2006年05月08日

06.4.16 特定失踪者・生島孝子さんの姉 日本再生フォーラム(12)JACK大宮ビル5階にて

『生島馨子さん(特定失踪者・生島孝子さんの姉)の訴え』

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こんにちは。
特定失踪者・生島孝子の姉、馨子(けいこ)でございます。
どうぞよろしくお願いします。

妹は1972年渋谷区笹塚、新宿の駅から3つ目ですね。
のところで、日中にいなくなりました。
それから33年経って北朝鮮での目撃証言を得ました。
妹が失踪した当時母は入院しておりましたが、33年後に(孝子さんが)北朝鮮で目撃されたと言う証言を得て、母はとても喜びまして、自分が33年間生きていると信じて生き延びてきた事を、自分自身をとても褒めて喜んでいました。
33年生きていて良かった、会えるんじゃないか?
会いたい会いたいと言いながら、でもその目撃証言を得て3ヵ月後に、会いたい会いたいと言って力尽きて亡くなってしまいました。

その母の無念さを皆様に知って頂く事で、孝子を取り返す運動につなげていきたいと思って、自費出版をする事を決意したんですが、母の無くなった当時、特定失踪者と言うことがまだ世の中に余り知られていない為に、言って良いのかどうか?と言う疑問がありました。
不安がありました。
それと、家族会になんで入らないの?と言われた事もありまして、当時の状況から特定失踪者の母がこのように残念な思いをして死んでいきましたと言うふうに言う事が憚られたんですね。

それでも何か家族としては、残された私としては何か母のためにしてあげたいと思って、このような本を出版いたしましたが、1年経って見るともうちょっと『特定失踪者である妹の孝子という者の母親であった』と言う事を、ハッキリ書けばよかったかな、と思ってます。
ですからこれの中にはその事は殆ど触れてなくて、『母親がこういうふうに我慢して33年間生きてきた』と言う事だけを中心にして書きました。

今日この場に主催者の方、またご出席の皆様のご好意に甘えまして、このつまらない本をちょっとご紹介させていただきます。
こんな中身の薄い物を1400円も出すのはちょっと憚られると思われる方は、ネット本に入れましたので、ネットで500円で見て頂きたい。
それもちょっとねと言う方は、そういう思いで私が、母の思いを世の中に知って頂きたいと言う事だけで、こんな本を出したという事をチラッと思っていただけると、ありがたいと思います。
どうもいろいろありがとうございます。
よろしくお願いします。(拍手)

氏名 生島 孝子
失踪年月日 昭和47(1972)年11月1日
ふりがな いくしま たかこ
生年月日 昭和16(1941)年6月14日
性別 女 当時年齢 31
身長 体重
公開 第1次公開
当時身分 港区役所麻布支所交換手
特徴
失踪現場 東京都渋谷区
失踪状況 当日、一日の年休届けを出し勤め先を休む。朝、同居していた妹に「夕方に電話があったら出かける」と言っていた。衣類の入れ替えをし、夕方クリーニング店に衣類を出している。孝子さんは翌日出勤時に着る服を揃えておいて出かけていた。その夜何の連絡もなく帰宅せず。翌2日夜、自宅に電話があり、しばらく無言の後、「今更仕方ないだろ」と男性の声とともに切れた。平成16年9月29日、警視庁に告発状提出。

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会HPより
http://chosa-kai.jp/index.html

・・・・・・・・・・・・・
参考過去エントリー

★「うらさんの願いはダイヤモンドになって」特定失踪者・生島孝子さんの姉、生島馨子さんの著書紹介
http://piron326.seesaa.net/article/13463564.html
★「うらさんの祈りはダイヤモンドになって」電子版出版のご案内
http://piron326.seesaa.net/article/15574603.html


