2006年04月11日

拉致被害者を取り戻す為に、私たちがなすべき事を考える

今日午後、DNA鑑定の結果、めぐみさんの夫は韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いと、日本政府より正式発表がありました。
この結果発表を受けて、日本政府は韓国政府とともに北朝鮮に対して毅然たる態度で臨む事を期待します。
私が今望むことはそれ以上でもそれ以下でもない。

ちょうど今、北朝鮮からは六カ国協議の北朝鮮首席代表、金桂寛(キム・ケグァン)外務次官が国際学術会議出席のため来日中。
家族会は昨日都内で開かれた記者会見で、彼の口から謝罪の言葉が出ないことに憤りを感じていると表明しましたが、そもそも金正日の承諾なくして、彼の立場で勝手に謝罪その他が出来るはずもないのが、北朝鮮と言う国です。
日本側から何を言われても、家族がどんなに怒りの声を上げようと、黙って聞くか知らぬ存ぜぬを通すより金桂寛に出来ることは何もない。

しかし日本側は毅然として真相究明を要求すべきですし、嘘つき国家北朝鮮を許さないと言う世論の声を、金桂寛の目の前でしっかり印象付けることは大事かと思う。
被害者を返さない限りこの怒りの声は決して静まらない事を、この際金桂寛の目の前でしっかり印象付けるべきでありましょう。

それにしてもめぐみさんの偽遺骨にせよ、今度のDNA鑑定にせよ、愛娘の運命をこうまでも翻弄され続ける横田夫妻の心中を思うとお慰めの言葉もありません。
横田夫妻が北の不誠実な態度に翻弄されてきた経緯を書いた記事を以下にひとつ紹介します。

・・・引用開始・・・

「特務員」→「拉致韓国人」、北朝鮮またも嘘

 拉致被害者の横田めぐみさんに関する北朝鮮側の嘘(うそ)がまた一つ明らかになった。

 めぐみさんの娘キム・ヘギョンさん(18)との親子関係が、日本側のDNA鑑定で証明された韓国人拉致被害者の金英男(キム・ヨンナム)さんは、北朝鮮が「自国の特殊機関勤務員」と説明してきた男性だった。

 「国家の犯罪」により娘とのきずなを引き裂かれた両親は、度重なる虚偽の説明に翻弄(ほんろう)され続けている。

 めぐみさんの父親の滋さん(73)は11日午前、読売新聞の電話での取材に「まだ政府からは何も連絡がない」と戸惑いを隠せなかった。滋さんはこれまで、DNA鑑定の結果が出されるのを表面上は落ち着いた様子で待っていた。今月7日、一部の韓国紙が「めぐみさんの夫は拉致された韓国人と判明」と報道しても、「政府の発表を待つだけです」と話すだけだった。

 また、めぐみさんの弟、拓也さん(37)は「何の連絡もない」としながらも、「仮に姉の夫が韓国人拉致被害者だとしたら、これまで、北朝鮮が自国の工作員だから出せないとしてきた説明が覆ることになる」と語った。

 北朝鮮が正式に拉致を認めた2002年9月17日の初の日朝首脳会談。「めぐみさん死亡」の情報がもたらされた直後の記者会見で、母親の早紀江さん(70)は「いつ死んだかさえ、わからないものを信じることはできません」と気丈に語った。

 この日は、めぐみさんの娘の存在も明らかにされ、翌日には滋さんが「現地に行き、(孫に)会いたい」とも。しかし、その後は、孫に会いたいという気持ちと、自分たちの訪朝が拉致事件の幕引きに利用されかねないとの警戒心のはざまで、気持ちが揺れ動いた。

 めぐみさんとヘギョンさんの親子関係が正式に確認されたのは同年10月。夫妻は「本当に感無量です」と喜ぶ一方、「(孫から)会いたいというメッセージが寄せられているが、いま会いに行くのは適当ではない」と複雑な心境をのぞかせた。

 04年11月の第3回日朝実務協議では、夫とされた「キム・チョルジュン」が日本政府代表団に対し、ヘギョンさんとの親子関係の証明に必要な毛髪などの資料提供を拒否。同時に北朝鮮が「死亡の証拠」として、焼かれたうえ砕かれた骨をめぐみさんの「遺骨」として出してきたことに、早紀江さんは「北朝鮮のやり方にはだまされない」と怒りをあらわにした。

 翌月、この「遺骨」が別人のものと判明すると、滋さんは、「生存の可能性が強くなったわけでホッとしました」。早紀江さんは「北朝鮮がここまで残酷で冷酷とは。どんなに人間の本質から外れた国であるかが歴然とした」と憤然とした様子で話していた。

(2006年4月11日14時37分 読売新聞)

