そういう事をやられても、大部分は少なくとも今までは分からなかった、と言うことであります。
前に私がインタビューをした事のある工作員は一回日本に入った事があるそうですけども、日本に入るときは何を持って行ったか?と聞いたらですね。
食料と無線機だということで、武器は持って行かなかったのか?と聞いたらば、持っていかない。
日本では絶対に見つかる心配が無い。
見つかっても捕まる心配が無い。
捕まってもスパイを取り締まる法律も無いから、自由に一年位したらすぐに出て来られるという事でございます。
実際にスパイを防止する法律がありませんので、これは佐々淳行さんの本にも書かれていたことですが、捕まえた者はですね。
工作員をどういう法律でやるかと言うと、出入国管理法違反とかですね。
そういう法律で捕まえるんですね。
で、そうするとですね。
例えば無線機でも持ってたとすると、刑が終わった後で強制的に出国させるんですが、その時に無線機も持たせて帰すんですね。
そうしなければいけないという、以外に親切な国でございます。
で、しかしこっちが親切にしていてもですね。
相手はそういう中でゴムボートに乗って、あるいはこういう水中スクーター、これはさっきの工作船の中にあったものです。
こういうゴムボートもあった。
こういうものでですね、自由に入って来ると言う事でございます。
あの工作船の中にどういう物があったのか?と言いますとこれもちょっと遠くて見難いと思いますが、これがまず12点、対空機関銃ですね、がついている。
これが上についてます。
これは海上保安庁の巡視船と交戦した時は、使ってはいなかったようです。
しかしこの中で自衛隊の経験がある方がおられればお分かりになると思いますが、私なんかが訓練で使う7.62ミリですね。
64式小銃は倍くらいの弾丸を使うわけでありまして、これがいくつか当たればですね。
完全に体は粉々におそらく吹っ飛んでしまうと思います。
それから他に積んでいたのは無反動砲とかですね。
地対空ミサイルがありまして、地対空ミサイルの方は2発くらい発射(ボタン)を押したようですが、幸いにして当たらなかった。
こう言うのが一発でも巡視船に当たっていれば、巡視船の装甲と言うのは海上自衛隊の船とは違って薄いですから、おそらく一発で撃沈されてみんな死んでるかと思います。
数人の怪我人だけで済んだのはある意味奇跡に近い。
この船はどうして沈んだかと言うと、海上保安庁の船の銃撃を受けて沈んだんじゃないですね。
自分から自沈してます。
それは船内に自爆スイッチがあってですね。
それを押すと船底に穴が開いてそれで沈むという事になっている。
だから我々は日本の国は平和だと思ってますが、その平和なはずの国にですね。
自分が死ぬ事を覚悟して、そして当然こういうものを使って人を殺傷して当たり前だと思って入って来る連中がいるんです。
と言う事は少なくとも理解をしておかなければいけない。
で、この状態は別に今始まったわけではないです。
はるか昔からずっとそうだったんです。
ずっとそうだったんですけども、問題はそれをですね、この国の政府が一切明らかにして来なかったと言う事に問題があるわけでございます。
昔は確かに日本の中にも、例えば社会党が非常に強くてそういう北朝鮮のですね。
北に対する批判的な事をやれば直ちに大騒ぎをすると、言うような時がございました。
そういうのは確かに警察にとっては非常にしんどかったんだと思いますけど、しかしそれだけで責任が逃れられるはずの物ではなかったと思います。
横田めぐみさんの事件が起きたのは昭和52年の11月でございます。
それから半年ちょっと後に田口八重子さんの事件が起きる。
横田めぐみさんの前年が藤田進さんでございますけども、そういうふうにしてこの時期ですね。
いろいろ続いていたと。
しかしその時点では日本の政府はですね、全くこれが北朝鮮の拉致だということは発表をいたしておりません。
田口八重子さんの事件が分かったのはどうして分かったかと言うと、大韓航空機の爆破事件で犯人金賢姫が証言をして、そして自分は李恩恵という名前で呼ばれていた日本人の女性から日本語とか日本の風習を学びました、と。
いう事をいって、それから調べてやっと分かったわけですね。
それが無ければ分からなかったわけです。
もし例えば大韓航空機の爆破事件が成功して金賢姫が平壌に戻っていたりとか、あるいは逆にですね。
毒薬を飲んでその場で死んでいれば、誰も今は田口八重子さんはただの失踪した女性としかおそらくなっていないだろう、と言うふうに思います。
もし例えば、この日本の国は災害の多い国でございます。
台風だとか地震だとかですね、水害だとかそういう物が非常に多い。
しかし我々比較的そういうものに慣れております。
どこかでこの関東地方にも大地震は来るだろうという思いはある。
あるいはですね、台風は毎年夏になればしょっちゅうやってくる。
やってくると分かっていればその備えをするわけですね。
台風が今沖ノ鳥島のどこに来ているとか、沖縄に上陸したとかですね。
そういう話を聞けば、あとこれくらいで来るかも知れないというふうに思って、それならば出かけるのを控えようとか、そういう準備をするわけであります。
もしあれがですね。
例えば天気予報で日本は明日も明後日もずっと快晴が続くでしょうと、言っていた所に突然台風がやって来てしまったら、どういう事になるか?
