2006年04月09日

NHK「ドキュメント北朝鮮 第一集」〜個人崇拝への道〜(3) 06.4.2放送

――――ドミトリー・カプースチンの証言―――――――――――――――
主体思想はプロパガンダの寄せ集めにすぎません。
ソビエトの影響を受けたキム・イルソンは人を洗脳するプロパガンダの重要性をよく理解していました。
彼は主体思想を用いて国民の洗脳を始めたのです。
その洗脳はとても速い速度で進み、我々はただただ驚きました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
主体思想によって、歴史の書き換えも進みました。
建国の歴史はキム・イルソンへの賛美で彩られるようになりました。
解放直後のソビエト軍の歓迎集会は、『キム・イルソンの歓迎集会』に変えられています。

―――記録映画でのキム・イルソンの発言―――――――――――――――――
私キム・イルソン(金日成)は党創建後10月14日に人民にあいさつしました。
私が演題に立つと、群衆の歓呼の声は最高潮に達しました。
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人々の反応も、全て熱狂的な歓迎とされ、偽物と疑われたことには触れられていません。

―――記録映画でのキム・イルソンの発言―――――――――――――――
私が帰郷したと聞いて、遠くの村からも人々が列をなしてやってきました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
故郷訪問の写真も改ざんされています。
当時の写真は左側、キム・イルソン(金日成)を支えたソビエトのメクレルが写っています。
記録映画ではメクレルの存在は消され、朝鮮人に変えられていました。

個人崇拝を確立したキム・イルソン(金日成)
祖国統一を掲げ過激な行動に走ります。

1967年、非武装地帯で南北の衝突が急増。
ソビエトは北朝鮮がそのほとんどを引き起こしていると結論づけました。

翌年1月。北朝鮮の武装ゲリラ31人が、韓国の大統領官邸を襲撃。
武装ゲリラは韓国軍と2週間にわたって銃撃戦を繰り広げ、ほとんどが射殺されました。
ただ一人拘束されたゲリラを尋問した映像を入手しました。

質問:『どんな任務を受けたのか?』

答え:『大統領官邸にいるパクチョンヒ大統領を銃殺し、主要な幹部を撃ち殺す任務です。』


<ナレーション>
北朝鮮はパク・チョンヒ大統領を殺害すれば、民衆が蜂起し革命が起きると考えたと見られています。

―ワジム・トカチェンコの証言―――――――――――――――
我々は、危険だと感じました。
北朝鮮に対するコントロールが効かなくなったからです。
北朝鮮はソビエトを軍事衝突に巻き込む恐れさえありました。
我々は深く考え込みました、何をなすべきかと。
―――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
考える間もありませんでした。
二日後、世界を震撼させる出来事が、再び起こりました。
北朝鮮がアメリカの情報船、プエブロ号を拿捕し乗員82人を拘束したのです。
プエブロ号が領海を侵犯したと主張。アメリカの謝罪がなければ、乗員は解放しないと通告しました。
アメリカはプエブロ号は公海にいたと反論。
大統領のジョンソンはプエブロ号を奪還するため、北朝鮮の爆撃も検討しました。
航空母艦三隻と200機以上の戦闘機を出動させました。

ソビエトは驚愕しました。軍事同盟を結ぶ北朝鮮がアメリカと衝突すれば、全面戦争に発展し、自らも巻き込まれる恐れがあるからです。

――ワジム・トカチェンコ(当時、ソビエト共産党中央委員会)――――
「政府、党の中央機関の人間は、誰も睡眠を取ることができませんでした。
誰も家に帰れず、オフィスから出る事ができませんでした。
私たちは正に激流に中にいました。
ぎりぎりの状態で危機を解決しなければならなかったのです。」
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<ナレーション>
首相のコスイギンは、不測に事態を防ぐためアメリカのジョンソンに書簡を送りました。

――コスイギンの書簡―――――――――――――――――――――――――――
大統領閣下、我が国が見るところ、問題を解決する最も確実な方法は、軽率な行動を取らないことです。北朝鮮に圧力をかけようとする試みは、単に解決を難しくするだけです。
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<ナレーション>
コスイギンの書簡が届いた二日後、ジョンソンは北朝鮮に交渉を提案。
至急協議したいと呼びかけました。

