2006年02月05日

全ての被害者を救出するまで、日本の世論は踏ん張れるだろうか?

正直言って、この国には拉致事件の解決を望まない人がたくさんいる、と思います。
すきあらば世論を画策し、この問題の幕引きを狙おうと企む連中がまだまだたくさんいる、と思う。
昨年暮れからこの正月にかけて、怒涛のように溢れる「拉致実行犯は辛光洙・朴某」と言う報道もその一環ではないか?と思います。
そういう敵の仕掛けるあらゆる作戦・工作に対して、日本の世論はどこまで頑張れるのか?
全ての被害者救出まで踏ん張り切れるのか?否か?・・・これが最近の私の思う、一番の心配事です。

いくら声を上げても動かぬ政府。
いつまで経っても拉致問題の扱いに冷淡な一部マスコミの存在。
利権に群がる財界、己の保身に忙しい言論人や政治家の面々・・・
家族の声を借りるまでも無く、この国の有り様はやはりどこかおかしい。

拉致問題の全面解決を目指すうえでどうしてもネックになる事は、拉致事件の全容を知る者はこの日本に誰もいない、と言う点だろうと思います。
全ての被害者を救う事が拉致問題の解決なのは間違いの無い話だけど、ではいったい誰と誰と誰を救い出せば全員救出したといえるのか?
何を根拠に誰がどのように全員救出完了を判断すると言うんだろう?

拉致問題に寄せる国民の意識は決して薄れてはいないと思う。
でも拉致問題の深刻さをきちんと理解し、被害者救出の為に毅然と戦う覚悟を決めている国民はどれ位いるのか?と問えば、やや心許無くなるのも現実ではないのだろうか・・・?

多くの国民にとってめぐみさんは拉致問題のシンボル。
だが運動を進める過程で、余りにも彼女の存在がシンボライズされ過ぎてはいないか?と言う危惧も私にはあります。
拉致被害者の名前を問われて、めぐみさん以外の政府認定被害者の名前を全員言える人は何人いるのか?
特定失踪者の名前を問われて、すぐに答えられる人はいるのか?
そもそも特定失踪者と言う言葉自体を、世論の多くの人たちは知っているのだろうか?

日本の拉致問題に寄せる世論を今すぐ鎮める為には、めぐみさんを今すぐ帰国させるのが一番ではないのか?とさえ思う。
仮に金正日が腹を括ってめぐみさんの帰国を認めたとしたら、羽田空港で彼女が両親と抱き合うという感動のご対面シーンを、マスコミはこぞってこれでもかこれでもかと連日報道するはずです。
それを見た多くの国民は「ああ、良かった良かった」と安堵して胸をなでおろす・・・
あまりにシンボライズされ過ぎためぐみさんの帰国を持って、これで拉致問題は解決したと世論が萎む事はないんだろうか?

むろん金正日があっさり白旗を振って、全ての被害者を帰すはずは無い。
おそらくは、そんなに簡単にめぐみさんの帰国を認めることも無いんでしょう。
でも日本の世論をなだめる為に、政府非認定被害者の中から誰か適当な者を選んで帰国をさせて「これで被害者は全部帰しました」と金正日はうそぶいてみせるかも知れない。
それにすかさず同調して、「北朝鮮は誠意を見せたのだから国交正常化交渉を致しましょう、援助資金を出しましょう」なとど北を擁護する発言を繰り出す北シンパの連中の言い分ばかりが、マスコミの放つ一方的な垂れ流しの報道によって再び幅を利かせる事があるかもしれない。

結局の所、この問題の全面解決のためには日本の世論がガッチリとスクラムを組むしかないと思うのです。
北朝鮮も日本国内に巣食う北シンパも、日本の世論を揺さぶる為にこれでもかこれでもかと情報戦を仕掛けてくるはず。
それらに負ける事無く振り回されること無く、日本の世論は最後の一人を取り返すまで、粘り強く頑張らねばならない。
故・増元正一さんの遺した言葉、「信じられる日本」が実現するのかどうか。
一人一人の日本人の意識の程が試されているのだと思います。

拉致問題解決に寄せる世論の支持者、理解者を増やさねばなりません。
世論の根底でこの問題の解決を望む層をシッカリと固めねば、歪みきったこの国の有り様を動かす事など出来ようはずも無いと思う。


posted by ぴろん at 20:46| Comment(0) | TrackBack(1) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

06.1.21 佐々木アイ子さん 南越谷集会(4)南越谷サンシティにて

『佐々木アイ子さん(特定失踪者・佐々木悦子さんの母)の訴え』

Img_1782.jpg



皆さんこんばんは。(「こんばんは」の声)
今日は雪の中、足元の悪い中大勢の方が来て頂いてありがとうございます。
私、特定失踪者問題調査会にお世話になっております、(佐々木)悦子の母です。
よろしくお願いします。
私は余り難しい話は出来ませんので、今日は悦子の失踪の件で話を聞いて頂きたいと思います。
よろしくお願いします。

