2006年01月18日

昨夏の座り込みを検証してみる

近頃ネット上では拉致問題に関してやれ“強硬派”だの“穏健派”だのという議論が賑やかです。
そのことについて私なりに思うことはありますが、その前にひとつ検証しておかなければならない事案があろうかと思います。
それは昨夏の座り込みです。
気がつけば、あれから半年。
いわゆる“強硬派”も“穏健派”も、その後誰もこの件についての検証をしていないじゃありませんか?
いい機会ですので、私なりに思う事をここで書かせていただこうと思います。
最近の支援者同士の不毛な内輪もめの原因も、おそらく起点はここにあるのだろうと思いますしね。

昨年夏の官邸前の座り込みの際、私は積極的に賛成できないと当Blogで懸念を示しました。
その理由はいくつかありますが、まず一つ目は座り込みなどしても小泉が動かない事は事前に予測出来ていた事。
お疲れのご家族に体力的負担を強いるのはリスクが大き過ぎると思ったこと。
何より世間の理解や支持が本当に得られるのか?疑問があったこと。

しかし座り込みは家族会・救う会の強い意向により3日間実施される事になりました。
あれから半年、座り込みをしたことで私たちの支援活動は本当に何がしかの利を得られたのでしょうか?

結論として、あの座り込みはやはり徒労に終わったのではないのか?と言うのが私の率直な意見です。
座り込み賛成者も反対者も、これをする事で小泉総理は制裁発動を発動しない、と言う一点で意見は一致しておりました。
見込める効果は、世論の喚起。
しかし今振り返ってみて、あの暑い最中3日も座り込みをしたことに見合うだけの世論喚起効果は得られたと言えるのでしょうか?

座り込みを決行した事で確かに私たち支援者の間では、「危機感の共有」「家族の意思を再確認する」などの一定の意義はあったかと思います。
でもそれは何も座り込みにまで打って出なくても、支援者を自認する者であれば、誰でも承知の基本的知識だったはず。
問題は支援の輪の外にいる一般大衆にこちら側の思いがキチンと届いているのかどうか?と言う点だと思うのです。

もしも仮に座り込みが一定の世論の理解を得る事に貢献しているのだとしたら、なぜ郵政解散選挙で拉致問題はあっさりと蚊帳の外に追いやられてしまったのか?
いくら小泉さんの策が上手かったとはいえ、いくら世耕氏という有能な作戦参謀があちらにいたとはいえですね。
「郵政より拉致問題の方が重要」とか「制裁発動で被害者救出を」と言ったこちらの主張が本当に世論に浸透していたら、あんなにあっさりと郵政の前に拉致問題が飛ばされる事などなかったはずです。

つまり大変な労力をかけて座り込みまでしたのに、私たちが期待するほどこちらの主張は世論の方へ届いてはいなかった、と言うのがあの3日間の座り込みの答えなのだと思うのです。
この非情な現実は、結局の所、支援者の苛立ちを募らせただけではなかったのか?
実際、郵政選挙後は、支援者同士のつまらぬ内輪もめが増えたように感じるのは私だけでしょうか?

小泉を支持する人たちは、郵政を最優先に一票行使しました。
むろんそれ以外の争点も考慮に入れて選挙に臨んだ人もいたでしょうが、それにしても投票先を決める際の選択肢に「拉致」を意識してくれた人は、限りなく少数派であったことは否めません。
そして選挙の結果は小泉自民の圧勝、支持率の大幅アップ。
それが座り込みに続く、郵政解散選挙を通して見えた世論の実態なのだと思います。

さて、この非情な現実を前に、私たちはどうやって拉致問題の重要性を世に訴えればいいのでしょうか?
この拉致問題に対して限りなく意識の薄い人たちに対して、今後どのような働きかけをすれば良いのか?
どうすれば拉致問題の深刻さを理解してもらい、被害者奪還の為に共に行動してくれる仲間を増やす事ができるのか?
拉致被害者を救いたいと思うなら、私たち支援者の思考の順序はまずはそこから始めるべき
かと私は思います。
私たちの何が問題で、家族の思いが世論に浸透してくれなかったのか?
一度立ち止まって己を振り返ってみる事は、支援者としての絶対に必要な通過点だと思う。

