前略
突然の手紙をお許しください。私は田ロ八重子の長男の耕一郎と申します。
私の母であると言われている李恩恵について、お話を聞かせていただきたくペンを取りました。
金さんにとっては、もう思い出したくない話かもしれません。
しかし、私には母親の思い出がまったくないのです。
母が北朝鮮に拉致されたのは、私がまだ1年半のときでした。
母親の兄である飯塚繁雄に引き取られて二十五年、母のことは写真と養父から聞く思い出以外には何も知らずに生きてきました。
それまで、記憶にない母に対する感情は正直言って曖昧なものでしかありませんでした。抱いてもらった思い出も、叱られた思い出も何もないので、当然なのかもしれません。
2002年9月に、母の死亡という報道を海外出張先で知りました。そのとき心が張り裂けそうな衝撃に駆られました。どうしょうもない虚無感に駆られ、涙を流しました。
そのときの気持ちはいまだに自分の中で整理できていないのですが、きっと自分の中に、二十五年ものあいだ触れることができなかった母親に対する感情がない、と知ったからだと思います。私には、実母の写真を見ても、どのような声で、どのような笑顔をしていたのかまったくわからないのです。
そんな母に対してどんな感情を持てばいいのかわからないのです。ですから、金さんから母のことを聞いて、一片でも母の面影を自分の心の中にじかに焼き付けたい。私はまず、このことから始めたいのです。
これから私が見るべき明日に向けて、そして未来の家族のためにも、空白になっている母の面影を少しでもつなぎ合わせていきたいのです。
お忙しい中、このような手紙をご覧いただき、ありがとうございました。
どうかご自愛ください。また、乱文失礼いたしました。 敬具
飯塚耕一郎
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ご記憶でしょうか?
耕一郎さんが実母・田口八重子さんの一片の記憶を求めるために金賢姫元死刑囚に宛てて手紙を書いたこと。
それが彼が田口八重子さんの息子、という曖昧な存在ではなく、飯塚耕一郎という一人の人格を持った存在として表に出るきっかけとなったことを。
名前と顔を世間に晒すというのは、生活のあらゆる面で様々な束縛やプレッシャーを感じることを覚悟せねば出来ません。
そこまでの決意をするにはご本人もご家族も、おそらく余人には知れない様々な葛藤を経た事だろうと推察いたします。
実の母・八重子さんをいまだ母とは呼べずにいるという耕一郎さん。
彼は今年2月17日の誕生日で29歳になりました。
一歳のときに母と引き離されて、早28年の年月が過ぎたのです。
一刻も早い母子の再開のために、あなたのお力を貸していただけませんでしょうか?
この手紙は、群馬県前橋市で行われる集会『あなたも拉致の現実を知ってください 』のチラシに掲載されているそうです。
耕一郎さんも登壇予定のこの集会は来月20日、開催されます。
お近くの方はぜひ参加して、耕一郎さんの訴えに耳を傾けて差し上げてください。
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★「あなたも拉致の現実を知ってください」(群馬・前橋)
日時:2006年5月20日(土) 午後1時30分より
場所:前橋市総合福祉会館
講師:平田隆太郎さん(救う会全国協議会・事務局長)
飯塚繁雄さん(家族会副代表)
飯塚耕一郎さん(田口八重子さんの長男)
参照:救う会群馬ホームページ
※詳しい集会案内はこちら