その二日後キム・イルソン(金日成)の書簡がモスクワに届き、コスイギンを驚かせました。
初刊の内容をソビエト共産党の幹部が記録しています。

――キム・イルソンの書簡―――――――――――――――――――――――――
我々は侵略者に対して反撃を加える準備をしなければなりません。
戦争が起きればソビエト政府は我々と共にアメリカ帝国主義と闘うと確信しています。
その場合総力を動員し、我々に軍事援助を与えてくれることを望みます。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


――ワジム・トカチェンコ(当時、ソビエト共産党中央委員会)―――
北朝鮮は私たちを試しさえしました。
彼らはカミソリの上を渡っていたのです。
一歩間違えれば、本当に戦争になっていました。
北朝鮮は我々から得られるもの全てを搾り取ろうとしたのです。
戦争の危険を顧みずに。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
ソビエトの最高指導者、書記長のブレジネフが説得に乗り出しました。
ブレジネフはキム・イルソンをモスクワに呼びました。
しかし、キム・イルソンは国を離れられないとして、拒否しました。

パンムンジュム(板門店)ではアメリカと北朝鮮の交渉が始まっていました。
交渉の様子をアメリカ側の報道機関が撮影していました。
北朝鮮はアメリカが謝罪しなければ乗員は解放しないと繰り返し主張。
11ヶ月に及ぶ交渉の末、アメリカはついに譲歩しました。


―――◆アメリカ側の発言―――――――――――
私は金正日が用意した書類に今から署名するが、
これは私たちの主張とは異なる文書である。
我々は乗員を自由にするためだけに署名する。
―――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
アメリカは北朝鮮が用意した謝罪文に署名しました。
当時アメリカの国務長官だったニコラス・カッツェンバック。
カッツェンバックは大統領の下でプエブロ号事件の対応に当たりました。

――ニコラス・カッツェンバックの証言――――――――――――――
アメリカにとって屈辱的な経験でした。
しかし我々は、乗員を救出する方法を他に知りませんでした。
あのまま続けば、何年もかかったでしょう。
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<ナレーション>
事件発生から11ヶ月後、北朝鮮はようやく乗員を解放しました。
しかし、キム・イルソンはプエブロ号の返還を最後まで拒否しました。

アメリカと北朝鮮との交渉を固唾を呑んで見守っていた人がいます
ロアルド・サベリエフ、76才。サベリエフは当時ソビエト大使館の書記官でした。
その後も20年以上北朝鮮との外交を担当しました。

――ロアルド・サベリエフの証言――――――――――――――――――――――――――
「その後の北朝鮮の行動原理を考えると、プエブロ号事件は北朝鮮の瀬戸際外交の始まりです。
そうした新たな戦術の始まりなのです。
北朝鮮はこの機会を利用してアメリカ帝国主義と闘っていることを誇示したのです。」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
北朝鮮も協議の様子を撮影していました。
――――北朝鮮の記録映像―――――――――――
プエブロ号が我が人民軍に拿捕されて11ヶ月
米国は我々の前にひざまづき、謝罪文に署名した。
―――――――――――――――――――――――
ピョンヤン
<ナレーション>
返還を拒否したプエブロ号は戦利品としてピョンヤンに展示されています。

アメリカに勝利したと、金日成の個人崇拝を更に高めています。

――展示場の案内―――――――――――――――――――――――――
プエブロ号の10分の一の模型です。反米教育に使われています。
米国が侵入すれば絶対に容赦しないことを我々は見せつけました。
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<ナレーション>
北朝鮮の指導者として見いだしたソビエト連邦。
しかし金日成はソビエトの統制を離れ、個人崇拝に基づく独自の独裁体制を築きあげていきました。

――ワジム・トカチェンコ(当時、ソビエト共産党中央委員会)のことば――――――――
北朝鮮はソビエトにとって常に頭痛の種でした。彼らは主体思想を教え込まれ、目的達成のためには、どんな手段を用いてもかまわないと考えているのです。
自分の国のためなら、何をしても許されるのです。私は時折思います。
このような人々と全く関わらない方がいいと。
不用意に関わるとこちらが病気になり、傷つく事になります。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
70年代に入ると金日成の個人崇拝は更に強化されました。巨大な銅像が各地に次々に立てられて絶対の忠誠を誓うことが求められました。その一方絶対的権力が、長男金正日に継承する準備が密かに進められていました。
金正日に個人崇拝による独裁体勢は父から息子へ引き継がれて行くことになります。

