であれリアルであれ、このところの支援者同士の不協和音がどうにも目に余ると感じての事なのです。

拉致問題を解決する為にはどうしても政府が動いてくれなければなりません。
しかしその政府の動きがどうにも生温い。
勢い苛立ちは募り、家族も支援者も政府を突き上げる声は大きくなりがちです。
支援の輪の中にいる者同志であれば、皆政府の無策ぶりを良く心得ていますので、家族や一部の支援者の怒りが加熱気味になるのも理解は出来る。

しかし、支援の輪の外にいる人に、こちらの苛立ちの理由が理解されているか?と問えば、答えはNO。
支援者とそれ以外の一般世論の間には、拉致問題に対する認識に天と地ほどの温度差がある。
これが偽りの無い現実であろうと思います。
拉致問題の認識の薄い一般大衆から見れば、この救出運動が時に政治運動に見えたり救う会が圧力団体に見えたりするのも、この認識の温度差に原因があろうかと思います。

何度も言うように、一般大衆の拉致問題に寄せる関心度には濃淡があります。
彼らの関心をこちらに引き寄せ更に理解を深めてもらうには、相手の理解度・関心度に合わせて入門編・初級編・中級編・上級編と説明の手順もレベルも変えなければならぬと思う。
しかし・・・
先陣切って突っ走る一部の“強硬派”は、この期に及んでまだ入門編だ初級編だというレベルの大衆がいる事が、どうにも許せないらしいのですね。
彼らの拉致問題に寄せる知識は豊富です。
よく勉強もしています。
ですが、打てど響かぬ世論に苛立って、高所大所から大衆を罵倒しても始まらない事を、彼らに何度説明しても理解してはもらえないのです。

救出運動の原点は何か?
それは被害者を救う事。
引き裂かれた家族の痛みを知ること。
それを理解出来さえすれば、多くの国民の心をひとつにまとめる事は出来るはずなのです。
けれどこちらの側の苛立ちが高じるあまり、この救出運動は外に無用の敵を作り続けてしまったと感じます。
そしてその傷口は治るどころか、日々傷の裂け目を大きくしてばかりいるようにも思う。

こちらが苛立てば苛立つほどに、世論はギャップを感じて腰が引けていくのです。
それだけではありません。
“強硬派”の苛立ちは時に、身内の支援者にも向かう。
一部の支援者が加熱し暴走すればするほど、今度は支援の輪の中から脱落する人が出る。
内輪もめするたびに、傷ついて疲れて怯んでしまう支援者が続出するのですね。

支援者と一口に言ってもその内実は、一般大衆同様種々様々です。
多くの支援者たちが自分の時間や体力やお金を削ってまで活動するのは、一刻も早く被害者を助け出し家族の幸せを取り戻して差し上げたいからに他なりません。
しかし、支援の輪の中で首までどっぷりと浸かったまま、何とか一刻も被害者救出をと策を弄する余り、だんだん世論とのギャップが見えなくなる人も出てくる。
目の前立ちはだかる小泉総理と言う障害ばかりに目が行って、他の事が見えなくなる“強硬派”が出現するのです。

こちらが支援や理解を「声高に」訴えるだけでは、なかなか世論はついては来ない。
ここを何とかしなければ、今ある支援の輪もどんどん萎むばかりなのです。
現に昨年暮れの日比谷での国民大集会は、いくら時期が時期とは言え余りにも寂しすぎる現状でありました。
支援の輪の中にいる私たちは、この非情な現実をどこまでありのままに受け止め、理解していると言えるのでしょうか?
もし、支援者と世論との間にある拉致問題の認識のずれを自覚しているならば、尚の事つまらぬ内輪もめで支援者同士のケチの付け合いなどしている場合ではない事くらい、お分かりのはずなのですが。

私はこの支援者と大衆の温度差が取り返しのつかない失態につながりはしないか?と危惧します。
ぬるい世論が災いして、拉致問題棚上げの国交正常化につながったり、日本無視の米中の手打ちにより北朝鮮への支援だけを要求されたりすることが、なし崩しにずるずると行われはしないか?と気がかりなのです。
そういう危機感があればこそ、ここで何とかして訴え方を一工夫して、もう一度世論の理解を取り付けたいと考えるのです。
何かと言えばすぐに支援の輪を乱すいわゆる“強硬派”の方にも、もう少し苛立ちを抑えてもらい、今一度冷静さを取り戻して頂きたいと願うのです。

救出運動の原点を振り返り、国民の心をひとつにまとめ、被害者救出に結びつく策をもう一度シッカリと講じる必要があると思う。
コアな一部の過熱気味の支援者だけでは、到底この問題に解決の糸口など付けられはしないのです。
いかにして支援の輪を広げ、拉致問題の理解者・支援者を増やすべきなのか?
被害者の為に何をなすべきなのか?
それぞれの支援者がじっくり考えなければならぬと思う。
「拉致問題など所詮は他人事、どこか遠い世界の話」と思っている一般大衆は少なくありませんからね。
拉致問題は国家の屋台骨を揺るがす一大事と思うなら尚の事、全ての国民が「拉致問題は自分達の問題なのだ」と認識してくれるように、心を砕いて懇切丁寧に訴えるべきなのです。
それなのに苛立ちを募らせるあまり、響かぬ世論や支援者仲間に向けて鉄砲玉を撃ち放すなど、もっての外ではありませんか?

拉致問題の山は今、水面下で静かに不気味に動いています。
この山は、問題を解決する最大のチャンスであると同時に、最後のチャンスである恐れも秘めていると思う。
中国もアメリカも自国の国益に沿って強かに交渉をしている。
でも日本は?自国の利益を守るためにどこまで強かに交渉をしているといえるのか?
この山を逃したら、二度と被害者を取り戻す事は出来なくなるかも知れない。

そういう重要な局面がすぐそこに来ているからこそ、救出策の手段の違いなどと言った小さな事でもめている場合ではないと思うのですよ。
今こそ心をひとつにしなければ、この救出運動は単なるうっぷん晴らしの憂国運動に成り下がる危険性があると思う。
国際状況や国内状況を含めた大局的見地から見ても、今小泉退陣に拘る事は、余りにも思考が小さすぎはしないか?
救出策の視野を狭めているだけではないのか?とも思うのです。
今最優先する事は、本当に小泉退陣なのでしょうか?
小泉さんを引き摺り下ろす事に時間とエネルギーを注いでいる間に、拉致問題の解決の山を逃したら何とするのだろう?
ニ方面作戦が出来ないならば、どちらかひとつを優先する。
小泉退陣に拘るよりも「拉致問題棚上げの国交正常化も援助開始もNOである」とキッパリ言える世論を作り上げる方が、はるかに大事だと私には思えるんですが。

とにかく原点を忘れるな!視野を狭めるな!
私の言いたいことはこの一語に尽きる。
この救出運動は絶対に勝ちを取らねばならない戦いである事を、私たちは決して忘れてはいけないと思う。
posted by ぴろん at 11:48| Comment(1) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月24日

私が小泉退陣に拘るのをやめたわけ

はじめにお断りしておきます。
私は小泉退陣を主張する事に反対するものではありません。
拉致問題の解決にとって、小泉さんの存在が足枷になっているのも事実。
ですから小泉退陣を拉致問題の解決のためのひとつの方向として進む事に異議を唱えるつもりはありません。
ただし、私個人は総選挙後、小泉退陣論に拘るのをやめる事にしています。
その事について、これから少し詳しく説明をしたいと思います。