・・・引用終了・・・

「北朝鮮がここまで残酷で冷酷とは。どんなに人間の本質から外れた国であるかが歴然とした」

と仰る早紀江さん。
母親として人間として、彼女の怒り・憤りはもっともな事と思います。

ただ、押さえて置かなければならないのは、『冷酷で残酷で人間の本質から外れた国・北朝鮮』と言うのは、あくまでも外の世界から見た私たちの感覚であるということ。
あの国の中にいる人たちにとっては、それがごくありふれた日常であり、金正日にとっては拉致など冷酷でも残酷でも何でもない、自分の権力維持のために必要な手段の一つに過ぎない、ということ。

このギャップをいかにして埋めればいいのか?
北朝鮮に日本の常識は通じない。
というより人としての普遍的な常識は、まず通用しないのです。
北朝鮮について知れば知るほどに、人としての本質から遠くかけ離れたこの国に実態に眩暈がしそうな気分になる。
この国からいったいどうすれば拉致被害者を取り戻せるのか?
考えるだけでも本当に気が遠くなる。

この歴然たる事実を前にして、国内でつまらぬ内輪もめなどしている場合だろうか?と思えてならない。
ちょっとした意見の違いに目くじらを立てて、身内に石を投げて罵倒などしている場合ではなかろう、と改めて思う。
被害者を取り戻す為に、私たちに出来ることは何か?
ひとりひとりが本当に真剣に知恵を絞って考えなければならないと思う。
真剣に考える事が世論の底上げにつながり、拉致問題に対する深い関心につながり得ると私は思っています。
どんなに揺さぶられても揺らがない世論が作り出せれば、困るのは北朝鮮の側なのです。
交渉の前線に立つのは政府関係者。
それをバックで支えるのは私たち国民の世論なのです。
北朝鮮から被害者を取り返す戦いは、私たち一人一人の国民がどれだけこの問題に強い関心を持ち続ける事が出来るか?その一点にかかっていると言っても過言ではないと私は思う。

この怒り、憤り、腹立たしい思いを私たちは決して忘れてはいけない。
全ての被害者が帰る日まで、この怒りを北朝鮮の金正日に向ける事を怠ってはならぬと思う。


posted by ぴろん at 19:15| Comment(0) | TrackBack(1) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

NHK「ドキュメント北朝鮮 第二集」〜隠された世襲〜(4) 06.4.3放送

◆東ドイツへの書簡――――――――――――――――――――――――――――――――――
ソウルオリンピックは、単にスポーツの問題ではありません。
朝鮮半島で社会主義と資本主義のどちらが優位か我が国の運命を決める重要な政治的問題です。
オリンピックヘの参加は我々の革命に大きな障害となる2つの朝鮮を認めることになるからです。
社会主義陣営は、一致団結して南の単独開催に反対すべきです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ベルリンでは、党の幹部が急遽集められ、対応が協議されました。
当時東ドイツは2つの東西両ドイツの共存を認める<2つのドイツ政策>をとっていました。

◆ホルスト・ジーベックの証言―――――――――――――――――――――
北朝鮮の政治的立場は理解できました。
しかし同じような分断された国家としては、我々のほうが、現実的でした。
朝鮮半島に2つに国があることは議論の余地がありません。
2つの朝鮮を認めない彼らの考え方は、非現実的でした。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
東ドイツがオリンピックボイコットの要請を受けた翌年、最高指導者ホーネッカーが平壌を訪れます。

  ◆映像:ホーネッカーを歓迎する式典の映像

当時東ドイツは経済の立て直しのため、西側の投資を必用としていました。
ホーネッカーとキム・イルソン(金日成)の二人だけの会話を、ヘルガ・ピヒトが通訳しました。

◆ヘルガ・ピヒトの証言―――――――――――――――――――――――――

ホーネッカーは、キム・イルソン(金日成)に直接こう伝えました。
 『東ドイツはソウルに選手を派遣しなければならない。
   国家の再建のため、国威発揚のため、ボイコットはできない。』
二人は互いの政治路線を理解し、それを妨げないことだけを確認しました。
そして会談は終わりました。
金正日は無言でした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

当時北朝鮮は韓国とオリンピックの共同開催を協議していました。
しかし東ドイツは北朝鮮の狙いは他にあると分析していました。

◆朝鮮情勢の発展に関する情報―――――――――――――――――――――――――――――
オリンピックに対する北朝鮮のこれまでの発言を判断するに、北朝鮮側に共同開催の意志はない。
彼らの目的はソウルオリンピックの妨害とみられる。
(1987年3月作成・機密文書)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
オリンピックが翌年に迫った87年11月、大韓航空機爆破事件が起こりました。
北朝鮮の秘密工作員キム・ヒョンヒによる犯行でした。

取り調べに対し、自分は拉致された日本人から教育を受けた工作員である。
そして、オリンピック妨害を狙った金正日の指令を受けたと供述しました。
北朝鮮は南の自作自演と関与を強く否定しています。

