2006年05月18日

「4.22 ワシントンDC集会」より、家族の声をご紹介します

去る5月14日、立川アイムにて開かれました「4.22 ワシントンDC集会帰国報告会」で配布された書類の中から、家族の訴えの声を紹介しているBlogがございます。
家族の悲痛な叫びを一人でも多くの方にご紹介したいと思い、Blog主様にテキストの転載許可をお願いした所、快くお許しを頂きましたので、早速当Blogでも掲載させて頂きます。
一刻も早い再会を願う家族の訴えの声に、どうぞ耳を傾けてくださいませ。<(_ _)>

尚、このワシントンDCらち連絡会のHPには、この集会の詳しいレポートも掲載されていますので、併せて御覧になっていただけたらと思います。

★ワシントンDCらち連絡会
http://www.asanocpa.com/rachi/index.html

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★「蒼空」様 
4月16日付け 「4.22 ワシントンDC集会にて」より以下転載
http://ao-sora.cocolog-nifty.com/blog/

◆大澤昭一さんから弟の大沢孝司さんにあてた手紙 

孝司、元気かい?
今年の冬は寒かったでしょう。新潟も近年暖冬が多かった後だけに寒さが強く感じました。
雪の量も津南、入広瀬などは4mを超え、まさに豪雪、雪のニュースが毎日テレビを独占していました。
親父も96才高齢のため保温力がなくストーブを身体の前後に据えてまだ寒がっていましたが、4月に入って元気を取り戻して、食事時間に呼ぶとすぐきて、食べっぷりは非常に良いです。「孝司が帰るまで頑張る」といっています。
新穂の焼肉屋のおばさんも孝司と我々兄弟に「おいしい肉を食べさすかち、早く連れ戻せ」と、時々電話で催促してきます。
同級生の植松君や中学の仲間はたびたび集まっては救出運動を続けてくれています。4月は分水花見、次に白根の凧合戦と各地の署名運動で多数の人々の支援を受けています。
孝司が新穂転勤記念として寺澤家の庭に植えたイチョウの木は30 年の歳月で大きく成長し、毎年秋になると黄金色に輝き主人の帰りを待っています。
日本の国もこのごろようやく変わってきました。何も機能しなかった外交にこれでよいのかと国民も気づき、国家国益を考え始めました。警察庁も拉致専門部署を作ってくれました。
日本も変わってきます。日本の国だって強いんだぞ、日本の国だってやれるんだぞ。
孝司、もう少し我慢しておれ。必ず迎えに行くから。

2006 年4 月22 日 ホワイトハウス前にて
大澤昭一

◆市川健一さん挨拶文 
日本の鹿児島から着ました「拉致被害者市川修一の兄」市川健一です。
拉致問題は一国も早く解決しなければならない深刻な人権問題です。なかなか解決の風穴を切り開けず、家族は大変苦しんでおります。現在、日本の被害者家族は、拉致されている被害者に向けて「短波放送」を通じてメッセージを読み上げています。必ず、被害者の耳に届くと信じて、また、口コミの情報が広がることに期待し、放送を続けております。
私も弟、修一に呼びかけました。以下がそのメッセージです。
『修一元気ですか?兄ちゃんだよ!修一と28 年もあっていないんだよね。早く会いたいです。るみ子さんと一緒に出かけたまま、行方がわからなくなった二人を一生懸命探しました。また、大勢の方たちが捜索に協力してくれました。お父さん、お母さんも高齢の身になっていますが、元気でいます。「修一と再会するまでは、体を大事にして、元気な体で迎えてやるのだ」といって、毎朝・毎晩祈り続けています。北朝鮮の冬は厳しい寒さだと聞いています。夏の姿で出かけた二人に、暖かいセーターを送ってやりたい気持ちでいっぱいです。長いこと、救出することが出来ずに本当にごめんね!日本では、400人以上とも言われる「被害者全員の救出」に向けて世論が高まっています。国際社会にも協力をお願いしています。
修一!もう少しの辛抱です。必ず、救出するからね!修一が帰ってきた時は、一緒に酒、飲もうな!体を大事にしろよ!頑張れよ!負けるなよ!生き抜けよ!』
アメリカ国民の皆さん、拉致被害者全員が日本の、祖国の土を踏むまで、私たち家族と一緒に闘ってください!ご協力を切にお願いいたします。


