2006年01月11日

有本明弘さんの涙

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先日参加した藤沢集会で特に印象に残ったエピソードを一つご紹介します。
一つ前のエントリーでご紹介した、有本嘉代子さんのお話。
娘・恵子さんの救出を切々と訴える妻・嘉代子さんの話を、明弘さんは登壇者の控え席で静かにじっと聞き入っていらっしゃいました。
ところがしばらくすると、明弘さんは目を赤くして涙で潤ませ始めたのです。

明弘さんは今年80歳になられるのだそうです。
戦前の教育・しつけを受けて育った明弘さんは、男が人前でむやみやたらに泣くものではない、と教えられて育った世代のはず・・・
その明弘さんが妻・嘉代子さんの訴えを聞きながら、あふれる涙を抑えることが出来ず、何度も何度もハンカチで涙を拭い始めたのです。

有本夫妻はもう80歳のご高齢。
娘の恵子さんも、今年46歳になられるそうです。
例え子供がいくつになろうとも、親にとって我が子は我が子。
どちらの家庭でもそうでしょうが、この平和な日本で普通に暮らしている親子でさえ、どんなに子供が大きくなろうとも親と言う者はいつまで経っても親であり、何かといえば子供の行く末を案じ幸せを案じ、おろおろと生きるものだと思います。

有本家が拉致と言う非情な犯罪に巻き込まれ、恵子さんと引き離されて23年。
その間、安否の確認も出来ず、連絡を取り合う事も出来ず、生きているのか死んでいるのか、何も分からない状況に置かれ続けているのです。
その苦悩、悲しみ、怒り、苛立ち、不安、余人には計り知れないやり切れぬ思い・・・そして捨てきれぬ娘への思い。
どんなに雄弁な言葉よりも、明弘さんの頬を伝う一筋の涙は、娘を思う父親の心を表して余りあるのではないでしょうか?

一刻も早く、有本家に普通の家族の幸せを取り戻して差し上げたい。
それが政治家やマスコミ、そして私たち国民に課せられた務めなのではないでしょうか?
いつまでも私たちは、明弘さんに悲しい涙を流させていて良いのでしょうか?


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第13回藤沢集会(7)06.1.7 藤沢産業センターにて

『有本嘉代子さんのお話』

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皆さんこんにちは。(会場より「こんにちは」の声)
有本恵子の母でございます。
お正月のお休みの所、こんなにたくさん来ていただいてありがとうございます。
ちょっとかけさせて頂いてお話させていただきます。(用意された椅子に腰掛ける)

いろんな情報がこないだ内から出ていますけれども、今荒木先生からお話を聞いて納得いたしました。
そうだろうなという気がします。
北朝鮮の言う事はほとんどが嘘で固めてます。
だから私たちが9月17日、今思い出しましても残念と言う言葉しか出なかったんです。
一生懸命に9年間は、(北朝鮮から)手紙が来た事によりまして、1988年の9月の6日に来まして。
その事によりまして私たちが運動をすることが出来たんですが、家族はというより、主人と二人で、ほとんど主人が動いていたんですけれども。
本当にどこにお願いに行っても、どっこもキッチリ話を聞いて下さらなかった。
外務省も行きましたし、日弁連ですかね。
弁護士の会にも行きましたし、政治家の方にもお願いしましたし、どっこも本当にきちっと相手にして下さいませんでした。
そのときを思い出しますと、これは本当にどうすれば良いかと言う気持ちで、無我夢中で9年間は過ごしましたけれども。

横田さんのことが表に出まして1997年の3月に家族会を結成しました。
そのことによって、皆さんにも(拉致問題を)知って下さいましたし、私たちの運動もすることが出来るようになりました。
それからでも1997年ですから今年が06年ですから、もう9年目に入ってます。
でも、5人の方は帰って来られましたけれど、何にも、本当に私たちから見ましたら進展が無いんです。
あれはとにかく(一時帰国後、一旦北朝鮮に)返すという約束で5人は連れて帰ってきた。
向こうも5人を出したんでしょうけども、向こうにしたらすぐに帰ってくるという自信を持って、あの人たちを返したんだろうと思います。
これ、どういう人選だったかは分からないんですけども、この人だったら間違いが無いんじゃないかな?と言う人たちを返して来たんじゃないかと思うんです。

だから、未だに、本当にこれ申し訳ないんですけど、私らの気持ちとしたら、本当にもっと知っている事を家族だけに言うて貰って、これは絶対に口外しないで下さいと言われたら、私たちはしません。
だから、家族は一言でも向こうの事を聞いたら本当にいくらかは安心する点もありますので、何とか知ってる範囲の事は言って頂きたいなと思いますけども、未だに肝心な事は何も私たちは聞いておりません。
だから先ほど荒木先生が仰ったように、(辛光洙、朴工作員などの実行犯の)名前を本当にあの人たちが出したのであれば、どういう意図で出してきたのか分かりません。
本当にまだこの日本の国に、24年間向こうに自由を奪われて私だったら、うちの主人がいつも言うんですけども、本当にこんな事して酷い事してという気持ちが薄れてしまって、北朝鮮に馴染んでしまったのかな?と言う気持ちもするんですね。

だからそれをやはり言うて聞かすのは私は親だと思うんです。
やはり親たちが、私たちは一緒に運動したんですから、私たちはこんなに運動して来たんだから、あなた方は自分達の知ってる範囲の事は家族に言いなさいよ、って言うて下さったら何とかって思うんですけども。
そのところは家庭の中に入ってみないと、どうしてもあの人たちの気持ちが動かなくて言えないのか、そこの所分かりませんけども。
もう、これは何時の時期か聞ける事があるか。
それともこの間も主人がああいう調子ですから、地村さんのお父さんに言うたんですね。
「もしも私たちのこの家族の中で帰ってくることが出来て、その子がパッと本当の事をしゃべった場合は、あなた方の息子は向こうの方を向いて歩かれへんで」と言う事をパッと言うたんですよね。
だけど、余り向こうも被害者なんですから責める事は出来ませんけれども、私たちとしてはそういう思いはあります。

私とこの娘も丁度この1月12日が誕生日です。
で、46歳になります。(会場より「ほぉ〜」と言う声)
だから23年間日本で暮らして、後の半分は北朝鮮で暮らしてしまいました。(嘉代子さん涙ぐむ)
横田めぐみさんの場合は13歳で(拉致されて)行って、41歳になられるんですね。
日本で暮らしたよりも長い時期を向こうで自由を束縛されて暮らしているんですね。
だからいつも思いますけど、まだ暑い時とか春とかは余り思わないんですよ。
この寒いときは本当に、「寒いのにどうしてるかな?」と言う思いがずっとしてます。

だけど何とかして助けてやりたいという気持ちと、日本人としてこういう問題はね。
捨てて置けないんですね。
これが私の子供でなくても、これは日本として自分の国の国民が連れていかれているのに、国内まで入って来て連れて行かれているのに、なんでこんなに20年30年長い人は40年、黙って政府は見過ごしたかと言うことが非常に残念です。

昔の日本人だったらこんな事無かったと思います。
私も大正の一番最後に生まれましたので、その時分の教育を受けております。
だからあの、日本人はこうあるべきだという事をきちっと教えてもらっています。
で、先ほど荒木先生が仰ったように、やはり私らの時代にきちっとして、それを後子供・孫の時代に継いで行くという気持ちはあります。
今のままだったら恥ずかしくてこのまま子供たちに譲れないです。
本当に日本の国は、本当に20年も30年も先だったら今のままで行ったら、逆に植民地になってしまうのじゃないかしらと考えます。

だからもう本当に一日も早くこれをきちっと思い直して、政治家がこれは目覚めてもらわないかんのですね。
自分の票とかお金とかそういう事ばかり先行せずに、この国がどうすれば良くなるかと言う事をキッチリ考えて頂いて良い政治をとって頂いて、日本の国を次の世代に譲っていくという事を考えねば駄目じゃないかなと言う事をいつも思っております。
子供を連れて行かれたのは本当に辛いですけども、それよりも何よりも日本の国が情けない国になった事の方が、私は本当に辛いと思います。

長い年月です。
毎日毎日、思わない時はありませんね?
昼は何となく忙しいから用事にかまけてなんとも思ってませんけども、夜になった時なんか思います。
「今どうしているだろうかなぁ」って、寒いのにねぇ。
曽我さんも言っておられましたけれど、「寒いから夜なんか着れる物全部着て休みよったんよ」って、そういう事を聞いてます。
だから本当にどんな思いで暮らしているんだろうなと思いますと、今荒木先生がして下さっている放送ですね。
あれで私もこの間、私の思いを一応書きましてその事を読み上げましたんですけども、どこかで聞いてくれて、しっかり気を持って、何時の日かきっと日本に帰れるという希望を持って、前向きで一日でも暮らして欲しいなと私はいつも思っています。