  ◆映像:ソウルオリンピック開会式の模様

ソウルで第二十四回オリンピックが開催されました。
参加したのは当時史上最多の160の国と地域。
北朝鮮とキューバなどを除く社会主義の国が選手団を派遣しました。
東ドイツは288人の大選手団を送り国の威信を世界に示します。

  ◆映像:クリスティン・オットー、メダル獲得のシーン

オリンピックをきっかけに社会主義国は、相次いで韓国と国交を樹立。
韓国の優位は決定的となります。

  ◆映像:1988年9月建国40周年パレード

<ナレーション>
ソウルオリンピックの一週間前、平壌で建国40周年の式典が行われていました。
国民は、ソウルオリンピックを知らされていませんでした。
式典では社会主義建設の成果が高らかに歌い上げられました。
パレードには100万人の平壌市民が動員されました。

  ◆映像:パレードの様子

このとき、韓国との格差は4倍まで広がっていました。
金親子は友好国である社会主義国を招待しました。
東ドイツが派遣した代表団は5人でした。

  ◆映像:1989年11月
      ベルリンの壁崩壊

翌年ベルリンの壁が崩壊。
冷戦は終結しました。

  ◆映像:拘束されたホーネッカー

東ドイツの最高指導者として君臨したホーネッカー。
市民への発砲を理由に逮捕されました。
後に亡命したチリで死亡します。

  ◆映像:隠れていた場所から引き出されるチャウセスク

壁の崩壊はルーマニアにも伝わりました。
金正日と親交を深めていたチャウセスク
軍による処刑の映像は世界に配信されました。

  ◆映像:北朝鮮の様子

このニュースは北朝鮮では伝えられませんでした。

このとき国内で何が起こっていたのか、その詳細を知る人物が来日しました。
朝鮮人民軍で部隊の指揮を執っていた幹部です。
金正日の動向を間近で目撃していました。

   ◆朝鮮人民軍元幹部の証言―――――――――――――――――――――――
   東ヨーロッパに留学していた軍人たちが突然粛正されました。
   金正日は、自分がルーマニアのチャウセスクと同じように
   軍により処刑されるのではないかと恐怖心を抱いたのだと思います。
   金正日はこんな言葉を使うようになりました。
   『あなた達は私の信任がないと、肉のかたまりのようなものだ。』
   忠誠を尽くさない幹部は無慈悲に粛正されました。
   新たな強権政治の始まりでした。
   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:人民軍創設60周年記念式典の様子(1992年4月)

<ナレーション>
92年4月人民軍創設60周年の式典です。
金正日総書記は、かつての親衛隊員を軍の幹部の登用。
最高司令官の地位を父キム・イルソン(金日成)から譲り受けていました。
このとき、わずか4秒の肉声を世界ははじめて耳にするのです。

◆金正日の演説―――――――――――
 英雄的朝鮮人民軍将校に栄光あれ
――――――――――――――――――
このあと軍が全てに優先する得意な軍事国家を作りあげ、体制の強化に突き進んでいきます。

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このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手による物です。

NHK「ドキュメント北朝鮮 第二集」〜隠された世襲〜(3) 06.4.3放送

ハンガリーの報告から3週間後、キム・ジョンイル(金正日)が後継者になったという情報が
チェコスロバキアの大使から東ドイツ大使館にもたらされます。
労働党幹部から次のような発言を聞いたというものです。

◆労働党幹部の話―――――――――――――――――――――――――――

金正日は優れた指導力を備え、党を指揮する才能を持つ。
彼はこれまで中央と地方の党機構を指揮・管理し、大きな実績を積んでいる。
労働党と人民はこの指導に納得し、運命を託した。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

すぐれた能力を理由に党と人民が指導者として選んだという説明でした。

◆クラウス・バーテルの証言――――――――――――――

彼らのやり方でした。
重要な決定の通達にはこうした手段を使っていました。
外交官の一人に話せばすぐに広まることを知っていたのです。
―――――――――――――――――――――――――――

これが北朝鮮による後継者の発表と考えたバーテルらはベルリンに打電しました。

しかしベルリンでは指導者としての資質に疑いの目を向けていました。

〜ベルリン〜

◆ホルスト・ジーベックの証言――――――――――――――――
金正日の能力に関する北朝鮮側の表現があまりにも大げさでした。
金正日はすぐれた能力を持っている。
党を指揮する才能があるなどと理由を挙げています。
しかし、どれ一つ事実に基づいて証明されていません。
我々は不安を覚えました。
――――――――――――――――――――――――――――――
北朝鮮では、党中央委員会書記となった金正日同士の下、
八〇年代に先進国入りするという目標が掲げられました。