参考:プエブロ号事件

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このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手による物です。


NHK「ドキュメント北朝鮮 第一集」〜個人崇拝への道〜(2) 06.4.2放送

――メクレルの証言――――――――――――――――――――――――――――――――
私はキム・イルソン(金日成)とあらゆる分野、あらゆる問題で行動を共にしました。
政治や党関連の重要な仕事を一緒に行いました。
取るに足らないようなことでも私たちは常に一緒に行動しました。
私はあらゆる場面でキム・イルソン(金日成)を助け、キム・イルソンを育て上げたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
  ◆映像:建国当時の映像

<ナレーション>
1948年9月。
朝鮮民主主義人民共和国の建国です。
キム・イルソン(金日成)は最高指導者として内閣の首相と、党の委員長を兼任しました。

貴重な肉声がアメリカの国立公文書館に残されていました。

―――キム・イルソンの肉声――――――――――――――――――――――――――――
朝鮮民族の解放者であるソビエト軍と偉大な領導者スターリン大元帥、万歳
解放された朝鮮人民、万歳
朝鮮民主主義人民共和国樹立、万歳
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<ナレーション>
建国当時のパレードの映像です。
スターリンとキム・イルソン(金日成)の肖像画が並んで掲げられています。
ここまではソビエトの思惑通りでした。

  ◆朝鮮戦争の映像

38度線で分断された朝鮮半島。
金日成が個人崇拝への道を歩き始めるきっかけは、統一を目ざした朝鮮戦争でした。
1950年6月、北朝鮮は南に一斉攻撃を開始。
二ヶ月後、韓国の9割以上を制圧しました。
開戦直前、キム・イルソン(金日成)はスターリンに<アメリカは介入しない>という判断を伝えていました。
しかしアメリカは参戦し、戦局は一挙に逆転。その後、戦闘は三年に及びました。
100万人以上が犠牲となり、一千万人が離散家族となった朝鮮戦争。

自らの誤った判断で始めたこの戦争をキム・イルソンは権力の強化に利用します。

キム・イルソン(金日成)がアメリカ帝国主義に勝利したという宣伝が始まりました。
巨大な肖像画が勝利集会で掲げられ、『敬愛する指導者』という呼び方が用いられるようになりました

  ◆ソ連系朝鮮人の写真
金日成を称えるプロパガンダを進めたのは、ソビエトから送り込まれたソ連系朝鮮人でした。
ソ連系朝鮮人は、ソビエト軍の指示を受け、党、政府、軍の中枢で金日成を支えました。その数は400人以上にのぼります。

  ◆カザフスタンの映像

<ナレーション>
プロパガンダの中心を担った人物が旧ソビエトのカザフスタンに住んでいました。
チョン・サンジン、87才。
50年代半ばまで北朝鮮で文化宣伝省の次官を務めました。

―――チョン・サンジンの証言―――――――――――――――――――――――――――
当時私たちはソビエトのそのまま北朝鮮に適用したため、プロパガンダを当然のことだと思っていました。
ソビエトではスターリンが絶対的権威でした。
『北朝鮮でも金日成が同じような権力を持つべきだ』と思っていました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
強化された権威を利用し、キム・イルソン(金日成)は反体制派の粛清を進めます。
最初に標的となったのは副首相のパク・ホニョンでした。
アメリカのスパイとして逮捕され、後に処刑されました。
 ◆パク・ホニョンの映像

―――チョン・サンジンの証言――――――――――――――――――――――――
金日成は朝鮮戦争に失敗した全ての責任をパク・ホニョンに押しつけました。
疑いの余地は全くありません。
そしてキム・イルソンはそれをきっかけに、パク・ホニョンの派閥を全て粛正したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
当時北朝鮮には4つの政治勢力がありました。
  ◆4つの派閥の図
粛正されたパク・ホニョンは国内派、戦時中抗日活動を国内で行ったグループです。
他にソ連系朝鮮人のソ連派。中国で活動した中国派。
キム・イルソンとゲリラ活動を共にしたパルチザン派は最小派閥でした。

  ◆スターリンの葬儀の模様

スターリンの死によってキム・イルソン(金日成)の粛正は更に進みます。
ソビエトの統制がゆるんだのを見て、ソ連派に矛先を向けました。
キム・イルソン(金日成)を支えてきたソ連派は次々に批判され、解任されました。
その後処刑されたり、行方不明になった人も数多くいます。

