2006年01月25日

「私が小泉退陣に拘るのをやめたわけ」への長〜いレス

昨日アップしたエントリーに長いコメントを頂戴しました。
それに対してレスを書いていたら、長い文章になってしまいましたので、新エントリーとしてアップします。

さて。
ここ数日支援活動のあれこれについて当Blogで立て続けにエントリーを上げるのは、ネット上であれリアルであれ、このところの支援者同士の不協和音がどうにも目に余ると感じての事なのです。

拉致問題を解決する為にはどうしても政府が動いてくれなければなりません。
しかしその政府の動きがどうにも生温い。
勢い苛立ちは募り、家族も支援者も政府を突き上げる声は大きくなりがちです。
支援の輪の中にいる者同志であれば、皆政府の無策ぶりを良く心得ていますので、家族や一部の支援者の怒りが加熱気味になるのも理解は出来る。

しかし、支援の輪の外にいる人に、こちらの苛立ちの理由が理解されているか?と問えば、答えはNO。
支援者とそれ以外の一般世論の間には、拉致問題に対する認識に天と地ほどの温度差がある。
これが偽りの無い現実であろうと思います。
拉致問題の認識の薄い一般大衆から見れば、この救出運動が時に政治運動に見えたり救う会が圧力団体に見えたりするのも、この認識の温度差に原因があろうかと思います。

何度も言うように、一般大衆の拉致問題に寄せる関心度には濃淡があります。
彼らの関心をこちらに引き寄せ更に理解を深めてもらうには、相手の理解度・関心度に合わせて入門編・初級編・中級編・上級編と説明の手順もレベルも変えなければならぬと思う。
しかし・・・
先陣切って突っ走る一部の“強硬派”は、この期に及んでまだ入門編だ初級編だというレベルの大衆がいる事が、どうにも許せないらしいのですね。
彼らの拉致問題に寄せる知識は豊富です。
よく勉強もしています。
ですが、打てど響かぬ世論に苛立って、高所大所から大衆を罵倒しても始まらない事を、彼らに何度説明しても理解してはもらえないのです。

救出運動の原点は何か?
それは被害者を救う事。
引き裂かれた家族の痛みを知ること。
それを理解出来さえすれば、多くの国民の心をひとつにまとめる事は出来るはずなのです。
けれどこちらの側の苛立ちが高じるあまり、この救出運動は外に無用の敵を作り続けてしまったと感じます。
そしてその傷口は治るどころか、日々傷の裂け目を大きくしてばかりいるようにも思う。

こちらが苛立てば苛立つほどに、世論はギャップを感じて腰が引けていくのです。
それだけではありません。
“強硬派”の苛立ちは時に、身内の支援者にも向かう。
一部の支援者が加熱し暴走すればするほど、今度は支援の輪の中から脱落する人が出る。
内輪もめするたびに、傷ついて疲れて怯んでしまう支援者が続出するのですね。

支援者と一口に言ってもその内実は、一般大衆同様種々様々です。
多くの支援者たちが自分の時間や体力やお金を削ってまで活動するのは、一刻も早く被害者を助け出し家族の幸せを取り戻して差し上げたいからに他なりません。
しかし、支援の輪の中で首までどっぷりと浸かったまま、何とか一刻も被害者救出をと策を弄する余り、だんだん世論とのギャップが見えなくなる人も出てくる。
目の前立ちはだかる小泉総理と言う障害ばかりに目が行って、他の事が見えなくなる“強硬派”が出現するのです。

こちらが支援や理解を「声高に」訴えるだけでは、なかなか世論はついては来ない。
ここを何とかしなければ、今ある支援の輪もどんどん萎むばかりなのです。
現に昨年暮れの日比谷での国民大集会は、いくら時期が時期とは言え余りにも寂しすぎる現状でありました。
支援の輪の中にいる私たちは、この非情な現実をどこまでありのままに受け止め、理解していると言えるのでしょうか?
もし、支援者と世論との間にある拉致問題の認識のずれを自覚しているならば、尚の事つまらぬ内輪もめで支援者同士のケチの付け合いなどしている場合ではない事くらい、お分かりのはずなのですが。

私はこの支援者と大衆の温度差が取り返しのつかない失態につながりはしないか?と危惧します。
ぬるい世論が災いして、拉致問題棚上げの国交正常化につながったり、日本無視の米中の手打ちにより北朝鮮への支援だけを要求されたりすることが、なし崩しにずるずると行われはしないか?と気がかりなのです。
そういう危機感があればこそ、ここで何とかして訴え方を一工夫して、もう一度世論の理解を取り付けたいと考えるのです。
何かと言えばすぐに支援の輪を乱すいわゆる“強硬派”の方にも、もう少し苛立ちを抑えてもらい、今一度冷静さを取り戻して頂きたいと願うのです。

救出運動の原点を振り返り、国民の心をひとつにまとめ、被害者救出に結びつく策をもう一度シッカリと講じる必要があると思う。
コアな一部の過熱気味の支援者だけでは、到底この問題に解決の糸口など付けられはしないのです。
いかにして支援の輪を広げ、拉致問題の理解者・支援者を増やすべきなのか?
被害者の為に何をなすべきなのか?
それぞれの支援者がじっくり考えなければならぬと思う。
「拉致問題など所詮は他人事、どこか遠い世界の話」と思っている一般大衆は少なくありませんからね。
拉致問題は国家の屋台骨を揺るがす一大事と思うなら尚の事、全ての国民が「拉致問題は自分達の問題なのだ」と認識してくれるように、心を砕いて懇切丁寧に訴えるべきなのです。
それなのに苛立ちを募らせるあまり、響かぬ世論や支援者仲間に向けて鉄砲玉を撃ち放すなど、もっての外ではありませんか?

拉致問題の山は今、水面下で静かに不気味に動いています。
この山は、問題を解決する最大のチャンスであると同時に、最後のチャンスである恐れも秘めていると思う。
中国もアメリカも自国の国益に沿って強かに交渉をしている。
でも日本は?自国の利益を守るためにどこまで強かに交渉をしているといえるのか?
この山を逃したら、二度と被害者を取り戻す事は出来なくなるかも知れない。

そういう重要な局面がすぐそこに来ているからこそ、救出策の手段の違いなどと言った小さな事でもめている場合ではないと思うのですよ。
今こそ心をひとつにしなければ、この救出運動は単なるうっぷん晴らしの憂国運動に成り下がる危険性があると思う。
国際状況や国内状況を含めた大局的見地から見ても、今小泉退陣に拘る事は、余りにも思考が小さすぎはしないか?
救出策の視野を狭めているだけではないのか?とも思うのです。
今最優先する事は、本当に小泉退陣なのでしょうか?
小泉さんを引き摺り下ろす事に時間とエネルギーを注いでいる間に、拉致問題の解決の山を逃したら何とするのだろう?
ニ方面作戦が出来ないならば、どちらかひとつを優先する。
小泉退陣に拘るよりも「拉致問題棚上げの国交正常化も援助開始もNOである」とキッパリ言える世論を作り上げる方が、はるかに大事だと私には思えるんですが。

とにかく原点を忘れるな!視野を狭めるな!
私の言いたいことはこの一語に尽きる。
この救出運動は絶対に勝ちを取らねばならない戦いである事を、私たちは決して忘れてはいけないと思う。


posted by ぴろん at 11:48| Comment(1) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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