地震の方は確かに全く予知が出来ない物でありますけども、しかしそれでも地震がしょっちゅう来るものだと思っていれば、例えば地震があったときにすぐに火を消すと。
あるいはこういうふうにして上から落っこちてくる物から身を防ぐという事は、皆さんも大体お分かりになっていると思います。
それを何も言わないで、日本には地震なんか絶対に来ませんと、言っていた時に地震が来たときはどうなるか?
それはもう想像以上の大惨事になると言う事はお分かりです。
それがまさに拉致についても起こったという事でございます。
現在政府の認定している拉致被害者、昭和52年に一番最初は東京の三鷹市役所のガードマンだった久米裕さん。
それから11月に横田めぐみさんですね。
そして昭和53年に田口八重子さん。
それから神戸の田中実さん。
そして・・・(聞き取れず)福井の小浜の地村保志さん、それから奥さん浜本富貴恵さん。
その後が蓮池薫さん、それから奥さんの奥土祐木子さん。
そして鹿児島の市川修一さん、それから増元るみ子さん。
それから曽我ひとみさんとミヨシさん。
そして昭和55年に原敕晁さん。
それから・・・(聞き取れず)前ですけど、石岡享さんと松木薫さん、お二人はスペインで拉致されている。
原敕晁さんは辛光洙が背乗りをやった相手ですね。
58年に有本恵子さん。
これで16人、この16人と言うのが現時点の政府の認定者です。
しかしこの政府の認定者でですね。
日本で例えばマスコミが誰も何も言わない時、これは拉致だと明らかにしたケースがいったい何件あるか?と言うと実はひとつもない。
久米裕さんのケースはですね。
久米さんがお金を借りていたサラ金の業者というのが在日で、この在日の業者がですね。
北からの指示を受けて久米さんを騙してそして能登半島に連れて行って船に乗っけると言う事をやりました。
これも遠くて見えないと思いますが、場所はですね。
こういう入り江になった所です。
能登半島の舟隠しと言うふうに通常地元の人は言うようですが、こういうところに連れて行ってそこで船に渡したと。
本当にですね、周りが人気もいなくなるとですね。
本当に見つからない。
良くこんな場所を探したんだなぁと言うような場所です。
実はこの(久米さんを)連れてきた李と言う在日はですね。
妹さんか何かが確か帰国をしておりまして、その帰国をしている妹さんを人質にして要は協力をさせられたと言うことなんですね。
しかし事件の直後に久米さんが拉致された直後に捕まっておりまして、自供をしている。
自供しているんですが結局、警察は立件したかったようですけども、どうも検察が言う事を聞かなかったらしい。
言う事で結局そのまま釈放されまして、今に至るまでも結局全く一度も久米さんの拉致についてで、罪を負ったことはありません。
今でも東京の西東京市で普通の日本人として、名前は日本名になっていると思うんですが、普通の市民として暮らしております。
横田めぐみさんの事件は、これは月刊現代コリアのですね。
平成8年の10月号に載った朝日放送の石高健次さんの論文が元になって明らかになったケースでございます。
これは最初は石高さんの論文では誰かと言うことは分からなくて、中学一年生の女の子が1970年代の後半に日本海側のどこかで拉致をされていると言う情報でありました。
その事を元にして調べた結果、これが横田めぐみさんである事が分かった。
そして平成9年の2月3日に、去年弁護士法違反で捕まった西村眞悟衆議院議員が、予算委員会で質問をしてくれまして。
そして同時に朝日新聞のアエラとそれから産経新聞の本紙が報道してくれた事がきっかけとなってですね。
非常に大きな話題となって、この事が元になって家族会も出来、そして救出運動もスタートしたということなんですね。
この事件はさっき言いましたように、事件の起きた当時からこれが北朝鮮による拉致だと言う事はどうも分かっていたらしいという事でございます。
これが分かってたんならこの後も分かってた。
田口さんだけは分からなかったかも知れませんけども、少なくともアベック拉致も当然起きた当時から全て分かっていたはずです。
田口さんの事件はさっき言いましたように、これは大韓航空機爆破事件の金賢姫が喋ったから明らかになったわけです。
田中実さんの事件と言うのは、これは神戸のラーメン屋さんの店員ですけども、ラーメン屋の主人がこれが在日で、これも北から指示を受けて自分のところの店員をヨーロッパに旅行させるということで、騙してオーストリアに送ってですね。
そこから拉致をさせたという事件でございます。
これはそのラーメン屋の店主と同じ北朝鮮の秘密組織にいた人が、もう亡くなりましたけど張龍雲さんと言う方が自分で手記を書きまして、その中で田中実拉致を書いたんで明らかになった。
それからこの地村さん、浜本さん、蓮池さん、奥戸さん、市川さん、増元さん。
あと富山で未遂事件と言うのが一件ありますけどもこれは全部ですね。
昭和55年の1月7日に産経新聞がスクープをして明らかになったケースです。
ちなみに(拉致された日は)7月の7日、31日だったかな?
