2006年04月12日

NHK「ドキュメント北朝鮮 第三集」〜核開発を巡る戦慄〜(1) 06.4.4放送

〜導入〜
<ナレーション>
厚いベールに閉ざされた国、北朝鮮。
個人崇拝による独裁体制は何故今も維持されているのか?
拉致やテロは誰が指示し、何故繰り返されたのか?
そして、核兵器開発はどこまで進んでいるのか?
世界を脅し続けている多くの謎に迫ります。

  ◆映像:朝鮮中央テレビ去年2月
  ―――――――――――――――――――
   我々は自衛のため 核兵器をつくった
  ―――――――――――――――――――

  ◆映像:衛星からの核開発施設の映像

<ナレーション>
核兵器の保有を去年宣言した北朝鮮。
その開発の拠点、ニョンビョン核研究センターです。

衛生がとらえた核施設の数々。
煙突から吹き出る煙。
アメリカは今も原子炉が稼働していると見ています。
北朝鮮はすでに核兵器を1,2個保有し、更にプルトニウムを製造したと考えられています。

  ◆映像:六カ国協議の模様

核の放棄を迫る国際社会。
北朝鮮は強く反発しています。
事態打開の見通しは立っていません。

  ◆映像:キム・イルソン(金日成)金正日の映像

北朝鮮は国際社会と渡り合うために、核兵器開発を密かに進めてきました。

時には核開発のカードを利用し、譲歩を引き出してきました。

アーミテージ元国務次官のことば
――――――――――――――――――
対話をしては、ことばで危機をあおる。
これは、北朝鮮のいつも手口です。
(TOLK、TOLK、、fight、fight)
――――――――――――――――――


ロバート・ガルーチ元国務長官――――――――――
同じ事を繰り返しさせられている気がします。
北朝鮮は同じ交渉を求め、同じ見返りを迫ってきます。
(デジャブ・・)
――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:取材した米ソ、大統領、高官、外交官の映像
   (ゴルバチョフ・カーターも含む)

北朝鮮と直接向き合ってきたアメリカ、ロシアの元大統領60人あまりを取材、その証言から核兵器開発に迫ります。

━━━━━━━━━━━━━
第三集「核開発を巡る戦慄」
━━━━━━━━━━━━━
<ナレーション>
朝10時、空襲警報が鳴り響く平壌。
アメリカの攻撃を想定した防空訓練です。
平壌にある地下鉄です。
深さおよそ150メートル。
核戦争に備えたシェルターとして作られたと言われています。
北朝鮮にはこうした核シェルターが数多くあると見られています。
一方で、自らも核兵器を手にしようと開発を進めてきました。

これまで北朝鮮が何時から核兵器開発を始めたかは謎でした。
キム・イルソンの側近だったファン・ジャンヨブです。
1997年に、韓国に亡命しました。

―――ファン・ジャンヨブ氏の証言―――――――――――
 核兵器開発については話すつもりはなかったのですがー、
―――――――――――――――――――――――――――

核兵器についてはあまり語ってきませんでしたが、今回初めて詳細に証言しました。

―――ファン・ジャンヨブ氏の証言――――――――――――――――――
我々はかなり前から、核兵器の開発を始めていました。
1958年に地下にある軍事工場を訪れたとき、
キム・イルソン(金日成)は『核戦争に備えるべきだ』と繰り返し話していました。
すでにその時から計画はあったのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:アメリカ核実験の模様、在韓米軍の動き
<ナレーション>
50年代、ソビエトと核兵器開発を競っていたアメリカ。
韓国にも、大量の核兵器を配備します。
60年代の末、その数は、およそ1000発にのぼったと見られています。

キム・イルソン(金日成)にとって、アメリカの驚異に対抗するためには核兵器は無くてはならないものでした。

  ―――ファン・ジャンヨブ氏――――――――――――――
   核を持っていれば、まず韓国を脅かすことができます。
   更に、朝鮮半島を武力で統一する上で、
   何よりもアメリカの介入を抑止する手段となるのです。
  ―――――――――――――――――――――――――――

  〜モスクワ〜

<ナレーション>
50年代、北朝鮮にとって重要な援助国であったソビエト。
核開発は、そのソビエトさえも欺きながら始められました。

当時の貴重な映像がロシアに残されていました。

  ◆映像:1956年7月訪ソ時、キム・イルソンの映像
  (ロシア国立映像アーカイブ)
1956年モスクワ郊外の原子力発電所を訪れたときのものです。
このとき、ソビエトとは平和目的の核開発で支援を受ける協定を結んでいました。

しかしすでに、キム・イルソン(金日成)は核兵器開発の野心を抱いていたとファン・ジャンヨブは証言しています。

  ◆映像:合同核研究所(ソビエト ドゥブナ)

合同各研究所。
ソビエトは社会主義の国々と共に原子力発電や、放射線医療など、最先端の研究をしていました。
キム・イルソン(金日成)は、核兵器開発に必用な知識や技術を手に入れるため、多くの研究者を送り込みました。

  ◆映像:ニョンビョン核開発センター

7年後の63年、北朝鮮北部の町にソビエトの技術者が招かれました。
山間の土地に平和目的の核施設を建設するためとされました。
ここが現在の核兵器開発の拠点、ニョンビョン核兵器センターです。

  ◆映像:コトロフの写真

建設責任者だったセルゲイ・コトロフ。
原子炉の設計を手がけました。
コトロフ(各研究センター建設責任者)たちがまとめた報告書です。

   ◆映像:報告書

技術を提供した原子炉はIRT2000。
核兵器の製造に必用なプルトニウムを抽出しにくい軽水炉型の原子炉です。
北朝鮮の強い要請で核研究センターは<家具工場>と呼ぶことにしていました。

―――コトロフの証言―――――――――――――――――――――――
核研究センターの存在は北朝鮮でも、極秘とされていました。
外部に一切情報を漏らさないよう、厳重に注意が払われていました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
コトロフによるとニョンビョンには100人を超える北朝鮮の研究者が集められていました。
ほとんどはソビエトの大学などで物理学を学んだ若者でした。

   ◆映像:北朝鮮の若い研究者たちの写真

――――コトロフの証言―――――――――――――――――――――――
私たちは原子炉に関して必用な技術や知識を北朝鮮の研究者たちに教えました。
彼らの水準は驚くほど高いものでした。
最高レベルの教育を受けた、優秀な研究者だったのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

65年原子炉の建設を終えて、ニョンビョンを去ったソビエトの技術者達。
ここが核兵器開発の拠点になろうとは想像もしていませんでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエントリーはblue-jewelさんの手によるものです。


2006年04月11日

拉致被害者を取り戻す為に、私たちがなすべき事を考える

今日午後、DNA鑑定の結果、めぐみさんの夫は韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いと、日本政府より正式発表がありました。
この結果発表を受けて、日本政府は韓国政府とともに北朝鮮に対して毅然たる態度で臨む事を期待します。
私が今望むことはそれ以上でもそれ以下でもない。

ちょうど今、北朝鮮からは六カ国協議の北朝鮮首席代表、金桂寛(キム・ケグァン)外務次官が国際学術会議出席のため来日中。
家族会は昨日都内で開かれた記者会見で、彼の口から謝罪の言葉が出ないことに憤りを感じていると表明しましたが、そもそも金正日の承諾なくして、彼の立場で勝手に謝罪その他が出来るはずもないのが、北朝鮮と言う国です。
日本側から何を言われても、家族がどんなに怒りの声を上げようと、黙って聞くか知らぬ存ぜぬを通すより金桂寛に出来ることは何もない。

しかし日本側は毅然として真相究明を要求すべきですし、嘘つき国家北朝鮮を許さないと言う世論の声を、金桂寛の目の前でしっかり印象付けることは大事かと思う。
被害者を返さない限りこの怒りの声は決して静まらない事を、この際金桂寛の目の前でしっかり印象付けるべきでありましょう。

それにしてもめぐみさんの偽遺骨にせよ、今度のDNA鑑定にせよ、愛娘の運命をこうまでも翻弄され続ける横田夫妻の心中を思うとお慰めの言葉もありません。
横田夫妻が北の不誠実な態度に翻弄されてきた経緯を書いた記事を以下にひとつ紹介します。

・・・引用開始・・・

「特務員」→「拉致韓国人」、北朝鮮またも嘘

 拉致被害者の横田めぐみさんに関する北朝鮮側の嘘(うそ)がまた一つ明らかになった。

 めぐみさんの娘キム・ヘギョンさん(18)との親子関係が、日本側のDNA鑑定で証明された韓国人拉致被害者の金英男(キム・ヨンナム)さんは、北朝鮮が「自国の特殊機関勤務員」と説明してきた男性だった。

 「国家の犯罪」により娘とのきずなを引き裂かれた両親は、度重なる虚偽の説明に翻弄(ほんろう)され続けている。

 めぐみさんの父親の滋さん(73)は11日午前、読売新聞の電話での取材に「まだ政府からは何も連絡がない」と戸惑いを隠せなかった。滋さんはこれまで、DNA鑑定の結果が出されるのを表面上は落ち着いた様子で待っていた。今月7日、一部の韓国紙が「めぐみさんの夫は拉致された韓国人と判明」と報道しても、「政府の発表を待つだけです」と話すだけだった。

 また、めぐみさんの弟、拓也さん(37)は「何の連絡もない」としながらも、「仮に姉の夫が韓国人拉致被害者だとしたら、これまで、北朝鮮が自国の工作員だから出せないとしてきた説明が覆ることになる」と語った。

 北朝鮮が正式に拉致を認めた2002年9月17日の初の日朝首脳会談。「めぐみさん死亡」の情報がもたらされた直後の記者会見で、母親の早紀江さん(70)は「いつ死んだかさえ、わからないものを信じることはできません」と気丈に語った。

 この日は、めぐみさんの娘の存在も明らかにされ、翌日には滋さんが「現地に行き、(孫に)会いたい」とも。しかし、その後は、孫に会いたいという気持ちと、自分たちの訪朝が拉致事件の幕引きに利用されかねないとの警戒心のはざまで、気持ちが揺れ動いた。

 めぐみさんとヘギョンさんの親子関係が正式に確認されたのは同年10月。夫妻は「本当に感無量です」と喜ぶ一方、「(孫から)会いたいというメッセージが寄せられているが、いま会いに行くのは適当ではない」と複雑な心境をのぞかせた。

 04年11月の第3回日朝実務協議では、夫とされた「キム・チョルジュン」が日本政府代表団に対し、ヘギョンさんとの親子関係の証明に必要な毛髪などの資料提供を拒否。同時に北朝鮮が「死亡の証拠」として、焼かれたうえ砕かれた骨をめぐみさんの「遺骨」として出してきたことに、早紀江さんは「北朝鮮のやり方にはだまされない」と怒りをあらわにした。

 翌月、この「遺骨」が別人のものと判明すると、滋さんは、「生存の可能性が強くなったわけでホッとしました」。早紀江さんは「北朝鮮がここまで残酷で冷酷とは。どんなに人間の本質から外れた国であるかが歴然とした」と憤然とした様子で話していた。

(2006年4月11日14時37分 読売新聞)

・・・引用終了・・・

「北朝鮮がここまで残酷で冷酷とは。どんなに人間の本質から外れた国であるかが歴然とした」

と仰る早紀江さん。
母親として人間として、彼女の怒り・憤りはもっともな事と思います。

ただ、押さえて置かなければならないのは、『冷酷で残酷で人間の本質から外れた国・北朝鮮』と言うのは、あくまでも外の世界から見た私たちの感覚であるということ。
あの国の中にいる人たちにとっては、それがごくありふれた日常であり、金正日にとっては拉致など冷酷でも残酷でも何でもない、自分の権力維持のために必要な手段の一つに過ぎない、ということ。

このギャップをいかにして埋めればいいのか?
北朝鮮に日本の常識は通じない。
というより人としての普遍的な常識は、まず通用しないのです。
北朝鮮について知れば知るほどに、人としての本質から遠くかけ離れたこの国に実態に眩暈がしそうな気分になる。
この国からいったいどうすれば拉致被害者を取り戻せるのか?
考えるだけでも本当に気が遠くなる。

この歴然たる事実を前にして、国内でつまらぬ内輪もめなどしている場合だろうか?と思えてならない。
ちょっとした意見の違いに目くじらを立てて、身内に石を投げて罵倒などしている場合ではなかろう、と改めて思う。
被害者を取り戻す為に、私たちに出来ることは何か?
ひとりひとりが本当に真剣に知恵を絞って考えなければならないと思う。
真剣に考える事が世論の底上げにつながり、拉致問題に対する深い関心につながり得ると私は思っています。
どんなに揺さぶられても揺らがない世論が作り出せれば、困るのは北朝鮮の側なのです。
交渉の前線に立つのは政府関係者。
それをバックで支えるのは私たち国民の世論なのです。
北朝鮮から被害者を取り返す戦いは、私たち一人一人の国民がどれだけこの問題に強い関心を持ち続ける事が出来るか?その一点にかかっていると言っても過言ではないと私は思う。

この怒り、憤り、腹立たしい思いを私たちは決して忘れてはいけない。
全ての被害者が帰る日まで、この怒りを北朝鮮の金正日に向ける事を怠ってはならぬと思う。
posted by ぴろん at 19:15| Comment(0) | TrackBack(1) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

NHK「ドキュメント北朝鮮 第二集」〜隠された世襲〜(4) 06.4.3放送

◆東ドイツへの書簡――――――――――――――――――――――――――――――――――
ソウルオリンピックは、単にスポーツの問題ではありません。
朝鮮半島で社会主義と資本主義のどちらが優位か我が国の運命を決める重要な政治的問題です。
オリンピックヘの参加は我々の革命に大きな障害となる2つの朝鮮を認めることになるからです。
社会主義陣営は、一致団結して南の単独開催に反対すべきです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ベルリンでは、党の幹部が急遽集められ、対応が協議されました。
当時東ドイツは2つの東西両ドイツの共存を認める<2つのドイツ政策>をとっていました。

◆ホルスト・ジーベックの証言―――――――――――――――――――――
北朝鮮の政治的立場は理解できました。
しかし同じような分断された国家としては、我々のほうが、現実的でした。
朝鮮半島に2つに国があることは議論の余地がありません。
2つの朝鮮を認めない彼らの考え方は、非現実的でした。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
東ドイツがオリンピックボイコットの要請を受けた翌年、最高指導者ホーネッカーが平壌を訪れます。

  ◆映像:ホーネッカーを歓迎する式典の映像

当時東ドイツは経済の立て直しのため、西側の投資を必用としていました。
ホーネッカーとキム・イルソン(金日成)の二人だけの会話を、ヘルガ・ピヒトが通訳しました。

◆ヘルガ・ピヒトの証言―――――――――――――――――――――――――

ホーネッカーは、キム・イルソン(金日成)に直接こう伝えました。
 『東ドイツはソウルに選手を派遣しなければならない。
   国家の再建のため、国威発揚のため、ボイコットはできない。』
二人は互いの政治路線を理解し、それを妨げないことだけを確認しました。
そして会談は終わりました。
金正日は無言でした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

当時北朝鮮は韓国とオリンピックの共同開催を協議していました。
しかし東ドイツは北朝鮮の狙いは他にあると分析していました。

◆朝鮮情勢の発展に関する情報―――――――――――――――――――――――――――――
オリンピックに対する北朝鮮のこれまでの発言を判断するに、北朝鮮側に共同開催の意志はない。
彼らの目的はソウルオリンピックの妨害とみられる。
(1987年3月作成・機密文書)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
オリンピックが翌年に迫った87年11月、大韓航空機爆破事件が起こりました。
北朝鮮の秘密工作員キム・ヒョンヒによる犯行でした。

取り調べに対し、自分は拉致された日本人から教育を受けた工作員である。
そして、オリンピック妨害を狙った金正日の指令を受けたと供述しました。
北朝鮮は南の自作自演と関与を強く否定しています。

  ◆映像:ソウルオリンピック開会式の模様

ソウルで第二十四回オリンピックが開催されました。
参加したのは当時史上最多の160の国と地域。
北朝鮮とキューバなどを除く社会主義の国が選手団を派遣しました。
東ドイツは288人の大選手団を送り国の威信を世界に示します。

  ◆映像:クリスティン・オットー、メダル獲得のシーン

オリンピックをきっかけに社会主義国は、相次いで韓国と国交を樹立。
韓国の優位は決定的となります。

  ◆映像:1988年9月建国40周年パレード

<ナレーション>
ソウルオリンピックの一週間前、平壌で建国40周年の式典が行われていました。
国民は、ソウルオリンピックを知らされていませんでした。
式典では社会主義建設の成果が高らかに歌い上げられました。
パレードには100万人の平壌市民が動員されました。

  ◆映像:パレードの様子

このとき、韓国との格差は4倍まで広がっていました。
金親子は友好国である社会主義国を招待しました。
東ドイツが派遣した代表団は5人でした。

  ◆映像:1989年11月
      ベルリンの壁崩壊

翌年ベルリンの壁が崩壊。
冷戦は終結しました。

  ◆映像:拘束されたホーネッカー

東ドイツの最高指導者として君臨したホーネッカー。
市民への発砲を理由に逮捕されました。
後に亡命したチリで死亡します。

  ◆映像:隠れていた場所から引き出されるチャウセスク

壁の崩壊はルーマニアにも伝わりました。
金正日と親交を深めていたチャウセスク
軍による処刑の映像は世界に配信されました。

  ◆映像:北朝鮮の様子

このニュースは北朝鮮では伝えられませんでした。

このとき国内で何が起こっていたのか、その詳細を知る人物が来日しました。
朝鮮人民軍で部隊の指揮を執っていた幹部です。
金正日の動向を間近で目撃していました。

   ◆朝鮮人民軍元幹部の証言―――――――――――――――――――――――
   東ヨーロッパに留学していた軍人たちが突然粛正されました。
   金正日は、自分がルーマニアのチャウセスクと同じように
   軍により処刑されるのではないかと恐怖心を抱いたのだと思います。
   金正日はこんな言葉を使うようになりました。
   『あなた達は私の信任がないと、肉のかたまりのようなものだ。』
   忠誠を尽くさない幹部は無慈悲に粛正されました。
   新たな強権政治の始まりでした。
   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:人民軍創設60周年記念式典の様子(1992年4月)