一口で23年と言いますけど長い年月です。
この間何で、日本の国がこうして長い間拉致された人たちを放ってたんかなぁと言う気持ちはずっとありますね。
だから私とこ一番最初に手紙が来まして、1990年に金丸(信)さんが訪朝なさる時ですね。
その時に地元の国会議員の先生にお願いしてこれを金丸さんに渡して下さいと言って、これから訪朝なさるんですから、こういうことが日本の国にあるという事をしっかり向こうの国に伝えてくださいという事をお願いしたんですけども、その方が帰って来られてその事務所に私らが寄せて頂いた時に、なんか他所事ばっかり言われたんです。
だからこれは向こうへ行ってこの事をきちっと話さなかったなと思ったので、その時は本当に頭から冷水を浴びたような気がした。
これだったら本当に助ける事が出来ないなと言う事を本当に思ったと言っております。

だから何かがあって、そういうような感じになったと思うんですけども、1990年からず〜っと始まったその国交正常化を、何人かが行かれましたけれども、本当にきちっとした交渉はどなたもなさらなかったんじゃないかな?と思います。
皆北朝鮮ペースの交渉ばかりに終わってしまって、今度小泉首相が行かれて5人を連れて帰ってきました。
けど、その時に何かの約束事があったんだろうと思います。
だからああいう形でこれで結局5人が帰ってきて、結局その家族も帰ってきてこれで幕を引こうとしていらっしゃるんだろうと思いますけど。
今本当に国民の皆様方が、9月17日以降やはりマスコミも私たちの事を放映しましたり紙面に書きますものですから、それが分かってきて、やはり国民の皆様方の世論が物凄い盛り上がってますので、それは出来ないという気持ちは持ってらっしゃると思うんです。
だから本当に国の体を私は成してないと私は思うんですね。

一度報道の方が恵子が行った所を辿って行きたいので、ロンドンへ行って下さいと言われましたので、ロンドンも2度行きました。
その時に向こうでお世話になってました下宿先ですね。
ポールさんて方なんですけど、その方が、恵子がいなくなって今年が18年目か19年目だったんです、その時。
「それだけ日にちが経つのに、日本の国は何をしているんだ?」と言われました。
「イギリスだったらこんな事放っとかないよ」ってそう仰いました。
だから外国の方の方がね、本当にね、言葉は分からないんですけれど、言われる内容がこちらに伝わってくるんです。

それから以降に、斎木審議官と中川(昭一)大臣と一緒に一度ジュネーブの人権委員会にも行きました。
その時に横田早紀江さんの書かれた本の翻訳した物を持って行きまして、人権委員会の高等弁務官のデメロさんと言う方ですけど、その方にそれぞれの家族が一人ずつ、「うちはこうなってこうで、行き先が分からなくなって、結局北朝鮮にいることが分かったんです」と言う事を皆が説明一人ずつ申し上げまして。
最後に横田めぐみさんの本をお見せして、「それは私が書いたんです、それを翻訳してありますのでどうぞお読みください」ってお渡しした時に、第一声にその方が、「私の息子だったらどんな思いがしたでしょう」ってそう仰って。
それで「この本は私は目と心で読みます」って仰いました。
で、「私がここにいる限りは絶対にあなた方の力になって、帰れるように努力します」って言って下さったんですけど、残念な事にあの方はイラクへ行って亡くなられたんです。
爆弾テロに遭われて亡くなられて、この間そこへ(=デメロ氏のお墓)中川大臣がお参りしてくださって、そのときの写真を持って来て下さいました。

本当に外国の方は本当にそう言って、言葉は分からないんですけど言われる事はこちらへ胸に通じて来るんですね。
だから本当にこれだけの事が日本の政治家に出来ないのかな?と、いつも残念で仕方が無いです。
だからどういう形でこういう事になってしまったのか、分からないんですけれども、先ほどもいろいろな方言われたように郵政民営化でああいう形になられましたけど、この拉致と言う問題は国としてどうしても避けては通れない問題だと思います。
自分の国の人間が日本の国まで工作員がたくさん入って来て、それで連れて行くんですからね。
それで知らん顔して何年もそれを隠蔽して臭い物に蓋をするようにして今まで来たと言う事、本当に私たちは納得がいかないんです。
だからこれはどうしても一番に日本の国としては、解決しなければいけない事だと言う事をしっかりと頭に入れていただいて、何とか政治家の方々がこれをして頂きたいと思います。

でないと、私たちは向こうへ行って交渉出来る立場じゃないんですから、やはり外務省の方に行って頂いてして頂かなければいかんのですけれども、今荒木先生が仰ったように本当に外務省の方は頭が良いもんですから、きちっと1足す1は2と言うふうに、答えが出て来ないといけないんだろうと思います。
だから主人はすぐああいう形ですから、この間も「向こうへ行ってこちらの希望通りの答えが帰って来ない場合は、もう良いですから、もうとことんまでね、しなくて良いから、もう席を蹴って帰って来てださい」って言ったんです。
したら斎木さんも一生懸命して下さるんですけども、「そしたら私たちもう必要ないですね」ってちょっとむっと怒られたんですけども、本当にその位にしないとね。
あの国でまず話し合いは無理じゃないかと思うんです。

もう、話し合いはずっと、1990年に始まって現在まで続いております。
でも話し合いではまず無理だろうと思います。
だから何とか、経済制裁より他に無いんじゃないかな、と思うんですね。
私たちもどうしたらちょっとでも進むんかな?と日夜本当に、何も出来ないんですけども思うんです。
だけど本当にどこの集会へ行ってもたくさん来て下さって、道を歩いておりましても何人かの方が必ず「頑張ってくださいよ、私たちはずっとテレビ見て応援してますからね」って言って下さいます。
これが一番心の励みになっています。

だからいつも言うんですけども、ここで皆さんにお話している時は、皆さんの思いがね。
なんかこうこちらに伝わってくるわけですよ。
だから話していて一番嫌な所はどこ?って言われるんですよ。
そう言いますと、議員さんの所でお話しするときが一番返って来ない。(笑い声)
きちっとこっちを向いてくださってるんですけどね、気持ちがこっちに全然伝わって来ないんですね。
だから偉い物だな、気持ちと言う物は何も言わなくても通じる物だなと、いつも思いもってお話させてもらっています。

だけど本当に私らこんな所でお話しするような者じゃなくて、本当に平凡に子供を産んで。
あの、たくさんいるんです、私とこは女の子が5人と男の子が1人。
私はきょうだいは、事情があって一人で育ったもんですから、寂しいもんですから、子供はたくさんの方が良いという気持ちでたくさん産んだんですけれども。
なんとなくうわっと大きくなって、それぞれ自分が勉強が好きな子は大学行ったら良いし、あんまり好きじゃなかったら高校でも良いから自分の勤める所は自分で決めて、自分がここへ行きたいという所は自分が努力して、勤めだけは一生懸命してね、と言う感じで何となく大まかと言うたら良いのか。
そんなに、じゃ一生懸命しなさいよしなさいよと言う形でなくて、何となく過ごしてきましたけど、どの子も本当に真っ直ぐに育って一応、結婚してない子も中にはいますけども、一応家庭を持って。

一月一日の日は全部寄って来るんですね。
そうしますと家族全部寄せますと20人くらいになるんです。
この中にいつも思いながら見てるんですけども、恵子がいたらなと言う気持ちはあります。
あの子も向こうの知らない土地で子供を産んで大きくして、どんな思いで子供を産んだんだろうなという気持ちがあります。
やはり親がありましたら、お産をしましたら(実家に)帰って来て、ある一定の時間は親が見て世話しますけれども、あの子はそれが何にも無くて、知らない所で非常に不便な所で子供を大きくして、どうしてるんかなぁというような思いがずっとあります。(少し涙ぐみながら)
なんとか私ら元気な間に帰ってきて欲しいなと言う気持ちがあるのと共に、やはりその思いはみんなあるんですね。

だから今特定失踪者の人もたくさんいらっしゃいます。
私たちはこうして表へ出てお話も出来ますし、政府の方も会って話も出来ます。
でも特定失踪者の方は本当に雲を掴むみたいな物ですね。
今の所、政府も取り合わないんですよね、ハッキリ言ったら。
何でかな?と思うんですけども、この人だったら間違いないと思う人でも、どういう訳か認定しないんです。

