2006年04月12日

戦略情報研での恵谷損の講演&NHK「ドキュメント北朝鮮」の感想を

講演会とTV番組、この二つを通しての私の率直な感想は、一言で言って、北朝鮮と言う国は不気味で異様な救いがたい国であり、拉致の事がなければお近づきにはなりたくないなぁ、と言うのが正直な所です。
しかしまぁ、そうは言ってもこの国と対峙して何とか被害者を取り戻さねばならないわけで、困った困ったと頭を抱えているばかりではどうしようもない。
とにかく、敵を知り己を知る。
北朝鮮の実情を知り、日本の実情を知り、被害者救出のために足らざる所は緊急に補う必要がある事を再認識しております。

自衛隊による救出作戦は、正直言ってなかなかその実現性と言うのは難しい物があります。
ただ、万が一に備えて自衛隊と言う組織その物が使える状況を担保する事は必要ですし、その準備は今からでも出来ることの一つです。
前々から主張しているように、まずは早急に法的整備を整える事。
それといざ自衛隊を使うとなった場合の、国民合意を取り付けることも必要ですよね。
非武装中立だの憲法9条死守だのと寝言を言っている人達の理解を求めるのは実際問題中々困難ではありましょうが、法的整備を整える過程で多くの心ある国民にその理解を求めることは可能なのではないでしょうか?
拉致問題と言うリアルな問題が目の前に横たわり、これを解決するには何が必要か?と言う視点で物を考えた時、理想論だの机上の空論だのをこねくり回していただけではどうにもならない事を、多くの国民が理解しつつあると私は感じています。
誠意を持って丁寧な説明の過程を踏めば、国民的合意を図ることは私はそれほど難しい話ではないと思うのですが。

それと自衛隊問題に限らず、いざ緊急事態と言うときに我が国の総理が毅然として政治的決断が出来るかどうか?と言う点が重要ですよね。
そしてその決断を国民が支持できるかどうか?と言う点も。
拉致問題が長年放置されてきた背景には、痛みを伴う決断を避けて問題解決を先送りにしてきたという政治的事実が歴然としてあります。
ここに勇気を持ってメスを入れて、政界や財界あるいはマスコミなどに食い込む総連の闇を一掃しなければ、拉致問題の解決など遠く及ばないのでは?と思えてなりません。
この問題が明らかになって、総連に対する日本人の意識も高まり厳しい視線を送り始めた事で、総連の側も追い詰められてはいる、と思います。
でも、まだまだ一発逆転を狙って、虎視眈々とあらゆる場面で工作活動はおそらく続行中でありましょう。
それに対抗できるだけの強い意思や関心を世論が持ち続けられるかどうか?

おかしい事にはおかしいと言う。
そういう姿勢を持ち続ける事も大事ではないでしょうか?
課税問題ひとつとっても、なぜ総連ばかりが優遇されるのだ?という国民の全うな素朴な疑問の声があればこそ、全うな判決も出るし全うな政治判断も出来るのだと思う。
福岡高裁での判決を受けて、安倍官房長官は適正な課税をするようにとお達しをして、それが今各地での総連施設への課税を見直す動きへとつながり、その動きが総連に対する圧力となり、強いては北朝鮮への圧力ともなり得ているのです。
初めに全うな国民世論があればこそ、政治も全うな力を発揮出来る。
総連施設への課税問題はその事実を端的に表していると言えるのではないでしょうか?

今月末には早紀江さんら家族が訪米し、公聴会で証言するなどして拉致問題への理解と関心を求める活動をするそうです。
それはそれでとても重要な事ですが、この日本人拉致問題を解決する一番の鍵は『当事者は私たちの国、日本である』という意識を持つ事ではないでしょうか?
公聴会で訴える事で、アメリカからの関心や協力は得られるかもしれない。
昨日のDNA鑑定の結果により、今後は韓国との協力関係もあるいは強化されるかもしれない。
でも、めぐみさんをはじめとする、日本人拉致被害者を救い出すべき当事者は、私たち日本国民なのです。
日本人の私たちが、心を一つにして『被害者を全員返せ!』という強い意思を持たねば、この問題、到底解決の仕様がないのです。

と言っても戦う相手は北朝鮮のあの強固なまでの独裁国家です。
そこから被害者を救い出すためには本当にどうしたらいいのか?

まずは北朝鮮の実情を知る事。
今回のNHKの「ドキュメント北朝鮮」はその手がかりとしてとても優れた番組であったと思います。
過去、私たちは余りにも北朝鮮と言う国を知らなさ過ぎました。
けれども、拉致問題をきっかけにして私たち日本人は北朝鮮の実情をはっきりと認識しつつあります。
これは大きな力です。
北朝鮮のまやかしに騙されない世論は、敵と戦う力になるはずです。
事実、北は日本の世論の動向を非常に気にかけている、との事。
それは裏返せば、いつまでも揺らがない日本の世論を北朝鮮はとても恐れていると言う事の何よりの証しと言えるのではないでしょうか?