<ナレーション>
92年4月人民軍創設60周年の式典です。
金正日総書記は、かつての親衛隊員を軍の幹部の登用。
最高司令官の地位を父キム・イルソン(金日成)から譲り受けていました。
このとき、わずか4秒の肉声を世界ははじめて耳にするのです。

◆金正日の演説―――――――――――
 英雄的朝鮮人民軍将校に栄光あれ
――――――――――――――――――
このあと軍が全てに優先する得意な軍事国家を作りあげ、体制の強化に突き進んでいきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手による物です。

NHK「ドキュメント北朝鮮 第二集」〜隠された世襲〜(3) 06.4.3放送

ハンガリーの報告から3週間後、キム・ジョンイル(金正日)が後継者になったという情報が
チェコスロバキアの大使から東ドイツ大使館にもたらされます。
労働党幹部から次のような発言を聞いたというものです。

◆労働党幹部の話―――――――――――――――――――――――――――

金正日は優れた指導力を備え、党を指揮する才能を持つ。
彼はこれまで中央と地方の党機構を指揮・管理し、大きな実績を積んでいる。
労働党と人民はこの指導に納得し、運命を託した。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

すぐれた能力を理由に党と人民が指導者として選んだという説明でした。

◆クラウス・バーテルの証言――――――――――――――

彼らのやり方でした。
重要な決定の通達にはこうした手段を使っていました。
外交官の一人に話せばすぐに広まることを知っていたのです。
―――――――――――――――――――――――――――

これが北朝鮮による後継者の発表と考えたバーテルらはベルリンに打電しました。

しかしベルリンでは指導者としての資質に疑いの目を向けていました。

〜ベルリン〜

◆ホルスト・ジーベックの証言――――――――――――――――
金正日の能力に関する北朝鮮側の表現があまりにも大げさでした。
金正日はすぐれた能力を持っている。
党を指揮する才能があるなどと理由を挙げています。
しかし、どれ一つ事実に基づいて証明されていません。
我々は不安を覚えました。
――――――――――――――――――――――――――――――
北朝鮮では、党中央委員会書記となった金正日同士の下、
八〇年代に先進国入りするという目標が掲げられました。


◆朝鮮中央テレビの宣伝映像――――――――――

我が党が決心すれば、できないことは何もない
党が作戦を立て 命令を下した
もはや勝利も同然だ
―――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
生産現場では、短期間にノルマを達成する200日戦闘が始まりました。
外国に依存せずに自力で全てを達成するという、イデオロギー主体思想が強調され、大量の労働力が投入されました。
完成した施設は積極的に海外に公開されます。

 ◆映像:市民向け健康施設、ランニングマシーンなどの映像

キューバのテレビ局に公開された市民向けの健康施設です。
当時西側で流行していた器具が設置されていました。

 ◆映像:マンギョデ遊技場
およそ2万人の勤労奉仕で作られたとされる巨大な娯楽施設
高さが20メートルもある滑り台など、西側と同じ施設だと強調されました。

83年、北朝鮮は経済成長のデータの発表を突然取りやめました。
翌年東ドイツはその経済運営を批判的に分析しました。

◆北朝鮮との貿易に関する情報〜東ドイツの分析〜―――――――――

1983年北朝鮮の国民経済に大きな問題が浮上している。
対外貿易は前年比、5〜10%程度のマイナスと見られている。
北朝鮮ではイデオロギーが最優先とされている。
経済の合理性を十分に考慮しない自己中心的な運営がなされている。
――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
報告書は当時の東ドイツ大使の情報をもとに作成されていました。
平壌に駐在していた、カール・ハインツ・ケルンです。

◆カール・ハインツ・ケルンの証言―――――――――――――――――――――――――

北朝鮮の経済政策は非生産的でした。
自己の力で全てをやり通すというイデオロギー、主体思想に基づいて運営されていたのです。
その結果、経済の発展が阻害されました。
全ての国民が、自力で目標を達成できると錯覚していたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
キム・イルソン(金日成)の主体思想を称える高さ170メートルの塔です。
建設におよそ1万人が動員されたとされ、キム・イルソン(金日成)が生きてきた25550日と同じ数の石が積み上げられました。

  ◆画像:完成した主体思想塔を訪れる金親子(1982年4月)

このとき70才を迎えるキム・イルソン(金日成)、。
金正日同士は優れた指導力を発揮したと息子を賞賛します。

この大衆動員を可能にした理由について、東ドイツの外交官が分析していました。
軍の駐在武官ホルスト・ローマンは自ら現場を回り収集しました。

◆ホルスト・ローマンの証言――――――――――――――――――――――――

ある朝鮮人がある朝鮮人が私にこんな発言をしました。
 『よき朝鮮人は4時間の睡眠で20時間働くことができる。
     それが我々が目指すべき理想の朝鮮人である。』

思想教育の結果だと考えました。
当時この国は人口の8割が40才以下でしたが、
生まれてからずっと、思想教育を受けてきたのです。
そのため金正日の指示する党の指示に不平不満を持たないのは当然でした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:オリンピック開催地決定の映像(1988年)

国際的地位の向上を目指す韓国はオリンピックの開催権を獲得します。
お論ピックの準備を進める韓国と北朝鮮との格差は83年、およそ三倍にまで拡大していました。
南の躍進に、金親子はあせりを募らせたとみられています。

  ◆映像:ラングーン事件
     ミャンマーを訪れた韓国大統領全斗煥を狙ったテロの様子。

ミャンマーを訪れた全斗煥を狙ったテロ。
全斗煥は北朝鮮と国交のあるオリンピック参加を呼びかけていました。
ミャンマー政府は北朝鮮の軍の工作員の犯行と断定しました。

東ドイツの文書は当時秘密工作はすべて金正日が指示していたと指摘しています。

2年後の85年、北朝鮮で親子の関係に変化があったとファン・ジャンヨブは証言しています。

◆ファン・ジャンヨブの証言――――――――――――――――――――――――
キム・イルソンは我が国の最高指導者はキム・ジョンイルだと語るようになりました。
85年以降のことです。
キム・イルソン(金日成)はうまく自分の権力を息子に委譲しました。
それ以前も親子二人の共同政権でしたが、85年から、
キム・ジョンイルがキム・イルソン(金日成)を上回る存在となったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
これは金親子の指示で当時国際担当書記であったファン・ジャンヨブが東ドイツへ送った書簡です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手による物です。

NHK「ドキュメント北朝鮮 第二集」〜隠された世襲〜(2) 06.4.3放送

<ナレーション>
70年代中頃に撮影されたとみられる金親子の映像です。
キム・イルソン(金日成)は宣伝扇動部での息子の実績を認め、更に重要なポスト、組織指導部の責任者に抜擢します。

親子間の権力の継承はこのときから本格化していきます。

朝鮮労働党の機関誌『労働新聞』です
  ◆映像:労働新聞の写真。

1974年2月14日、これまで使われたことのない表現が登場しました。
<党中央>、キム・イルソン(金日成)を指す<首領>と並べて用いられました。、
その後<党中央>の名前で党の重要な指示が出されるようになります。

このころの金正日総書記です。

◆映像:金正日の当時の映像

現在北朝鮮では<党中央>の表現が登場した直前、キム・イルソン(金日成)主席の後継者に選ばれたとしています。
しかし、当時その決定は明らかにされませんでした。

東ドイツも権力継承の動きはつかんでいませんでした。
文化担当官として大使館に勤務していたヘルガ・ピヒトです
ピヒトは60年朝鮮語を学ぶためキム・イルソン(金日成)総合大学に留学、後にホーネッカーの専属通訳を務め、キム・イルソン(金日成)との首脳会談には、すべて立ち会っています。

◆ヘルガ・ピヒトの証言――――――――――――――――――

<党中央>とは不思議な表現でした。
私たちは当時、党の中心部と言う意味ではないか、
または党中央委員会の省略した呼び方ではないかと考えました。
それが一人の人間を指すとは、夢にも思いませんでした。
――――――――――――――――――――――――――――

何故<党中央>という表現を使い、後継者の決定を明らかにしなかったのか?
キム・イルソン(金日成)の側近だったファン・ジャンヨブは、他の社会主義国を気にしたからだと言います。

◆ファン・ジャンヨブの証言―――――――――――――――――

社会主義、共産主義を掲げる指導者が、世襲で権力を息子に譲る。
これでは完全に封建制のやり方です。
だから公にすることはできなかったのです。
息子への後継は、既成事実として着々と進めていました。
どうしてそうしたことを表に出せるでしょうか?
――――――――――――――――――――――――――――――

このころの金正日総書記の発言をまとめた資料を入手することができました。
労働党の幹部だけに配付されていた内部資料です。

  ◆映像:“キム・ジョンイル 主体革命偉業の完成のために”という文書の画像

そこには、組織指導部を率いる立場から党の幹部に行った講演が記されていました。

   ◆全国党組織幹部講習会での発言(1974年8月)――――――――――

    <党中央>の意志はすなわち<首領様>の意志である。
   そして<党中央>の指導は、首領様の指導を実現するためのものだ。
   ――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
首領であるキム・イルソン(金日成)と同じ権威を持ち、後継者としての活動を始めると宣言したのです。
キム・イルソン(金日成)は息子のライバルであったキム・ヨンジュを政治の表舞台から追放します。
党の実権を掌握した父と共にその支配を国の隅積みまで広げていきます。

  ◆映像:スローガンの書かれたプラカードを持って行進する市民

当時北朝鮮では新たなスローガンが掲げられました。
キム・イルソン(金日成)は生産性を上げるため、思想や技術などの刷新をはかるように指示しました。
大学を出た20台を中心に<三大革命小組員>と呼ばれる若者が全国の職場に配置されました。
しかし、彼らには別の使命が与えられていました。
国内全ての生産現場で党や、警察とは異なる独自の監視網を作ることでした。

およそ20万人の若者達が事実上、金正日親衛隊として活動しました。
地方の集団農場で活動していた親衛隊の一人です。
2002年韓国に亡命しました。
体制に不満を持つ人間を排除するのが任務でした。

◆元三大革命小組員の証言――――――――――――――――――――――――――
我々は巨大な蜘蛛の巣のような存在でした。全国の農村や家庭にまで入り込み、
人々の考えていることを全て洗いだし、些細な出来事まで中央に報告しました。
<党中央>の意志に反したり、疑問を持つ人間を見つけ出し、直ちに粛正しました。
金正日は国内での権力を固める上で、我々の力を大きく利用したのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
次の狙いは、建国以来の悲願祖国統一に向けられました。


 ◆映像:韓国パク大統領狙撃事件(1974年8月)

韓国で革命をおこし、政府転覆を謀る対南工作。
70年代北朝鮮は、頻繁に工作活動を繰り返していました。

 ◆映像:ピストルや弾丸他、工作活動の証拠の写真〜工作員の手帳

私たちは対南工作を行っていた工作員のメモを入手しました。
メモが書かれたのは76年でした。
対南工作が誰の指示で行われていたか記されていました。

――――――――――――――――――――――――――
 党が命令する任務を正しく遂行するため、
 徹頭徹尾、<党中央>の指導のみに、依拠するべきである
 ――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
指示は、党中央から出ていたのです。

七〇年代に活動していた北朝鮮の元工作員です
韓国に潜入し対南工作をする組織作りを行っていました。

――工作員の証言――――――――――――――――――――――――――――
七〇年代半ば、韓国が警備を強化し対南工作が難しくなりました。
そこで、ある命令が出されました。
『北から南へ直接侵入する工作を減らし、日本を経由して侵入する工作をふやせ』
というものでした。
日本を利用した対南工作が本格化しました。
<党中央>の指示でした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
77年秋から、当時は原因不明とされた日本人拉致が相次ぎます。
政府が認定した政府が認定した被害者は16人に上ります。

北朝鮮の工作員が日本人になりすまして韓国に潜入するために、日本人のパスポートや日本語の教師が必用となり、拉致が行われたと見られています。

70年代後半、日本で対南工作に関わっていた在日朝鮮人に接触することができました。
男性は日本人の拉致には直接関係していないと言います。
日本に留学していた韓国人を北朝鮮に連れ出し、労働党から表彰を受けていました。

  ◆映像:表彰された時の勲章

◆在日朝鮮人の証言―――――――――――――――――――
  金正日の指導に、これっぽっちの疑問も持たない。
  (指導は)すなわち命令、すなわち法律、
  すなわち自分の身を賭してでも成し遂げる。
  これが原則です。無条件貫徹する。
  日本人を拉致することは当たり前。
  革命のためには何でもやるんですからね。
――――――――――――――――――――――――――――

質問:日本人拉致もキム・ジョンイル総書記の指示ですか?

  ◆ファン・ジョンヨブ――――――――――――――――――
  言うまでもありません。
  当時国内外全ての活動は彼の指示によって行われていました。

  ――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:2002年9月17日小泉訪朝

金正日総書記は拉致は盲動主義、英雄主義の工作員が行ったとして自らの関与は否定しています。

70年代末、板門店で撮影された写真です。
権力の世襲は最終段階に入っていました。

〜ピョンヤン〜
<ナレーション>
1980年、ピョンヤンでは10年ぶりの党大会が予定されていました。
党大会は労働党の最高意志決定機関です。
ピョンヤンの外交官の間では、党の最高ポストである総書記に金正日が任命され、後継者として発表されると言う観測が流れていました。

党大会の一月前、中国が後継者の選出についてある見解を発表します。
中国共産党の機関誌『人民日報』です。

  ◆映像:当時の人民日報の写真

中国が後継者の選出についてある見解を発表しました。
二日間に渡って社説を大きく載せました。

◆『人民日報』社説――――――――――――――――――――――――――――――――
共産主義において一人の指導者が全てを決めることは封建制であり、マルクス主義に完全に反する。
個人が後継者を指定する制度は、最もあるまじき行為である。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
人民日報は後継者を指名することは絶対に認められない。
国を指導する者は、優れた能力と実績が党と人民によって承認されなければならないとしたのです。

  ◆映像:第六回党大会の模様(1980年10月10日)

<ナレーション>
ピョンヤンでは第六回党大会の開催日を迎えました。
労働党の全国の代表3220人が参加し、外国からも来賓が招待されました。

公の場で外国人に姿を見せることがなかったキム・イルソンの長男、ジョンイルがはじめて登場しました。
大会では総書記に選出されませんでした。
東側が予測した後継者の発表は行われませんでした。

  ◆映像:ハンガリーの秘密文書

私たちは党大会の詳細な分析をおこなったハンガリーの秘密文書を入手しました。
大会に出席した情報員が作成したものです。

◆秘密文書―――――――――――――――――――――――――――――――
共産主義初の世襲政権、キム王国が成立するという予測はうらぎられた。
総書記に選らばれなかった理由のひとつは中国にある。
人民日報が、『政権の世襲はマルクス主義に反する』と報じたためである。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエントリーはblue-jewelさんの手による物です。

NHK「ドキュメント北朝鮮 第二集」〜隠された世襲〜(1) 06.4.3放送

━━━━━━━━━━━━
第二集「隠された世襲」
━━━━━━━━━━━━

〜導入〜
<ナレーション>
厚いベールに閉ざされた国、北朝鮮。
個人崇拝による独裁体制は何故今も維持されているのか?
拉致やテロは誰が指示し、何故繰り返されたのか?
そして核兵器開発はどこまで進んでいるのか?
世界を脅し続けている多くの謎に迫ります。


  ◆映像:2006年2月13日祝賀行事の模様
 ―――――――――――――――――――――――――
  金正日将軍祝賀を受けたまえ、 栄光をうけたまえ
 ―――――――――――――――――――――――――
今年2月、金正日総書記の誕生日を祝う式典です。

64才を迎えた最高指導者は今年も姿を現しませんでした。

金正日総書記は父キム・イルソン(金日成)の後継者として早くから権力の階段を登ってきました。
しかしどのように台頭してきたか、その課程は一切明らかにされていません。

その肉声が長く西側に伝えられることはなく、謎の指導者とされてきました。

今回私たちは北朝鮮の権力継承の課程を記録した新たな資料を発見しました。
1500ページにのぼる旧東ドイツの秘密文書です。
平壌に駐在していた外交官達が独自に情報を収集し、その動向を追い続けていたのです。
  ◆映像:東ドイツ関係者の写真

沈黙を続けてきた旧東ドイツの関係者達が今回初めて証言しました。

<元東ドイツ 党国際関係部の関係者の声>
『私たちは社会主義国の中で親子で権力を継承することは
           あるまじきことだと考えていました。』


<ナレーション>
ドキュメント北朝鮮第二集
社会主義国としては前例のない世襲をいかにして成し遂げたのかに迫ります。

タイトル
第二集「隠された世襲」

1970年代、社会主義国の指導者が平壌を訪れたときの映像です。
北朝鮮は社会主義陣営の一員として東側の国々と友好関係を結んでいました。

北朝鮮の建国後、いち早く国交を結んだ東ドイツ。
最高指導者、ホーネッカーはキム・イルソン(金日成)と兄弟と呼びあう仲でした。

平壌にあった東ドイツ大使館です。(大使館の映像)
東ドイツは、同じ分断国家として北朝鮮の行く末を注視してきました。

ピョンヤンに駐在していた外交官の多くが旧東ベルリンで暮らしています。
当時の名簿が残されていなかったため、私たちはおよそ一年かけて彼らを捜しあてました。

クラウス・バーテル(元東ドイツ 副大使)73才です。
1963年から計10年間平壌に駐在し副大使も務めました。、
これまで自ら収集した北朝鮮の情報について一切明らかにしてきませんでしたが、今回初めて取材に応じました。
バーテルは国費留学生として、金正日総合大学で学んだ最初のドイツ人です
大使館では朝鮮労働党の権力構造を分析していました。
しかし友好国の外交官であっても、情報収集は困難を極めたといいます。

――バーテルの証言―――――――――――――――――――――――――――――
全てが秘密でした。
北朝鮮では国家の方針で外国人には情報を明らかにしない、秘密主義をとっていました。
そうした彼らの態度を私たちは腹立たしく思っていました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:旧社会主義国の平壌駐在外交官の写真