◆朝鮮中央テレビの宣伝映像――――――――――

我が党が決心すれば、できないことは何もない
党が作戦を立て 命令を下した
もはや勝利も同然だ
―――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
生産現場では、短期間にノルマを達成する200日戦闘が始まりました。
外国に依存せずに自力で全てを達成するという、イデオロギー主体思想が強調され、大量の労働力が投入されました。
完成した施設は積極的に海外に公開されます。

 ◆映像:市民向け健康施設、ランニングマシーンなどの映像

キューバのテレビ局に公開された市民向けの健康施設です。
当時西側で流行していた器具が設置されていました。

 ◆映像:マンギョデ遊技場
およそ2万人の勤労奉仕で作られたとされる巨大な娯楽施設
高さが20メートルもある滑り台など、西側と同じ施設だと強調されました。

83年、北朝鮮は経済成長のデータの発表を突然取りやめました。
翌年東ドイツはその経済運営を批判的に分析しました。

◆北朝鮮との貿易に関する情報〜東ドイツの分析〜―――――――――

1983年北朝鮮の国民経済に大きな問題が浮上している。
対外貿易は前年比、5〜10%程度のマイナスと見られている。
北朝鮮ではイデオロギーが最優先とされている。
経済の合理性を十分に考慮しない自己中心的な運営がなされている。
――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
報告書は当時の東ドイツ大使の情報をもとに作成されていました。
平壌に駐在していた、カール・ハインツ・ケルンです。

◆カール・ハインツ・ケルンの証言―――――――――――――――――――――――――

北朝鮮の経済政策は非生産的でした。
自己の力で全てをやり通すというイデオロギー、主体思想に基づいて運営されていたのです。
その結果、経済の発展が阻害されました。
全ての国民が、自力で目標を達成できると錯覚していたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
キム・イルソン(金日成)の主体思想を称える高さ170メートルの塔です。
建設におよそ1万人が動員されたとされ、キム・イルソン(金日成)が生きてきた25550日と同じ数の石が積み上げられました。

  ◆画像:完成した主体思想塔を訪れる金親子(1982年4月)

このとき70才を迎えるキム・イルソン(金日成)、。
金正日同士は優れた指導力を発揮したと息子を賞賛します。

この大衆動員を可能にした理由について、東ドイツの外交官が分析していました。
軍の駐在武官ホルスト・ローマンは自ら現場を回り収集しました。

◆ホルスト・ローマンの証言――――――――――――――――――――――――

ある朝鮮人がある朝鮮人が私にこんな発言をしました。
 『よき朝鮮人は4時間の睡眠で20時間働くことができる。
     それが我々が目指すべき理想の朝鮮人である。』

思想教育の結果だと考えました。
当時この国は人口の8割が40才以下でしたが、
生まれてからずっと、思想教育を受けてきたのです。
そのため金正日の指示する党の指示に不平不満を持たないのは当然でした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:オリンピック開催地決定の映像(1988年)

国際的地位の向上を目指す韓国はオリンピックの開催権を獲得します。
お論ピックの準備を進める韓国と北朝鮮との格差は83年、およそ三倍にまで拡大していました。
南の躍進に、金親子はあせりを募らせたとみられています。

  ◆映像:ラングーン事件
     ミャンマーを訪れた韓国大統領全斗煥を狙ったテロの様子。

ミャンマーを訪れた全斗煥を狙ったテロ。
全斗煥は北朝鮮と国交のあるオリンピック参加を呼びかけていました。
ミャンマー政府は北朝鮮の軍の工作員の犯行と断定しました。

東ドイツの文書は当時秘密工作はすべて金正日が指示していたと指摘しています。

2年後の85年、北朝鮮で親子の関係に変化があったとファン・ジャンヨブは証言しています。

◆ファン・ジャンヨブの証言――――――――――――――――――――――――
キム・イルソンは我が国の最高指導者はキム・ジョンイルだと語るようになりました。
85年以降のことです。
キム・イルソン(金日成)はうまく自分の権力を息子に委譲しました。
それ以前も親子二人の共同政権でしたが、85年から、
キム・ジョンイルがキム・イルソン(金日成)を上回る存在となったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
これは金親子の指示で当時国際担当書記であったファン・ジャンヨブが東ドイツへ送った書簡です。

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このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手による物です。

NHK「ドキュメント北朝鮮 第二集」〜隠された世襲〜(2) 06.4.3放送

<ナレーション>
70年代中頃に撮影されたとみられる金親子の映像です。
キム・イルソン(金日成)は宣伝扇動部での息子の実績を認め、更に重要なポスト、組織指導部の責任者に抜擢します。

親子間の権力の継承はこのときから本格化していきます。

朝鮮労働党の機関誌『労働新聞』です
  ◆映像:労働新聞の写真。

1974年2月14日、これまで使われたことのない表現が登場しました。
<党中央>、キム・イルソン(金日成)を指す<首領>と並べて用いられました。、
その後<党中央>の名前で党の重要な指示が出されるようになります。