文化宣伝省の次官を務めたチョン・サンジン。
1955年に解任され出身地カザフスタンに帰りました。
キム・イルソンにスターリンのような権威を与えようとしたプロパガンダが、自らの追放に繋がりました。

―――チョン・サンジンの証言―――――――――――――――――――――――――――
我々ソ連系朝鮮人がいなかったらキム・イルソン(金日成)の個人崇拝は無かったでしょう。
ソ連系朝鮮人がソビエトのスターリンをまねて、キム・イルソン(金日成)の個人崇拝を始めました。
それこそが、現在の北朝鮮の悲劇の原因なのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
朝鮮戦争が終わった年の翌年のパレードの映像です。
ソビエトの指導者の肖像画は目立ちません。金日成を称える歌が様々な集会で歌われるようになりました。

  ◆解放記念祝賀パレードの映像

歌われた歌詞
 〜あぁその名も懐かし我らが将軍
 ああ、その名も 輝くキム・イルソン将軍〜

肖像画は町の至る所に掲げられるようになりました。
 ◆画像:病院、家庭などに掲げられるキム・イルソン(金日成)の肖像画

〜モスクワ〜
<ナレーション>
金日成の個人崇拝が進む最中、ソビエトは政策を大きく転換します。
共産党第二十回党大会。
第一書記のフルシチョフがスターリンの個人崇拝を批判したのです。
五ヶ月後、モスクワを訪問したキム・イルソン(金日成)。
このときフルシチョフは金日成に個人崇拝を止めるよう求めていたことが今回の取材で明らかになりました。
このときのやり取りを記録したソビエト共産党の内部資料です。

―――内部資料―――――――――――――――――――――――――――――
北朝鮮の同士に対して指摘した。朝鮮労働党に深刻な違反が見られる。
キム・イルソン同士の個人崇拝が存在する。
キム・イルソン同士は我々の提言を受け入れた。
欠点を除去する対策をこうじると約束した。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
ソビエトの動きが北朝鮮の反体制派を勢いづけました。
国内派、ソ連派が粛正された後、中国派が密かにクーデターを計画していました。
中国派の幹部が党の会議で金日成を批判。
しかし、事態は思わぬ展開となりました。

  ◆〜ソウル・オ・ギワン徒の面会シーン〜
<ナレーション>
このときの一部始終を目撃していた人がいます。
オ・ギワン、77才。当時北朝鮮で副首相の補佐官を務めていました。
60年代初頭、韓国に亡命しました。

―――オ・ギワンの証言――――――――――――――――――――――――――――――
中国派のひとりが最初に発言し、個人崇拝を批判しました。
するとキム・イルソンのパルチザン派が大声で罵声を浴びせたため発言を続けられなくなりました。
会場は、騒然となりました。
このため、他の中国派は発言することさえ、できなくなりました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
キム・イルソン(金日成)は事前にクーデターを察知していたのです。
計画に関わった中国派を全員党から除名しました。

再びフルシチョフが動きました。
毛沢東と協議し、北朝鮮に共に特使を派遣。
キム・イルソン(金日成)は除名を一時撤回しました。

しかし翌年、再び中国派を追放。
更に思想調査を行い、不満分子をあぶり出しました。
私たちの入手したソビエトの文書には金日成の激しい弾圧の様子が記されています。

―――ソビエト共産党中央委員会の報告書――――――――――――――――――――――
国家体制に敵対的な態度を取っているとして、北朝鮮では一月に2000人以上が摘発された。
裁判は公開され、400人以上が公開銃殺の判決を受けた。
大規模な公開銃殺の実施は国にとってマイナスである。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
個人崇拝の行き過ぎを懸念していたソビエト。
しかし、フルシチョフはつよい行動に出ることはありませんでした。

 ◆モスクワの映像

<ナレーション>
何故ソビエトは黙認したのか?
私たちは交渉の末、真相を知るキーパーソンにインタビューすることができました。

元ソビエト共産党中央委員会のワジム・トカチェンコ、74才です。
フルシチョフの時代からゴルバチョフ時代まで、30年以上にわたり共産党の中枢で朝鮮政策に携わりました。
ソビエトの歴代の首相と金日成との会談にも立ち会っています。