<ナレーション>
ソビエトやルーマニアなど、平壌に駐在していた社会主義国の外交官です。
バーテルは互いに得た少ない情報を交換しあうことで、北朝鮮の動向を把握していました。

60才を迎えたキム・イルソン(金日成)です。
憲法を改正し、最高指導者である首領としての地位を確立しました。
その絶対的な権力を誰が引き継ぐのか、バーテルは強い関心を持っていました。
キム・イルソン(金日成)が親族を重要な役職に就けていたことに、バーテルは注目しました。

当時作成した秘密報告書です。

◆バーテルの報告書―――――――――――――――――――――――――――――――
キム・イルソン(金日成)の弟にキム・ヨンジュがいる。
彼は党の政治委員会の委員、中央委員会書記、組織指導部長などの要職をを歴任している。
彼の序列は六位である。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
バーテルはキム・ヨンジュをキム・イルソン(金日成)の最も有力な後継者と見ていたのです。


◆バーテルの証言――――――――――――――――――――――――――――――――
キム・イルソン(金日成)は北朝鮮という国を自分の作品とみていました。
死んだ後に自分の作品がどうなるのかと、自問自答していたのでしょう。
そして自分の作品を継ぐ人物は信頼できる家族以外ありえないという結論に達したのです。
私たちはそう考えていました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
報告書はキム・イルソン(金日成)の息子については短く触れているだけです。

◆報告書――――――――――――――――――――――
キム・イルソン(金日成)に息子がいる。
彼はキム・イルソン(金日成)の秘書であり、
同時にキム・イルソンを警護する部隊の部隊長である。
――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
その名前すら記されていませんでした。

◆バーテルの証言―――――――――――――――――――――――――
金正日が後継者になるとはまさか想像もしていませんでした。
彼の方法は少なく後継者として議論にも登りませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

報告書は東ドイツをひきいるドイツ社会主義統一党の本部に送られました。
ベルリンでこの報告書を受け取ったのが、国際関係部のホルスト・ジーベックでした。
ジーベックは北朝鮮との外交を19年にわたって担当し、朝鮮労働党と太いパイプを持っていました。

  ◆映像:ドイツ社会主義統一党の建物

◆ホルスト・ジーベックの証言――――――――――――――――――――――
私たち社会主義国では、親子の権力継承はあるまじき行為と考えていました。
社会主義者における後継者とは、国家にとって、
政治的に最も能力のある人物が選ばれるべきだと考えていたからです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
前例のない権力の世襲。
その準備は、すでに始まっていました。
60年代前半軍を視察する親子です。(視察する親子の写真)
キム・イルソン(金日成)は息子が20代の頃から、軍や党の視察に頻繁に同行させていましたが、常に秘密にしていました。


アメリカ

当時の金正日総書記を知る人物がアメリカに住んでいることがわかりました。
キム・イルソン(金日成)一家の家庭教師を務めていた、キム・ヒョンシク(キム・イルソン家族の元家庭教師)です。
亡命後2003年、アメリカに移り住みました。
平壌の大学教授だったキムヒョンスクはキム・イルソン(金日成)の家族にロシア語を教えていました。
若き金正日総書記を直接言葉を交わした貴重な証言者です。

◆キム・ヒョンシクの証言―――――――――――――――――――――――――――――――
彼は大学に入学したときから、キム・イルソンの後継者は自分だと考えにに熱心に尽くしていました。
キム・イルソンが朝出勤するときは、靴を履かせて車に乗せ、夜帰宅するときは、必ず出迎えました。
外国に行くときも同行し、随行員が十分に父を世話していないと強くしかっていました。
キム・イルソン(金日成)もそうした息子に満足していました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

◆映像:キム・イルソン(金日成)インドネシア訪問の時の写真、※金正日が同行し共に写っている

<ナレーション>
ソウルにも若いときの金正日を知る人物がいます。
キム・イルソン総合大学の総長を務めたファン・ジャンヨブです。
97年韓国に亡命しました。
後に国際担当の書記となったファン・ジャンヨブは亡命した幹部の中で最も地位の高い人物です。

◆ファン・ジャンヨブの証言―――――――――――――――――――――――――――――
彼は大学に入る前から、『自分は政治家になる。政治は父、キム・イルソンから教えてもらう』
とはっきり言っていました。
金正日が少しでも権力を握ると、叔父のキム・ヨンジュを追い出すかもしれないと考えました。
しかし、権力の世襲をするとは、まさか想像もしていませんでした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
キム・イルソン(金日成)の家族に関する報告書を書いた翌年、バーテルはキム・ジョンイル(金正日)という名前を特定し、その台頭についてはじめて報告します。
ハンガリー大使館からもたらされた情報でした。


◆バーテルの報告書(1973年10月1日作成)――――――――――――――――――――
労働党の総会で人事が議論され、金正日の昇格が取り上げられたとの未確認情報がある。
その情報によれば、金正日は党中央委員会の要職に付き、更に、宣伝扇動部の責任者になった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

◆バーテルの証言―――――――――――――――――――――――――――――――――――
この情報で、はじめて金正日が党内でその地位を高め始めていると認識しました。
彼が次第に影響力の大きい役職に就いていくと考えました。
後継者として作られていくかもしれないと、我々は予測したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
73年9月、キム・イルソン(金日成)は息子を党の宣伝扇動部の責任者に就任させました。
三〇代前半の姿です
当時彼の活動は外部に一切伏せられていました。
宣伝扇動部は国民の思想統制を担う重要な部署でした。


 ◆映像:1970年代に傍受された北朝鮮の映像

70年代韓国で傍受された北朝鮮の映像です。
宣伝扇動部が進めた思想教育が記録されています。
忠誠心を養うために少年達は、10日以上かけてキム・イルソン(金日成)が少年時代歩んだとされる道を辿らなければなりません。

  ――◆思想教育映像のこどものことば―――――
     敬愛するお父さん
     キム・イルソン様を敬い
     私たちは忠誠の心を込めて
     最大の栄光と感謝をささげます。
  ――――――――――――――――――――――

  ◆映像:マスゲームの記録

<ナレーション>
強化されたのがマスゲームです。
これは1958年のマスゲームです。ソビエトのカメラマンが撮影しました。
キム・イルソン(金日成)が北朝鮮に採り入れたマスゲーム。
当時子供達の動きは、単純で、機敏な動作もありません。
全体の統制も取られていませんでした。

しかし70年代、大きな変化がみられます。
マスゲームはキム・イルソンへの忠誠の証と位置づけられ、数万人の子供が、一糸乱れず動くよう命じられました。



当時マスゲームに参加した人の証言です。
2000年韓国に亡命しました。

◆マスゲーム参加者の証言―――――――――――――――

当時のマスゲームの訓練は本当に厳しいものでした。
私は背景版を担当していました。
訓練中はトイレに一切行けません。
ビンに用を
足さねばなりませんでした。
半年間 勉強は全くできませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――

◆キムヒョンスクの証言―――――――――――――――――――――――――

背景版で最も難しいのが、キム・イルソン(金日成)の顔の部分です。
担当する子供達は死ぬ思いで練習します。
失敗してキム・イルソン(金日成)の顔を汚すと家族全員が処罰されるからです。

金正日が思想統制を担当してから、
国家全体、人民の全てがキム・イルソンに対する崇拝を強化しました。

国家体制はこのようにして作られていったのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このエントリーはblue-jewelさんの手による物です。

2006年04月09日

NHK「ドキュメント北朝鮮 第一集」〜個人崇拝への道〜(3) 06.4.2放送

――――ドミトリー・カプースチンの証言―――――――――――――――
主体思想はプロパガンダの寄せ集めにすぎません。
ソビエトの影響を受けたキム・イルソンは人を洗脳するプロパガンダの重要性をよく理解していました。
彼は主体思想を用いて国民の洗脳を始めたのです。
その洗脳はとても速い速度で進み、我々はただただ驚きました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
主体思想によって、歴史の書き換えも進みました。
建国の歴史はキム・イルソンへの賛美で彩られるようになりました。
解放直後のソビエト軍の歓迎集会は、『キム・イルソンの歓迎集会』に変えられています。

―――記録映画でのキム・イルソンの発言―――――――――――――――――
私キム・イルソン(金日成)は党創建後10月14日に人民にあいさつしました。
私が演題に立つと、群衆の歓呼の声は最高潮に達しました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
人々の反応も、全て熱狂的な歓迎とされ、偽物と疑われたことには触れられていません。

―――記録映画でのキム・イルソンの発言―――――――――――――――
私が帰郷したと聞いて、遠くの村からも人々が列をなしてやってきました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
故郷訪問の写真も改ざんされています。
当時の写真は左側、キム・イルソン(金日成)を支えたソビエトのメクレルが写っています。
記録映画ではメクレルの存在は消され、朝鮮人に変えられていました。

個人崇拝を確立したキム・イルソン(金日成)
祖国統一を掲げ過激な行動に走ります。

1967年、非武装地帯で南北の衝突が急増。
ソビエトは北朝鮮がそのほとんどを引き起こしていると結論づけました。

翌年1月。北朝鮮の武装ゲリラ31人が、韓国の大統領官邸を襲撃。
武装ゲリラは韓国軍と2週間にわたって銃撃戦を繰り広げ、ほとんどが射殺されました。
ただ一人拘束されたゲリラを尋問した映像を入手しました。

質問:『どんな任務を受けたのか?』

答え:『大統領官邸にいるパクチョンヒ大統領を銃殺し、主要な幹部を撃ち殺す任務です。』


<ナレーション>
北朝鮮はパク・チョンヒ大統領を殺害すれば、民衆が蜂起し革命が起きると考えたと見られています。

―ワジム・トカチェンコの証言―――――――――――――――
我々は、危険だと感じました。
北朝鮮に対するコントロールが効かなくなったからです。
北朝鮮はソビエトを軍事衝突に巻き込む恐れさえありました。
我々は深く考え込みました、何をなすべきかと。
―――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
考える間もありませんでした。
二日後、世界を震撼させる出来事が、再び起こりました。
北朝鮮がアメリカの情報船、プエブロ号を拿捕し乗員82人を拘束したのです。
プエブロ号が領海を侵犯したと主張。アメリカの謝罪がなければ、乗員は解放しないと通告しました。
アメリカはプエブロ号は公海にいたと反論。
大統領のジョンソンはプエブロ号を奪還するため、北朝鮮の爆撃も検討しました。
航空母艦三隻と200機以上の戦闘機を出動させました。

ソビエトは驚愕しました。軍事同盟を結ぶ北朝鮮がアメリカと衝突すれば、全面戦争に発展し、自らも巻き込まれる恐れがあるからです。

――ワジム・トカチェンコ(当時、ソビエト共産党中央委員会)――――
「政府、党の中央機関の人間は、誰も睡眠を取ることができませんでした。
誰も家に帰れず、オフィスから出る事ができませんでした。
私たちは正に激流に中にいました。
ぎりぎりの状態で危機を解決しなければならなかったのです。」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
首相のコスイギンは、不測に事態を防ぐためアメリカのジョンソンに書簡を送りました。

――コスイギンの書簡―――――――――――――――――――――――――――
大統領閣下、我が国が見るところ、問題を解決する最も確実な方法は、軽率な行動を取らないことです。北朝鮮に圧力をかけようとする試みは、単に解決を難しくするだけです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
コスイギンの書簡が届いた二日後、ジョンソンは北朝鮮に交渉を提案。
至急協議したいと呼びかけました。

その二日後キム・イルソン(金日成)の書簡がモスクワに届き、コスイギンを驚かせました。
初刊の内容をソビエト共産党の幹部が記録しています。

――キム・イルソンの書簡―――――――――――――――――――――――――
我々は侵略者に対して反撃を加える準備をしなければなりません。
戦争が起きればソビエト政府は我々と共にアメリカ帝国主義と闘うと確信しています。
その場合総力を動員し、我々に軍事援助を与えてくれることを望みます。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


――ワジム・トカチェンコ(当時、ソビエト共産党中央委員会)―――
北朝鮮は私たちを試しさえしました。
彼らはカミソリの上を渡っていたのです。
一歩間違えれば、本当に戦争になっていました。
北朝鮮は我々から得られるもの全てを搾り取ろうとしたのです。
戦争の危険を顧みずに。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
ソビエトの最高指導者、書記長のブレジネフが説得に乗り出しました。
ブレジネフはキム・イルソンをモスクワに呼びました。
しかし、キム・イルソンは国を離れられないとして、拒否しました。

パンムンジュム(板門店)ではアメリカと北朝鮮の交渉が始まっていました。
交渉の様子をアメリカ側の報道機関が撮影していました。
北朝鮮はアメリカが謝罪しなければ乗員は解放しないと繰り返し主張。
11ヶ月に及ぶ交渉の末、アメリカはついに譲歩しました。


―――◆アメリカ側の発言―――――――――――
私は金正日が用意した書類に今から署名するが、
これは私たちの主張とは異なる文書である。
我々は乗員を自由にするためだけに署名する。
―――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
アメリカは北朝鮮が用意した謝罪文に署名しました。
当時アメリカの国務長官だったニコラス・カッツェンバック。
カッツェンバックは大統領の下でプエブロ号事件の対応に当たりました。

――ニコラス・カッツェンバックの証言――――――――――――――
アメリカにとって屈辱的な経験でした。
しかし我々は、乗員を救出する方法を他に知りませんでした。
あのまま続けば、何年もかかったでしょう。
――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
事件発生から11ヶ月後、北朝鮮はようやく乗員を解放しました。
しかし、キム・イルソンはプエブロ号の返還を最後まで拒否しました。

アメリカと北朝鮮との交渉を固唾を呑んで見守っていた人がいます
ロアルド・サベリエフ、76才。サベリエフは当時ソビエト大使館の書記官でした。
その後も20年以上北朝鮮との外交を担当しました。

――ロアルド・サベリエフの証言――――――――――――――――――――――――――
「その後の北朝鮮の行動原理を考えると、プエブロ号事件は北朝鮮の瀬戸際外交の始まりです。
そうした新たな戦術の始まりなのです。
北朝鮮はこの機会を利用してアメリカ帝国主義と闘っていることを誇示したのです。」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
北朝鮮も協議の様子を撮影していました。
――――北朝鮮の記録映像―――――――――――
プエブロ号が我が人民軍に拿捕されて11ヶ月
米国は我々の前にひざまづき、謝罪文に署名した。
―――――――――――――――――――――――
ピョンヤン
<ナレーション>
返還を拒否したプエブロ号は戦利品としてピョンヤンに展示されています。

アメリカに勝利したと、金日成の個人崇拝を更に高めています。

――展示場の案内―――――――――――――――――――――――――
プエブロ号の10分の一の模型です。反米教育に使われています。
米国が侵入すれば絶対に容赦しないことを我々は見せつけました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
北朝鮮の指導者として見いだしたソビエト連邦。
しかし金日成はソビエトの統制を離れ、個人崇拝に基づく独自の独裁体制を築きあげていきました。

――ワジム・トカチェンコ(当時、ソビエト共産党中央委員会)のことば――――――――
北朝鮮はソビエトにとって常に頭痛の種でした。彼らは主体思想を教え込まれ、目的達成のためには、どんな手段を用いてもかまわないと考えているのです。
自分の国のためなら、何をしても許されるのです。私は時折思います。
このような人々と全く関わらない方がいいと。
不用意に関わるとこちらが病気になり、傷つく事になります。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
70年代に入ると金日成の個人崇拝は更に強化されました。巨大な銅像が各地に次々に立てられて絶対の忠誠を誓うことが求められました。その一方絶対的権力が、長男金正日に継承する準備が密かに進められていました。
金正日に個人崇拝による独裁体勢は父から息子へ引き継がれて行くことになります。

参考:プエブロ号事件

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手による物です。

NHK「ドキュメント北朝鮮 第一集」〜個人崇拝への道〜(2) 06.4.2放送

――メクレルの証言――――――――――――――――――――――――――――――――
私はキム・イルソン(金日成)とあらゆる分野、あらゆる問題で行動を共にしました。
政治や党関連の重要な仕事を一緒に行いました。
取るに足らないようなことでも私たちは常に一緒に行動しました。
私はあらゆる場面でキム・イルソン(金日成)を助け、キム・イルソンを育て上げたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
  ◆映像:建国当時の映像

<ナレーション>
1948年9月。
朝鮮民主主義人民共和国の建国です。
キム・イルソン(金日成)は最高指導者として内閣の首相と、党の委員長を兼任しました。

貴重な肉声がアメリカの国立公文書館に残されていました。

―――キム・イルソンの肉声――――――――――――――――――――――――――――
朝鮮民族の解放者であるソビエト軍と偉大な領導者スターリン大元帥、万歳
解放された朝鮮人民、万歳
朝鮮民主主義人民共和国樹立、万歳
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
建国当時のパレードの映像です。
スターリンとキム・イルソン(金日成)の肖像画が並んで掲げられています。
ここまではソビエトの思惑通りでした。

  ◆朝鮮戦争の映像

38度線で分断された朝鮮半島。
金日成が個人崇拝への道を歩き始めるきっかけは、統一を目ざした朝鮮戦争でした。
1950年6月、北朝鮮は南に一斉攻撃を開始。
二ヶ月後、韓国の9割以上を制圧しました。
開戦直前、キム・イルソン(金日成)はスターリンに<アメリカは介入しない>という判断を伝えていました。
しかしアメリカは参戦し、戦局は一挙に逆転。その後、戦闘は三年に及びました。
100万人以上が犠牲となり、一千万人が離散家族となった朝鮮戦争。

自らの誤った判断で始めたこの戦争をキム・イルソンは権力の強化に利用します。

キム・イルソン(金日成)がアメリカ帝国主義に勝利したという宣伝が始まりました。
巨大な肖像画が勝利集会で掲げられ、『敬愛する指導者』という呼び方が用いられるようになりました

  ◆ソ連系朝鮮人の写真
金日成を称えるプロパガンダを進めたのは、ソビエトから送り込まれたソ連系朝鮮人でした。
ソ連系朝鮮人は、ソビエト軍の指示を受け、党、政府、軍の中枢で金日成を支えました。その数は400人以上にのぼります。

