2006年03月23日

原敕晁さん拉致容疑で警視庁が総連傘下団体を強制捜査

・・・引用開始・・・
原さん拉致事件、警視庁が強制捜査…国内協力者を特定

在日本朝鮮大阪府商工会が入居するビルに捜索に入る警視庁の捜査員ら 1980年6月の原敕晁(ただあき)さん(当時43歳)拉致事件で、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の傘下団体「在日本朝鮮大阪府商工会」の元幹部で、中華料理店主の男(74)らが関与した疑いが強まったとして、警視庁公安部は23日、同商工会など6か所を国外移送目的拐取(かいしゅ)などの疑いで捜索した。

 一連の拉致事件で、警察当局が、国内の協力者を特定して強制捜査に踏み切るのは初めて。

 公安部は男の事情聴取も進め、来月にも、拉致の主犯格とみられる辛光洙(シン・グァンス)容疑者(76)と、韓国・済州島に住む共犯の元服役囚(78)を国際手配する方針だ。

 捜索を受けているのは、大阪市北区の同商工会や同市天王寺区の中華料理店、元服役囚の関係先など。

 警視庁では、元服役囚の身柄について、日韓犯罪人引き渡し条約に基づき、韓国政府に引き渡しを求めたいとしている。

 調べによると、中華料理店主の男は、在日本朝鮮大阪府商工会理事長だった80年6月、辛容疑者や元服役囚らとともに、自分の店で働いていた原さんを宮崎市の青島海岸に連れ出し、船で北朝鮮に拉致した疑い。同時に、北朝鮮国内で原さんを拘束している逮捕監禁の疑いも持たれている。

 原さん拉致事件は、85年2月に韓国に密入国した辛容疑者がスパイ容疑で逮捕され、その供述から共犯者の存在などが判明した。

 公安部は、韓国の公判調書を証拠採用した03年11月の最高裁判例をもとに、韓国での辛容疑者の公判調書を、今回の事件の証拠にしたい考えで、店主の男がどの程度、拉致の実行に関与していたかについて事情聴取で確認する。

 原さん拉致に関連して公安部は02年9月、辛容疑者が原さんになりすまして旅券や運転免許証を取得したなどとして、辛容疑者を旅券法違反容疑などで国際手配している。

 店主の男を巡っては、大阪府内の府議や市議らでつくる「北朝鮮に拉致された日本人を救出する大阪地方議員の会」が04年1月、国外移送目的拐取などの容疑で大阪府警に告発していた。

 店主の男は今年1月、読売新聞の取材に「(辛容疑者のことは)名前を聞いたこともない」などと拉致への関与を否定していた。

(2006年3月23日14時31分 読売新聞)

「証拠」と「時効」の壁、2判例が破る…原さん拉致

 25年以上も前に起きた原敕晁さん拉致事件には、「証拠」と「時効」という大きな壁があった。それを突破できたのは、2002年以降に相次いで示された二つの判例だった。

 今回、自宅などの捜索を受けた中華料理店主の男(74)の存在は、1985年に韓国で逮捕された辛光洙容疑者の供述で判明した。警視庁もこの供述を重視し、85年と00年に捜査員を派遣したが、韓国の捜査当局への供述が日本の裁判で証拠採用される見込みが低いことから、強制捜査には踏み切れなかった。

 流れが変わったのは、鳥取県・境港で貨物船から覚せい剤が押収された事件の公判で、最高裁が03年11月、韓国の裁判で事実認定された公判調書を証拠採用したこと。韓国・大法院は86年、店主の男らが原さん拉致に関与したことを認定、この公判調書も証拠採用される可能性が高まった。

 一方、捜索容疑となった国外移送目的拐取の時効は7年で、店主の男は、日本を出国して時効が停止している辛容疑者と異なり、時効が成立するとの見通しが強かった。

 しかし東京高裁は02年12月、新潟県三条市の女性監禁事件で拉致と監禁を一つの犯罪とみなし、拉致行為の時効が始まる日を「監禁が終了した時点」とする判断を示した。

 日本人の拉致被害者も隔離された招待所で監視されていたことが判明しており、警視庁はこの判例をもとに、「原さんも監禁状態にあり、拐取容疑の時効は進行していない」として捜索に踏み切った。

(2006年3月23日14時47分 読売新聞)

家族写真見せ協力迫る…辛光洙容疑者、総連系元会長に

 1980年6月の原敕晁(ただあき)さん(当時43歳)拉致事件で、警視庁公安部が主犯格とみている北朝鮮の工作員、辛光洙(シン・グァンス)容疑者(76)は、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の傘下団体の元会長(故人)らに、北朝鮮に住む子供の写真や手紙を見せて、身体に危害が及ぶことを暗にほのめかし、拉致に協力するよう迫っていたことが分かった。

 原さんが働いていた中華料理店の店主の男(74)も、この元会長の指示をきっかけに拉致に協力していた。公安部は、店主の男の事情聴取を進め、辛容疑者が、元会長らを実行グループに引き込んだ経緯を調べる方針。