このころの金正日総書記です。

◆映像:金正日の当時の映像

現在北朝鮮では<党中央>の表現が登場した直前、キム・イルソン(金日成)主席の後継者に選ばれたとしています。
しかし、当時その決定は明らかにされませんでした。

東ドイツも権力継承の動きはつかんでいませんでした。
文化担当官として大使館に勤務していたヘルガ・ピヒトです
ピヒトは60年朝鮮語を学ぶためキム・イルソン(金日成)総合大学に留学、後にホーネッカーの専属通訳を務め、キム・イルソン(金日成)との首脳会談には、すべて立ち会っています。

◆ヘルガ・ピヒトの証言――――――――――――――――――

<党中央>とは不思議な表現でした。
私たちは当時、党の中心部と言う意味ではないか、
または党中央委員会の省略した呼び方ではないかと考えました。
それが一人の人間を指すとは、夢にも思いませんでした。
――――――――――――――――――――――――――――

何故<党中央>という表現を使い、後継者の決定を明らかにしなかったのか?
キム・イルソン(金日成)の側近だったファン・ジャンヨブは、他の社会主義国を気にしたからだと言います。

◆ファン・ジャンヨブの証言―――――――――――――――――

社会主義、共産主義を掲げる指導者が、世襲で権力を息子に譲る。
これでは完全に封建制のやり方です。
だから公にすることはできなかったのです。
息子への後継は、既成事実として着々と進めていました。
どうしてそうしたことを表に出せるでしょうか?
――――――――――――――――――――――――――――――

このころの金正日総書記の発言をまとめた資料を入手することができました。
労働党の幹部だけに配付されていた内部資料です。

  ◆映像:“キム・ジョンイル 主体革命偉業の完成のために”という文書の画像

そこには、組織指導部を率いる立場から党の幹部に行った講演が記されていました。

   ◆全国党組織幹部講習会での発言(1974年8月)――――――――――

    <党中央>の意志はすなわち<首領様>の意志である。
   そして<党中央>の指導は、首領様の指導を実現するためのものだ。
   ――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
首領であるキム・イルソン(金日成)と同じ権威を持ち、後継者としての活動を始めると宣言したのです。
キム・イルソン(金日成)は息子のライバルであったキム・ヨンジュを政治の表舞台から追放します。
党の実権を掌握した父と共にその支配を国の隅積みまで広げていきます。

  ◆映像:スローガンの書かれたプラカードを持って行進する市民

当時北朝鮮では新たなスローガンが掲げられました。
キム・イルソン(金日成)は生産性を上げるため、思想や技術などの刷新をはかるように指示しました。
大学を出た20台を中心に<三大革命小組員>と呼ばれる若者が全国の職場に配置されました。
しかし、彼らには別の使命が与えられていました。
国内全ての生産現場で党や、警察とは異なる独自の監視網を作ることでした。

およそ20万人の若者達が事実上、金正日親衛隊として活動しました。
地方の集団農場で活動していた親衛隊の一人です。
2002年韓国に亡命しました。
体制に不満を持つ人間を排除するのが任務でした。

◆元三大革命小組員の証言――――――――――――――――――――――――――
我々は巨大な蜘蛛の巣のような存在でした。全国の農村や家庭にまで入り込み、
人々の考えていることを全て洗いだし、些細な出来事まで中央に報告しました。
<党中央>の意志に反したり、疑問を持つ人間を見つけ出し、直ちに粛正しました。
金正日は国内での権力を固める上で、我々の力を大きく利用したのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
次の狙いは、建国以来の悲願祖国統一に向けられました。


 ◆映像:韓国パク大統領狙撃事件(1974年8月)

韓国で革命をおこし、政府転覆を謀る対南工作。
70年代北朝鮮は、頻繁に工作活動を繰り返していました。

 ◆映像:ピストルや弾丸他、工作活動の証拠の写真〜工作員の手帳

私たちは対南工作を行っていた工作員のメモを入手しました。
メモが書かれたのは76年でした。
対南工作が誰の指示で行われていたか記されていました。

――――――――――――――――――――――――――
 党が命令する任務を正しく遂行するため、
 徹頭徹尾、<党中央>の指導のみに、依拠するべきである
 ――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
指示は、党中央から出ていたのです。

七〇年代に活動していた北朝鮮の元工作員です
韓国に潜入し対南工作をする組織作りを行っていました。

――工作員の証言――――――――――――――――――――――――――――
七〇年代半ば、韓国が警備を強化し対南工作が難しくなりました。
そこで、ある命令が出されました。
『北から南へ直接侵入する工作を減らし、日本を経由して侵入する工作をふやせ』
というものでした。
日本を利用した対南工作が本格化しました。
<党中央>の指示でした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
77年秋から、当時は原因不明とされた日本人拉致が相次ぎます。
政府が認定した政府が認定した被害者は16人に上ります。