06.4.16 特定失踪者・江原信明さんの姉 日本再生フォーラム(11)JACK大宮ビル5階にて

『大越宏子さん(特定失踪者・江原信明さんの姉)の訴え』


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★鈴木智さん

次にはですね、特定失踪者の江原信明さんのお姉さんでございます、大越宏子さんです。

★大越宏子さん

こんにちは。(拍手)
こちらが私の弟の江原信明です。(弟さんの写真を掲げる)
1988年の5月9日に大宮の方にちょっと遊びに出かけます、と言う事で出て行ったきり、本日まで何の消息もございません。
両親も警察やら友人やらいろいろ捜しましたけども、全然手がかりになるような事はひとつもありませんでした。

そして特定失踪者問題調査会の方で、取り上げて頂き今日に至っております。
警察も・・・(聞き取れず)ですけど、銀行の口座ですとかいろいろ両親も調べたりしたんですけども、何の動きも無い。
全く手がかりがつかめなかったんです。
それで、万が一拉致と言う可能性もあるんじゃ無いか?と言う事で、姉の私が今ここでこうしてお願いしているわけでございます。
これからも市民の皆様が関心を寄せて頂く事で、少しでも早く解決出来る日が近付くと思っております。
どうぞこれからもよろしくお願いします。(拍手)

氏名 江原 信明
失踪年月日 昭和63(1988)年5月9日
ふりがな えばら のぶあき
生年月日 昭和34(1959)年9月12日
性別 男 当時年齢 28
身長 177センチ 体重 63キロ
公開 第4次公開
当時身分 農業
特徴 髪は多めでややくせがある。白髪が多かったので黒く染めていた。前歯は銀色のものをかぶせていた。タバコ、酒はほとんどやらない。電気工事士、アマチュア無線、普通自動車の免許あり、趣味は釣り 失踪現場 埼玉県南埼玉郡白岡町の自宅
失踪状況 「たまには大宮にでも行って映画を観てくる」と白岡町の実家を出たまま失踪。

※情報は特定失踪者問題調査会HPより
http://chosa-kai.jp/index.html


★鈴木智さん

先ほどお話しました7名の特定失踪者の中で藤田進さん、佐々木悦子さん、新木章さん。
この3人は拉致が濃厚と言う事でもって、政府のほうに認定を申請して頂いているという状況でございます。
続きまして、埼玉では無いんですけども東京の方で(失踪をした)生島孝子さんのお姉さんを紹介します。

06.4.16 特定失踪者・佐々木悦子さんの母 日本再生フォーラム(10)JACK大宮ビル5階にて

『佐々木アイ子さん(特定失踪者・佐々木悦子さんの母)の訴え』

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皆さん、今日はありがとうございます。(拍手)
特定失踪者問題調査会でお世話になっております、佐々木悦子の母でございます。
いつもご支援ありがとうございます。

先ほど荒木先生から短波放送「しおかぜ」のお話がありましたが、家族からの手紙の代読を荒木先生には一生懸命に読み上げて頂いております。
また1月からは家族の声も流しております。
長い長い年月の中、本当に月日が経っているんだなと。
皆さん、家族の中には亡くなった方がたくさんおります。
本当に辛い事です。

うちの場合もそうなんです。
悦子が失踪してから5年後、やはり娘の安否を気遣って、本当に心労心労で(主人は)5年後に亡くなりました。
本当に無念でなりません。
私は主人のために、悦子が日本に帰るまでこの目で悦子を見届けるまでは、死ぬ事は出来ません。
頑張り続けます。
皆様これからもご支援の程よろしくお願いします。(拍手)

氏名 佐々木 悦子
失踪年月日 平成3(1991)年4月22日
ふりがな ささき えつこ
生年月日 昭和38(1963)年12月6日
性別 女 当時年齢 27
身長 162センチ 体重 52キロ
公開 第1次公開
当時身分 埼玉銀行パート
特徴 左目の下に泣きぼくろあり、両手共ふっくらとしているが指先が細い。
失踪現場 埼玉県浦和市
失踪状況 「仕事へ行く」と言って埼玉県浦和市の家を出たまま失踪。当日は休みをとっていた。平成16年1月29日、埼玉県警に告発状提出。