◆森本美砂さんから姉、山本美保さんに宛てたメッセージ
 

美保ちゃん、元気ですか?
いえ、元気でがんばっていると信じています。
今、私はアメリカの首都ワシントン、ホワイトハウスの前にいます。
美保ちゃんの救出を訴えるために、この地にやってきました。
あなたが私たち家族の前から突然姿を消してしまってから22年になろうとしています。
自分の夢に向かってがんばっていた20 歳の頃の美保ちゃんの姿は、今でもその印象のまま私の脳裏に焼き付いています。
「図書館に行く」と言って出かけたあの日のあなたは、いつもの美保ちゃんでした。こんなにも長い間家に帰らない日の朝になるとは、夢にも思いませんでした。
あなたが家から姿を消してしまってからというもの、父さんも母さんも私も、東京の女子大の進学を反対したことをずっと悔やんできました。あの時、賛成して送り出していたらと。
でも、お兄ちゃんが亡くなって、美保ちゃん一人を東京に行かせたくなかった、家族がバラバラになるのが耐えられなかった、美保ちゃんにはいつもそばにいてほしかったのです。
たぶん、あなたもそんな私の気持を理解して家に残ってくれたんだと思います。進学した看護学校では、山登りに夢中でしたね。高校時代、一緒に入った山岳部で登った南アルプスの山々、鳳凰三山の美しさは今でも忘れません。美保ちゃんが、18、19歳と北アルプスの山々に挑戦していた頃の山の写真はアルバムに残っています。今日もあなたのポスターにして持ってきました。
その間、私は少し山から離れていましたが、今、また3 千メートルの山に挑戦しています。仙丈ヶ岳、甲斐駒ケ岳、北岳、山梨のアルプスの山脈を覚えていますか?一昨年、昨年と私はこの山頂に立つことができました。昨年は、息子と長年の夢だった甲斐駒ケ岳に登ることができました。亡くなったお兄ちゃんにどこか似ている息子です。
大好きだったお兄ちゃんが亡くなって、悲しみに暮れていたあの頃、家族みんなを支えながらも自分の目標を失わなかった美保ちゃん。父さんや母さんを一番心配していたあなたが、家族に黙っていなくなるはずがありません。気持の弱かった私をきょうだい一人にするわけがありません。この状態は、美保ちゃんの意思ではありません。そう信じています。
2002年、日本の小泉首相が訪朝したのを境に、美保ちゃんが拉致されたのではと、大きな報道になりました。図書館に出かけたはずのあなたのカバンが、新潟県の柏崎の荒浜海岸に落ちていたからです。同じ柏崎で蓮池さん夫妻が拉致されていました。蓮池さんご夫妻、地村さんご夫妻、曽我さんご夫妻は、無事日本に戻ることができました。国民全員で救出活動をしたからです。
今まで難しい問題にも直面しましたが、美保ちゃんは元気でいること、北朝鮮で助けを待っていることを信じています。
あなたに再会することは私の使命だと思っています。
あなたに会えるまで、私は声を出し続けます。美保ちゃんに会いたいという気持に、たくさんの方が力を貸してくれました。
私の大学の恩師の方が声を挙げ、その後、甲府東高校の同級生がすごい力を貸してくれたのです。なにがあってもひるまず、これまで支えてくれました。市川小学校の同級生も大きな力で動いてくれました。長松寺、池田地区の方々も美保ちゃんの帰りを待ってくれています。みなさんの力で集めた美保ちゃんを救出する署名活動は、20万人の署名を集めるまでになりました。署名を2度に分けて政府に提出しました。
人前で話すことなど苦手な私が、たくさんの人の前で美保ちゃんのことを話してきました。こんなことにも慣れてしまうほど、美保ちゃんの救出には長いこと時間がかかっています。
横田めぐみさんのことを知っていますか?同じ世代ですから、どこかで会ったことがあるかもしれません。佐々木悦子さんと一緒に部署にいるとの目撃情報もあります。秋田美輪さんも同じようなケースでいなくなっているのです。
日本では、400人を数える人が理由もなくいなくなっています。特定失踪者と呼ばれる人たちです。特定失踪者問題調査会の荒木先生が中心になって、みなさんの情報を集めて救出に乗り出してくれました。
短波放送「しおかぜ」を聴きましたか?荒木さんの声や家族の声が聴こえましたか?美保ちゃんをはじめみなさんに宛てたメッセージを流しています。
北朝鮮に囚われたみなさん全員を助け出すまで、私たちはあきらめることなく声を挙げ、救出活動を続けます。どうか会えるその時まで、希望を失わず、力強く生き続けてください。
もう少しで会えると信じています。
大好きな美保ちゃんに必ず会えると信じています。