  ◆カザフスタンの映像

<ナレーション>
プロパガンダの中心を担った人物が旧ソビエトのカザフスタンに住んでいました。
チョン・サンジン、87才。
50年代半ばまで北朝鮮で文化宣伝省の次官を務めました。

―――チョン・サンジンの証言―――――――――――――――――――――――――――
当時私たちはソビエトのそのまま北朝鮮に適用したため、プロパガンダを当然のことだと思っていました。
ソビエトではスターリンが絶対的権威でした。
『北朝鮮でも金日成が同じような権力を持つべきだ』と思っていました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
強化された権威を利用し、キム・イルソン(金日成)は反体制派の粛清を進めます。
最初に標的となったのは副首相のパク・ホニョンでした。
アメリカのスパイとして逮捕され、後に処刑されました。
 ◆パク・ホニョンの映像

―――チョン・サンジンの証言――――――――――――――――――――――――
金日成は朝鮮戦争に失敗した全ての責任をパク・ホニョンに押しつけました。
疑いの余地は全くありません。
そしてキム・イルソンはそれをきっかけに、パク・ホニョンの派閥を全て粛正したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
当時北朝鮮には4つの政治勢力がありました。
  ◆4つの派閥の図
粛正されたパク・ホニョンは国内派、戦時中抗日活動を国内で行ったグループです。
他にソ連系朝鮮人のソ連派。中国で活動した中国派。
キム・イルソンとゲリラ活動を共にしたパルチザン派は最小派閥でした。

  ◆スターリンの葬儀の模様

スターリンの死によってキム・イルソン(金日成)の粛正は更に進みます。
ソビエトの統制がゆるんだのを見て、ソ連派に矛先を向けました。
キム・イルソン(金日成)を支えてきたソ連派は次々に批判され、解任されました。
その後処刑されたり、行方不明になった人も数多くいます。

文化宣伝省の次官を務めたチョン・サンジン。
1955年に解任され出身地カザフスタンに帰りました。
キム・イルソンにスターリンのような権威を与えようとしたプロパガンダが、自らの追放に繋がりました。

―――チョン・サンジンの証言―――――――――――――――――――――――――――
我々ソ連系朝鮮人がいなかったらキム・イルソン(金日成)の個人崇拝は無かったでしょう。
ソ連系朝鮮人がソビエトのスターリンをまねて、キム・イルソン(金日成)の個人崇拝を始めました。
それこそが、現在の北朝鮮の悲劇の原因なのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
朝鮮戦争が終わった年の翌年のパレードの映像です。
ソビエトの指導者の肖像画は目立ちません。金日成を称える歌が様々な集会で歌われるようになりました。

  ◆解放記念祝賀パレードの映像

歌われた歌詞
 〜あぁその名も懐かし我らが将軍
 ああ、その名も 輝くキム・イルソン将軍〜

肖像画は町の至る所に掲げられるようになりました。
 ◆画像:病院、家庭などに掲げられるキム・イルソン(金日成)の肖像画

〜モスクワ〜
<ナレーション>
金日成の個人崇拝が進む最中、ソビエトは政策を大きく転換します。
共産党第二十回党大会。
第一書記のフルシチョフがスターリンの個人崇拝を批判したのです。
五ヶ月後、モスクワを訪問したキム・イルソン(金日成)。
このときフルシチョフは金日成に個人崇拝を止めるよう求めていたことが今回の取材で明らかになりました。
このときのやり取りを記録したソビエト共産党の内部資料です。

―――内部資料―――――――――――――――――――――――――――――
北朝鮮の同士に対して指摘した。朝鮮労働党に深刻な違反が見られる。
キム・イルソン同士の個人崇拝が存在する。
キム・イルソン同士は我々の提言を受け入れた。
欠点を除去する対策をこうじると約束した。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
ソビエトの動きが北朝鮮の反体制派を勢いづけました。
国内派、ソ連派が粛正された後、中国派が密かにクーデターを計画していました。
中国派の幹部が党の会議で金日成を批判。
しかし、事態は思わぬ展開となりました。

  ◆〜ソウル・オ・ギワン徒の面会シーン〜
<ナレーション>
このときの一部始終を目撃していた人がいます。
オ・ギワン、77才。当時北朝鮮で副首相の補佐官を務めていました。
60年代初頭、韓国に亡命しました。

―――オ・ギワンの証言――――――――――――――――――――――――――――――
中国派のひとりが最初に発言し、個人崇拝を批判しました。
するとキム・イルソンのパルチザン派が大声で罵声を浴びせたため発言を続けられなくなりました。
会場は、騒然となりました。
このため、他の中国派は発言することさえ、できなくなりました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
キム・イルソン(金日成)は事前にクーデターを察知していたのです。
計画に関わった中国派を全員党から除名しました。

再びフルシチョフが動きました。
毛沢東と協議し、北朝鮮に共に特使を派遣。
キム・イルソン(金日成)は除名を一時撤回しました。

しかし翌年、再び中国派を追放。
更に思想調査を行い、不満分子をあぶり出しました。
私たちの入手したソビエトの文書には金日成の激しい弾圧の様子が記されています。

―――ソビエト共産党中央委員会の報告書――――――――――――――――――――――
国家体制に敵対的な態度を取っているとして、北朝鮮では一月に2000人以上が摘発された。
裁判は公開され、400人以上が公開銃殺の判決を受けた。
大規模な公開銃殺の実施は国にとってマイナスである。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
個人崇拝の行き過ぎを懸念していたソビエト。
しかし、フルシチョフはつよい行動に出ることはありませんでした。

 ◆モスクワの映像

<ナレーション>
何故ソビエトは黙認したのか?
私たちは交渉の末、真相を知るキーパーソンにインタビューすることができました。

元ソビエト共産党中央委員会のワジム・トカチェンコ、74才です。
フルシチョフの時代からゴルバチョフ時代まで、30年以上にわたり共産党の中枢で朝鮮政策に携わりました。
ソビエトの歴代の首相と金日成との会談にも立ち会っています。

―――ワジム・トカチェンコの証言―――――――――――――――――――――――――
当時我々ソビエトは社会主義体制のリーダーでした。
この陣営で何か悪いことが起こればそれはリーダーが悪いと言うことになります。
つまり、我々ソビエトの威信が傷つくのです。
だからソビエトの指導者は北朝鮮の不快な出来事にも目をつぶったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ソビエトが目をつぶっている間、北朝鮮では新たなプロパガンダが始まりました。

   ◆映像:チョンリマの銅像

一日に千里を走る伝説の馬、チョンリマからその名をとったチョンリマ(千里馬)運動です。
北朝鮮は大衆を動員して経済の五カ年計画の目標を2年半で達成したと発表しました。


――チョンリマ運動のプロパガンダ映像――――――――――
我が人民は度重なる支援を打開し、千里馬の大進軍を行った。
短時間で新しい歴史を作り上げた。
――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
しかし平壌駐在のソビエト大使は北朝鮮経済の実情を見抜いていました。
北朝鮮では重工業を重視するあまり、生活用品の生産が不足していたのです。
ソビエト大使はモスクワに報告書を送りました。

――――報告書の内容―――――――――――――――――――――――
北朝鮮では綿、衣服、下着、石鹸などが不足している。
地域間の商品交換も欠如し、悪影響を与えている。
医療は最も遅れた分野である。
医者、病院の数が不足し、国民への医薬品の支給がきわめて困難である。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆1959年帰国事業の映像

<ナレーション>
この報告書の翌年から、帰国事業が始まりました。
2年間で7万人以上の在日朝鮮人が地上の楽園と呼ばれた北朝鮮にわたりました。
キム・イルソン自ら帰国者を歓迎しました。
しかしその後多くの人の消息が途絶えました。

当時北朝鮮で副首相の補佐官を務めていたオ・ギワン。
帰国者の受け入れを担当しました。


――オ・ギワンの証言―――――――――――――――――――――――――――――――
北朝鮮では食料も生活必需品も不足していました。
帰国した人たちは、こんな体勢の元で、どうやって暮らすことができるのかと、不満を募らせました。
不満を言う人たちは監獄へと送られました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
キム・イルソンは更に軍備の増強にも着手しました。

――キム・イルソンの演説――――――――――――――――――――――――
我々は戦闘訓練を強化し軍事技術を高め、戦争準備を強化しなければならない。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

1962年〜全人民の武装化〜
<ナレーション>
キム・イルソンは全人民の武装化を提唱。
老人、女性、そして子供にまで武器を持たせ、軍事訓練を受けさせました。

ソビエトの専門家が試算したところ、60年代後半、北朝鮮の軍事費は国家予算の50%を超えました。膨張する軍事費はますます国民の生活を苦しめました。

1060年代、ソビエトと中国との間で社会主義の路線を巡り、激しい対立が始まりました。
西側との平和共存を唱えるフルシチョフ。
革命闘争の継続を訴える毛沢東。

金日成はどちらの側にも組せず、中ソ双方から援助を引き出すことに成功しました。
このときキム・イルソンが打ち出したのが主体思想でした。1965年の事です。

  ◆主体思想塔の映像

  〜政治における自主、経済における自立、国防における自衛〜


社会主義の中で、ソビエトにも中国にも頼らない独自の路線を突き進むと宣言しました。

60年代、ソビエト大使館に情報分析官として勤務したドミトリー・カプースチン。
主体思想によってキム・イルソン(金日成)の個人崇拝が確立したと指摘しています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手による物です。

NHK「ドキュメント北朝鮮 第一集」〜個人崇拝への道〜(1) 06.4.2放送

先日NHKで放送されたNHKスペシャル「ドキュメント北朝鮮」は御覧になりましたか?
北朝鮮がいかにして今のような個人崇拝の独裁国家になっていったのかを、丁寧に扱った秀作であったと思います。
特に番組内で取り上げた関係者へのインタビューはそのまま貴重な証言集であり、資料としても価値のあるものだと思います。
この番組を金木犀様がテキストにまとめてくださいました。
当Blogへの転載も快く同意してくださったので、ご紹介を致します。
番組を見逃した方もそうでない方も、貴重な証言をどうぞ今一度お読みになって、北朝鮮に対する理解を深めていただけたらと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

━━━━━━━━━━━━
第一集「個人崇拝への道」
━━━━━━━━━━━━
<ナレーション>

厚いベールに閉ざされた国、北朝鮮。
個人崇拝による独裁体制は何故今も維持されているのか?
拉致やテロは誰が指示し、何故繰り返されたのか?
そして核兵器開発はどこまで進んでいるのか?
多くの謎が世界を脅かし続けています。

私たちは、北朝鮮の謎を解き明かす手がかりとなる一万二千ページの秘密文書を世界各国から入手しました。旧社会主義国の党幹部や、外交官が間近に接した北朝鮮の実情を克明に記した資料です。
その記述を元に、歴史的事件の渦中にいた当事者200人あまりを取材。
北朝鮮の知られざる姿に迫りました。

3回シリーズの一回目は強固な独裁体制を作り上げたキムイルソン(金日成)の真実です。
その後巨大な権力を手にしていく課程が明らかになりました。

―――〜金日成の映像〜―――――――――――
我々のやり方でやっているので滅びない。
我が党は世界でも類を見ない「絶対党」なのだ。
――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
建国当初ソビエトから見いだされ指導者となった金日成。
その後個人崇拝を強め、巨大な権力を手にしていく課程が明らかになりました。
いかにしてソビエトの統制を離れ独自の路線を突き進んできたかその軌跡を辿ります。

  ◆映像:証言者との面会の様子

<ナレーション>
2回目は金正日総書記台頭の謎です。
1970年代から80年代にかけて北朝鮮が繰り返した日本人拉致。そして、多くの犠牲者を生んだテロ。
旧東ドイツ秘密文書は、金正日総書記がこの頃、すでに国家の前活動を指揮していたことを明らかにしています。
社会主義では前例がない権力の世襲をどのようにして実現させたのか、その謎に迫ります。

3回目は国際社会を震撼させる核開発です。
核をカードに大国を翻弄する北朝鮮。
映像:六カ国協議の様子

――アメリカ米国務長官――――――――――――――――――
北朝鮮はいつも強硬姿勢を崩さず、我々は譲歩せざるを得ません。
彼らは貧弱なカードを巧みに使いこなします。
―――――――――――――――――――――――――――――

北朝鮮との交渉に当たったアメリカの当局者を取材。
瀬戸際外交の裏に隠された、北朝鮮の野望を描きます。

個人崇拝への道 

人口およそ2300万の北朝鮮。
首都平壌の中心に金色の巨大な銅像が建っています。
建国の父とされるキムイルソン(金日成)です。
人物の銅像としては世界最大規模と言われます。

  ◆映像:花を捧げる市民

北朝鮮の強固な独裁体制を支えているのは金日成に対する個人崇拝です。
その個人崇拝は、数々のプロパガンダによって築き上げられてきました。

建国の歴史を描いた北朝鮮の記録映画です。

  ◆映像:日本軍を撃退する朝鮮軍

―――映像の朝鮮語ナレーション――――――――――――――――――――――――
私金日成は、朝鮮人民革命軍に祖国解放のための総攻撃を命令した。
日本帝国主義者に強烈な打撃を与え、退散させた朝鮮人民革命軍によって我が国の開放は成し遂げられた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
金日成が朝鮮人の軍隊を指揮し、祖国を日本から開放したとしています。個人崇拝の原点である、この建国の物語は事実なのでしょうか?

私たちは北朝鮮建国に至る経緯を記録した機密文書を独自に入手しました。
朝鮮半島北部を占領したソビエト軍が作成した非公開の内部資料です。文書には金日成の経歴が記されています。金日成は19才の時から、中国東北部、旧満州で抗日ゲリラ活動をしていました。その後、ソビエトのハバロフスクに逃れソビエト極東軍の88旅団に参加しました。記録映画にある朝鮮人民革命軍の記述はありません。88旅団はソビエト軍が養成した朝鮮人と中国人の部隊でした。記録映画では、金日成は朝鮮人民革命軍の司令官とされていますが、ソビエト軍の文書では一部隊の部隊長となっています。

  ◆〜モスクワ郊外の映像〜
私たちは88旅団を指導指揮していたソビエト極東軍の将校を探し出しました。
ワシーリー・イワーノフ84才。金日成の上官でした。ワシーリーは、88旅団で金日成に様々な戦術を教えました。金日成の主張する朝鮮人の軍隊の存在を即座に否定しました。

  ◆映像:当時の写真

――ワシーリー・イワーノフの証言―――――――――――――――――――――――――
金日成の主張には賛成できません。
朝鮮軍など存在しませんでした。存在しなかった軍隊に金日成は命令したのでしょうか?
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
日本が統治していた朝鮮半島に侵攻したのはソビエト軍でした。
イワーノフは金日成はこの戦闘にも参加していないと証言しました。

――ワシーリー・イワーノフ(ソビエト極東軍)の証言――――――――――――――――
キム・イルソン(金日成)たちは戦争に参加する準備をし、参戦したいとアピールしました。
しかし我々ソビエト軍の司令官は金日成を戦争に参加させませんでした。
彼らは大した貢献ができないと判断したからです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
朝鮮半島北部を占領したソビエト。
友好的な政権をつくろうと考えたスターリンにとって、重要なのは誰を指導者に選ぶかと言うことでした。

  ◆映像:スターリン、メクレル(ソビエト軍特別宣伝部長)の写真

指導者選びの任務を負った一人が、ソビエト軍の特別宣伝部長、グレゴリー・メクレルです。
様々な候補者と面接し、能力だけでなく、ソビエトへの忠誠度を測りました。
ソビエト軍の秘密文書の中に、メクレルの報告書があります。

  ◆映像:外交文書/チョ・マンシクの写真

面接した政治家の一人が、チョ・マンシクです。チョ・マンシクは朝鮮のガンジーと呼ばれた63才の民族主義者。朝鮮の人々に最も知られた、信望の厚い政治家でした。
しかしメクレルは指導者としてふさわしくないと判断しました。

――メクレルの報告書―――――――――――――――――――――――――――――――
チョ・マンシクは反共産主義的である。
表向きはソビエト指導部を支持しているように見えるが、実際には朝鮮人民とソビエトとの友好に反対している。
彼は我々の信用に値しない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
メクレルも健在でした。
しかし、このあと96才で無くなりました。


  ◆映像:メクレルとの面会の模様。
      取材記者に対してメクレルが日本語で「初めまして」
      「とてもうれしい」「とてもおもしろい」と答える様子

――メクレルの証言――――――――――――――――――――――――――――――――
私は金日成の能力を確かめるため、朝鮮の情勢に関し、様々な質問をしました。
彼は長年海外で抗日活動を続けていたため、朝鮮のことは何も知らないと思っていました。
しかし、キム・イルソン(金日成)は私の質問にとても的確に答えました。
朝鮮の情勢に通じている人の答えでした。私はとても満足しました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
メクレルは、キム・イルソン(金日成)の存在を人々にアピールするため、ソビエト軍の歓迎集会を利用しようと考えました。
数万人の観衆を前に、キム・イルソン(金日成)を抗日闘争の英雄として紹介したのです。
このとき33才。しかし人々は意外な反応を示しました。

――カン・インドク(歓迎集会に参加していた)の証言――――――――――――――――
キム・イルソン将軍という名前は知られていたため、かなり年を取った人が出てくると思っていました。
しかし、出てきたのは、単なる若者でした。
人々は騒ぎ始めました。「あれは何だ、偽物じゃないか?」
会場は大変な騒ぎになってしまいました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
偽物説が広がると指導者として受け入れられないのではないか?
懸念を増したメクレルは策略を練りました。

―――メクレル証言――――――――――――――――――――――――――――――――
私はキム・イルソン(金日成)に指示しました。
貴方の故郷に行くと発表しなさい。希望者を一緒に連れて行きなさい。
キム・イルソン(金日成)は私の指示通り、故郷の訪問をラジオで発表しました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆画像:故郷訪問の写真

<ナレーション>
故郷の人々と再会するキム・イルソン(金日成)の写真です。
メクレルはこの訪問を新聞でも宣伝し、偽物説を打ち消しました。

メクレルの報告を受けた最高幹部がモスクワに送った秘密文書です。
キム・イルソン(金日成)こそ指導者にふさわしいと結論づけています。

―――(報告書の内容)―――――――――――――――――――――――――――――
キム・イルソン(金日成)は、日本帝国主義に立ち向かった英雄として有名である。
彼の名は朝鮮人民の幅広い層に知られている。
朝鮮で統一戦線を創設するとき、キム・イルソンをその指導者に据えるべきである。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
ソビエトが撮影した戦後初の選挙の時の映像です。

  ◆映像:演説するキム・イルソン(金日成)

メクレルから与えられた様々な指示をキム・イルソン(金日成)は忠実に実行に移しました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手による物です。

2006年04月08日

「米軍の対北朝鮮軍事作戦と拉致被害者救出作戦 講師:恵谷治氏」レポート その7

『質疑応答 2』

★質問者2

今日は参加できて、先生の具体的で素晴らしい話が聞けてありがとうございました。
大変参考になりました。

先に申し上げたいんですけども、私はイラク戦争を支持しています。
独裁政権と言うのは倒さなければならない、と思ってアメリカ軍も頑張ってるんですけども、その北朝鮮への軍事作戦。
今日ちょっと遅れてきたんで前半の方話が聞けてないんですけども、アメリカ軍は北朝鮮の政権を倒す為に行動を起こすのはわかるんですけど、作戦を実際に起すにはいろいろと問題が起こるみたいで、韓国との連携の事もありますし、政府は北朝鮮寄りでもありますし。

拉致問題と言うのは日本だけじゃなくてタイとかイタリアも拉致の被害にあってるんです。
で、軍事作戦を起すんであれば多国籍軍の形で北朝鮮に進軍して行って、イラク政権の時のようにちょっと横暴かもしれないけど政権を倒す。
今の状態だとクーデターを起そうにも、結局軍とかに抹殺される状態なので、アメリカ軍がやったみたいに先制攻撃を仕掛けて倒すしかないと思うんですけども。
先生はその辺はどうお考えなんでしょうか?