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会HPより
http://chosa-kai.jp/index.html

06.4.16 特定失踪者・鈴木賢さんの兄 日本再生フォーラム(9)JACK大宮ビル5階にて

『鈴木智さん(特定失踪者・鈴木賢さんの兄)の訴え』

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はじめまして。
私、特定失踪者・鈴木賢の兄でございます。
現在は拉致問題を考える川口の会をしまして、川口の自治体の強力なバックアップの元に、それと更に家族を支えてくれる支援されている多くの皆様のご支援によりまして、現在月一ではございますが第一日曜日午後2時から4時まで署名活動を行っております。
もちろんその他にもいろいろこの問題を考えて頂くという事でもって、一人でも多くの皆様方にご協力を頂きながら現在はですね。
支援される方々とそれから川口に住所を持つ、あるいは田口八重子さんを救う会の皆さん共々と現在はこの拉致問題の拉致被害者の一刻も早い救出を願いつつ、精一杯行動を起こしております。

川口の特徴と言いますと、拉致被害者の政府認定者の田口八重子さんですね。
それと当初は6名の特定失踪者がおったわけですけども、現在は特定失踪者が7名おります。
あ、ごめんなさい、当初は5名の特定失踪者だったんですけども、現在は7名おります。
それぞれですね、これから一言ずつお話を頂き、あるいはアピールをさせて頂きたいと思いますけど、私の弟はですね。
昭和47年、5月にですね。
大学を出て東京の会社に就職をしました。
春のレクリエーションということで5月に、まさにハイキングスタイルでもって朝の6時に私のお袋に見送られて、ハイキングスタイルで当時の自宅三芳町の藤久保、ここを出ました。

今年で34年になるんですけども、この間、全くの音信不通。
それといわゆる風の便りのひとつもございません。
そういった点では本人が出て行った時の状況と言うのはあまり良く分かりませんけども、例えば免許証だけは持って出ました。
免許証の更新はされておりません。
その他、自分の意思と言う事も考えられない事はないですね。
事件、事故、自分の意思と言う事も考えられなくはないですけども、私の感覚としましてはもしやこの拉致事件にも関りはあるんじゃないか?と言う事でもって、先ほど来お話を頂いた、特定失踪者問題調査会の方に申し出をしましていろいろ調査をして頂いている。
と言うのが現状でございます。

尚川口の自治体におきましてはですね。
大変力強い物がございまして、川口の自治体、長、それから市議会に起きましても大変ですね。
この問題に対しては高い関心とご協力を頂きまして、例えば市庁舎の所には大きな横断幕を張ってあります。
それと駅前には電光掲示板、それと尚、各公民館・自治会館、自治会を通しまして署名と言うような物については常時出来ると言う状況になっております。
そんな事でこれからもですね。
自治体のバックアップ、あるいは支える会のバックアップを頂きながらこれからも署名運動を中心にですね。
諸活動を邁進していきたいというように考えております。

氏名 鈴木 賢
失踪年月日 昭和47(1972)年5月28日
ふりがな すずき まさる
生年月日 昭和24(1949)年1月12日
性別 男 当時年齢 23
身長 170センチ 体重
公開 第3次公開
当時身分 会社員
特徴 中肉。
失踪現場 埼玉県三芳町の自宅を出て
失踪状況 会社のレクリエーションに行くため朝6時に家を出て以来行方不明。レクリエーションには行っていない。職場、大学時代の友人も心当たりなし。

※情報は特定失踪者問題調査会HPより
http://chosa-kai.jp/index.html

それではですね、今日ここに写真が出ておりますけども今日お見えになってない方が井上克美さん、それから藤田進さん、それから新木章さん、それと石井久宏さん、長谷山洋さんのご家族の方はお見えになっておりません。
従いまして、佐々木悦子さんのお母さんの佐々木アイ子さんから一言お願いします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以下、川口関係の特定失踪者の情報の紹介