北朝鮮の工作員が日本人になりすまして韓国に潜入するために、日本人のパスポートや日本語の教師が必用となり、拉致が行われたと見られています。

70年代後半、日本で対南工作に関わっていた在日朝鮮人に接触することができました。
男性は日本人の拉致には直接関係していないと言います。
日本に留学していた韓国人を北朝鮮に連れ出し、労働党から表彰を受けていました。

  ◆映像:表彰された時の勲章

◆在日朝鮮人の証言―――――――――――――――――――
  金正日の指導に、これっぽっちの疑問も持たない。
  (指導は)すなわち命令、すなわち法律、
  すなわち自分の身を賭してでも成し遂げる。
  これが原則です。無条件貫徹する。
  日本人を拉致することは当たり前。
  革命のためには何でもやるんですからね。
――――――――――――――――――――――――――――

質問:日本人拉致もキム・ジョンイル総書記の指示ですか?

  ◆ファン・ジョンヨブ――――――――――――――――――
  言うまでもありません。
  当時国内外全ての活動は彼の指示によって行われていました。

  ――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:2002年9月17日小泉訪朝

金正日総書記は拉致は盲動主義、英雄主義の工作員が行ったとして自らの関与は否定しています。

70年代末、板門店で撮影された写真です。
権力の世襲は最終段階に入っていました。

〜ピョンヤン〜
<ナレーション>
1980年、ピョンヤンでは10年ぶりの党大会が予定されていました。
党大会は労働党の最高意志決定機関です。
ピョンヤンの外交官の間では、党の最高ポストである総書記に金正日が任命され、後継者として発表されると言う観測が流れていました。

党大会の一月前、中国が後継者の選出についてある見解を発表します。
中国共産党の機関誌『人民日報』です。

  ◆映像:当時の人民日報の写真

中国が後継者の選出についてある見解を発表しました。
二日間に渡って社説を大きく載せました。

◆『人民日報』社説――――――――――――――――――――――――――――――――
共産主義において一人の指導者が全てを決めることは封建制であり、マルクス主義に完全に反する。
個人が後継者を指定する制度は、最もあるまじき行為である。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
人民日報は後継者を指名することは絶対に認められない。
国を指導する者は、優れた能力と実績が党と人民によって承認されなければならないとしたのです。

  ◆映像:第六回党大会の模様(1980年10月10日)

<ナレーション>
ピョンヤンでは第六回党大会の開催日を迎えました。
労働党の全国の代表3220人が参加し、外国からも来賓が招待されました。

公の場で外国人に姿を見せることがなかったキム・イルソンの長男、ジョンイルがはじめて登場しました。
大会では総書記に選出されませんでした。
東側が予測した後継者の発表は行われませんでした。

  ◆映像:ハンガリーの秘密文書

私たちは党大会の詳細な分析をおこなったハンガリーの秘密文書を入手しました。
大会に出席した情報員が作成したものです。

◆秘密文書―――――――――――――――――――――――――――――――
共産主義初の世襲政権、キム王国が成立するという予測はうらぎられた。
総書記に選らばれなかった理由のひとつは中国にある。
人民日報が、『政権の世襲はマルクス主義に反する』と報じたためである。
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このエントリーはblue-jewelさんの手による物です。

NHK「ドキュメント北朝鮮 第二集」〜隠された世襲〜(1) 06.4.3放送

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第二集「隠された世襲」
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〜導入〜
<ナレーション>
厚いベールに閉ざされた国、北朝鮮。
個人崇拝による独裁体制は何故今も維持されているのか?
拉致やテロは誰が指示し、何故繰り返されたのか?
そして核兵器開発はどこまで進んでいるのか?
世界を脅し続けている多くの謎に迫ります。


  ◆映像:2006年2月13日祝賀行事の模様
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  金正日将軍祝賀を受けたまえ、 栄光をうけたまえ
 ―――――――――――――――――――――――――
今年2月、金正日総書記の誕生日を祝う式典です。

64才を迎えた最高指導者は今年も姿を現しませんでした。

金正日総書記は父キム・イルソン(金日成)の後継者として早くから権力の階段を登ってきました。
しかしどのように台頭してきたか、その課程は一切明らかにされていません。

その肉声が長く西側に伝えられることはなく、謎の指導者とされてきました。

今回私たちは北朝鮮の権力継承の課程を記録した新たな資料を発見しました。
1500ページにのぼる旧東ドイツの秘密文書です。
平壌に駐在していた外交官達が独自に情報を収集し、その動向を追い続けていたのです。
  ◆映像:東ドイツ関係者の写真