最後の一人を救い出すまで、日本の世論は決して諦めない。
そして折々に『返せ!』の意思表示をする事。
政府へハガキやメールを送ったり、身近な所で拉致を話題にしたり、出来ることはたくさんあると思います。
TVなどで拉致に関する報道があれば必ず視聴する、と言うのも力になると思います。
高い視聴率を確保する事も拉致問題に対する高い関心度の証明になる。
マスコミ関係の中にも当然北の息のかかった協力者は紛れているはずですから、その数字は総連を通じて北に報告されるはずでしょう。
関心を持って拉致関連の番組を見て視聴率を上げる事も、問題解決の援護射撃になり得ると、私は思います。

庶民に出来ることは限られているけれど、庶民の底力が問題解決へと導く一番の力となるのです。
政府だけが頑張っても外務省だけが頑張っても、家族と関係者だけが頑張っても、被害者は帰って来ません。
拉致問題を解決できるかどうかは、日本人の底力の如何にかかっていると言っても良いのかも知れません。
どうか一人でも多くの方が強い関心を持って、どうすれば被害者を取り戻す事が出来るのか?自分の持つ知識と情報を総動員して、それぞれが考えてみる事。
そういう姿勢を持ち続ける事が何よりも大事なのではないか?と私は考えています。

自分一人が声を上げても何の力にもならないと諦めて、とりあえず自分の身の上に火の粉は降りかからないからいいじゃないかと、長年放置してきたツケを私たちは今払わねばならないのです。
20年30年の長きに亘って被害者を過酷な状況に追いやったまま、かりそめの平和を貪って安穏と暮らしてきたのが、私たち全ての日本人です。
自分の身さえ安泰ならば、被害者の苦しみにはこれからもこのまま目をつぶり続けても良いというのでしょうか?
拉致問題の存在に気がついた今、これからも被害者の痛みを放置したままで、それで私たちは人間として全うに立っていることは出来るのでしょうか?
拉致問題解決のため、勇気を持って立ち向かえるかどうかは、私たち日本人が『人間としての良心』を試されているとも言えるかと思います。
自分の中にある人としての良心が、何をなすべきと訴えているか?
それぞれがそれぞれに自分の心の声を聴く事も大事な過程ではないかと、改めて思います。


posted by ぴろん at 13:13| Comment(0) | TrackBack(1) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

NHK「ドキュメント北朝鮮 第三集」〜核開発を巡る戦慄〜(4) 06.4.4放送

<ナレーション>
北朝鮮は、核の闇市場に手をのばしていました。

 ◆映像:アブドゥル・カティール・カーン博士

パキスタンのアブドゥル・カーン博士から新たな核開発の技術を手に入れたと見られています。

  ◆映像:遠心分離器(資料写真)

遠心分離器による高濃縮ウランの製造。
大きな設備を必用とせず、地下での開発が可能なため、偵察衛星では捕らえられないと考えられています。
米朝合意から4年たった98年、アメリカが約束した軽水炉の建設や、関係正常化の協議が滞る中、北朝鮮は、ふたたび危機をあおります。
弾道ミサイルテポドンの突然の発射です。

  ◆映像:弾道ミサイルテポドンの発射実権 (1998年8月)

アメリカは北朝鮮の挑発に乗らず、対話に動き出します。
アメリカは北朝鮮に対して食料援助を行いました。
朝鮮半島では韓国の宥和政策のよって、南北の和解ムードが広がりました。

  ◆映像:ウルブライトが、北朝鮮の子供と一緒に踊る様子

そうした中、国務長官ウルブライトがピョンヤンを訪問。
金正日総書記は朝鮮戦争以来、敵対してきた関係の正常化を求めました。

―――ウルブライトとの会談での金正日総書記の発言―――――――――
3時間の話し合いだけでは、50年間の問題は解決できないでしょう。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
アメリカの急速な歩み寄りで、関係改善は進むと北朝鮮は考えていました。
しかし、アメリカの政権交代が、北朝鮮との関係を大きく変えていくことになります。

――ジョージ・ブッシュの演説――――――――――――――――――
北朝鮮は飢える国民に目もくれず、大量破壊兵器で武装し続けている。
彼らとテロリストたちは悪の枢軸だ。
――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
新たに発足したブッシュ政権は、クリントン時代の政策を否定。
強硬姿勢を打ち出しました。
対北朝鮮戦略を練ったのは、去年まで国務副長官を務めた、リチャード・アーミテージです。

――リチャード・アーミテージ――――――――――――――――――――――――
クリントン政権の時に北朝鮮は信用できない事がわかりました。
彼らが善意ある行動を取らなければ安全は保障しないと警告する必用があったのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

アーミテージが作成した報告書です。

 ◆映像:報告書『北朝鮮に対する包括的アプローチ』

――アーミテージの報告書――――――――――――――――――――――――
クリントン政権は北朝鮮に瀬戸際外交がうまくいくことを教えてしまった。
核兵器開発は終わっていない。抑止と封じ込めで、圧力をかけるべきだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
NHK「ドキュメント北朝鮮 第三集」〜核開発を巡る戦慄〜(4) 06.4.4放送