※情報はすべて特定失踪者問題調査会HPより
http://chosa-kai.jp/index.html

★氏名 井上 克美
失踪年月日 昭和46(1971)年12月29日
ふりがな いのうえ かつよし
生年月日 昭和25(1950)年2月25日
性別 男 当時年齢 21
身長 体重
公開 第4次公開
当時身分 電気工事店勤務
特徴
失踪現場 埼玉県川口市
失踪状況 失踪当日会社の忘年会の後、川口市内の飲食店で飲み(午前0時〜1時)、すし屋で食事をした後友人と別れた。当時泥酔状態。夜帰宅しなかったので翌30日前実家にtelがあり両親も知った。妻の話では正月は家に行くと言っていたので実家に帰っているのではと思いtelしたとのこと。運転免許の更新もなし。連絡も一切なし。長男が生まれる直前だった。

★氏名 藤田 進
失踪年月日 昭和51(1976)年2月7日
ふりがな ふじた すすむ
生年月日 昭和31(1946)年6月16日
性別 男 当時年齢 19
身長 体重
公開 第5次公開
当時身分 東京学芸大学教育学部1年生
特徴 家ではあまりしゃべらないタイプ、ギターがうまかった。
失踪現場 埼玉県川口市の自宅
失踪状況 失踪当日6:30〜7:00頃以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。後に新宿に有る全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。「脱北者が北朝鮮から持ちだした写真が、鑑定の結果、藤田進さんである可能性が極めて高いことが判明。」平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。

★氏名 新木 章
失踪年月日 昭和52(1977)年5月21日
ふりがな あらき あきら
生年月日 昭和22(1947)年10月16日
性別 男 当時年齢 29
身長 体重
公開 第1次公開
当時身分 銀行員(事務系、コンピュータを使う仕事)
特徴 中肉中背、眼鏡使用。
失踪現場 埼玉県川口市
失踪状況 「買い物に行く。午後6時か7時には帰る」と家を出たまま失踪。家を出たときは財布しか持っていない。免許証、クレジットカードが入っていたが、更新がされていないし、カードは使っていない。平成16年1月29日、埼玉県警に告発状提出。

★氏名 石井 久宏
失踪年月日 昭和49(1974)年5月1日か2日
ふりがな いしい ひさひろ
生年月日 昭和19(1944)年9月29日
性別 男 当時年齢 29
身長 体重
公開 第13次公開
当時身分 化粧品、雑貨販売店経営
特徴
失踪現場 埼玉県川口市の店舗兼自宅から
失踪状況 化粧品店を経営しており、多額の借金を抱えてしまっていた。父親などが金を用意して経営を立て直す方向で話をすすめ、母親も店の経営を手伝っていた。本人の努力しだいで十分解決方法もある状態であったが、突然100万以上の経営資金を持ったまま自家用車ごと行方不明となった。当時、遊び方が派手になっており、マージャンやバーなどで、複数の朝鮮系?の方と一緒に居るところを従妹が目撃している(言葉からそう思ったとのこと) 。店の隣もパチンコ屋だった。失踪後一度も免許証の更新をしていない。

★氏名 長谷山 洋
失踪年月日 平成6(1994)年8月頃
ふりがな はせやま ひろし
生年月日 昭和45(1970)年1月16日
性別 男 当時年齢 24
身長 体重
公開 第10次公開
当時身分
特徴
失踪現場 埼玉県川口市付近
失踪状況 失踪の約1週間前、戸田市の会社に就職。川口市のアパートを引き払い、会社が借り上げた寮に移ったが、その会社を1週間ほどで辞め、寮も引き払った。その夜川口市内の弟の家で食事をし、翌朝、友人が川口市内を歩く本人を目撃したのを最後に失踪。失踪後、静岡県伊東市に住民票を移していることが分かり、そこ場所へ行ってみたが、転出先の住所の番地は存在しなかった