私の場合も家族会を作った時は認定されてなかったんです。
だからもう、私は思ってました。
国が認定しようとしまいが、私とこは向こうから手紙が来たんだから、その手紙が来たってそれが「北朝鮮の消印が無いから」と仰いましたわ。(会場内少しざわめく)
外務省持っていきました時にね。
「だから信用できない」と言う言い方でしたね、要は。
北朝鮮の消印で送れる筈が無いでしょう?
だからそういわれたし、それで全然家族会に入りながらず〜っと認めませんでした、国としては。
拉致であると言うことを認めたのは、八尾さんが2002年の3月12日に法廷で「自分が恵子を拉致しました」と言う事を明らかにしました。
どういうわけか、その前日に認めたんです。
前日に拉致であると言うことを認めました。
国が何を基本に拉致を認めるのか?そこも分かりません。

で、八尾さんの件もありますけれども、いろいろ言われました、あの時もね。
「えらい寛大でしたね?」って言われたそうですけども、何であの時主人が寛大になったか?と言いますとね。
その9年間、二人が動いてどっこも取り合ってくれなかった、その辛い思いがあって。
この人が出て来る事によってきっと道が開けると言う事もありましたし、あの時はかなり警察も八尾さんに期待を持ってたんですね。
帰って来たあの時は赤木(志郎)と言う人の裁判だったんですけども、よど(号ハイジャック犯)の人は帰ってきても何も喋らないんです。

それで一定の時期が来たら執行猶予付きで無罪放免のような形になりまして、平気で街を歩いてます。
だから本当になんであの人たちが帰ってきて、拉致をした人たちが帰ってきて大きな顔をして日本の国で暮らして、拉致された方が何で帰って来れないか?
それでもあるし、帰って来た人が自由に(日本と北朝鮮との)往来が出来ると聞いてます。
それもおかしな話です。
だから本当にこの日本の国はおかしくなってますから、そういうおかしな法律があるなれば、それはきちっと直して、きちっとした法律を作って、そんな人が行き来したら良い事は絶対無い筈です。
そういう人を自由に北朝鮮と日本を行かせるという事を、絶対にさせないようにして頂きたいと私はいつも思っています。

拉致の問題で日本の方々が、元来の日本の姿に戻ったんじゃないかなと思いました。
2002年に帰って来ましてその年の、(翌年)有楽町フォーラムで全国大会がありました。
その時にたくさん来てくださって、その時に6000人程入れる中に、1万人以上の方が来て下さって中に入り切れなくって、あの時は横田さんが表に出て断ったんですね。
「中にお入り頂けなくて申し訳ないです」と言う事を言って頂いて、そんだけくらいたくさん来て下さったあの時に、有楽町フォーラムの緞帳がばっと上がりました時に、本当に私は感激で胸が一杯になって涙が止まりませんでした。
本当に日本の国の国民の皆様方は、やはりみんなきちっとした日本人だったと、これだけの方が私たちのために来てくださったと思いました。
だから私はいつも日本人に生まれて来て良かったというような教育を受けてますし、いつもそういうように思っています。
だから本来の姿に戻ったと思いました。
この事によってきっとまた新しい、本当に昔のままの日本人がまた蘇って来ると思うんです。

今、政治家の方々がきっちりとそう思い直して頂いて、こんな事していたらいかん、こうせないけないということをきっちり思って頂いてきっちりした政治をとって頂いて、日本の国をこうであると言う事をね。
国民の皆坂形の前できっちりと知らして頂きたいと思います。
そのことによって私たちの子供たちも取り返せると思うんです。
今の状態ではとっても取り返すことは出来ません。
だからあの、経済制裁一国がしても駄目だ、他の国が助けるんだからと言う事じゃなくて、日本の国は日本の国としてするべき事があると思います。
この船(=万景峰号)も止めなければなりません。
経済制裁をきちっとして、北朝鮮がどういう形で出てくるかと言うことを見て頂きたいと思います。

私たちももう歳がいきます。
そこへ、向こうへいる子たちも、もう46歳になります。
そしたら、増元るみ子さんなんかももう50歳超えると思うんですね。
だから、その子供たちも歳がいきます。
あの国で病気にでもなったらなかなか、医療機関も整っていませんので、どういう事になるかいう気持ちもずっとその心配も出てきました。

だからなんとか、今年、今年何とか、もう、あの、盛り上がってます。
空気がそのように国交正常化なんて言ってますけど、その事によって開ける道もあると思うんです。
また新たな方へ。
国交正常化を含めて、この拉致問題を解決しないと国交正常化できないんだと言う事を国民の皆様方が知っていただいて、その事によって皆を全員を取り返さないと、この拉致問題は解決しないと思います。
何人かをちょろちょろと返して来て、それで幕を引くという事をして貰ったら困るんです。
だから同じ思いで親たちも待っています。
私も特定失踪者の事も皆一緒です。
長い間同じ思いで待ってるんですから、皆が帰ってきて良かったねって言う様に。
それこそ飛行機一台チャーターしてその中に全部乗せてるくらいの気持ちで、政治家の方がして頂きたいと思います。

何とか今年、今年が目鼻だと思っています。
だから何とか皆さんも最後までご支援下さいますよう、よろしくお願いします。
ありがとうございました。(拍手)
posted by ぴろん at 17:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第13回藤沢集会(6)06.1.7 藤沢産業センターにて

『出席議員の紹介』

★司会者

今日はですね、神奈川県内の地方議員の先生方が何人か駆けつけてくださいましたので、議員の先生方のご紹介をさせていただきます。

海老名市議会議員 太田祐介先生(拍手)
鎌倉市議会議員 松尾崇先生(拍手)
鎌倉市議会議員 原桂先生(拍手)
横浜市議会議員 工藤裕一郎先生(拍手) 工藤先生は所用があって(先に)帰られました。

それでは拉致被害者・有本恵子さんのお母さんでいらっしゃいます、有本嘉代子さん、よろしくお願いします。(拍手)
posted by ぴろん at 17:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第13回藤沢集会(5)06.1.7 藤沢産業センターにて

『高英起氏のお話(RENK東京、映像ジャーナリスト)』

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どうも、ただ今ご紹介に預かりました高と申します。
今私はですね、「救え北朝鮮の人民緊急行動ネットワーク」RENKというNGOの東京事務局で活動をしていますが、RENKと言っても、ご存じでない方もおられると思いますので、若干簡単にRENKという組織、市民団体の紹介と、我々がいかに拉致問題、そしてよど号事件に関わってきたか、簡単に、時間もおしてきているようですのでお話ししたいと思います。

RENKの結成というのは、1993年に結成されました。93年に、RENKの代表の李 英和氏(リ・ヨンハ)という関西大学の教授をされている方なんですけれども、李 英和氏はテレビ、メディア等で発言をされているので、みなさんもご存じの方も多いと思います。91年に李 英和氏が北朝鮮に留学をしまして、そのときの体験を元に、北朝鮮がいかに民衆を弾圧して人権を無視しているかと言うことを日本の社会で広めようということで始まったNGOであります。

  救え北朝鮮の人民緊急行動ネットワーク
  http://www.bekkoame.ne.jp/ro/renk/
  RENK東京
  http://renk-tokyo.org/modules/news/

毎年、93年に、RENKを始めたときに、北朝鮮はすぐ、きっと崩壊すると思っておりました。
ところがですね、残念ながら12年間、この間北朝鮮という体制が続いてですね、なかなか北朝鮮の人権問題、拉致問題も含めてですね、解決の道がまだ見えないというのは非常に残念ですけれども、今年こそは、何とか北朝鮮という金正日政権が崩壊して、北朝鮮の民衆、そして拉致された方々、全てが救出されることを願っております。

とは言いながらも、毎年ですね、年が明けるたびに、今年こそは、今年こそは、北朝鮮は倒れるだろうと言う風に言いまして、早くも13年間たってしまいましたけれども、先ほど荒木先生のお話もありましたように、何か膠着した状況も動いている中で、何か大きな動きがあるんじゃないかと思っております。

まずですね、よくRENKという立場でいろいろな北朝鮮問題を話をしているとですね、「RENKはなぜ拉致問題にあまり積極的でないんだ」というおしかりの言葉をよく受けることがあるんですけれども、決してそうではないんです。

RENKはですね、実は1995年当時から、よど号事件を通じて拉致問題というものをキャンペーンをしてきました。
まず、よど号、よど号グループとの関わりについて、若干話させていただきたいと思うんですけれども。
よど号とは僕、個人的な話になっちゃうんですけれども、すごく因縁を感じるんですけれども。