先の郵政総選挙で、小泉さんは圧倒的勝利を手にしました。
彼の支持率の中身が積極的か消極的かはともかく、国民の過半数以上が今、小泉さんを支持しております。
これは動かしがたい現実でございます。

先日アップした「昨夏の座り込みを検証してみる」の中で、打倒小泉と言う目的を果たすならそれなりの手順を踏んで説明しなければ国民の理解を得られないと主張しました。
そこの所をもう一度引用します。

拉致問題に拘っていて、一番悲しい事はこの問題に無関心な人たちの存在です。
そういう人たちに向けて、まずは可哀想といった同情論でもいいから関心を持ってもらう事が第一の関門。
次に彼らに拉致問題の深刻さを理解してもらう事が第二の関門。
拉致は人権侵害問題であり国家主権侵害問題であるという理屈を一人でも多くの国民に、深く強く理解をしてもらうことが第三の関門。
その上で、小泉さんの行ってきたこれまでの救出策がいかに不作為であるか、を理解してもらう。
小泉退陣を本気で世に訴えるつもりならば、そこまでの手順を踏まねばですね。
圧倒的多数の小泉支持層の人たちの支持を取り付けられるはずもないと思うのですけれど?

これだけの手間隙をかけて、実際小泉退陣という結果を勝ち取るまで、どれくらいの労力と時間が必要でしょうか?
まして小泉さんの任期は今年9月と決まっているのです。
小泉退陣を勝ち取るのと、小泉さんの任期切れが来るのと果たしてどっちが先なのか?
それが小泉退陣論の直面する現実であろうかと思う。

しかし、被害者救出は待った無しです。
しかも今、国際世論も含めて北朝鮮問題は水面下で不気味な動きをしています。
ここで対応を誤ると、拉致問題が中国・アメリカ2カ国の思惑の中に埋没しかねない危険性もある。
その場合もですね。
当Blogで何度も言うように、拉致問題棚上げの国交正常化や北朝鮮への援助開始を食い止められるのは国民世論しかないと思うのですよ。

今ここで最優先に取り組むべきは小泉退陣なのか?世論の喚起なのか?
一度に両面作戦に打って出られるほど私は器用ではありませんし、そんな余力もハナから無い。
悠長に事を構えている時間の無いこの救出運動、どちらを採るのが一歩でも被害者救出に近付く道なのか?
一人の支援者として冷徹に判断した結果が、「私は小泉退陣論を捨てて世論喚起の道を採る」と言う選択なのです。

私は何も支援者の全てが小泉退陣をやめて世論喚起の道を選ぶべき、とは思いません。
小泉退陣にこだわり、その方向から政府の欺瞞を世に訴える支援者がいても良いと思う。
しかし支援者の全てが小泉退陣に偏ってしまえば、世論の喚起と言う側面はどうしても疎かになるのです。
この救出運動の目的は、被害者の救出です。
小泉退陣をキーワードにして政府の欺瞞を暴く人がいても良し。
けれどももう一方では世論の喚起を図り、裾野から拉致問題の理解を広めて、その上で政府の尻を叩こうと考える支援者がいても良いと私は思うのです。

進む道は違えども、被害者全員救出と言う目的は同じなのです。
それなのにどうして志を同じくする仲間として認め合えないのでしょうか?
どうしていちいち手段の違いをあげつらって、内輪もめに及ばねばならないのでしょう?

拉致問題に寄せる関心度や理解の度合いは100人100様です。
小泉退陣論を聞いて拉致問題の本質を理解する人もいれば、家族の心情を訴える事で拉致問題の理解を深める人もいる。
相手に合わせて様々な訴え方を工夫しませんか?と言うだけの違いなのに、どうして身内に向かって鉄砲玉を放つ人が絶えないのか?

こういうつまらない揉め事をしている間にも、北朝鮮では寒さと飢えと自由の無い暮らしに苦しむ被害者がいる。
彼らを助け出すために必要な事は何なのか?を常に心に刻み、手を取り合って支援の輪を広げる事を真剣に考えたいものだと私は思っています。

・・・・・・・・・・・
参考過去エントリー
★「昨夏の座り込みを検証してみる」
http://piron326.seesaa.net/article/11869678.html

参考リンク
★Dogma_and_prejudice様
「国民からの強いプレッシャーが無ければ、政府は動かない」
http://blog.goo.ne.jp/sinji_ss/d/20060123
posted by ぴろん at 15:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月23日

よど号犯人と拉致問題 東京集会(3)06.1.19 友愛会館にて(斉藤文代さん音声あり)

『斉藤文代さんのお話』

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同じくよど号犯人によって拉致されました松木薫の姉の斉藤文代です。
今日はありがとうございます。(拍手)
私の弟も1980年に拉致されまして、それから音沙汰無く、88年に先ほども申し上げましたように手紙が届きまして、その後何もまたずっと無くて音沙汰無くって。
父は全力を尽くしてあちこち駆けずり回ったと思いますけども、父の願いも悲しく会えないままに父は亡くなりました。

それで私の弟は先ほど言いました「宿命」(高沢皓司著)って言う中で、騙されて連れて行かれたものですから。
森(順子=よりこ)に向かって「騙したな!」って言って殴ったそうなんです。
あの手を出した事のない弟がおとなしい弟が、本当に悔しかったんだと思います。
それでその時に「騙されたあんたが悪いのよ」って事を言われて、随分向こうの方に叩かれて連れて行かれたそうなんですよね。
そこに行くと向こうの人の話では、もう二度と帰って来られないっていうようなお話だったんです。

だから私は本当にその時は、弟は本当に殺されたのかなぁ?あの国だから殺されちゃったのかなぁ?と思ったんですけども。
第一回目第二回目の時に、弟さんの骨ですよと言う事で持って来た時に、写真を第一回目の時に見ました時に、その写真が随分(時間が)経った写真だったんです。
だからその時に、あぁ薫は生きているんだと私はすぐ思いましたので、私がこんなにくよくよしていたらいけない。
何としてでも助けなければ、向こうで帰りを待っているんだと。
弟だけじゃないんだと、皆帰りたい帰りたいと思って、辛かったでしょうねって写真を見ながら思ったんです。

何でも言う事を聞かないとあの国では殺されちゃう所だから、本当に自分の意思を曲げてでも従って生きて来たのかなぁ?と思うと、その写真を見たときには本当に涙が出ました。
可哀想だったなぁと思ってですね。(文代さん涙ぐみながら)
でも私は何にもして上げられないんです。
でも何としてでも、家族会にも私が入りまして私が一生懸命頑張っておれば、何か連絡が付くはずだと思ってずっとやって参りましたけれども。
今日も申したんですが、今年こそは今年こそはと言う事で、本当に今年こそはという事を書きたくないけれども今年こそはって言う事を願いをかけなければと、今日にずっと至って来た訳です。