沈黙を続けてきた旧東ドイツの関係者達が今回初めて証言しました。

<元東ドイツ 党国際関係部の関係者の声>
『私たちは社会主義国の中で親子で権力を継承することは
           あるまじきことだと考えていました。』


<ナレーション>
ドキュメント北朝鮮第二集
社会主義国としては前例のない世襲をいかにして成し遂げたのかに迫ります。

タイトル
第二集「隠された世襲」

1970年代、社会主義国の指導者が平壌を訪れたときの映像です。
北朝鮮は社会主義陣営の一員として東側の国々と友好関係を結んでいました。

北朝鮮の建国後、いち早く国交を結んだ東ドイツ。
最高指導者、ホーネッカーはキム・イルソン(金日成)と兄弟と呼びあう仲でした。

平壌にあった東ドイツ大使館です。(大使館の映像)
東ドイツは、同じ分断国家として北朝鮮の行く末を注視してきました。

ピョンヤンに駐在していた外交官の多くが旧東ベルリンで暮らしています。
当時の名簿が残されていなかったため、私たちはおよそ一年かけて彼らを捜しあてました。

クラウス・バーテル(元東ドイツ 副大使)73才です。
1963年から計10年間平壌に駐在し副大使も務めました。、
これまで自ら収集した北朝鮮の情報について一切明らかにしてきませんでしたが、今回初めて取材に応じました。
バーテルは国費留学生として、金正日総合大学で学んだ最初のドイツ人です
大使館では朝鮮労働党の権力構造を分析していました。
しかし友好国の外交官であっても、情報収集は困難を極めたといいます。

――バーテルの証言―――――――――――――――――――――――――――――
全てが秘密でした。
北朝鮮では国家の方針で外国人には情報を明らかにしない、秘密主義をとっていました。
そうした彼らの態度を私たちは腹立たしく思っていました。
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  ◆映像:旧社会主義国の平壌駐在外交官の写真

<ナレーション>
ソビエトやルーマニアなど、平壌に駐在していた社会主義国の外交官です。
バーテルは互いに得た少ない情報を交換しあうことで、北朝鮮の動向を把握していました。

60才を迎えたキム・イルソン(金日成)です。
憲法を改正し、最高指導者である首領としての地位を確立しました。
その絶対的な権力を誰が引き継ぐのか、バーテルは強い関心を持っていました。
キム・イルソン(金日成)が親族を重要な役職に就けていたことに、バーテルは注目しました。

当時作成した秘密報告書です。

◆バーテルの報告書―――――――――――――――――――――――――――――――
キム・イルソン(金日成)の弟にキム・ヨンジュがいる。
彼は党の政治委員会の委員、中央委員会書記、組織指導部長などの要職をを歴任している。
彼の序列は六位である。
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<ナレーション>
バーテルはキム・ヨンジュをキム・イルソン(金日成)の最も有力な後継者と見ていたのです。


◆バーテルの証言――――――――――――――――――――――――――――――――
キム・イルソン(金日成)は北朝鮮という国を自分の作品とみていました。
死んだ後に自分の作品がどうなるのかと、自問自答していたのでしょう。
そして自分の作品を継ぐ人物は信頼できる家族以外ありえないという結論に達したのです。
私たちはそう考えていました。
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<ナレーション>
報告書はキム・イルソン(金日成)の息子については短く触れているだけです。

◆報告書――――――――――――――――――――――
キム・イルソン(金日成)に息子がいる。
彼はキム・イルソン(金日成)の秘書であり、
同時にキム・イルソンを警護する部隊の部隊長である。
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<ナレーション>
その名前すら記されていませんでした。

◆バーテルの証言―――――――――――――――――――――――――
金正日が後継者になるとはまさか想像もしていませんでした。
彼の方法は少なく後継者として議論にも登りませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

報告書は東ドイツをひきいるドイツ社会主義統一党の本部に送られました。
ベルリンでこの報告書を受け取ったのが、国際関係部のホルスト・ジーベックでした。
ジーベックは北朝鮮との外交を19年にわたって担当し、朝鮮労働党と太いパイプを持っていました。

  ◆映像:ドイツ社会主義統一党の建物

◆ホルスト・ジーベックの証言――――――――――――――――――――――
私たち社会主義国では、親子の権力継承はあるまじき行為と考えていました。
社会主義者における後継者とは、国家にとって、
政治的に最も能力のある人物が選ばれるべきだと考えていたからです。
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<ナレーション>
前例のない権力の世襲。
その準備は、すでに始まっていました。
60年代前半軍を視察する親子です。(視察する親子の写真)
キム・イルソン(金日成)は息子が20代の頃から、軍や党の視察に頻繁に同行させていましたが、常に秘密にしていました。