70年に彼らがハイジャックして北朝鮮にいっちゃったと。まぁ、その後20年間以上、20年間近く、80年代後半ぐらいまで、ほとんどその情報というのは入ってこなかったですね。

ところが、僕が、(1988年か89年だったと思うんですけれど)その当時、僕は朝鮮総連の傘下にある「朝鮮留学生同盟」というところに参加して活動していったんですけれども。
そこの事務所にですね、ある本がありました。本の著者は田宮高麿です。よど号グループのリーダーです。
本の題名は「わが思想の革命」だったと思います。確かサブタイトルがピョンヤン18年の手記だったと思います。

  【わが思想の革命―ピョンヤン18年の手記】田宮 高麿 (著)
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4787788183/qid%3D1136907492/sr%3D8-4/ref%3Dsr%5F8%5Fxs%5Fap%5Fi4%5Fxgl14/503-7584736-8458306

その本を見たときにですね、よど号グループという存在自体は知ってたんですけれども、どういう存在なのかというものに非常に興味がわきまして、その本を読み始めたんですね。その本が、ちょっと失礼な言い方をすれば、ちょっとおもしろかったんです。おもしろかったというのは、何も彼らの考え方は素晴らしかったとか、そういう言うことではなくて、ばからしかったんですよ、ほんとに。
その本には田宮高麿がいかに日本の革命運動の中で挫折して、北朝鮮で主体思想に目覚めていくかと言う課程を本人の手記という形で書かれているんですけれども。
結局書いていることは、北朝鮮の労働党とかの公式見解と全く変わらない形だし、いかに金日成がすばらしいとか、金正日さんが素晴らしとか、みなさんご存じの、主体思想が素晴らしいとか、そう言うことしか書いてないんです。

そういうふうに自分たちの考え方が変わっていく課程の中で、彼らは「総括」「自己批判」と言う言葉を使って、彼ら自分自身を高めていったという話なんですよね。
その「総括」「自己批判」がどういう自己批判かっていうと、彼らは北朝鮮に行って集団で生活をするわけなんですけれども、集団生活していたところが、二棟あったと。一棟は、北側にあって一棟は南側にあったと。毎朝体操をすると。
体操をする場所を巡って、本人たちが、えらい大げんかをして、それについて「総括」するわけなんですよね。(会場笑い)
「おまえら、こんなアホなことするために北朝鮮いったんか」ということでその時は大笑いしたんですけれども。
書いていることは、それはもちろん彼らは大まじめに書いているんですよ、やっぱり。彼らはそう言うことを通じて、自分たちの革命精神の甘さを克服していったというように自画自賛しているようなもんですけれども。

まぁ、その本を読んで、僕もわかったんですけれども、よど号自体が決して彼らが本当にイデオロギー的に、本当の革命を目指して北朝鮮に行ったかというと、やっぱりこれは僕も疑問に感じて、一言で言っちゃうと、<若気の至り>だったんじゃないかと思うんですよね。ただそれはそれで、決して僕は否定しないっていうか。それはそれで裁かれるべきことなんですけれども。

彼らが<若気の至り>で行っちゃったと。
思想的にも彼らは別に何も――
もちろん彼らは日本の中で古典的なマルクス主義とかいわゆる古典的な本を読む中で彼らなりの理論を持っていたけれども、当然そんなものは北朝鮮では通用しないわけですから、そんな中で彼らが徐々に徐々に北朝鮮にすり寄っていく過程というものが、読み方を変えると、そういうことが克明に書かれているところが、私自身は、それがおもしろくて、こうやって人間というのは、洗脳されるんだなと思いました。

ただ読む中では、僕自身も怒りがこみ上げてきて、結局彼らが北朝鮮で生活できているのは、結局彼らを支えているのは北朝鮮の人民だったと言うことなんですね。
ご存知のように、ご存じの通り一般の北朝鮮の人民ほとんどの方は食糧もも満足に手に入らないし、住むところも満足に手に入らない、もちろん移動の自由もない中で、生活している中で、彼らは(もちろん日本に比べれば贅沢な暮らしはできなかったかもしれないけれども)一般の、普通の人の生活をしながら、自分たちの好き勝手に、しょうもない体操の場所をめぐって、「総括」をするような生活をしていたということに関しては、ちょっと聞きたい。一言で言えば<寄生虫>だと思ったんですよね。

そういうことがあったのでよど号に対する怒り、自分自身の苛立たしさというものがあったんですけれども、幸いなことに、その7年後、そのメンバーと直に出会う機会がありました。そのメンバーというのは柴田康弘さんです。
なぜ柴田さんと出会うことができたかというと、僕は関西の生まれで、(関西で)大学生活を送ってたんですけれども、もともと赤軍派というのは関西が強かったんです。
赤軍派にも、いろいろ、セクトといいまして、いろんな派があるんですけれども、全体的には赤軍派というのは非常に仲がよくてですね、わりと行動とか、いろんな運動とか一緒にやってることが多かったんですね。
その中で、赤軍派のあるグループというのがやはり、よど号を支援していました。
その支援していた中心人物が、高槻にある高愛病院(?)という病院の院長の方だったんですけれども。そういうこともありましてですね、その院長の方が主催で、柴田康弘さんの話を聞くという講演会というものがありました。

そのときこれはもう千載一遇のチャンスだということで、ちょっとこれは柴田をとっちめてやろうということで、RENKのメンバー10人ぐらいで行ったんですね。
ところが講演会といっても、ほとんど内輪のメンバーばっかりで、きてるのは、5、6人しかいなかったんですね。RENKのメンバーの方が多かったんですね。(笑い)
ここで、我々が柴田を糾弾というか、あまりにも攻撃するのもちょっと申し訳ないなと思いながらも、柴田の話を聴いていたんですね。
ところが彼の話というものが、心がないというか、人間のかけらも感じないような話であることから、非常にわれわれの仲間もエキサイトしてですね、柴田に手は出しはしませんでしたけれど、かなり口で厳しいことをいいました。

基本的に彼の話を聴いていてびっくりしたのは、彼は「政治活動に興味がない」 と言い切ったんですね。じゃぁ、彼が何に興味があるかというと「自分はビジネスに興味があると」と。
 我々が、柴田さんと話をするときに、ひとつ期待したことがあったんですよ。たとえ間違っていたかもしれないけれど、少なくともあなた達は、日本の人民のために革命を起こさなければいけないと考えて北朝鮮に渡ったわけであるから、そういう、今の、自分たちのやってきたこと、20年間の総括ですよね、彼、特に総括です。それと今の日本、日本人に対する思いというのはどうなんだという、そこに少しでも人間性のかけらというか、人間性のある言葉というのを聴けるんじゃないかと期待したんですけれども、残念ながらそういう話は一切聞けませんでした。

彼らは――
もちろん北朝鮮に対していうことは、(北朝鮮の)公式見解とまったく一緒で、北朝鮮には飢餓もない、飢えも無い、もちろん人々は苦しいけれど、普通に生活している、そういうことしか言わないし。
じゃぁ、何であなたは日本に帰ってきたのか、と聞くと「自分は商売をしたいからだ、金儲けをしたいんだ」と、そういうことしか言わない。
そういうこともありましてですね我々は、かなりエキサイトしてですね、彼に厳しい言葉を浴びせかけてですね、最終的に最後に僕が、彼に言葉を一言投げかけたんです。

「あなたは16歳、(彼は16歳で北朝鮮にわたったと思いますけれど)、16歳という、本当に少年の時期に、北朝鮮に渡って、それから20年間(当時36歳だったんですけれども)つまり自分の人間形成の上で大半を北朝鮮で過ごしたわけですよね。ということは、貴方は今日本に来ていますが、いつか北朝鮮に帰りたいと思わないんですか」と。
彼は、はっきりと「(北朝鮮に)帰りたくない」と言ったんですよ。「えっ、どうしてですか?」「それだけ二十年間も北朝鮮で暮らしたと、ましてや貴方が言うように、北朝鮮は素晴らしい国だと言ったのに、どうしてですか?」と言ったら、「自分は日本人だから」と言うような言葉をきっぱりと、そういうことを言ったんですね。
もちろん、日本人であるから日本に帰りたいのは当然ですけれども、やはりそれは、彼らがやってきたことに対する、あまりにもドライな口調というものに、僕はちょっとあきれ果てて、「これは、これ以上言ってもちょっと無理かな」というふうに思いましてですね、柴田さんとの話し合い、講演は終わりました。