そして今までよど号犯も子ども達は帰って来ました。
ずっと帰って来ております。
裁判の時も有本さんと一緒に一回行かせて頂きましたけど、本当に向こうの方は私たちが出来ないような表情をするわけですね。
含み笑いって言うか何か変な顔で、目と目で合図していて本当に日本の国を馬鹿にしたような態度で、悪い事をした方が威張っててですね。
私たちの方が何かしゅんとしているような、そういう雰囲気なわけです。
だから何と情けない国になってしまったんだろうと、私たちが大声を上げて怒鳴る事も出来ない国になったんだなぁと思いながら聞かせて頂きました。

よど号犯たちも子ども達は続々と帰って来ておりますけれど、今度は薫たちを連れて行った森(順子)、黒田(佐喜子)が帰ってきますので、私も森、黒田に刑事告訴をしたいと思いますという事を、今日警察庁の方とお会いした時に申し上げました。
本当に今まで耐えて耐えてきましたので、旅券法だけで済まされると言う事は私たちは許されませんし、またたくさん残っている家族、たくさんまだ北にいるわけですから、全員助け出すと言う事を頭の中に入れてもらって、今までの気持ちでは私は取り組んで欲しくないと思っておりますので、何としてでも今年、今年って言わなくていい様に。
ひとつでも解決の糸口が解ければ、ずるずるずると解けていくと私は信じておりますので、何としてでも救い出して上げたいという気持ちで。

有本さんのお母さん、早紀江さんたちを見ていると本当に胸が痛くなります。
動けなくなったのは私の母だけでもういいって私は思っております。
母も会わせて上げられたら本当に嬉しいだろうなって思いながら、私も思っております。
病院でですね。
ノートとペンを貸して頂戴って言うから、貸しますとですね。
私の事は忘れてますけども、文字も震えながら書くんですが、「薫、会いたい、スナヨ」って書くんですよね。(文代さん声を詰まらせながら)
こういうような事をですね。
毎年毎年、うちの母だけでなくて、他のお母さんたちにも味わいさせたくありません。
ですから何としてでも今年中に、政治家も警察も立ち上がって、拉致問題を解決して頂きたいと願っております。
これからもどうぞ皆様方のご協力を得て、皆が帰って来られる様に頑張りたいのでどうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

よど号犯人と拉致問題 東京集会(2)06.1.19 友愛会館にて(有本嘉代子さん音声あり)

『有本嘉代子さんのお話』

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皆さんこんばんは。(「こんばんは」の声)
よど号乗っ取り犯の妻たちによって、ヨーロッパの方から拉致されました有本恵子の母でございます。

皆様もご存知の通り、2002年の3月12日に、八尾恵さんて方が法廷で証言して初めて分かったんですね。
だから1988年に手紙が来た時点ではどのように(拉致)されて行ったかと言うのが分からなかったんです。
とにかく行方不明になって5年目に手紙が来たのが1988年でした。
その時に北朝鮮にいると言うことの内容だったんですね。
だからその様にして北朝鮮に入ったか、誰かが連れて入ったのは間違いが無いんだけれども、本当に誰が連れて入ったんだろうな?と言う思いで、それ以降9年間。
とにかく家族会が出来るまでは殆ど主人が動いたんですけども、二人でいろんな所へ弁護士会にも、一番最初は安倍先生の事務所にも行きまして、その前にも社会党の土井(たか子)さんの事務所にも行きました。
いろいろした結果、何の進展も無かったんですね。

それでやっと2002年の3月12日に、八尾さんが証言した事によって、ほんならよど号の奥さんたちによって北朝鮮に連れて行かれたんだな、と言うことが初めて分かりました。
それよりちょっと前に聞いておりましたんですけども、田宮高麿さんいうて、そのよど号乗っ取り犯のリーダーの人が「宿命」と言う本を書いた高沢(皓司)さんと言う人に、話をしてたんですけれども。
その高沢さんと言う人は非常に田宮さんと懇意にしていて何度か平壌に行かれたそうです。
一番最後に会った時に「私たちの手によって、20人くらいの人はヨーロッパの方から連れて入っている」という事を聞かれたそうです。

20人連れて入ったという事を丁度震災の、まだ本当に真夏ですから。
まだ暑い時分に訪ねて来られてそういう話をしていきました。
だからそれで初めてよど号犯によってそれだけの人を連れて入ってるんだなと言うことが分かったんですね。
その時点では田宮さんは「私たちの手で連れて入った人たちは、とにかく私がここにおる間に日本の国に帰れるようにしなければいけない」と言う事は言っておられましたよと言う事は聞きました。
今分かっておりますのは3人ですけども、後17人くらいの人はまだ向こうにいると思います。

で、八尾さんは自分は証言したんですけれども、誰と一緒にしたとか、そういうことは全然言われませんでした。
だけどひとりで行動はしていないと思うんです。
だから今次々と帰って来ている奥さんたちも、きっと誰かは手を貸していると思うんですね。
だけど、八尾さんは一応言いましたけど、他の人は誰も言いません。

だた帰ってきて、私も裁判に2度傍聴に行きましたけども、非常に態度を見てね。
本当に腹が立つというか、はらわたが煮えくり返るくらいの思いをしました。
本当に堂々としているんですね。
自分が裁かれる身でありながら、笑みを浮かべているんです。
それで八尾さんの方を睨みつけているんです。
あの人がいろいろ言いますからね。

2度目に行った時は、ただその裁判官の方ですね。
検事さんの方は非常に小さな声で、私たちが聞いとっても分からないような声でぼそぼそぼそと言われるんです。
それで犯人の方が、ちゃんとこう書いてきましたから、それをすらすらっと、立て板に水と言ったらこの事です。
すらすらすらっと本当に大きな声でハッキリと読み上げるんですね。
そんなん見てて本当に情けないなと思いました。
この国はどないになってるんかな?という感じで、二辺目の裁判を見ましたのでね。
だからこの日本の国として、帰って来た者をどのようにするか?
警察もいろいろ事情があってだろうと思いますけれども、今のところは一応旅券法の違反だけで、皆短い間向こうに止められたら出てきて、本当に普通の生活をしているんですね。

私神戸なんですけど、すぐ近くに高槻と言うところがあるんですけども、そこのある病院が病院こぞってよど号の人たちに支援しているそうです。
だからその土地の人たちは皆知ってらっしゃるそうですね。
その人たちが資金を出して帰って来た子どもたちの住む所、マンションを買って与えてるみたいです。(「え〜?」っと言う声)
支援している人たちはどういう気持ちでしているか分からないし。
そうですね、やはり同じような気持ちで運動を今までしていた人たちの仲間なのかどうなのか分かりませんけれども、警察はそんなんですぐ離してしまう。
そしたらそれをちゃんと受け入れて支援して、その日から困らないように住む所を与える人もいる。

そんな感じで帰ってくるもんですから、帰ってくる人が堂々としているんです。
皆さんもテレビで御覧になったと思いますけど、八尾さんの娘さんなんかは本当に何と言ったら良いのかね。
本当に激しい口調で物を言ってました。
小さい時分、5歳と8歳と仰ったと思うんですけど、「その時分に向こうに置いたまま、自分は一度もあってないんです」と言う事は言ってました。
その間によど号の人が二人を大きくしたんだろうと思います。
今長女の方はまだ向こうに残っておられるそうですけど、下の方が帰ってきて、皆さんテレビ番組で見られたような状態ですので、あの人は母親としては全然相手にして貰えないんですね。