★回答 恵谷治氏

今あなたの仰ったのは、拉致救出のために多国籍軍を作るということとは別に、と言うことですか?
同じ事ですか?

★質問者2

拉致被害にあってる国が複数あるので、拉致被害にあった国も巻き込んで、アメリカだけではやっぱり、まだアメリカだけではなくて他の国でも金正日政権を倒して、その後も軍事政権を倒すんであれば、イラク戦争をやったときもアメリカは占領軍みたいな形になってますけど暫定政権をおいて、宗教対立とかもありますので向こうはまたややこしいんですけども。
北朝鮮は行く行く先は朝鮮が一つになるのが望ましいと思うんですよ。
脱独裁政権、脱共産党政権を打倒、なくして新しい政権を置いていく必要があると思うんですね。

それと同時に今回は拉致被害者の救出と言う事でありますので、そのために日本は実際平和憲法9条がありまして、日本は他国を侵略してはいけないとか数々の問題があるんですけども、その辺の問題もクリアにして・・・

★恵谷治氏

侵略しちゃいかんと言うのは問題です。

★質問者2

いまでも憲法の方では戦争の放棄とかうたってますよね?
徐々に徐々に自主的に憲法が・・・

★恵谷治氏

分かりました、言わんとする事は分かります。
つまり拉致被害者を救出すると言うことは、今日の今回のテーマと言うか、これは軍事オペレーションとしてどの程度どういう形だと可能か?と言うことであって、それとは別にあなたは北を潰せばいい。
私もそう思います。
すぐ潰すべきです。
しかし、それは簡単には出来ません。
これは大変なイラクでもまだ成功していませんし、それを今度北でもやると言うわけには行きません。
ブッシュ政権もおそらく軍事作戦によって、今の現状ではですね。
倒す気はないと思います。

しかしそうであればあるほど拉致被害者をどうするか?と言う事を考える。
で、あなたの意見は多国籍軍にしてはどうか?と言うことですが、これは秘密保全上それは不可能です。
救出作戦を成功させると言うのは、本当の意味の秘密作戦でやらなければあのような国では出来ません。
ですから、お気持ちは分かりますけども先ほど来言って来たのは、作戦軍による作戦ではなくて特殊作戦でやるべきだと、言う事です。

★質問者3

すみません、川崎市に住んでいる○○と申します。
宜しくお願いします。

まずですね、先生が仰った話で行きますと、今アメリカのほうが北朝鮮に今すぐこの5030の作戦をもって締め付けるという事に出ているという事なんですが、この先ブッシュ政権の後の選挙になった場合に、どなたが選挙になるのか分かりませんけど、この作戦自体がそもそも継続されるか?と言う辺りをまず、先生はどう思っていらっしゃるのかと言うのをお聞きしたいのと。

あと、増元さんが先ほど仰ったんですが、川の向こうの満州側には中共軍がいると言う状況の中で、アメリカが締め付けを行っているんだけども、つまり目標地点としては金正日体制を潰したいとアメリカ側がする場合に、じゃあその混乱に紛れて中共軍が下りて来るのかどうかと言う危険があれば、分かっているのであれば、アメリカとしてはそことの絡みはどうしたいんだろう?と言うのが気になった所はありました。
つまりアメリカが中国にあげても良いと思っているのなら、金正日体制を潰すのも中国のバックアップになってしまう事を彼らは良しとしているんだろうか?と言う所が何となく気になりました。
それは私の考え方と言うのがちょっとおかしいのかもしれませんが、その辺のいわゆる中共と事を構える気があるのかどうか?アメリカが。
その辺がちょっと気になったと言う点があります。

あともうひとつ申し訳ありませんが、説明をお願いしたいんですけど。
韓国の状況、先ほど先生が毎年行かれてこういう状況に対して絶望的になっていくと仰っていましたけども、よく文献なんかで見ますと韓国側からすれば北朝鮮と統一される場合は経済格差の問題で、自分の国の国力が落ちてしまうから、北と統一したくないという意見は良く聞いていて、それもあるんだろうなと私も思っていたんですが、今の結局の盧武鉉政権以下の、いわゆる親北の寄り方と言うのは統一したくないからそうなのか?
それとも気持ち的に思想的に共鳴していてそうなのか?と言うその辺の、どういう意図なのかが良く分からないという事が素人目にもありまして、その辺の事を先生はどういうふうに分析していらっしゃるのか?拝見したいと思いましたのでよろしくお願いします。

★恵谷治氏

中国との事を考えなくてはならない。
そこからお話したいと思うんですが。
これは基本的にですね、現状維持といいますか。
北朝鮮はアメリカのいわゆる影響下には無いと、要するに中国の属国であると。
で、金正日政権が混乱に陥り、あるいは倒れ、あるいはその間に中共が進出なんかすると。
と言っても中共軍は絶対に38度線は絶対に越えません。

そうするとそこにあえて米軍は首を突っ込まないと言いますか、そのときに先ほど言いました5029は韓国軍の支配でやると、いう事になってます。
ですから簡単な結論で言うとアメリカ軍は中共と事を構える気持ちは全くないと。
それは北朝鮮においてもであります。
しかし、いずれにせよ21世紀は中国とアメリカの対決は定めなんです。
そんなところでは対決したくないと、言うのがあると思います。

それと最初の質問の5030が今も進んでいますけども、大統領選挙になったらどうか?と。
基本的には続くと思います。
しかし共和党政権から民主党政権に代われば何らかの影響、つまり予算の問題その他で内容が変わるかもしれませんけども、軍のオペレーションが続いている限りは私は続くというふうに考えています。

いずれにしても民主党政権も北は何とかしなければならないになるんです。
仮に民主党政権になったらなったで北は核の問題を含め、何らかの対処が必要であると言うのはこれはアメリカ人の一致した考えと思いますから、規模は変わるかも知れませんが作戦自体は私は続行されると言うふうに思います。

それと最後のは、韓国・・・

★質問者3

いわゆる盧武鉉政権が北よりなのは、統一したくないからなのか?
それとも別の意図、思想的なシンパシーがあるのか?その辺を、どのバランスなのか良く分からない。

★恵谷治氏



はい。
この南北統一問題と言うのは、統一はわれらの願いと言う歌があるように彼らは南北ともに思っています。
ところが今言われたように、ご存知のように東西ドイツ問題で西ドイツ側の負担が大変大きかったという事が判明した段階で、韓国は統一と言う事を言わなくなりました。
それはまだ赤化政権で無い時代。

ところがそれを逆手にとってですね。
金正日が考え出した戦略は民族統一、民族を主体に出して。
この通常民族と言う言葉は言う所の左ではなく右が使う言葉を先にですね。
金正日は民族と打ち出して南を揺さぶった。
誰も民族統一と言う物を反対と言うことは普通ありえない。
南北統一だったらさっき言ったように南と北で分けておこうと、言うことが言えますけども、民族統一でどんどんいわば洗脳されていったと。

ですから形としては南北統一と言うのに向かって反対は無いんですが、問題はですね。
この実態は何か?
すでに新聞その他でも、あるいは雑誌で解説があると思うんですけども、2001年の南北頂上会談で取り決めたことはですね。
金大中大統領が提唱した国家連合、南と北が連邦国家と。
低い段階で、言葉は別としてとにかく国家連合的な物を作ろうという約束をしました。
で、それが現在進んでいてですね。
進んでと言うか今度改めて、6月行くかどうか分かりませんが、金大中自体が北に行くと。
と言うことはその話をもっと具体的にすると言うことです。

この本質は何かと言うと、これを進めていくと北朝鮮主導による統一が完成する。
北朝鮮と韓国が名称は別として連邦国家を作る。
その連邦大統領と言う職責が出来る。
連邦議会が出来る。
連邦議会の代議員を人口比で行けば2対1で、韓国が100人北朝鮮が50人の代議員が選出されて平等な議院運営が出来る。
ある議題が提出される。
一つの議題について北朝鮮が提出する議題はですね。
50プラスいくつでも良い訳です。

で、現在の韓国の世論を見ると北朝鮮支持が3割。
これを連邦議会の代議員に当てると30人が北朝鮮の提案に賛成するだろう。
理論的には7対8で、北が提案する議題は全て可決される。
となると大統領は金正日がなる。
後は全て法律が北主導で可決されていく。
これが現在のシナリオです。

これは現実的に稼動していてですね。
もし金大中が行き、先ほど行ったアメリカの圧力を感じて南北が首脳会談をする。
そうすると今の国家連合と言うのはもっと先に進む。
この間約束しました。
そうすると次は何年何月までにこういう形で選挙をしようとか、あるいは・・・(聞き取れず)を決めようとか、具体的になります。
そうするとこれは間違いなく、北朝鮮主導による統一朝鮮が完成するという、これは現実です。

誰もそんなことはならんだろうと、いうふうに思ってますがこれは今のままで行けば間違いなくそうなると。
ですから国民が望むとか望まないとか関係なく、南北で統一国家を進めようと言う約束はこれはしているんです。
そうすると金大中が次に行ったらもっと具体的なプログラムを作ると。
それしかないですから、そうすると韓国民が好むと好まざるとに関らず、そういう流れで行く。
と言うことだけ。
統一したいのかしたくないか、というのとは違う次元で進んでますからね。

★質問者3

どうもありがとうございました。

★荒木和博 調査会代表



今のお話に付け加えると言うか、ありますと。
去年の7月に韓国で世論調査をやって、1980年代生まれの人に対する世論調査をですね。
アメリカと北朝鮮が戦争をしたらどっちにつくか?と、6割くらいが北朝鮮につくというふうに回答しています。
で、ところがその一方で将来移民とか仕事で外国に住むとしたらどこがいいか?と言うと、北朝鮮と答えた人は全く一人もいなかった。
一番多かったのはオーストラリアで17・何%で、その次がアメリカの16・何%で、3番目が日本で15・何%。
オーストラリア・アメリカ・日本で殆ど変わらないと。
日本が、これだけ反日教育をやっても、それでも行きたいと思っている。
アメリカが2番目だと。

物凄いギャップがあるんですけども今恵谷さんが言われたように、仕組みとしてはまさにその仕組みで動いていて、特に来年12月が大統領選挙ですから、もし大統領選挙で負けてしまったら、当然今の政権側は報復を受けるだろうと言う事は十分考えているわけでそうしない為には絶対後戻りできない所に持って行こうと、言う事を至上命題にしている感じがします。
まさにそれに従って今恵谷さんが言われたような事が、進んでいると。

後余り時間が残っていないんですけども、今お話がありましたが、これから先やはりいろいろな情報がでてくる等々の事によってですね。
どういう事が出来るか?と言うのが変わってくる事もあるのではないか?
意思の確認とかそういうことまで出来るようになってくるまで可能性はあるのではないか?と言う感じは致しますので。
それが出来て場合によってはその人がある程度動けるような事が可能であれば、例えば東海岸のどこどこへ来てると、言う事でですね。
そこへ迎えに行くと言うことはひょっとしたら可能かもしれない。

あるいはもっと問題が何かあれば、先ほど恵谷さんが言われたゴ・コクレツの息子、ゴ・セウクが船で出たようにですね。
船で海上まで脱出してもらう方が、もし出来ればね。
そこでも引渡しが出来るようになるということ、まぁこれだと一番問題が無い。
と言うことなんですけども、それもこれから先の情報の出方によってはですね。
いろんな事が当然考えられるのではないだろうか?と。
情報をいかに収集できるか?
これは恵谷さんの方から工作員と言うことも言われましたが、これは朝鮮族とか脱北者とかそういう人たちの協力を得る事である程度のことはカバーが出来る可能性がある。
これは拉致問題の進展によって、北朝鮮の政府にも当然圧力はかかるわけですから、脱北者の人からしてみればそれによって金正日の政権を倒すことに近付くんではないだろうか?
と言うふうに思えばですね、お互いに共通の利害と言う事で可能性も当然あるのではないかと言うような感じが致します。
そこへ持って行かなきゃいけないと思うんですけども。

実は先ほどご挨拶に出ました山谷政務官のところにですね。
昨日行って参りまして、今恵谷さんの言われたそのオペレーション。
それからその前段階での、この中で言うと5029との絡みであります、崩壊の時の邦人保護。
それからそれ以前の段階としても情報収集と、言うことで自衛隊を是非活動する場を設けて貰いたいと。
言うような事をですね。
お願いと言いますか、ご説明をして参りましたので、政務官トップであります鈴木官房副長官にもお話を伝えてくださったそうですから、いろんな事が動いていく中で段々段々に全体が動いていく可能性があるのではないだろうか?と。
と言うか動かしていかなければいけないだろう、と言うふうな感じです。
恵谷さん、最後に何か・・・

★恵谷治氏

きちんといわゆるオペレーションと言う物を紹介出来なかったんですが、もしいつか機会があれば過去の救出作戦と比較しながら皆さんと考える機会が有ればと思います。
ありがとうございました。(拍手)

・・・講演会終了・・・

2006年04月07日

「米軍の対北朝鮮軍事作戦と拉致被害者救出作戦 講師:恵谷治氏」レポート その6

『質疑応答 1』

★質問者1

えっとですね、この意思の確認についてなんですけど、意思を確認する方法、おそらく無いと思うし、自分は北にいる人を連れてくるのに意思を確認する必要は無いと思うんですね。
過激な表現になっちゃうと思うんですけども、拉致の一歩手前のような方法を使ってもいいから原状回復するんですから、向こうにいる日本人がどこにいるかが分かったらどんな方法を使ってでも連れてくるというやり方が良いと思うんですけど。
向こうにいる人が日本に帰ってきてからどうするか?であって、向こうから拉致された人を連れて帰ってきたら一定期間洗脳を解く為の収容所に入れて、そこであなた方は向こうでどういうあれで出て来たか知らないけれど、本当はこうなんですよって再教育みたいな事をしてやればいいんであってね。
向こうの意思を確認する方法も無いし、確認する必要も無いと思うんですよね。
ちょっと上手く言えないんだけど・・・

★回答 恵谷治氏

お気持ちは分かります。
私は意思確認はするべきだと思いますし、その方法は唯一我が方から工作員を送ると言う事です。

★質問者1

工作員?
工作員を要請する機関を作らないといけないですね。
陸軍中野学校みたいな。

★回答 恵谷治氏

そうあれば一番いい。
そうでなくても、そういう能力を持ってる方は・・・(聞き取れず)

★質問者1

ありがとうございました。

★質問者 増元照明氏

どうもありがとうございます。
先生、5029作戦の際の軍事オペレーションと言うか軍事行動が騒がれていると仰いましたが、5029、5030ですか。
ただ、今中朝国境には中国軍が大量に張り付いているわけですよね?
当然朝鮮国内にも中国人がうようよしているわけですよね?
クーデターが起こったらまず最初に突入するのは中国軍ですよね?
そことの軋轢等も考えて果たして出来るのかどうか?と言う、日米韓が軍事行動が出来るのかどうか?
それは非常にちょっと疑問に思うんですが?

それと意思確認の中で、私も先生と同じように向こうに行って一人連れて来るにしてもですね。
やっぱり一人で帰って来たら来たで日本サイドで非難が起こるし、子どもたちを残してきた場合に必ず子どもたちを軍事的に救出できる能力が日本にあるのか?ですね。
被害者を連れて帰ってきて、そこにいました。
じゃあ他にもいるだろう、全部返せとそれだけの意思が日本にあるのかどうかそれも非常に疑問があるので、意思確認と言うよりもちょっと軍事オペレーションに関しては悲観的な思いがしているんですけれど、どうでしょうか?