後日談がありましてですね、柴田さんは高槻というところの支援者を中心に生活されてたと思うんですけれども。高槻で我々RENKの若いメンバーだけで、ちょっと居酒屋で飲んでいたときに、飲んだくれてる柴田さんを見かけたんですね。
(こちらも)結構飲んでいたので、後輩のひとりが、「あれ柴田ちゃうの?」とかいうて、「あ、そうみたい、無視しよう、無視しよう」と僕はいってたんですけれど「ちょっと、けしからんから、ぼこぼこにしてきますわ」 とか一人が言い出しまして。
でもそれは、さすがに警察沙汰になるとやばいかなと思って、まぁ、それはかろうじて止めたんですけれど。今から考えるとですね、帰り際にでも頭を一発でもはたいたらよかったかな、とも思っています。
まぁそういう関連で、我々としては、拉致問題をよど号を通じて関わってきました。

まぁ、荒木さんのお話の中で、拉致問題今後の展開とか、いろいろあると思うんですけれども。
基本的に、我々RENKというものは、今は「北朝鮮の民主化」、もっと言うならば、「金正日労働党政権の打倒」というものをスローガンに掲げています。そのために、我々は今、脱北者の救援や支援、もしくは脱北者の情報とか、北朝鮮の内部情報とかを日本に広げるキャンペーンをしております。
先ほど言いましたように、決して拉致問題と言うものに関して、おろそかにしているわけではなくて、我々、基本的に拉致問題も、北朝鮮の難民問題もそうだし、もっと言うならば、北朝鮮の国内にいる北朝鮮の人々の人権弾圧の問題、全てがやっぱりひとつの(解決の)道に結びつくと思うんですけれども、その道というのは「金正日労働党政権の打倒」ということだと、こういうふうに思っています。

以前ちょこっとだけ、拉致問題の中ででお話ししたときに、僕はこういうふうに言ったんですね。
「難民もそうだし、民衆もそうだし、敵は金正日政権だと。拉致されている家族の方々、拉致されている人々の敵も金正日政権だと。敵は一緒なんだから、これは一緒に手を組んで戦うべきではないのか。」と。
それこそが、逆に言えば、金正日政権が怖がっていることではないかと、僕は思っております。
金正日政権というのは確かに、荒木さんが言ったように、話ができない、話しても無駄な政権ていうか、そう言う相手だと思うんですけれど、僕はやっぱり彼ら、彼らと言うより、金正日自身は、おそらく北朝鮮、韓国等含めてですね、周辺諸国の世論にというものを、非常にそれに関しては気にしてるというか、気にしてると思います。

僕は、常にですね、基本的に市民運動としてやってるわけでして、いろんな、政治的な、政治家に対する働きかけとかは、そういうことはもちろん否定はしないし、それはどんどんしなければならないんですけれども、自分たちのできることは、この北朝鮮の人権弾圧という状況をにいかに日本の中に広めていく中によって、日本社会の世論を高めていく事なんじゃないかと思っております。

さきほど、9.17以降、家族の方が、羽田に帰ってきたとき、荒木さんが「やれば、できるじゃないか」と思ったと言うことをおっしゃっていました。あの時僕自身も全くおなじ想いをその時、持ちました。

「あぁ、やっぱりこういうふうに世論が高まって、そういうふうに政治家を動かせば、こういったことは動くんだ」 と。

ただその後、膠着状態になる中で、結構みなさんの中には、「本当に、これで大丈夫なのかな」という不安感があると思うんですけれども、やはり僕は常に、この拉致問題を語るときに、人質を取られている家族というものが、一言で言えば腹くくってるわけじゃないですか?
普通そういう誘拐事件とかで人質を取られちゃったら、普通家族って言うものは、腰が引けちゃいますよね。ほんとに大丈夫なんだろうか?って。強硬姿勢をとることによって人質に何か起こるんじゃないかというふうに弱気になっちゃうこともあるんだと思うんですけれど。この間、やっぱり、拉致家族会のみなさんが、本当に腹をくくっていると言うことは、やはりそれに対して、我々は我々のやり方で、答えるべきじゃないかと思っております。

まぁ、RENKとしては、こういった感じで、いろんなところでお話しさせていただいているんですけれども、基本的には、先ほど言いましたように、北朝鮮の労働党政権の打倒と民主化を求めております。
拉致問題も含めて、全ての北朝鮮に関わる人権問題が一日でも早く、もっと言うなら何としてでも、今年中にはそれを解決できるような形で、今後も頑張っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

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このエントリーのテキストは金木犀様の手によるものです。
posted by ぴろん at 17:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第13回藤沢集会(4)06.1.7 藤沢産業センターにて

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表のお話』

Img_1579.jpg

荒木氏、音声ファイル1


荒木氏、音声ファイル2


ご紹介いただきました、荒木でございます。
今日は、正月から、たくさんの方、おいでいただきまして本当にありがとうございます。
限られた時間でございますので、できるだけ簡潔にお話をしたいと思いますが。

おそらくここにおいでのみなさん多くの方が非常に関心を持っていらっしゃるのがこの年末年始に流れました、あの横田めぐみさんや地村さんの事件の実行犯の問題ではなかろうかと思います。

結論から申します。
あのニュースはすべてウソです。

(会場から『え?』)

あの横田めぐみさんや、地村さんをやったのは辛光洙ではありません。違います。

辛光洙はあの事件の頃は、北朝鮮に戻っております。それは彼を捕まえた後の韓国の1985年11月にですね−−
2月に捕まえまして、11月にソウルの地裁で、判決が出ておりまして、その判決文の中に、彼が生まれてからどういう風に行動していったかと、工作員になってから、どういうふうに、どっから日本に上陸して、そしてまた北に戻って、また来て、どういうふうに誰と接触して行動していったかということが、書いてございます。その中には1977年1978年のあの時期は北朝鮮に戻って、教育を受けている時期でございまして、日本にはおりません。抜け出して拉致をしたと言うことはあり得ないわけでございまして、あの報道自体が、(もともとそれを確認する前からおかしいと思ったんですが)やはり明らかに、意図的なウソであろうと、言う風に思います。

韓国政府の関係者の知り合いにも聞いてみましたけれども、まぁその彼も『自分の名誉にかけてそんな地裁の判決が、そんなところで大嘘をつくことはあり得ない』と、言うふうに言っておりました。
で、そうするといったい何でこんな事が出てくるんだと言うことに当然なるわけですね。
あの年末の話は、辛光洙(シン・ガンス)と朴(パク)といわれる西新井事件というですね、いろんな日本人に成り代わって工作活動をやったとされる、工作員の二人が主役として出てきたわけでありまして『それくらいしか、北朝の工作員はいないのか』と、当然あの時ですね、不思議に思うわけですね。

拉致は、相当の数、今、日本政府が言っているだけで16人ですから、実際、まぁ遙かに多い数の拉致が行われているわけでありまして、それをですね、一人や二人でやるなんて事はあり得ない。
あの調子ででてればですね、そこのポスターにある450人全部辛光洙がやったという話になってもおかしくないわけでございます。
何でこんな事になるのかと。
あのニュースがでたのは、だいたい『7時のNHKのニュース』です。

今日もちょっと有本さんのお父さん、NHKの批判をされましたが、いつもは、有本さんのお父さん、NHKの批判をすると、私の方はですね『そんなきついこと言わないで、穏便にしましょうよ』となだめるんですが、やはりあそこから話がどうも始まっているのではないかと思われます。

あのニュースを受けて、各社が動き始めると。で、そして翌日には、各社一面トップとか大々的に乗っかるわけでございます。で、しかし、実際には、しゃべったと言われる人たちはですね、直接の取材を受けない訳なんですよ。
これは9.17のあと、10月15日に帰ってきてから、ずーと同じ状態なんですが、あの時は異常に特殊な状況であったと。最初帰ってきたときは、なんとか彼らを北に戻さないようにしなければいけない。そしてその後は、家族がまだ残っているから、と言うことがあってですね、我々、あの当時、私は救う会の事務局長でしたが、報道規制をしていただかなければいけなかった。で、しかしもう家族が帰ってきたわけですが、その報道規制の状態、未だに続いています。

もし、あの時(年末年始の報道の時)NHKが放送したと。それで、当然各社の拉致の担当記者さんは、本当であれば、普通であれば、蓮池さんに電話をかけて、あるいは柏崎や、小浜にすっ飛んでいって、『これいったいどういう事なんですか』と言う風に聞くわけですね。それに対して、『いや、これは事実関係はこうなんだ』というふうに答えるはずなんですが、ところがそれが全くできない。