だから八尾さんも全部喋ったとは思っておりませんけども、私はあそこで会う前に半年ほど前から八尾さんの事は聞いていたんです。
私が一度テレビの画面で本当に「私たちの子どもを誰かが連れて行ってるんだ」と、「誰か分からないけれどもその人は連れて行くときに何も思わないで連れて行ったのかな?」と言った事があるんですよ。
「この子を連れて行ってそれからずっと日本の国に帰れなかった場合、親がどんな気持ちで暮らしていると言う事を、その連れて行った犯人には分からないんでしょうかね?」と、私が結局マスコミの方と話をしているところをあの人は画面で見たらしいです。
そうしましたらその日は一日、本当にしょげてしまって、本当に何も物を言わなかったと言う事をマスコミの方から聞いてます。
だからその方が長い間、八尾さんと接触して何とか法廷の場で証言をするという形に持って言ったそうです。

それも聞いておりましたので、いろいろ私も言われました。
あの時に何でもっと強い態度で、「私だったら本当に八尾さんを蹴ってたかも分からないよ」と言われた人もありました。
だけどね。
主人は助けの神だと言うたんです。
何でそういう事を言ったかと言いますと、この9年間、本当にどこへ行っても相手にして貰えなかったんです。
国も、家族会として私は運動をしておりましたけども、最後まで拉致と認めておりませんでした。
そういう思いもいろいろありまして、この八尾さんが証言する事によってきっとこれは動くだろうな。
マスコミも動いてくれるだろうな。
政府もきっと動いてくれると言う思いがあったもんですから、そこまで言ってしまったんですね。
(私は)そこまでは言わなかったですけども八尾さんも同じだなぁと。

恵子が丁度この間誕生日迎えたところですのでね。
北朝鮮で23年日本で23年、丁度同じだけ北朝鮮で暮らしてきました。(涙ぐみながら)
だから本当に親としては一日も早く、子供の手を取って抱いてやりたいと思いますけども。

でも私は今年は何か動くような気がするんです。
北朝鮮も今非常に厳しい状態にあると聞いていますし、だから政府の方も、今日お目にかかった鈴木官房副長官も一生懸命官庁も省庁は力を合わせてひとつの組織を作ってするって言う事はしっかり言って下さいましたし。
警察庁の方に参りましても、その方もこれはしっかりやっていくと言うことを仰ってくださいましたので、私はそれは本当だろうと思っています。
何とか今年は動くだろうと言う気持ちで今おりますので。
何とか私たちが元気な間に本当に全部の人たちが帰って来れたらなぁ、という思いで運動を続けております。

ここのよど号だけじゃなくて、特定失踪者の人も合わせて400人以上の方が同じ思いで、親たちは暮らしてきたんですよ、親たちは。
だから交渉に当たる人たちは「全部返しなさい、全ての人を返しなさい」と言う事をしっかり言って、なかなか話し合いでは無理だと思いますので。
今日も申し上げたんですけども、今月の末に一度交渉があるそうですけども、「これを最後にして下さいね」と言ったんです。
本当にいっくらしても、話し合いでは私はまず無理だと思いますので、国としてきちっとした態度で北朝鮮に臨んで欲しいと思います。
どうもありがとうございました。(拍手)

2006年01月22日

南越谷集会速報・平田隆太郎 救う会事務局長講演音声ファイル

昨日の南越谷集会での平田隆太郎救う会事務局長のお話を、音声でご紹介します。

拉致問題に詳しい方にはすでにお馴染みのお話が多いのですが、拉致問題初心者が入門編として聞くには非常に分かりやすいお話ではないかと思います。
また農業の専門家として北朝鮮に何度も行った事のある平田氏ならではの視点での北朝鮮の食糧事情など、興味深いお話です。

今日は日曜日。
昨日の雪で外に出るのを億劫にしている首都圏在住の方もいらっしゃる事でしょう。(笑)
本日もノーカットでアップしましたので、宜しければお聞きいただきますようお願いいたします。

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平田隆太郎 救う会事務局長の講演 06.1.21 南越谷サンシティにて

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2006年01月21日

南越谷集会速報・佐々木アイ子さんの声(特定失踪者・佐々木悦子さんの母)

南越谷で開催されました「拉致被害者家族の声を聞く会」より帰宅いたしました。
今日は首都圏では珍しく大雪が降り、電車も軒並み遅れを出すような状況の中、どれだけの人が集まるか心配されましたが会場はほぼ満席。
集会関係者もご家族も大変安堵していらっしゃいました。

一昨日の集会に引き続き、本日も登壇された飯塚繁雄さん。
疲労の色はやはり隠せないですね。
横田代表が倒れて入院している間、副代表の飯塚さんに色々な責任がのしかかっている事も影響しているのでしょうか?
横田滋さんは順調に快復していると言うお話も今日の集会の中でもありましたが、今度は飯塚さんが倒れやしないかと気がかりです。
いつまでも家族が先頭で走り続ける運動ではなく、支援者が先頭に立って盛り上げる運動にしなければご家族の負担はいつまで経っても軽減されません。
支援者としてこういう所も本当に考えねばならないことではないか?と改めて思わされておりますが。

登壇者のお話の中から一足先に、特定失踪者・佐々木悦子さんのお母様、佐々木アイ子さんのお訴えの声をお届けいたします。
政府に認定されていない特定失踪者のご家族は、なかなか公の場でまとまった訴えをする機会がありません。
少しでも特定失踪者の問題を認識してもらうべく、速報として音声ファイルをカットなしでアップします。
この機会にぜひ、佐々木アイ子さんの母の叫びに耳を傾けて差し上げてください。

集会の模様は東京連続集会に引き続き、テキストにして当Blogでご紹介します。
お付き合いの程よろしくお願いいたします。

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佐々木アイ子さん(特定失踪者・佐々木悦子さんの母)06.1.21 南越谷サンシティにて

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よど号犯人と拉致問題 東京集会(1)06.1.19 友愛会館にて (有本明弘さん音声あり)

『有本明弘さんのお話』

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拉致家族の有本明弘です。
こんばんは。(拍手)
ありがとうございます。

拉致の問題・よど号の問題と言う話ですけど、私たちは死んだと言われた家族ばかりが今集まって運動しているんです。
だからどんな証拠を出てきても、どうしようもないんです、これ。
死んだと言われているんやから、これ生き返らすのが先決問題であって、生き返った時点で返せと。
どうか政府が厳しく迫って、向こうが「これはたまらんな」という状況を日本の国が力でこさえて、それで向こうは「いや〜あないに言ったけど実は生きてました」と、それしか帰ってくる道がないんです。

そういう意味を込めて、1988年(北朝鮮からの)手紙が来てから、ず〜〜っと日本の国の北朝鮮に対してのやり方をず〜〜っと見て来まして。
最近になってアメリカが北朝鮮に厳しく迫るという状況が生まれて来て、やっとアメリカも偽ドルの件でマカオの銀行を差し押さえてしまったと。
こういう状況が生まれて来ました。
だから私はこれで北朝鮮もかなり厳しくなるやろうと、大変革起こるんと違うか?と、そういうふうに思ってるんです。