★回答 恵谷治氏

仰るとおりなんです。
5029と言うのは基本的に米軍より韓国軍がやるようになってるんです。
言うスタンスで、在韓米軍は支援をするという事になってます。
そういった状況の中で、当然人民解放軍がどこまで出っ張って来るか分かりませんが、少なくとも現状の韓国政府の軍事オペレーションには日本が、ましてや自衛隊が中々共同作戦は出来ない。
政府が赤い政府じゃなかった時代はかろうじて自衛隊と連携がよかったんですが、どんどん変質して今仰れらたようにですね。
その後北が反乱した時に、果たして自衛隊が行けるかどうか?と言うのは本当にそう思うんです。
それ以前に日米安保条約においても、北朝鮮が混乱した時に米軍と共同で自衛隊が北朝鮮で貢献できるかどうかを含めて出来ませんし。
私がここに書いたのはですね。
とにかく混乱が起きて中国軍が出っ張る、あるいは暴動が起きる。
何らかの状況になった時に保険用に準備を整え待機ををしておく、と言うことしかと言えないという事で、お気持ちは良く分かります。

★質問者 西村幸祐氏

あの、2点ほどあるんですけども、まず現状では日本の場合は特殊作戦でないと救出作戦は出来ないだろうということだったんですが、それでドイツがですね。
以前、ルフトハンザ機のハイジャックの時はですね。
あの時はドイツは特殊部隊を派遣しているんですよね。
同じ敗戦国でありながらですね。
なんでかくも違ってしまったのか?と言う事をちょっと教えて頂きたいのと。

それともう一点、今韓国の国情院(=韓国国家情報院)の長官が来日しているらしいんですが、国情院の長官が来日する事は珍しいらしいんですが、余り北朝鮮に圧力をかけるなと言う事を言ってるらしいですね。
それは朝鮮銀行の事なんですけども。
で、果たして今の韓国の国情院でですね。
そういった意味で日本とは完全に共同でオペレーションを組むような体制ではなくなってしまったということなのかどうなのか?
完全に北朝鮮の手に落ちているものなのか?
その辺の経緯を詳しくお聞かせいただければと思います。

★回答 恵谷治氏

最初のこの間の・・・・・・・・・・(ハッキリ聞き取れず)言う意味ではですね。
日本はですね、言葉は悪いですが開闢(かいびゃく)以来初めての経験。
ドイツと言うのは年中負けていたんですね。
ですからそのショックは全然違います。
それとですね。
日本人は明治以降膨張して行って・・・・・・・(聞き取れず)
つまりドイツの様にですね。
ヨーロッパで行ったり来たりの攻撃というのは日本は経験していません。

それでそういった地勢的な意味と同時に敗戦のショック、陸軍が悪いんだという事でですね。
軍の関係者はとにかくパージして、それまで苛められていた内務省がですね。
これから日本を救うんだと。
軍には力を与えるなと。
とにかく軍人のプライドをズダズダにしたわけですね。
それに乗っかって社会党さんがやったもんですから、言葉で言う時代の中で。
ご存知のようにファントムを買った時にも社会党が足を長くするなと、侵略を意味するという寝言を言ってそれを呑むと。
それで国会を通過させるといったような、話す必要も無いほどくだらない事がたくさん起きた。

ですからそういう意味ではですね。
もう今や普通の国になりつつありますし、ドイツのGSG9にはまだまだ至りませんけど、警察庁・海上保安庁含めてですね。
大抵の部隊に特殊部隊と言うのを作っておりますし、特に私は海上保安庁のと言う関係もありますけど、海上保安庁の特殊部隊は非常に訓練を積んで優秀だと思いますし、それなりに日本は出来つつあるという事だと思います。

ですからモガディシオの急襲のようなことが日本に出来るか?と言うとまだまだ分かりませんけども、いずれ出来るようになるのではないか。
それは全ては政治ですから。
軍事的には特殊作戦に行けと言えばばっと行きます。
それくらいのことは当然出来ると思います。
そういう事だろうと思うんです。
今後日本もそうなっていくべきだと思いますし、なりつつあるという事です。

2点目の安企部、現在の国情院、この辺にもいらっしゃいませんか?(笑い声)
これは全く単純、これはですね。
取材活動をすると、いわゆる脱北者。
以前の安企部はですね。
脱北者の話を是非聞いてくださいというふうにアレンジしてくれました。
今脱北者と接触する事自体を阻止しようとします。
つまり北の悪口を書くなと。
ですから私なんかが韓国に行ってももうついて回っております。
これは国情院と言うことはイコール韓国政府と言う事で、政府も大統領補佐官の中にもいますし閣僚にもいますけども、とにかく今の韓国社会全体が金正日による50年に亘る対南赤化工作と言いうのは、完全に実を結びつつある。
ここが現在の盧武鉉大統領と言うのは別に親北でもなんでもないんですが、なんでもない分、周囲がですね。
上手く利用すると。

ですからお話が出たついでに言いますと先ほど言ったように今年は北朝鮮をブッシュ政権が何とかすると言うふうに先ほどしたいと思っていると言いましたが、そういう動きが強まれば強まるほど今度は南北首脳会談と言うのがまた話題になる。
つまり南と北が民族共助で仲良くやってるのを壊そうとしていると言う構図を作る。
これだけは間違いがありません。
ですから少なくとも韓国軍はまだ、それも将軍クラスは軍人と言えば政治家ですから政権よりの人もいますが、それでも韓国軍と言うのはまだまだ韓国を守ろうという気概はあると思います。
しかしその上に立つ政治家との関係で言えば、靖国にも絡んでそのこととは別に政府が赤化しつつあるがゆえにいろいろと上手く行かない。

もうだいぶ皆さんもご理解していると思いますけども、日米韓三ヶ国同盟と言うか、こういうものは全く存在しない。
日米の同盟関係を重視するしかないと言うのが現状。
大統領選挙が来年ありますから、風向きも変わるかもしれませんが。
私毎年韓国に行きますが行くたびに絶望しつつあると、いうような感じです。

・・・レポート7に続く・・・

2006年04月06日

「米軍の対北朝鮮軍事作戦と拉致被害者救出作戦 講師:恵谷治氏」レポート その5

『恵谷治氏の講演 4』

・・・このエントリーに関係する資料の引用・・・

自衛隊による日本人拉致被害者救出作戦の核心
   国家の意思と能力
   特殊部隊による作戦と特種作戦の違い
   事前の情報収集
     位置確認
     意思確認
     現場確認
   軍事オペレーション(米軍との連携)
   教育・訓練
   常時待機
   秘密保全

・・・引用終了・・・



さて、我が自衛隊による救出作戦の活動についてですが、今日の席はシュミレーション講座とありますが、
私も個人的にはそういう作戦を考えるのは大好きなので、色々考えました。
しかしまてよと。どなたでもこの救出作戦を感あげるとぶち当たるのが、ここに最初に書きました、国家の意思と能力といういわば政治の問題です。

本当に、これまでの日本を見ていますと、日本人を救う意志があるのか無いのかというふうに非常に疑問に思います。
個人の経験も含めて、戦後、軍ががなくなったあと、いわば外務省が一等官庁になって、【法人保護という認識がなかった】と、こう私は断言します。

ひとつ実例でいえば、みなさんも経験があるかもしれませんが、国外の大使館に行って、大使館員の対応を見れば、これはあきらかです。
普通にブザーをならしてはいれば、本当に自国民を守る気概があるのかと言いたいぐらいの対応です。
しかし一方で、誰かの紹介があれば、大使が「晩飯を」というぐらいの態度の変わり様を、私も何度も経験したことがあります。

それは別として、戦後日本は敗戦というショックから立ち直ったにも関わらず、国家というものを、どのような方向に持って行くかということが何ら討議されずに、今日まで来ました。
その、いちばん明らかな証拠が、防衛庁と自衛隊を曖昧な状況においたままだと言うことです。
防衛庁が防衛省になりそうだと、今年はなるんじゃないかと思っていたんですが、別の不祥事がでまして先送りになったと言うこともあります。

これは名前だけ、形式の問題でありますが、一番大事な、最大の問題は、日本という国を、世界でどういった位置づけにするのか、あるいは国をどうするのか。
九軍は国体を守るといいながら、住民をどかして自分たちが陣地を敷いたということも実際ありました。

とにかく国を守る、あるいは、国民を守るということが、どういう事かと考えれば、拉致被害者を救出すると言うことは、ごくごく当たり前のことでございます。その発想すら、及ばない。

小泉首相は「対話と圧力」と常に寝言を言っております。「圧力とは何か」と。
外務省の役人は「それは米軍である」と。
そう言うことを平然と言ってのける日本というのは、情けなくなります。

そう言いながらも、すこしづつすこしづつ、自衛隊の組織も変わり、国民の理解も変わり、もう今や、・・や研究は普通にできるようになりました。

作戦研究はというのは、どんどんすべきでありまして、そう言った中で、ここの2行目に書いてある<特種部隊による作戦>と<特殊作戦>この違いを認識していただきたいと思うわけです

テレビその他で言う特種作戦というと何かと言えば、当然特別な作戦と言うことです。
特殊部隊が、まぁ、我が自衛隊にも特殊作戦軍があります。彼らが行う作戦というのは、当然みなさん想像できるでしょう。

ところが<特種作戦>というのはそう言うことではないのです。
いわゆる、特種作戦軍が行う作戦というのは、当然、まぁ、日本で言えば、自衛隊法、あるいは、国際法に則った作戦です。
ところがそれに当てはまらない。つまり国境侵犯をせざるを得ない。しかし、自国民が窮地に陥っている。であれば、どうやってそれをやるのか、といったことを考えてやるのが<特種作戦>。つまりその場合には、身分も全て、軍籍からはずして、それで特別なことを、国家の意思でやるということ。これが特種作戦です。
ですから、特種作戦と特種作戦軍による作戦とは、全く違う。

この日本人拉致救出作戦という事のは、特種作戦でない限りできない。
これは、どこの国も、宣戦布告をしない限り、国境を侵犯すると言うことですから、国際法違反をするということ。
過去の実例をあげれば、ウガンダ、エンテベ空港にいるイスラエル人を救出した例、あるいは失敗しましたけれど、米軍がイランに入った例、これは文字通り特種作戦。

この違いを、明確に区別しないと、まず作戦の・・・がわからない。と同時に、この日本が、あるいは日本政府がどこまで判断できるかという問題に関わってくる。そうしますと、戦後自衛隊、防衛庁というものが曖昧なままでおいてきた、この国がですね、いきなり特種作戦ということは、これは不可能です。

特種作戦軍による作戦、これはやっと国民の理解も得られ、できるでしょう。作戦軍の側は、そう言う意味でいつ命令が下っても、それなりにできる用意はあると思います。しかし、それは、全て政府が決定することであります。
そうではなくて、政府が決定するんですが、「これは特種作戦であって、君たちが自衛隊から除籍する、個人の資格でやってほしい」というところまで決断なんていうのは、これは政府にはとてもできない。
逆に言えば、拉致救出作戦というのは、まずシュミレーションとしてはできますけれども、政府の決断としてはできないということです。

しかし、別に絶望することではなくて、大事なことはですね、特種作戦ではなく、特種作戦軍が動くケースというのを想定して、あらゆる事の備える。そのチャンスが先ほど最初に言いました、5029が発動されたときです。
つまり今北朝鮮でクーデターが起きて混乱が起きているときに米軍との連携で自衛隊が出動する。これはいろいろ難しい法的問題もありますが、しかし、先ほど言った特種作戦を決断するよりは政府も容易にできるだろうというふうに思います。

一方で、私はこの作戦シュミレーションをいろいろ考えてきましたが、一番大事なところはですね、作戦シュミレーションはいわば、ある設定をして、それはできないことはないんですが、やはり一人ないしは数人を救出するのか、あるいは十数人を救出するのかで、もう、この作戦内容は全く変わってきます

ですからこの救出対象をまず設定しない限り、やはり具体的シナリオというのは組み立てられない。そう言ったときに、ここに書きました情報収集の最大のポイントは<位置確認>これは誰でも考えつくと思います。

次ぎに、<意思確認>このほうが重要で、これが見落とされがちということです。つまりそこに拉致された日本人がいることが明らかになる。そこにいきなりパラシュートが降りていき、「日本から救出に来ました」と言ったところで、心の準備もなければ、「じゃぁ、家に帰りたい」、だけど、もう彼らは何十年もそこに生活基盤がありますから、親しい人、いろんな方があるでしょう。ですから、拉致被害者がそこにいることが確認できたら、次ぎに大事なことは、彼らが帰りたいのは当然ですが、帰るに当たって誰々を連れて帰る、これのよってまた作戦はずいぶん変わってきます。

「貴方だけか」「子供だけか」「そのことはこちらの方からできますよ」おばあちゃんと一緒じゃないと帰りたくないと要求する、それを確認しない限り、この作戦は、絶対に成功しません。

となれば、対象と接触して、長いコミュニケーションをとって「本当に帰りたいんだ」「何人なんだ」「誰々なんだ」ということが確認できてはじめて作戦が動き出す。

つまり何人かが決まる。そこに老人がいれば、それなりのことをしなければならない。そうすると、一概に拉致人質救出作戦といっても、その状況状況で、無数に変わってきます。ヘリに乗せて、あるいは、荒波を超えるときに、子供達がそれに持つのか持たないのかも含めてですね、とにかくそれによって装備からすべて変わってくる。

作戦軍に対してですね、「何でも良いから、特定をしてこうしろ」と言われても、現実問題として、全く違う作戦にならざるを得ない。



それからもう一つ私がいつも思うことは、特種作戦、一般的に、肉体的、精神的、サバイバル能力も含めてたことは十分訓練でできます。

しかし、私は今日本で一番欠けていることは<国際感覚>。
ですから私は作戦軍の人間は、とにかく暇があれば、海外に行く、個人の旅行でもいいし、あるいは班での研修でも良いし、とにかくあちこちに行って、言葉で言うところの<見聞を広げる>と言いますか、それが一番大切なことだと私は思います。はじめて外国に行くとか言う連中は、作戦と言っても、そんなのうまくいく訳がない。

これは、欧米の特種作戦部隊とは全く違います。もう彼らは世界中を、隣町のように動いています。もちろん、親類係累があちこちにいるというのもありますが。そう言った中で、様々の文化の違い、その他を理解して、いざというときに役立てる。

まだまだ自衛隊も役所ですからそう言うところに行くというのは、認めないのかもしれませんが、とにかく、そういう隊員も普段からですねいろいろ(な国に)行って、研鑽に励んでもらいたいと思います。

次の、軍事オペレーションというのは、これはまぁ、みなさんもイメージする、あるいは、作戦軍であれば、それなりに、イメージする、組み立てる、これが一番基本的には大事になるんですが、まぁ、ここはできるんです。

ここに敢えて米軍との連携と書きましたが、これは、例の衛星通信とか、米軍にしか頼らざるを得ないという部分がありますから、当然ですが。まぁ、単なるオペレーション、それに伴うロジックその他というのは十分作戦軍はできると考えています。

で、先ほど言った、特種作戦に当たって、何より独身であるとか、あるいは、こういう特技があるとか、あるいはこうだ、とかいうふうに絞り込んで、本来の意味での自衛隊を除隊したことにしてですね、というようなある意味での<特種作戦>ができるようにまでなってもらえればと思います。

訓練も同じですが、その時に、常に、どういうケースでもありうるということを想定して頂ければと思いますが。
とにかく常時体制、これはもう、軍というものは、いつ命令が下っても対応できるように、日常に、シュミレーションその他を研究している。それが三谷研究の騒ぎ以来できなかったと言うことでありまして、もう今やできますから。今の状況では、「ここまでできます」という風に、特にこの人質救出というのは、このバリアがとれれば動けるんですと言ったところまで、やっておくべきだというふうに思います。

それから最後の、<秘密保全>これ何故敢えて書いたかと言いますと、私は人質救出作戦というのは、本気でやるのであれば、本来の意味での、<特種作戦>にしかできない。

そう言う決断ができる大物政治家が首相になれるのかどうかわかりませんが、それしかできないとなるとですね、その決断する首相と、ことに官房長官、自衛隊のオペレーションを遂行する部隊をですね、政府内部でも数人、10人ぐらいしか知らない、そう言った中で警察庁にはどの段階まで言っておくかとか、いろいろ本当に政治の駆け引きと言うことになりますが。

まず、大事なことは、外務省には一切つたえないこと。
これは基本中の基本、ところがなかなか政治というのはそうはいかない。

だけれども、秘密保全を考えれば、これは基本です。
とにかく可能な限り少なくする。しかし少なくすれば、それだけ運用はうまくいかないでしょうから、非常に難しいけれども、とにかく拉致被害者の救出作戦を考えれば、特種作戦を前提に、そうすると秘密保全というのをどこまで絞って、それで実際特種作戦軍が動けるのか、あるいは特種作戦軍から何人を抽出するのかを、あるいはそう言う作戦というのを、伏せながら、海空(海自・空自)が、現場地域に何ら疑問も持たずに配備されるという、こういったことが必用になる。

ですからシュミレーションというのは、もちろんいろんなシュミレーションができますから、今日ここで、平壌に報告が行く人もいるでしょうから、具体的に話しができないんですが、まぁ、考えられるというのは、大きな声で話ができるというのは、ここまでということにして、あとは質問でやっていきたいと思います。
(拍手 講演終了、質疑応答へ)

・・・レポート6に続く・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエントリーは金木犀様の手による物です。

「米軍の対北朝鮮軍事作戦と拉致被害者救出作戦 講師:恵谷治氏」レポート その4

『恵谷治氏の講演 3』



次にこの実例2、宣伝ビラについてお話しますとご記憶の方もいらっしゃると思いますが、産経新聞で一面トップにですね。
ソウルの久保田記者が反体制ビラを入手し、写真入りの記事が出たことがあります。
そのビラには金日成・金正日親子の10大嘘というタイトルで、北朝鮮の質の悪い紙で手書きで書いてあってビラがあって、いかにも北朝鮮で作られた反体制ビラと言うもので、久保田記者は実態を知っていたかどうかは分かりませんが、そういった報道が流れました。

そのビラを作った担当者とも会った事もありますが、実はこれは5030の作戦の一環です。
こんな事をまた大きな声で言っていいのかどうか分かりませんが、その内容を言いますとですね。
とにかく中国東北部で質の悪い紙を入手して、脱北者を集めてですね。
10大嘘と言う文章を、彼の言葉で言うと何十人も集めて手書きで一斉に書かせて、それをコッチェビと言いますが孤児と言いますか浮浪児たちに渡して各所で配る。
言う事をやった一枚がどういう経緯か知りませんが、産経新聞に届いた、と言うことですが。