<ナレーション>
アーミテージの下、北朝鮮との交渉に望んだのが、国務次官補のジム・ケリーでした。
2002年、高濃縮ウラン開発の確証を掴んだとして、平壌に飛びます。
交渉相手は、カン・ソクジュ第一外務次官でした。
ケリーの追求に疑惑を認めたとされています。
問題を解決するため、首脳会談と、関係正常化を迫りました。


――ジム・ケリー国務次官補――――――――――――――――――――――――――――――
北朝鮮は94年の米朝合意を恋しがっているだけでした。
しかも、より大きな見返りを狙っていました。
しかし、そのような取引は、北朝鮮が核兵器開発を完全に放棄しない限り絶対にありえません。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
北朝鮮の要求をはねつけたアメリカ。
一方で北朝鮮と同時に悪の枢軸と名指ししたイラクへの攻撃準備を進めていました。
北朝鮮は再び、核のカードを切り始めます。
8年間凍結していたニョンビョンの核施設の稼働を再開すると発表。
その後、NPTを脱退しました。

そして去年2月、

 ◆映像:朝鮮中央テレビ(去年2月)
  ――――――――――――――――――――――――――
   我々は自衛のため 核兵器をつくった
   自由と民主主義を守るため、核兵器庫を増やしていく
  ――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:六課屋協議の模様 (去年11月)

<ナレーション>
今アメリカは中国や日本などと共に、対話によって北朝鮮に核の放棄を迫っています。
同時に金融制裁で圧力をかけ、追い詰めようとしています。

北朝鮮は、核兵器保有国となった以上、一歩的な放棄を迫られるのは不当だと主張。
新たな軽水炉の提供を求めています。

――アーミテージ前国務副長官―――――――――――――――――――――
私たちは、これまで北朝鮮徒向き合うたび、譲歩せざるを得ませんでした。
貧弱なカードをとても、巧みに使いこなします。
しかし、私たちは以前ほど、北朝鮮の瀬戸際外交を恐れてはいません。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

―――ジム・ケリー前国務次官補―――――――――――――――――――――――――
北朝鮮が核兵器を放棄しなければ、将来多くの国々と幅広い関係を結ぶこと不可能です。
そのことを、彼らにはっきりとわからせなくてはいけません。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
ニョンビョン核研究センター
今も、北朝鮮の核兵器開発は続いていると見られています。

  ◆映像:ニョンビョンの最新の衛星画像(3月13日撮影)

最新の衛星画像、これまでの10倍の規模を持つ原子炉の開発が進められているとアメリカはみています。更に高濃縮ウランの開発が地下の奥深くでおこなわれている進められて言われています。
アメリカは北朝鮮の核関連物質や技術が拡散する事を恐れています。

  ◆映像:軍隊のパレードの様子

圧力をかけても、対話を求めても、北朝鮮は核開発を止めようとしていません。

―――ロバート・ガルーチ ――――――――――――――――――――――――――
同じ事が繰り返されているような気がします。
北朝鮮はかつてと同じ交渉を求め、同じ見返りを迫っています。
彼らのひつこい取引は我々にとって不愉快ですが、つきあい続けるしかありません。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:北朝鮮の子供達が軍服を着て、
      キム・イルソンを称える歌を歌いながら行進しているところ

軍が全てに優先する得意な軍事国家、北朝鮮。
核がもたらす危機をいかに回避するか?、
世界はその答えを未だに見いだしきれずにいます。

〜〜終了〜〜

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NHK「ドキュメント北朝鮮 第三集」〜核開発を巡る戦慄〜(3) 06.4.4放送

<ナレーション>
瀬戸際までNPT脱退をちらつかせ、アメリカから譲歩を引き出した北朝鮮。
その裏で、核兵器開発を更に進めていきました。

北朝鮮の瀬戸際外交は続きました。
アメリカが経済制裁をほのめかすと、再び危機をあおります。

 ◆映像:韓国KBS 1994年3月

核問題を話し合う南北協議でのことでした。

 ◆映像:朝鮮中央放送ニュース画像〜南北会談の模様〜
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
北:我々は戦争の準備ができている
  あなたたちはよく考えるべきだ
  ソウルは軍事境界線から遠くない
  戦争になれば、火の海になる

南:ちょっと待て

北:貴方も生き残れない

南:なんてことを言うんだ

北:とにかくよく考えるべきだ

南:宣戦布告をするのか?

北:そちらが言い出したのだ
  寝ぼけているのか

南:戦争で応じるというのか?

北:当然だ!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
当時のアメリカ国防長官ウィリアム・ペリー。
アメリカは北朝鮮に軍事的圧力をかけ牽制します。

――ウィリアム・ペリー(アメリカ国防長官)―――――――――――――
私たちが軍を増強すれば、北朝鮮が対抗して攻撃してくる危険もありました。
しかし、こちらが真剣なことを示した方がむしろ彼らに行動を思いとどまらせ、
軍事衝突の危険が減るだろうと考えたのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:在韓米軍増強の模様(1994年 4月)

北朝鮮は対決姿勢をあらわにしてきます。
キム・イルソン(金日成)はNHKの取材に応じ、強制査察には断固応じないと主張しました。

 ◆映像:NHKの取材に答えるキム・イルソン(金日成)