―――ワジム・トカチェンコの証言―――――――――――――――――――――――――
当時我々ソビエトは社会主義体制のリーダーでした。
この陣営で何か悪いことが起こればそれはリーダーが悪いと言うことになります。
つまり、我々ソビエトの威信が傷つくのです。
だからソビエトの指導者は北朝鮮の不快な出来事にも目をつぶったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ソビエトが目をつぶっている間、北朝鮮では新たなプロパガンダが始まりました。

   ◆映像:チョンリマの銅像

一日に千里を走る伝説の馬、チョンリマからその名をとったチョンリマ(千里馬)運動です。
北朝鮮は大衆を動員して経済の五カ年計画の目標を2年半で達成したと発表しました。


――チョンリマ運動のプロパガンダ映像――――――――――
我が人民は度重なる支援を打開し、千里馬の大進軍を行った。
短時間で新しい歴史を作り上げた。
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<ナレーション>
しかし平壌駐在のソビエト大使は北朝鮮経済の実情を見抜いていました。
北朝鮮では重工業を重視するあまり、生活用品の生産が不足していたのです。
ソビエト大使はモスクワに報告書を送りました。

――――報告書の内容―――――――――――――――――――――――
北朝鮮では綿、衣服、下着、石鹸などが不足している。
地域間の商品交換も欠如し、悪影響を与えている。
医療は最も遅れた分野である。
医者、病院の数が不足し、国民への医薬品の支給がきわめて困難である。
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  ◆1959年帰国事業の映像

<ナレーション>
この報告書の翌年から、帰国事業が始まりました。
2年間で7万人以上の在日朝鮮人が地上の楽園と呼ばれた北朝鮮にわたりました。
キム・イルソン自ら帰国者を歓迎しました。
しかしその後多くの人の消息が途絶えました。

当時北朝鮮で副首相の補佐官を務めていたオ・ギワン。
帰国者の受け入れを担当しました。


――オ・ギワンの証言―――――――――――――――――――――――――――――――
北朝鮮では食料も生活必需品も不足していました。
帰国した人たちは、こんな体勢の元で、どうやって暮らすことができるのかと、不満を募らせました。
不満を言う人たちは監獄へと送られました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
キム・イルソンは更に軍備の増強にも着手しました。

――キム・イルソンの演説――――――――――――――――――――――――
我々は戦闘訓練を強化し軍事技術を高め、戦争準備を強化しなければならない。
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1962年〜全人民の武装化〜
<ナレーション>
キム・イルソンは全人民の武装化を提唱。
老人、女性、そして子供にまで武器を持たせ、軍事訓練を受けさせました。

ソビエトの専門家が試算したところ、60年代後半、北朝鮮の軍事費は国家予算の50%を超えました。膨張する軍事費はますます国民の生活を苦しめました。

1060年代、ソビエトと中国との間で社会主義の路線を巡り、激しい対立が始まりました。
西側との平和共存を唱えるフルシチョフ。
革命闘争の継続を訴える毛沢東。

金日成はどちらの側にも組せず、中ソ双方から援助を引き出すことに成功しました。
このときキム・イルソンが打ち出したのが主体思想でした。1965年の事です。

  ◆主体思想塔の映像

  〜政治における自主、経済における自立、国防における自衛〜


社会主義の中で、ソビエトにも中国にも頼らない独自の路線を突き進むと宣言しました。

60年代、ソビエト大使館に情報分析官として勤務したドミトリー・カプースチン。
主体思想によってキム・イルソン(金日成)の個人崇拝が確立したと指摘しています。

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このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手による物です。

NHK「ドキュメント北朝鮮 第一集」〜個人崇拝への道〜(1) 06.4.2放送

先日NHKで放送されたNHKスペシャル「ドキュメント北朝鮮」は御覧になりましたか?
北朝鮮がいかにして今のような個人崇拝の独裁国家になっていったのかを、丁寧に扱った秀作であったと思います。
特に番組内で取り上げた関係者へのインタビューはそのまま貴重な証言集であり、資料としても価値のあるものだと思います。
この番組を金木犀様がテキストにまとめてくださいました。
当Blogへの転載も快く同意してくださったので、ご紹介を致します。
番組を見逃した方もそうでない方も、貴重な証言をどうぞ今一度お読みになって、北朝鮮に対する理解を深めていただけたらと思います。

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第一集「個人崇拝への道」
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<ナレーション>