その結果ですね。
産経新聞が報道した。
ところが、その担当に言わせるとですね。
全然効果が無かったと。
と言うのもですね。
あえて本物らしく北朝鮮の紙を使ったもんですから、質が悪くて回し読みするので破れて、あるいは屋外で撒いても雨なりその他で破れて、上手く行かなかったと言っておりました。

そこでですね、じゃあ今度はどうするか?
考えた結果、この際そういう北朝鮮内で作られたと言うふうな偽装は止めようと。
もう一つですね。
文章を読むと当然考えて書いたんですが、やはり北の人間が書いた文章ではないと言う指摘があったんです。
これは大変微妙なところですが、その反省を生かして北の人間のようなきちっとした文章に直してですね、印刷した。
印刷して大量にばら撒くんです。
と言う事でやった。

それで先ほど言った雨その他の問題がありますから、撒く方法もコッチェビ・孤児たちに持たせて撒くのも地域的な限界があると、言う事で風船に付けて、実はですね。
ご存知だと思いますが金大中が平壌に行く以前までは、韓国の安企部は公海に船を浮かべてどんどん風船を飛ばしていました。
その風船の一部が日本まで届いてですね。
これは北朝鮮謀略であるか?とか、ガスが詰まれていたのではないか?と公安当局が何回も大慌てした事がありましたが、私もその鑑定に行ったことがあります。
しかしこれは韓国が飛ばした物の一部が日本に気流の関係で届いたと言う事なんですが。

それに様々なラーメンを下に、とにかく風船の下に付けていく。
インスタントラーメンとかストッキングとかコンドームとか、とにかく軽くて住民が喜ぶような物をどんどん飛ばしていました。
この風船の計画は私は非常に有効だったと思うんですが、北朝鮮側もそういうものが飛んでくるわけで、「毒が塗ってあるので触ったらすぐ死ぬ」と言うふうに教育していたんですが、それも先ほど言ったように全国津々浦々に教育が行き渡るんですが、腹を空かしていたら死んでもいいやと思って食べてみれば美味かったと。
と言う事であっという間に当然広がると、言う事だったんですが。
南北頂上会談以降停止して、私は知らなかったもんですから安企部にその取材を是非やらせて欲しいと頼んでたんですが「もう今はやっておりません」と。

その分DIAが始めているんですが、先ほど言ったとにかく多くの人間に金日成の10大嘘、これはですね。
10大嘘というのは、金正日は白頭山で生まれた→生まれてはいないと、ソ連で生まれたんだとか。
我々から見れば普通の内容です。
もっと言いますとですね。
普通の内容と言うよりも北朝鮮で教育されている事実より、ちょっと違う事実を伝えていくのが非常に需要だと言うのが最近私は知りました。

というのも亡命者と話をしましてですね。
金日成の経歴の偽造問題がありますが、韓国が対北宣伝放送にまだ力を入れていた頃、教育放送と言うのがありまして、その中で韓国の解説員がですね。
ご存知だと思いますが東大の和田春樹教授の文献を引用してこことここがこう違うという解説をしていたそうです。
それを聴いていた脱北者から聞いたんですが、それを聴いただけでびっくりして逆に言うと納得できたと。
嘘であると言う事がよく分かったと。

逆にですね。
ご存知のように和田春樹教授は、北寄りの書き方をしております。
ところがそういう北の教育よりもかけ離れた説を伝えるとですね。
これは多分謀略だというふうに分かって、信用されない。
少し、北で言われる事のこことここが違うんだと言う事が説得力がある、と言うふうに伺った脱北者と話をしまして、なるほどそういう物かと思いました。
ですから親子10大嘘という物の中身と言う物は中身はたいした物では無いんですが、とにかくそれを行き渡らせる。

Img_2374.jpg

と言う事で実はこれが本物です。
これは初めてお見せします。(ビラを掲げて会場に見せる)
コーティングしてですね、これを風船につけて撒いております。
で、裏にお分かりだと思いますが金正日花と言うのをやっておりまして、この下は九九を書いてあります。
つまりこれを拾ってですね。
安全員が来たらさっと表を出せばですね。
花があって九九の勉強をしているというふうに考えてこれを作ったそうです。

この話をしておりましてですね。
この金正日花であればですね。
これを没収して全て焼き払える、あるいは切り刻める。
言う事で私はですね。
「折角写真を印刷するんであればここに将軍様の写真を使うべきだ」と。
そうするとですね。
これは切れないですね、ご真影を、あるいは燃やせない。
で裏のこの宣伝文はそのまんま、残ると。
「そうか、じゃあ次はそうしよう」と。
それが今どこまで進行しているのかは今ちょっと聞いてませんが、そういう事もやっております。
そういう意味でここに実例と書きました。

それと5030と先程言ったように、かつてはCIAがやった事を軍がやるという中でここに実例その4、外貨流入を遮断と言う、これは財務省その他、マネーロンダリング・偽札とかですね。
そういう表でも出来るわけですが、例えば麻薬なんかの摘発を表であればそれなりの刑事手続きが必要です。
しかし軍であればそれなりの活動が出来ますし、面白いことにですね。
米軍はJIATFという麻薬取締りの専門部隊を持っております。
軍がこれを、日本の麻取(=麻薬取締り)のような物ではなくて軍独自でやってるんで、実は私もその実態は知りませんが、軍の中でそういう活動が出来る体制が整っていると。
ですからこういった事も軍事オペレーションとして出来るんだろうと、と言うことです。
この5030というのはずっと現在進行形でありまして、流血の無い軍事作戦といいますか、北朝鮮をとにかく倒していく為のあらゆる手段・アイデアだと思います。

話は飛びますけどもベトナム戦争当時ですね。
いわゆるベトコンを倒す為にはどんなアイデアでもいい、これはCIAがやりましてですね。
センサーを落としてとか、とにかくあらゆる考えられる物・アイデアを募集して、実行可能なものからどんどんやった事があります。
結果的にはさほど効果は無かったんですが、私はそれに似たような事をこの5030でやってるんではないかと言うふうに思っています。

それでここにその次に2行、ご存知の大使と在韓米軍司令官の事を書きましたが、この人事はですね。
ブッシュ政権がいざ事がある時には明確な意思表示をするという布石。
この二人の経歴を見れば冷戦崩壊当時にヨーロッパにいた、あるいはそういう役職で経験豊富な二人の布陣と言うのはこれはブッシュ政権の意図が感じられると、いうふうに思っています。
ただいわゆる5020レベルの物、あるいは5026のような限定空爆ないし軍事オペレーションがあるかというと、基本的に私は無いだろうと、言うふうに考えています。

しかし、やるぞやるぞというその姿勢、それは先ほど言った117を投入したような言う形で金正日を怯えさせる。
言うことは常にやるでしょうが、実際問題のやればですね。
5027のこの作戦はもちろん2年ごとに改訂されていますが、結局大規模な地上軍を投入すると言う事ですから、これはブッシュ政権としても避けたい、と言うのが一点。
それからもう一つは今年になって、イランがご存知のように濃縮ウランを始めました。
お分かりのようにアメリカにとって見れば、優先順位は北朝鮮よりイランの方が高いわけで、このイランがどういう、今国連で討議されていますが、ロシアと中国の出方によってどうなって行くかによって、北朝鮮の方は変わっていく。

しかしもう一つ、私が聞いている限りはですね。
ブッシュ政権としては北朝鮮に対しての何らかのアクションを今年の前半までには起す。
おそらくそれはですね。
先の中間選挙を睨んだ動きにつながると思うんですが、何らかの形にすると聞いています。
そのためにもこの在韓米軍司令官と大使をこういうふうに布陣したんだろうと言うように思います。

・・・レポート5に続く・・・

2006年04月05日

「米軍の対北朝鮮軍事作戦と拉致被害者救出作戦 講師:恵谷治氏」レポート その3

『恵谷治氏の講演 2』

・・・このエントリーに関する資料の一部を引用・・・

在韓米軍による対北朝鮮軍事作戦計画

 □作戦計画5026(限定空爆作戦。CONPLAN8022と関連)
 ■作戦計画5027(武力統一作戦)二年ごとに更新
   第一段階(戦争前)
   第二段階(反撃)
   第三段階(撃滅)
   第四段階(占領)
   第五段階(終戦後)
 □作戦計画5028(作戦内容不明。OPLAN1003と関連)
 □作戦計画5029(混乱対応作戦)
   (1)クーデターや内戦の発生
   (2)政権が核・ミサイルの統制権を失った事態
   (3)大量脱北者の発生
   (4)韓国人人質事件の発生
   (5)大規模な災害
 ■作戦計画5030
   実例その1 亡命支援
   実例その2 宣伝ビラ散布
   実例その3 金正日あぶりだし作戦
   実例その4 外貨流入を遮断(偽札、麻薬の取り締まりの徹底)

 2005年10月  アレクサンダー・バーシュボウ駐韓米国大使が着任
 2006年 2月  バーウェル・ベル在韓米軍司令官が着任

・・・引用終了・・・



まず米軍のこの作戦で、実は米軍はもちろん編成上統合軍と言う、南方・北方・中央軍といった中で太平洋軍と言うのがあります。
太平洋軍が策定する作戦は5000番台。
他にご存知だと思いますが、北方軍であれば2000番台、中央軍1000番台とか、南方軍6000番台という中で5000番台と言う作戦が最近知られるようになったのは5027。
それから現在話題になっているのが5030。

先週韓国に行っておりまして、韓国の作戦局長もう退役された方ですけど、と話をしておりまして彼が言うにですね。
このもちろん5027の当事者だったわけで、「5026と言う物は聞いた事が無い、そんなものは存在しない」
「いやいやこれはアメリカ側が作っている作戦だ」と言っても彼は頑なに否定する。
プラス現役の人間に電話をしてですね。
「5026って聞いたことあるか?」とまで確認してくれて、現役の方も「知らない」と。
で、「いやいや、あるんです」と言っても頑なに否定する。
同じ意味で5030と言うのも「聞いたことが無い」と。
「自分が知ってるのは5027と5029だ」と。

つまり現役、この5000番台と言うのは太平洋軍が作る作戦で、在韓米軍ないしは韓国軍とは無関係の物については当然韓国軍の作戦局長ですら知らないんです。
と言うのが実際の作戦計画であろうと思います。
ですから私がここで5026、27、28、29と知っていること事態がこれは逆に言うとおかしいというか、名前だけしか知らずに実態は知らないと言っても過言ではありません。
軍事作戦と言うものはそういう物です。

しかしこの5027と言う物は皆さんご存知だと思いますが、北が南進した場合にそれを統一の好機として北進して占領して金正日政権を潰すと、言うのが基本です。
それまでは38度線まで追い返す。
朝鮮戦争の当時のように中には踏み込まないという戦略でした。
しかしこの5027が策定された背景にはですね。
90年代初頭の第一次核クライシスと言いますか、ニョンビョンにも各施設後がどんどん拡充されてきて、当時当然そのピンポイント攻撃を米軍は策定しました。
私は実は長い間それが5026だと言うふうに考えてそう発表してきました。

ところが例えばB52を使うとなれば、これは在韓米軍の指揮下にあるわけではありません。
そうすると当然戦略空軍が動くわけですから、当然別の作戦名・作戦計画がある。
それがここに書いてある8020。 
それは8000番台というのは戦略軍の作戦計画です。
この戦略軍との合同作戦で在韓米軍も動く。

それでピンポイント攻撃、逆に言うと限定空爆、よく新聞では限定空爆有るか無いか?と言うことが出ますが、限定空爆と言うのは攻撃する側がそう思ってるんです。
相手はどう反応するか分からない。
となれば行く所まで行くと言う考え方をせざるを得ません。
その結果生まれたのがこの5027です。
ですから5026に関しては在韓米軍はもとより韓国軍は全く関与しないと言うか、先ほど申したように何も知らないと言うことなんです。

5026の実態は私も知りません。
ただ5027に関して言えば韓国の国防の長官が国会である程度説明しました。
それがゆえに指令は当たってきた。
作戦内容が漏れるなんてリーク以外には有り得ないんです。
同じ意味で5028は私はある記事で決断だと言うふうに書きましたが、ある関係者に聞いてみますとこれはここに書いていますが1000番台。
中央軍との作戦との連携でありまして、いわば二正面作戦を考えた作戦内容だと言うことだそうです。
しかしそれ以上のことは分かりません。

で、この5029ここに混乱対応作戦と言う表記を私が付けたんですが、それも新聞報道にありました。
この5029について、今回韓国軍の退役された方といろいろ話をして、問題はですね。
韓国軍と米軍との戦時統制権、管理指揮権と言うものですけども、ここを巡って問題が生じています。 
この5029と言う物はですね。
韓国軍が主体となって動くと。
それゆえに戦時統帥権は韓国軍に返して欲しいということで、ご存知だと思いますが足並みが・・・・・・(聞き取れず)
で当然韓国軍が動くとはいえですね。
通信その他、様々な分野で米軍との連携が必要です。
しかし主体は韓国軍にあると。
その条件として戦時統帥権、指揮権を返還してもらうということで、米軍はまだうんと言っておりません。
それがゆえにその5029と言うのは大統領がサインしておらずに、まだ批准された物ではないと。

で、ここにラフに5つどういうケースの場合がと書いてありますが実は11のケースがあると。
その作戦局長が言うと、作戦計画書15センチくらいの物が2冊あるくらいの分厚い物が整って、その11のケースに当たって全て対応が出来ている。
ただし今起きてます。
大統領の決済が無いゆえに軍としては動けないんです。
それはここにも朝鮮関係者の方がいるでしょうがこれは韓国軍の秘密です。
そんな事をここで言っていいかどうか分かりませんが、事実です。
この5029をなぜ私が強調するかと言いますと、とにかくいろんなケースの時に韓国軍が取り合えず動かなければ在韓米軍が。
そのときに日本はどう対応をするか、と言う意味で5029と言う物を見返して頂きたい、と言うことです。
それは後で自衛隊関連の時に話しますが、5029と言うのはそういうことです。

それから5030、これも存在自体は報道にもあります。
基本的には私があちらこちらで書いているんですが、この実例と書きました。
亡命支援の実例として私は、SAPIOをお読みになっている方はご存知だと思いますが、党作戦局のゴ・コクレツの息子がアメリカに亡命しました。
この前段階の経緯はあまり良く分からないんですが、いずれにしろこの亡命にですね。
もうちょっと言いますと、北朝鮮を船で脱出して日本海でその船から米軍の潜水艦に移乗させて横須賀に上げてアメリカに連れて行った。
これは小説のような話ですがこれは事実です。
それこそ先ほど言ったように作戦計画自体がそんなに簡単に漏れるわけはないし、と言うこともありますがこれは間違いない。

ただと言うか、ゴ・コクレツの息子ゴ・セウクと言う男、この正体と言うか実態が私はまだ把握してないんですが、と言うのも彼は金正日のいわゆる資金関係に携わっていたという情報がありまして。
このゴ・セウクと言う男を本当に亡命させたかったのか?
あるいは何らかの方法で父親であるゴ・コクレツ、これは金正日の同窓生といいますが、万景台革命遺児学院での同期生で非常に親しい男です。
米軍としては彼を亡命させようとして何らかの手違いがあって、息子の方を救出したんだろうと言うふうにも考えています。

この5030と言うのはご存知だと思いますが、北朝鮮を崩壊させるためにあらゆる手段を使う。
亡命支援はもちろんの事、様々な手法、謀略も含めてとにかく北朝鮮にダメージを与えていく。
いうことでこれはもうすでに2003年にGOサインが出て、実際に稼動しています。
そう断言できるのは当事者とよく話をしておるわけで、具体的な内容を知ってるわけです。
余りどこまで言っていいか、あれなんですが。

その北朝鮮の体制崩壊につながることは全て、全てやると。
逆に言えばですね。
皆さんイメージで思われるCIAの工作活動、かつてはアメリカのCIAがやってたような敵性国家へのですね。
様々な工作をしろと言うのをその手法をですね。
CIAではなく米軍のDIAが主体となって軍事オペレーションとしてやると言うのがこの5030です。
これは非常に画期的な発動だと思います。
いうふうに私は思います。

最近マネーロンダリングとか様々な事で、アメリカは北朝鮮は犯罪国家であるというふうに様々な報道があります。
ブッシュ政権は現在見えない部分で北朝鮮にこの5030で北朝鮮にボディブローをやってる。
一方で証拠を示して犯罪国家であるという事を全世界に示す。
その表と裏で北朝鮮を金正日を締め上げております。

この実例3、金正日あぶりだし作戦、これについてご存じ無い方に言えばですね。
昨年ステルスと言うF117が韓国に配備されました。
これはステルスと言うのは当然レーダに引っかかりません。
つまり自由自在に北朝鮮の上空を飛び回る。
通常F16その他が飛んでますが、この5030の一つにはですね。
通常の戦闘機で領空ギリギリをあるいは領空侵犯を意図的にやる。
そうするとスクランブルをかけざるを得ない。
となれば航空燃料を使う。
北朝鮮の航空燃料と言うのは非常に貴重ですからそれを枯渇させるという意味で、どんどん領空侵犯をやっている。
最近はですね、もうスクランブルなんかかかって来ない。
油が無い、と言う状況だそうです。

もちろん無いわけではなくて戦時備蓄をして溜めているんでしょうが、そういう方法を117を持って来てですね。
とにかく平壌なら平壌の上空を飛ばしてですね。
もちろんその日に金正日がどこにいるかは別の通信傍受その他で大体の場所を把握しているんです。
そしてF117を飛ばしてそこで急降下させて急上昇させると。
そうするとこの爆撃音、皆さんご存知だと思いますが物凄い音がします。
何が起きたのか?と言うくらいの状況。
これで当然米軍が爆撃に来たというふうに勘違いをする。

当然防衛当局の連中はですね。
通信が増える。
そのパターンが今までのすり合わせの中で、そうすると今日金正日がいた、いなかったという事は当然分かる。
そういう形で常にここに言うあぶり出しをかけて金正日を脅している、と言うのが実態です。
F117は11月に帰りましたから、おそらく今は金正日も枕を高くして寝ていると思いますが、とにかく金正日が動く事によってどういう変化が起きるかと言う500辺りがいつも聞いて大体把握している。
うちの方にも501がありますから、そういう情報収集を常に行っている。

