2006年01月17日

第13回藤沢集会(15)06.1.7 藤沢産業センターにて

『川添友幸 救う会神奈川会長 閉会の辞』

今日は本当に長時間、ありがとうございました。
私たちもこれから2月のよど号の帰国という事に向けて、19日に警察の方に要請に行こうかと言う話も出ております。
ともかく実行犯が帰ってくると言う事をこれは絶対に許しちゃいけないですし。
今二つの実行犯と言うこと。
辛光洙の問題とこのよど号の帰国と二つ、動き始めてます。
ぜひですね。
皆様の今後の監視の方をよろしくお願いします。

次回の講演会のお話なんですが、次回会場がちょっと変わりまして、日時が4月16日。
会場が横浜の開港記念館です。
こちら、なぜか開港記念館にするかと申しますと、昨年の4月横田さんをこちらにお呼びしたときにですね。
会場が一杯になってしまって、急遽向こうを借りたりしてやった事もありました。
それでやはりもっとちゃんとした会場を取った方が良いんじゃないかという事になりまして。
講演会自体を「横田めぐみさん等の拉致被害者を救出するぞ!北朝鮮による拉致・人権問題を考える神奈川県民集会」と、ちょっと県の単位でですね。
今神奈川県や横浜市の応援をお願いしながらですね。
ちょっと大きい集会を企画しています。

ですので、4月16日は横浜の開港記念館の方で。
横田滋さんの方が今ちょっと体調不良で療養中と言う事もありまして、どうかな?と思ってるんですが。
先日早紀江さんとお話した感じでは、近くですので参加すると言うような感じで言っておられました。
また今後情勢が動くかもしれませんが、そういう状況を考えています。

あと特定失踪者調査会からは杉野さん。
今お話いただいた野口さんの北朝鮮難民基金の事務局長であります、加藤博さん。
以前私たちの会でお呼びしました韓国の拉致家族会の崔祐英さん。
あと、特定失踪者家族の森本美砂さんをお呼びしようと思っています。
弁護士会の木村晋介さん、テレビ等に出られている。
も、ご快諾を頂きましたので、この問題大きい集会をやろうと思っています。

で、こちらの会場についてはまた7月に企画を、先の話なんですが考えてまして脱北者の方をお呼びして。
去年脱北者の方をお呼びしたような、また脱北者の方をお呼びしたいなと考えております。
何とかそれまでにですね。
何らかの形で解決なり何なりの方向とかになって頂ければ良いと思うんですが、非常に難しい情勢かもしれませんが、皆様の協力だけが頼りだと思いますので、ご協力の方よろしくお願いいたします。

あと本当に情けない話なんですが、私どもいつも会場の方ですね。
これカンパでやっておりますので、また皆様のご好意がありましたなら、その辺の事もよろしくお願いします。
本日は本当に長い時間、ありがとうございました。
また映画会もありますので、この後ご協力の方、よろしくお願いします。(拍手)

・・・集会終了後、「ソウル・トレイン」の上映会があって、全ての予定が終了・・・

★救う会神奈川
http://www.geocities.jp/sukuukai/


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第13回藤沢集会(14)06.1.7 藤沢産業センターにて

『野口孝行さんのお話(北朝鮮難民救援基金)』

※脱北者の問題を扱ったドキュメント・フィルム「ソウル・トレイン」の上映会の説明

みなさんこんにちは。
北朝鮮難民救援基金の野口と申します。
前回もお時間を頂きましてトライをしたんですけども、不備がございまして最後まで上映する事ができませんでした。
今回もですね、機会を頂いたのでまた上映をしたいと思います。

簡単にですね、この映画の説明をしたいんですが、アメリカ人のジム・バトワーズ(Jim Butterworth)さんと言う方が、ある集会でたまたま北朝鮮の脱北者の問題に触れまして。
それまで自分は映画とか作った事がなかったんですが、この問題にすごく心を動かされて自分でも映画を作ってみようと、自分の私財を投げ打って作った映画がこの映画です。