そうすると、あと聞けるのは、それを聞いたはずである家族会の方々とか、そういうことになってくる。しかし、それもですね、家族会の方からすれば、そういうことを言われたという事実はたとえ有ったとしても、それが事実であるかの、もちろん確認はできない。 確認はできないけれど、一社が抜かれてしまったら、他の社もですね、そういうふうに動かざるを得ない。そういう状態だと、もしたとえば他にリークが行われれば、それにのもうすぐに飛びつくという状態が、作られてしまっています。

この状態はですね、考えてみると去年の7月ぐらいですか、あの蓮池さんが、太陽里(ちゅんちょんり)、住んでいたところの地図かなんかとかが出てきて、ここでこうしてとか言う、話が出ました。で、あのニュースの時も私非常に不思議に思ったんですが、あの時のNHKの報道はですね、『こうであることがわかった』という報道になっています。わかったはずがないです。裏がとれるはずがない。絶対に。

そういうことを、言っているという報道であればいいんですが、『わかった』と言うことになっている。
あの時は確かその後ですね、クローズアップ現代でも、この問題だけをやっていて、そこでもですね『こういう事がわかりました、という報道になっています。これはもう絶対におかしいです。

それを誰も確認ができない。たとえば安明進が、『ここはこうで、ここはこうで確かにそのとおりだ』 と言う話でもしたのであれば、しまいには別な、脱北者ですとかなんか、他の人でもいいですが、そういう事がでてくれば、確かにそういう可能性があると言うことになるかもしれませんが、そういうものは一切ない。ただ5人が証言をしたと。
それもその本人たちが証言したのではなくて、ただ伝聞で出てきたと言うことだけの話でございまして、これで事態が動くとしたら非常に怖いことでございます。

なんでこういう事が起きているかと。
可能性として一つあるのはですね、日本と北朝鮮の間で(ま、今有本さんがいろんな取引やなんかの話をされましたが)もうすでにある程度のですね、落としどころが決まっている可能性がある。
それはどこかと言うと、この事件をやったのはみんな辛光洙と朴なんだと言う話にしてしてしまおうとしてるのではないかと。

横田めぐみさんも、誰々さんも・・そのうちですね、下手すると、よど号グループのことも隠したいと思ったらですね、『有本恵子さんも辛光洙がやりました』という話が出てきてしまうかもしれません。もう、そういうようなことをして、ともかく『あれ(辛光洙と朴)だけがやったんだ』ということで他のものを全部押さえてしまうと。

そこで、北朝鮮側とすれば、調べてみましょうかとたとえば、日本側に回答して、『朴というのは確かにいたけれども、もうとっくに死んでしまった』といってですね、『もう記録も残っていない。』
それから『辛光洙は確かにいるけれども、もう高齢だから、北朝鮮から出すことはできない、もし日本から来たらば、ちょっとぐらい会わせてあげてもいい。』まぁ30分ぐらいおざなりに会わせて、あとはちょっと体調が悪いからと言って隠してしまう。もう何もしゃべらないと言うことは十分に考えられますね。
へたしたら、北朝鮮のことですから、『いや、これは辛光洙と朴の骨ですよ』と出してきても、これもおかしくないわけでございます。(会場笑い)

そういうような事に日本側でも、そこで話を一段落させて、そこで次ぎに進もうと。つまり、今、日朝交渉の中で、平行して、拉致の問題と、国交正常化の問題を別々にやっていくという話になっていますから、そういう中で『いた、拉致の問題は北朝鮮側、譲歩してきた』と。だから日朝(国交正常化)交渉の方も、進める必要があると。こっちを、進めないと拉致の方も進まなくなると。そういう風な形にしていこうというのがですね、おそらくだいたいの可能性ではないだろうかなと。

ま、もう一つ考えられるのは、警察がそういうような動きに対してブレーキをかける為に出してリークしたという、そういう可能性もあるんですけれど、しかし、それにしては、この事実関係がですね、辛光洙がやったとか言う話というのは、あまりにも変な話でありまして、ちょっと警察がリークするとは思いにくい。
と言うことになれば、もっとその更に上の方で、ものは進んでいるのではないだろうかと言う感じがいたします。
そしてもう一つ言えば、拉致議連の幹事長である西村慎悟さんが逮捕されたのが11月の終わりで、そしてこのニュースが出始めたのは、西村さんが釈放された直後からと言うこともございます。

あの事件について、ま、いろんなことを、もちろん感じられている方、有ると思うんですが。あの政治家の弁護士で、非弁活動で捕まえようと思えば何人だって捕まえられるわけですね。あの西村さんが逮捕された直後になんかの番組で、福島瑞穂がでていて、このことが話題になった話があるそうですけれども。あの福島瑞穂さんって人なんかは当然西村慎悟みたいな一番嫌いなはずなんですが、青な顔して一言も言わなかったいうことでございまして、そういう風に思って、びくびくしている人はたくさんいると思います。その気になればいくらでも捕まえられると思うのですが、一切そんな動きはない。

おそらく、あの逮捕の目的というのは、西村慎悟からバッチをはずさせたいと。バッチをはずせば穏便に済ましてやると言うようなことではなかったかと。ま、本人とそこまで話したわけではないのですが、私の推測にすぎませんが、どうもそういう感じがします。
そういうものすべてが、今何か動いているというふうに考えた方がいいのではないだろうかと思います。これは、何もこれに始まったことではありません。

9.17の時はですね、9,17で北朝鮮が拉致を認めると。『拉致を認めたら、国交正常化交渉を動かす』と、おそらく日本側は言っていたわけです。で、認めたと。認めたら、逆に日本の世論が激昂してしまったと。そしてその次ぎにいったのが、『じゃぁ、生きてると言った5人を返してくれ、ともかく。ちょっと返してくれたら二週間ぐらいで戻す』と。
『そうしたら国交正常化を進める』と日本側言ったんですね。
でまぁ、北朝鮮側は『よし、わかった。こんどはほんとだな』と言って返したのが戻ってこないと。

ある意味でいうとですね、日本の外交の方がうまいのかもしれません。(会場軽い笑い)
北朝鮮をだまくらかしているといえないこともない。

この次ぎやったのはですね、『じゃぁ子供たちは残っているんだから、子供たちを返したら、そうしたら進めてやる 』と言う話になったけれども、子供たちとジェンキンスさんなんかは帰ってきたと。しかしやっぱり進まない。

あの、5.22の時に家族会バッシングということがありました。さきほど有本さんからお話がありましたけれど、あの時にですね、確か共同通信の世論調査だったと思いますが、小泉首相の訪朝を評価する声というのが確か68%ぐらいあったんですね。しかし第一次訪朝の時が86%ぐらいだったと思うので、それよりは低いんですが、まぁそれでも7割ぐらいの人が評価していた。しかしその一方で『これで拉致問題が終わったか』という質問に対してですね、確か8割以上の人が『終わっていない』と言う風に答えている。日本の世論はそう甘いものではないわけでございまして。
で、結局、子供たちが帰ってきても話は前に進まなかったと。

Img_1583.jpg

(↑荒木氏の話に耳を傾けるご家族の様子)

で、その次、その次というのは一昨年の11月になりますが、あの時私が思ったのは、北朝鮮がやる方法はおそらくもう一つしか残っていないだろうと。それはですね、死んだと言っていない人たち、つまり政府が認定していない人の誰かを出してきて、そしてですね、『自分の意志で行きました。今、日本に帰ることは、都合でできません』と。『ただし、自分としては両親に会いたい』と。『だから、お父さん、お母さんもし平壌に来てくれれば会います。早く国交正常化が実現して自由に行き来できるようになればいいと思います』ということを言わせようとしていたのではないかと言う感じがしています。

ところがあの時は、それができなかった。この間帰ってきた北川和美っていう変な女(嗤笑)おりましたが、あの彼女が、どうも目的としては、その要員として使おうとして連れてきたという話しでございます。つまり「自分の意思で行った」と。「私自分の意思で行きました」。鴨緑江で飛び込んだという話も多分ウソじゃないかと言われるのですが。自分で行った、あれもう既に荷物先に送ってあるわけですから(ウス笑)。

 そういうふうに出てきて、「私自分で行きました」と言えば、ちょっとこっち(日本)にいる北朝鮮シンパの方、国交「正常化」を進めようとしている人間が、「ほら見ろ、北朝鮮は折れてきてるじゃないか。あれ(北川某)はたまたま自分の意思で行った人だけども、こういうことはちゃんと信頼関係を作れば、そうしたら次に今度は死んだと言ってる人のことまで進んでいくかもしれない」という世論が作れる。