厚いベールに閉ざされた国、北朝鮮。
個人崇拝による独裁体制は何故今も維持されているのか?
拉致やテロは誰が指示し、何故繰り返されたのか?
そして核兵器開発はどこまで進んでいるのか?
多くの謎が世界を脅かし続けています。

私たちは、北朝鮮の謎を解き明かす手がかりとなる一万二千ページの秘密文書を世界各国から入手しました。旧社会主義国の党幹部や、外交官が間近に接した北朝鮮の実情を克明に記した資料です。
その記述を元に、歴史的事件の渦中にいた当事者200人あまりを取材。
北朝鮮の知られざる姿に迫りました。

3回シリーズの一回目は強固な独裁体制を作り上げたキムイルソン(金日成)の真実です。
その後巨大な権力を手にしていく課程が明らかになりました。

―――〜金日成の映像〜―――――――――――
我々のやり方でやっているので滅びない。
我が党は世界でも類を見ない「絶対党」なのだ。
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<ナレーション>
建国当初ソビエトから見いだされ指導者となった金日成。
その後個人崇拝を強め、巨大な権力を手にしていく課程が明らかになりました。
いかにしてソビエトの統制を離れ独自の路線を突き進んできたかその軌跡を辿ります。

  ◆映像:証言者との面会の様子

<ナレーション>
2回目は金正日総書記台頭の謎です。
1970年代から80年代にかけて北朝鮮が繰り返した日本人拉致。そして、多くの犠牲者を生んだテロ。
旧東ドイツ秘密文書は、金正日総書記がこの頃、すでに国家の前活動を指揮していたことを明らかにしています。
社会主義では前例がない権力の世襲をどのようにして実現させたのか、その謎に迫ります。

3回目は国際社会を震撼させる核開発です。
核をカードに大国を翻弄する北朝鮮。
映像:六カ国協議の様子

――アメリカ米国務長官――――――――――――――――――
北朝鮮はいつも強硬姿勢を崩さず、我々は譲歩せざるを得ません。
彼らは貧弱なカードを巧みに使いこなします。
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北朝鮮との交渉に当たったアメリカの当局者を取材。
瀬戸際外交の裏に隠された、北朝鮮の野望を描きます。

個人崇拝への道 

人口およそ2300万の北朝鮮。
首都平壌の中心に金色の巨大な銅像が建っています。
建国の父とされるキムイルソン(金日成)です。
人物の銅像としては世界最大規模と言われます。

  ◆映像:花を捧げる市民

北朝鮮の強固な独裁体制を支えているのは金日成に対する個人崇拝です。
その個人崇拝は、数々のプロパガンダによって築き上げられてきました。

建国の歴史を描いた北朝鮮の記録映画です。

  ◆映像:日本軍を撃退する朝鮮軍

―――映像の朝鮮語ナレーション――――――――――――――――――――――――
私金日成は、朝鮮人民革命軍に祖国解放のための総攻撃を命令した。
日本帝国主義者に強烈な打撃を与え、退散させた朝鮮人民革命軍によって我が国の開放は成し遂げられた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
金日成が朝鮮人の軍隊を指揮し、祖国を日本から開放したとしています。個人崇拝の原点である、この建国の物語は事実なのでしょうか?

私たちは北朝鮮建国に至る経緯を記録した機密文書を独自に入手しました。
朝鮮半島北部を占領したソビエト軍が作成した非公開の内部資料です。文書には金日成の経歴が記されています。金日成は19才の時から、中国東北部、旧満州で抗日ゲリラ活動をしていました。その後、ソビエトのハバロフスクに逃れソビエト極東軍の88旅団に参加しました。記録映画にある朝鮮人民革命軍の記述はありません。88旅団はソビエト軍が養成した朝鮮人と中国人の部隊でした。記録映画では、金日成は朝鮮人民革命軍の司令官とされていますが、ソビエト軍の文書では一部隊の部隊長となっています。

  ◆〜モスクワ郊外の映像〜
私たちは88旅団を指導指揮していたソビエト極東軍の将校を探し出しました。
ワシーリー・イワーノフ84才。金日成の上官でした。ワシーリーは、88旅団で金日成に様々な戦術を教えました。金日成の主張する朝鮮人の軍隊の存在を即座に否定しました。

  ◆映像:当時の写真

――ワシーリー・イワーノフの証言―――――――――――――――――――――――――
金日成の主張には賛成できません。
朝鮮軍など存在しませんでした。存在しなかった軍隊に金日成は命令したのでしょうか?
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
日本が統治していた朝鮮半島に侵攻したのはソビエト軍でした。
イワーノフは金日成はこの戦闘にも参加していないと証言しました。