去年の夏の事なんですが、北米でテレビの地上波でこれ放送されたそうで。
で結局その影響だと思うんですが、私たちの難民救援基金の方にですね。
Eメール、もしくはHPの方にですね。
「この映画を観た」というアメリカからの便りが来たり、寄付金を送って来てくれたりと言う人たちが出てきています。

やはりですね。
この北朝鮮の問題で必ず、脱北者の問題をネットなんかで調べると必ず拉致問題とかですね。
今必ず行き当たると思うんですね。
逆に拉致問題に興味を持つ人たちもですね。
やはりその先には北朝鮮の人権の問題に行き着くという、こういう相関関係があると思うので、ぜひですね。
お時間遅くなりましたが、時間の許す方がいらっしゃったらですね。
1時間弱の映画になっています。
どうか御覧になっていただきたいと思います。
よろしくお願いします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★北朝鮮難民救援基金
http://www.asahi-net.or.jp/~fe6h-ktu/
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第13回藤沢集会(13)06.1.7 藤沢産業センターにて

『大沢茂樹さんのお話(特定失踪者・大沢孝司さんの兄)』

皆さんこんにちは。
ただ今紹介をあずかりました特定失踪者・大沢孝司の兄、大沢茂樹と申します。
本日は第13回藤沢集会に参加させていただきましてありがとうございます。

大沢孝司さん(佐渡の曽我さん母子失踪地のすぐ傍で失踪)
失踪年月日 昭和49(1974)年2月24日
生年月日 昭和21(1946)年6月21日
当時年齢 27歳
当時身分 新潟県佐渡農地事務所勤務
失踪現場 新潟県佐渡郡新穂村

自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。当時事務所には50〜60人が勤務、うち15〜20人程度が本土から単身赴任で来ていた。失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我さんと違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。元同僚の話では「失踪の2〜3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。北朝鮮製と思われるマッチが漁の前あたりに落ちていたという。平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html

正直言って私、今日は有本ご夫妻のお話、それと斎藤さんの話、それと荒木先生、高先生のお話を聞くために本日参ったのですが、ここに来たら神奈川の会長から「特定失踪者家族を代表して一言話を」と言われて、非常に困っております。
正直何も考えてきませんでした。
ということで恥をかかない前に簡単にですね。
お話をさせていただきます。
また私の話の前に、本日特定失踪者のご家族が私を含め三家族が来ておりますので、ご紹介させていただきます。

昭和51年の7月30日、神津島で行方不明になられた高野清文さんの妹さんが来ておられます。
高野さん。(高野美幸さん、会場で立ち上がり会釈 会場から拍手)

高野清文さん 
失踪年月日 昭和51(1976)年7月30日
生年月日 昭和31(1956)年10月31日
当時年齢 19歳
当時身分 電気通信大学2年生
失踪現場 東京都神津島村の民宿から
失踪状況
大学寮の仲間と神津島へ行き行方不明に。前日に山へ行くと言っていたため、神津島村の天上山を捜索するが発見できず。同月12日に隣の新島でも若い女性が行方不明になっている。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html

昭和47年の11月1日、東京渋谷区で拉致された生島孝子さんのお姉さんの生島馨子さんがお見えになっておられます。(拍手)
生島さん、大変すみません、時間の都合で帰られたそうです。

生島孝子さん(脱北者による目撃証言あり)
失踪年月日 昭和47(1972)年11月1日
生年月日 昭和16(1941)年6月14日
当時年齢 31歳
当時身分 港区役所麻布支所交換手
失踪現場 東京都渋谷区

当日、一日の年休届けを出し勤め先を休む。朝、同居していた妹に「夕方に電話があったら出かける」と言っていた。衣類の入れ替えをし、夕方クリーニング店に衣類を出している。孝子さんは翌日出勤時に着る服を揃えておいて出かけていた。その夜何の連絡もなく帰宅せず。翌2日夜、自宅に電話があり、しばらく無言の後、「今更仕方ないだろ」と男性の声とともに切れた。平成16年9月29日、警視庁に告発状提出。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html