そういう中において、日本の国は制裁してくれと言うて私たちが、一回目の訪朝以降、そういう運動に切り替えて運動やって来まして。
やっと制裁を出来る法案が出来ましたが、政府はそれを施行すると言う気持ちも気迫も無い、と言う事も皆さんご存知の事と思います。
でも拘らず私たちは、制裁をせよと言い続けて運動をやっているんです。

で考えてみたら、空しい事をしているんじゃないか?と。
小泉さんがおる間は、制裁は絶対あの小泉さんは課さない。
それはなぜかと言いますと、5人の子供を連れて帰ってくるそのために、もう制裁はせないと金正日に会うなりそう言う事を口にしてしまって、それで子供を連れて帰ってきた。

これが現実であって、そういう現実・事情を知っている人は小泉さんの訪朝はするべきでないと。
5人の子供を取り返すだけならば、誰か代わりの人が行ったらいいんだと。
誰も行きひんやったら私が行きましょうと、(拉致議連の)平沼会長はそういうふうに仰ったんです。
それも声明文を出したんです。
これはそこまでの情報はみな平沢勝栄先生、秘密外交をした人から皆事情を聞いてるんですよ、これ。
大連から帰って来た。
他所へ寄らさんと直行させて議連で聞いてるんです。
そういう中において平沼先生がそういう声明文を出したんです。

だから小泉さんがおる間は制裁は日本の国は出来ないんです、これ。
だけど、私たちはそれしか運動、もうないんです。
私は小泉さん辞めというような運動、これ出来ないんです、日本の国の状況下で。
こういうような問題が一番大きな問題として今現在現実の問題として、これあるんです。
だから私たちはこの運動をしてるけれども、小泉さんが総理の座におる間はちょっと無理だなと。
ぜひ(次の)政権を担って頂く人にあの国に制裁を発動してもらうしかないかなと。
そんなような思いで運動をしているんです。
これが私の偽らない本音なんです。

そういう状況下において秘密外交をしはった山崎拓さん、福岡の方ですわ。
これが福岡市内でいろいろな事を喋ってるんです。
3回目の訪朝があるかもしれない。
それは5分5分だと、そういうような事を喋ってる。
これはすでに週刊誌がすっぱ抜いて書いておりますが、むこうの福岡の地方議連の先生方が、こっちの関西の方に情報を寄せてくれている。

2兆円以上の金を向こうに賠償として払う、そんな話も政府では出来上がっているんだと。
そんなことも喋ってるらしい。
マスコミはそこまでよう書かないけれど、そういう情報が私たちに入って来てるんですわ。
それと山崎さんの秘密外交をした、この方の言ってる事が、ひょっとしたらひょっとする可能性も無きにしもあらずなんです。
ああいう性格の人やから2回目の訪朝と同じように、何かのきっかけをこさえて、国内的にそういう世論が声が上がった場合、すぐそういうような行動に移す可能性も考えておかねばならない。

そういうような情報はメディアの関係の人たち、その中の一人が私のところへ来て、そういう裏の話もしてくれました。
経済制裁せよと言ってる人たち今まで、そういう人たちももう経済制裁をすべきだと言うのも、私らみたいに少数派の意見になってしまったと。
そういうような情報も入れてきて、非常にこの山崎拓さんの言ってる言葉に関して、ちょっと危険性があるんじゃないかと言う事を仰って。
北朝鮮にしっかりした態度を示している先生方にお話してこの3回目の訪朝は絶対に中止、止めねばならないというような事も仰って帰りました。
そういう結果において、そういう情報を持って、警察とこ行ってお願いをしてきました。

これはこの間藤沢へ行った時も荒木さんもそういう事を仰ってた。
3回目の訪朝という事に関して危険性があると。
そういう中で警察が辛光洙の問題を出してきたと。
これも荒木さんは心配をしておった。
警察も一緒になって小泉さんの訪朝に手を貸すんじゃないか?というような荒木さんは物の言い方をしましたが、私はずっと以前からそういう情報を持って止めてもらいたいと言う話を、出るところに持って行っておりますので。
政府が強硬にやってくれるという事に関しては、これは今外務省サイドで交渉しているから、外務省はそういう事も北朝鮮に言わなければならない。
であるならばこの3度目の小泉さんの訪朝はちょっとやり辛いんじゃないかと、今現在は私はそういうふうに思っているんです。

この辺でもう時間が無いと言うので、話は終わります。(拍手)

2006年01月20日

強硬派vs穏健派論争・・・「正義の使者」のつもりが「正義の死者」になっていませんか?

ここ数日ネットを賑わす強硬派vs穏健派の論議について。
一昨日のエントリーと一部重なり合う所もありますが、私なりに思うこの論議についてちょっと書いてみたいと思います。

いわゆる“強硬派”の人たちの主張を読んで私が感じるのは、どうも先鋭化と言う言葉の解釈を間違えてませんか?と言う点なのです。
私は打倒小泉を主張する事が即そのまま先鋭化なのではないと思っています。
私の思う先鋭化とは、自分の論にばかり拘って異論に耳を貸せなくなったり、是々非々の討論が出来なくなってしまう事、ではないのかな?と。

この救出運動の目的は、全ての拉致被害者を救う事、です。
その思いさえあれば、拉致問題に関する基本的知識や運動に関る時間の多少、関心度の濃淡、イデオロギーの左右さえ私は必要ないと思っています。
「全ての被害者を救い出す!」「全員奪還!」「拉致問題棚上げで中途半端な幕引きは許さない!」・・・などなど。
どのような理解・解釈であれ、この運動の根源である“被害者全員救出”と言う目的をしっかり見極められている人はみな支援者である、と私は思う。

何事も、策を講じる場合は最悪の場合に備えるのが肝心であろうと思います。
この救出運動で一番恐れる事は、政府が拉致問題を棚上げしたまま国交正常化に走る事。
それは強硬派であれ穏健派であれ、支援者を自認する者ならば誰でも懸念する共通の思いなのではありませんか?
そのために私がいま思う第一の事は、今一人でも多くの人に拉致問題に強い関心を持っていただき、いざと言う時に「拉致問題棚上げの国交正常化はNO!」を言えるしっかりとした世論を形成する事なのです。
それが今、私が何よりも優先して取り組みたい支援活動の方向性なのですね。

現実問題として、小泉内閣が万が一にも暴走をした場合、それを食い止められるのは国民の意思しかないと私は思っています。
そのためにも私は心ある国民の意思をひとつにまとめ上げ、拉致問題に寄せる国民の意識を高めたいのです。
最悪の事態に備えるため、世論と言う名のセーフティーネットを作り上げたいのです。
それは当のご家族も「私たちが頼れるのは国民の世論だけ」と集会などのたびに強くお訴えになる、切実な願いのはずですから。

集会のテキスト化という具体的行動をとる事により、救出運動の輪の片隅に参加させていただいておよそ1年半。
リアルの場での支援活動に関わりを持って感じた事は、つくづく自分はいわゆる運動家・活動家の器ではない、と言うことです。
所詮は庶民感覚でしか物を言えない私に出来る事は、何か?
座り込みから総選挙へと激動する時間の中で私はそれをずっと考えてきました。