 それからもう一つは「いや北朝鮮に行った人も、やっぱり自分の意思で行った人もあるんじゃないか?」あるいは向こうでいい暮らしをして、帰りたくないと思ってるんじゃないか? ということを流していくと。それによってこちら側の行動にブレーキをかける。あるいは経済制裁とかですね、そういうのにブレーキをかける、としたのではないだろうかと思います。

 私は、あの時はもうあれしかないと思ってました。しかしそれに対して北朝鮮側がやってきたのは、何やったかというと、あの「遺骨」でございます。それ(荒木氏の予想した策略)ができなかった最大の理由はおそらく、金正日に9.17の時ほどの力がもう残っていないということなんだろうと思います。工作機関の中に手を突っ込んで、拉致した人間を引っ張り出してくるとか、あるいはそれ以外でも工作機関が関与した拉致被害者をですね、たとえ日本政府が認めていなくても出していくというのは、相当なリスクを伴うわけで、実際曽我さんの件ではですね、やったらば逆効果になっちゃったわけですね。

 そうすると、出してくるのはかなりの力を使わなきゃいけない。それが金正日にはおそらくできなかった、ということであろうと思います。

 そしてその「遺骨」、この時はおそらくちゃんとした合意ではなかったのでしょうけど、日本の中の誰かが、「どうせ鑑定なんかできないから、出してこい」と言ったのかもしれません。そうしたらば(遺骨はめぐみさんではないという)鑑定ができてしまった。で、話しが違うということに向こう(北朝鮮)としてはなって相当頭にきた、ということであろう。

 そうすると、その後やってきていること、今やってることもおそらく、そういう意味での落とし所を作りたいということに、それも北朝鮮側だけでなく、日本側だけでなく両方が既にある程度の合意が行われていると、思った方がいいのではないかと思います。

 ですから、今の流れているニュースをそのまま真に受けていますと、その方向へみんなどうしても流れていきます。非常に危険なことですので、ともかくここにおられる皆さんが、おかしいということは、しっかり思っていただきたいと。

 元々北朝鮮とは、ウソをつくことなんてのは、悪いとも何とも思っておりません。

「嘘つきは北朝鮮の始まり」

でありまして(爆笑)、
北朝鮮の「労働新聞」なんて、正しいのは日付くらいでありまして(笑)、
まあ今日のこの集会のテーマから言いますと、まあ

「嘘つきはよど号の始まり」

ということも言えるわけでございます。

 よど号グループも、後ほど有本さんのお母さんが、よど号の一人(赤木史郎)と話しをしたことを言われるかもしれませんが、まったく有本恵子さんの拉致を知らないと、言ってるわけですね。知らないはずがないということは、もう誰もわかっているわけでありまして、それを敢えて知らないと言うことは、彼らの言ってることもすべてはウソだ、ということの証拠でございます。

 ところが、日本人というのはマジメですから、もっともらしい顔をしてウソを吐かれると、ひょっとしたら本当のことが入ってるんじゃないかなと、思ってしまうわけなんですね。これが間違いで、そういう人でない場合には、そういう対応をせざるを得ないのではないだろうかと思います。

 そういう場合は、どういうふうにすればいいか? この会場で前にも言ったかもしれませんが、北朝鮮のやり方のウソの吐きかたというのは、わたくしは「試験問題戦術」という言い方をしますが、ともかくいい加減は試験問題を出して、ぶつけてくる。で、こちら(日本)側で交渉に当たる人というのは、だいたい非常に頭のいい学校の成績が良くて、東大をトップで卒業したような人たちが当たるわけですね。

 そうするとですね、試験問題というと無条件に解くものだというふうに頭にあるわけです。すると出てきた試験問題に、マス目に空白が空いていると、空いたままにしておくと、とても指が震えて禁断症状を起こしてしまう(ウス笑い)。そうすると、ともかく解答を書き込んじゃう。書き込んでいる間に相手は逃げていくわけです。

 しかしともかくマス目が空いていることは許せないということで、一生懸命マス目を埋めて、それから走っていって「ここは、こうおかしいじゃないか」と言って出す。そうするとまた向こうは、またいい加減な問題を作って渡してくる。こんな問題解いても仕方ないと思いながら、でも目の前にマス目があると埋めたくなってしまう。

 こういう交渉にあんまり頭のいい人使う必要はないですね。もうちょっと度胸があってですね、多少頭が悪い。試験問題を元々解けなかった人間を使ったほうが(ウス笑い)、はるかに上手く行くわけでございます。

 北朝鮮という「国」相手に、まともな話し合いで信頼関係を作ろうなんてこと自体が、そもそも間違いなわけでございまして、金正日が代わってまともな政権ができりゃあ、その時はもちろんちゃんと話しをすればいんですけど、今のあの体制でまともに話し合いをしたって通じるわけがない。

 フツーのアメリカ人相手に、スワヒリ語(ケニヤやタンザニアなど東アフリカ地域で多用される言語)で話したって通じないわけですね。それと同じことです。北朝鮮相手に、普通の言葉で話しをしたって、朝鮮語で話そうが、何で話そうが通じない。「馬の耳に念仏」という言葉がありますけど、馬に言うことを聞かせるには、鞭でひっぱたくか、ニンジンをやるかどっちかぐらいしかない。

 そうすると北朝鮮に言うこと聞かせるには、経済制裁を初めとして圧力をかけることしか方法はない。実際に一昨年の前半、ですから3年前の(03年)12月の末ですか、平沢さんが中国(大連)へ行って、北朝鮮の日朝国交担当大使と会う。そしてその後4月に、山崎拓さんと平沢さんがまた行くと。あの時は、その後5.22の小泉第二次訪朝があるわけですけど、あの時一体北朝鮮はどうしていたかと。

 あの平沢‐山崎ルート以外にですね、あのレインボーブリッジ(小坂浩彰代表)という怪しげなNGOを使ったりとか、それから今の総理のですね、あの〜(名前が思い出せない様子)腹の周りが120センチあるという秘書官(ハントウ君こと飯島勲首相卑書官)を使って、飯島秘書官と朝鮮総聯の大物の間とか、いろんなルートを使ってます。

 私、ちょっと見てて、何でそんなにあせるんだろうということを非常に思ってみていたんです。そこでわかったのが、結局あの時、経済制裁が怖くてしかたがなかったということです。あの前の年の暮れくらいから、経済制裁法案が具体化して決まっていく。次は発動だという話しになる。北朝鮮としては、何がなんでもそれを止めざるを得ないという状況に置かれていたわけでございます。

 そしてそういう状況の中で、なりふりかまわず日朝のルートを使っていった、というのが、1年半前の状況だったのではないか? その結果、小泉さんの第二次訪朝になった。そこに向かって、(帰国済みの拉致被害者)5人の家族の帰国最優先ということで行っていたので、そこでだいたい落としどころになっていったのだと思います。

 実際に5.22の小泉第二次訪朝で、北朝鮮は経済制裁は発動しないとか、あるいは在日朝鮮人に差別をしないとか、これは「差別をしない」というのは、つまり在日朝鮮人の個人、個人なんかどうでもいいんですね。北朝鮮からすれば、ただ収奪の対象でしかない。問題は、総聯に圧力をかけるのを止めたい、ということだけで、そのほとんどの目的をとりあえずは達成をしたということであります。

これ裏を返せば、いかに北朝鮮がそういう制裁が怖がっているかと言うことでございまして、ならば、こちら側からは、それ(経済制裁)をやるしか方法はないであろうと言う風に思っています。

本当にひどい状況の国ではあります、そういう意味で言うと。
ただし、これはですね、さっき言ってきたように、9.17の時には、あくまで結果的ですよ、あくまで結果的ですけれども、あの田中均さんをはじめとする、福田康夫官房長官かわかりませんが、ともかく北朝鮮側にですね、『拉致を認めろ』と『拉致を認めたら、日朝交渉進めてやる』と言う風に言って、だまくらかして拉致を認めさせたと。
北朝鮮は、朝鮮戦争も自分からやったと言っていない。あれ、南から攻めたと言っています。
大韓航空機の爆破事件も、ラングーンのテロもみんな我々知らないと言っている。
その北朝鮮が拉致だけは認めたのです。
いかに意味があったかと言うことであります。

そのあとは『5人だけ、ともかく生きてるんだからともかく返してこい』と、『そうしたら戻してやるから』と言って戻さなかったと。
そして次には家族だけ帰してきたら、後は(国交正常化を)進めてやるといって進めなかったと。
と言うことでございまして、今回も、うまくいけば、辛光洙から、なんか取って、ものは進めないということも、まぁ、うまくいけばできるかもしれません。乗せられてはいけませんが。