私どもは二人の娘に恵まれまして、長女悦子、38年12月生まれ。
次女40年生まれ。
二人の娘共、小さい頃から元気で健康で何の心配も無く成長しました。
二人の娘、昭和61年には二人とも結婚。
親としての肩の荷が下りた思いで本当に穏やかな日々を送っておりました。

その時、悦子結婚5年目、平成3年4月22日月曜日。
浦和・埼玉銀行に勤めておりまして朝いつものように出かけ、自動車免許証・パスポート・銀行の社内預金なども手付かず。
本当に突然の失踪。
尋ね人、一般公開、警察にどんなにか足を運びました。
銀行の同僚の方や学校関係、知人、友人、大勢の方に協力お世話になりましたが、悦子に関する情報は有りませんでした。
自動車免許証の書き換えも駄目でした。
テレビ新聞のニュースで女性の死体などと目にするたびに、身の縮む思い。
身長・年齢と気になり、「あぁ、悦子ではなかった」と安堵の中、「ではその家族の方はどうなんだろう?」と複雑な気持ちになった事も何度も有りました。

悦子の事を口にすると言葉にすると本当に悲しいので、会話の無い寂しい日々を過ごしてきました。
そんなある日、主人が会社の帰り、ケーキを買って来たんです。
悦子の誕生日だったんです。
本人のいない寂しい誕生日を主人と二人で過ごした悲しい夜。
「悦子は今どこで自分の誕生日を過ごしているんだろう?」と悲しくなる事がありました。

悦子失踪から5年目、主人、体調を崩し入退院を繰り返し、最後の最後まで悦子の事を心配しつつ亡くなりました。
胃がんでした。
無念でなりません。
主人が無くなってからは主人の分まで悦子を探そうと、一生懸命私も頑張ったんです。
そんな時日本テレビ放送で、島田伸介さんの司会で「嗚呼ばら色の人生」という、行方不明者を探す、また再会の喜びを放送する番組でした。
私は何度も何度もテレビ局に出演依頼し、無事一回だけでしたが悦子の写真を胸に抱き一生懸命呼びかけました。
何か良い情報でもと心待ちしていましたが、悦子に関する情報は無く、半年後終了。

だんだん気持ちが落ち込んで、「もうこの世の中にいないんではないか?」と辛い日々。
北朝鮮拉致問題のニュースを耳にし、まさか埼玉の、海のない埼玉です。
悦子には関係ないと思っていましたが、最後の頼み、わらをも掴む思いと致しまして、特定失踪者問題調査会に相談しました。
荒木代表から「お母さん、今拉致問題が加熱していますから、家族の方に迷惑かかる事が有りますよ」と言われましたが、「よろしくお願いします」とお願いしました。

15年1月にはNHKで失踪者の名前が報道され、埼玉の浦和から失踪と言う事で報道の方が大勢家まで取材に見え、びっくりしました。
報道のお陰で5月には北朝鮮脱北者の方が悦子を目撃と、週刊誌フライデーに載りました。
脱北者の方も家まで来まして、悦子の事いろいろ聞く事が出来ました。
食べる物着る物、いろいろ聞きました。
「配給になるので心配ない」との事です。
「ただ、自由が無いだけです」と本当に悲しい事です。
「お母さん、元気でいれば必ず娘さんに会えますよ」と励まされました。
脱北者の目撃情報で拉致濃厚となり、今日も見えています新木(章)さんのご家族の方と一緒に、16年4月には県警の方に一斉告発することが出来ました。

今、特定失踪者問題調査会で北朝鮮に向け、短波放送「しおかぜ」を流しています。
夜11時から12時、朝4時から30分間、荒木代表が一生懸命呼びかけております。
ありがたく感謝しています。
正月から家族の方の声も流しています。
私も昨年12月13日に、録音してきました。
「悦子、お母さんです。あなたが行方知れずになってから14年、片時も忘れた事はありません」と熱い物がこみ上げて来るのを押さえ、呼びかけました。
でも、「お父さん亡くなりました」とは、余りにも辛く、伝えることは出来ませんでした。
私の声がどうか届きますようにと、日本の皆さんが救出に向けて応援してくれている事を一生懸命呼びかけました。
「どうか日本に帰るまでは一日一日を体に気をつけて頑張って」と。

私も悦子が日本の土を踏むまでは、この目で悦子を見届けるまでは死ねません。
頑張り続けます。
どうかこれからもよろしく、ご支援の程よろしくお願い申し上げます。(拍手)
posted by ぴろん at 11:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(南越谷集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。