そしてもう一家族、横浜市戸塚区で拉致された寺島佐津子(てらしま さつこ)さんのお母さんとお父さんが本日参加する予定でございましたが、寺島佐津子さんのお父さんが今朝急に倒れられ、救急車で病院の方に搬送され緊急入院のため、本日お越しになっていません。

寺島佐津子さん(鎌倉の海岸で失踪)
失踪年月日 昭和54(1979)年8月10日
生年月日 昭和35(1960)年7月26日
当時年齢 19歳
当時身分 銀行員
失踪現場 神奈川県横浜市戸塚区

失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html

私の弟は昭和49年2月24日に新潟県佐渡島で、曽我さんたちが拉致された真野町の拉致現場から7〜8キロしか離れていない、トキの保護センターのある新穂村というところで北朝鮮に拉致されました。
事件当時弟は27歳の独り者で、新潟県庁の出先機関であります、佐渡の農地事務所に勤務する新潟県庁の職員でございました。
今から32年前の事件でございます。
曽我さんたちの約2年半前の事件でございます。

私たちの家族、家族会のご家族も含め年々高齢化して来ております。
ですからもう時間がございません。
一刻も早くこの拉致問題を解決していただかなければならないと思います。
先ほど帰られましたが、生島さんのお母さんは孝子さんの目撃証言も出ており、近々再会出来るものと楽しみにしておりましたが、昨年99歳で残念ながら亡くなっております。

私どもの親も例外ではなく、父親は今現在96歳です。
母親は弟が失踪したショックで体調を崩し、昭和63年に他界しておりませんが、私は父親が元気なうちに弟と一刻も早く再会を果たしてやりたく、このようにしてお話をする機会があれば、微力ではございますが加勢させて頂きます。

私は何が何でも今年中には、小泉さんからこの拉致問題を全面解決していただきたく、今年の1月私の故郷であります新潟県の越後一ノ宮と言う弥彦神社で、今新潟の方は大雪で大変でございますが、2日3日と街頭署名をやり、拉致問題を訴えて多くの方々からたくさんの署名をいただき、また激励やら励ましの言葉をいただき感激して帰ってまいりました。
どうか、私は何が何でも今年中には解決していただきたく、それには更なる皆さま方のご支援とご協力がなければならないと思っています。

どうか今後ともよろしくお願い致します。
ありがとうございました。(拍手)
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第13回藤沢集会(12)06.1.7 藤沢産業センターにて

『パネルディスカッション「よど号と拉致」 その4』

★川添友幸会長


それでは最後皆様に一人ずつ、会場の皆さんに一言って言うのを丁度やろうと思ってますので。
今こちらの順から、斉藤さんからまず一言何か、会場の皆さんにですね。
これだけは申し上げたいと言う事があれば、よろしくお願いします。

★斉藤文代さん

今日本当に皆さんの前でお話出来て、ありがたく思っております。
私たち家族、帰って来れない特定失踪者の方、皆日本の方は北朝鮮で苦しんでいるわけですから、私たちも一生懸命頑張りますので、どうぞ見守って、努力して私たちもいきますので、助けて頂きたいという気持ちだけ。
本当に国民の方しか私たちはもう今力を借りる事が、本当に無いわけです。
家で毎日毎日どうしたらいいんだろう?どうしたらいいんだろう?と、いろんな事を考えます。
でも皆さんの力で支えていただいて、こうやって私たちは頑張れるんです。
もう少し頑張れば帰ってくるんじゃないかと言う気持ちで、どうぞ皆さん助けてください。
よろしくお願いします。(拍手)

★有本嘉代子さん

今日はありがとうございました。
私、丁度昨日で80歳になったんです。(「ほぅ〜」と言う声)
だから本当に先が、いつまでこれが出来るかな?と言う不安は付いてますけども、気持ちだけはしっかり持ってますので最後まで闘いますので、どうぞ皆さんも一緒に闘ってください。
お願いします。(拍手)