拉致問題に対しての世論の関心は決して薄れてはいないと思います。
しかしその思いを運動の主体を担う支援者の側が上手く掬い取れていないのではないか?と最近つとに感じるのです。
正論と言う名の理屈を高尚に述べるのも結構な事なのですが、それだけでは一般大衆は付いて来ない。
その危機感を一番身近に感じているのは、リアルの場で汗をかき、日々地道に活動している庶民感覚溢れる草の根の支援者たちではないかと私は思う。
彼らはこちら支援者の側と一般大衆の間にある、拉致問題への関心の温度差に危機感を持ち、現実に即した訴え方をそれぞれ工夫し始めています。

生身の世論を相手に汗をかいて一人でも多くの賛同者を募る事も大事な支援なのです。
正論を高尚に述べている一部の突出した支援者だけが、この運動を支えているのではありません。
それなのに正論論者の中には、なぜか現場で汗を流して頑張っている人たちの力を削ぐような、高飛車な物言いをする人もいます。
現実の世論に訴える為にあの手この手の工夫を凝らして、家族の声を届けようとしている人たちの事を「変節した」などと揶揄する向きがいる。
それこそが視野狭窄であり、思考停止であり、強硬派と呼ばれる人たちの問題点ではないか?と思うのですが。
苛立ちの余り高飛車な物言いをしたり、打てど響かぬ国民を愚民呼ばわりしても始まらないのだ、と言う事を何度説明すればご理解をいただけるのでしょう?

それともうひとつ。
被害者を救うためにどんな手段をどんなタイミングで打ち出すのがベストなのか?
常に最良の選択を志向する事が、この運動に関る者に求められる最低限の資質ではないかと思っています。
何よりこの運動には人の命が懸かっているのですから、救出策は常に戦略的に効果的に打って出るべきです。
私はこの拉致問題を解決に結びつける為に制裁の発動は必要だと思っていますが、かといって制裁だけでこの問題カタがつくとはとても思えない。
制裁をより効果的に被害者救出と言う結果に結ぶ付ける為には、制裁発動だけを言い募るのでは方手落ちだと私は思うのです。
具体的にはスパイ防止法や諜報機関の設置といった国内体制の強化も同時に図らねば、制裁の効果をより高める事は出来ないと思う。

それと制裁発動の機運の影で隠れがちですが、この拉致問題で一番深刻な事は「被害者の全員救出」とは誰と誰と誰を救い出せば全員救出になるのか、誰も判断が出来ないと言う事です。
本来国が担うべき特定失踪者の調査も一民間組織に任せっぱなし。
未認定被害者の認定作業にも、政府は及び腰です。
こんな状況でいくら全員救出を叫んだところで、一体誰が何を根拠に全員救出完了の判断を下すと言うのだろう?

それよりも最近私が気がかりなのは、この問題のシンボル的存在「横田めぐみ」さんの帰国が無事に果たされた時、世論の拉致問題に寄せる関心が急速に衰える可能性もある、と言うことだと思う。
世間一般この国民に、認定被害者の名前を全員上げなさい、と問うて満点を取れる人はそうはいないと思う。
まして特定失踪者のお名前を5人以上上げなさい、と問うて回答出来る人などいるのか?
それが世論の拉致問題に対する認識のレベルだと思います。
それを踏まえたうえで、ではどうやってこの問題に寄せる関心を深めてもらうか?
今のうちからそういう現実にも対処できるよう手を打っておかねば、全員救出など絵に描いた餅ではないでしょうか?

制裁云々、小泉退陣云々の議論も大事。
でも、それよりも、今から対処の方法を考えねばならない深刻な問題は山積みだと思うのですが。
それらもろもろの諸問題について思いが至らず、ただただ制裁を発動することや小泉を退陣させることにしか目が届かないのも一種の視野狭窄・思考停止とは言えまいか?

それにしても小泉さんはなぜ?拉致問題に積極的ではないのでしょうかねぇ?
単純に小泉さん個人のやる気の無さ加減が問題なら、トップの首を挿げ替えれば問題は即刻解決です。
しかしそうではなくて、官邸に何がしかの圧力がかかっていて身動きが取れない現実があるのだとしたら、総理の首ひとつ変えたくらいでは、この問題動きようがない。
そうでなくても北朝鮮に魂を抜かれた売国国会議員はまだまだ現役で政界を闊歩しているのです。
悪の根源・総連もまだまだ健在なれば、今も政界に対してどのような裏工作をしているのか分からない。
その場合、小泉退陣だけではこの問題解決は出来ない事も、思案の内に入れねばならないと思うんですが。

いずれにせよ内輪でつまらぬ揉め事を繰り返しても、何の得にもならないと思います。
常に最良の選択をするためには、異論であっても拒絶する事無く論を交えて、常に是々非々の判断をする姿勢は支援者たる者、最低限守るべきマナーではないでしょうか?
この運動に関るならば、常に謙虚さを忘れない姿勢は大事かと思います。
奢りは支援の輪を乱す元。
「正義の使者」を気取ったつもりが気が付いたら「正義の死者」になっていた、何て事のありませぬように・・・
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2006年01月19日

東京連続集会14 恵谷治氏の講演音声ファイル(ノーカット)

本日友愛会館で、よど号と拉致をテーマに集会が開催されました。
集会の模様は順次テキストでご紹介しますが、今回の集会でのメイン講演、ジャーナリストの恵谷治氏による、「拉致実行犯について」の模様を全文音声ファイルでご紹介します。

講演の内容は主に拉致実行犯とされる辛光洙とよど号グループについての詳しい解説です。
私たちは良く拉致実行犯の事を一まとめに工作員と呼びますが、その内実はもっと細かく分類されていて、「工作員」「偵察員」「戦闘員」「案内員」に分かれること、ですとか。
工作機関3号庁舎の組織は「調査部」「連絡部」「統一戦線部」「作戦部」と役割分担がされており、拉致を実行したのは「調査部」と「連絡部」で、この二つは勢力争いをするように拉致の実績を競っていたとか、興味深いお話がたくさん聞けます。

全部通すとおよそ55分の熱のこもった講演ですが、お時間のある方、是非お聞きください。
ファイル容量の関係で3分割しましたが、ノーカットです。
どうぞよろしくお願いいたします。

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★恵谷治氏 講演音声ファイル(東京連続集会14 06.1.19 友愛会館にて)

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2006年01月18日

昨夏の座り込みを検証してみる

近頃ネット上では拉致問題に関してやれ“強硬派”だの“穏健派”だのという議論が賑やかです。
そのことについて私なりに思うことはありますが、その前にひとつ検証しておかなければならない事案があろうかと思います。
それは昨夏の座り込みです。
気がつけば、あれから半年。
いわゆる“強硬派”も“穏健派”も、その後誰もこの件についての検証をしていないじゃありませんか?
いい機会ですので、私なりに思う事をここで書かせていただこうと思います。
最近の支援者同士の不毛な内輪もめの原因も、おそらく起点はここにあるのだろうと思いますしね。

昨年夏の官邸前の座り込みの際、私は積極的に賛成できないと当Blogで懸念を示しました。
その理由はいくつかありますが、まず一つ目は座り込みなどしても小泉が動かない事は事前に予測出来ていた事。
お疲れのご家族に体力的負担を強いるのはリスクが大き過ぎると思ったこと。
何より世間の理解や支持が本当に得られるのか?疑問があったこと。

しかし座り込みは家族会・救う会の強い意向により3日間実施される事になりました。
あれから半年、座り込みをしたことで私たちの支援活動は本当に何がしかの利を得られたのでしょうか?