キム・イルソンの声
━━━━━━━━━━━━━━━
我々は何も隠していない。
強制査察には断固応じない
もちろん軍事機密はある。
軍事機密を公開する国などない。
━━━━━━━━━━━━━━━

北朝鮮は韓国との軍事境界線の近くに軍を終結させました。
朝鮮人民軍の大尉だったキム・ソンミン、長距離砲の部隊を率いていました。

  ◆映像:軍事境界線付近の地図をみて説明するキム・ソンミン

軍事境界線からソウルまでの距離はわずか40キロ。
韓国お火の海に帰ることはできたと言います。

――キム・ソンミンの証言――――――――――――――――――――――
あのころ、すべての兵士は、
長距離砲を発射するためのロープを一時も離したことはありませんでした。
攻撃命令がでれば、すぐに韓国に砲弾を撃ち込むことができました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
北朝鮮は更に、危機のレベルをあげていきます。
黒煙路から燃料棒を引き抜き、プルトニウムを抽出する準備を始めたのです。

 ◆映像:ワシントン、ホワイトハウス

ホワイトハウスにペリーと軍の幹部が集まりました。
ペリーは核兵器開発を止めるため、韓国に駐留するアメリカ軍の更なる増強を提案。
急激な増強は戦争を招く危険がありました。

―――トニー・レイク 当時米大統領補佐官――――――――――――――
あの時軍の軍の増強を提案していなかったら、その方が無責任だったでしょう。
戦争よりも危険な状況になるのを防ぐためには、
逆に、戦争の選択肢も無視することはできませんでした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

国防総省は、ニョンビョン核研究センターをピンポイントで先制攻撃する計画も検討していました。

―――ウィリアム・ペリー ―――――――――――――――――――――
ニョンビョンを爆撃すれば、核兵器に必用なプルトニウムが抽出できなくなります。
核兵器開発を阻止するためにも、施設を確実に破壊する計画を、私たちは立てていました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

〜ソウル〜
戦争を何とか回避しようと考えた人がいます。
韓国駐在のアメリカ大使、ジェームス・レイニーです。

――ジェームス・レイニ 当時 駐韓米国大使―――――――――――――
アメリカは苛立って北朝鮮に脅しをかけているだけでした。
しかし彼らの敵対心をあおるだけだと私は考えました。
北朝鮮はプライドをかけて、国を守るために必ず戦いに出てくるだろうと思っていました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

レイニーは、アメリカが戦争を望んでいないことをキム・イルソンに直接伝えようと考えます。
特使として、元大統領のカーターに訪朝を促しました。

  ◆映像:カーターもと米大統領 訪朝(1994年 6月15日)

カーターは民間人の立場でピョンヤンに向かいました。
一方アメリカ政府はいっそう北朝鮮に圧力をかけるため、経済制裁の決議案を国連安保理に提出しました。
北朝鮮は激しく反発します。

   ピョンヤン放送
   ――――――――――――
   朝鮮半島の情勢はついに
   最悪の局面を迎えた
   制裁はすなわち戦争だ
   戦争になれば容赦しない
   ――――――――――――

緊張はピークに達しました。
韓国では全国一斉に防空訓練を実施。
戦争になれば100万人の犠牲者が出ると見られていました。

キムヨンサム 当時韓国大統領―――――――――――――――――――
アメリカ二隻の空母と33隻の軍艦を展開し、
いつでも北朝鮮を攻撃できる態勢を取っていました。
韓国は大混乱に陥り、人々は食料の買いだめに走りました。
逃げる場所は何処にもありませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
経済制裁の決議案を安保理に提出した翌日。
ペリーは大統領のクリントンに、軍の増強に関する詳細な計画を示します。
その規模は、最大で5万人にのぼりました。

――ダニエル・ポネマン 当時 大統領補佐官――――――――――――
戦争か平和か、正に瀬戸際に立たされている、私はそう強く感じました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

――ウィリアム・ペリー ―――――――――――――――――――――
もし何もしなければ、北朝鮮に見くびられる可能性がありました。
だから行動に出た方が良いと思ったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
クリントンが軍の増強に決定を下そうとしたその時、電話が入りました。
ピョンヤンのカーターからでした。
『キム・イルソン(金日成)が核開発を凍結しても良いと言っている。』
そう伝えて電話を切りました。
ホワイトハウスは、ピョンヤンからのCNNの生中継に釘付けになりました。

―― ジミーカーター元大統領 ―――
キム主席は、米朝協議が再開されれば、
核問題は解決されると言っています。
北朝鮮の提案を受け入れることを
アメリカ政府に期待します。
――――――――――――――――――
<ナレーション>
クリントンは提案を受け入れました。
危機は回避されました。

  ◆映像:キム・イルソン(金日成)死去の報に嘆く市民 (1994年 7月)

翌月、キム・イルソン(金日成)が死去します。
このとき北朝鮮がすでに核兵器を完成させていたことを、ファンジャンヨブは明らかにしました。

――ファン・ジョンヨブ―――――――――――――――――――
93年か、とにかくキム・イルソン(金日成)が無くなる前でした。
核兵器がいくつあるのか知りません。
尋ねたこともありません。
ただ、金正日から直接、聞きました。
『核兵器開発は終えた。その責任者を表彰する。』
――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:米朝枠組み合意 調印 (1994年 10月)