2006年4月22日 あなたの妹 美砂

◆金英男さんの母上の手紙 
「いとしい我が息子へ」
別れてから28年後、私がお前の名前を呼ぶ時、私の心は溢れ出る。
まるで小説のようですがこれは本当のことで、私はどのようにして、この気持ちを表したら良いのかわかりません。
私は今、80歳代で、体調はだんだん悪くなってきています。歩くのさえままなりません。
しかしお前の二人の兄弟、義姉達、姉妹達が私の面倒を見てくれており、お前がまだ生きているという望みを私に与えてくれています。
先日、見知らぬ人達が村にやって来て、お前の生存の可能性を調査するために私を病院に連れて行った時、私はずっと泣いていました。
お前の姉(妹)は「お母さん、英南(男)は生きている。あの子は北朝鮮に住んでいて、日本の女性と結婚した。捜査して、あの子が生きていることを確認できたのよ。」と叫んだ。
その言葉は私を震えさせました。
私のいとしい息子、英南よ。私はお前がまだ生きていたなんて信じられません。私は神に感謝します。私はお前が海岸で溺れて死んでしまった、と思っていました。しかしお前は生きて、そして結婚さえしていたんですね。
英南、私はいつ、お前に会えるんですか? 死ぬ前にお前に会いたい。私の健康状態は悪化しています。でも、私はお前に会うために生きていたい。お前に会いたいという以外に何も言うことはありません。
死ぬ前に、息子に会えるように、どうか助けてください。
一度でも良いから、死ぬ前に息子の顔を見させてください。
親愛なるブッシュ大統領、韓国系アメリカ人の皆様、どうか、どうか私が死ぬ前に息子に会えるように助けてください。
どうかこの年老いた母親の希望をかなえてください。
私のいとしい息子、英南よ、お前は自分を大事にしなければなりません。
私とお前が会うまで、お前は生きていなければなりません。
私はお前の大好きなゆで卵を作ってあげる。
それまで、お前は元気でいなければなりません。
お前が生きていると聞いてから、お前に何か悪いことが起きるのではないかと心配で、眠れません。
先日、お前が私の腕の中にくる夢を見ました。そしてお前の名前を呼びながら、目が覚めました。
私のいとしい英南よ、私の大事な息子、英南よ。何故、お前はこんなに遅くやってきたんですか。
何故、お前はこんなにも長い間、家に帰って来れなかったんですか。
これからは、幸福な人生をおくろうね。
私達が失った30年のことは忘れましょう。そしてこれから楽しむことを考えましょう。
会って、たくさん話そうね。
1日で足りないなら、2日でも、3 日でも、4 日でも、話そうね。
今日は書くのはこの辺で止めておきます。後で会った時に話しましょう。
お前が無事にいることを祈っています。

◆タイ人拉致被害者アノーチャさんへ兄スカムパンジョイさんから 

お前の故郷の母から。

アノーチャさんへ・・・家族の手紙
私の愛する妹 アノーチャパンジョイへ
1973年、お前はバンコックへ仕事に出かけました。
そしてそのあと、たびたび家に帰ってきましたね。
しかし、ある日突然マカオで誘拐されたとの連絡が届きました。
このニュースはお前の友達が父親と私に手紙を送ったもので、彼女は私たちに会いたいというものでした。それで、私たちは彼女に会いにバンコックへ行きました。彼女は詳しい説明なしに、お前が6 ヶ月前にマカオで誘拐された、と言い、それが私たちが聞いたすべてでした。
私と父親がうちに帰った後、私たちの家族は集まって、お前のことを話し合いました。みんなお前がいつか帰って来るだろうといいました。そして私、父親、姪たち、そして甥たち、親戚中のみんなは1978年からずっとお前を待っていました。
2005年の10月1日、TVで、アノーチャパンジョイさんはマカオで誘拐され、それから北朝鮮で暮らしている、といっているニュースを見ました。それを見るやいなや、そのTV局へとんでいきました。そのTV ニュースの後、たくさんのレポーターが家にやってきました。しかし、私は誰に助けを求めるべきか分かりませんでした。それで私はレポーターに、このニュースを北にいる妹に届けるようにしてもらえないか、とたのみました。
私の妹アノーチャパンジョイよ、おまえは私達の家族みんなを覚えているでしょう。
お父さんのサムパンジョイ。
義妹のトングパンジョイ。
そして姪や甥たち、
ウアパンジョイ、ウライペンルアング、そしてバンソンペンルアング。
私の妹アノーチャパンジョイよ、私が心の底から書いたこの手紙をもしお前がうけとり、幸せな気持ちになってくれることを望んでいます。
そして、どうか悲しまないでください、6ヶ月前に27 年間お前を待っていたのに、お父さんが亡くなったことを。姪と甥の2人、バンソンとユーも亡くなりました。
私の妹アノーチャパンジョイよ、この手紙を読んだ後、私のことを思って寂しくてたまらない気持になるでしょうね。
お前のニュースを見てから、私たち家族全員はお前にすぐ会えると期待しています。
この拉致はお前におこるべきことではなかったのです。
みんながお前に会いたがっています。
お前がいなくなった後、私たちにはたくさんの試練や困難がありました。
私たちはお前を探すためにたくさんのお金を使いました。
お父さんは病気になったので、最後に97才のお父さんを入院させました。
しかし、昨年亡くなりました。
お前がこの手紙を読んで、そして家族みんなを想ってなつかしむよう願っています。
私たち家族はお前が帰れるように助けたい。
こわがる必要は何もありません。
最後に、お前が元気で健康でいることを願っています。
みんな寂しがっています。
私はいつもここにいて、いつもお前を想っています。

2006 年3 月21 日 スカムパンジョイ


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