結論として、あの座り込みはやはり徒労に終わったのではないのか?と言うのが私の率直な意見です。
座り込み賛成者も反対者も、これをする事で小泉総理は制裁発動を発動しない、と言う一点で意見は一致しておりました。
見込める効果は、世論の喚起。
しかし今振り返ってみて、あの暑い最中3日も座り込みをしたことに見合うだけの世論喚起効果は得られたと言えるのでしょうか?

座り込みを決行した事で確かに私たち支援者の間では、「危機感の共有」「家族の意思を再確認する」などの一定の意義はあったかと思います。
でもそれは何も座り込みにまで打って出なくても、支援者を自認する者であれば、誰でも承知の基本的知識だったはず。
問題は支援の輪の外にいる一般大衆にこちら側の思いがキチンと届いているのかどうか?と言う点だと思うのです。

もしも仮に座り込みが一定の世論の理解を得る事に貢献しているのだとしたら、なぜ郵政解散選挙で拉致問題はあっさりと蚊帳の外に追いやられてしまったのか?
いくら小泉さんの策が上手かったとはいえ、いくら世耕氏という有能な作戦参謀があちらにいたとはいえですね。
「郵政より拉致問題の方が重要」とか「制裁発動で被害者救出を」と言ったこちらの主張が本当に世論に浸透していたら、あんなにあっさりと郵政の前に拉致問題が飛ばされる事などなかったはずです。

つまり大変な労力をかけて座り込みまでしたのに、私たちが期待するほどこちらの主張は世論の方へ届いてはいなかった、と言うのがあの3日間の座り込みの答えなのだと思うのです。
この非情な現実は、結局の所、支援者の苛立ちを募らせただけではなかったのか?
実際、郵政選挙後は、支援者同士のつまらぬ内輪もめが増えたように感じるのは私だけでしょうか?

小泉を支持する人たちは、郵政を最優先に一票行使しました。
むろんそれ以外の争点も考慮に入れて選挙に臨んだ人もいたでしょうが、それにしても投票先を決める際の選択肢に「拉致」を意識してくれた人は、限りなく少数派であったことは否めません。
そして選挙の結果は小泉自民の圧勝、支持率の大幅アップ。
それが座り込みに続く、郵政解散選挙を通して見えた世論の実態なのだと思います。

さて、この非情な現実を前に、私たちはどうやって拉致問題の重要性を世に訴えればいいのでしょうか?
この拉致問題に対して限りなく意識の薄い人たちに対して、今後どのような働きかけをすれば良いのか?
どうすれば拉致問題の深刻さを理解してもらい、被害者奪還の為に共に行動してくれる仲間を増やす事ができるのか?
拉致被害者を救いたいと思うなら、私たち支援者の思考の順序はまずはそこから始めるべき
かと私は思います。
私たちの何が問題で、家族の思いが世論に浸透してくれなかったのか?
一度立ち止まって己を振り返ってみる事は、支援者としての絶対に必要な通過点だと思う。

小泉さんと言う人は確かにケンカ上手です。
世論の掴み方も長けているし、自分を上手くアピールするのも達者な人です。
そして彼の存在がこの拉致問題の進展を妨げているのも紛れもない事実。
私も本音は小泉退陣ですし、選挙後も打倒小泉に燃える人の気持ちも理解は出来るし、そういう人の存在も否定はしない。

けれども、圧倒的支持を得た小泉さんを前にですね。
ただ小泉を打倒せよ!あるいは倒閣せよ!とそればかり一直線に訴えてみても、それが果たしてすんなり国民の心に届くのか否か?
まずはそこの所を謙虚に考えねば、話は始まらないでしょう。
打倒小泉論を聞いただけで主張の趣旨が理解できる人は、選挙でも拉致問題を争点にすでに意思表示をしているはずです。
しかしそうでない人が圧倒的多数の世論に対し、ただ打倒小泉ばかりを訴えて、本当に拉致問題の理解が進むのか?と言えば、私はそこに疑問を感じざるを得ない。

だから私は選挙後、声高に小泉退陣“ばかり”を言い募るのをやめました。
と言う書き方をすると、「ほら見た事か!お前はやっぱり変節してるじゃないか!」と短絡的に妄想する人もいるかもしれませんが、そういう不毛なレッテル付け“だけ”はご勘弁願いたい・・・(笑)
小泉さんがやる気を見せてくれないのなら、私だって本心は一刻も早くお引取り頂きたいのは山々ですけど、その思いを飲み込んででも今なすべき事があると思いますのでね。
それは、小泉さんを支持する人たちの心にまずは拉致問題の深刻さを強く訴えること、なのですよ。

拉致問題に拘っていて、一番悲しい事はこの問題に無関心な人たちの存在です。
そういう人たちに向けて、まずは可哀想といった同情論でもいいから関心を持ってもらう事が第一の関門。
次に彼らに拉致問題の深刻さを理解してもらう事が第二の関門。
拉致は人権侵害問題であり国家主権侵害問題であるという理屈を一人でも多くの国民に、深く強く理解をしてもらうことが第三の関門。
その上で、小泉さんの行ってきたこれまでの救出策がいかに不作為であるか、を理解してもらう。
小泉退陣を本気で世に訴えるつもりならば、そこまでの手順を踏まねばですね。
圧倒的多数の小泉支持層の人たちの支持を取り付けられるはずもないと思うのですけれど?

郵政選挙であっさり拉致が飛ばされたのは、拉致問題についての深い理解がこちらが思うほどには浸透していないと言う現実の表れでもあるかと思います。
やれ人権だ、国家主権だと叫んでも、何それ?と言うレベルの一般国民は少なくない。
むろん何それ?を言う人の中にもいろいろあって、本当に何それ?レベルの人や、政治臭のする言葉に嫌悪感を感じて何それ?と煙幕を張って知らぬ振りを決め込む人など、様々いるのだとは思いますが。
いずれにせよ、打てど響かぬ世論に対し、こちらの側が苛立って彼らを愚民呼ばわりしても何も始まらない。
説明の手順をすっ飛ばして小泉退陣ばかりを叫んでも、空しく空回りするだけ
じゃないんでしょうか?
被害者を本当に救い出したいと願うならば、座り込みから郵政選挙にいたるあの辛い経験から学んでですね。
拉致問題をより効果的に世論に訴える方法、大衆の心に響く支援のあり方を真剣に探るべきかと思う。

例えて言うならば、打倒小泉を叫ぶ支援者が運動の縦糸なら、私は末端の支持者を増やす横糸でありたいと思う。
しっかりした縦糸と横糸が上手く絡んでこそ、北朝鮮の仕掛けるどんなアコギな情報戦にも破けない丈夫な「支援の輪と言う名前の布地」が織り上がります。
けれども縦糸役の一部の支援者の中には、どう説明しても横糸の重要性を理解してくれない人がいる。
う〜〜む・・・
いわゆる“強硬派”ばかりが雁首を揃えて強硬論をいくら叫んでみても、それだけではこの運動は盛り上がらないのは先の選挙がいみじくも証明したと言えると思うのですが?
支援者と言う狭いカテゴリーの中にいる私たちさえ一致団結できないようで、果たして広い世論をひとまとめにして被害者救出のために心をひとつになんて出来るのでしょうか?