06.4.16 飯塚耕一郎さん 日本再生フォーラム(8)JACK大宮ビル5階にて

『飯塚耕一郎さん(田口八重子さん長男)の訴え』

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ご紹介を頂きました、田口八重子の長男で飯塚耕一郎と申します。
本日はお招きを頂きまして、誠にありがとうございます。
本来ですとうちの親父、副代表の飯塚繁雄の方がお伺いする所、ちょっと私用がございまして、こちらの方へは私及び私の伯父の方が代わりに出席をさせて頂きました。

本日はまず荒木先生の方にとても有意義なご講義を頂きましたけども、まず家族会としての総意と言っている部分はこの2〜3年まったく変わっていないと思っています。
まず早期の経済制裁を求めたい、この一点に尽きると思います。
皆さん、この言葉に関してはもしかしたら耳にタコが出来てしまう、それくらいのお話かと思いますけども。
ここには早期経済制裁を実施しないといったいどう言う事が起きるか?と言う部分が、本日皆様にお配りいただいているこの資料の中にとても分かりやすくまとまっていると思います。

こちらの資料の方の5ページ目、まさに家族会が言いたいことがかなり集約されていると思います。
まず経済制裁を行わなくてはいけないと言う部分に関してはまず一点、国家の意思を発信させるという観点、ここの部分にまず尽きると思います。
日本がこの問題に対してこの事件に対してどれだけ怒っているか?と。
そういった部分を犯人の北朝鮮に告げなければいけない。
そうでないと別に犯人の方としては、日本が怒っていないと。
別に人質を帰さなくても日本は何も言って来ないと。
お金は出来るだけ出してくれるというずるい態度、北朝鮮のずるい態度ですね。
ずるい態度がこれまでの歴史どおりに北朝鮮によって・・・(聞き取れず)しまうという問題があります。
 
もうひとつ違った観点で申しますと5ページの一番上、2004年の11月日本政府の制裁予告と言う部分がありますけど、この時期に細田官房長官の方から「迅速且つ誠意ある対応が無ければ厳しい対応を取らざるを得ない」という発言をしております。
今、2006年の4月です。
一年半以上、こういう「迅速且つ誠意ある対応」を取っているのかどうか分からない政府というふうに、私としては考えられます。
この1年半と言う長い時間は、果たして短いスパンなのでしょうか?
ここの部分は私は疑問に思います。
逆にこの1年半、何もしてこなかったと言う部分はますます北朝鮮に対する認識として、やはり拉致問題というのは日本は重要視していないと言う考えが定着してしまいます。
これは時が経てば経つほどそうだと思っています。

こういう観点からまずそういう、単独であろうが共同であろうが何でも構いません。
日本としての意思を発信する。
政治的な発言をして発信すると言う経済制裁を行うべきだと、この点を改めて私は皆さんにお伝えしたいと思います。
また、実際に私たち個人レベル民間レベルでは、じゃあ政府は経済制裁に全く動かない。
我々はどうすればいいのか?何をすれば良いのか?と言う疑問が湧いてくるかと思います。

それは前回は、私もこちらの日本再生フォーラムさんの方に参加させていただいた時も申し上げましたが、まず政府に対して我々の意思を発進する事が大事であると。
荒木先生も先ほど仰っていましたけど、この問題に関して動かすと言うのはやはり国民の民意と言うか、感情の部分がまさにこの活動、運動の大きな源、源泉かと思います。
その源である皆さんのひとりひとりから政府に対して手紙でもメールでも電話でも結構です。
政府に対して何故拉致問題を早く解決しないのか?何故経済制裁を実施しないのか?と言う部分を政府に発信していただければと思います。