<ナレーション>
核兵器の完成をかくしたまま、北朝鮮はアメリカとの合意を結びました。
核開発を凍結し、いずれ施設を解体することと引き替えに、いくつもの見返りを手にします。

プルトニウムを抽出しにくい軽水炉の提供と重油の供給、アメリカが北朝鮮を核攻撃をしない保障、関係正常化に向けた協議の継続。
北朝鮮の要求が受け入れられました。


  ■軽水炉の提供
  ■重油の供給
  ■北朝鮮を核攻撃しない保障
  ■関係正常化にむけた協議の継続


――ファン・ジョンヨブの証言――――――――――――――――――――
金正日は大喜びでした。何もしなくても軽水炉が手にはいるのですから。
電力不足に悩んでいた我々にとっては本当に、大きな成果でした。
アメリカが戦争を仕掛けてくるなんて北朝鮮の幹部は誰一人考えていません。
金正日はアメリカの驚異を口実に、核兵器開発を正当化しているだけです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
戦争の危機をかいま見た、アメリカ。

――ウィリアム・ペリーの証言――――――――――――――――――――
私たちは北朝鮮に繰り返し核兵器開発の放棄を迫りました。
しかし、どんなに圧力をかけても、核兵器を持ちたいという彼らの強い意志を
打ち砕くことはできないとわかりました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

ニョンビョンでの開発を凍結した北朝鮮。
しかし、核兵器の開発を止めたわけではありませんでした。

―――ファン・ジョンヨブの証言―――――――――――――――――――
このころから、核の問題については金正日とカン・ソクジュ、二人だけで対応する事になりました。
私は、関わらなくなったのです。
ただ、北朝鮮とアメリカの合意のあと、軍事工業担当の書記がたびたび来ました。
『核兵器がまだ足りないので、あといくつかつくりたい。』
『プルトニウムを買いたいのだか、ロシアに知り合いはいないか?』
と聞かれました。
96年の夏か秋に、彼が再びやってきて、『問題は全て解決した』と言うのです。
『どうしたのか』と聞いたところ、
『核兵器に必用なウランを共同開発する協定をパキスタンと結んだ』
『もうプルトニウムは必要なくなった』と言うことでした。
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このエントリーはblue-jewelさんの手によるものです。

NHK「ドキュメント北朝鮮 第三集」〜核開発を巡る戦慄〜(2) 06.4.4放送

◆映像:衛星写真(提供アメリカ地質調査所)

アメリカは60年代からニョンビョン核研究センターを監視してきました。
このころ、偵察衛星がとらえた画像です。
65年の画像には、コトロフ達が建設していた原子炉がとらえられています。
年を追うごとに、新しい施設が、次々に増えていきます。
しかし、アメリカは原子力発電所を建設しているだけだと考えました。

  ◆映像:ドナルド・グレッグ

CIAや政権の中枢で40年にわたって北朝鮮を監視していたドナルド・グレッグ(元CIA−中央情報局−アジア担当)です。

――ドナルド・グレッグの証言―――――――――――――
北朝鮮に関する諜報活動は、うまくいっていませんでした。
北朝鮮が何を考えどんな能力を持っているのか、
私たちは危険なまでに無知でした。
―――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:CIAの報告書

<ナレーション>
CIAが作成した北朝鮮の核開発に関する350ページの秘密文書です。
はじめてアメリカが懸念を抱いたのは、84年でした。
核兵器の製造に必用なプルトニウムを抽出できる黒煙炉型の原子炉を建設していることに気づいたのです。
一方で更に高度な技術開発が必用だと記しています。
北朝鮮には核兵器開発を進めるだけの能力は、まだ無いと見ていました。
アメリカはソビエトを動かし、北朝鮮を国際機関の監視下におこうとします。

――ドナルド・グレックの証言―――――――――――――――――
私たちはソビエトが原子炉の建設に必用なノウハウを
北朝鮮に教えたことを知っていました。
そこで、NPTに加盟させるよう、ソビエトをけしかけたのです。
アメリカが北朝鮮と直接話し合うほどの問題ではありませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
当時、核兵器開発の指揮はキム・イルソンから長男ジョンイルに移りつつあったと見られています。
このときすでにソビエトから警告を受けていました。

――ファンジャンヨブの証言―――――――――――――――――――――
84年に私が国際担当書記になったとき、ソビエトの大使がたびたびやってきて、
『核兵器を大量つくろうとしているようだが、止めた方が良い』と忠告されました。
しかし、金正日にそのことを伝えると、『そんなの無視しなさい』と言われました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
北朝鮮は85年にNPT(核拡散防止条約)に加盟しますが、義務である核査察は受けようとしませんでした。

  ◆映像:世界青年学生祭典(スポーツ大会)の入場行進

ソウルオリンピックの翌年、北朝鮮は世界170国から選手を招き、スポーツ大会を開きました。
この直後冷戦が終結。北朝鮮を支えてきたソビエトは韓国との国交樹立に動きます。