 85年2月に韓国に密入国して逮捕された辛容疑者の公判調書によると、同容疑者は29年に静岡県に生まれた在日朝鮮人で、戦後、現在の韓国に帰国。50年の朝鮮戦争の際に北朝鮮兵として参加、朝鮮労働党にも入党した。71年に韓国に対するスパイ活動を担当する工作員となり、73年7月、工作船で石川県内の海岸から日本に密入国したとされる。

 辛容疑者が最初に向かったのは大阪市内で、同市内に住む在日朝鮮人の女性を訪ね、北朝鮮に住む息子の写真や手紙を見せ、女性の自宅をアジトとして確保していた。

 さらに80年4月には、朝鮮総連傘下の「在日本朝鮮大阪府商工会」の元会長(2001年に85歳で死去)に対しても、同様に北朝鮮に住む息子の写真や手紙を見せて、日本人拉致への協力を求めた。

 辛容疑者は翌5月、元会長に「45〜50歳くらいの独身で身寄りや前科がなく、日本からいなくなっても捜す人のいない人物」を物色するよう指示し、元会長は、同商工会で部下だった中華料理店主の男に伝達した。

 店主の男は辛容疑者に、「祖国で要求している条件に適合している」として、自分の店で働いていた原さんの名を報告したという。

 80年6月、実際に宮崎市の青島海岸に連れ出す際には、店主の男が原さんに「新しい仕事を紹介する」などと持ちかけ、元会長が新たな就職先の「社長」、辛容疑者が「専務」、そして現在、韓国・済州島に住んでいる元服役囚(78)が「常務」にふんして偽の面接を実施。「別荘がある」と偽って、宮崎市内に誘い出したとされる。

 店主の男は今年1月、読売新聞の取材に応じ、「原さんが自分の店で働いていたことは知っているが、いつの間にか辞めた。自分は商工会の幹部として地元で有名だったので、(辛容疑者に)名前を勝手に使われた」などと話していた。

(2006年3月23日14時49分 読売新聞)

・・・引用終了・・・

引用が長くなりましてすみません。
今後の拉致問題の展開を考える時、今日のニュースは重要な意味合いを持つと考え、備忘録を兼ねてご紹介しておきます。

昨年の総選挙後、安倍官房長官がその任に就いて以降、少しづつではあるが拉致問題の山は動き始めているというのは、当事者のご家族や支援者の間でもすでに言われている事です。
その流れの一環でしょうか、今日原敕晁さん拉致容疑で強制捜査が在日本朝鮮大阪府商工会などに入りました。
一刻も早く被害者を救い出したい当方としましてはようやく今頃捜査ですか?と言う気持ちがある事も正直な所で、本当にじれったい限りですが。
けれど過去の日本の有り様を思えばですね。
今日の強制捜査は、日本に巣食う総連の闇を一掃し被害者救出に近付く大きな一歩である、と信じたい所。
単なるガス抜きに終わるのではなく、キッチリと法の正義を通して頂き、原さん拉致問題を突破口にして総連の抱える闇をしっかりえぐりとって頂きたいものだと思っております。

頑張れ!警視庁!
頑張れ!日本政府!!
被害者救出のためまだまだ出来る事はたくさんあるはず!!

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参考過去エントリー

★原敕晁さんを救うぞ!東京集会(2)05.7.14 友愛会館にて
『三宅博 地方議員の会副会長(八尾市議)のお話』
http://piron326.seesaa.net/article/5131626.html

★原敕晁さんを救うぞ!東京集会(3)05.7.14 友愛会館にて
『吉田利幸 大阪地方議員の会会長(大阪府議)のお話』
http://piron326.seesaa.net/article/5136421.html


posted by ぴろん at 17:07| Comment(0) | TrackBack(2) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

06.3.16増元照明さん2 東京連続集会16(4)友愛会館にて

『増元照明 家族会事務局長のお話 その2』



本当に在日の方たち、いい方が一杯いらっしゃいます。
私の友人もそうですけども、自分達の国がこういう拉致と言う物をやった事を、非常に恥ずかしいことだし残念に思う方たち本当に大勢いらっしゃる。
そういう方たちと連携していく必要もあるのかなと思ってはいます。

今週末に、有本さんから連絡があったんですけども、神戸の方で在日の集会がありましてそこに20〜30人が集まるので、そこに有本さんに来て頂きたいという事でご相談があったようです。
で、私はそういう所であれば、民団系らしいんですけどそういう所に行って有本さんたちに話して貰う。
有本さんたちの気持ちを分かって貰う。
そして考えていっていただく在日の方が本当に増えてそれが手を結ぶようになったら、金正日政権と言うものの崩壊が近くなるのかなと思っています。
日本から行くお金が少なくなればなるほど彼らは困るわけですし、崩壊が早く始まると言う事。
それを非常に望んでいます。