★有本明弘さん

今、家内がよど号の連中の友達とNHKで話したと言う話の時に、その男から大変興味のある話を聞きました。
それは何かと言いますと、1990年に自社訪朝団が行ったんです。
そのとき行ったのが、田辺(誠=社会党)さん金丸(信=自民党)さんが海部(俊樹)さんの親書を持って行ったんです。
それでその後、私の問題が表に出て来たんです。
だからその前にも私は子供たちの手紙を持って、先遣団で行った議員先生の元に行って話をしておったんですね。
それであの人たちはこの問題を無視して訪朝して帰ってきたんです。

そこまでは良いんですが、その後金丸さんの息子さんの信吾さん言うんですかな?
その方が北朝鮮へ行って向こうでなんかいろいろ話をしよったと、いうふうな新聞報道があったんです。
とすると、私としたら親の外交が拙い外交をやってしまったから、それの後始末の為に親は二度も行けないから息子が行ったんかな?と、当時はそういうような解釈をしておったんです。
私なりに。

そのときの話が、あの金丸さんの息子は川砂利の利権の為に向こうへ行って話をしておったんやと、そういうような証言が出ておるんです。
これが日本の国の政治家の姿なんです。
非常に興味深い話をそのとき、当時の疑問が解けたんです。
もう何年も経ってから。

それと先にお話した中でひとつ抜けとったのがあるんです。
それは小泉さんが訪朝して5人の子供を連れて帰って来た。
向こうへ行って座るなり、「平壌宣言を履行する限りは日本は制裁をしないんだ」と言うて小泉さんは帰って来た。
これはテレビ見ている人はみな知ってるんです。
これが大きな問題なんです。
誰もこれに関して異議を唱えてないけどね。

だからこのために我々が一回目の訪朝後、運動を切り替えて制裁をせよというふうに運動を切り替えたんですね。
そのために安倍さんはじめ関係者が法案を成立させていったんです。
その苦労が全部水の泡になったんです。
これを皆さん知っててください。
だから小泉さんがおる間は制裁出来ないんです。
お分かりになります?
以上です。

★高英起さん(RENK東京・映像ジャーナリスト)

最後に一言と言うことなんですけども、年末からの警察等の発表がキナ臭いんですけど。
日朝国交正常化に向けて動いているという事なんですけども。
やっぱり私たちRENKとしては日朝国交正常化に対しては断固として反対するという姿勢であります。

ちょっとお話聞いていただきたいんですけども、日朝国交正常化の問題点と言う物を、もちろん拉致問題の幕引きと言う事の問題点等もありますが、これはそれだけではなくてですね。
日本の治安、もしくは在日コリアンの人権についてもこれは非常に大きな問題なんですね。
いわゆる朝鮮総連ですよね。
に所属している在日コリアンと言う方は朝鮮籍と言う国籍なんですけども、実はこれ国籍ではありません。
国籍ではなくてあくまでも記号上の物として捉えて法律は存在しまして、この管轄は法務省でやっております。
つまり朝鮮籍の方っていうのは北朝鮮籍ではないんですよ、現実には。

ところがですね。
もしも日本と北朝鮮が国交正常化しちゃうと、この朝鮮籍と言うのが自動的に北朝鮮籍の正式な国籍になっちゃうと言うことなんですね。
実はこの問題がどれだけ大きな問題か?と言う事を在日コリアン自体が全く気付いていないんですよ。
朝鮮総連の方々は北朝鮮と国交を結ぶ事によって我々の権利が向上するって、いうふうに能天気な事を言ってるんですけども、あの国に自分達の戸籍や正確な情報というものを把握される事がどれだけ怖い事か?っていう事なんですよね。

朝鮮籍だけの方の事ではないんですよ。
朝鮮籍、韓国籍と言うのは結構混在してましてですね。
私のいとこでまだ朝鮮籍の方いますし、また韓国籍の方もたくさんいてます。
韓国籍の方まで北朝鮮の手が及ぶと言う事です。