  ◆映像:盧泰愚、ゴルバチョフの握手

その、国交樹立を伝えるためにソビエトのシュワルナゼがピョンヤンを訪れたときのことです。
北朝鮮の外相から衝撃的発言があびせられました。

  ◆映像:ソビエト外相(シュワアルナゼ)訪朝(1990年 9月)

――セルゲイ・タラセンコ ソビエト外相補佐官――――――――――――
我々は核兵器開発を急ピッチで進めている。
何が何でも核兵器を完成させてみせる。
ソビエトが韓国と国交樹立するならば、我々もしかるべき行動を取ると彼らは言いました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
しかしソビエトは動かず、アメリカにも伝えませんでした。

――ミハイル・ゴルバチョフの証言――――――――――――
北朝鮮の発言を真剣には受け止めませんでした。
なぜなら、あれは我々が外交姿勢を変え始めたことに対する、
単なる感情的な反発だと思ったからです。
それ以外の何物でもありませんでした。
――――――――――――――――――――――――――――

―ワシム・トカチェンコ ソビエト共産党中央委員会 ―――――――――
私たちは、北朝鮮の脅しを無視しました。
彼らは我々を攻撃するために核兵器を製造しているわけではなかったからです
――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:ソビエト連邦 崩壊(1991年 12月)

翌1991年12月、ソビエト連邦の崩壊で核の傘を失った北朝鮮。
自らの核兵器開発を急ぎました。

――ファン・ジャンヨブの証言 ―――――――――――――――――――
小国がどうしたら独立を守り、生きながらえていけるか、真剣に考えていました。
社会主義国が改革開放に向かう中で、金正日は体制を維持するために、
どうしても核兵器が必用だったのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
核査察を受けようとしない北朝鮮に対し、アメリカは次第に懸念を深め始めます。
89年、CIAの資料には、北朝鮮が核開発を急速に拡大させていると記されています。

  ◆映像:91年当時のニョンビョン衛星画像 軽水炉、再処理施設

同じ年ニョンビョンをとらえた衛星画像です。
かつてソビエトから技術提供された<軽水炉>の南に北朝鮮が独自に建設した<黒煙炉>が写っています。
川を隔てた南側には、新たな施設の建設が更に進んでいました。
最も大きな建物は、再処理施設。
黒煙炉で燃やした燃料棒からプルトニウムを抽出するための施設と見られていました。

  ◆映像:ジェームス・ベーカー

当時のブッシュ政権で国務長官を務めたジェームス・ベーカー。
北朝鮮に核査察を受けさせるため、ベーカーとブッシュは思い切った手を打ちます。


――ブッシュ大統領の演説 ――――――――――――――――
アメリカは世界に配備した、全ての戦術核兵器を撤去します。
―――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
アメリカは韓国に配備した核兵器も撤去することにしました。

――ジェームス・ベーカーの証言 ――――――――――――――――――
私たちが韓国から核兵器を撤去すれば、
北朝鮮はNPTに違反して核査察を受ける義務を放棄していると訴えやすくなります。
更に、北朝鮮に核兵器開発を進める口実を与えない狙いもありました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:朝鮮中央テレビ
  タイトル画像〜我が国に創設された“自立的な原子力工業基地”〜

  ――核研究者の説明――――――――
  我が国の原子力工業は平和目的です
  人民経済の発展に利用されています
  ―――――――――――――――――
<ナレーション>
翌年、核査察の受け入れに合意した北朝鮮。
ニョンビョンの核センターの映像をはじめて公開しました。

IAEA(国際原子力機関)査察 1992年 5月

  ◆映像:ニョンビョン核開発センター

<ナレーション>
92年5月IAEA(国際原子力機関)による査察が始まりました。
黒煙炉ではプルトニウムを抽出できる燃料棒が、すでに取り出されていたことが確認されました。
疑惑の焦点は再処理施設と見られる建物に移りました。

  ◆映像:IAEA報告書

北朝鮮は過去に一度だけ燃料棒から微量のプルトニウムを試験的に抽出したと説明。
しかし、IAEAは北朝鮮の説明が査察の結果と大きく矛盾すると報告します。
プルトニウムをたびたび抽出していた疑いが強まりました。

――◆ジェームス・ベーカーの証言――――――――――――――
北朝鮮がプルトニウムを抽出していることは明らかでした。
彼らが核兵器を開発しようとしていることを確信しました。
――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
アメリカは直ちに核廃棄物貯蔵所の査察することをIAEAに要求めます。
ここを調べれば、過去に何回プルトニウムを抽出したかを確認することができるからです。

当時ファン・ジャンヨブは核兵器開発を担当する軍需工業担当の書記があわてる様子を見ていました。

―ファン・ジョンヨブの証言―――――――――――――――――――――
強制査察を受けなくてはならなくなりそうだと、心配していました。
プルトニウムを抽出した痕跡を何とか消そうと核開発廃棄物貯蔵所に土を盛って、植物を植えた
のですが、全て枯れてしまったのです。
更に人工衛星に写らないように、運動場ぐらいの大きな倉庫を建てて隠しました。
そして『ここは軍事施設だから核査察の対象にはならない』と言い張ったのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