アメリカ

当時の金正日総書記を知る人物がアメリカに住んでいることがわかりました。
キム・イルソン(金日成)一家の家庭教師を務めていた、キム・ヒョンシク(キム・イルソン家族の元家庭教師)です。
亡命後2003年、アメリカに移り住みました。
平壌の大学教授だったキムヒョンスクはキム・イルソン(金日成)の家族にロシア語を教えていました。
若き金正日総書記を直接言葉を交わした貴重な証言者です。

◆キム・ヒョンシクの証言―――――――――――――――――――――――――――――――
彼は大学に入学したときから、キム・イルソンの後継者は自分だと考えにに熱心に尽くしていました。
キム・イルソンが朝出勤するときは、靴を履かせて車に乗せ、夜帰宅するときは、必ず出迎えました。
外国に行くときも同行し、随行員が十分に父を世話していないと強くしかっていました。
キム・イルソン(金日成)もそうした息子に満足していました。
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◆映像:キム・イルソン(金日成)インドネシア訪問の時の写真、※金正日が同行し共に写っている

<ナレーション>
ソウルにも若いときの金正日を知る人物がいます。
キム・イルソン総合大学の総長を務めたファン・ジャンヨブです。
97年韓国に亡命しました。
後に国際担当の書記となったファン・ジャンヨブは亡命した幹部の中で最も地位の高い人物です。

◆ファン・ジャンヨブの証言―――――――――――――――――――――――――――――
彼は大学に入る前から、『自分は政治家になる。政治は父、キム・イルソンから教えてもらう』
とはっきり言っていました。
金正日が少しでも権力を握ると、叔父のキム・ヨンジュを追い出すかもしれないと考えました。
しかし、権力の世襲をするとは、まさか想像もしていませんでした。
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<ナレーション>
キム・イルソン(金日成)の家族に関する報告書を書いた翌年、バーテルはキム・ジョンイル(金正日)という名前を特定し、その台頭についてはじめて報告します。
ハンガリー大使館からもたらされた情報でした。


◆バーテルの報告書(1973年10月1日作成)――――――――――――――――――――
労働党の総会で人事が議論され、金正日の昇格が取り上げられたとの未確認情報がある。
その情報によれば、金正日は党中央委員会の要職に付き、更に、宣伝扇動部の責任者になった。
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◆バーテルの証言―――――――――――――――――――――――――――――――――――
この情報で、はじめて金正日が党内でその地位を高め始めていると認識しました。
彼が次第に影響力の大きい役職に就いていくと考えました。
後継者として作られていくかもしれないと、我々は予測したのです。
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<ナレーション>
73年9月、キム・イルソン(金日成)は息子を党の宣伝扇動部の責任者に就任させました。
三〇代前半の姿です
当時彼の活動は外部に一切伏せられていました。
宣伝扇動部は国民の思想統制を担う重要な部署でした。


 ◆映像:1970年代に傍受された北朝鮮の映像

70年代韓国で傍受された北朝鮮の映像です。
宣伝扇動部が進めた思想教育が記録されています。
忠誠心を養うために少年達は、10日以上かけてキム・イルソン(金日成)が少年時代歩んだとされる道を辿らなければなりません。

  ――◆思想教育映像のこどものことば―――――
     敬愛するお父さん
     キム・イルソン様を敬い
     私たちは忠誠の心を込めて
     最大の栄光と感謝をささげます。
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  ◆映像:マスゲームの記録

<ナレーション>
強化されたのがマスゲームです。
これは1958年のマスゲームです。ソビエトのカメラマンが撮影しました。
キム・イルソン(金日成)が北朝鮮に採り入れたマスゲーム。
当時子供達の動きは、単純で、機敏な動作もありません。
全体の統制も取られていませんでした。

しかし70年代、大きな変化がみられます。
マスゲームはキム・イルソンへの忠誠の証と位置づけられ、数万人の子供が、一糸乱れず動くよう命じられました。



当時マスゲームに参加した人の証言です。
2000年韓国に亡命しました。

◆マスゲーム参加者の証言―――――――――――――――

当時のマスゲームの訓練は本当に厳しいものでした。
私は背景版を担当していました。
訓練中はトイレに一切行けません。
ビンに用を
足さねばなりませんでした。
半年間 勉強は全くできませんでした。
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◆キムヒョンスクの証言―――――――――――――――――――――――――

背景版で最も難しいのが、キム・イルソン(金日成)の顔の部分です。
担当する子供達は死ぬ思いで練習します。
失敗してキム・イルソン(金日成)の顔を汚すと家族全員が処罰されるからです。

金正日が思想統制を担当してから、
国家全体、人民の全てがキム・イルソンに対する崇拝を強化しました。

国家体制はこのようにして作られていったのです。
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このエントリーはblue-jewelさんの手による物です。
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