――ワシーリー・イワーノフ(ソビエト極東軍)の証言――――――――――――――――
キム・イルソン(金日成)たちは戦争に参加する準備をし、参戦したいとアピールしました。
しかし我々ソビエト軍の司令官は金日成を戦争に参加させませんでした。
彼らは大した貢献ができないと判断したからです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
朝鮮半島北部を占領したソビエト。
友好的な政権をつくろうと考えたスターリンにとって、重要なのは誰を指導者に選ぶかと言うことでした。

  ◆映像:スターリン、メクレル(ソビエト軍特別宣伝部長)の写真

指導者選びの任務を負った一人が、ソビエト軍の特別宣伝部長、グレゴリー・メクレルです。
様々な候補者と面接し、能力だけでなく、ソビエトへの忠誠度を測りました。
ソビエト軍の秘密文書の中に、メクレルの報告書があります。

  ◆映像:外交文書/チョ・マンシクの写真

面接した政治家の一人が、チョ・マンシクです。チョ・マンシクは朝鮮のガンジーと呼ばれた63才の民族主義者。朝鮮の人々に最も知られた、信望の厚い政治家でした。
しかしメクレルは指導者としてふさわしくないと判断しました。

――メクレルの報告書―――――――――――――――――――――――――――――――
チョ・マンシクは反共産主義的である。
表向きはソビエト指導部を支持しているように見えるが、実際には朝鮮人民とソビエトとの友好に反対している。
彼は我々の信用に値しない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
メクレルも健在でした。
しかし、このあと96才で無くなりました。


  ◆映像:メクレルとの面会の模様。
      取材記者に対してメクレルが日本語で「初めまして」
      「とてもうれしい」「とてもおもしろい」と答える様子

――メクレルの証言――――――――――――――――――――――――――――――――
私は金日成の能力を確かめるため、朝鮮の情勢に関し、様々な質問をしました。
彼は長年海外で抗日活動を続けていたため、朝鮮のことは何も知らないと思っていました。
しかし、キム・イルソン(金日成)は私の質問にとても的確に答えました。
朝鮮の情勢に通じている人の答えでした。私はとても満足しました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
メクレルは、キム・イルソン(金日成)の存在を人々にアピールするため、ソビエト軍の歓迎集会を利用しようと考えました。
数万人の観衆を前に、キム・イルソン(金日成)を抗日闘争の英雄として紹介したのです。
このとき33才。しかし人々は意外な反応を示しました。

――カン・インドク(歓迎集会に参加していた)の証言――――――――――――――――
キム・イルソン将軍という名前は知られていたため、かなり年を取った人が出てくると思っていました。
しかし、出てきたのは、単なる若者でした。
人々は騒ぎ始めました。「あれは何だ、偽物じゃないか?」
会場は大変な騒ぎになってしまいました。
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<ナレーション>
偽物説が広がると指導者として受け入れられないのではないか?
懸念を増したメクレルは策略を練りました。

―――メクレル証言――――――――――――――――――――――――――――――――
私はキム・イルソン(金日成)に指示しました。
貴方の故郷に行くと発表しなさい。希望者を一緒に連れて行きなさい。
キム・イルソン(金日成)は私の指示通り、故郷の訪問をラジオで発表しました。
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  ◆画像:故郷訪問の写真

<ナレーション>
故郷の人々と再会するキム・イルソン(金日成)の写真です。
メクレルはこの訪問を新聞でも宣伝し、偽物説を打ち消しました。

メクレルの報告を受けた最高幹部がモスクワに送った秘密文書です。
キム・イルソン(金日成)こそ指導者にふさわしいと結論づけています。

―――(報告書の内容)―――――――――――――――――――――――――――――
キム・イルソン(金日成)は、日本帝国主義に立ち向かった英雄として有名である。
彼の名は朝鮮人民の幅広い層に知られている。
朝鮮で統一戦線を創設するとき、キム・イルソンをその指導者に据えるべきである。
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<ナレーション>
ソビエトが撮影した戦後初の選挙の時の映像です。

  ◆映像:演説するキム・イルソン(金日成)

メクレルから与えられた様々な指示をキム・イルソン(金日成)は忠実に実行に移しました。

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このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手による物です。
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