〜ワシントン〜

北朝鮮を追いつめたかに見えたアメリカ。
しかしこの後、北朝鮮が仕掛ける駆け引きに翻弄されます。
93年1月、核疑惑が深まる中、クリントン政権が対応を引き継ぎました。
北朝鮮との交渉に直接当たった、国務次官補(当時)ロバート・ガルーチ。
そして国務省朝鮮担当部長(当時)チャック・カートマン。

  ◆映像:チームスピリット(1993年 3月)の模様

アメリカは韓国との合同軍事演習=チームスピリットで圧力をかけ、強制査察を受け入れさせようと考えました。
ところが北朝鮮は査察を義務づけたNPT=核拡散防止条約からの脱退を、突然宣言します。

  ◆映像:チャック・カートマン 米国務省 朝鮮担当部長
      ロバート・ガルーチ  米国務省 朝鮮担当部長

――ピョンヤン放送―――――――――――――――
我が国の最高利益を守るために、
やむをえず、NPTから脱会することを宣言する。
――――――――――――――――――――――――

――チャック・カートマン ―――――――――――――――――――――
チームスピリットは北朝鮮を狙った核攻撃の演習だと彼らは以前から主張していました。
私たちは、NPT脱退を正当化する口実を彼らに与えてしまったのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――


―――ロバート・ガルーチ――――――――――――――――――――――
北朝鮮は、脱会の際は3ヶ月前に告知するというNPTの規定を利用し時計をセットしたのです。
残り3ヶ月、私たちは脱退を取り下げさせるため、関与せざるを得なくなりました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:米朝高官協議(1993年 6月)

<ナレーション>
アメリカと北朝鮮、初めての二国間の高官協議が始まりました。
ガルーチの交渉相手はカン・ソクジュ第一外務次官。
現在も北朝鮮外交のキーパーソンです。
ガルーチはNPT脱会宣言の取り下げと、強制査察の受け入れを求めました。
しかし強い反発を受けます。

 ◆映像:交渉時の写真

――ロバート・ガルーチ―――――――――――――――――――――――
彼は言いました。あなた達はIAEAを背後から操っている。
我々を絞め殺そうとしている。
そして、逆に補償を要求してきました。
『アメリカがまず我々に対して安全を保障し、攻撃を計画しないと約束しろ』と。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
協議は暗礁に乗り上げます。

NPT脱退の日が目前に迫る中、カンソクジュ外務次官が動いてきました。

――ガルーチの証言―――――――――――――――――――――――――
私はこういわれました。過去を棚上げにすれば、未来については協力しても良い。
あなた達にとって、過去と未来とどちらが大切か?
――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
過去のプルトニウム抽出の疑惑に目をつぶればNPT脱退は取りやめる。
北朝鮮の仕掛けた駆け引きでした。



――ロバート・ガルーチ―――――――――――――――――――――――
過去も大切ですが、差し迫った危険はなかったので、こだわり続けるのは止めました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――


――チャック・カートマン米 国務省 朝鮮担当部長――――――――――
私たちはすでに北朝鮮の核兵器開発を確信していました。
もし彼らが、NPTから脱会すれば開発を推し進めるに違いないと思いました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
NPT脱会は避けられましたが、強制査察は先送りとなりました。

――チャック・カートマン米 国務省 朝鮮担当部長――――――――――

彼らは賢く計算高く、利害関係をはっきり理解していました。
北朝鮮は危機のはしごを相手に登らせることができれば
自分たちが強い姿勢に出られることを知っていました。
危機のはしごを降りるタイミングは、常に自分たちが握っていると考えていたのです。
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このエントリーはblue-jewelさんの手によるものです。

NHK「ドキュメント北朝鮮 第三集」〜核開発を巡る戦慄〜(1) 06.4.4放送

〜導入〜
<ナレーション>
厚いベールに閉ざされた国、北朝鮮。
個人崇拝による独裁体制は何故今も維持されているのか?
拉致やテロは誰が指示し、何故繰り返されたのか?
そして、核兵器開発はどこまで進んでいるのか?
世界を脅し続けている多くの謎に迫ります。

  ◆映像:朝鮮中央テレビ去年2月
  ―――――――――――――――――――
   我々は自衛のため 核兵器をつくった
  ―――――――――――――――――――

  ◆映像:衛星からの核開発施設の映像

<ナレーション>
核兵器の保有を去年宣言した北朝鮮。
その開発の拠点、ニョンビョン核研究センターです。

衛生がとらえた核施設の数々。
煙突から吹き出る煙。
アメリカは今も原子炉が稼働していると見ています。
北朝鮮はすでに核兵器を1,2個保有し、更にプルトニウムを製造したと考えられています。

  ◆映像:六カ国協議の模様

核の放棄を迫る国際社会。
北朝鮮は強く反発しています。
事態打開の見通しは立っていません。

  ◆映像:キム・イルソン(金日成)金正日の映像

北朝鮮は国際社会と渡り合うために、核兵器開発を密かに進めてきました。

時には核開発のカードを利用し、譲歩を引き出してきました。

アーミテージ元国務次官のことば
――――――――――――――――――
対話をしては、ことばで危機をあおる。
これは、北朝鮮のいつも手口です。
(TOLK、TOLK、、fight、fight)
――――――――――――――――――