これは横田拓也さんのお話ですけども、横田拓也さんはかつて日本政府に対してメールを何百通何千通と出しました。
あるときに、今安倍官房長官ですけど、安倍さんと初めてお会いした時に安倍さんからのまず一言は「君が横田拓也君か?メールは見ているよ」と言うふうに仰って頂いたというお話があります。
やはり日本政府には毎日何百通も何千通も連絡が来ると思いますけども、やはりこの拉致問題に対して解決をしたいという意思を持っている方は、必ず我々拉致問題を解決したいと思う気持ちに同情している人の発進や意思と言うのは、どのくらい忙しくても汲み取ってくれると思います。
ですので皆さんも無駄な事とは思わず、政府に対して発信していただければと思います。

これまでは私の家族会の立場として申し上げましたけど、やはり私個人として申し上げれば、今こちらにも写真がありますけども、実際私どうしても田口八重子さんと言ってしまいます。
どうしても母とは呼べません。
今年で29歳になりますけども母と一緒に居たのは、たった生まれて1年の間しか母子として一緒に居た事がありません。
当然1歳ですから、記憶も何もありません。
その様な状況で親父、副代表である飯塚繁雄に育ててもらって、何不自由なく育てて頂きましたけど、親父にはいっぱい親孝行的な物をしていきたいと思います。
旅行とかお袋と行って来なよと言って促してあげたりとか、体の心配をしてあげたりとか、巨人が負けているからどうするんだと愚痴を聞いて上げるとか、そんな下らない事までだいぶ話せるようになりました。

ただ、親父に対してはそう出来るんですけども、田口八重子さんに対しては何も出来ていません。
まだ家族である、「お母さん」とすら一言も彼女に伝えてあげる事が出来て上げられてないのが、現状です。
正直、その部分については複雑な気持ちがあります。
やはり一度も見た事の無い人なので、その人を本当に「お母さん」と呼べるのか?と言う複雑な思いもある一方で、やはり自分の事お腹を痛めてを産んでくれた母として、拉致をされた時の北朝鮮の海岸の所で、「私には子供が居るので」と人目を憚らずにお腹を出して妊娠線を北朝鮮の工作員に対して(見せて)訴えて「だから日本に返して」と。
「是が非でも帰りたい」と言う気持ちを嘆願したという、まだ見ぬ母に対してはやく親孝行をひとつ、何でもいいから出来ればと。
でもやはりその前にまずは「お母さん」と呼んであげたいと思っております。

私が今現状、日本政府はこの問題に対する大きな動きはございません。
この事件は1年半近く、こちらの資料に書いてありますけども細田官房長官の発言以降、対北朝鮮に対する政治的な発信と言うのは、政府としての発進はほぼ皆無だと私は思っています。
この停滞している中でここまで家族会の運動が盛り上がったのは、やはり皆さん国民一人一人の方々のご協力とお声の発進があったからこそだと思います。

私が親孝行でも何でもないんですけど、田口八重子さんに対して直接「お母さん」と呼んであげられるように、何とか頑張っていきたいと思います。
それには皆様のご協力とご理解とご発信が必要だと思っています。
どうぞよろしくお願いします。
ありがとうございました。

心をひとつにするということ

拉致被害者救出運動の最終目的は、『全ての被害者を救うこと』にあります。

その目的をかなえる為には様々な物を動かさねばならない。
動くべき第一の組織は政府、次にマスコミ、そして国民世論。
ありとあらゆる力を動員し、最終目的に向かって心をひとつにする努力をしなければならない。

だが現状を見たとき、日本政府の動きは余りにも遅い。
マスコミの扱いもまだまだ微々たるものでしかない。

何故動かないのか?もとい、何故動けないのか?