8月の12日。
7月の15日に富山県の高岡市で海水浴をしていたアベックが狙われて、そしてこれが未遂に終わると言う事件が起きております。
この間富山の救う会の方が、富山県警の警備部長と会った時に、警備部長はですね。
この事件がこのアベック拉致、特に高岡の未遂事件を北朝鮮による拉致だと認識したのは、この田口八重子さんの大韓機爆破事件があった時だと、言うふうに言っていたそうです。
全くの嘘です。
よくも・・(聞き取れず)くてですね。
私その場にいたら張り倒してやろうかと思いますけども(小さな笑い声)、この高岡の未遂事件の時に人を捕まえて入れた袋とか、あるいは手錠のような物がですね、見つかってそれでこの一連の事件が北朝鮮の拉致事件だと分かってるんです。
その時にわかんなかったはずが無い。
そう言うふうにですね。
変なふうに誤魔化すのはこっちがますます警察に不信感が起きてしまって、そのうちに私は捕まるかもしれませんがその前にたくさん喋っておこうと思うんですけども(小さな笑い声)、ともかくですね。
この事件は産経のスクープで分かった。
原敕晁さんになり代わった辛光洙、最近良く出てくるんですね。
報道を見ると何でも言ってると思うんですが、この辛光洙と言うスパイが韓国に1985年・昭和60年に入ってですね、そして捕まると。
そこで原敕晁になり代わったこの拉致の事を話している。
それによって明らかになったわけです。
つまり辛光洙が捕まってなければ原さんの拉致も分からないわけです。
それから石岡さん、松木さん、有本さん。
このケースについてはどういうことかと言うと、石岡さんが東ヨーロッパの人にですね。
手紙を渡して出国してからこの手紙を投函してくださいと、言った手紙が札幌の自宅に届いて、その手紙の中に今平壌にいると。
そして松木さんと有本さんと一緒にいるということが書いてあったんです。
それによって明らかになるわけですよね。
これがもし石岡さんの手紙が届いていなければこの3人もですね。
拉致とは疑われていない可能性が極めて高い。
そうやって見てくるとですね。
この中で誰も分かっていないのに、日本政府の方でこの人は拉致ですと発表したケースと言うのは実は残念ながら無いということです。
無いと言うのはどういう事を意味するのかと言うと、これ以外にもたくさんあるということです。
ここに出て来ている人たちと言うのは要は仕方がないから認定してしまったと、言う人ですね。
この曽我ひとみさんなんかに至ってはですね。
ともかく、こっちが何も言わないのに向こうが出して来ちゃった訳ですから。
つまり誘拐犯の方がですね。
警察が何も言っていないのに、いや実は私誘拐をしましたって言って出て来ちゃったと。
それでああこれは誘拐事件だと言ったような物ですからね。
曽我ミヨシさんは一緒にいなくなってるんで、日本政府は拉致というふうに言ってるわけですけども、しかしその所はですね。
このような状況である、と言うことです。
これがまだ残念ながら今のところ我が国の現状です。
何でこんな事になったのか?と考えますと、昔から分かってましたとしか思えない。
分かっていて、しかしもう今は明らかには出来ない。
大体現場のいろんな警察の特にOBの方とか、いろんな方に話を聞きますとやはりですね。
全国で「このケースは拉致だったんではないかな?と言うふうに思うんだけれども、上に上げたら潰されてしまった」という話はあちこちで聞きます。
ケースによってはですね。
警察の人が私らにですね。
「あの人は拉致だと思うんだけど、何で情報を上の方に持っていかないんでしょうね?」と話が来たりですね。
物によってはですね。
調査会に失踪者のご家族の方に書いていただく調査票というアンケート用紙の様な物があるんですが、あれを警察の人が書いてくれたとかですね。
そういう話はございます。
場所に寄っちゃ警察でですね。
「うちの子供は拉致じゃないでしょうか?」と相談に行ったら、「いや調査会と言うのがありますよ」と紹介して頂いたり、別に紹介料を取ってるわけじゃありませんが、とにかくですね。
嬉しいような悲しいようなこういう話がございます。
・・・その3に続く・・・