ロバート・ガルーチ元国務長官――――――――――
同じ事を繰り返しさせられている気がします。
北朝鮮は同じ交渉を求め、同じ見返りを迫ってきます。
(デジャブ・・)
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  ◆映像:取材した米ソ、大統領、高官、外交官の映像
   (ゴルバチョフ・カーターも含む)

北朝鮮と直接向き合ってきたアメリカ、ロシアの元大統領60人あまりを取材、その証言から核兵器開発に迫ります。

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第三集「核開発を巡る戦慄」
━━━━━━━━━━━━━
<ナレーション>
朝10時、空襲警報が鳴り響く平壌。
アメリカの攻撃を想定した防空訓練です。
平壌にある地下鉄です。
深さおよそ150メートル。
核戦争に備えたシェルターとして作られたと言われています。
北朝鮮にはこうした核シェルターが数多くあると見られています。
一方で、自らも核兵器を手にしようと開発を進めてきました。

これまで北朝鮮が何時から核兵器開発を始めたかは謎でした。
キム・イルソンの側近だったファン・ジャンヨブです。
1997年に、韓国に亡命しました。

―――ファン・ジャンヨブ氏の証言―――――――――――
 核兵器開発については話すつもりはなかったのですがー、
―――――――――――――――――――――――――――

核兵器についてはあまり語ってきませんでしたが、今回初めて詳細に証言しました。

―――ファン・ジャンヨブ氏の証言――――――――――――――――――
我々はかなり前から、核兵器の開発を始めていました。
1958年に地下にある軍事工場を訪れたとき、
キム・イルソン(金日成)は『核戦争に備えるべきだ』と繰り返し話していました。
すでにその時から計画はあったのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:アメリカ核実験の模様、在韓米軍の動き
<ナレーション>
50年代、ソビエトと核兵器開発を競っていたアメリカ。
韓国にも、大量の核兵器を配備します。
60年代の末、その数は、およそ1000発にのぼったと見られています。

キム・イルソン(金日成)にとって、アメリカの驚異に対抗するためには核兵器は無くてはならないものでした。

  ―――ファン・ジャンヨブ氏――――――――――――――
   核を持っていれば、まず韓国を脅かすことができます。
   更に、朝鮮半島を武力で統一する上で、
   何よりもアメリカの介入を抑止する手段となるのです。
  ―――――――――――――――――――――――――――

  〜モスクワ〜

<ナレーション>
50年代、北朝鮮にとって重要な援助国であったソビエト。
核開発は、そのソビエトさえも欺きながら始められました。

当時の貴重な映像がロシアに残されていました。

  ◆映像:1956年7月訪ソ時、キム・イルソンの映像
  (ロシア国立映像アーカイブ)
1956年モスクワ郊外の原子力発電所を訪れたときのものです。
このとき、ソビエトとは平和目的の核開発で支援を受ける協定を結んでいました。

しかしすでに、キム・イルソン(金日成)は核兵器開発の野心を抱いていたとファン・ジャンヨブは証言しています。

  ◆映像:合同核研究所(ソビエト ドゥブナ)

合同各研究所。
ソビエトは社会主義の国々と共に原子力発電や、放射線医療など、最先端の研究をしていました。
キム・イルソン(金日成)は、核兵器開発に必用な知識や技術を手に入れるため、多くの研究者を送り込みました。

  ◆映像:ニョンビョン核開発センター

7年後の63年、北朝鮮北部の町にソビエトの技術者が招かれました。
山間の土地に平和目的の核施設を建設するためとされました。
ここが現在の核兵器開発の拠点、ニョンビョン核兵器センターです。

  ◆映像:コトロフの写真

建設責任者だったセルゲイ・コトロフ。
原子炉の設計を手がけました。
コトロフ(各研究センター建設責任者)たちがまとめた報告書です。

   ◆映像:報告書

技術を提供した原子炉はIRT2000。
核兵器の製造に必用なプルトニウムを抽出しにくい軽水炉型の原子炉です。
北朝鮮の強い要請で核研究センターは<家具工場>と呼ぶことにしていました。

―――コトロフの証言―――――――――――――――――――――――
核研究センターの存在は北朝鮮でも、極秘とされていました。
外部に一切情報を漏らさないよう、厳重に注意が払われていました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
コトロフによるとニョンビョンには100人を超える北朝鮮の研究者が集められていました。
ほとんどはソビエトの大学などで物理学を学んだ若者でした。

   ◆映像:北朝鮮の若い研究者たちの写真

――――コトロフの証言―――――――――――――――――――――――
私たちは原子炉に関して必用な技術や知識を北朝鮮の研究者たちに教えました。
彼らの水準は驚くほど高いものでした。
最高レベルの教育を受けた、優秀な研究者だったのです。
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65年原子炉の建設を終えて、ニョンビョンを去ったソビエトの技術者達。
ここが核兵器開発の拠点になろうとは想像もしていませんでした。

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このエントリーはblue-jewelさんの手によるものです。
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