実は朝鮮総連と言うのは皆さんが思っているほど一枚岩ではなくて、殆どの方は祖国に対する忠誠心だとか思想的に共鳴していると言う事は殆ど無いんですけども、北朝鮮の人間が直接日本に来て朝鮮籍の人間・韓国籍の人間を工作する事によって、仕方なしに北朝鮮の工作に加担させられてしまうと言う事も起こり得ると思います。
同じ事は日本人の方にも起こる事だと思いますので、やっぱり何としてでもこれは阻止しなければならない問題だし、もっとこの問題の大きさと言う物はこれからも訴えていきたいと思っております。
以上です。(拍手)

★荒木和博 特定失踪者調査会代表

高さんとはですね。
前から早いところ問題片付けて平壌で乾杯しようと、(笑い声)言う話をいつも、冷麺食いながらビールでも飲もうと言う話をしているんですが。
もう少しだと思っています。

高さんのRENKの中の紹介に、北朝鮮の方から追っかけられているという事で、実名までしっかり載っかってですね。
李英和さんと高さんと載っかっておりますが、実名を上げて北朝鮮に言われると言うのはですね。
本当に名誉な事でございまして、(笑い声)私だってですね。
まだ今のところ、反共和国謀略団体である特定失踪者問題調査会の代表と、言う所までしか言って頂けなくてまだ実名を出して貰っておりませんので、(笑い声)やっぱり高さんの方が一枚上手であったと。(笑い声)
これでもって、やがて平壌に入ったら英雄になれるだろうと(笑い声)言うふうに思っておりますので、その英雄と早い所本当に乾杯をしたいというふうに思っています。

あの、さっき高さんが言ったように、解決の方法は結局あの政権を変えてしまうということしか、全ての問題の解決にはなりません。
そこへですね、ああでもないこうでもない、骨がどうしたとかですね。
貰って来てホントかなぁ?どっちかなぁ?なんて言ってる暇があったらですね。
潰してしまう事をやっちゃった方がはるかにコストがかからないし、(笑い声)そうしないとですね。
そんな事を言ってるうちに、また今年の冬だって凍えて死んでいく人が出るわけですし、のんびりしたことは言っていられないというふうに思います。

私も度々あちこちの集会で今年一杯で解決すると言う事を宣言申し上げておりますので、これは絶対に実現をしたいというふうに思っています。
その力がこの国には十分にございます。

ちょっと話がすっ飛ぶんでですね。
突拍子もなく聞こえるかもしれませんが、ミッドウェイが、「男たちの大和」って言う映画がヒットしていますが、ミッドウェイの戦いって言うのはですね。
物量に勝る日本海軍に、敢闘精神に勝るアメリカ海軍が勝ったと言う話。
アメリカの方がはるかに弱かったわけですね。
しかしなんでアメリカ勝ったかと言いますと、絶対戦って勝ってやると言う意識がですね。
日本よりアメリカの方がはるかに強かった。
アメリカの方が大和魂があって、(笑い声)日本は油断していた。
だから負けてしまった、言う事でございまして、つまり物量が多少少なくったってですね。
絶対に解決すると言う意思があれば解決します。

いわんや日本はこれだけですね、総合力を持っているわけですから出来ないはずがない。
来年には全て片付いていると。
片付いたら片付いたらで、またいろんな大変な事が出て来ます。
出てきますけども、その問題は私たちの世代でですね、全部片付けると。
我々の世代が背負ってですね。
次の世代に渡さないと、言う事の覚悟で何とかしたいと思いますんで、今年1年宜しくお願いします。
どうもありがとうございます。(拍手)

★川添友幸会長

皆さんのお話が聞けて、今回こういう企画を初めてやってみたんですが、なかなか良かったと思っております。
パネルディスカッションを終了しまして、次に司会を元に戻しますんで、あと少しですのでよろしくお願いします。
posted by ぴろん at 12:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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