小泉さんと言う人は確かにケンカ上手です。
世論の掴み方も長けているし、自分を上手くアピールするのも達者な人です。
そして彼の存在がこの拉致問題の進展を妨げているのも紛れもない事実。
私も本音は小泉退陣ですし、選挙後も打倒小泉に燃える人の気持ちも理解は出来るし、そういう人の存在も否定はしない。

けれども、圧倒的支持を得た小泉さんを前にですね。
ただ小泉を打倒せよ!あるいは倒閣せよ!とそればかり一直線に訴えてみても、それが果たしてすんなり国民の心に届くのか否か?
まずはそこの所を謙虚に考えねば、話は始まらないでしょう。
打倒小泉論を聞いただけで主張の趣旨が理解できる人は、選挙でも拉致問題を争点にすでに意思表示をしているはずです。
しかしそうでない人が圧倒的多数の世論に対し、ただ打倒小泉ばかりを訴えて、本当に拉致問題の理解が進むのか?と言えば、私はそこに疑問を感じざるを得ない。

だから私は選挙後、声高に小泉退陣“ばかり”を言い募るのをやめました。
と言う書き方をすると、「ほら見た事か!お前はやっぱり変節してるじゃないか!」と短絡的に妄想する人もいるかもしれませんが、そういう不毛なレッテル付け“だけ”はご勘弁願いたい・・・(笑)
小泉さんがやる気を見せてくれないのなら、私だって本心は一刻も早くお引取り頂きたいのは山々ですけど、その思いを飲み込んででも今なすべき事があると思いますのでね。
それは、小泉さんを支持する人たちの心にまずは拉致問題の深刻さを強く訴えること、なのですよ。

拉致問題に拘っていて、一番悲しい事はこの問題に無関心な人たちの存在です。
そういう人たちに向けて、まずは可哀想といった同情論でもいいから関心を持ってもらう事が第一の関門。
次に彼らに拉致問題の深刻さを理解してもらう事が第二の関門。
拉致は人権侵害問題であり国家主権侵害問題であるという理屈を一人でも多くの国民に、深く強く理解をしてもらうことが第三の関門。
その上で、小泉さんの行ってきたこれまでの救出策がいかに不作為であるか、を理解してもらう。
小泉退陣を本気で世に訴えるつもりならば、そこまでの手順を踏まねばですね。
圧倒的多数の小泉支持層の人たちの支持を取り付けられるはずもないと思うのですけれど?

郵政選挙であっさり拉致が飛ばされたのは、拉致問題についての深い理解がこちらが思うほどには浸透していないと言う現実の表れでもあるかと思います。
やれ人権だ、国家主権だと叫んでも、何それ?と言うレベルの一般国民は少なくない。
むろん何それ?を言う人の中にもいろいろあって、本当に何それ?レベルの人や、政治臭のする言葉に嫌悪感を感じて何それ?と煙幕を張って知らぬ振りを決め込む人など、様々いるのだとは思いますが。
いずれにせよ、打てど響かぬ世論に対し、こちらの側が苛立って彼らを愚民呼ばわりしても何も始まらない。
説明の手順をすっ飛ばして小泉退陣ばかりを叫んでも、空しく空回りするだけ
じゃないんでしょうか?
被害者を本当に救い出したいと願うならば、座り込みから郵政選挙にいたるあの辛い経験から学んでですね。
拉致問題をより効果的に世論に訴える方法、大衆の心に響く支援のあり方を真剣に探るべきかと思う。

例えて言うならば、打倒小泉を叫ぶ支援者が運動の縦糸なら、私は末端の支持者を増やす横糸でありたいと思う。
しっかりした縦糸と横糸が上手く絡んでこそ、北朝鮮の仕掛けるどんなアコギな情報戦にも破けない丈夫な「支援の輪と言う名前の布地」が織り上がります。
けれども縦糸役の一部の支援者の中には、どう説明しても横糸の重要性を理解してくれない人がいる。
う〜〜む・・・
いわゆる“強硬派”ばかりが雁首を揃えて強硬論をいくら叫んでみても、それだけではこの運動は盛り上がらないのは先の選挙がいみじくも証明したと言えると思うのですが?
支援者と言う狭いカテゴリーの中にいる私たちさえ一致団結できないようで、果たして広い世論をひとまとめにして被害者救出のために心をひとつになんて出来るのでしょうか?