と言うことで考えると、日本という国は、もどかしいんです。もどかしいし、かなり個別の工作事件のことでは、やられっぱなしではあるんですが、全体としては間違いなく、北朝鮮を押しています。間違いなく。これはですね、ご家族の皆さんにとっては、もちろん自分の家族を取られているですから、一分一秒でも(早く)という事がありますが、私にとっても、そうしなければいけないという思いはあるんですが、少なくとも全体から見れば、こちらが押しているのは間違いないのです。

アメリカはクリントンの政権の時は、逆行しようとしていたと。そのときに、結果的にですけれどブレーキをかけたのは日本であったと。日本だけが、ある意味で言うと、だんだん、だんだんに強行になって、そしてしかもその方針をかえていないということでございます。
ですから、このことが続いていけば、私はですね、どっかで大きな転換を持ってくることができるであろうと、確信をしております。

アメリカの私の友人に前に言われたんですけれど『とにかく日本はすごい』と。これはですね『5人取り返してきた』と。『北朝鮮に拉致を認めさせて』『アメリカでは考えられない』 と言っておりました。ちょっとまぁ意外な話ですね。我々ちょっといろんなところでお話ししますと、アメリカだったら、軍艦を送っても取り返してくるだろうという言い方するんですが、、まぁ、その友人、共和党系の人なんですが、『いや、アメリカ、そんなことしないよ』と言っておりました。『日本ができたのがすごい』と言うことでございまして、これはですね、もちろん社交辞令もあるでしょうが、やはり、我々自信を持っていいんじゃないかと思います。

なんか戦前はですね(具体的にいつどこというのは知らないんですが)ソ連に漁船が拿捕されたときに、ウラジオストックかどこかに、連合艦隊の船が戦艦か何かが行ってですね、港に向けて砲身をそちらに向けたらですね、返してきたと言う話があるそうで、もちろん日本でもそういうことがあったわけであって、今でも、こういう風に取り返してきたということを考えるだけでも、やっぱりそれ(奪還)はできるのであろうと言う風に思っております。

問題は、我々がこれができるんだというふうに確信できるか、それともできないかという問題です。
お恥ずかしい話で有りますが私自身もですね、あの羽田空港を(3年前の10月15日にですね)あの5人がタラップの上から降りてくる時に下で待っていたうちの一人ですが、あのタラップを降りてきた5人を見てですね、一番最初に思ったことは、『なんだやりゃぁ、できるじゃないか』ということでございました。

自分自身、もちろんそれはできると思ってやってるんですよ。運動盛り上げて、そして政府を動かせばですね取り返せると確信をもってやっていた、私自身が、目の前に生身の階段を降りてくる5人を見たときに、最初に感じたのは『なんだ、やりゃぁ、できるじゃないか』ということでございます。実感というのは、こんなに大きなものなんだなぁと感じました。

やられてる、やられてるとばっかり、思っちゃうとですね、なかなか、イメージとして湧いてきませんが、『絶対できる』と確信を持てば、それはおそらくすごい力になると思います。
北朝鮮と日本と比べてですね、これはもう、人口で六分の一、面積は三分の一、そして、国力、経済力は、そういうものは全く話にならない。国際的信用から何からですね、日本と北朝鮮と比べる方が、無理があるわけでございます。

まぁ確かに向こうは軍人が100万人以上いると。人口の20人に一人が軍人という国ですが、そのおかげで、飯食えないで、軍隊の中でも、なんか豚小屋つくったりとかですね、鶏小屋作ったりして、何とか飯くっているという状態のところなんですから、どこから言ったって日本が、そこにですね、負けるわけがないわけでありまして。
我々の力で、絶対できるんだと、このアジアの中でですね、そういうことのできる国は、我が国しかないんだと。そういうことを考えることによって、事態は間違いなく前に進むと思います。

こないだ、12月22日の東京の集会にはですね、レバノンの拉致被害者のお母さん(ハイダールさん)、それからタイの拉致被害者のアノーチャさんのお兄さん、そして韓国の拉致被害者の家族会のみなさんが見えられました。
あれはどういう事を意味しているかと言いますと、別にそういう風に決めてるのではありませんが、日本の力でああいう人たちをみんな、取り戻してあげると言うことです。

我々、外国人だから、それは外国がやってくれということは、これは言えないわけでございまして、この地域にあって、最大の影響力持っている我が国がそれをやらなければ、タイが助けるなんて事は、まずできません。
レバノンだって、あの時の4人取り返したのだって、非常に特殊な条件の中の話であって、本当の意味で、(自国=レバノンの)力で取り戻したわけではない。それができるのは我々しかありません。
それをやる使命も我々には持たされているということであろうというふうに思います。

私ども特定失踪者調査会では、去年の10月の末から『しおかぜ』と言う名前で短波のラジオ放送を始めました。
まちがいなく北朝鮮の中に伝わっているということは間違いございませんので、これから先、今年はですね、この『しおかぜ』のプロジェクトを、単に短波放送発信するだけではなくて、むこうから消息を実際取ってくるという作業をですね、やると言うことにいたしております。これを聞いた人がですね、なんだかの形で、たとえば手紙とか、そういうものを送ってくれるとか、何処かに向けて、なんかしらの、シグナルを送ってくれるとか、それを受け取ることができるようにしておこうと、これからやっていくつもりでございまして、とりあえず東京中央郵便局に私書箱をおきました。

調査会のあります文京区後楽・・・と言いましてもわかりやしませんけれども、東京中央郵便局の私書箱何号といえば、これはもう覚えられやすいと言うことで。
放送も韓国語・英語できれば中国語も含めて、少しでも多くの人が聞いてもらえるように、していこうと言う風に考えています。
ともかくやれる手はみんなやる。

我々のやっていることに対して、『これは本当は政府のやることなのに』と言ってくださる方も、たくさんございます。これもありがたいのですが、私は、少なくとも政府だけがやることではないと思います。やはり日本国民全部の責任としてですね、ここで今平和なところで暮らしている人間の責任として、それはやらなければならない。だから私は今その役割にいるんだからやるべき事、それをやるということでございます。
今、この問題を通して、我々やらなければいけない、考えておかなければならない事は、(この国は)今ここに集まっている皆さんをはじめとして、今この国の中に住んでいる人たちだけのものではないと言うことでございます。

この国が今ここにあるためにはですね、もう何千年も日本という国の名前もなかった頃から。我々の先輩たちが営々としてこの国を築いてくれた訳でございまして、そしてこれから先、このくににですね、次の生命がどんどん生まれて、我々の後を継いでいくわけであります。

我々がやるべきことはその中継ぎです。
全体の、そういうみんな含めた日本国民という意味では、我々の数、1億二千万というのはほんの僅かにすぎません。我々がやるべき事というのは、これまで先人が作って来てくれたことを汚さないこと。そしてこの次の世代にですね、あの頃の世代がいい加減だったから、こんなふうになってしまったということを絶対に言わせないように、次の世代にちゃんとした国を引き継いでいくことであろうと。

そのためには、やっぱりそれ相応のですね、我々自身が犠牲を払う必要があるのではないだろうかということでございます。
我々にはそれだけのことをする力がございます。

今、最初に言いましたようないろんな動きの中で動いておりますけれど、しかしこの国の今の状況をみますと、本当に確信を持ってですね、何が何でも(国交正常化を)やってやろうというところまでの確信では、私はないと思っています。いろんな思惑がごちゃごちゃ集まってるうちにこういう風になっているんだと思いますが、そうであれば、こういう状況の時に打開するのは、最終的着地点はどういうふうにするのかと。何を最後やらなければならないのかというような事でございまして。それをしっかりと見据えてやっていけばそんな大きな間違いはないであろうと思います。

拉致問題に関する限り、最終的な到達点というのは、『すべての拉致被害者を救出する』というこれ以外の何物でもないということでございまして。これはもう当然、そこから派生してですね、北朝鮮に住んでいる2000万の人たち、すべてが平和に暮らせるようになっていくということに間違いなく繋がることでございますので、そこに向かっていくと言うことであろうと思います。

本当に、この正月ですね、お休みの時、おいでいただいた皆様に感謝いたしますと共に、後もう少しで私は、それが実現すると思いますので、ご協力をお願いいたしまして私の話を終わらせていただきます。

ありがとうございました。(拍手)

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このエントリーのテキストは、金木犀様と原良一氏の手による物を元に、管理人ぴろんが再構成したものです。
posted by ぴろん at 17:46| Comment(0) | TrackBack(1) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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