心をひとつにするべきは、救出の為の「手段」なのでしょうか?
私にはそうは思えません。
ひとつにするべきは、全ての被害者を救うと言う「目的」ではないのでしょうか?
目的さえ一致すれば、後はどんな手段を講じるのが被害者救出という私たちの宿願に結びつくのか、最良の策を求めて、それこそ支援者同志喧々諤々の議論を交わせばよい。
被害者救出の為に制裁の発動や小泉の退陣がどうしても必要だと思うなら、この意見に懸念や疑問を持つ人に対し、懇切丁寧に説明をするべきです。
それをせずして、ただいたずらに苛立ちばかりをぶつけても、支援の輪の広がりにはつながらないと私は思う。

その意味で私は昨夏の座り込みに、世論喚起の効果は殆どなかったのではないか?と思っています。
主のいない官邸に向かって、こちらの主張を何度も叫ぶくらい空しい事はない。
あれだけ苦労した割りにマスコミの露出度も本当にわずかなものでした。
結局の所あの3日間の座り込みをした事で、家族の思いが世論に広く届いたとはお世辞にもいえないと思う。
本当に世論の理解を求めるなら、座り込みなどと言う強攻策に打って出るよりも、地道に家族の率直な声を届ける策を講じた方がよりベターではなかったのか?

事実、短波放送「しおかぜ」ではいわゆるラジオマニアの人から、ベリカード欲しさに調査会にコンタクトを取ってくる人が少なくないと言います。
おそらくこの手の人たちは、私たち支援者と比べてそれほど拉致問題への関心度は深くはないものと推測します。
しかし短波放送と言う手段を使った事で、拉致問題とは無縁の世界の人たちにも、この問題の深刻さや家族の悲痛な叫びは通じたわけです。
違う視点で見れば、この「しおかぜ」と言う策は、いらぬ反発を受ける事無く世論の理解や支持が広がる良いきっかけになったとも言えるのだと思う。
何よりご家族の負担も少なくて済みますし、世論の反発や誤解をなるべく少なくして最大限の波及効果を狙う策を講じると言う意味において、運動の是非を考える良いモデルケースであるとも言えるのではないでしょうか?

それにしても不思議に思うのは、昨夏の座り込みから半年。
どうしていまだ誰もあの「強攻策」の意義を検証しようとしないのか?と言う点です。
検証をしなければ、人はまた同じ過ちを繰り返す。
失敗から学ばねば、より良い救出策・支援策を探る事も出来なくなります。
座り込みから郵政総選挙と駆け抜けた去年の経験から、どうして誰も何も学ぼうとしないのでしょうか?
苛立ちを募らせているばかりで、なぜ救出運動の原点をもう一度振り返ろうとしないんでしょうか?

被害者救出のため、小泉退陣に拘る支援者がいても良いと私は個人的に思っています。
でもそこに拘るあまり、世論に訴える方法や救出策の手順の違いをあげつらって、支援者の輪に波風を立てるのだけはご遠慮願いたいと思う。
何かといえばいちいちつまらぬ揉め事、内輪もめの連続。
それを見てほくそ笑むのは、金正日とこの救出活動を隙あらば潰したいと考える親北朝鮮派の連中だということを、忘れてはいけないと思う。
そんな内輪もめを何度繰り返しても、結局の所被害者救出には一歩も近付いてはいないのだ、という現実もどうぞお忘れなきように。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考リンク

★Silly Talk様

「拉致問題へのスタンス」
http://silly-talk.cocolog-nifty.com/silly_talk/2006/01/post_75af.html
「拉致問題へのスタンス2」
http://silly-talk.cocolog-nifty.com/silly_talk/2006/01/post_daea.html

★著::善ポコのタコ部屋様

「「拉致問題に関する戦略的言論の必要性」へのご意見に対するお返事」
http://www.zencha.com/weblog/20060115040730.html

★Dogma_and_prejudice 様

「1月15日の善ポコさんのご意見について」
http://blog.goo.ne.jp/sinji_ss/d/20060115
「1月15日の善ポコさんのご意見について(その2)」
http://blog.goo.ne.jp/sinji_ss/d/20060116
posted by ぴろん at 14:42| Comment(2) | TrackBack(2) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月17日

第13回藤沢集会(15)06.1.7 藤沢産業センターにて

『川添友幸 救う会神奈川会長 閉会の辞』

今日は本当に長時間、ありがとうございました。
私たちもこれから2月のよど号の帰国という事に向けて、19日に警察の方に要請に行こうかと言う話も出ております。
ともかく実行犯が帰ってくると言う事をこれは絶対に許しちゃいけないですし。
今二つの実行犯と言うこと。
辛光洙の問題とこのよど号の帰国と二つ、動き始めてます。
ぜひですね。
皆様の今後の監視の方をよろしくお願いします。

次回の講演会のお話なんですが、次回会場がちょっと変わりまして、日時が4月16日。
会場が横浜の開港記念館です。
こちら、なぜか開港記念館にするかと申しますと、昨年の4月横田さんをこちらにお呼びしたときにですね。
会場が一杯になってしまって、急遽向こうを借りたりしてやった事もありました。
それでやはりもっとちゃんとした会場を取った方が良いんじゃないかという事になりまして。
講演会自体を「横田めぐみさん等の拉致被害者を救出するぞ!北朝鮮による拉致・人権問題を考える神奈川県民集会」と、ちょっと県の単位でですね。
今神奈川県や横浜市の応援をお願いしながらですね。
ちょっと大きい集会を企画しています。

ですので、4月16日は横浜の開港記念館の方で。
横田滋さんの方が今ちょっと体調不良で療養中と言う事もありまして、どうかな?と思ってるんですが。
先日早紀江さんとお話した感じでは、近くですので参加すると言うような感じで言っておられました。
また今後情勢が動くかもしれませんが、そういう状況を考えています。

あと特定失踪者調査会からは杉野さん。
今お話いただいた野口さんの北朝鮮難民基金の事務局長であります、加藤博さん。
以前私たちの会でお呼びしました韓国の拉致家族会の崔祐英さん。
あと、特定失踪者家族の森本美砂さんをお呼びしようと思っています。
弁護士会の木村晋介さん、テレビ等に出られている。
も、ご快諾を頂きましたので、この問題大きい集会をやろうと思っています。

で、こちらの会場についてはまた7月に企画を、先の話なんですが考えてまして脱北者の方をお呼びして。
去年脱北者の方をお呼びしたような、また脱北者の方をお呼びしたいなと考えております。
何とかそれまでにですね。
何らかの形で解決なり何なりの方向とかになって頂ければ良いと思うんですが、非常に難しい情勢かもしれませんが、皆様の協力だけが頼りだと思いますので、ご協力の方よろしくお願いいたします。

あと本当に情けない話なんですが、私どもいつも会場の方ですね。
これカンパでやっておりますので、また皆様のご好意がありましたなら、その辺の事もよろしくお願いします。
本日は本当に長い時間、ありがとうございました。
また映画会もありますので、この後ご協力の方、よろしくお願いします。(拍手)

・・・集会終了後、「ソウル・トレイン」の上映会があって、全ての予定が終了・・・

★救う会神奈川
http://www.geocities.jp/sukuukai/
posted by ぴろん at 19:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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