政治の世界にもマスコミの世界にも、心ある人は必ずいる。
この問題を何とかしなければと、真剣に考える人は必ずいる。

その一方でこの問題どうにかしてうやむやにしたい人たちもいる。
その勢力は政界にもマスコミにもあらゆる所に潜んでいる。

何とかしたい人たちと、うやむやにしたい人たち。
この両者の力が拮抗しているから、中々拉致問題の山は動かないのではないか?と私は考えている。

ではこの力の拮抗を打ち破り、政治やマスコミの世界で拉致問題を何とかしたいと思っている人たちの後押しをするためにはどうすれば良いのか?
それを考える時、『国民世論の盛り上がり』以外に有効な手段を私は思いつかない。
だから私は一人でも多くの仲間をこの運動に取り込みたいのです。

仮に拉致問題の認識に濃淡があっても、制裁発動への意欲に濃淡があっても。
拉致問題を何とかしたいと思う人はあらゆる意見の違いを超えて、支援の輪に加わってもらいたいと思っている。
そのために私たち支援者を自認する者は、様々な方法を試みて一人でも多くの人に家族の思いを伝え、世論の支持を取り付ける。
共に戦う仲間を増やす。
それがご家族が私たち支援者に望む一番の事では無いのか?

反小泉をキーワードに世論に訴えるやり方があってもいい。
家族の心情をキーワードに訴えるやり方があってもいい。
最終的に世論の心をひとつにできるのであれば、世論への訴え方は何通りあっても良いと思う。

ただしより効果的な世論への訴え方を議論する事に、意義はあると私は思っている。
どんな正論であっても、訴え方を間違えて世論に引かれててしまったら元も子もない。
そこのところは、こちらの側が世論の空気を読んで、それに合わせた訴え方を工夫する事も大事だと思う。
小泉批判にいくら理があるとしても、それを高飛車に一方的に押付けても世論の理解は得られない、と言うこと。
世論の理解が得られなければ、それは何の力にもならないということ。

私達が戦う相手は金正日。
そして日本国内に潜む、親北勢力。
彼らは拉致問題の解決など望んでいない勢力なのです。
拉致問題の解決を望む国民世論が今よりもっともっと盛り上がる事を、彼らはおそらく一番嫌っている。

拉致問題をうやむやにしたい勢力は虎視眈々と、運動の頓挫を狙ってあの手この手の妨害策を仕掛けるでしょう。
それに振り回されることなく、全ての被害者が帰るまで日本の世論は頑張れるのか?
政治の世界にもマスコミの世界にも長年巣食っている親北勢力がいる。
それを排除するはどうすればいいのか?

その問題を何とかする為には、常に批判の声を上げる事は大事。
選挙などを通じて、彼らの勢力を削ぐ事も重要な事。

ただし、政治やマスコミの世界に巣食っている陰の力を簡単に追放できる決定打はおそらく無い、と言うことが問題なのだろうと思う。
彼らの勢力を簡単に削ぐ方法があるならば、拉致問題はとっくの昔に解決しているはずです。
拉致問題がこんなにも動かないのは、彼ら影の勢力の及ぼす力は私達が思う以上に根深い物がある、と考えるのが妥当ではないでしょうか?

しかし被害者救出は待った無しです。
政界・マスコミ界の完全浄化を待っていては、被害者の命は消えてしまう。
では次善の策として、今政界やマスコミ界の中にいる良識派が、少なくとも今よりももっと自由に力を発揮できるよう、後押しする事もまた大事ではないのか?
そのためにも世論の盛り上がりは何よりも有効な後押しになるのではないのか?

私には何の力も無い。
知名度もなければ世論への影響力も無い。
被害者救出と言う大望を果たす為に私が出来る事など本当に微々たる物でしかない。
それでも私は世論の喚起のために、出来る事を積み上げる。
目的を同じくする人と手を取り合う。

くどいようですが、家族の願いをかなえる為に私達が戦う相手は金正日です。
戦う敵を間違えてはいけないと思う。
そこさえ常に押さえていれば、無用の内輪もめなど避けられるのでは?と思うのだが・・・
posted by ぴろん at 11:00| Comment(0) | TrackBack(1) | 与太話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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