心をひとつにするべきは、救出の為の「手段」なのでしょうか?
私にはそうは思えません。
ひとつにするべきは、全ての被害者を救うと言う「目的」ではないのでしょうか?
目的さえ一致すれば、後はどんな手段を講じるのが被害者救出という私たちの宿願に結びつくのか、最良の策を求めて、それこそ支援者同志喧々諤々の議論を交わせばよい。
被害者救出の為に制裁の発動や小泉の退陣がどうしても必要だと思うなら、この意見に懸念や疑問を持つ人に対し、懇切丁寧に説明をするべきです。
それをせずして、ただいたずらに苛立ちばかりをぶつけても、支援の輪の広がりにはつながらないと私は思う。

その意味で私は昨夏の座り込みに、世論喚起の効果は殆どなかったのではないか?と思っています。
主のいない官邸に向かって、こちらの主張を何度も叫ぶくらい空しい事はない。
あれだけ苦労した割りにマスコミの露出度も本当にわずかなものでした。
結局の所あの3日間の座り込みをした事で、家族の思いが世論に広く届いたとはお世辞にもいえないと思う。
本当に世論の理解を求めるなら、座り込みなどと言う強攻策に打って出るよりも、地道に家族の率直な声を届ける策を講じた方がよりベターではなかったのか?

事実、短波放送「しおかぜ」ではいわゆるラジオマニアの人から、ベリカード欲しさに調査会にコンタクトを取ってくる人が少なくないと言います。
おそらくこの手の人たちは、私たち支援者と比べてそれほど拉致問題への関心度は深くはないものと推測します。
しかし短波放送と言う手段を使った事で、拉致問題とは無縁の世界の人たちにも、この問題の深刻さや家族の悲痛な叫びは通じたわけです。
違う視点で見れば、この「しおかぜ」と言う策は、いらぬ反発を受ける事無く世論の理解や支持が広がる良いきっかけになったとも言えるのだと思う。
何よりご家族の負担も少なくて済みますし、世論の反発や誤解をなるべく少なくして最大限の波及効果を狙う策を講じると言う意味において、運動の是非を考える良いモデルケースであるとも言えるのではないでしょうか?

それにしても不思議に思うのは、昨夏の座り込みから半年。
どうしていまだ誰もあの「強攻策」の意義を検証しようとしないのか?と言う点です。
検証をしなければ、人はまた同じ過ちを繰り返す。
失敗から学ばねば、より良い救出策・支援策を探る事も出来なくなります。
座り込みから郵政総選挙と駆け抜けた去年の経験から、どうして誰も何も学ぼうとしないのでしょうか?
苛立ちを募らせているばかりで、なぜ救出運動の原点をもう一度振り返ろうとしないんでしょうか?

被害者救出のため、小泉退陣に拘る支援者がいても良いと私は個人的に思っています。
でもそこに拘るあまり、世論に訴える方法や救出策の手順の違いをあげつらって、支援者の輪に波風を立てるのだけはご遠慮願いたいと思う。
何かといえばいちいちつまらぬ揉め事、内輪もめの連続。
それを見てほくそ笑むのは、金正日とこの救出活動を隙あらば潰したいと考える親北朝鮮派の連中だということを、忘れてはいけないと思う。
そんな内輪もめを何度繰り返しても、結局の所被害者救出には一歩も近付いてはいないのだ、という現実もどうぞお忘れなきように。

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参考リンク

★Silly Talk様

「拉致問題へのスタンス」
http://silly-talk.cocolog-nifty.com/silly_talk/2006/01/post_75af.html
「拉致問題へのスタンス2」
http://silly-talk.cocolog-nifty.com/silly_talk/2006/01/post_daea.html

★著::善ポコのタコ部屋様

「「拉致問題に関する戦略的言論の必要性」へのご意見に対するお返事」
http://www.zencha.com/weblog/20060115040730.html

★Dogma_and_prejudice 様

「1月15日の善ポコさんのご意見について」
http://blog.goo.ne.jp/sinji_ss/d/20060115
「1月15日の善ポコさんのご意見について(その2)」
http://blog.goo.ne.jp/sinji_ss/d/20060116


posted by ぴろん at 14:42| Comment(2) | TrackBack(2) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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