・・・レポート4に続く・・・

2006年04月03日

「米軍の対北朝鮮軍事作戦と拉致被害者救出作戦 講師:恵谷治氏」レポート その2

『恵谷治氏の講演 1』

Img_2373.jpg

どうもはじめまして。
ここにも多少経歴があるんですが少しだけ、自分の事をお話したいと思います。

私は大学を出てからすぐにアフリカに行きまして、何度も通いながら、メインはアフリカの紛争地帯のゲリラ側に潜入すると言う行為を繰り返して来ました。
1980年の・・・・・・(聞き取れず)ですから、30代40代半ばまでは現場に入るという。
その入れる過程において様々な問題、それをクリアしていくと言うのが自分の仕事だろう、自分の経験にしたいとやって参りました。
外国に入るに当たって横たわる難問、問題を解決するにはその状況、その場その場ですね。
状況を知るという行為が必要でありまして、そういう中で情報収集をやる。

一方でそれを阻止しようとする側がいるわけで、そことの丁々発止、これをかいくぐりながら・・・(聞き取れず)に入りゲリラたちと一緒に過ごして、無事に日本に帰ってくると。
当然ながらその間、軟禁をされたりですね。
行方不明になったり、それは状況から見て、まぁそういう事を繰り返してきました。
ですからそういった経験から考えて北朝鮮と言う事を考えるとですね。
あの国の体制と言うのがいかに厳しいと言いますか、潜入する事が困難かと言う事がよく分かります。
正直言いまして朝鮮語がもう少し出来ればですね、旧満州側から物売りにでも化けて入りたいと何度も思ったんですが、さすがに足腰も少し衰えてきて、プラス北の実態を知るとそれまで入ったような所で、軟禁された後開放されると言うような状況ではない。
そういう国ではない、と言う事を考えていわば諦めました。

私は1987年に北朝鮮に入りました。
当時初めて観光旅行が認められて、それ以前はですね。
社会党の友好親善団とか、そういう形でしか行けませんでしたが、金さえ払えば誰でも行けるという観光旅行。
それが当時8日か9日だったと思いますが、それで45万円でした。
(北朝鮮の)金稼ぎですが、入れてくれるならと行きたいと行きました。

その事で少しお話しますと私は2回行きました。
1回目の87年10月に行きまして、その直後11月に例の大韓機事件が起きました。
工作員の持ち物を見れば、もうこれは誰が見ても北朝鮮です。
そういうのは私は直感できましたから、当時様々な意見がありましたがこれは間違いがないとずっと思っていましたが、それは別としてですね。
87年に行った時には私はもちろんカメラを、今は重いので余り持ちませんが、ニコン2台抱えて写真を撮る。
案内員にですね。
「自分は写真を撮りたいので、撮っては拙い所は予め言って欲しい」
で、いろいろ撮って、さすがに元山の港の時は撮っては駄目だと一度だけありましたが、そういう事を言われる前に既に撮ってましたから問題はなかったんですが。

とにかく彼等から見るとですね。
最初の観光客にどう接していいか?どう規制していいか?分からないんですね。
それまではですね、もう自主規制で、例えば鉄条網が海岸線ずっと張ってあるんですが、それなんかバチバチ私が撮る。
それを向こうでそれを撮っては駄目だと言えない。
つまり上からの指示がなければ何も動けない。
これが北朝鮮です。

そうした中で、私は観光バスの中から必ず住民に手を振る、例外なく。
で、例外なく無視されました。
ところが91年、2度目に同じ作業をしました。
そうすると例外なく手を振ってきました。
つまりそれは旅をしている団体、全部どこにもですね。
つまり党の指示、上部の指示が一度決定すれば末端まで行き届くと。
その実態を本当に見た思いでした。

もうひとつついでに言えばですね。
2度目に行った時は私は1度目に行って、平壌の地下鉄の路線図とかを作るのが私の個人的な目的でした。
それは上手く行きまして雑誌に発表して、2度目に行った時はその雑誌をわざわざ意図的に持って行って、その地図上にはですね。
大韓機の実行犯の金賢姫の家があるというのを私は事前に書き込んだ物を私は用意したんですが。
それを案内員に見せてですね。
「日本の雑誌のここに、この地名に金賢姫の家があるそうなので行ってみたい」と車をチャーターして話しかけてどういう反応があるか?と見ましたが、さすがにですね。
車で、「さぁ行きましょう」と言って、案内員とは日本語で「金賢姫の家にアパートに行きたい」と言って車は動き始めたんですが、金賢姫の家に行くという話題をした途端にですね。
運転手がばっと聞き耳をそばだてる。
そばだてると言うのは、俺がこの中で一番偉いんだと、分かりながらですね。
「はい、行ってください」と、道が全然違うんです。

私は地図を描いたくらいで道は頭に入ってるんです。
「運転手さんそれは違う、もっと右に回って」と。
ところがとにかくその目的地に行かないんです。
でまぁこれは当然拒絶されているだろうから、それでも私は意図的に「私はちゃんと頭に入ってるんだ」と、「この信号を右に行って左に行って」と指示してとにかく現場まで行きました。
ただそのときの状況を私が描いた・プロットした地点は実は誤った情報でありまして、実際にはそこではなかったんですが。
で結果的には「何をしたいんだ?」って言うから「いやここで写真を撮ればいいんだ」と写真を撮って帰りました。

それでここまででどういう反応があるか冷や冷やして、私はいろいろそういう世界ばかり歩いてますから、いつ踏み込まれてもいいように、今はデジタルですが当時フィルムで、私はフィルムはですね。
撮ったフィルムは通常は巻き込む。
撮ってない物は(フィルムの端が外に)出るわけですね。
私はいつも逆にしているんです。
終わったのはべろを巻き込まないで出してですね。
新しいのはギリギリ1ミリか2ミリ、見えるか見えないかから引っ張り出す。
で新しいのを使う。

ですから撮った物を、これは撮ってないからこっちだと、実際そういうやり取りをやった事もありますが、そういうふうにして平壌を出るときに何をやられるかなと思ったら、思いがけずノーチェックでした。
で、91年以降は何度ビザを申請してもビザが取れなかった。
それもですね、観光旅行として東京のJTBで駄目であれば大阪の近畿ツーリストとか仙台とか、とにかくいろんな所で申請して、最終的には行く所まで行って電話がかかってきて「駄目です」と。
「理由を教えてください」と言っても、「それは教えられない」というような反応です。
まぁ逆にこれは入れて貰えないと言う事であれば、それはそれなりにスタンスが決まってですね。
書きやすい、発表しやすいという事で今日までやって来ました。

さて本題ですが、今日の戦略情報研究所の荒木さんから話があって、私も特定失踪者調査会の今年から役員をさせて頂いておる中で、この話をしてもらえないか?と言われたときに、ちょっと準備の期間がないんでと一旦はお断りしたんですが、と申しますのも私丁度引越しをしましてですね。
資料その他がまだ整理がついてなくて、プラス無二の親友が死んだりしてばたばたして準備する時間が無くて、今日ここにいるんですが。
そういった言い訳をするんではありませんが、本来は過去における人質救出作戦の事例をお話してその事例と、北朝鮮の拉致被害者救出作戦の比較と言う物をしてみたかったんですが、それが出来ませんでした。

ただここにあります米軍の軍事作戦についてお話して、それとも密接な関係があります。
それとその後に我が自衛隊による救出作戦と言う物を考えてみたいと思います。

・・・レポートその3に続く・・・

2006年04月01日

「米軍の対北朝鮮軍事作戦と拉致被害者救出作戦 講師:恵谷治氏」レポート その1

『山谷えり子自民党参議院議員 挨拶』

Img_2365.jpg

皆様こんばんは。
このようにマイクを握るとは思わずに、勉強したくて参りました山谷えり子でございます。
拉致議連の副会長をやっておりまして、また政府の内閣府の拉致問題特別チームの委員をしております。
今政府といたしましては法律の厳格な執行とそれから情報収集の対策を掲げると言う形で特別チームを作りまして頑張っておりますので、少し動きが出てきているという事が国民の皆様にも見え始めているのではないかと言うふうに思います。
引き続き国家主権の侵害であるこの深刻な、現在進行形のテロである拉致問題のために力を尽くしていきたいと思います。
そしてまた様々なシュミレーションがこれから必要になってくると思いますので、今日の先生の話を大変楽しみにしております。
どうぞよろしくお願いを致します。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
関連過去エントリー

★「米軍の対北朝鮮軍事作戦と拉致被害者救出作戦」・・・戦略情報研究所講演会にて 
http://piron326.seesaa.net/article/15410446.html

気がつけばBlog開設1周年

普通であれば、祝一周年!と盛り上がる所なのでしょうが、拉致問題を支援する当Blogとしましては素直に開設1年を喜ぶ気にはなれません。
1年無事にBlogが続いてしまったと言う事は、この1年拉致問題の解決は果たされなかったのとイコール。
被害者救出という目的を未だに果たす事が出来ないという現実を前にして、内心忸怩たるものがあります。

しかしながら子供の頃から日記の類は三日坊主と相場が決まっている私としましては、何とかこの1年Blogを書き綴って来られたのは本当に奇跡に近い出来事。(笑)
振り返ればこの1年、テキストと寝言・たわ言の類しかない地味なBlogに懲りずにご訪問いただいた皆様の暖かな励ましあればこそ奮起して続ける事が出来たのであろうかと思います。
改めて感謝申し上げます。

私の書くエントリーなど、花に例えれば道端に咲くペンペン草のような物。
でも、例えペンペン草のような地味なエントリーでも、数を集めて束にすればそれなりの存在感は出るだろうと信じ、赤っ恥を晒しつつもテキストと共に思うところを書き綴る一年でありました。
ペンペン草の花束であっても数を集めて存在感を増して、拉致問題解決のためなんとか少しでもお役に立ちたい・・・そういう願いと決意をタイトルに込めて「話の花束」と名づけたつもりです。

ここに来て、少しづつ少しづつ、ようやく拉致問題の山が動き始めています。
牛の歩みのようなこの状況、決して私は手放しで喜ぶつもりはありません。
まだまだ不満ですしじれったいですし、もっと毅然と動いてくれ!と言いたいのは山々なのです。
けれども、それでも確実に前進している事は間違いの無い所。
この動きをこれからも応援するべく良い意味で政府の尻を叩いて叱咤激励し、世論への拉致問題への関心を広めるために集会・講演会のテキストを起こして、ご訪問の皆様にご紹介する活動を続けていきたいと思っています。

Blog開設一周年に寄せて、改めて一日も早い拉致被害者の救出を願い、初心を忘れずに支援の輪に加わりたいと思っています。
今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。
posted by ぴろん at 09:33| Comment(0) | TrackBack(0) | ご挨拶&お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

06.3.16横田早紀江さん 東京連続集会16(9)友愛会館にて

『横田早紀江さんのお話』

Img_2317.jpg



みなさん、こんばんは。本当にありがとうございます。
今日はシーファーさんがわざわざ新潟の拉致現場、私たちと寄居中学校から、そこであって、それからずっとめぐみが帰ってきた道を通りまして、友達と別れたところ、曲がり角の、犬がきてそこでにおいが消えたところ、そして私たちのうちの前、そしてずっと海岸まで行って、そのときの様子とか、私たちの親の気持ち、いろんなことを話し合って、聞いていただくことが出来ました。

ほんとうにいつも思うんですけれども、あちらの方は、ご自分でも口に出してはっきりとおっしゃいましたけれど、「正義が悪に勝たなければならない。必ず悪に負けない。正義は必ず勝つという思いで、頑張らなければいけない」とはっきりとおっしゃいました。私たちはいつもそのことを思いながら頑張って参りますけれども。

今日は佐藤先生の(お話)に、あんまり毒気に当てられて、(笑い)なにか、あてられて呆然としてしまったようなところがありますが。

やはり、日本の政府の中に、本当に国のために立ち上がった人たちの中に、そういった金銭とか、私利私欲のために大切なことをないがしろにしていくというのが、当たり前になっていくというような思いの方がたくさんいらっしゃるんだなーということを、前から感づいておりましたけれど、今日のお話で、まだまだ、そういう方たちがあちこちにいらっしゃるんだということがわかりました。

本当にそう言うことを、今日の加納さんのように、ひとつひとつ、「これは、どうなんだ」ということをはっきりと証明されるようなことを、きちっと示して、何にも見えないような状態にバッと出して、明らかに現されていくようにということを、マスコミの方たちにもお願いして。

本当に今までそういうことをやってきたいろんな方がたくさんいると思いますけれど、北朝鮮に何度も行って、交渉してきた中にも何をしてきたかわからないような方がたくさんおりますから。よく(一部不明)見守っておりますが、その後亡くなっていない方もたくさんいらっしゃるわけで、そう言う方はいろんなことを知っているかもしれない。それをどうしたら出せるかということが、それがはっきりと国民の前で明らかにされないと、はっきりしたことが言えない。「それはもう、本当だな」と今日も聞きながら思いましたので。

どうしたらそれができるのかということを、私たち国民全部が考えて、本当に正しい方向に向かって。
「もう絶対の私たちも頑張ります」とおっしゃってくださって、シーファーさんは「本当にあらゆる協力をいたしますけれども、日本のこの拉致問題、私たちはできる限りの協力をします。けれどもこれは日本の国がやることです。」ということをはっきりとおっしゃったのが非常に印象深く残っております。

今日のお話で、本当にだいぶいろんな点で非常に今までと変わった。ずいぶんと前進してきているということを、感じておりますので、あとしばらく、金正日より(先に)倒れないように頑張りたいと思いますので、よろしくお願いします。

・・・集会終了・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストは金木犀様の手によるものです。

06.3.16質疑応答 東京連続集会16(8)友愛会館にて

『質疑応答』

★質問者1

実はですね、週刊新潮で今月の24日元NHKのワシントン支局長の手嶋さんが講演をしますと言う事で、私早速申し込んだんですけど、まだ返事が14日が締め切りだったもんで来ないんですけど。
そこに書いてあったのは7名の拉致被害者が偽札をやっておると言うような情報もあるんですよ。
そしたら佐藤さん、申し訳ありませんが何らかの形で新潮社の広報部とですね。
・・・(聞き取れず)ちょっとその辺確認をされたら宜しいと思うんですが。

★佐藤勝巳会長

ありがとうございます。
そのように致します。
それもしますし、直接やはり確認も致しましょう。(拍手と笑い)

★質問者2

加納さん、○○と申します。
ご苦労様でした。
(熊本)市長と言うのは、先ほど聞こうと思ったんですけど、増元さんの方から仰られたので、まぁ選挙がらみじゃないか?と言うことでしたけど、イデオロギー的な背景はないんですね?

★加納良寛 熊本救う会代表

九州大学の経済学部の出身の方です。
つまり九州大学の経済学部は有名な左翼の向坂教授ですか?(「はぁ〜」と言う声)
九州大学は行って見ればわかりますが、今だに中核とどこかがやりあってます。
立て看板がだ〜〜っと出ていて、今から30年位前に流行ったなぁと言うくらい、そういう感じが致すほどで。
そこを出ていられますが、大体は保守系の県議会議員でした。

ところが県連の裁定を拒否して、一期後に熊本市長に出ろという裁定だったんですが、それを無視して一期前に出ちゃったもんですから熊本県の県連が割れまして、その当時の現職の三角さんと言う方と幸山市長と割れたんですね。
それで幸山市長はちょっと危ないと言う事で共産党のオルグが、熊本では良く分かるんですが、鹿児島が動いて、鹿児島のオルグがずいぶん熊本に入りまして、そして当選したと言う事であります。
そこで借りがあったのかな?と思います。
監査の勧告を拒否した時も記者会見のとき突然居なくなって、携帯電話をやって遠くから指示を仰いでいたような不審な動きもあったようです。
(会場より「駄目だな、ありゃ」の声、小さな笑い声)

★質問者3

2点あるんですが、横田滋さんが元気な姿を見せて頂いて大変嬉しく思う次第です。
こういう運動をされる方皆さん出来るだけ健康に気をつけてですね。
少なくとも金正日よりは長生きして欲しいと。

後一点課税問題なんですが、来年統一地方選挙がありますね?
そのとき地方議員の方々を巻き込んで、大きな運動を展開すべきだと私は思います。

★佐藤勝巳会長

ありがとうございます。
是非そうしたいと思いますし、それに関して4月の16日から早紀江さん、あの連絡来てませんが全国の県議会の拉致問題の立ち上げをやっている。
(司会より「連絡来ています」)
いつ?(「16日です」の声)16日。
これですね、全国に県議会に拉致議連が出来ましてね。
今いくつくらいあるのかな?
(司会より「今16で熊本が出来て17です」の声)
17。
で、事務局は埼玉がやるはずです。
そこの結成大会に救う会から私に非公式に打診が入っていて、横田会長の方でももちろん行くと思います。

そこでこの県議会の議連の組織の仕方と言うのはいろいろありましてね。
例えば自民党だけと言うところもあるし、超党派っていうのもあるし、それから県議会だけではなくて市段階の議員さんも入れているところとかいろいろございまして。
だけどそこが一つの協議会が全国に出来ますからね。
これは大きな力を発揮すると思います。
課税問題、ですよね?
それから今日は話題になりませんでしたけども、あのしょうもない金剛山とか何とか残ってるわけですよ、歌劇団。
あれ皆ビラを見れば分かりますようにね。
社会主義で一番きれいな素晴らしい国は北朝鮮とか書いてやってますからね。
こんな物に応援団体であるとか、支援団体とか県や市が名前を並べているんですよ。
こんな馬鹿な話は無いんであってね。

それから民族学校と称する物は、いかに金正日将軍が偉い人かと言う個人崇拝教育をやって、いかに日本がけしからんかと言う教育をやってるところにそこへ補助金を出しておるわけですよ。
そんな物ですね。
全部打ち切らなきゃおかしい。(拍手)
そういう事ですね。
そういう状況の中で今年の4月の中旬に、県議会を中心とした全国の議連が組織されると言うのは非常にね。
意義深い事でありますし、それから仰るように統一地方選挙が始まればね。
絶対に拉致の問題やってくれという事になりますから、仰るように頑張ります。(拍手)
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。