更に今、佐藤会長から後ほど話があると思いますけども、北朝鮮が今一番嫌がっているアメリカの金融制裁。
これに関しては、今日アメリカのシーファーさんとお会いしましたけど、アメリカは拉致問題が全面解決するまでは、今アメリカは6者協議の中で核、それから偽ドルの問題を非常に問題視しているけれど、拉致という、日本人拉致と言うものそれは韓国人拉致を含めてですが。
この拉致問題の明らかな解決が無ければ、全ての問題が解決していないと言うふうに理解すると仰っていますし。
シーファーさんが「今まで聞いた話の中で余りにも酷い話、一番最も酷いストーリーである」と言う事を仰って。
「私が駐日大使でいる限りこの拉致問題の解決に私は協力していくし努力、ベストを尽くしたい」と仰ってました。

早紀江さんも何度も外国の方とお会いして感じるんですが、彼らはおそらく政治家に近い人だからそうかも知れませんが非常に人の心を捉えるのがうまいですし、自分の心を相手に伝えるのが非常に上手いのか、言葉が通じなくても彼らの言ってる事は非常に私たちの心の中に響いてくるんですね。
これが日本の政治家だと本当に美辞麗句は並べるんですけど言葉は分かるんですけど、心に訴える物が殆ど全く無いです。
これが不思議なんですけども、今まで会った外国の方全てが心に伝わる喋り方をします。
そして今日もそうだったんですけど会見の中、皆こちらの方が感動して涙を流すほどのそういう雰囲気がその場に出来上がるわけです。
それが日本の政治家にはそういうものが全く・・・悔しくて涙を流す事はたくさんあるんですけどね。
感動して涙を流す事は殆どないですね。
そこらへんはやはりアメリカの欧米人の、問題に対する彼らの正義感、それが私たちに伝わって来ている。
非常に感動させられた一日でした。

今北朝鮮が向いているのは、何回も言いますがアメリカですから。
そのアメリカが姿勢を崩さない。
口を極めて言っているというのは金正日に対して大きな圧力になると思います。
これがもっとスピードアップしていけば必ずこの拉致問題が解決、金正日が被害者を返すと言う結論になるというのはそんなに遠くないと言うふうには感じていますし、そうなって頂きたいと思っています。

来月、アメリカの公聴会で早紀江さんに行って頂こうとは思っているんですけども、あの、中々ご主人の体調も少し心配なようで、つまりお父さん一人残してアメリカに行くという事に対して非常に心配なさっておられまして。
お父さんの経過次第で、今のところ7割がた行って頂く事になっていて後3割はちょっとまだ分かりません。
それほどまだ横田のお父さんの体調が本調子になっていない部分と、お母さんがお父さんを一人残して行くという事に対し、非常に不安を持っていられるということのようです。

ですから私たちもそれに対して無理強いはしないと思うんですが、やはりアメリカの公聴会。
下院での公聴会、そこで訴えると言うのは大きな意義がありまして、その訴えがやはり母親の声だともっと大きな相手に対して感動を呼ぶので。
私たちはきょうだいですので、やはり親の思いときょうだいの思いとは雲泥の差があると私は感じます。
私の両親の姉に対する思いと、私の姉に対する思い。
私は同じようには考えていますけども、でも実際には両親の姉に対する思いには、全然僕たちの思いもつかない深い物であろうし、それを訴えるのはやはり親の言葉でしか訴えられないと言うのがありまして。

是非行って頂きたいとは思っていますが、後はお父さんに順調に休んで頂いて体調を戻して頂く事を、あとそれと早紀江さんにもなるべく外に出て頂かないでゆっくりと休んで頂く事。
本当は入院したらどうですか?と言ったんですがね、それなら休めるからと。
でも入院したら皆さんが騒いで困るでしょうから、また心が休まらないでしょうし。
なるべく集会とかも出ないで休んで頂く事が良いと思っております。
後は横田家が判断される事ですからお任せしなければなりませんが、来月の公聴会、是非成功させたいと思いますし、私たちも強行軍になりますけども行かなければならないかなと言うふうには、行ってどうにか伝えて来たいと思っております。

先日もう一つ分かりました、ジュネーブで人権委員会がありまして、「そこへ家族会のどなたか来るつもりはあるか?」とメールが入ってましたので、救う会の平田さんと副会長と相談してジュネーブに行く事も今考えています。
この評議会ではパネルディスカッションのような物をやる予定のようでして、「パネラーとして発言するつもりはありますか?」との事でした。
もし出来れば、国連の人権委員会の中でそういう機会を与えられるのであれば行きたいと思います。
それほどの今国際的になって来たこと。
本当に私達が9年間続けて、2001年からアメリカ行ったり国連へ行ったり、ようやくそれが徐々に徐々に広がりつつある事。
これはもう時間はかかりましたけど、ここまで来た事に私たちは非常に感謝しておりますし、それは2002年9月17日以降日本の国民の皆さんの絶大なるご支援があったお陰だと思っております。

まだまだ全ての日本人を取り戻さない限りは拉致問題はとにかく終わりませんし、それまで私はやっていかなければならないと思っています。
ですので皆さんにも私たちと同じ思いで、同じ同胞、1人たりとも日本人を疎かに出来ないという思いで、安倍官房長官の言葉もありますが全ての日本人を救出するまで、全ての拉致被害者を救出するまで北朝鮮の悪と言うものと対峙して、そして一緒に戦って頂きたいと思っております。
よろしくお願いします。(拍手)
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